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■オープニング本文 歴壁、という街がある。 石鏡随一の街道を行けば、その街にたどり着くことが出来る。石鏡を訪れ、また石鏡から出ていく旅人は、ほぼこの街を通り過ぎていくといっても過言ではない。 だから、足湯を名物にしているその店を訪れる客層も、歴壁を通り過ぎていく旅人がほとんどだ。その店だけではない、歴壁は温泉でも有名な街で、石鏡国内からも湯治に訪れる人が居たりするから、街中にはそういうお客を目当ての温泉宿も見られる。 ゆっくり温泉につかって旅の疲れを癒したり、のんびり過ごしたいなら、温泉宿へ。 急ぎの旅のわずかな休息に立ち寄るなら足湯へ。 だがしかし、やっぱり他の店よりもうちの店にお客様がいっぱい来てくれればいいのに、と従業員が思うのは当たり前の話だろう。 「だから、考えたんです。ちょうど菖蒲の花の頃合いだから、菖蒲を浮かべた温泉で旅の人たちの気を引いたらどうかな、って」 そんな従業員の1人、優菜(ゆうな)は真剣な口調でぐっと両手を握った。 「田舎のおばあちゃんが、菖蒲のお風呂は身体に良いって言ってましたし。旅人さんの身体も気遣って季節感もあって何か見た目も良さそうで、ってちょっとお客様が増えそうじゃありません?」 「そうねぇ。菖蒲のお風呂も良いかもねぇ」 目を輝かせてそう訴える優菜の言葉に、のんびり頷いたのは女将さん。お客様が増えるかどうかはともかく、菖蒲のお風呂というのは面白そうだ。 ゆえに、良いわよぉ、とのんびり了承した女将さんの言葉に、ぱっと顔を輝かせて優菜はぺこりと頭を下げた。そうして菖蒲を集める人を頼もうと、ギルドへ当てて手紙を書き始めたのだった。 |
■参加者一覧 / 玖堂 柚李葉(ia0859) / 玖堂 羽郁(ia0862) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 劉 厳靖(ia2423) / 設楽 万理(ia5443) / 景倉 恭冶(ia6030) / からす(ia6525) / 支岐(ia7112) / 千羽夜(ia7831) / 周十(ia8748) / 霧先 時雨(ia9845) / ジルベール・ダリエ(ia9952) / ユリア・ソル(ia9996) / フラウ・ノート(ib0009) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / ヘスティア・V・D(ib0161) / 小(ib0897) / 沙羅姫(ib2256) / ネオ(ib2314) / 九射乃(ib2319) / 始皇帝(ib2328) / Nicole(ib2330) / ジェン(ib2356) / 嫁(ib2360) / ガルマ(ib2363) |
■リプレイ本文 気持ち良い春の日和だった。うーん、と小(ib0897)は全身に陽射しを受けて、大きく伸びをする。 「いーい天気だなぁ。たまにゃゆっくりするのも悪かねぇか」 「えぇ、そうね‥‥コンッ、コホッ!」 小の言葉に頷きかけた設楽 万理(ia5443)が、途中で言葉を切って咳き込んだ。おや、と案じるような眼差しを向けると、ちょっと風邪を引いたみたいね、と万理は肩を落とす。 まぁ、とアルーシュ・リトナ(ib0119)はおっとり頬に手を当てて、小の横から心配そうに万理の顔をのぞき込む。 「大丈夫ですか‥‥?」 「せっかく良い天気なのになぁ」 「う、ん‥‥コンッ‥‥暖かくなったから布団を飛ばしちゃったまま寝ちゃってね」 2人の言葉に、万理はため息をはいた。我ながら子供のような事をしたと思うけれども、引いてしまったものは仕方ない。 幸い、手伝う先は足湯専門店。せっかくだから暖まって風邪も治せればいいけれど、とぼやいたのが聞こえたのだろう、ガルマ(ib2363)が大きく頷いた。 「何、ボクと一緒に居れば大丈夫ですよ」 実は今回が初仕事のガルマ、そうと感じさせない落ち着き払った態度で万理の手を握る。ついでにアルーシュにも手を伸ばしたのだが、彼女はにっこり微笑んで半歩身を引いた。 そうしてお店を振り返る。 「足湯の専門の湯所とは‥‥ゆったり足を伸ばせそうです」 「まゆは、実家では体の弱い姉様のために、ちぃ姉様と良く菖蒲の葉を集めに行きましたから」 だからきっと風邪も治りますの、と咳き込む女性を見て礼野 真夢紀(ia1144)も少し心配顔だ。そんな真夢紀の言葉に、じゃあいずれお姉さんもご一緒に、と大きな背負い籠を置きながら優菜は愛想良く言った。傍らでは優菜の手伝いを申し出た嫁(ib2360)が同じく、籠を両手いっぱいに抱えている。 「優菜さんの籠は決まってるんですか?」 「赤い背負い紐のです」 さりげなく尋ねられ、ひょいと指さした少し小さめの背負い籠をさっと渡してやる嫁である。甲斐甲斐しい男をチラリと見やりながら、沙羅姫(ib2256)は「我も行こう」と重々しく頷いた。 女性の足では大変ですよ、とガルマが沙羅姫に声を掛ける。だが心配は不要と沙羅姫は首を振って。 (だが、少女らしく体力を偽った方が良いのか‥‥) 遠く険しい眼差しで胸の内を見つめるような表情になった沙羅姫、見た目は少女でも実は立派な少年。だがそれを知られる訳にはいかないと、少し葛藤していたり。 からす(ia6525)がふと、涼やかな笑みを浮かべた。 「菖蒲は昔から厄祓いに使われる薬草だ。足湯と併せて、菖蒲が体の厄を祓ってくれるだろう」 「菖蒲湯は端午の節句に、実家で入ってたけどなぁ‥‥そういえば、菖蒲は発音も一緒だから勝負にかけて尚武って字を当てる事もあるよ」 からすの言葉に玖堂 羽郁(ia0862)が、ふとそんな薀蓄を思い出した。季節のものと取り立てて羽郁自身は気にしては居なかったのだが、菖蒲集めに行くと知った双子の姉が教えてくれたのだ。 面白いよな、と隣を振り返った羽郁の視線の先では、佐伯 柚李葉(ia0859)が落ち着きなく辺りを見回したり、と思えばちらりと羽郁を見上げてすぐに視線を逸らしたり。 (この後も、で、でーと‥‥に、誘って貰えて、胸がパンクしそう‥‥でも羽郁さんはこんな女の子女の子してて嫌じゃないかな‥‥) 赤くなったりしゅんとなったり、こんなじゃいけないとぱっと顔を上げてぐっと両手を握ったり、傍から見ていて実に一生懸命だ。 楽しそうだな、とネオ(ib2314)はその様子を微笑ましく眺めた。彼も開拓者として動くのは今回が初めてだから、先輩開拓者を見ているだけでも楽しいし、いつか自分にもあんな風に笑いあえる仲間が出来れば良いと思う。 さし当たって彼が今日楽しみにしているのは、出かける前にも色々教えてくれた人達との交流。特に劉 厳靖(ia2423)とは、終わった後にゆっくり酒を飲み交わしてみたい、と思っている。 もちろん仕事もしっかりこなしたいのだが、と眼差しを向けた先で当の厳靖は、ふむ、と足湯場の方を眺めやっていて。 「悪かねぇな、ゆっくりするかねぇ。まぁこんだけ人が居れば、手伝いは別に十分だろ」 「ダメよ、厳靖さん。厳靖さんは私達と一緒に足湯場のお掃除をするんだから!」 「敵前逃亡は良くないやね」 サボる気満々、今にもその辺に寝転がり始めそうな厳靖の両腕を、妙に息の合った2人がガッしと掴んだ。景倉 恭冶(ia6030)と千羽夜(ia7831)である。 両腕に1人ずつぶら下げて、さすがに口の端を歪めた厳靖を、千羽夜が見上げてクスクス笑う。そうして反対側の腕を掴む恭冶と顔を見合わせ、今度はちょっとだけくすぐったそうな笑みになる。 やれやれ、と厳靖は笑みをこぼして頷いた。 「わかったわかった。ったく、手加減ぐらいしろ」 「やった! 優菜さん、足湯のお掃除は私達に任せてっ♪」 「一仕事してゆっくり癒されようかねぇ」 厳靖の言葉に千羽夜はぴょんと飛び上がり、すでに背負い籠を背負って準備万端の優菜に大きく手を振った。恭冶は恭冶でしっかり厳靖の腕を掴んだまま、労働の後の足湯に思いを馳せている。 ん、と聞いていたフラウ・ノート(ib0009)が首を傾げた。 「私も湯船を掃除しようと思ってた、んだけど」 「足りてそうだし、一緒に行きましょ」 「だな、せっかく幼馴染で一緒に来たんだからさ♪」 割って入るとまずそうな、という空気を敏感に感じ取ったフラウに、霧先 時雨(ia9845)とヘスティア・ヴォルフ(ib0161)が口々にそう手招きする。ユリア・ヴァル(ia9996)も「行きましょ、フーちゃん」と笑っていて。 そうね、とフラウも幼馴染達に笑顔を向けた。 「ん‥‥ヘスティアん達と一緒に行こうかしら」 「ゆっくり歩いて行きましょ。少しくらい疲れてた方が、湯も気持ち良くなるもの」 「そうね」 「よし、行くぜ!」 楽しそうにお喋りをしながら歩き始めた幼馴染達の後ろを、ちょっとぐったりした様子の万理が店から借りた馬に乗ってゆっくり動き始めた。湯船の掃除やらをしては風邪が悪化しそうだし。 ぞろぞろ、歩き始めた人々の一番後ろを、周十(ia8748)と支岐(ia7112)はのんびりとついていく。 「誘われて来てみたはいいが、菖蒲湯とはな」 「お嫌いでした、か‥‥?」 「いや‥‥ま、息抜きにゃあ丁度いいか」 微かに眼差しに不安を滲ませた支岐の言葉に、周十はひょいと肩をすくめて首を振った。単に幼い頃の苦い思い出が蘇っただけで。 周十の顔をじっと見上げて、どうやらその言葉が偽りではなさそうだと、支岐はほっとした色を瞳に滲ませた。 「私は不器用故、慎重に御手伝い致しまする」 きゅ、と小さく拳を握った支岐に、そうだな、と周十は頷いて、のんびりと仲間の後を歩き続ける。少し強くなってきた陽射しが、まだのどかな春を告げていた。 ◆ 菖蒲、という植物は色々種類があって、見た目も似ているものが多い。 「念の為に言っておくが、菖蒲と花菖蒲は違うものだぞ」 「‥‥ッ!?」 ゆえに池について真っ先に念押ししたからすの言葉に、一番驚いた顔になったのは優菜だった。ついてきて良かった、とさすがのからすもちょっと思う。 美しく咲く花菖蒲は、見た目は華やかだがあくまで花。同様にアヤメやカキツバタも、花や葉の様子が良く似てはいるが違うものだ。 なるほどなぁ、と正しい菖蒲の葉を見ながらジルベール(ia9952)が感心の声を上げた。 「色々あるねんなぁ」 「そうね。あと、葉で怪我をしないように気をつけなくちゃ」 「ん、おおきになユリアさん、気ぃつけるわ。それにしても、天儀の人は風呂に色々入れるんが好きやねんなぁ。こんな葉っぱ入れようやなんて、なかなか考えつかへんで」 うんうん、と何度も頷きながら靴を脱ぎ始めるジルベールである。菖蒲を見るのは初めてだし、彼の暮らしていた辺りでは湯船に工夫を懲らす事もなかったので物珍しい。 ぽいっと軽く靴を脱ぎ捨て、裸足で池の中に入ってナイフで葉を刈り取り始めたジルベールを、ユリアは両手にグローブをはめながら見た。岸から手を伸ばしてとれる範囲にある菖蒲は多くない。 だからユリアも幼馴染達と岸辺を歩き、手が伸ばせそうな場所を探した。そうして幼馴染を振り返る。 「ここなら良さそうね。スーちゃん、どう?」 「良いんじゃないか? よし、集めるぜー♪」 「帰ったら菖蒲湯ね‥‥ふふっ」 尋ねられ、大きく頷いて腕をまくったヘスティアの横で、時雨は嬉しそうに足の辺りを撫でた。どうやらこの機会に自慢の美脚を見せつけようと楽しみにしているらしい。 だが、フラウだけが幼馴染の話題に気付かず、じっと菖蒲の葉を見つめて居る。 「フーちゃん? どうしたの?」 「ん‥‥これが菖蒲なんだな、と」 呟きながらまたまじまじと菖蒲を見るフラウに、そうよー、とユリアは手近な葉に手を伸ばして摘み取った。はい、と渡す。 ふわりと、緑の混じった香りがした。わ、と驚いたように顔を輝かせるフラウに、良い香りでしょ、と笑う。 「菖蒲は香りが良いのよね、摘んだ時の香りは格別よね」 「本当ね‥‥書物で読んだ事しかなかったけど」 どう? とユリアが渡した菖蒲の葉を受け取り、フラウは顔を輝かせてためつすがめつ、初めて見る菖蒲の葉を観察した。その様子が微笑ましくて、時雨やヘスティアもくすりと笑う。 そこから少し離れた場所ではネオが、さて次はどうしようか、と周囲を物珍しそうに眺めていた。それに、一緒にせぇへん、と声をかけたジルベールに嬉しそうに頷いて、ネオも裸足になって池に踏み込む。柔らかな泥は、ほんの少しくすぐったい。 そうして、ジルベールが取った菖蒲を岸へと運んだり、手で摘み始めたネオと、鼻歌なぞ歌いながらどんどん手を動かしていくジルベールに、アルーシュが声をかけた。 「10本ほどずつに、わけて結んでいきましょうか?」 「ありがたい」 「助かるわぁ」 大きく頷いた2人に微笑み、アルーシュは岸に置かれた菖蒲を拾い集めては手頃な束にして端を縄で結ぶ。そうしながら、良い香り、と目を細めた。池にはちらほら花菖蒲が咲いていて、そちらもまた良い香りだ。 時折身を乗り出して香りを楽しむ女性を、小はそれとなく見守った。もし落ちたりしたら助けなければと思うけれども、きっと自分の力では支えきれないだろうし。 念の為きょろきょろ辺りを見回し、とっさに掴めるようなものがあるかを探してみる小である。そうしたらぐっと池の上に身を乗り出して精一杯手を伸ばす優菜を見つけてしまったりして。 けれども出発の時からさりげなく側にいて、優菜の面倒を見つつ菖蒲集めに精を出す嫁が、今もしっかり優菜に目を光らせている。少しでも良さそうな葉を採ろうと必死の当人は、それに全く気付いていなかったけれど。 それでも彼女のためにがんばろう、とせっせと手を動かす嫁は、面倒見が良いのか、仕事熱心なのか。たぶん両方。 あんまり精を出しては倒れてしまうと、真夢紀は持ってきた竹筒を差し出した。 「お茶をどうぞ。朝、氷冷結で凍らせてきたからまだ冷たいですの」 その言葉の通り、中にはまだ大きな氷の固まりが浮いていて、揺れる度に竹筒に触れてコトコト音を立てている。作業中にも冷たいお茶を飲めるように、と半分ほどのお茶を凍らせて、その上にもう半分を注ぎ足したのだ。 ほぅ、と珍しそうにガルマが横からのぞき込む。のぞき込んで、細やかな気遣いが出来る方なのですね、とじっと真夢紀を見つめる。 それにこっそり沙羅姫は安堵の息を吐いた。先ほど沙羅姫もガルマに何くれと話しかけられたので、もしかして自分が女装していることがばれたのか、とドキリとしたのだ。だがあの様子を見る限り、女性には等しく声をかけているだけらしい。 だから少し肩の力を抜いて、沙羅姫は真夢紀に問いかける。 「我も何か手伝ってやろうか?」 「花菖蒲を集めるのを手伝って欲しいですの。菖蒲湯を出してます、って宣伝用に、張り紙の脇に菖蒲の花を活けてみたらどうかなって思いまして」 「あ、私やスーちゃんも考えてたのよ」 小耳に挟んだユリアがヘスティアと顔を見合わせ、ひらひら手を振った。それに頷きを返した真夢紀は沙羅姫に視線を戻して、長持ちするように蕾や綻びかけたもの、まだ開ききっていない菖蒲を探して欲しいと頼む。 葉菖蒲と花菖蒲は違うといえど、同じ菖蒲と呼ばれるものだから。せっかくだから香りだけでなく、見た目も風流に。 それに、周十がニヤリと笑って傍らの連れを見た。 「花菖蒲なら良いけどな。ガキの頃、間違えて蒲を持って帰って親父に笑われた事もあったもんだ」 「‥‥ッ!?」 花菖蒲も素敵ですな、と硬い表情の下でぼんやり夢想していた支岐は、その言葉にはっと両手に抱えていた菖蒲の束を見下ろした。指を切らないよう丹念に掻き分けて、一本一本確かめて。 全部確かめ終わったら、ほぅ、と安堵の息が漏れた。 「蒲、なかった、です。周十さんは、大丈夫で、すか?」 「あぁ、扱いは解ってるからな」 その反応がおかしかったのか、クッ、とのどを鳴らした周十はやがて、小さく肩を揺すってクツクツ笑いを零し始める。そうして低く笑いながら「良かったじゃねぇか、蒲がなくて」と支岐の束もひょいと引き受け肩に担ぐ。 おや、と通りがかった万理が馬の背から2人を見下ろした。 「半分乗せる? これから店まで菖蒲を届けに行くのだけれど」 「いや、何とかなんだろ」 「そう? そちらは?」 「あ、じゃあお願いします」 断られ、反対側を振り返った万理に、柚李葉が布で包んだ菖蒲の束を持ち上げて渡した。彼女の足元にはもう1つ同じ束が出来ていて、さらに羽郁がまだもう1つ分ほど菖蒲を集めているところだ。 預かるわね、と万理が頷いて馬の背に結わえ、ゆっくりと歩き出した。もうそろそろ、集まった菖蒲は足湯どころか、辺りの温泉宿に配っても良いほどだ。 ◆ 掃除はなかなか重労働だった。 何しろ湯船が全部で5つある。お客様に寛いでもらうにはある程度の大きさも必要だから、千羽夜と恭冶は結構な大きさの湯船を1つずつ、藁や布で丹念に磨いていった。磨き、汚れを確かめ、また磨き。 「あ、案外汚れてるのね‥‥ッ」 「足湯だからなぁ。まぁ休み休み、やね」 労働と湯の熱気で、知らず額に浮いていた汗を拭った千羽夜の言葉に、布を濯ぎながら恭冶が頷く。旅の通りすがりに慌しく疲れを癒していくことが多い足湯は、だから旅の汚れもそのまま、という事も多い。 今は営業中だが時間的には閑散期だ。振り返った足湯場には一握りの常連客しか居らず、今日だけの手伝いだという開拓者達に気安く『頑張れよ』などと声をかけてくる。 笑顔で応えながら大きく息を吐いて足湯場の外を見た千羽夜は、あ、と口を大きく開けた。 「厳靖さん発見! そんなとこでサボってたのね、さ、一緒にお掃除しましょ♪」 「だぁ!? ったく、わかったわかった」 休息所でごろりと寝転び日向ぼっこを決め込んでいた厳靖を見つけ、駆け寄るなり力一杯腕を引っ張って起こそうとする千羽夜に渋々、厳靖は起き上がる。だが浮かんでいるのは苦笑いだ。 そうして「まだ仕事残ってるのか?」と足湯場を見回した厳靖に「たくさん!」と千羽夜と恭治が声を揃えて力説した。それにまたひょいと肩をすくめ、じゃあやりますかねと着物の裾を捲り上げる。 とはいえ、やる気になるのが遅いだけで、掃除自体は真面目にこなす厳靖だ。湯船にぬかるんだ汚れが残ってないか確かめて、と千羽夜が足で探りながら言うと、よし来たと同じく足で湯船を探り始める。 少しぬかるんでるか、と思った場所は藁で磨き、また確かめ。 「きゃぁ‥‥ッ!?」 「だ、わ、千羽夜‥‥ッ」 「危な‥‥ッ」 ずる、と思い切り足を滑らせた千羽夜が、まるで狙ったように厳靖と恭治目掛けて倒れてきた。あわわっ、と2人揃って受け止めようとするけれども、踏ん張り損ねて一緒に盛大に湯船の中に転倒し。 「‥‥なぁ、あれ」 「黙っていた方が良い。馬に蹴られたくはないだろう?」 えへへ、よくも、このぅ、きゃぁッ、と楽しそうにお湯を掛け合い始めた3人を、足湯場の外から見たジルベールの言葉に、からすがそっと首を振った。昔から言うではないか、何とかを邪魔する奴は、と。 ゆえに、常連客の暖かな眼差しの中ずぶぬれになってる3人は置いておいて、ジルベールは庭に積み上げた菖蒲を洗い始めた。泥を落として枯れた部分は取り除き、幾つかの束に分け。 そこから幾らかを取って、アルーシュは指で丁寧に細く割いていく。成分が出やすいようにと思ってのことだが、それを見ていたヘスティアがさらに、細く咲いた菖蒲の葉をどんどん刻み始めた。それをユリアとフラウがからすの作った綿袋の中に詰めていき、時雨が集めてまとめておく。 「この方がもっと成分が出やすいってね。知ってるか? 菖蒲で叩くんだぜ? 無病息災、病気の所叩くと治るってね。そこらも使っても楽しいよな〜」 「ちょっと、ヘスティアに叩かれたら自慢の足が傷ついちゃうわよ」 「ふふ、そういえば霧ちゃんの足は10点満点で何点位かしら? 楽しみね」 「ユリアんも見せる気満々でしょ‥‥」 わいわい手を動かしながら楽しそうに盛り上がる幼馴染達だ。のんびり戻ってきた周十から菖蒲の束を受け取り、運んできたネオが少し顔を赤くして視線をさまよわせた。 くすくすと、笑いながらアルーシュはまた菖蒲を取り、今度は編んで細工を作り始める。どうやら足湯には子供もやってくるようだから、見た目も楽しい方が良いだろう。 少しずつ、足湯場に人が増え始めた。色々ありながらも無事に洗い上げた湯船のお湯を新しく入れ替えて、幾つか綿袋を放り込み、菖蒲の葉を浮かべると、やがて辺りに良い香りが漂い始める。 おや珍しい足湯だね、と別の湯船に居た客も、物珍しげに菖蒲湯の方へと集まってきた。その間に別の湯船を用意して、また菖蒲の葉を浮かべ、綿袋を放り込み。 ある程度時間が経ってきたら、羽郁と柚李葉が湯船を回って菖蒲の葉を取り替えた。大体このくらい、と教えてもらいながら一生懸命動き回る柚李葉に、微笑みながら羽郁もきびきび手を動かす。 子供が吹き鳴らす、菖蒲の葉の草笛が賑やかに響いた。音が出るのが面白いのだろう、満面の笑みを浮かべた子供たちの頭をなでながら、ジルベールはどんどん新しい草笛を作ってやる。 あちらこちらに飾った花菖蒲が、楽しそうに揺れていた。 ◆ 営業が終了した後も、足湯場には賑やかな声が響いている。ようやくゆっくり楽しめると、働き尽めだった開拓者達も文字通り、足を伸ばして寛ぎ始めたからだ。 「お茶は如何かな?」 「ちまき、よろしければどうぞ。朝作ってきましたの」 いつものように茶席を作り、足湯を楽しんだり、のぼせ気味になって少し足を上げたりしている開拓者達に、からすが涼やかな顔で冷水で淹れた茶を振舞う。それに思い出したように真夢紀もいそいそと、朝からこの時を楽しみにして重箱に詰めて来たちまきを取り出し、同じ湯船の人達に差し出した。 お、と嬉しそうに幾人かの顔が緩む。性別を偽っている関係上、みんなの前で足湯に入る事は出来ず何やら色々と動き回っていた沙羅姫も、僅かに足を止めて考えるようにちまきを一つ、手にとって。 それを見ながら、どうせなら他にも季節のお菓子を、と所望したヘスティアに、フラウは頷いて持ってきたクッキーを幼馴染の前に出す。ヨモギと潰した小豆を混ぜたクッキー。菖蒲が邪気を払うと聞いて、同じ様に言われているヨモギと小豆を組み合わせてみた。 おー、と嬉しそうに幼馴染達が顔を輝かせる。もちろん他の仲間にもお裾分けして、からすの冷茶を受け取った。 「邪気払い‥‥今日は来てないけど、邪気払いしたい幼馴染に菖蒲を持って帰れるかしら」 「ぁ、俺も欲しいんやけど、エエかな? 家で待ってる奥さんにも足湯体験させてあげたいんや」 「もちろんです!」 ふと、クッキーと足湯場の軒先に揺れる薬玉を眺めながら思い立って尋ねたユリアと、同じく手を上げたジルベールに、優菜は大きく頷く。皆さんがたくさん集めて下さいましたから、と嬉しそうに笑う少女に、優菜さんのために頑張りましたから、と嫁が両手を握って力説した。 良かったなぁ、とヘスティアは豪快に笑った。そうしてニヤリと、悪戯な顔になって隣に座る、着物が濡れないよう太ももの際まで捲り上げた時雨の自慢の足に視線を落として。 「それにしても‥‥時雨〜ッ、自慢するだけ有って良い足してるな♪」 「あらら、これはけっこう高得点かしら。フーちゃんも触ってみたら?」 「はひッ!?」 「ちょ‥‥わ、わきゃ!? 何するの、くすぐったい撫で回さないで‥‥ッ」 楽しそうに全力でなでまわし始めたヘスティアと、反対側からちょっと張りなんか確かめながらやっぱりナデナデするユリアと、そのユリアに強引に腕を捕まれタッチさせられているフラウに、時雨の歓声とも悲鳴とも付かない叫び声がかなり大きく響き渡った。ぎょ、と振り返った何人かは慎ましく視線を戻し、何人かはじっとその光景を心に刻み付けて。 うぅ、と可愛らしく涙目になって幼馴染達を睨み上げた時雨だが、そんな男性陣の視線に気付くと途端、足を強調してみたりする。そして幼馴染に撫で回されて悲鳴を上げて悶えまくる、その繰り返し。 楽しそうだねぇ、と小は賑やかな声を聞きながら湯の中で足をゆらゆらさせ、無意識に小さく口笛を吹き鳴らす。あら、とアルーシュはその音に視線をめぐらせ、微笑んだ。 「お上手ですね。華やかと言うよりはじんわり深い香りで‥‥深くて鮮やかな緑も、目に楽しくて」 「‥‥ッ、その、別にそれで浮かれてたわけじゃ‥‥ッ」 「そう、ですか? でも、あちらにも‥‥」 何故か恥ずかしそうに真っ赤になって否定し始めた小に首を傾げ、ほら、とアルーシュが指をさした先には、菖蒲の葉を持ってペシリ、ピシリ、と湯を切るように動かしている周十が居る。その傍らにはそっと支岐が寄り添って、本当に菖蒲がお湯に浮いているのを不思議そうに見つめていて。 周十にとって、かつては菖蒲湯の香りは嫌なものでしかなかったけれど、今は不思議とのんびり出来る。まして支岐が持ってきたお茶と団子を食べながらだから、まるで物見遊山のようだ。 「足湯ってのは初めてなんだが、どうせなら全身浸かりてェ所だぜ」 「私も、そう‥‥でも、その場合は混浴ですか」 呟いた周十の言葉に真面目に頷いて、自身がかなり大胆な発言をした事に気付いているのか支岐は柔らかく微笑む。良いわね、と何だか寂しそうに呟いた万理が殊更、冷えないように肩からかけた布を掻き合せたのも気付いていないようだ。 聞こえていた厳靖も、ニヤリ、と笑って猪口を煽った。 「おまえはどうだった。楽しめたのか?」 「ええ。我も役に立てましたし‥‥こうして、厳靖さんと飲み交わすのも楽しみでしたから」 「俺も楽しみだったけどな‥‥千羽夜のつまみも」 ネオの言葉に、恭冶も猪口を口に運びながら傍らの盆に載った器を見る。千羽夜が持ってきたつまみは、温泉卵の梅醤油かけ。とろりとした卵と酸味の利いた醤油が妙に合って、すっきりとした気分になる。 その千羽夜は疲れたのか、うつらうつらと舟を漕ぐ内に恭冶の方にことんともたれて本格的に寝入ってしまった。掃除ももちろん、その後の大騒ぎのせいもあるのだろう。ちなみに最後、ずぶ濡れになった恭冶と厳靖が足湯場の外でじっくり、何らかの話し合いをしたようだが詳細は不明。 やっぱりお隣に座れば良かったかな、と柚李葉は頬を染めてチラリと千羽夜の方を見た。羽郁と足湯を楽しむに当たって、正面に座るか隣に座るか真剣に悩んだ挙句、正面の方が気兼ねなく顔を見れて良いかな、と思ったのだけれど。 どうやら羽郁も、同じ事を思ったようだ。けれども今さら隣に座り直すのも気恥ずかしい。 「それで、どこまで話したっけ? そうそう、俺の実家の風呂の話だっけ」 「うん‥‥あの、もっと沢山お話、聞かせてください、ね」 羽郁が持参した冷たいお茶を掌に持ち、柚李葉は小さくうなずき続きをねだる。里の話や、家族の話。他にも知らないことや、知っていることを飽きる程に沢山聞かせて欲しいのだと。 頷き、再び羽郁は話し出した。菖蒲の湯の豊かな香りがとても心地よく感じられた。 |