美人の条件
マスター名:七海 理
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや易
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/11/08 17:52



■オープニング本文

 その日、姉妹は母親と共に出かけていた。弁当を持って、姉妹が遊んでいる最中に見つけたという綺麗な湖へ。
 初めは大はしゃぎだった二人も、目的地に着くころにはすこし疲れた様子でおとなしくなった。
「かあさまはいつもいい匂いがするね」
 そよ風が吹き、ふんわりと上品な香りが漂っていく。姉の美鶴がうっとりした表情で言った。
「うふふ、お香よ。あなたも大人になったらね」
 絶世の美女と名高い母親が、輝く笑顔を浮かべた。美鶴は思わずその顔に見とれる。
「おこう?」
 ふと聞きなれない単語に妹の千鶴が首をかしげた。
「そう。村の近くに咲くお花を使っているのよ」
 母親がほら、と指をさした。その先には小さな可憐な白い花。
 村では香を焚くことが成人女性の証でもあり、さまざまな香が使われている。その中でも姉妹の母親が白い花から作る香よりも素晴らしいものはなく、村人は行列を作って彼女の香を手に入れようとする。しかし手間のかかる手作りの香は量が少なく、当然手に入れられる者も一握り。彼女たちはそれを希少品として大事に使っていた。
「わたしもお香つくってみたい!」
 美鶴が目を輝かせる。
「あなたが?できるかしら」
「で、できるもん!」
 驚いたように言う母親に、美鶴はムキになって声を高くする。
「そうね、少しお花を摘んでいきましょうか」
 ちょうど姉妹がおむすびを食べ終わったのを見て、母親が言った。
「こうやって‥‥‥」
 かがんだ母親が丁寧に花を摘み、姉妹に説明をするその声が、ふいに途切れた。
「‥‥逃げなさい」
「え?」
 真っ青な顔をした母親が二人の娘の腕を強く引く。
「後ろを見てはいけないわ、村へ走るのよ!」
 まだ足取りがおぼつかない千鶴を抱き上げ、美鶴の背中を押した。初めは訳が分からないといった表情の二人も、母親の剣幕に何かを悟ったのか、少し血の気の引いた顔で彼女に従っている。
「きゃっ」
「美鶴!」
 美鶴が足元の石につまずいて転んだ。その時に思わず彼女は後ろを振り返った。
「な‥‥‥‥!」
 そこにいたのは、彼女の身長の何倍もある『何か』だった。形こそ人のように二足歩行ではあったが、顔はのっぺりとしていて、二つある青い目は濁っている。口を開いた際に、びっしりとならんだ鋭い歯が露わになり、美鶴は恐怖のあまり硬直した。

 逃げなくては。

 頭ではそうわかっていても美鶴は動けなかった。

「どこを見ているの?こっちよ!」
 気が付いた時には、化け物は美鶴と逆の方向を向いていた。そこにいたのは、彼女の母親。
 不思議なことに、化け物は母親の姿を認めると美鶴には興味がなくなったかのようにあっさりと向きを変えた。そして、村と逆側に走る母親を追いかけて行く。

「美鶴」

 遠くに消えている母親がわずかに振り向いた。

「お姉ちゃんだからね。千鶴をお願いね」

 それが、姉妹が最後に見た母親の姿だった。



 それから月日が流れ、美鶴は間もなく成人の儀を迎えようとしていた。
「のう、美鶴や」
「やめて」
 あれ以来姉妹は一度も村の外へ出たことはない。
 幼かったがゆえに当時をはっきりと覚えていない千鶴ですら本能的に村の外へ出ることを嫌がっているのだ。はっきりと化け物を直視し、それをしっかりと覚えている美鶴に至っては、必要以上に家の外に出ようともしない。
「成人の儀はあの湖で執り行うのがしきたりじゃ‥‥大丈夫。美鶴は美人でない」
「やめってったら!」
 優しく背をなでる村長の手を振り払い、美鶴は自室へ駆け込んだ。ばんっと乱暴に戸が閉められるのを見て、村長はため息をついた。
「困ったのう‥‥これでは美鶴の成人の儀ができぬ」
 姉妹の母親が襲われたのは、その美貌ゆえのことであった。
「村に伝わる、美人だけをさらう神‥‥いつかはこうなってしまうとわかっていたのじゃが」
 彼女たちの母親の前にも村一番の器量よしと言われていた娘が行方不明になり、後にも成人になったばかりの笑顔がかわいらしい娘がいなくなった。美しい娘でありながら、何事もなかった者もいたが、おそらく神の目から見た美女ではなかったのだろう。
 どんな基準で美人が選ばれているのかは謎だが、無事だった美女はいても、行方不明になった不細工な女性はいない。今村で一番美しいといわれる美鶴が危ないことは明らかだった。
「わしも無理には執り行いたくないのじゃが‥‥困ったのう」
 美鶴たち姉妹の面倒を見ていたのは村長であったが、彼もまた年老いた。いつまで守ってやれるかわからない以上、美鶴には何としてでも成人の儀を受け、自立してもらわねばならない。
「困ったのう‥‥神は何を以て美人と判断しているのか‥‥それにしても、腕のいい護衛がいればいいんじゃが」
 長老はまたため息を一つついた。


■参加者一覧
鬼灯 仄(ia1257
35歳・男・サ
秋桜(ia2482
17歳・女・シ
ギアス(ia6918
17歳・男・志
ユリア・ソル(ia9996
21歳・女・泰
明王院 未楡(ib0349
34歳・女・サ
西光寺 百合(ib2997
27歳・女・魔
浅葱 恋華(ib3116
20歳・女・泰
浄巌(ib4173
29歳・男・吟


■リプレイ本文

 成人の儀が翌日に迫った村にはどこか緊迫した空気が漂っていた。
「私が調べた限りどうやら美鶴さんたち姉妹のお母さんもまとった、白い花の香が怪しいわね。襲われた方の容姿、服装などに共通点は特にないようだから‥‥もっとも、全員の情報があるわけではないから絶対ではないけれど」
 少なくとも村で使われている香は花からとれる香水系が多いみたい、と西光寺 百合(ib2997)が言う。
 村に伝わる美人だけを狙う神。次に襲われる可能性の高い美鶴と千鶴の護衛を依頼された開拓者たちは集めた情報を交換しあい、作戦を練っていた。
「犠牲者が村を出る前に言っていた行き先をまとめるとこんな感じかしら」
 百合の言葉にうなずきつつ、ユリア・ヴァル(ia9996)が聞き込みなど調査で入手した情報をもとに危険箇所を書き出していく。
「儀式の流れとしては、湖のほとりで村長様から村の成人としての心得などを聞き、その場で成人登録をするのだそうです」
「成人の心得という大事な話ゆえに、あまりうるさくせぬ方がよかろう」
 村長から儀式の内容等を聞いた秋桜(ia2482)に続き、浄巌(ib4173)が注意すべき点を指摘する。
「今までの調査の結果からして、『神』はにおいでさらう相手を選んでいる可能性が高いんじゃないかしら。香をまとう必要のある者はなるべく薄い香りをほのかに香る程度にした方がいいと思うわ」
 浅葱 恋華(ib3116)がこれまでの調査結果を考慮し、提案した。
「俺は囮を。野郎がそばにいると神も出てこないかもしれねえし‥‥ま、男臭さを消すためにもその白い花の香ってやつを焚いてもらおうかね」
 美人姉妹が村にひきこもっているのがもったいないと言いつつ、鬼灯 仄(ia1257)が囮を申し出た。
「それなら俺は二人の護衛を」
 仄の言葉を聞き、ギアス(ia6918)が言う。
「そうですね。囮役と護衛役の二組に分かれていくのが賢明でしょう。護衛側は白い花の香を避け、なるべく薄い香りを」
 明王院 未楡(ib0349)が今までの話をまとめるように言った。それに恋華がうなずく。
「私は囮役で行くわ!こちらは白い花の香を徹底的にね」



 それぞれがやるべきことをこなし、忙しい夜が明けた。
 囮役の四人は美鶴たち成人の儀を受ける一行が準備をしている間に村の入り口に集まった。
「準備はできたわ」
 ユリアが状況を確認し、言った。
「では、お願いしますね」
 連絡手段等の最終確認を済ませ、未楡が声をかける。
「‥‥‥にしても、すげえにおいだな」
 仄が隣に立つ恋華に苦笑。
「昔から言うでしょ。念には念を入れろ、とね!」
 自信ありげににっこりと笑った恋華は前の晩、自らを燻製にするかのように徹底的に香をしみこませたと言う。
「大船に乗ったつもりで安心してなさい!」
 準備を一足早く終え、遠くから不安げな表情を見せてこちらの様子をうかがっている姉妹に聞こえるよう、恋華は声を高くした。

「そろそろ出発しましょう」
 秋桜がそう言って超越聴覚を発動したのを合図に、四人は踵を返した。
もっとも神を寄せ付けそうな恋華を先頭に、香を焚きつつ周囲に目を光らせる秋桜、護衛側からの連絡に気を付けながら香炉を抱えるユリア、最後に四人の中で最も戦いに慣れているであろう仄が次々に森へと進んでいった。
「美鶴様は母君様のお香を焚かないようなので、本当に『神』がその香に引き寄せられるとすれば香が彼女たちのルートに流れてしまわないように気を付けるのみ」
 風向きを読みながら、秋桜はユリアと連携しうまく香りを風下に流す。
「ったく、美人をさらうとはロクでもねえ奴だ」
 仄がつぶやくと、ほかの面々もうなずく。
「もしや」
 周囲の音を注意深く聞いていた秋桜がぴくりと耳を動かした。――遠くで木の枝が折れる音がする。
「香を!」
 同じく香の流れに気を付けていたユリアにそう声をかけ、秋桜は身軽に高く跳躍。木々の間を飛びまわるように移動し、やがて先頭を行っていた恋華を追い抜きその先へ。
そしてしばらくしないうちに『それ』が姿を現した。
 まだ秋桜に気が付いていない様子のアヤカシは鼻をひくひくさせながら大股で前進していた。香を焚きながら歩いていたためにある程度のにおいをまとった彼女が気づかれるのも時間の問題、そうなる前に素早く武器を取り出した。
「!?」
 秋桜の投擲がアヤカシの片腕を切り落とす。
「どこ見てるのよ!」
 そうしている間に恋華が追い付く。
 アヤカシが一瞬にして恋華の方に向き直る。
 恋華は古酒をグビリと飲んだ。酔拳特有のゆらゆらとした動作で動揺したアヤカシをさらに翻弄する!
「ああ〜醜い!」
 アヤカシが腕を振ったのをふらりと避け、彼女は忌々しげに吐き出す。
「そんな醜悪な姿で美人を狙おうだなんて笑止千万だわ!」
 ふらり、ゆらり。アヤカシはその動きについていくことができない。
「すっとろいのよ!」
 もう一度振り下ろされた腕も巧みにかわされる。
 と、その時。
「これは‥‥!」
 アヤカシが恋華に気を取られているうちに攻撃を、と構えたユリアが高い音に顔を上げる。あらかじめ決めておいた連絡手段――美鶴たち側に『神』と呼ばれるアヤカシが来た場合に鳴らされる笛の音だ。
「ほかにもいたのね‥‥!」
「頼むぞ!」
 護衛をする仲間の援護に回るべく、動き出したユリアに仄が声をかける。
「ええ!」
 遠くなっていくユリアの姿が見えなくなる前に、仄も目の前のアヤカシに向き直った。
 全身を目の前の敵に集中させる。あのくらいの大きさならば恋華の頭越しにでも十分に狙えるはずだ。
「葛流!」
 放たれた矢にうっすらと姿を現す葛。それがはっきりと見えるころには矢はアヤカシの首付近に迫っていた。アヤカシは寸前にそれに気が付いたものの、それを躱せるほどの余裕も速さもなかった。
「うし、こんなもんだろ」
 見事な軌跡を描き、矢はアヤカシの首に突き刺さった。巨大なそれは力を失い、見る見るうちに霧散した。
「こんなにおいで護衛に合流するわけにもいかねえし‥‥遺品を探すかね」
 そう強くないアヤカシに護衛が四人と、さらにユリアが駆け付けて行ったからには美鶴たちも問題はないだろう。秋桜はともかく、しっかり香をまとった仄と臭いほどのにおいを漂わせる恋華が行くと逆に危険である。
「そうですね、さらにほかにアヤカシいた場合は困る。探索しましょう」
 秋桜も同意した。



 ここで時間は少しさかのぼる。
 囮役の四人が出発してからしばらくして、成人の儀を受ける美鶴と同行する千鶴、儀式の進行をする村長と助手の女性が湖に向けて出発した。
「この森には神がいるようだけれど‥‥」
 先頭を歩く村長に、百合が問いかけた。その視線は隣を歩く護衛対象、美鶴に固定されている。
「神なんて‥‥!」
 ずっと口を閉ざしたままの美鶴が絞り出すような声で言った。目を見開いた彼女の顔からは血の気が引き、拳に握られた手がふるふると震えている。
「大丈夫ですよ‥‥」
 そんな彼女の手に未楡は優しく触れ、固く握られた指をほぐすように包み込んだ。
 未楡の優しい微笑みを見た美鶴の顔が少しだけ緩む。母親の面影と重なるのだろうか、そのまま美鶴は悲しげに目を伏せた。
 様子を見た百合は未楡に目配せをする。未楡もうなずいた。どうやら最悪の場合は美鶴を強制的に眠らせるしかないらしい。
「千鶴さんはおれ‥‥私が守りますから安心してくださいね」
 美鶴の後ろを歩く千鶴が姉の様子を不安そうに見ているのに気が付いたギアスが彼女に微笑む。
 念のために女装をした彼だったが、思いのほか板についている。
 一方千鶴の逆側を歩く浄巌は無言のまま周囲のわずかな異変でも逃さないよう意識を集中させていた。

「こちらへ」
 村からどれくらい歩いただろうか。遠い、とは言えないが近くもない距離に湖はあった。
「いいかのう、美鶴や」
「‥‥はい」
 話を聞いている最中も美鶴はどこか落ち着かない様子でそわそわとし、周りに警戒をしていたが、未楡が隣で手を握ると少し落ち着きを取り戻した。
「この香りはいったい何ぞ」
 ふと、浄巌が口を開いた。
「香り?」
 ギアスが首をかしげる。しかしすぐに彼の言ったことを理解した。
「香をまとっているのは誰ですか!?」
 風にふわりと漂う、上品な香り。間違いなく神――否、アヤカシを引き寄せると予想された例の白い花の香のにおいだった。
「香?」
 離れた場所にいる美鶴や成人の心得を説いている村長には聞こえていなかったが、近くにいた助手の女性がきょとんとした顔をした。
「お香を焚くのは当たり前ですが?」
「まさか、白い花の香を焚いたのではなかろうな」
 浄巌の声が厳しい色を帯びる。
「え、ええ‥‥‥そのお香を焚きましたが‥‥?」
 それがどうかしました?と不思議な顔をしていう女性に、ギアスの顔から血の気が引いていく。
「あ、あ‥‥‥」
「千鶴さん!?」
 まずい、そう思った時にはもう遅かった。
彼女の震える手で指さすその先に、大きな化け物――アヤカシがひょっこりと姿を現していた。
 そうしているうちに、美鶴が周囲の異変を感じとる。手を握っていた未楡が、突然強く握られた手にはっと後ろを振り返った。
「アムルリープ!」
 百合の声が響いた。その直後に美鶴がぐったりと力を失う。眠ったのだ。
「危ない!」
 浄巌が美鶴を守る未楡たちに近づくアヤカシに攻撃した。三人の危機に浄巌の眼突鴉が間一髪で届いた。
 アヤカシが体勢を立て直す前に未楡は美鶴を百合に託し、立ち上がる。振り上げられた腕を十字組受で受けた。そして攻撃直後の隙に立て続けに剣気で怯ませる!
「いけない!」
 なかなか喰わせてくれない未楡たち以外にも人間がいることに気が付いたアヤカシが千鶴たちの方へ突進した。
「千鶴っ!」
 ギアスが切磋に千鶴を抱き上げる。逆側から浄巌がアヤカシをひきつけたその隙に、そのまま安全な場所まで移動した。
「心配しないで。お、私が倒して見せます」
 自信満々の表情でにっと笑ったギアスに、千鶴も不安をにじませながらも懸命にうなずいた。
「あなたには今日ここで、確実に消えてもらいます」
 アヤカシに向き直ったギアスは飛んできた攻撃を紙一重で避け、雪折を発動!そのまま鮮やかに腕を断ち切った。
「大丈夫!?」
 そこにユリアが現れる。周りを一瞥し、瞬時に状況を把握した彼女は武器を構えた。
「こっちよ」
 アヤカシの前に立つと誰もいないほうへアヤカシをひきつける。途中その目が美鶴の方へ向いたのに気づき、ユリアは槍を軽く振って自分へ注意を向けた。その時にアヤカシの射程距離をしっかり確認し、外れる場所を陣取る。
「サンダー!」
 アヤカシの注意がユリアに向いているのを確認し、百合が遠くから攻撃をする。威力は低かったが、体に突然電流が走ったアヤカシに一瞬の隙ができる。
「今よ!カミエテッドチャージッ!」
 その隙を見逃すことなく、ユリアがオーラをまとって突撃!瞬時に首を切り落とす。その首が地面に落ちる前に、空気に溶け込むようにしてアヤカシは消え去った。
「怪我をしておるのか。吾が直そうぞ」
 地面に座り込んだ千鶴が両ひざに擦り傷を作っているのを見て、浄巌が治癒符を発動する。
「あ、ありがとう‥‥」
 あっという間に跡形もなく消え去った傷に、千鶴は目を瞬かせた。
「香の薫りは不浄を払う」
 浄巌はまだ驚いて座り込んだままの千鶴のそばの花を摘み、風に流した。
「往けると良きかな留まり人も」
 遠くを眺め、くっくっ‥‥と笑った。



 美鶴の成人の儀は成人登録を残していたが、これは村のなかでやっても構わないということにより、眠ったままの美鶴をつれ、一行は村へ戻った。
「面白れえものが見つかったぞ」
 森を探索していた何人かが戻ったころには美鶴も目を覚まし、少し混乱したような表情で待機していた。
「これはアヤカシの住処と思われる場所の付近で」
 秋桜が布に包まれた物を広げた。
「これは‥‥!」
 そこにあったのは髪を梳かす櫛だった。きれいな花の装飾がされたそれは、間違いなく一級品だったが、年月を経てボロボロになっていた。
「母様の‥‥櫛」
 美鶴は震える手で櫛を受け取った。
 姉妹を守るために一人アヤカシをひきつけて走った母親は、アヤカシによって障害物がなぎ倒された、走りやすい道を行きそのままアヤカシの住処付近まで逃げたのだろう。そこでアヤカシに喰われ、落ちた櫛が残ったのだと考えられた。
「美しさとは容姿のみで語れるものではありませぬが、我が娘を命賭けて守り抜いた母君様は、綺麗な魂を持った御仁だったのでしょう」
 櫛を手に取った美鶴に秋桜が微笑む。
「美鶴様も、千鶴様も、いずれ嫁ぎ子を持った折に、母君様の様な御仁になれる事を祈りまする」
「そうね‥‥あなたはこのままで本当にいいの?あなたのお母さんは姿だけじゃなく、心もきれいな人だった。何よりも勇敢だったわ」
 ユリアは続けた。美鶴が顔をゆがませる。
「最初の一歩は怖いかもしれない。でもね、ずっとは甘えていられないのよ。いつかはちゃんと自分の足で立たなくちゃ」
 あなたはどんな大人になりたい?と彼女は優しい顔で問いかけた。
「お姉ちゃん」
「‥‥千鶴?」
 苦しげな美鶴に、千鶴が口を開いた。
「私、見たの。このお姉さんたちが‥‥私たちを守るために戦ってくれるのを」
 ギアスの顔をちらりと見て、千鶴は言った。
「それで思ったのよ。逃げてちゃいけないって。生きるのに一生懸命にならなくちゃ、逃げてるだけじゃ‥‥幸せはこないわ」
「千鶴‥‥」
 虚を突かれた、とばかりに美鶴が言った。
「御母上があなたたちに残したかったのは悲しみではないのですよ。どうか‥‥幸せになってください。それ以上の供養はないのですから」
 呆然とする美鶴を未楡がふわりと包み込むように抱きしめた。その感触がまるで亡き母のようで、美鶴の目から涙がこぼれた。
「あり、がと‥‥‥」
 うなずきながら、彼女は声を絞りだした。
「そうそう、狭い世界にいたら、いろいろともったいないわよ?」
 恋華がにっこり微笑みながら明るく言った。
「ねえ、あなたの香は自分で作ったのかしら?」
 百合が美鶴の部屋に置いた香を見て尋ねた。母親の残したものにしては量が多いし、それにどこか見た目が拙い。
 美鶴がこくこくとうなずいた。
「よかったら作り方をぜひ教えてほしいのだけれど」
「よろこんで‥‥!」
 泣いて腫れた目で、美鶴は必死に笑みを浮かべた。
「これで一件落着っと。それにしても美人が多くて眼福眼福」
 仄の言葉に、その場の一同が声をそろえて笑った。