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■オープニング本文 ここはとある屋敷。豪華絢爛、とは言えないけれど、人の良い主人と少し病弱だけれど優しい奥方が住まう、暖かな場所。 ここで下働きをしている美羽には、まるで夢のような場所だった。 身寄りのない自分に手を差し伸べ、働く場所を与えてくださった。そのご恩に報いるために、必死と働く日々だったのだが。 先日、奥様がご逝去されてしまわれた。それからの旦那様は、自室から出ようとなさらない。 おしどりの様に仲睦まじい夫婦だった。奥様は笑うと野の花のように可憐で、心が春のように暖かくなる。旦那様の気持ちを考えると、胸が痛んだ。 最近の屋敷の中は、冷たくて寂しい。暗い顔で天井を見上げて、美羽は慌てて頭を振った。 いつの日か、旦那様も立ち直ってくださる。そのときに屋敷が荒れていたら、悲しい顔をなさるだろう。だからその日まで、お屋敷を守るのだ。 手にしていた洗濯籠を抱えなおし歩き出した、その時。 「いつもご苦労様。美羽」 背中からかけられた声に、美羽は振り返った。 「旦那様! ‥‥もう、よろしいのですか?」 「ああ、心配をかけてしまったね。実は夢の中にあれが現れてね、いつまでも落ち込むなと叱られてしまったよ」 「そ、そうですよ」 思わず涙が滲んだ目じりをぬぐって、美羽も続ける。 「奥様はいつも旦那様の事を案じておられました。旦那様がいつまでも沈んでおられると、奥様が悲しまれます」 「そうだね」 苦笑して、屋敷の主は下働きの少女の頭を撫ぜる。 「これからも、私を助けておくれ。美羽」 「はいっ。頑張ります、旦那様」 そして旦那様は、元気を取り戻した――ように見えた。 暫くして旦那様は、人が変わってしまった。最初は些細な違和感しか感じなかった。ご無理をされているのだろうと、誰もが思っていた。 しかし最近は、少しの事でイライラして、人に当り散らすようになった。意味が分からないことを呟く時さえあった。 勤めていた人たちが、ひとり、また一人と屋敷を出て行く。屋敷は瞬く間に荒れていった。 そんなある夜、なかなか寝付けなかった美羽は見てしまった。 きっかけは小さな物音だった。そうして気がつく。他の音が、虫の音も、風の音さえ聞こえない事に。 悪寒が、美羽の背筋を駆け上がる。沈黙。生き物が気配を消すのは、恐ろしいものに見付からない様にする為。 ふと、美羽の脳裏に主人の姿が浮かんだ。嫌な予感に、恐怖を押し殺して廊下を進む。 気のせいであって欲しいと足音を消して歩く美羽の元に、話し声が聞こえてきた。 高揚している主人の声をいぶかしんで、美羽は部屋の中をそっと窺った。主人がゆっくりと伸ばした指先が目に入る。その先にいるのは。 「奥、様‥‥?」 月明かりに微笑む儚げな姿を、直感が否定した。目を凝らすとその姿が陽炎のように揺れる。 歪んだ唇が笑っていた。まとまっていない、色の抜けた髪。その恐ろしい姿。 「‥‥っ!」 奥方の振りをしているモノが、廊下に視線を向ける。 「どうかしたのか」 目の前のモノしか見えてない屋敷の主人に、女はうっそりと微笑んだ。 「いいえ、何も。ねえ、貴方。私、お願いがあるの‥‥」 「ああ、ああ。全てお前の望むように」 甘く囁く主人の目は、すでに正気を失っていた。 夜道を転がるように、美羽は駆けた。泣き叫んでしまいたいのを懸命にこらえ、必死で。 あれは恐ろしいモノだ。旦那様の悲しみに取り付いて、喰らおうとしている。早くしないと、旦那様が喰われてしまう。 人ひとりいない夜道は恐怖を煽る。美和は懸命に、開拓者ギルドまでの道を急いだ。 |
■参加者一覧
桔梗(ia0439)
18歳・男・巫
空(ia1704)
33歳・男・砂
縁(ia3208)
19歳・女・陰
御凪 祥(ia5285)
23歳・男・志
雲母(ia6295)
20歳・女・陰
トーマス・アルバート(ia8246)
19歳・男・弓
和奏(ia8807)
17歳・男・志
柳ヶ瀬 雅(ia9470)
19歳・女・巫 |
■リプレイ本文 開拓者たちは屋敷の裏に回った。屋敷は高い塀に囲まれて、中の様子までは見えない。 案内していた美羽が、ひとつの屋根を指差した。 「あそこが旦那様の部屋です。最近は滅多に顔をお見せにならないので、いつもそこにいらっしゃると思います」 「最近というと?」 トーマス・アルバート(ia8246)が問いかける。屋敷の主人の動向を出来るだけ把握しておきたかった。 「少し前までは、些細なことで周りに当り散らしておいででした」 「アヤカシの手と言え、奥様との再開を果たしているのに‥‥どうしてそんなにイライラされているのでしょうね」 特に表情を変えることなく和奏(ia8807)が呟く。 「私には‥‥よくわかりません。ただ、かなりお疲れのように見えました」 「あそこがお部屋ということは‥‥ご主人の部屋は一番奥ということでしょうか?」 屋敷の間取りを確認する縁(ia3208)に、美羽は頷いて応える。 「ほかに人間は? 間取りも詳しく分かるほうがいいな」 空(ia1704)の乱暴な口調に、美羽の体が強張る。 「使用人は、私を含め4人です。間取りは少々入り組んでいるので‥‥あとでご用意します」 「ああ」 「それと、奥さんの思い出の品とか、歌とか。そういうものがあれば」 「歌‥‥ですか」 静かな桔梗(ia0439)の問いに、美羽は首を傾ける。 「旦那様が贈られた和歌を、大切に箱にしまっていらっしゃいました。‥‥本当に、幸せそうなお顔を浮かべて」 「用意、できる?」 幸せな思い出に浸る美羽に悪いと思いつつ、尋ねる。我に返った美羽は頷いた。 「‥‥でも、あの」 しかし小さな声で視線を泳がせる美羽の不安に気が付いて、すぐに桔梗も頷き返す。 「大丈夫。ちゃんと‥‥返す」 淡々とした声音だが、瞳は温かな色を宿している。ほっとした表情を浮かべる美羽に、御凪 祥(ia5285)が話しかける。 「自分を案じている者がいること、自分の身に何かあればつらい思いをする者がいること。‥‥早く気が付いてくれるといいな」 痛みを知る瞳に、反射的に美羽は首を振ろうとする。その前に柳ヶ瀬 雅(ia9470)の白い指が、美羽の肩に触れた。 「人の心の隙に付け入るアヤカシ‥‥その存在は、許し難いものですわね。特にそれが仲睦まじい間柄の者に化けるなどとは‥‥必ずや退治してみせますわ」 「はい‥‥。ありがとうございます」 触れる温もりに、美羽はそっと目を閉じた。 主に使用人が使用する裏口で、開拓者たちは美羽を待っていた。暫くして、裏口の扉がそっと開かれた。 「大丈夫みたいです。皆様こちらへ」 美羽が案内したのは、今は使用されていない使用人の部屋。主人の部屋から一番離れているものの、屋内に陣取れるのは作戦としては大きい。 室内にはすでに、間取りを書いた紙と、和歌がしまわれた箱が用意してあった。 「他にご入用なものはありますか?」 「大丈夫じゃねえか?」 応える空に、祥が頷く。 「出来るなら他の人にも一度集まってもらって、話を聞けたらいいのだが」 「皆にはまだ話していないんです‥‥どう言ったらいいか分からなくて」 美羽の言葉に、和奏が続く。 「アヤカシはご主人の前でしか姿を見せていないみたいですし。変に警戒して気づかれてしまうより、良い判断かもしれません‥‥」 「でも紛れもなくアヤカシがいるのですもの。今から安全な場所に集まって頂いたほうが、安心ではありません?」 縁の提案に、トーマスも同意した。 「その方が良いだろう。主人の身が心配かもしれないが‥‥どうだろうか?」 「は、はい。隣の部屋で、良いでしょうか」 隣の部屋もまた、使用人の部屋だった。主人の部屋からは離れているし、出入り口も近い。桔梗は頷くと、美羽に呼子笛を手渡した。 「もし、危ないことが在ったら、吹いて」 「大丈夫です。大事なものは必ず取り返してみせますから」 安心させるように、雅は美羽に微笑みかける。 「皆様、旦那様をよろしくお願いします」 呼子笛を握り締めて一礼すると、美羽は部屋を後にした。 月が冴え渡る夜。音もなく廊下を歩き、桔梗はぴたりと歩みを止めた。 「ここなら、届くかな」 桔梗の体が仄かに輝き始めると、主人の部屋がちょうど入る範囲で、結界が張り巡る。 同時に、空も心眼で気配を探った。 「います、ね」 「ああ。アヤカシと人間。一体ずつ‥‥か?」 屋敷の中にはそれなりに人の気配が残っている。集中しきれず位置まで特定できないことに、空は舌打ちをした。 「そこまで分かれば十分ですわ」 縁が符を取り出しながら前に出る。 「私がアヤカシの足止めをしますわ」 凛々しく立つ縁に向かい、空も得物を手にして口の端を上げる。 「いくぞ」 声をかけると、桔梗と雅の二人が頷いた。 部屋の中央に、寄り添う二つの影がある。 「ねえ、アナタ。私、お願いがあるの」 「ああ、なんだい。何でも言うといい‥‥」 女が寄り添うと、男はうっとりと呟いた。 「私、お腹が空いたわ。欲しいの。アナタが‥‥!」 そう言って、女は牙を剥き出しにして、男に襲いかかろうとする。その瞬間、部屋の襖が開け放たれた。 「美羽さんが大切に思う人。その思いを踏み躙る夢魔! 私は貴方を許しませんわ!」 縁が呪縛符でアヤカシの動きを封じた隙に、雅は術視で主人を視た。 「‥‥! 術で、アヤカシに魅せられているみたいですわね」 同時に、桔梗と祥の二人が動く。祥が主人とアヤカシの間に入り、その隙に桔梗が主人の元へと駆け寄った。 解術の法を使い、主人がかかっている魅了を解く。最初は余裕の笑みを浮かべていたアヤカシだが、徐々にその表情を歪めていった。 都合のいい夢に逃げるのは、その逆の現実を自覚しているから。大切に思う人の代わりなど何にも務まらないことを、本当は分かっている筈。 心酔しきって空ろだった主人の顔に生気が戻ってきたのを確認して、ほっと桔梗は息を吐いた。 「この! ‥‥まあいい。さあ、敵は誰だ?」 アヤカシは素早く和奏に近づくと、その視界を奪う。再び開放された和奏の目は空ろで、アヤカシの姿が映っていない様だった。 「な‥‥? ど、どれが本物だ!」 呟く和奏に、他の開拓者たちは困惑した。アヤカシは、和奏の背後にしかいない。辺りを見渡した和奏は、隣にいた祥に向かって切りかかった。 「っ!」 突然切りかかられて、何とか避けるものの祥は傷を負った。 「御凪さん!」 雅が叫ぶ。傷はそれほど深くなく、雅がすぐに放った神風恩寵で傷は瞬く間に塞がっていく。 「すまない」 祥の治療をしている間に、アヤカシは縁に近づいていた。 「ねえ、私を助けて‥‥?」 奥方の美しい顔で、アヤカシは甘ったるい声を出す。空ろな表情を浮かべた縁は、力なく頷く。 その時、音を立てて矢が空気を切り裂いた。トーマスが放った矢は、アヤカシの肩へと突き刺さる。 「その姿のままで‥‥悪趣味な真似だな」 「この‥‥!」 苦痛に、アヤカシは顔を歪ませ苛立たしく声を上げる。 「おまえ‥‥っ」 思わずアヤカシに近寄ろうとする主人を、桔梗は必死に押し止めた。 「あれは奥さんじゃありません。貴方の大切な人は、本当にあのような方ですか」 「あ‥‥、ああ‥‥っ」 崩れ落ちる主人を見つめ、せめてもと桔梗はその視界を遮る。アヤカシの前に、ひとつの影がゆらりと歩み出た。 その鬼気迫る姿を見つめ、アヤカシは一歩だけ足を下げた。 「至らヌ至ラぬ至ラヌ至至至至‥‥!!」 場の流れは開拓者に傾いている。これ以上得るものはないと感じながらも、ここまで手をかけた餌を放り出すのは流石に惜しい。 アヤカシが躊躇した瞬間を狙い、空は刀をつきつけた。 「ソの身ヲ蝕ミ、腐レ!」 夜の闇に、アヤカシの絶叫が木霊した。 アヤカシが消え失せた部屋の中心で、主人はただ項垂れていた。 「皆様には‥‥御迷惑を‥‥」 それでも主としての姿を崩さない男の姿は、痛々しさを増幅させた。 「死者に会いたいという気持ちなど分からん。だが愚直に待つ者が居るのなら、まだ他者より救う価値があるというものだ。多くの者が出て行く中、仕え続けた者を憐れに思うから動いただけだ」 空はそう言うと、部屋を後にする。開拓者たちがその後に続く中、桔梗はそっと主人の前に箱を差し出した。 それは奥さんに送った和歌が収められている箱。 主人は黙ったまま、その箱を見つめる。 「死者と生者はどう足掻こうと交わることはできません。‥‥もうそろそろ、世界を見て下さいね?」 雅は桔梗を促して、共に部屋を後にする。襖を閉めると、そこに立っていた縁が、新たな符を取り出した。 部屋の中に、温かな気配を感じる。桔梗はそっと目を閉じて祈った。 ――実際に、奥さんが夢に出てくれたら、良いのに。 暗い部屋の中で、主人は箱を見つめていた。 開ける気にはなれなかった。思い出に浸るには、まだ悲しみが強すぎる。 そんな主人の手に重ねるように、白い手の影が浮かんだ。顔を上げた正面には、誰よりも愛しい姿がある。 夢か、幻か。――また、アヤカシなのか? そう思っても縋りたくなる己の弱い心に、主人はただ首を横に振った。奥方の影はそっと箱に触れて、微笑を残して消えていく。 主人は恐る恐る、箱を開けた。 『この箱は、私の宝物なのですよ』 そんな事を、聞いたことがある。中身までは見ていない。中から溢れる、沢山の紙の束。 『私は、本当に幸せ者ですね‥‥』 和歌を贈る度に、微笑む顔。何度も何度も、嬉しそうな声。 「私は一体、何を見ていたんだ」 温かい雫が、紙の束に濡れた跡を残していく。 廊下の奥で美羽の姿を見つけて、祥は目を見張った。 「申し訳ありません。あの‥‥」 危険なことは十分承知していただろう。それでも美羽の気持ちを思うと、祥はただ首を振った。 「もう‥‥大丈夫だ」 祥の言葉にトーマスが続く。 「過去に縛られる事‥‥誰だってそう簡単に止められる事じゃない。だからこそ、力になってやってくれ」 その言葉に、美羽の涙腺が緩む。そして深々と頭を下げた。 「本当に、ありがとうございました‥‥!」 去っていく開拓者たちの背中を、美羽はずっと見送った。静かになった廊下で、どれほど立ち尽くしていたのか。 襖の開く音がした。 「美羽‥‥」 「旦那様」 少しやつれた顔で、主人が微笑む。久しぶりに見る笑顔に、美羽の胸が熱くなった。 こらえきれない涙が、美羽の頬を濡らしていく。 「旦那様、旦那様‥‥っ」 「迷惑と心配を、かけてしまったね」 「いいえっ」 強く首を横に振って、泣き腫らした目で美羽は笑う。 「本当に‥‥良かったです」 「‥‥ありがとう」 そう言って肩の力を抜いた主人の隣に、美羽は奥方の姿を見た気がした。 悲しいことがあっても。それがどんなに辛い事であっても。 世界にはまだ沢山の人がいて。その人たちに助けてもらって。 私たちはまた、優しい時間を取り戻すことが出来る。 助けてくれた人達を思い、胸に灯る温かさにそっと美羽は微笑んだ。 |