氾濫の人柱。
マスター名:夢鳴 密
シナリオ形態: イベント
無料
難易度: 難しい
参加人数: 38人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2009/08/01 04:56



■オープニング本文

●鎮魂の儀。
 北面南部に位置する小さな村。
 そこでは特殊な風習が存在し、人々は自然と共に神々への祈りを捧げることによって自分達の行動を決定するという掟に縛られていた。当然村の外へ出るということは余程特殊な状況でなければ許可されず、村人は一生をそこで過ごすことになる。掟を破って村を出ようとする者には容赦のない制裁が加えられる。この村で無傷で外に出れるのは特殊な条件のみ。その条件となるのは毎年村から一人選ばれる人柱の巫女。だがその巫女は川の神を鎮めるための人柱であり、一度選ばれて外に出れば二度と戻ることは許されない。そして今年もある一人の女性が選ばれる。

「‥‥水嵩が増しているな。急がねばならん、か‥‥」
 暗い表情で呟いた老人は隣にいた一人の女性に視線を移す。祈りを捧げるための巫女装束を身に纏った女性は、その視線に気付いて弱々しく笑みを浮かべた。
「すまんな」
「仕方ありません‥‥それが決まりですから」
「‥‥うむ」
 短く答えた老人は次に続く言葉が出てこない。しばしの間沈黙だけが二人を支配する。
「お志乃!」
 声に振り返った女性―――お志乃は肩で息をしながらこちらを睨んでいる一人の男性の姿を捉える。
「‥‥刀真様」
 呼ばれた刀真は駆け足でお志乃の傍に来るとその両肩を乱暴に掴む。
「今年はお前って‥‥本当なのか!?」
「‥‥‥‥」
 問われたお志乃はついと視線を外す。沈黙は肯定―――その仕草が全てを物語っていた。悔しそうな表情を浮かべる刀真、今度は隣にいた老人の方へと詰め寄る。
「村長‥‥何とかならねぇのかよ!? あんたの孫娘だろうが‥‥っ!!」
「仕方あるまい‥‥これが村の掟じゃ。誰にも変えられん」
 苦虫を噛み潰したような顔で言い放つ老人。村を護る立場にいる老人にとって掟は絶対。それを破ることは例え可愛い孫娘を助けるためと言えどできない相談だった。
「だってよ‥‥皆もわかってんだろ!? あの川の上流にいる‥‥あの化け物さえいなけりゃ無理に人柱なんぞ捧げなくたっていいってことを!」
「あれは神様じゃ。この時期になれば必ず我らに恵みをもたらしてくださる。いなくなってもらっては困るのじゃ」
 声を荒げる刀真とは反対に次第に冷たい声になる老人。
 話にあった化け物というのは昔からその上流にいるという一匹の巨大な鰐。どうやら周期的に移動しているらしく、この時期になるとこの川の上流に来るようだ。その昔下流にあるこの村を襲ったことがあるというその鰐に、村人が人柱を捧げることで鰐は村へと来なくなったという言い伝えがある。鰐が川に来る周期がちょうどこの時期のためそれが今でも年に一度という形で残っているのだ。
「けどよ‥‥っ!」
「もう話すことはない。行くぞお志乃」
「‥‥はい」
 刀真とすれ違いざまに彼女は一言だけ言葉を残し、去り行く老人の後を追って駆けて行った。
 たった一言―――ごめんなさい、と。

●決死の依頼。
「集まってもらったのは他でもねぇ。ちぃと厄介な依頼でね」
 煙管を吹かしながら言う受付係の男は、彼にしては珍しく苦い表情を前面に押し出している。
「今回の依頼内容自体はとある村で人柱にされるってぇ女の救助だ。まぁそれ自体は対して問題じゃねぇだろ。だが、調べてみるとどうもその村の近くにでけぇ鰐のアヤカシがいるみてぇでな。偶然その辺りを旅してた奴が見たらしいんだわ。何で今の今まで黙ってたのかは知らなねぇがよ」
 そこで受付係は一枚の紙を取り出した。見るとそこには村の周辺と思われる地図が描かれている。
「問題の村からアヤカシのいる場所までは歩いて半日程。村の中を流れる川沿いに上流に向かえば着くところにある湖みてぇなところだ」
 言いながら受付係は地図上に指をなぞらせ、一点を指してとんとんと叩いた。
「まぁ本来の依頼は女を助けりゃ終わりなんだがよ。アヤカシ見つけてんのに放っておくわけにもいかんだろ。まぁ報酬はこっちからも出すんでよ、頼むわ」
 そう言って受付係は開拓者たちに頭を下げた。


■参加者一覧
/ 神町・桜(ia0020) / 川那辺 由愛(ia0068) / 当摩 彰人(ia0214) / 犬神・彼方(ia0218) / 香椎 梓(ia0253) / 朧楼月 天忌(ia0291) / 小伝良 虎太郎(ia0375) / 真亡・雫(ia0432) / 北条氏祗(ia0573) / 風雲 梓(ia0668) / 四条 司(ia0673) / 夕凪(ia0807) / 秋姫 神楽(ia0940) / 裏禊 祭祀(ia0963) / 巳斗(ia0966) / 桐(ia1102) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 輝夜(ia1150) / 篠森 露斗(ia1829) / 千王寺 焔(ia1839) / 煉(ia1931) / レフィ・サージェス(ia2142) / ルオウ(ia2445) / 喜屋武(ia2651) / ブルー(ia2967) / 相賀 夕莉(ia3000) / 侭廼(ia3033) / 斉藤晃(ia3071) / 飛騨濁酒(ia3165) / 琴月・志乃(ia3253) / 乙瀬(ia3288) / フンババ(ia3408) / 瑠璃桔梗(ia3503) / 赤マント(ia3521) / 真珠朗(ia3553) / 褥桜 あやね(ia3567) / 七折兵次朗(ia3569) / 谷山しをり(ia3620


■リプレイ本文

●事前に対策。
「位置的にはこの辺りか」
 雨で視界が悪くなった周囲を見回しながら輝夜(ia1150)はぼそりと呟いた。
 依頼があった村から川沿いを上流に向かって数時間。川が大きく弧を描く場所に開拓者たちはいた。増えた水嵩、雨季が重なった地域、暴れるアヤカシ。これらを考慮したうえで開拓者たちが懸念したこと。
 ―――水害。
 そこで開拓者たちが考えた案は「水を逃がすこと」である。
 各人がそれぞれ用意した道具で川傍をざっくりざっくり掘っていく。
「もう少ししっかりとした準備ができていたらよかったのですが‥‥」
 苦笑を浮かべて言うのは香椎 梓(ia0253)。もう少し全員の意思統制が図れていれば、そう思っているのは彼だけではなかっただろう。どうやら開拓者の中でも色々と亀裂が走ることはあるようだ。
「今それを言っても仕方がありませんわ。私たちはできることをするだけです」
「‥‥そうですね。申し訳ありません」
 礼野 真夢紀(ia1144)の言葉に梓は再び手元の作業へと顔を戻す。
 川の弧の部分から外側へ、村に影響のない範囲で水が逃げるように掘り進めていく開拓者たち。更に掘った土を土嚢として掘った溝の周りに並べていく。雨の中での作業は体力の消耗も激しい。体力に自信のある者はともかく術師たちにとってはかなりの重労働だ。
「辛ぇ奴はそこらで休めよ。肝心な時にくたばられちゃこっちが迷惑なんでな」
 ぶっきらぼうな言葉を投げながら言う朧楼月 天忌(ia0291)を、口元に笑みを浮かべたルオウ(ia2445)が見る。
「‥‥んだよ」
「いーや? 何だかんだ言っても優しいよな、天忌は」
「るっせぇ、頭カチ割るぞ」
「おぉ、怖ぇ」
 むすっとした顔で言う天忌におどけながら手斧で穴を掘っていくルオウ。
「大丈夫です。回復手段もしっかりありますから‥‥ご心配ありがとうございます」
「だからそんなんじゃねぇって何度も‥‥あーくそ」
 柔らかな笑みを浮かべた桐(ia1102)がぺこりと頭を下げると慌てた天忌が頭をガシガシと掻きながらぷいっと顔を背けて作業に戻る。そんなやり取りに周囲の開拓者たちも笑みを零す。大変なときこそ心の余裕は必要、感覚的にそれが伝わったのか皆の気持ちが再び一つとなる。
 どれほどの時間掘っていただろうか、元々天候のせいで広がっていた薄闇の濃さが更に増したように思う。既に日が傾きかけているのだろうか。
「ふぅ‥‥こんだけ掘れば瞬間的な増水は防げるだろ」
 泥まみれの顔を袖で拭いながら篠森 露斗(ia1829)は今まで掘った穴と見返す。川幅よりも少し狭いぐらいの溝が土嚢によって更にその深さを増した状態で伸びてきている。今は土で堰き止めてはいるものの、予想していた通り大量の水が流れ込めばそこが崩れてもう一本の川ができるだろう。後はそれを上回る水量が流れないことを祈るのみ。
「‥‥っつーか、あんたは何してんだ?」
 手についた泥を払いながら夕凪(ia0807)は腕組みをして立っている裏禊 祭祀(ia0963)に声を掛ける。そういえばさっきからその場から動いていないようにも見えたが。
「見張りですよ、立派に」
 何か問題でも、と言わんばかりに応える祭祀。
「いや‥‥穴掘りは‥‥?」
「泥まみれになるのは嫌でして」
「お前ね‥‥」
 爽やかな笑みを浮かべながらあっけらかんと答える祭祀に夕凪はがくりと肩を落として溜息をついた。確かに間違えても村人に見つかってしまえばこの計画自体が危なくなってしまうので見張りに専念してくれるのは有難いことではあった。ただ、心情的には何だか複雑だ。
「まぁいいじゃない? 結果的には作業は完了したんだし」
「ですよねぇ。いやぁお姉さん気が合うねぇ」
 ケラケラと笑いながら言う川那辺 由愛(ia0068)と同意を示す真珠朗(ia3553)もまた雨の当たりにくい木陰にいたのだが。
 と、そこでガサガサと木々を揺らす音がして人影が姿を現す。条件反射的に全員に緊張が走り、祭祀が手元の符を放つ。放たれた符は骸骨の形を象り人影の前に立ち塞がる―――が、現れたのは赤マント(ia3521)。
「うわぁっ!? な、何っ」
 素っ頓狂な声をあげた赤マントは目の前に突然現れた骸骨に咄嗟に拳を振るう。パキャッと乾いた音がして割られた骸骨はそのまま黒い霧となって霧散。
「あぁ‥‥私の式が‥‥何てことするんですか」
「それはこっちの台詞だよぅ!」
 口を尖らせる祭祀に全力で抗議する赤マント。喚く赤マントの後ろから巳斗(ia0966)と斉藤晃(ia3071)も姿を現す。
「湖の周辺はだいたい見てきました。それと崩れそうな場所に関しての補強も。今は氏祇さんが様子を見ています」
 何やら言い合っている赤マントと祭祀を横目に皆に報告する巳斗。どうやら一緒に偵察に行った北条氏祇(ia0573)が今は現地に残っているようだ。
「囮になれそうな位置も見てきたで。あそこやったら地盤が崩れることもあらへんやろ」
 続けて言う晃。だがどういうわけか彼の声はどこか疲れているようだ。
「‥‥何かあったのか?」
「あー‥‥ま、年を食うたっちゅーこっちゃ」
 怪訝に思った露斗が問い掛けると、晃は赤マントのほうをチラリと見やって苦笑を浮かべる。何となくだが露斗には気苦労がわかったような気がした。何となく、だが。
「‥‥頑張れ」
「人事やな、あんさん‥‥」
 肩にぽむと手を置いて言う露斗に晃は恨めしそうに呟いてがっくりと肩を落とした。
「さて‥‥これで準備は整ったな」
「あぁ。後はアヤカシだな‥‥何事も起こらねばよいが」
 侭廼(ia3033)の言葉に千王寺 焔(ia1839)が若干不安げな表情を浮かべる。
「起こったとしてもそれに備える。それだけのことだろう? 我らの仕事はそれの繰り返しだ」
 輝夜の決意にも似た呟きに一同は静かに頷く。
「こっちのことは任せて! 皆さんは絶対アヤカシを倒してくださいね!」
 笑みを浮かべながら小さく拳を握る桐。彼は万が一何かが起きてもいいようにこの溝の付近で待機する。それぞれがしっかりと役割をこなしてこそ成功率が上がるものだ。
 誰ともなく顔を見合わせた開拓者たちは随分と暗くなった川沿いの道を開拓者たちは疾走していく―――アヤカシを滅するために。

●束の間の奇跡。
 村の西端にある小さな小屋。その小屋を遠目に視認できる位置にある茂みに、いくつかの人影があった。
「見張りがやはりおるようじゃの‥‥刀真の言う通り二人のようじゃが」
 小屋の入口に立つ人影を確認した神町・桜(ia0020)は誰ともなしに呟いた。
 アヤカシ退治班とは別に人柱となるお志乃の救出を担当する開拓者の数は九人。その皆が一様にして思うのはお志乃が素直に自分たちについてくるとは思えない、ということであった。そのために刀真に頼んで一筆をしたためてもらったのだが、やはり不安は拭えない。
「着いて来てくれるとよいのですけれど‥‥」
 相賀 夕莉(ia3000)が呟く。救出するにしても本人が拒否すればそれだけで自分たちが見つかる危険性が増える。そうなれば一時的にとはいえ一般人と対峙しなければならない。それは何としてでも避けたいのが全員の想いではあった。
「そればっかりは行ってみないことにはな」
 苦笑を浮かべる煉(ia1931)は言いながら小屋の方へと視線を移す。降りしきる雨のせいで正確な時刻はわからないが、視界がほんの少し開けてきていることからそろそろ夜明けが近いのだろう。つまり作戦実行の時刻が近付いている。
「そろそろ次の交代の時間ですわね。四条さん」
「わかりました」
 瑠璃桔梗(ia3503)の言葉に四条 司(ia0673)が小さく頷き、その両の眼をそっと閉じて意識を集中させる。司の脳裏に黒い空間が広がり、地形を鮮明に映し出していく。まるで周辺部分を切り取って模型にし
たような感覚の中にほわりと煌めく小さな光―――生物の反応。一つは小屋の中、二つは小屋の外、そしてもう二つがゆっくりと小屋の方に近付いていた。
「‥‥他に反応はない。見張りの交代だけだ」
 言いながら司は静かに目を開いた。
「雫殿、文は持っておるな?」
「えぇ、確かにここに」
 桜の言葉に応えたは真亡・雫(ia0432)自分の懐にそっと手を当てて感触を確かめる。巫女であるお志乃に対して刀真がしたためてくれた一通の手紙。これが恐らく決め手になるだろう。刀真は村から少し離れた場所で待機している。任せろと言った手前絶対に成功させなければ―――煉は改めて強く決意する。
「みんな楽しくお酒でも飲んで忘れちゃえば楽なのにねー」
 くすくすと笑いながらブルー(ia2967)は手にした酒瓶に口をつける。
「お酒はともかく‥‥こんなことはやめればいいと言う意味では同感ですね」
 谷山しをり(ia3620)もまた苦笑交じりに呟く。黙して語らない喜屋武(ia2651)もまた何かを憂いているのかただ小屋の方を凝視するばかり。
 降りしきる雨によりアヤカシ退治班と作戦開始のタイミングを合わせる予定だった日の出が見れないと思われていたこの日。だが天は開拓者に味方をしたのか―――一瞬だけ、ほんの一瞬だけ雲の隙間より陽の光が差し込んだ。雨は振ったまま故に不思議な感じではある。
「ははっ‥‥狐の嫁入りでもあったんか?」
 フンババ(ia3408)は信じられないと言った表情で光の差した方へと顔を向ける。
「これを合図と思わない手はないですよね?」
 周りを見回す雫、頷く開拓者たち。
「絶好の機会ですわね。行きましょう!」
 桔梗の声を皮切りに開拓者たちは一斉に茂みから飛び出した。

●戦闘の代償。
 同じ頃―――アヤカシ退治班もまた、雲間から垣間見えた一瞬の陽光に顔を見合わせていた。
「これぇは合図ってことぉでいいんだよな?」
 にやりと不敵な笑みを浮かべる犬神・彼方(ia0218)。現地で待っていた氏祇と合流し、偵察班が調べてくれた情報通りに各人が配置につく。特に足場には念を入れて選び、戦闘に不利にならぬよう注意する。後は開始を待つばかり―――
「じゃあ‥‥いくよーっ」
 声と同時に自分の手に小さな傷をつけ、その手を水につけてバシャバシャと音を立てる赤マント。僅かな血量ではあるが湖の中に紛れ込んでいく。赤マントはそのまま水辺に立つと神経を研ぎ澄まし、下半身に重心を乗せる。極限まで速さに特化したと自負する赤マントの無謀とも言える速さ勝負。勿論他にも囮となるべき人員はいたのだが、アヤカシは当然餌となる血の匂いのする方に寄ってくる。
 しんと静まり返る湖面。だが静けさとは裏腹にピリピリとした圧迫感が辺りを支配している。
 緊張感が体感時間を狂わせ、どれほどそうしていたのかわからなくなる頃、突如湖面が盛り上がり一陣の黒い影が飛び出した。影は物凄い速さで赤マントへと飛来。完全に集中していたはずの赤マントだが、それでも身を捻るのが精一杯。直撃は避けたものの服の一部が引っ掛かりその体ごと持っていかれ、轟音と共にそのまま地面に叩きつけられる。
「こんの‥‥阿呆っ!」
 叫んだ晃は走り様に赤マントを抱えると全力でその場から離れる。
「けほっ‥‥ちょっと‥‥足りなかったや‥‥」
「えぇから黙っとれ。真夢紀殿!」
「はいっ!」
 呼び掛けられた真夢紀は意識を集中、柔らかな風が赤マントの体を包み込み痛みを和らげていく。
 一方鰐は初撃が外れたことですぐさま湖の方へと身を翻す。だが開拓者たちは初撃の後に既に回り込んでいる。
「ここから先は通さん!」
「ここが破れりゃ後はない―――まさに背水の陣だな」
 気合いを入れる焔に状況を楽しむかのように笑みを浮かべる侭廼。一度湖に逃がしては開拓者たちの勝機が遠ざかる。同じ手が通用する保障もない。それを防ぐための防波堤。
 目の前に突如現れた人間に一瞬の躊躇を見せるアヤカシ。更に別方向から―――
「こちらだアヤカシ!」
「わおーん、がるるる〜♪ あ、わんこじゃないかっ」
「真面目にやれっつの‥‥こっちだオラァ!」
 輝夜、当摩 彰人(ia0214)、天忌が叫ぶ―――サムライの技、『咆哮』。気を引かれた鰐は即座に三人のいる方へと突進する。
「うわぁーやられちゃうよぅおぅおぅ♪」
「ったくこいつは‥‥ルオウ! 気張れよ!」
 完全に遊んでいるように逃げ惑う彰人の姿に若干苛立ちながらも、隣にいるルオウに声を掛けた天忌は刀を持った手に力を込める。
「わかってらぁ! 輝夜!」
「言われずとも!」
 ルオウと輝夜は迫りくる鰐に真正面から対峙する。その距離十メートル。
 ルオウは刀、輝夜は盾、それぞれの獲物で体を隠し突進する鰐に備える。距離五メートル。ここで輝夜は自らの腕の筋力を極限まで高める。
 接敵―――轟音。
 ダメージこそ然程受けなかったものの衝撃までは殺しきれず後方へと飛ばされる二人。気持ち的には止めたかった、寧ろ押し返したかったところなのだろうが、さすがにそれは叶わない。だが相手の動きを止める、という意味では十分だった。鰐の側面から回り込んでいたのは小伝良 虎太郎(ia0375)とフンババ。拳を構えた二人はその両側から一気に鰐へと肉迫する。
「神様ってのは人を幸せにしなきゃいけないのに‥‥お前はっ!」
「俺様の拳で止めて見せるっ!」
 それぞれの掛け声と同時に鰐の脇腹にめり込む拳。比較的柔らかい場所に食い込んだ拳は鰐の体を捻じ曲げ、その体のバランスを崩していく。地響きをたてて倒れこむ巨体。その体に小さな犬のような式が纏わりついて鰐の身を縛りつけていく―――彼方の『呪縛符』だ。だがさすがに一人分の呪縛では鰐の動きを完全に止めるまでにはいかない。
「まだ動く‥‥させないよ!」
「こちらからも行きます!」
 キリキリと限界まで引っ張られた弓を解き放つ風雲 梓(ia0668)と巳斗。鰐の脚部を狙った矢は吸い込まれるように突き刺さるもさすがに大きなダメージにはならない。
「ふふ、連続で行くわよっ!」
「いいでしょう!」
「任せろ!」
 叫んだ由愛の手からは鏡のように薄く張られた円盤状の式が、祭祀の手からは細長いイタチのような式がそれぞれ出現。更に露斗からも鋭い刃のような式が現れる。それぞれ数枚ずつの符から呼び出された式は一気に鰐の方へと飛来し、その身を切り刻んでいく。大きな唸り声をあげた鰐はそのまま長い尾を大きく振るって近くにいた秋姫 神楽(ia0940)を狙って振り落とす。余裕を持ってかわす神楽。外れた尾は轟音と共に地を割り、地面に亀裂が走りだす。亀裂の先は川の流れ口―――大量の水が一瞬にして川へと流れ込む。だが今更どうすることもできない。後は事前の準備と待機する桐に任せるしかない。
 瞬時に判断した神楽は既に間合いを詰めている。
「危なっ! ひどいわね‥‥あんたの所為で村が盛っ大に迷惑被ってんのよ!」
 叫んだ神楽の体は真っ赤な光を放ち、その拳に宿る気の密度を上げていく―――泰練気胞・壱、己の力の一部を極限にまで高める泰拳士の技。後に返る反動は大きいがそんなことには構っていられない。神楽はそのまま鰐の腹目掛けて拳を突き出す。そして即離脱。
「少しは痛い目みて‥‥反省しなさいっ!」
 再び距離を詰めて拳を放つ神楽の後ろから真珠朗が電光石火の蹴りを横腹に放つ。大きく身を歪めた鰐を狙い更に追い打ちをかける前衛陣の刃。
「ようやく出番だな! 待ちくたびれたぞ!」
 二刀を構えた氏祇がその刀を振るえば、侭廼が気合いを吐いて振り上げた刀を力一杯振り下ろす。
「どこぞの僧坊並みの立ち往生、やってやろうじゃねえか鰐野郎!」
「今までの鬱憤ばらしじゃい!」
 何かがもやっとしていたのだろう、晃もまた全身全霊の力を込めて獲物を振り下ろす。飛騨濁酒(ia3165)もまた手にした獲物を振るい攻撃する。斬撃四閃。鰐の身体のあちこちから黒い霧のようなものが勢いよく噴き出す。
 既に虫の息の鰐の両側に札を構えた由愛と祭祀。
「怨念よ。あたしの力となりて、彼の命を貪り吸えっ!」
「ふふ、せめて散り際ぐらいは美しくさせてあげましょう!」
 限界までに高めた力を符に込めて―――二人が放つは命を吸い取る『吸心符』。巨大な蛭を模った由愛の式と白蓮の花を模った祭祀の式が鰐の身体に張り付いて残り僅かな命を削り取る。声にならぬ断末魔を上げ、鰐は黒き霧となり宙へと流れていく。
「終わった‥‥の?」
 言いながら真夢紀は辺りを見回す。亀裂の走った地面から流れ出る水は未だ流れているものの、その勢いは最初程ではない。後はうまくその水量が逸れてくれれば。
「どうやらそのようだ。後は村に被害が出ていなければいいのだが」
 輝夜の言葉に全員が下流の方へと視線を送る。ここからではさすがに状況は確認できない。
「これはお前らの物語や、どうするかは勝手にきめてくれたらええがな」
「ま、確かにな。アヤカシは倒したし、多分巫女のほうもうまくやってるだろ。後は村の問題だ」
 濁酒の言葉に被せるように天忌が呟いた。
 アヤカシ―――退治完了。

●巫女の葛藤。
 暗い部屋。ただ一本の蝋燭だけがまるで命の灯火のようにゆらゆらと揺れている。その部屋の中心には一人の女性がただ静かに座っていた。
「‥‥‥‥刀真様」
 ぽつりと呟いた女性―――お志乃はゆっくりと目を開く。何もない部屋。逃げようと思えば逃げれたかもしれない。だが自分が逃げても結局同じような思いをする人が増えるだけ。今自分が身を捧げれば少なくとも一年はこんなことはない。同じことかもしれないが、それでも一年は―――
 お志乃は着物の裾をぎゅっと握り締める。その手は僅かではあるが震えていた。
 と、そこで外から何やらいつもと違う物音が響き、お志乃は慌てて扉のほうに目を向ける。まだ出発には早い時間のはず。まさか―――
 ガラリと開いた扉から入ってきたのは二つの人影。
「安心せい。わしらは怪しいものではないのじゃ。お主の知り合いから頼まれてきた開拓者じゃ」
 身構えるお志乃ににこりと微笑んで言う桜。同時に煉が懐から一通の手紙を取り出した。
「これを‥‥刀真さんから預かってきました」
「えっ‥‥」
 雫の言葉に驚いた表情を浮かべたお志乃は差し出された手紙を恐る恐る受け取る。見ればよく見知った筆跡。お志乃の目頭が熱くなる。中身を読まずとも刀真が何を依頼したのかすぐに理解できる。だがそれ故にそれを受け入れるわけにはいかない。
「あの‥‥私は行けません」
「‥‥それは他の者がまた人柱になるから、かの?」
 その瞳の強い決意を感じ取った桜が問う。数瞬おいてこくりと頷くお志乃。
「その元凶たるあの鰐がいなくなっても、ですか?」
「え‥‥それはどういう‥‥?」
 一瞬何を言っているのかわからなくなったお志乃。
「皆さんも気付いてはいるのでしょう? あれがアヤカシであることに」
 わかっていると言わんばかりの雫に言葉を失うお志乃。
「お願いです、どうか誰かのために犠牲になるのではなくて、誰かのために生きる選択肢をしてください‥‥」
 雫はまるで自分のことのように懇願する。情が深いのは彼の長所でもあり、短所でもあるところ。
「‥‥わしらも村の決まりに口を出すつもりはない。じゃがお主と共に生きたいと願う者の願いは叶えてやりたいのじゃ」
 諭すような桜の言葉にお志乃は黙って俯いた。
「桜‥‥そろそろ時間だ」
 外で見張っていた煉がこちらに向かってくる人の気配を遠くに感じ取り声を掛ける。同時にしをりと桔梗、夕莉と司が外で気絶させて縛った見張りを小屋の中へと運びこむ。確認した桜はすっと立ち上がると俯いたままのお志乃のほうへと向き直る。
「依頼を受けた手前わしらはお主を連れていかねばならぬ。要はお主がどうしたいかじゃ」
 ぴくりと身を震わせたお志乃は大きく息を吐いた後、ゆっくりと顔を上げた。

●脱出。
「さ、後は逃げるだけですわね」
 にこりと笑みを浮かべた桔梗は隣にいる煉に目を向ける。無愛想な煉ではあるが時折見せる優しさからただ人付き合いが苦手なだけということが窺える。と、そこで桔梗の視線に気付いた煉が顔をこちらに向ける。
「‥‥何だ」
「いえ、何でもありませんわ」
 首を傾げる煉にくすりと微笑む桔梗。
「あの‥‥準備できました」
 振り向くと笠を被ったお志乃の姿と、同じような格好のしをりと司と夕莉。
「村から少し離れたところで刀真さんも待っていますよ」
「えっ刀真様が‥‥?」
 驚くお志乃に微笑みで肯定する司。頬を赤らめたお志乃はどうやら腹を括ったようで、その瞳は明るい決意に満ち溢れていた。
「となればこんな所に長居は無用だわ。さっさとずらかりましょう」
「同感ね。喜屋武さん、後頼めるかしら」
 肩を竦める夕莉に同意を示すしをりが物陰に姿を隠している喜屋武に声を掛ける。呼ばれた喜屋武は「任せろ」と頷くと静かに小屋の前に仁王立ちで立ち塞がる。
「あの‥‥あの方は‥‥?」
「わしらが逃げるまで時間稼ぎをしてくれるのじゃ。さぁ急ぐのじゃ!」
 応える桜に手を引かれお志乃を含む五人の開拓者がまず刀真の待つ村外れの方角へ。喜屋武を除いた他の三人は万が一のための陽動としうて村の周辺を回りつつ別の方向へと足を進めた。
 それを背中越しに見届けた喜屋武は大きく息を吐くと村の方へと視線を戻す。煉の心眼によればそろそろ見張りの交代の為に村人が現れるはずだ。
「虐げられてきたとはいえ奉る者のいなくなった村人は大丈夫なんですかね」
 呟き終えると同時に喜屋武の視界に二つの人影が姿を現し、人影はこちらを指差しながら向かってくる。
「まぁ俺が心配しても仕方がないんでしょうけどね‥‥さて、行きますか!」
 気合いを入れた喜屋武はそう言って大きく息を吸い込んだ。

●全てを終えて。
「ふぅ‥‥もう大丈夫でしょう」
 雨と汗で濡れる額を拭いながら呟いたのは桐。目の前には事前に掘って作った溝に流れる大量の水。アヤカシと戦った際に崩れた場所から溢れ出た分が流れて見事に人工の川が出来上がっていた。さすがに下流部分までは掘れていなかったため若干池のように溜まり始めてはいるものの、村まで一気に流れるという事態は避けれたはずだ。それも桐がそのタイミングを見極め、更に水流の邪魔になりそうなものをどけたりと、影の努力があってこそなのだが。
「どうやらうまくいったみたいですね」
 桐が声の方を振り返るとそこには笑みを浮かべて立っている巳斗の姿。勿論アヤカシ退治時の面子はほぼ揃っている。アヤカシを倒した直後に姿を消した者もいるようだが。
「村の方はどうやろか。うまく連れ出せとったらえぇんやけど」
 晃は心配そうに下流へ視線を送る。
「大丈夫でしょ。今神楽さんが様子を見に行ってるわ。きっと仰々しく口上でも言ってるんでしょうけど」
「ははっ! それはあるかもしれんなぁ」
 肩を竦める風雲に氏祇が笑いながら応える。何だかんだと言いながらも共に仕事をする仲間を信じている証なのかもしれない。
「ん‥‥雨が上がったか」
 焔の言葉に全員が空を見上げると、どんよりとしていた雲の隙間から一筋の光が差し込んでくる。全てが終わったことを告げるような暗示にも似た、そんな光。
「刀真さん‥‥一緒に逃げれたかなぁ」
「きっと大丈夫ですよ。案外あの光の下にいるかもしれませんよ?」
 虎太郎が差し込む光を見てふとそんなことを呟くと、真夢紀が微笑みを浮かべながらそう言った。
「何だか色々ありすぎて疲れました」
 苦笑を浮かべる香椎に何かを察した天忌がその肩をぽむと叩く。
「なぁに辛気臭い面してんだよ。俺たちはできることをやった。それでいいじゃねぇか」
「天忌は単純だからな」
「お前‥‥それ褒めてんのかけなしてんのかどっちだ」
 相変わらずの天忌とルオウに仲間の間にも自然と笑みがこぼれる。
「さぁ、後始末をして帰ろうか」
 輝夜の一声にそれぞれが返事をし、溝を埋める作業に取り掛かった。

 その後しばらくして開拓者ギルドに一通の手紙が届けられた。
 内容は他愛もないことではあったが、その最後に自分の伴侶が身篭ったことを嬉しそうに綴ってあるのが見える。
 差出人の名は、刀真、と記されていたという。

 〜了〜