|
■オープニング本文 とある街の大富豪の長女――薫は机に肘をつき、逆の手の指を机にぶつけてこつこつ鳴らすという、お世辞にも行儀がいいとは言えない振る舞いをしきりに繰り返していた。 「ああ、もう!まだ来ないのかしら」 教育係や両親が見たら卒倒しそうな行動ではあったが、彼女の事情を知れば誰もが仕方ないと思うだろう。――というのも、彼女が待っているのは結婚相手候補の一人。あと何日か遅くなれば、その相手は薫に求婚をする権利を失ってしまう。 「来てくれなかったら……わたし、あの傲慢な弟くんと結婚することになっちゃうじゃない……」 薫の結婚相手候補は二人、しかも兄弟である。 老舗高級旅館を営む彼女の家は数代前から次第にさまざまな分野へと手を伸ばし、今では周辺の知る人ぞ知る大金持ちになった。しかしながら子供は女の子が二人。跡取りとして婿をとるほかに手段はなかった。 何度か時間を共に過ごし、薫は自然に兄の方を好きになっていた。 とにかく細かい気遣いができる男で、少々内気なところが引っかかるが、いざとなれば頼りがいのある人。おどおどしながらも薫の両親の前ではしっかりと話もしていたし、頭だって悪くない。この人となら、と彼女は思っていた。 一方弟の方はというと、兄とは間逆の性格ではっきりとした物言いに、大胆な発想。両親に好印象を与えたものの、薫から見ればただの威張りくさった坊ちゃんである。実際に威張れるほどの能力を持っているからさらにタチが悪い。 そんな弟に、兄は昔から劣等感を抱いていたという。 今回もおそらくは自分には無理だとあきらめているのだろう。 「あの、意気地なし……!」 両親は弟との結婚を勧めてきているが、薫は絶対に嫌だと思っている。勝手に話は進められ、いつの間にか周囲は弟との結婚の準備を始めていた。 「わたしが好きだって言ったじゃない!どうして来ないのよ!」 薫はすっくと立ち上がった。 もう待ってるだけではいられない。自力でなんとかしなければ。 |
■参加者一覧
柚乃(ia0638)
17歳・女・巫
シルフィリア・オーク(ib0350)
32歳・女・騎
ティア・ユスティース(ib0353)
18歳・女・吟
闇野 ハヤテ(ib6970)
20歳・男・砲
シャギアブロード(ib7035)
19歳・男・泰 |
■リプレイ本文 とある街、とある老舗高級旅館。 「こんにちは」 ティア・ユスティース(ib0353)はそのまま旅館内に足を踏み入れ、受付の者に向かってにこりと微笑んだ。 「こちらに薫さんという方はいらっしゃいますか?」 ギルドを通して、依頼を引き受けた開拓者が旅館に行くという話は一応薫に伝えられているはず。旅館の従業員に微笑みかけると、さすがは老舗。てきぱきと周囲に確認を取ってすばやく連絡を伝えていく。 「お待たせして、申し訳ありません。ティア・ユスティース様ですね」 「はい」 帳簿を確認し、受付が問いかける。 「こちらへどうぞ」 あっという間の対応に、ティアも思わず感心。客人に対する礼儀やいざというときの行動はしっかりと統制されている。 「ジルベリアからいらっしゃった吟遊詩人の方と聞いております。どうぞよろしくお願いいたします」 応接室に通されたティアの前に、旅館の女将――つまり薫の母親が現れた。薫が前もって話を通しておいたらしく、ジルベリアの珍しい音楽をイベントで披露することになっている。 「母様は音楽に興味があるので、案外すんなりと行きました」 薫が小声で伝えた。 ● 「それで、どうだった?」 旅館でのことを仲間たちに話すティアに、シルフィリア・オーク(ib0350)は続きを促す。 その言葉にティアは薫に想い人について尋ねたときのことを思い出す。宿の歴史を聞くことでうまく彼女が気持ちを話せるように誘導すると、薫は頬を桃色に染めてやさしげな笑顔を浮かべていた。 「正一さん、すごい方ですよ」 ゆっくりと話をしていく中で、薫はぽつりぽつりと正一との思い出を話した。 もともと薫は自分の好きな人ではなく、親に決められた候補の中から結婚相手を選ぶことに不満があり、それをしなければならない次期女将という立場も嫌になっていた。集まってくる男は皆老舗旅館の経営者という地位と財力目当て、誰一人として薫を支えようという心を持った者はいなかった。 そんな矢先に現れたのが、正一ら兄弟である。 弟の方は両親の関心を引くのに夢中だったのに対し、正一は薫を喜ばせようとしていた。それでも薫にはそれが地位目的のことに見え、そのことをはっきりと彼に告げると、彼は案の定あっさりと身を引いたのだという。 がっかりした薫ではあったが、驚くのは翌日。 なんとあの正一が、女装をして宿に現れたのだった。 理由を聞けば、それは生まれたときから将来まで決められてしまった薫が自由になれるように、自分が薫の代わりに女将になるから、と真顔で答えた。 「‥‥確かにすごいな」 闇野 ハヤテ(ib6970)が苦笑する。まさか女装して自分が女将になると言い出すなど、常識では考えられない。 「でも、そのときの正一さん、本当にひどい恰好だったそうで、薫さんが大慌てで部屋に隠したそうなんです」 いい歳をした男が女装。当たり前のことだが、女物の着物を身にまとい、化粧をするなどうまくできるはずもない。しかし、彼があまりにも真剣だったために、薫は彼に女として、女将としての作法を教えたらしい。 「そのときに、こっそり宿を抜け出して着物を見に行ったそうなんです」 「着物を?」 柚乃(ia0638)が聞き返す。 「ええ、薫さんも素直な正一さんに教えるのが楽しくなってきて、その流れでどうせならきれいな着物を見に行こうということになったみたいですよ」 あくまでもこっそり家から抜け出したということで、あまり遠くにはいけなかったが、二人は着物だけでなく周辺の商店でいろいろ見て回ったという。 「実際に買ってはいないみたいですが、薫さんがたいそう気に入った着物があったと言っていましたね」 そういえば、とティアが付け加えた。 「なるほど。では柚乃はその着物について調べてみようかな」 何か役に立つはず、と彼女は言った。 「思い出の衣装か。何かのきっかけになればいいのですが」 柚乃の言葉にシャギアブロード(ib7035)も同意した。 「着物を見て回った後はどうなったか、聞いていないかい?」 シルフィリアが首をかしげた。 「半日ほど女将修行のまねごとをした正一さんは、帰り際に薫さんのご両親に見つかったそうで、お二人にあきれられたそうですよ」 ティアは薫が苦笑しながら言ったことを思い出し、同じように苦笑いを浮かべた。 ● 薫と正一が買い物に出かけた商店。柚乃はまずその絞込みから始めた。 ティアによれば、時間の都合上薫からそれ以上聞き出すことはできなかったとのこと。あまりにも長時間話し込んだことに怪しんだ女将がやってきたために、話を中断せざるを得なかったのだ。次の機会にとも思うが、時間がない上、せっかくの機会なのだから正一のいいところを見せてやりたい。 「あくまでも旅館を抜け出した短時間っていうことだから、近場のはず」 旅館の周辺を調査し、時折通りがかりでよく旅館周辺にいそうな人に声を掛けながら調査を続けた。 「呉服屋、それから雑貨屋‥‥あとは‥‥」 何人かに調査しているうちに、二人を目撃したという人から話を聞くことに成功した。何せ女装した男である。薫がきれいに化粧し、着付けも直したとはいえ、どこかぎこちない歩き方と身長のせいでかなり目立っていたようである。 「ここね」 そうして、たどり着いたのは色とりどりの着物がならぶ、街の呉服屋。なんでも薫とその母親お気に入りの店だという。 「すみません、少し前にあっちの旅館の薫さんと、背の高い方来ませんでした?」 「ええ、来ましたとも」 あたり! 柚乃はやった、と笑った。 ● 一方正一の説得をしようと、彼が住む屋敷の前でシルフィリア、ハヤテ、シャギアブロードは待機していた。噂によればこの時間帯、正一たちは屋敷で父親の仕事の手伝いをしているはずである。 「弟と比べられてあきらめ癖がつくのは痛いほどわかるけど‥‥」 ハヤテが正一を自分の過去に投影する。彼もまた、兄妹と比べられて育っている。正一の気持ちはよくわかっていた。だからこそ、正一にはがんばってほしいと思っているのだ。 「む、誰か出てきましたよ」 シャギアブロードが屋敷の扉から出てくる男に気が付き、声をかける。 「正一さん、なのか?」 「少なくとも弟ではないだろうね」 前方を歩く人物を観察するハヤテに、シルフィリアも目を細めて答える。来ている服の雰囲気は質素。しかしながら、どこか洗練された雰囲気を持つことからして使用人ではない。派手好みの弟でもない、とすれば。 「正一さんで間違いなさそうですね」 あらかじめギルドを通して薫から聞いていた正一の容姿と照らし合わせ、間違いないと判断したシルフィリアにシャギアブロードもうなずく。 「そうとわかれば――ねえ、そこのきみ?」 広場のような場所で立ち止まり、どこか浮かない表情をした若者に、まっていましたとばかりにシルフィリアが色っぽい表情を浮かべながら彼の肩を叩く。 「はい?」 「なんか悩んでるようだけど、どうかしたのかい?」 突然話しかけられたことに驚いた表情をする正一をよそに、シルフィリアは続ける。 「開拓者なんてしてるとどうもおせっかいになっちゃってね」 いい男が相手ならなおさら、と飛び切りの色気を振りまき彼に近づく。 「か、開拓者の方なんですか‥‥悩みなんて‥‥」 「そうは見えないですが?」 悩みなどない。そう言おうとした正一に、いつの間にか横に立ったハヤテが言葉を重ねる。 「これでもいろいろ経験はあります。よかったらお話を聞かせてもらえませんか?」 シャギアブロードのやさしげな声に、正一はうつむいた。 「好きな人が、結婚するんです」 ひどく、切なげな声だった。 ● 一方、宿へ戻り頼まれていた演奏を終えたティアは、新しく作曲した曲を聴いてほしいと薫を自室に誘い出していた。 「実は、薫さんにお手紙をお願いしたいんです」 「え?」 突然の言葉に薫がきょとんとした表情をする。 「正一さんがお好きなんでしょう?」 そう言ったティアはシルフィリアからの言づけを伝える。 正一が動き出す一番の原動力はやはり、愛する者の言葉。 「素直に助けを求めたらどうだい?私の心を奪った責任も果たさずに、あなたは逃げてしまうのですか?このままじゃ望まぬ結婚を強いられてしまいます。私を助けて‥‥と」 言い終わったティアが微笑む。 「私の仲間からの言づけです」 それを聞いた薫が困惑の表情を浮かべる。そして、用意されていた筆を静かにとった。 ● 「僕よりも、弟の方が薫さんの夫にふさわしい。何よりも、弟の方が僕よりもしっかりしているんだ。ご両親がそう判断したのなら‥‥」 僕は薫さんを幸せにできない、と悔しげな表情を浮かべ、正一は吐き出した。 それを聞いたハヤテの表情が険しくなっていく。 「比べられたから、恋をあきらめるってことかよ?」 正一の言葉が、彼には理解できなかった。そんなことであきらめられるようなことではないはずだ。何よりも、そんな理由で愛する者への気持ちを闇に葬るなど、認められることではない。 「弟は弟、あんたはあんただろ!?魅力なんて比べられるものじゃない!」 まっすぐ、正一の瞳を射抜く。 「あたいは安心したよ」 しん、と静まり返ったその場に、シルフィリアの声が響く。 「あなたは御嬢さんの言ってた通りの人だ」 彼女が心から慕うのも良くわかる、とシルフィリアは続ける。正一は何よりも薫のことを考えている。薫が幸せになるのならば、と己の欲をも捨てようという男なのだ。 「老舗旅館の主人ってのは、細やかな気配りと誠実な態度こそが一番大切なんじゃないか?」 それなくば、お客様はもとより従業員の心すら離れてしまう、と話すシルフィリアを正一はじっと見つめる。 「女将を引き立て、裏方として支えることを厭わず、人の意見を素直に聞き入れる柔らかさを持つ人でなければ勤まらない」 「それが、僕にはあると?」 驚いたように、正一は聞き返す。弟と比べられて生きてきた彼は、とにかく自分に自信がない。つまり、自分の長所に気が付いていないのだ。 「いまさら何を言っているんですか」 シャギアブロードが真剣な表情で言う。 「そんなあなただから、薫さんが選んだんじゃないですか」 「そうさ。御嬢は一人の女性として慕うだけじゃなく、次代の女将としてあなたを選んだんだ」 うなずいて言ったシルフィリアに、正一の瞳が揺れる。 「だけど、本当に薫さんを幸せにできる自信なんて――」 「結婚の一般的な解釈を述べさせてもらえば、男は相手を幸せにしたいと願い、女は一緒になることで不幸になっても構わない相手を選ぶと言います」 何を言っても聞かない正一に、シャギアブロードがしびれを切らす。 「あなたは薫さんの幸せを考えて身を引くつもりのようですが、彼女の気持ちを考えてのことですか?」 その言葉に、一同が黙り込んだ。そして。 「薫さんから、正一さんへの文です」 薫からの手紙を預かったティアが、丁寧に封をされたそれを差し出した。 「薫さん、から‥‥?」 正一は恐る恐るそれを受け取った。 手紙に、「助けて」とは一言も書かれていなかった。しかし、彼にはその文面から薫が助けを求めていることを読み取ることができた。意地っ張りな薫らしい、と正一は思った。 「弟さんにもお話を伺いました」 そこに現れるのは、柚乃。 「責任感のある、しっかりした方でしたが――彼では薫さんを幸せにすることはできません!」 弟が薫のことをただのおまけとしか考えていないことを知った彼女は大急ぎで仲間たちに合流したのだった。 「弟さんは、薫さんのことなんてちっとも見えていないんです!早く行ってあげてください」 いつの間にか、ティアがリュートで旋律を奏でていた。心の旋律。美しい音が、正一に自信を持たせてくれる。 彼の目はまっすぐ前を見つめていた。 ● そして、期限の日。 相変わらず姿を見せる気配のない正一に、薫は半分あきらめかけていた。 開拓者ギルドに依頼をしたのに、やはりうまくいかないのだろうか。正一の気持ちが自分に向いていないのであれば、どうやっても彼に来させることなどできないだろう。人の気持ちを変えることなどできない。たとえ、開拓者であっても。 「なあんだ、私の勘違い」 はは、と乾いた笑いがこぼれた。どうやら好きだと思っていたのは自分だけだったらしい。 と、外が突然騒がしくなる。 薫は眉をしかめた。高級旅館でこんな落ち着かないなんて、いったい何事だろうか。 そう、思った時だった。 「薫さん!」 スッとふすまが開く。 「え?」 その先にいたのは、薫がいつかふざけ半分で正一に似合うと言って着せた着物を着た、女装の人物。 「しょ、ういち‥‥?」 着物には似合わないぎこちない動きで彼は薫に近づく。しかし、その動きはきちんと薫が教えたことを守ろうとしていて。 「僕は、あなたの言ったことを忘れた日など一日もありません!それと同じように、自分の言ったことも」 薫の両手を掴んだ。 「やっぱり、僕にはあきらめきれない。あなたが女将になりたくないというのならば、僕が代わりになる!あなたは自由になっていいんだ。‥‥だけど、もしも僕の願いを聞いてくれるのならば、どうか僕と結婚してほしい」 真剣な表情の彼に、薫は面を食らった。そして。 「ぷっ‥‥ふふふ、あははははは」 「ええ!?」 勇気を出して言ったことに対して、薫が大爆笑したことに、正一は立ち尽くした。 「私、女将が本気で嫌だなんて言っていないわ!今はね、あなたと結婚できるなら女将をしてもいいと思っているの」 人の気持ちに敏感な正一だが、残念ながら自分に対する好意には疎い。そして、内気なはずの彼でも、好きな人に振り向いてもらうためならばどんなことでもする。薫は彼のそんなところが好きだった。 すべては、彼のやさしさから来ているものだ。 「来てくれて、ありがとう」 薫はふわり、と微笑んだ。 ● 「よかったですね」 着物を用意した柚乃がほっとした表情冷やしておいて果物を振る舞った。彼女が用意した着物は薫と正一の思い出のもの。薫を外に連れ出すことはできないため、ティアが言っていた正一が女装で旅館に乗りこんだことを再現しようと考えたのだ。 「驚きました。でも、うれしかった」 あの時に戻れたのかなと思ったんです、と嬉しそうに薫が言う。 「この着物、薫さんに良く似合うと思うんです。だから――」 呉服屋に代金を払い、改めて正一が薫に包みを差し出した。それは、正一が着たものと同じ、だけど新品の着物。 「馬鹿。そこまで気を遣わなくていいのよ」 薫は微笑んだ。 「みなさん、本当にありがとうございました」 シルフィリア、ハヤテ、シャギアブロードの説得に勇気づけられ、そしてティアの奏でる音楽、柚乃の雰囲気作りにより、無事告白をできた正一は幸せそうな笑顔をうかべた。 |