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■オープニング本文 彼女が祖父に無茶振りをされるのは、実を言えばあまり珍しいことではない。幼い頃から思い返す限り、祖父の誕生祝いに何が欲しいと聞けば空飛ぶ衣と言ったり、ご近所の先生に習って横笛が吹けるようになったと言えば聞いた事もない超絶技巧の曲を吹きながら謡って見ろと言われたり。 そのたび、どうしたら良いのか解らなくてぐるぐる、ぐるぐる考えるうちに頭が真っ白になって、ついに泣き出してしまうのが彼女、天ヶ瀬風葉(あまがせ・かざは)の常だった。何しろ祖父は絶対に引かない。一度振った無茶は風葉が泣こうが喚こうが、祖母辺りが取りなしてくれるまで絶対に撤回しない。 祖父に疎まれていると思ったことはないが、むしろそういう無茶振りをされない他の孫達より可愛がられているのだと母も慰めたが、言われている当人からすればそりゃあもう、泣きたくもなるわけで。何しろ慰めている母からして「たぶん」やら「きっと」やらと言う単語が言葉の端々に出てくるのだ。 結果として、今現在でも何かあるとすぐにパニックになって泣き出してしまうのは、その幼い頃からの経験が条件反射として身に染み着いているからに違いない、と風葉は祖父を前に泣きそうなのを必死に堪えながら考えた。開拓者ギルドの受付嬢になった現在でもよく泣く自分が、同僚達になんと言われているかくらいは風葉だって知っている。 だがしかし、今はそんな事はどうだって良いわけで。 「どうかの、風葉。老い先短いじぃちゃんの頼み、聞いてはくれんのかの」 「だ、だって、おじいちゃん‥‥そんなの無理よ‥‥」 「何が無理じゃ、ほんのささやかな頼みじゃろう。じぃちゃんの為にフナを捕ってきておくれと頼んでいるだけじゃ」 確かに祖父が口にしたのは、要点を言えばそう言うことだ。フナが食べたくなったから、風葉、ちょっと捕ってきておくれ。それには全く異論はないし、風葉だって釣りが死ぬほど苦手だからという理由だけで、無理だと言っているわけじゃない。 そう、ただフナを捕ってきてくれと頼まれたのなら、それはそれで釣りが苦手な風葉はやっぱり泣きそうになるだろうけれど、まあ良かった。だがもちろん、この祖父がそんな簡単な、当たり前のことを風葉に頼むわけもなく。 (人面フナなんて居るかどうかも解らないもの、捕ってこいって言うののどこが無理じゃないのよ‥‥ッ) 考えているうちにいつものように、じんわり目の端に涙がにじんできて、風葉は正座した膝の上に置いた手をぎゅっと強く握りしめた。人面フナ。普通に聞いただけならただの笑い話で終わるのに、今そいつのせいで風葉は困り果てている。 どうにも祖父の言ったところに寄れば、町から少し山を登った所にある、枝の張り出した藤の美しい池のほとりで祖父の囲碁友達が先頃フナ釣りをしていたら、釣り上がったフナの顔が人面をしていたのだという。「びっくりして思わず取り落とし、逃がしてしまった」と言う友人の話を聞いて、この祖父は自分も是非それを見てみたい、そして是非食べてみたい、と興味を示してしまった、らしい。 なんて迷惑な事をしてくれたんだろう、とついにポロポロ涙を流しながら風葉は会ったことのない囲碁友達を恨んだ。恨んだが、泣き出した孫の涙を見てもいつも通り、祖父は無茶振りを撤回しようとはしない。 「ううぅ‥‥ッ、おじいちゃんのバカ‥‥ッ」 「これ風葉、バカとは何じゃ、バカとは。簡単な事じゃろう」 「ぅ‥‥うわぁぁぁん‥‥ッ」 あくまで主張する祖父に、ついに子供のように泣き始めた孫娘の声を聞いて、あきれたため息を吐いた祖母がようやく話に割って入った。 「おじいさん、あまり無理を言うものじゃありませんよ。風葉、おじいさんはフナが食べたいだけなんだから、山ほど捕っていらっしゃい。おばあさんが美味しく煮てあげますからね」 「おばあちゃん‥‥ッ」 「なんじゃ‥‥つまらんのぅ」 優しい祖母の言葉にぱっと顔を輝かせた風葉とは裏腹に、祖父は子供のように唇を尖らせた。おじいさん、と少し低い声で祖母が呼んだら、すぐに生真面目な表情を作ったけれど。 そうして、とにかく普通のフナで良いから捕っておいでなさい、と言われた風葉が祖父母の家を出て、さてどうしようと結局泣きそうな顔でまたぐるぐる悩みながら自宅に戻るのを、見送る祖父の上機嫌な様子に祖母はちらり、と冷たい眼差しを向ける。 「おじいさん。いい加減にしないと、本当に風葉に嫌われますよ」 「ふむ‥‥じゃがのぅ、ばあさんや、ほんに幾つになっても風葉の泣き顔は可愛いと思わんか」 ‥‥ジジ馬鹿丸だしの発言に、だからってわざわざ泣かせる人がありますか、と祖母は極めて正論を向けたのだが、祖父は今し方の風葉の『この上なく可愛い』泣き顔を脳内再生するのに夢中で、まったく聞いちゃ居なかった。 |
■参加者一覧 / 玖堂 柚李葉(ia0859) / 玖堂 羽郁(ia0862) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 設楽 万理(ia5443) / からす(ia6525) / 春名 星花(ia8131) / 春金(ia8595) / フラウ・ノート(ib0009) / キオルティス(ib0457) / 伏見 笙善(ib1365) / 豹璃(ib1836) / 嵐山龍之介(ib1854) / 涼香(ib2019) / 近衛(ib2028) / オータ(ib2039) / ライプニッツ(ib2044) / xノースx(ib2062) / 桐子(ib2081) / やえ(ib2130) |
■リプレイ本文 山の中、日頃は時折訪れる人を除けば降り積もる静寂に身を任せてひっそり咲く藤の花も、今日ばかりは賑やかな来訪者達を迎え、嬉しそうに花弁を震わせているようにも見えた。 「藤とフナ‥‥随分と風情在る詩になりそーじゃねェか」 池の上まで枝を張り出し、静かな水面に花房を映すその様に、キオルティス(ib0457)は口笛でも吹きそうな風情で、手にしたハープの弦を弾く。ピィン、と澄んだ音がかすかに水面を揺らして消えた。 この風情を詩にして、弾き語りに爪弾くのも面白かろう。そう考えるキオルティスだったが、もちろん元々の目的であるフナ釣りもしっかり楽しむつもりではいる。 とは言え、依頼人の祖父の要求は、池にいる『かもしれない』人面フナ。それはいささか無茶が過ぎる、と言えなくもないが、 「沢山釣れりゃ、1匹位はそーいうのが居てもおかしくねーかもしれねェ。楽しみだ」 「そうだな‥‥私は釣りが好きだから、参加させて貰ったんだが」 人面フナはどうだろうな、と小さく首を傾げる豹璃(ib1836)である。そうしながらチラリ、と視線を向けた先には、始める前から握り締めた釣り竿を手にぐるぐると悩んでいるのが端から見てもよくわかる、依頼人であるところの風羽が居て。 まずはフナを釣り上げて、風羽を助けられたらいい。そうしてどうせなら祖父が欲しがっているというその人面フナとやらも見つけて、祖父も喜ばせられたらいいのに。 だがそんな風羽の様子を見て、設楽 万理(ia5443)はまったく別の感想を抱いたようだ。 (‥‥うん、何か無性にイジリたくなるような娘ね) どこか気の弱そうな所と良い、つついたらすぐにパニックになりそうな所と良い、全身で『どうかイジリ倒してください』と言っているような娘。いや、あくまで個人的な印象だが。 とはいえ万理が直接イジって悪者になるのも避けたいところ。 「‥‥‥誰ぞちょっかいかけてくれないかしら?」 そう考えた心の声が、ポソ、と小さな呟きで漏れた。それにギクリと肩を強ばらせた天ヶ瀬風羽、職場の開拓者ギルドでも時折同僚や先輩、果ては後輩や開拓者や依頼人にまでいじられる猛者(?)だとか。 たちまち『どうしよう別にいぢめられるわけじゃないんだよねでもえぇと一体どうすればッ!?』とぐるぐるし始めたのが全部顔に出てきた風羽に、おろおろとした佐伯 柚李葉(ia0859)が必死に励ましの声を掛けた。 「あ、あの‥‥風羽さん元気出して下さいね? フナもきっと、皆で釣れば誰かが釣れるから」 「うぅ、ありがとうございます‥‥」 がっくり風羽がうなだれる。だがすぐぱっと顔を上げて、おじいちゃんを見返す為にも頑張らなくちゃっ、と両手をぐっと握りしめる。 その様子に煙管をぽっかり吹かせつつ、伏見 笙善(ib1365)は苦笑を禁じ得ない。風羽に、と言うよりはむしろ彼女の祖父に。 「かわいさ余ってつい邪険に‥‥かわいいお爺さんじゃあないですか〜♪ ちょっとやりすぎかもですが‥‥」 孫の泣き顔が可愛くてとか、やられている方には本気で迷惑極まりない話。だが、事情を聞くだけなら孫が可愛くて可愛くて仕方がないと相好を崩す翁の顔が目に浮かぶようではないか。 だがそこに泣いている女の子が居るのなら、励ますのがフラウ・ノート(ib0009)だ。実を言えばフナ釣りというのは彼女も初めてなのだけれど、そんなことは関係ない。 ぽふぽふと頭を撫でて、だから自信たっぷりの笑顔で挨拶する。 「ども。あたし、フラウっていうの。今回いっしょにがんばろーね」 「にゃ。お魚釣りはお父様と何度か行った事あるのですよ♪」 にゃは、と柔らかな笑みで春名 星花(ia8131)もフラウの隣で頷いた。養父と一緒に行った魚釣りを、彼女はもちろんちゃんと覚えている。なかなか頼りになりそうだ。 ね? とそんな星花に視線をやって、それから風羽に視線を戻し、フラウはにっこりきっぱり宣言する。 「人面フナ、ちゃんと見つけて持って帰ろ♪ あたし達に任せなさいっ!」 「‥‥私でも釣れるかな?」 「大丈夫、柚李葉ちゃんは俺が教えるから♪」 フラウの宣言を聞き、ふと自分の方が不安になった恋人の言葉に、力強く頷く玖堂 羽郁(ia0862)。やっぱり大切な彼女にはかっこいい所を見て貰いたいものだし、今回のフナ釣りは柚李葉からのお誘い。これでは、羽郁が頑張らない理由はもうどこにもない。 それに何より、藤は羽郁が自らの象徴とする花。その藤に見守られているが如き場所だから、目的は目的として楽しみたい、と釣り竿の握り心地を確かめて。 集まった人々からは少し離れた場所で、んふふ♪ とほくそ笑む少女が1人。 「フナは金魚の祖先さんと言うのじゃ。それを釣って持ち帰れば、金魚の量産も‥‥♪」 んふふ、とまた怪しい笑みを浮かべる春金(ia8595)の頭はどうやら、大好きな金魚にかける情熱で頭が一杯の様子。そううまく行くかは解らないけれど、やる気に満ち溢れている事は、何にせよ良い事だった。 ◆ 藤の池は見渡す限りに広いという訳ではないが、集まった全員が思い思いに釣り糸を垂れても余裕がある程度には広い。その一角で礼野 真夢紀(ia1144)は、持参した竹筒からミミズを取り出しては、釣り針に取り付けていた。 このミミズは自宅の近くで畑をしている人に頼んで、掘らせて貰って集めたものだ。フナを釣りに行くのなら、餌は必要だろうと思ったので。 「とはいえ、家では魚と言えば、海の魚と裏山の山女や鮎でしたから、フナという魚が解らなくて‥‥魚の餌になると聞きましたけれど、本当にミミズで大丈夫なのでしょうか?」 「大丈夫だろう。何、魚釣りというものはのんびり待つものだ」 買ったばかりの真新しい釣り竿を握りながら、不安そうに釣り糸の先を見る真夢紀の言葉に、言葉通りのんびりとした様子でからす(ia6525)が頷いた。頷きながら自分の釣り竿にミミズをつけて、小さな浮きがちょうど藤の花の陰になるよう狙ってポチャン、と池に落とす。 少し離れた場所に藤の下にも鮮やかな緋毛氈を敷き、いつでもお茶を淹れられるように準備をしてあった。後はそちらでお茶でも飲んで、浮きが引くのを待つばかり。 どうせだから一緒にどうかと、誘ったからすの言葉に頷いて、まだほんの少し不安そうだったけれども、ひとまず真夢紀も釣り竿を地面に立てた。そうして、この様子も忘れないうちにと袂から料紙と矢立てを取り出して、愛する2人の姉への手紙を書き付け始める。 同じくからすのお茶に誘われた豹璃が、その様をふと見やって、記録をつけておくのも良いか、と荷物の中の手帳を思い出した。そう呟いた豹璃の荷物を、淹れたてのお茶を渡すからすと筆を滑らせる手を止めた真夢紀が、興味深そうにちらりと見やる。 「他にも色々持って来られましたの?」 「ええ。事故があってはいけないと、薬用や包帯、止血剤や‥‥あぁ、あと誰かがおぼれた時のために荒縄を。水が足りなくなってはいけないから岩清水も持ってきて、獣が襲ってきてはいけないから武器も念の為」 「準備万端だな。頼もしい事だ」 初めての依頼という事もあって、不測の事態があってはいけないと色々気を回して用意をしてきたらしいしっかりものの豹璃に、こっくり頷く先輩2人。或いは、日頃は山奥の方に暮らしているからこそ、なのだろうか。 そんな豹璃は今回、フナを5匹は釣りたいと思って居るのだが。 「なかなか引かないものだな‥‥」 「ま、静かに待つしかねェ。のんびり行こうぜ」 キオルティスがのんびりと相槌を打つ。何しろまだ釣りは始まったばかりだ。彼もそれほど得意というわけではないが、泣きたくなるほど苦手というわけでもないし。 むしろゆっくり風情を楽しむ時間があると思えば、と大きく伸びをした彼に、ですなぁ、と笙善が頷いた。この辺りは藤の花も良く見えるので、自然とそういう場所を探していた人々が集まっているようだ。 時折釣り糸を引き上げて、餌がとられていれば新たなミミズを針に仕掛けなおして、またぽちゃんと水面に放り投げて静かに時を待つ。時々キオルティスが撒き餌も投げて、たまに浮きが沈んだら掛かったのかとまた竿を静かに、だが素早く引き上げて。 ぽっかりふかした煙管の煙が、すぅ、と青と藤の空に消えていくのを眺めやり、「あぁ‥‥風流‥‥ミー、いまとっても風流‥‥」と感慨にふける笙善に、くすりと笑った真夢紀が同じく眩しそうに藤の花を見上げた。より良い餌のつけ方をキオルティスと話していた豹璃も、確かに、とほんの少しだけ張り詰めていた緊張の糸を緩めて。 池の反対側に腰を下ろしてフナ釣りを楽しんでいた星花も、自分の浮きを見つめながらも、時折ちらり、と藤の花を見上げてはほんわり顔を綻ばせている。 「にゃは‥‥綺麗ですねぇ‥‥」 「ほんとよねぇ」 星花の言葉にこっくり頷いて藤の花を見上げるフラウ。そうしながらまたふと真剣な顔で、自分の釣竿の先に視線を戻す。さらにその隣では、一緒に釣ろうと誘われた風羽がぐっと眉を寄せて、真剣な顔で釣竿を握り締めていて。 ぷかぷか水面をただよう浮きが、ふい、と水中に沈んだら少し待って、餌を完全に飲み込んだ頃に釣り針を喉に引っ掛けるようにクイと引く。言葉にすれば簡単なのだが、その『少し』やら『クイと』やらというのが中々、感覚で掴むのは難しく。 結果として風羽は現時点で、まだ1匹もフナを釣れていない。フラウの方は以前、父親と一緒に氷に穴を開けて魚を釣った事はあるらしいし、元々器用な方でもあるので何となく見た目も様になっているせいか、傍に置いた桶の中にはフナが2匹。 引き換え星花のはと見れば、すでに4匹のフナが泳いでいる。思わずじっと見つめた2人の視線を感じて、にゃわッ、と焦った星花があたふたと「フッ、フラウさまも風羽さまもじきに釣れますよッ!」と励ました。 「まぁそのうち、ね‥‥星花さん、もう1回餌のつけ方、教えてくれる?」 「にゃ、もちろんです! えっとですね、こうなのですよ‥‥」 自分の釣竿を引き上げて、針の先につけていたミミズを外して撒き餌代わりに池に投げ、新たなミミズをフラウに見えるように丁寧につける星花。む、と真剣に見たフラウが自分の手を動かして確かめて、逆に風羽が途方にくれた顔になる。 水の中が見えれば良いのに、と呟いた風羽の言葉に、無言で春金が見せたのは陰陽符「乱れ桜」。使用すると、たまに舞い散る桜が見えるという符。 ‥‥まさか? 例えパニック体質の泣き虫でも一応はギルド職員、ふと可能性に気付いた風羽の問いかけるような眼差しに、春金はこっくり頷いた。 「隷役で強化した、金魚に変えた人魂で水中を探らせてるのじゃ」 「‥‥ッ!」 「フナの姿を確認したら、さらに呪縛符で動きを封じるのじゃ。その後にワシの自慢の練り餌を目の前に垂らしてやれば、バッチリ食いついて大漁‥‥♪」 「なんてこと‥‥ッ!?」 「‥‥の筈なのじゃが、思ったよりは釣れないのじゃよ‥‥」 だんだん尻すぼみになって、しょんぼり肩を落とす春金である。それでも勿論、フナが居る場所に確実に餌を落としているのでそこそこの釣果は上がっているのだが、例え動きを封じて目の前に魅力的な餌を差し出しても、食いつくか否かはフナ自身の自由意志(?)だという部分がネックらしい。 だがそれでも春金はくじけない。風羽の「それなら手で掴んで取った方が‥‥」という突っ込みにもめげない。 「こういうのは気分の問題なのじゃ。細かいことは気にするでないのじゃよ♪」 「そ、そうでしょうか‥‥?」 「うむ。それにしても、風羽さんは釣りが嫌いなのかの? なら少しでも得意になれるように、頑張ると良いのじゃ」 胸を張り、逆に諭されて思わずこっくり頷く風羽。人それぞれですからねぇ、と星花がそれを見てほんわり笑っている。 そんな騒ぎを遠目に見ながら、万理は真剣な顔で水面を見つめ、腕を組んで考え込んでいた。ぐるりと池の縁を回ってあちこち眺めて、どの辺りが一番釣れるだろうかと悩みあぐねて。 「うーん‥‥」 思わず漏れた呻きを聞いて、豹璃がぎょっと目を見張る。まさか体調でも悪くなったのだろうか? だが、少し顔を青くしてそう尋ねた豹璃に、あぁ違うのよ、と万理はパタパタ手を振った。手を振って、それからふと思いついたように豹璃の顔をまじまじ見つめて。 「バーストアローという技があるの」 「‥‥‥?」 「要するに、周囲に衝撃波を放つ技なんだけどね」 ごくごく真剣な面差しで語り出した女性に、思わず豹璃は襟を正して背筋を伸ばした。よく解らないが今、自分はとても大事な開拓者としての心得を教えられてるのかもしれない。 そんな様子を知ってか知らずか、万理はごくごく真剣な言葉を続けた。 「この技を池の中に使えば、もしかしたら魚を気絶させてその隙に獲れないかしら?」 「‥‥‥‥はい?」 「ずっとそれを考えているんだけれど‥‥でも失敗したら警戒して二度と魚が釣れなくなりそうだし、成功してももしかしたらバーストアローの威力で食べるのに不適切な形になってしまいそうだし」 ほぅ、と息を吐いて真剣な悩みを吐露する万理に、豹璃もその様子を想像した。食べるのに不適切な、多分あまり目にしたくない形になり果てたフナ‥‥それは、ちょっと嫌だ。 大変微妙な表情になった豹璃に、でしょ、とまた大きなため息を吐く万理である。 「どうしようかしらね‥‥」 「念のため。釣り場ではあまり騒がない事。釣りの基本だ」 茶席でまったりお茶を飲みながら、からすが冷静に突っ込んだ。もし本当にやったら『あまり』どころの騒ぎではないわけだが。 やっぱりそうよね、と万理はようやく諦めように組んでいた腕を解いた。そうしておとなしく釣り糸を垂れるべく、再びうろうろと池の周りを歩き始めた。 ◆ 朝から皆で釣り始めて、昼前にもなってくると、さすがに集中力も続かない。ついでに言えばそろそろお腹の方も、空腹を訴え始める頃合いで。 一応食料は持ってきている。だが自分の桶の中を見ながら、キオルティスがふと思いついた。 「せっかくだから、ちょっと位は開拓者の面々で処理しても良いかもなァ」 まだ午前中で、人によって差はあるとは言え、そこそこの釣果は上がっている。風羽の祖父母は日頃は老夫婦だけで暮らしているのだから、本当に山のようにフナを釣って持ち込んでも、そうそう食べ切れるものではないだろう。 とまでは口にしなかったものの、キオルティスの言葉にそれは良いかも、と目を輝かせた羽郁が手を挙げる。 「あ、良ければ俺に料理させて欲しいな」 「お、じゃあ美味いのを一つ頼むぜぇ。いやぁ、楽しみだ」 自分達で釣ったフナならば、それでなくとも美味いだろう。そう言うキオルティスに、任せといて、と胸を叩いた羽郁は早速、垂れていた釣り糸を一旦上げて、調理の準備に取りかかった。 本当なら、一番おいしい食べ方はフナ寿司だと羽郁は思っている。だが生憎、フナ寿司を作ろうと思ったら仕込んでから発酵させて食べられるようになるまでに3ヶ月はかかってしまうので、こういう、その場でちょっと料理して、というのには向かない。 だから羽郁が選んだのは、定番ながらまさに新鮮なフナだからこそ出来る刺身に、フナの身の酢味噌和え。簡単に火をおこせば、塩焼きにしても良いだろう。 何れにしてもものを言うのは、いかに下処理に手を抜かずにきっちりやるか。幸い、小さなフナは釣れてもそれぞれに池に戻したりしていたので、桶の中のフナは皆ある程度大きさが揃っている。 テキパキ動きながら幾つかのフナをより分けて、目的別に包丁を入れたり、内臓を抜いて鱗を処理していく羽郁の手際に、やっぱり魔法みたい、と不思議そうに、そしてどこか楽しそうに見惚れる柚李葉が居て。 やがてそれほど時を待たず、藤の池には魚の焼ける美味しそうな匂いが漂い始めた。どうせだから皆一緒にと、誘えばせっかくだからと顔を見合わせ、仲間達もご相伴に預かろうと集まってきて。 「付け合せに春山菜の天麩羅も持ってきたんだ。海老で手鞠寿司も作ってきた。本当は鮭やイクラもあれば良かったんだけど、まだ時期じゃないからな」 「うわぁ‥‥すごい、美味しそう‥‥!」 「まゆも作ってきましたの。皆さんもよろしければどうぞ」 「あ、あの、私も‥‥たくさん作ってきたから‥‥」 羽郁がずらりと並べた料理を見て、目を見張った人々の前に真夢紀と柚李葉も作ってきたお弁当をどうぞと差し出す。それもまた可愛らしく、春の彩りも豊か。 真夢紀が作ってきたお弁当はまず、帆立と大豆を入れて炊いたご飯にいり卵と三つ葉を加え、寿司酢で和えて寿司飯にしたのを丸めたお握り。それから卵と鶏手羽と新牛蒡を茹でたものを、酢と醤油で柔らかくじっくり煮込んだ煮物。さらに、絹さやはアサリのむき身と一緒に薄味で煮て‥‥春の暖かな陽気でも傷まないお弁当になるよう心がけて。 一方の柚李葉が作ってきたお弁当は、食べ易さを心がけた一口大の丸いおにぎり。紫が鮮やかなゆかりご飯や、卵そぼろをまぶしたもの、それからおにぎり自体をくるんと緑の菜っぱの漬け物で丁寧に包んだものも。 これもまた美味しそう、と目を輝かせて早速舌鼓を打ち始めた皆を、にこにこ嬉しそうに見守っていた柚李葉が、ちら、と視線を羽郁へと向けた。今は真夢紀と一緒に居て、藤の花の天麩羅が作りたかったと頭上の藤を見上げる真夢紀に、作り方を聞いていたりする。 視線に気づき、話を切り上げた羽郁がぱっとやってきた。それに何だか嬉しいような、困ったような気持ちになって。 「どうした、柚李葉ちゃん?」 「あの‥‥羽郁さんも良かったら1つ‥‥‥」 言いながら頬を染めたのは、自分が作ってきたお弁当をあげるのが照れくさいと言うよりは、脳裏にぐるぐる回っている言葉の方が原因だ。 (あーんは無理‥‥あーんはやっぱり無理‥‥ッ) 一応、頑張ろうと思っていたらしい。一口大のおにぎりを作ってきた、一つの要因もそれだったのだろうか。 だんだん真っ赤になってきた柚李葉が差し出すおにぎりを見て、何だか羽郁も照れくさい心地でゆかりご飯を一つ取る。取って、ぽいと口に放り込んでしみじみ幸せを味わう。 そんな幸せ一杯の恋人達の一時を、礼儀正しくも温かく見守って、見事な藤の花の下で美味しいご飯を皆で食べて。そうしながら、どの辺りがよく釣れたとか、それぞれの釣りに関する一家言を交換し合い、再び池の畔に戻って釣り竿の前に座り込み。 だがお腹が一杯になってきたら、次には眠くなってくるのが人間と言うものだ。それでなくとも朝からずっとフナ釣りをしていたものだから、知らず知らずのうちに疲れが溜まっていたりする。 ゆえに眠気を覚まそうと、笙善は釣り竿を地面に立てておいて、うーんと大きく伸びをした。幸い桶にはある程度釣れたフナが泳いでいる。せっかくだから、他の人達の釣果でも見て回ろうか。 そう思い、ふらりと歩き始めた笙善がふと、半周ほどした辺りで足を止めた。その姿に気づいたフラウが、しーっ、と口の前で人差し指を立てる。 そうしてくすくす忍び笑いながら、見下ろした彼女の膝には気持ち良さそうにすやすや寝息を立てる女性が2人。星花と風羽もどうやら満腹と春の日和が誘う眠気に勝てず、ついに寝入ってしまったらしい。 側には星花が持参したお茶とお菓子。お茶を飲んで眠気を覚まそうと頑張っていたのだけれど、綺麗な藤の花に見とれるうちに、こっくり船をこぎ始めて。 「最初は肩だったんだけど、そのうちに、ね♪」 「なるほど〜」 「うにゃ‥‥お腹一杯なのです‥‥」 「ありゃりゃ、幸せそうね♪」 笙善に説明している最中にも、ムニャムニャ寝言を呟く星花についつい笑みがこぼれるフラウだ。見ている笙善も何だか微笑ましく、邪魔をしてはいけないと足音を忍ばせてその場を離れようとして。 ふと、池の方を見て声を上げる。 「おや。引いてますね〜」 「にゃ、にゃわっ! 引いてる、引いてます!?」 その言葉にガバッと起き上がり、寝ぼけ眼で慌てて釣竿にとりつく星花。その様子にまたフラウと笙善は顔を見合わせ、堪えきれずにクスクス暖かな笑みを漏らす。 少し離れた辺りではキオルティスが、小さくハープの弦を弾きながら作曲に没頭していた。藤の花咲く小さな池と、そこに生きるフナに情感を感じるような、何だかしっとりと穏やかな名曲が生み出せる、ような予感がして。 ゆえに小さく弦を弾いたり、短いメロディを紡いだりしながら、心の中の音楽を形にしようと耳を澄ます。澄ませて音を確かめて、何度かアレンジを加えて。 やがてこれと満足の行くものが生み出せたのか、キオルティスの指がこれまでとは違い、確かなメロディを紡いで動き始める。フナ釣りの邪魔にはならないように音を押さえつつも、華を添えられるよう得意の歌も音楽に乗せて。 良い声だと感心しながら、またあたりのあった竿をからすはひょいとあげる。釣り上げたのはフナばかりではなく、水草や池に沈んだ小枝などもあったりするのだが、その程度は予想出来る範囲で。 絡んだ水草や小さなフナは池へ戻して、気づけば桶の中でフナが窮屈そうだ。案外釣れるものだ、と感心して辺りを見回せば、そこそこの釣果は上がっている様子。じゃある程度は今後の為にも、池に返してしまおうか。 そんな風に悩んで見つめる池の水面に、映る藤の花にそっと自分の顔を重ね合わせて映す少女が1人。 (藤の花飾りは綺麗だと思うけど‥‥) せっかく見事に咲いた花を、手折ってしまうのは可哀想。だからそっと水面の藤に重ねて映して、こんなだろうかと眺めて微笑む柚李葉だ。 ふんわりと辺りに漂う藤の香りは優しくて、うららかな春の日差しはとても暖かいけれど、裸足になって水を跳ね散らかして遊ぶ誘惑に乗るには、ほんの少しばかり早い。でもやりたいような、そんな衝動が浮かんでくるのは、隣にいるのが大好きな人だからだろうか。 嬉しいな、と呟く。小さな小さな呟きは、隣でのんびり釣り糸を垂れる羽郁の耳にも届いたかどうか。 「綺麗ですねぇ‥‥」 ぱっちり目を覚ました星花がまた、のんびりお茶を飲みながらフラウや風羽と藤を見上げて呟く声が、風に乗って大きく響いた。 ◆ 1日中釣り糸を垂れていたおかげか、運が良かったのかは解らないけれど、日が傾き始める頃には全員の桶には十分なフナが揃っていた。それに嬉しそうな顔になった風羽は、だが次の瞬間がっくりと肩を落とす。 「やっぱり、人面フナは居ませんでした、ね‥‥」 「ミーも、あわよくば釣りたかったのですけれどね〜」 ぽむぽむ肩を叩いて笙善が慰める。羽郁がうーんと首をひねって、それからぽむと手を叩いた。 「釣り上げたフナに適当に顔描くとかって、やっぱ無理?」 「ぅ‥‥うわあぁぁんッ!」 冗談で言ったのだが、風羽は大声で泣き出してしまった。よしっ、と拳を握った万理がその様子を見つめている。 帰り道では柚李葉が氷霊結で氷を作って、死んだフナが悪くならないように桶に詰めた。まだ生きているフナの桶には小さな欠片を、水がぬるまり過ぎてフナが弱ってしまわないように。 それを少し分けて貰って、春金はとりわけ丈夫そうな1匹を自前の金魚鉢につっこみ、氷と一緒に池の水と水草をすくって入れた。世話になっている家に帰ったら、金魚を飼っている池に放してみるつもりだ。 「んふふ‥‥楽しみじゃな♪」 彼女の目論見通りに行くかどうかは、精霊のみぞ知る。 たどり着いた老夫婦の家で、文字通り山ほどのフナを見せつけられて、あらあら、と祖母は嬉しそうに早速桶を台所に運んでいった。その後を追っていったからすが声をかける。 「手伝い、要りますか?」 「あら助かるわ。じゃあそちらの桶のフナを捌いて下さる?」 そっちは甘辛煮にするのよ、と微笑む彼女に頷いたからすの横から真夢紀も、煮方を教えて下さいな、と申し出た。せっかくだからこの機会に覚えたいという彼女にも、もちろん祖母は頷いて。 居間の方では祖父が、幼い頃から風羽がどんなに泣き虫だったか、と相好を崩して開拓者達に語っている。そんな恥ずかしい歴史を披露されている当の風羽は、またじわりと目の端に涙を滲ませていたけれど。 賑やかな、賑やかな家族の片隅で、柚李葉がそっと羽郁の袖を引いた。 「ねぇ、羽郁さん。夏になったら‥‥さっきの氷で、氷菓子を作るお手伝い、したいな」 そう、照れたように笑う恋人に、羽郁が返す答えはもちろん、解りきっているけれど。当人だけがドキドキと答えを待っているのを、開拓者達はやっぱり微笑ましく見守っていたのだった。 |