【譚】待チ受ケル蜘蛛。
マスター名:夢鳴 密
シナリオ形態: シリーズ
危険
難易度: 難しい
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/10/13 01:54



■オープニング本文

●天儀暦10XX年。
「――こうして少年は村から連れ去られてしもうたのじゃ」
 語り終えた老人はふぅと息を吐く。
「凄い強い人たちだったんだね‥‥あ、でもその男の子はやっぱり死んじゃったのかな? でもそれだと連れてはいかないかー‥‥じゃあ何で連れていったんだろう?」
 うんうんと唸りながらも考える少年に、老人は目尻を細めてその頭を撫でる。
「どうやらこの男、自分が楽しむためならどんなことでもやってしまうようでな。今回もその悪い癖が出たようなのじゃ。じゃが――」
 そう言って老人は広げた地図の中から呉内城を指さした。
「それはここにいる者にとっては、とても面白くないことだったのじゃ‥‥」


●呉内城。
 城内天守閣。
 広々とした空間の中を忙しなく動き回る女が一人。
「えぇい、あ奴らは何をしておるのじゃ‥‥!」
 苛々を隠すことなく語気を荒げる女は手に持った扇子をぎりりと握り締める。
「さっさと殺してしまえばいいものを、いらぬ遊び心など出しおって‥‥これだから流れの者は信用ならぬ!」
 ひとしきり呪詛を吐いた女は扇子を力一杯投げ捨てる。扇子はそのまま奥に鎮座する一人の男に当たり、床に落ちた。
 男は中空を眺めたまま微動だにしない。
 瞬きすらしているか怪しい男に、女は思わず眉を潜めた。
「思い通りになるというから来てみたが‥‥気味が悪い男じゃ」
「おやおや、ご自分の伴侶に向かって随分な物言いですな」
 突如掛けられた声に女は慌てて振り向いた。
 部屋の隅――ちょうど女の後方にあたる角で、黒い影が不気味に蠢く。影はみるみるうちに人の形に変わり、一人の老人へと変化した。能面を貼り付けたような老人の姿に、女は一瞬身を震わせたものの、すぐに胸をなでおろした。
「なんじゃお主か‥‥シノビの技か何か知らぬが、それも気味が悪ぅて仕方ないわ」
「ククク‥‥まぁそう言わんでくだされ。それはそうと随分と苛立っておいでですな?」
 老人の言葉に女は一層眉間の皺を深くし、現状を大まかに説明する。
「ほぅ。流れ者、ですか‥‥そのような者に頼らずとも言ってくだされば」
「ちょうどその時お主はおらんかったではないか! しかし今となっては最初からそうしておればよかったわ」
 まるで般若のような形相の女に、老人はククと低い笑みを漏らす。
「今からでも、遅くはありますまい?」
「なんじゃと?」
「なに、目的はあくまでも若君でしょうて。それさえ消してしまえば後の者がどうなろうと‥‥」
「‥‥流れ者ごと消す、というのかえ? しかしあの者たち、腕は確かじゃぞ。それを見込んで頼んだのじゃから」
「そこは蛇の道は蛇、こちらにも策はありますぞ」
 老人の言葉にしばし思考を巡らせた女。
 やがて、任せる、とだけ言い残してその場を後にした。
 残された老人は女が去ったのを見計らうとするりと鎮座する男の傍へと移動する。
 動くことのない男の頬を、皺枯れた手でそっと撫でる老人。
「クク‥‥愚かよの、欲に溺れた者というのは」
 老人の手が首後ろに差し掛かったところで、男はびくんと身体を奮わせる。まるで何かが蠢くかのように幾度も身を震わせる男。
 それを見た老人は満足そうに頷く。
「もうすぐ‥‥もうすぐじゃて――」
 小さく呟いた老人は霞の如くその場から姿を消した。

●弥栄村北方・愚者の墓場。
 特別何かがあるわけではなく、ただ小さな砦のような建物がひっそりと佇む場所。
 その昔、この周辺に街道が走っていた頃に建てられた砦は、北面の要所の一つとされていた。
 しかし北面の領土の縮小と共に役割を無くし、今ではただの廃墟と化している。
 そしてそんな砦を人々はいつしか、愚者の墓場、と 呼ぶようになった。
 その砦の中。
「‥‥私をどうするおつもりですか」
 薄闇に響く声はまだ声変わりのせぬ少年――舘三門辰巳の声。
「アンタにゃここで死んでもらうさ。でもよ、せっかく受けた依頼なんだ、最後まで楽しまなきゃ損でしょーよ」
 答えたのはどこか楽しげな男。淡い光に照らされた赤毛に引き締まった身体。そしてその腕には蜘蛛の刺青。そして男の隣には肌の白い少女の姿。こちらは全身に符を貼り付けた、どこか不思議な雰囲気のする少女。同じく腕には蜘蛛の刺青がある。
「‥‥早くヤっちゃおう‥‥」
 ぼそりと呟く少女に辰巳は思わず身を竦める。
「まーそう言うなって。それよりギルドにはちゃんと渡して来たんだろーな?」
「ん‥‥てゆーか配達じゃないし、私」
 文句を言いながらもどうやら頼まれたことはやったようだ。
「呼び寄せてどーするの‥‥? ここに来るなら、罠でも張るつもり‥‥?」
「あぁん? 罠かー。別にどっちでもいーよ。俺ぁ楽しめりゃそれでいーしさー」
 そう言ってごろりと横になった男は、そのまま静かな寝息を立て始める。
「‥‥死ねばいいのに‥‥」
 溜息交じりに呟いた少女は一瞬きょろきょろと辺りを見回すと、そのまま暗闇の中へと姿を消した。
 残されたのは項垂れる辰巳のみ。
(お春さん‥‥お琴さん‥‥皆さん‥‥)
 少年の脳裏に浮かぶのは自分の従者として常に傍にいてくれた二人の姉妹と、彼を助けにきてくれた開拓者たちの最後に見た血塗れの姿。
(‥‥今私が弱気になっては‥‥!)
 辰巳は縛られたままでぶるぶると首を振った。
(私はまだ、生きている‥‥ならばやれることからやらなくては!)
 勿論今の状態の辰巳に出来ることなど皆無に等しいが、それでも辰巳は思考を巡らす。
 決して諦めない。しかしそれは薄氷の上を歩くような、とても危うい心であった。

●開拓者ギルド。
 心なしか秋めいた空気が辺りを覆うようになったそんなある日。
 開拓者ギルド北面支部には今、四人の男女が顔を合わせていた。
 一人はギルド受付嬢、名瀬奈々瀬。
 もう一人は開拓者、小野崎焔鳳。
 残る二人は、辰巳の従者であるお春とお琴だ。
 四人の目の前には一通の手紙。差出人はないが、一匹の蜘蛛が挟まっていたことを見ると、どうやら報告にあった二人組のようだ。内容は至って簡単。子供を取り返したければ弥栄の北の砦まで来い、とのこと。指定時間は正午。
「‥‥明らかに罠ですよ?」
 困ったように言う焔鳳。
「どう考えても得策ではありません。が――」
 言葉を切った奈々瀬の視線が姉妹の下へ。
「お手伝い頂かなくとも、我々だけで何とか致します」
 凛として言い放つお春。どうやらお琴も同じ気持ちのようだ。
 頑として譲らない姉妹を前に、焔鳳はどことなく大きな溜息をつく。
「わかりました。ではこちらも万全の体制を整えていきましょうか。奈々瀬さんは、応援の方お願いいたします。
 焔鳳の言葉にこくりと頷く奈々瀬。

 こうして翌日、開拓者ギルドに一つの依頼が張り出されることとなった。


■参加者一覧
鷲尾天斗(ia0371
25歳・男・砂
酒々井 統真(ia0893
19歳・男・泰
八十神 蔵人(ia1422
24歳・男・サ
喪越(ia1670
33歳・男・陰
以心 伝助(ia9077
22歳・男・シ
グリムバルド(ib0608
18歳・男・騎
无(ib1198
18歳・男・陰
ソウェル ノイラート(ib5397
24歳・女・砲


■リプレイ本文

●愚者の墓場。
 今にも崩れそうな趣のある廃砦。
 その砦に今、様々な想いを胸にした者たちが姿を見せる。
「ここに‥‥いるんすね」
 静かに呟く以心 伝助(ia9077)。その顔に表情はない。
 シノビという職業柄、仕事の不始末は死と同義。今回は相手の戯れに救われただけ――それが伝助の心に一層影を落とす。
 その肩を酒々井 統真(ia0893)が軽く叩いた。
「そう固くなるな‥‥っても今回ばっかは無理か」
 苦笑を浮かべながら前方に視線を戻す統真に、伝助はこくりと頷きだけを返す。
「次は、ないっす」
「あぁ。俺も負けっぱなしは趣味じゃねぇしな」
 ぎりっと奥歯をかみ締める伝助。己の拳に意志を乗せて合わせる統真。
 二人の後方に立つ喪越(ia1670)も前方に鋭い眼光を向ける。
「他人様から借りたままはいけねぇってママンの教えでな。きっちり借りは返させて貰おうか」
 普段はどこか掴み所のない喪越。今その表情に遊びはない。
 いつになく気合の入る面々を見ながら、グリムバルド(ib0608)は静かに目を閉じる。
「この面子をたった二人で返り討ちにするとは‥‥世界は広く、怖いねぇ‥‥だが」
 呟いたグリムバルドはそっと眼帯に手を当てると、ゆっくりと眼を開ける。
「面白ぇ‥‥!」
 迫り来る強敵との闘いに自然と口角があがる。
 今回は砦周辺の地理や砦内の構造は可能な限り調べた。準備に抜かりはない。
 勿論時間の都合上それ以外の情報は得ることはできなかったが、一先ずは十分だろう。
 罠の類も考慮にいれていたせいもあり、疑わしき物は全て避けてきた。残すは標的を目指すのみ。
「あいつらが待ってそうなんは中央の広場――後はこの道は一本だけや」
 八十神 蔵人(ia1422)の指差す方向に全員の視線が集まる。
 砦内は暗く、不気味な闇が一行を飲み込むかのように待ち構えている。
「辰巳様‥‥」
 憂いの光を目に宿し前方を見据えるお琴とお春。その二人の肩にソウェル ノイラート(ib5397)がそっと手を乗せた。
「二人は私たちが組む円陣の中にいてね」
 ソウェルの言葉に二人の表情が僅かに曇る。それが何を意味するのかを悟ったソウェルは、薄らと笑みを浮かべた。
「大丈夫。もう――やらせない」
 決意の宣言。
 姉妹は互いに顔を見合わせ、「わかりました」と頷いた。
 やがて一行は闇の先に漏れる光を見つける。
「さて、前回の反省は生かさねばまた掬われるな」
 誰にともなく呟いた无(ib1198)は、懐から符を取り出し臨戦態勢に入る。
「ッたくよォ。人質なんてツマンネー事しねーでフツーに遣り合えッつーの」
 文句を垂れながらも、わざとこちらの到着を知らせるかの如く、近くの壁に槍と突きたてる鷲尾天斗(ia0371)。
 言葉とは裏腹、その瞳には嬉しさが滲み出ている。
 このままじゃ終わらない――
 一行のそんな想いが一つになり、それぞれが一歩を踏み出した。

●開戦。
 闇から光へ。一瞬奪われた視界が歪み、再び戻る。
「いよぉ、時間ぴったりじゃねーか」
 不敵な笑みを浮かべたまま声を掛けた青年――蛇尾は、ゆっくりと腰を上げる。
「遊びに来たァぞォ〜」
 片目の瞳に禍々しい光を宿し、へらりと笑う天斗。手にした長槍をそのまま蛇尾に突きつける。
「へっ、嬉しいねぇ。そーでなくっちゃ俺もやり甲斐ってもんがねぇ」
 自身の背丈ほどの刀を軽々と肩に担いだ蛇尾は一同にぐるりと視線を送る。
 その後ろにはぐたりと身を横たえる辰巳の姿。
「辰巳様‥‥!」
 今にも駆け出しそうになる姉妹をソウェルが抑える。
「生きてるんだよね、その子」
 ソウェルの言葉に首を傾げる蛇尾。それが後ろの辰巳のことだと理解すると、ちらりと視線を向けた。
「あぁ、コイツか? 何か殺気までごそごそやってやがったからちっと黙らせただけだ」
「てめぇ‥‥!!」
 余りの扱いにギリリと奥歯を噛む統真。それが満足だったのか蛇尾の口元が歪む。
「いいねその顔。もっと怒れ、そんで俺を楽しませろ!」
「あいにくそんな趣味はあらへんねん。そう毎度毎度やられるわけにもいかんしなぁ」
 細い目を更に細めた蔵人が、自身の象徴とも言うべき二槍を構える。
「YO、そういや可愛い子ちゃんの姿が見えねぇようだが?」
 手を額に翳して辺りを探る喪越。その後方上から声が飛んで来た。
「‥‥うざ」
「ヘイヘイヘイいきなりの言い草じゃねぇの!? おぢさんちょっとショック受けちゃうよ?」
「死ねばいいのに‥‥」
 壁の一部に腰掛けてぶらぶらと足を振る花音は、一頻り呪詛を吐いた後で立ち上がり、とんっと壁を蹴って蛇尾の隣に降り立った。
「嬢ちゃん、シノビの術でも会得してへんか? っちゅーかそーでもないと、わし自信失くす」
「‥‥五月蝿い」
 答える気はなさそうだが、その身のこなしは確かに陰陽師のものではなさそうだ。
「あんたたちに勝てる――なんて思ってるわけじゃないけど」
 長槍を構えるグリムバルドは開いた左目をすっと細める。
「当たって『砕く』つもりでやらせてもらうとすっかね!」
「砕かれないでくださいよ?」
「縁起でもないこと言わんでくれよ‥‥」
 間髪入れずに口を挟む无にかくんと肩を落としたグリムバルドは、気を取り直して得物をぐるりと廻す。
 見据えるは笑みを浮かべる剣士――
「格上なのはわかってんだ‥‥全力で行くぜっ!!」
 統真の怒号で一斉に動き出す。

●戦闘。
 最初に接敵したのは、蛇尾目掛けて一気に地を蹴った統真。
 雄叫びと共にその両の拳に力を込めて連続で叩き込む。
 壱・弐・参撃――蛇尾はそれを大刀の腹で受け止める。四撃目を弾いたときに統真の後ろに隠れるように接近していた影を見つける。蛇尾はぐっと刀を引くと、影目掛けて刀を突き出す。
 鈍い音と共に大刀は交差する二つの槍に阻まれる。その間に体勢を整えた統真が翻す身から裏拳を放つ。これは上体を反らされて避けられる。だがこれで姿勢の安定はない。
 大きく地を踏み込んだグリムバルドの手に握られた槍が蛇尾の仰け反った身体を狙う。
 が、蛇尾はそのまま背中を地面につけて倒れこむようにして避け、そのまま両足を回転させて周囲を薙ぐ。威力は低い――が、思わず防御体制をとらされる。その隙に体勢を整え大刀を振り上げ――ようとして咄嗟に後ろに飛び退いた。直後、蛇尾がいた場所に数発の弾丸がめり込む。
 蛇尾はちらりと自分を狙撃した方へと視線を向けるが、そこにいるはずの狙撃手――ソウェルの姿はない。
 舌打ちする蛇尾の耳に、今度は大きな叫び声が響く。
 思わず目を向ければそこには二槍を構えて迫る蔵人。ふっと息を吐いた蛇尾は蔵人目掛けて真っ向から刀を振り下ろす。
 金属が欠けるかと思う程の衝撃。しかし防ぐことに全力を傾ける蔵人は耐え切る。
「10分くらいは保たせる、あとは各自でどうにか状況を打開せいっ!」
「おーおー、言ってくれんじゃん?」
 蔵人の言葉が若干頭にキたのか、更に剣撃を重ねる蛇尾。
「あ、皆、やっぱ残り時間二・三分に修正なーはよしてー!」
 回数を追うごとに速さと威力が増しているかのような錯覚に陥るほど、目まぐるしい斬撃の嵐に思わず弱音が出る蔵人。
 だがその攻撃が二槍を貫くことはない。しかもその間蛇尾の位置は変わらないため、狙いやすい。
 蛇尾の死角にすっと足を運んだ无は静かに符を取り出し、その力を解放する。
 迫る式――が、一寸早く気付いた蛇尾は即座に背転。
 式は目標を失い霧散。蔵人は斬撃の余韻か、痺れる腕に眉を顰める。
 距離を取った蛇尾は式が消えたのを見ると、一瞬気の逸れた蔵人との距離を詰めよう地面を踏む足に力を込め――更に後方へと飛ぶ。
 ほぼ同時、蛇尾のいた場所を再び銃弾が穿つ。
 移動した蛇尾の先、いつの間にか移動したグリムバルドが既に槍を薙いでいる。
 咄嗟に大刀をその軌道上に置くも、全力で振り抜かれた長物は容易く姿勢を崩させる。そこに迫るは統真。
 その身体を紅く染め、ぐっと腰を落として力を溜めた統真。蛇尾の懐に潜り込むと拳を引き、その力を一気に解放。
 連撃が蛇尾の身体を襲い、全力を注いだ最後の一撃で蛇尾の身体は大きく吹き飛んだ。

 一方、統真が最初の連撃を蛇尾に叩き込もうとしていたとき。
 天斗は花音を視界に捉えて地を蹴っていた。
「一気に行くぜェ! Let’s dance!」
 叫びと同時、桜色の燐光を放たせた得物を地面と水平に構えると、花音目掛けて一気にそれを滑らせる。
 命中――と感じた瞬間に花音の姿がぼやけ、消失する。
 と、天斗の背後に気配。咄嗟に身体を横に捌き、その反動を利用して身を独楽のように回転させて周囲を薙ぐ。が、そこには花音の姿はない。
「だァァ、こりゃ眼が回りやがらァ」
 ふらりとよろける天斗。瞬間、背筋に冷たいモノを感じた天斗は再び身体を横に滑らせる。
 天斗のいた空間を、何やら不気味な物体が圧迫した。
 瞬時に広がる腐臭――
「ンだこりゃァ」
 現れた肉塊に眉を顰める天斗。だがその肉塊の標的がどうやら自分であるようだ。
 声とも判別つかないような不気味な鳴き声を上げた肉塊はうねうねと動きながら天斗に襲い掛かる。
 いつの間にか距離を取っていた花音は天斗を襲う肉塊にちらりと視線を送ると、すぐに蛇尾のほうへ向き直る。強力な連撃を放つ蛇尾の攻撃を防ぐ長身の男に狙いを定めた花音は、術を放つために意識を集中――
「‥‥!?」
 突如頭を強烈な痛みが襲う。頭の中に何かが直接響くような不快感。
 何かは確認できないが、確実に何かが自分の精神を蝕んでいる。
 思わず頭を振った花音の視界に、今度は泥濘が映る。
「油断大敵、ってなぁ!」
「‥‥ウザ‥‥い!」
 へへっと悪戯小僧のような笑みを浮かべる喪越をきっと睨み、花音は泥濘から逃れるため後方へ――
「いかせやせんよ」
 本当にいつの間にいたのか、先程まで視界にすらいなかったはずの伝助の声。
 同時に花音の身体の動きが止まる。視線を動かす花音は、自身の影と繋がっている別の影を見つける。
 慌てる花音。しかし、もう遅い。
 包みこむようにして泥濘は花音を飲み込んだ。
 しばらくして、瘴気へと姿を変えた泥濘の中から出てきたのは蹲る花音。その身体を覆っていた符はほとんどない。既に符が服の役割をしていたのか、その隙間からは真っ白な肌が露出していた。
 ここまでは喪越の狙い通り。
 見え隠れする花音の肌に若干目を奪われつつも、次に何が来るかに注力する喪越は、ちらりと伝助に視線を送る。
 頷く伝助。
 その耳に地を揺るがすような咆哮が飛び込んできた。

●決着。
「うおぉぉぉぉっ!!!」
 声の主は蛇尾。吹き飛ばされた彼は起き上がった直後に吼えたのだ。
「面白ぇ! こうなりゃとことんまでやってやらぁ!! 花音!」
「‥‥五月蝿い」
 呼び声と共に自身の相方を呼び寄せる。見るからにボロボロになった花音に一瞬眉を顰めるも、それがただ纏っていた符がなくなっただけと知るとすぐに一行に視線を送る。
 構える開拓者たちの耳に、少なからずの朗報。
「辰巳様っ!」
 意識が一瞬蛇尾に逸れた隙を狙い、伝助と无が辰巳の救出に成功したのだ。
 辰巳をお琴とお春、そして焔鳳に託し、伝助と无も仲間の下に合流する。
「これで目的は果たした――っても見逃してくれるわきゃねぇわな」
「ったりまえだろぉ。せっかく面白くなってきたんだ、付き合えよ」
 構える統真ににやりと笑みを浮かべる蛇尾。
「いいんすか、さっさと逃げなくて。崩壊しかけた砦‥‥仕事を果たせなかった使えない駒と標的を纏めて葬るには格好の場所でしょうね」
「おまえさんらも独断で遊んでるんやろ、今日はそれくらいで退いてくれんか?」
 これ以上の闘いに意味はない――そう判断した伝助と蔵人は二人に撤退を促す。が、完全に興奮状態の蛇尾はそれを一蹴する。
「やれやれ‥‥頑固な人たちですねぇ」
 言いながら溜息をつく无。
「まぁそう言うなよ‥‥一緒に楽しもうぜぇ!」
 声と同時、蛇尾は爆発的な加速と共に一気に距離を詰める。立ち塞がるは勿論蔵人。
 だが今度は大刀を振りかざす蛇尾の後ろに不気味な肉塊が見える。
「頼んだでぇ!」
 二槍で蛇尾の一撃を受け止めた蔵人が叫ぶ。
 反応したのは天斗とグリムバルド。天斗は肉塊を一薙ぎ、グリムバルドは自身にオーラを纏わせ槍を構えたまま蛇尾へと突進する。
 蛇尾は既に蔵人への攻撃で回避は不可能。
 衝突。
 吹き飛ぶ蛇尾に追撃を試みる統真。それを狙って花音が口だけの式を放つ。
 だが相対するように別の式がその進路を塞ぎ、相殺――无だ。どうやら狙っていたらしい。
 舌打ちした花音は符を取り出す。が、再び正体不明の痛み。
「そうは問屋が卸さねぇってな!」
 重なる喪越の声に、花音は苦々しい表情を消せない。それでも何とか符を取り出すものの、その懐には既に伝助がいた。
 一瞬で姿を現した伝助に驚く間もなく、花音は蹴りを浴びて吹き飛んだ。
「まだまだぁ!」
 グリムバルドの一撃で吹き飛んだ蛇尾は再び立ち上がると、大きく上段に大刀を構える。
 全力で振り上げた大刀を振り下ろす瞬間、三度弾丸が蛇尾の足元を穿つ。
「またっ!!」
 吼えて向かってくる蛇尾に、二丁目を抜き放ったソウェルが構える。
「満足させてあげる気はないけど」
 既に興奮気味の蛇尾はソウェルに狙いを定め思い切り刀を振り上げる。その蛇尾の下方、地面に程近い場所に伏せるように潜り込んできた統真。統真は全力で刀の柄目掛けて拳を放つ。鈍い音と共に刀の動きが止まる。まるで合わせたかのようにソウェルの銃口が蛇尾に向いた。
「胸のアツくなる弾丸、ぶちこんであげるよ」
 銃声が鳴り響いた。

●不穏。
 これだけの猛攻を前に、まだ立ち上がる気力があるということは素直に感嘆に値すると言えるだろう。
 既に満身創痍の蛇尾は、大刀を杖代わりにゆらりと立ち上がった。
 その傍にこちらもよろめく花音が近寄る。
「これ以上はやめませんか」
 二人の様子に眼鏡を押し上げた无が言う。
 返答を待つ開拓者たち。
 しばしの沈黙。
 花音が蛇尾の腕をそっと持つ。
「‥‥そうだな‥‥これ以上は――」
 言葉途中――轟音と振動が辺りを襲う。同時に辺りの壁や床が大きく軋み始めた。
「やっぱりそうきたでやすか‥‥!」
 表情を曇らせる伝助。
 一行の予測どおり、砦そのものを破壊せんとする何者かがいるようだ。
「焔鳳! 三人を連れて先に行けェ!」
 天斗の叫びに焔鳳はこくりと頷き、辰巳を抱えて姉妹と共に移動を開始。
 一行も崩れる前にその場を離れる。
「おい、お前ら――」
 蛇尾と花音に声を掛けようとした統真を瓦礫が遮る。
「無理だ! 早くしないと巻き込まれっぞ!」
 グリムバルドの声に一瞬の迷いを捨て駆け出す統真。

 一行が砦を抜け出した直後、愚者の墓場はその姿を崩壊させた。

 〜続〜