【夢夜】月精霊の遊ぶ夜
マスター名:蓮華・水無月
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 易しい
参加人数: 31人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/08/19 21:32



■オープニング本文

 さてその日、旅の魔法使いを名乗る月精霊アルテイラの少女マリン・マリンは困っていた。恐らくは月精霊の中でも格段に悩み事が少ないと思われる彼女が、うーん、と眉を潜めて腕を組んで、見るからに困っているのは実は、割と珍しい事態だ。
 ほぅ、とマリンは小さな小さなため息を吐き、そっと頬に手を当てる。

「‥‥皓月(こうげつ)、どこに行っちゃったんでしょう?」

 そうして、ちょっと聞いただけではあまり困っていないように見えるが、本人なりに大層困った様子で呟いたのは、マリンが旅の相棒と頼む白亜の魔杖の名前。『いつでもどこでも』月道を繋ぐ事の出来る、強力なムーンロードの魔法を秘めた大切なマジックアイテムだ。
 本来ならマリンと皓月は常に一緒に居るのだが、見渡す限り、どこにも相棒の姿は見えなかった。どうやらどこかで落っことしたらしい、と記憶を真剣に辿ってみるが、どうにも、どこで落っことしてきたものか思い当たらない。

「うーん‥‥ここに来るまで一緒だったのは、確かなんですけれど‥‥そもそも、ここもどこなんでしょう、ね?」

 あくまでのんびりと呟いて見回した辺りの景色は、マリンが知る限り初めて見る光景だ。空には時たま、不思議な形をした船が飛んでいて、行き過ぎる人達は強いて言えばジャパンの衣装に似た、でも見た事のない服を着ている。辺りの雑踏からたまに聞こえてくる地名は、いずれも聞いた事のないものばかり。
 こうしては居られないと、マリンはひとまず、その辺にいる相手に声をかける。

「すみません。ここは何という街ですか?」
「‥‥神楽、だが。あんた、旅人か?」

 尋ねたマリンに、尋ねられた通りすがりの無愛想サムライ神立静瑠は、不思議そうな眼差しを向けた。容貌と言い、身につけている服と言い、恐らくは天儀人ではなくジルベリア人であろうと思われたが、それにしたって神楽の都と知らずにやって来るというのは、随分と珍しい心地がする。
 だが、静瑠の言葉に「うーん、どうなんでしょう?」とマリンはこっくり首を傾げた。それからきょろきょろ辺りを見回して、カグラって言うんですね、と目を輝かせる。
 ますます不思議に思って、静瑠は問いを重ねた。

「旅人じゃないのか? 迷ったのか」
「ふふ、そうかも知れません。実は旅の相棒が居なくなっちゃって‥‥皓月って言う、この位の真っ白な杖なんですけれど」

 そう、マリンが手で示した杖はちょうど背の丈くらいの、かなり大きなものだった。だが何より、杖を相棒と呼ぶなんてかなり変わった少女だなと、失礼だが素直な感想を抱く。
 そんな感想を抱かれているとは露知らず、マリンはまた辺りをきょろ、と見回した。
 そもそもマリンは『ちょっとエクリプスドラゴンとお喋り』した後、『ちょっとイギリスまでお茶を飲みに』行って、その帰りに『ちょっと仲良しのお友達の所に遊びに』行こうとしたのだ。それが気付いたらこんな場所に居るのだから、相棒が居ないのは困ったことだけれど、わくわくしてくるのは事実で。
 マリンは人間が好きで、賑やかな人間の営みが好きだ。もしかしたら皓月もそれに惹かれて、こんな不思議なところに月道を繋いでしまったのかも知れない。
 そう思ったら、ここは一体どんな所なんだろうと、歩き回ってみたくてたまらなくなってきた。よく耳を澄ませば遠くから笛の音が聞こえる。彼女の知る、祭囃子に似ているようだ。
 ひょい、と傍らでなんだか困ったように立ち尽くす静瑠を振り仰いだ。

「お祭、やってるんですか?」
「あ? あぁ‥‥郊外の方で夏祭りをやってる、って言ってたか」
「ホントですか! 私、行ってみたいです!」

 静瑠の言葉にマリンは目を輝かせて主張した。幾つもの人間の営みの中でも、お祭というのはことに賑やかで、和やかで、心がうきうきするものだ。
 当然連れていってくれますよね? と言わんばかりの少女の眼差しを、静瑠はますます困ったように見下ろした。本当に迷子だったら見捨てていけないが、その割に本人に随分と危機感がないと言うか。
 むぅ、と唸って少し考え込んで、静瑠は諦めたように尋ねる。

「旅の相棒、とやらは良いのか?」
「うーん、居ないと帰れなくて困っちゃうし、ほっといたらちょっと大変だったりもするんですけれど‥‥皓月もきっと、賑やかなのが大好きだから、お祭に行ってると思うんです。だからきっと大丈夫、です♪」

 明らかに大丈夫じゃなさそうなことをきっぱり言い切って、じゃあ行きましょう、とマリンは弾む足取りで歩きだした。もうすでに、相手がついてくるのは確定と言った風情だ。
 やれやれ、と静瑠は大きなため息を吐き、そんなマリンの後をついて歩き始める。そうして、どうか相棒の杖とやらが本当に祭に居れば良いんだがと、心から願ったのだった。





※このシナリオはミッドナイトサマーシナリオです。実際のWTRPGの世界観に一切関係はありません


■参加者一覧
/ 鴇ノ宮 風葉(ia0799) / 玖堂 柚李葉(ia0859) / 玖堂 羽郁(ia0862) / 氷(ia1083) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 巴 渓(ia1334) / 平野 譲治(ia5226) / 倉城 紬(ia5229) / 黎阿(ia5303) / 菊池 志郎(ia5584) / からす(ia6525) / 和奏(ia8807) / リエット・ネーヴ(ia8814) / 劫光(ia9510) / 霧先 時雨(ia9845) / 尾花 紫乃(ia9951) / レイラン(ia9966) / ユリア・ソル(ia9996) / フラウ・ノート(ib0009) / ヘスティア・V・D(ib0161) / 琥龍 蒼羅(ib0214) / アイリス・M・エゴロフ(ib0247) / 十野間 月与(ib0343) / ニクス・ソル(ib0444) / 燕 一華(ib0718) / 尾花 朔(ib1268) / ケロリーナ(ib2037) / ライディン・L・C(ib3557) / 雷炎(ib3879) / tubai(ib3892) / 田宮 倫太郎(ib3907


■リプレイ本文

 おや、とからす(ia6525)は軽く眉を上げた。眼差しを向けた先では酔客が、缶ビールを手に千鳥足で歩いている。その一方で聞こえてくるのは天儀の演舞の囃し声か。
 これは楽しめそうだと化猫の面を深く被り、黒と紅の浴衣の裾をひらりと翻して歩き始めたからすの背を追うように、燕 一華(ib0718)の声がさらに高く夜空に響く。

「元・雑技衆『燕』が一の華の演舞、とくとご覧くださいッ♪」

 その囃し声に、そこらでたむろしていたり、行き過ぎかけた祭客が、おやなんだろうと足を止めて不思議そうな眼差しを向けた。それににっこり微笑んで、一華がぴしりと構えたのは薙刀だ。
 ぐるり、取り囲んだ祭客の注視を浴びて、けれども一華は慣れた様子で動き始めた。勇壮に、繊細に薙刀を振り回し、振り上げ、降り下ろす。
 雑技らしい見せ場も織り込みながらの演舞に、ほぅ、と面白そうな声があちらこちらから漏れた。その中にはきらきら目を輝かせている和奏(ia8807)もいて。

「夏のお祭りはまた、違った趣があるのですね‥‥」

 昔からあまり外出した事のない和奏にとっては、ごく当たり前の夏祭でも初めての事が多くて物珍しい。お祭りごとに作法が違ってはいけないと、以前に参加した春のお祭りと違う部分を下調べもしてきたのだ。
 けれどもそこに祭があって、楽しませようとする人が居て、楽しんでいる人が居る事は変わらない。ただ寄り集まって騒ぐ祭となればなおさらだ。
 そんな夜にはご近所の野良猫達だって浮かれたくなるもの。まるで集会のように集まり、転がったり、毛繕いしたり、ひくひく鼻を動かして目を細めている猫達の中で、レイラン(ia9966)は1匹の猫を前にむむ、と眉を寄せていた。

「ボス猫さん、何か気になるの?」

 うに、と首を傾げたレイランにせわしなく髭を動かすボス猫。1人と1匹はじっ、と顔を見合わせる。

「うに‥‥それじゃ皆で遊びながら探してみよっか?」
「んなぁ!」

 やがて提案したレイランに、ボス猫は力強く鳴き声を上げた。周りでたむろしていた猫達が尻尾をのんびりはためかせる。
 そうしてボス猫とレイランを先頭に、賑わう祭屋台に向かって駆け出した猫の群に行き合って、あら、と黎阿(ia5303)が目を丸くした。

「珍しい事もあるわね。猫が群で移動するなんて‥‥」

 とはいえ賑やかな祭の空気の中では、そんな事もあるかもしれない。ただそこに居るだけで何とはなしに気分が高揚してくるのが、祭の不思議な所だ。
 んー、と黎阿はそんな空気を胸一杯に吸い込むように大きく伸びをしながら深呼吸した。

「祭りはやっぱりいいわね。この活気はとても好き」

 ね、と振り返ったのは義理の妹の鴇ノ宮 風葉(ia0799)。今日は大好きな妹達と一緒に祭の雰囲気を楽しもうと、ふらりとやってきたのだが。
 振り返った先には誰も居ない。元々、自分の心のままに動く気質のある風葉だから、ふらりとどこかに行ってしまったらしい。
 はぁ、と黎阿は大きなため息を吐き。

「まったくじっとしてられないんだから‥‥探しに行くわよ、紬‥‥?」

 反対側に居たもう1人の義妹・倉城 紬(ia5229)を振り返ったが、彼女の姿もどこにもない。あらら、とさすがに軽く目を見開く。

「全く、2人揃って‥‥どちらから探せば良いのかしらね?」

 ――ちなみに黎阿がはぐれた訳じゃないという事は、後で義妹達に念押ししておこう。





 その頃、紬は失せ物探しをしている男女にぺこりと頭を下げていた。

「初めまして、倉城です。よろしくお願いしますね」
「マリンねー、静瑠にー、紬が加わったからにはもう安心なんだじぇー♪」

 その隣に居るのは、ハイテンションに拳を突き上げて請け合うリエット・ネーヴ(ia8814)。マリンは「あら」と嬉しそうに手を合わせた。

「ふふ、何をして遊びましょうか?」
「‥‥杖は?」

 すでに目的を見失っているマリンにつっこむ静瑠。リエットが彼らに出会ってからも何度か、同じやりとりがあったりして。
 月精霊の少女は「あらそういえば」とぽむと手を叩いた。そうしてリエットと紬を振り返る。

「それじゃ、皓月を探すの手伝ってくれますか?」
(‥‥不思議な方ですね)

 そう思いながら、はい、と紬は愛想良く頷いた。そうして一体どんな物を探せば良いのか、詳しく教えて欲しいと頼む。
 そしてマリンが杖の大きさから説明し始めたのを、ほっと見ていた静瑠に、あ、とかけられる声があった。

「静瑠さん。お元気そうで良かったです」
「あぁ、あんたも」

 振り返った静瑠にぺこりと頭を下げたのは佐伯 柚李葉(ia0859)だ。紺の浴衣には跳ねる兎が描かれていて、ぽっかり浮かぶ月を見上げる意匠。
 柚李葉はちらりとマリンの方を見て、彼女さんですか? と静瑠に視線を戻した。それに渋い顔で首を振り、実は杖を探していて、と手短に事情を説明する。
 そうなんですね、と頷いたら少女の視線が不意にこちらを向いた。それにぺこりと頭を下げて、気に掛けておきますねと手を振って。

「良いのか、柚李葉ちゃん? 捜すのなら手伝うよ」
「ううん‥‥今日は、羽郁‥‥さんと縁日を見たくて」

 心配そうに覗き込んできた玖堂 羽郁(ia0862)に、ふる、と笑って首を振った。それに嬉しそうな笑みを浮かべて、そっか、と羽郁は柚李葉の手を取り歩き出す。
 彼の浴衣は黒地に銀の下がり藤。カラコロ下駄を鳴らして歩けばゆらゆら結い上げた髪が揺れる、そんな様子をちらりと見たりしながら、夜店の立ち並ぶ辺りへと足を向け。
 賑わう屋台はあちらこちら、賑やかで華やかな明かりを灯している。それはいつも通りの光景、のようにも見えるのに。

「何か、いつもと違うような‥‥?」

 菊池 志郎(ia5584)はこくりと首を傾げてきょろきょろ辺りを見回した。ゴウン、ゴウンと大きな音を立てて回るのは何だろう?
 志郎はその前に立って箸を回す屋台のおやじに声をかける。

「あの‥‥それは何ですか?」
「あ? 綿飴さ、ばってりーって奴で動いて居るらしい」

 ほれ、と出来立ての綿飴とやらを当然のように渡されて、はぁ、と志郎は首を傾げながらはむついた。ふぅわり甘い味がする。
 それから、糸になった砂糖が綿飴になる様子をじっと観察し始めた志郎から少し離れた所でも、ふわぁ、と面白そうに目を輝かせている少女がいた。

「ここはどこかしら? でもお祭りたのしそうですの〜♪」
「ワクワクしますね!」

 ケロリーナ(ib2037)の言葉に大きくこっくり頷いたのは、同じく目を輝かせて屋台を見つめ始めたマリンだった。手に持っているのはよく冷えた缶ジュース。
 あらぁ、とケロリーナは服の裾をちょこんとつまみ、優雅にふぅわり挨拶した。

「はじめましてですの〜♪ お姉さまも『らぶ』を探しに来られたんですの〜?」
「私は旅の相棒を捜してるんです」

 にっこり笑ったマリンの後ろには、屋台の人に話を聞いて回っている紬と、ジュースの代金を払う静瑠が居る。どうやらマリンは余り現金は持ってないらしく、彼女のお財布と化している静瑠が戻ってきて、ケロリーナを見てぺこりと頭を下げた。そうして『旅の相棒』の杖を探している事を説明する。
 そうですの〜、とケロリーナはふぅわり頷いた。

「ではけろりーなもお手伝いいたしますの〜。マリンおねえさまの旅のお話も聞いてみたいですの〜♪」
「捜し物なりかッ!? なら手伝うなりよッ!」
「あぁ、そうだな‥‥別に何か予定があるわけじゃないし」

 話を小耳に挟んだ平野 譲治(ia5226)がビシィッ! と立候補した。偶然出会って一緒に回っていた劫光(ia9510)も頷く。
 だがふと、不思議そうにマリンを見て首を傾げた。

「‥‥? 何か?」
「いや‥‥見覚えがある気がしたんだが。それより、何を探せば良いんだ?」
「はッ、そうなりよッ! マリンッ! マリンッ! 杖ってどんななりッ!?」

 ふる、と首を振って劫光がそう言ったのに、慌てて譲治もマリンの名を呼んだ。「このぐらいの」と身振りを踏まえて説明するマリンに頷く。
 そうして当然のように劫光の手を引いて確信を持った足取りで歩き始めた少年に、手を引かれた劫光は「おい」と声をかけた。

「心当たりがあるのか?」
「きっと誰かがどこかに届けてくれてるなりよねツ! だから屋台全制覇を目指し‥‥じゃなくてッ、屋台で聞き込みながら杖を探すなりッ!」
「いや、どう考えても屋台が目当てだろうそれッ!?」

 賑やかに歩いていく譲治と劫光の、会話をちらりと耳に留めて礼野 真夢紀(ia1144)と明王院 月与(ib0343)はかき氷を作る手を止め、顔を見合わせた。

「聞いた? まゆちゃん」
「ええ。困っている人が居るみたいですの」

 ね、うん、と頷き再び手を動かして、祭客にかき氷を売り、次々にかき氷を作りながら、見渡すばかりの人混みを眺めやる。ただでさえ人に溢れた祭の中でたった1つの物を探すのは、ずいぶん大変だろう。
 だよね、ですの、とまた頷き合った。

「じゃあまゆちゃん、あたい、ちょっと行ってくるから」
「まゆはお客様に杖を見なかったか聞いてみますの」

 先日ようやく手に入れた、待望のかき氷機の試運転がてらのかき氷屋は、客になかなか好評だ。紫蘇ジュースや甘酒、葡萄酒、そして夏蜜柑や西瓜、桃の果汁でかき氷のシロップを作ったり、かき氷の上に乗せるのにと白玉やミニ餡餅、あんみつを作ってきた甲斐があったというもの。
 じゃあ行ってくるねッ! と駆け出した月与を見送って、真夢紀も客に小皿に出したシロップの説明をしながら、白い杖を見なかったか尋ね始める。
 そうしてじわじわと捜索の輪が広まりつつある中で、霧先 時雨(ia9845)もまたふらふら歩き回るマリンと静瑠に遭遇していた。
 事情を聞いた彼女はひょいと首を傾げる。

「ふうん、杖を探してる? ‥‥そんな大きい杖、どうやったら無くすのかしら。っていうか、何処かで会ったかしらね‥‥?」
「よく似た名前の知り合いは居ますよ。ふふ、素敵な偶然ですね!」
「‥‥ま、良いわ」

 何となく引っかかる物を感じながら、時雨はひょいと肩をすくめた。どこかで会った事があるとしても、覚えてないのなら仕方ない。
 それよりも彼女が大事なのは、今日も一緒に夏祭にやってきた昔馴染み達の事で。「もし杖を見つけられたらこっちの方も手伝って貰えるかしらね、マリン?」と尋ねたら、相手はにっこり微笑んだ。
 じゃあねと手を振って別れた所で、あら、と背後から声を掛けられる。

「霧ちゃん、知り合い?」
「探し物してるんですって」
「へぇ‥‥それより霧ちゃん、もう少しおしゃれしたら良いのに、可愛いんだから」

 そう言ったユリア・ヴァル(ia9996)に、小さな小さなため息。時雨が重要なのはとにかく、この幼馴染に想いを寄せている幼馴染や、さらに別の片想い中な幼馴染同士をどうにか、良い雰囲気にしてやりたいものだ、という事だった。
 が、そんなユリアに想いを寄せている所の幼馴染ニクス(ib0444)はと言えば、ユリアの纏う赤地に紫陽花柄の咲く浴衣を目を細めて見つめるばかり。傍らのイリス(ib0247)の方が逆に、にこにこしつつもチラリ、と兄のように慕うニクスとユリアを見比べている始末。
 それにしても、と2人から目を離してイリスは辺りをきょろきょろ見回す。

「随分人が多いですね」
「だな。それに、こんだけ幼馴染みが集まるのって珍しいぜ」
「故郷以来じゃないの?」

 ユリアも居るしなッ、と全力で抱きつきながら、ヘスティア・ヴォルフ(ib0161)が楽しそうに頷いた。幼馴染の何人かと一緒になる事はあるけれども、これほど集まるのはフラウ・ノート(ib0009)の言う通り、彼女達が故郷を出て以来の事。
 そういう意味でも気持ちが浮き立つのが抑えられず、そわそわ辺りを見回したり、せわしなく動いたりしながら幼馴染達の後を追うフラウを、泉宮 紫乃(ia9951)がにこにこと見つめた。涼しげな朝顔の浴衣を清楚に纏い、きりっと髪も結い上げた紫乃の視線に、気付いたフラウが顔を赤くしてわたわた慌て出すのが可愛らしく、誰ともなくクスクス笑いが零れる。
 「そうだわ」とユリアが手を叩いた。

「紫ちゃん、朔君に手を握って貰いなさいね♪ はぐれても大丈夫なようによ?」
「そうね、それが良いわね」
「あぁ‥‥そうですね、ユリアさん、時雨さん‥‥紫乃さん、お手をどうぞ」

 女性2人の言葉を受けて、気付いた尾花朔(ib1268)がすっと紫乃の前に手を差し出した。その手に、ぽっと頬を赤らめ恥ずかしそうにしながら紫乃は自分の手を乗せる。
 乗せられた手を握りながら、朔はチラリと義姉のイリスの方を見た。恐らく暴走するだろう義姉を心配していたのだけれども、彼女は今日はニクスと一緒に居るようだ。
 ならあちらに任せましょうと、もう1人の『心配な相手』を振り返る。振り返り、空いているもう片方の手を伸ばす。

「フラウさんもどうですか?」
「えッ!? う、うん、そうねッ!」
「懐かしいですよね、昔みたいです、フラウさんと紫乃さんに手をひかれてたのは」

 同じく真っ赤になって伸ばされた手を取ったフラウと、紫乃を交互に振り返って呟く朔。そうして「今日は楽しみましょう」と顔を覗き込むように告げた言葉に、2人の少女はそれぞれにこくこくと頷いて。

「よしっ、取り合えず遊ぶぜッ!」
「浴衣に似合う簪が出店にあると嬉しいわね♪」
「じゃあまずそれ探すか! 良いよな?」
「構いませんわ。これほどの人を見ると、ちょっと唄いたくなりますけれども‥‥」
「行きましょうか、紫乃さん、フラウさん。新しい料理もあるかもしれませんよ?」
「料理!?」
「あ、あの‥‥ユリアさんも手、繋ぎませんか‥‥?」
「手だけで良いの? そうそう、フーちゃんとイーちゃんは食べ物をわけっこしましょうね♪」
「はい♪ 兄さま、行きましょう」
「そうだね、イリス」

 口々に喋ったり、歩いたり、抱きついたりしながら、幼馴染たちは賑やかに移動し始めた。‥‥が、もう1人の幼馴染レイランが追いついてきてさらに賑やかになるのは、まだ後少し先の事である。





 ふらり、と屋台の海を泳ぐように歩いていた氷(ia1083)はふと、見知らぬ少女と一緒に歩く知人の姿を見かけてひらりと手を振った。

「お? 静瑠君もスミにおけないねぇ」
「‥‥いや」

 なぜそうなる、と無愛想な面の下で真剣に苦悩しながら説明する静瑠である。そう言う所がからかいがいがあるとは、氷だって思ってない。
 そんな静瑠の説明を聞いた氷は「そっか」とのんびり頷いた。ふわぁ、と小さくあくびして。

「そりゃ大変だ‥‥ところで静瑠君、なんか奢ってくれない?」

 キリッ、と真剣な顔になって両手を合わせ、拝み始めた氷を見て、マリンも「焼き鳥食べたいです♪」と主張する。がくっ、と肩を落として焼き鳥屋の屋台に向かう静瑠の背中を見送りつつ、ところで、と氷はマリンを見下ろした。

「カリンちゃんっていったっけ? その探し物の特長とかある?」
「ふふ♪ 皓月はこの位の大きさの杖で‥‥」
「へぇ」
「賑やかなのが大好きで、ちょっといたずらっ子なんです♪」
「ほぅ‥‥」

 それは本当に杖なのか。
 まぁどうでもいっか、とまた大あくびしながら頷く氷である。両手に焼き鳥を持って戻ってきた静瑠からしっかり自分の分を受け取り、じゃぁまぁ探してみるかね、とひらりと手を振って2人に背を向けた氷とすれ違いざま、目礼だけを返して琥龍 蒼羅(ib0214)はきょろ、と視線をさまよわせた。
 祭と言えば酔客や若者同士のトラブルがつき物だ。だから見回りがてら祭の中を歩き回っているうちに、出会った知り合いに失せ物をした人が居ると聞き、ついでに探して回っているのだけれど。

「ふむ‥‥次はここらにするか」

 呟き、セレナードリュートを取り出す。適当な所で出し物代わりにリュートを演奏し、集まった人を相手に杖の落とし物を見かけなかったかと尋ねているのだ。
 ぽろん、と弦を弾いて曲を紡ぎ始めた蒼羅に、気付いた祭客がちらほらと足を止める。そうして集まった人々に囲まれて蒼羅が紡ぐ曲は、少し離れた所で屋台を開くライディン・L・C(ib3557)の耳にも届いて居て。

「おぉッ、風流だねぇ。こっちもますます張り切っていきますかッ!」

 両手にビシリとヘラを構えて、ジャンッ、と油の音も香ばしく鉄板の上のパスタをかき混ぜる。味付けは醤油や砂糖、魚介の出汁、塩などで整え、葱等で風味をつけた焼きそば風パスタ。ちょっと焦げた香ばしい匂いがいかにも食欲をそそる。
 この頃はあまり料理を作っていなかったし、そもそも天儀で暮らしているのに天儀料理のレパートリーが少ないのはいかにも寂しい。ゆえにライディンはジルベリア料理を天儀風にアレンジしつつ、先のパスタやイカをにんにくと唐辛子、バジルで串焼きにしたぺペロンチーノ風イカ焼きなど、珍しい食べ物の屋台を出しているのである。

「酒もあるよ、買っていくかい?」
「をぉ、そりゃ助かるねぇ」

 そんな会話を楽しみながらヘラを動かす、ライディンの屋台とは逆の方向から歩いてきたケロリーナは、あら良い匂いですの〜、と目を輝かせた。だがすぐにマリンの姿を見つけ、たたたッと足音軽く駆け寄る。
 一旦別れてこの辺りをくるりと回ってきた彼女は、マリンにぴょん、と抱きついた。

「マリンおねえさま! あちらには皓月はありませんでしたの〜」
「‥‥マリン? おい、久しぶりだな」
「あら‥‥? 初めまして、ですよね?」

 ケロリーナの言葉を耳に留め、祭客を掻き分けて近寄ってきた巴 渓(ia1334)の姿を見やって、きょとん、とマリンは小首をかしげた。

「いや‥‥? そうだったか?」
「ふふっ、知り合いに同じ名前の方が居るんですよ、偶然ですね♪」

 にっこり笑って、霧先さんといいカグラは面白い所ですね、と頷くマリンである。その反応に、渓も何か勘違いしたらしいと思ったようだ。彼女が杖を探している事を聞き、「じゃあ俺も探して見るか」と手を上げて去っていく。
 田宮 倫太郎(ib3907)もまた、辺りで杖を持つ人間が居ないか注意を払っていた。格好自体は身軽だけれども、何かあった時のために刀だけはしっかり腰に差している。
 そうして時折足を止め、それらしい杖を持っている人物を見かけると声をかけた。

「君、その杖をちょっと見せてくれないか」
「あぁ、どうぞ」
「ふむ‥‥ありがとう。ちなみに舶来の白杖は見なかったかい?」
「あまり良く覚えてないな」
「判った、協力感謝する」

 相手に頷くなり次の聞き込み相手を探してだだだッ、と走り出す倫太郎に、首を傾げながらまた歩き出した男は少し行った先の休憩所で、ふぅやれやれ、と腰を下ろした。気付いた一華が寄ってくる。

「西瓜をどうぞッ。曲芸切りもやってますから見て行ってください♪」
「へぇ」
「この良き祭りの日に出会えたのも何かの縁。皆さんの心にひっそりと咲くひと華となれば嬉しいですッ♪」

 そう言って男に西瓜を一切れ渡した一華は、再び薙刀を構えてじっと西瓜を睨み据える。そうしてえいやと振り下ろせば、見事西瓜はぱかりと8つに割れる。
 おぉッ、と譲治が傍らの劫光の着物の裾を引っ張った。

「劫光ッ! すごいなりッ!」
「お、確かにすごいな‥‥って、さっきから寄り道してばっかな気が」
「ちゃんと聞き込みして回ったなりよッ!」

 胸を張って力説する譲治に、そうだっけ? とここに至るまでの経緯を思わず振り返る劫光だ。「おっちゃんッ! こういうの見なかったなりかッ!? あとたこ焼き1つ!」とか、「おっちゃんッ! こういうの見なかったなりかッ!? あとくじ引き1回!」とか、明らかに後者の用事の方が大事そうだった気が‥‥
 まぁそれでも聞いていた事には変わりない、と劫光は苦笑する。そうして次はどの屋台に聞き込もうかと、辺りを見回したら屋台の前に並べられたビニールプールをつんつんしている志郎が目に入った。

「弾力がある‥‥この中には何が入っているのですか?」
「空気を吹き込むんだ。天界の不思議な技術でな」
「珍しいものがあるのですね‥‥」

 ビニールプールを突っつきながら、感心したように頷く志郎。よくよく見れば辺りには見慣れたものから見慣れないものまで、色々なものが溢れていて、数歩歩くたびに立ち止まってしまう。
 手には別の屋台で買った缶ジュース。開け方を教えてもらって、四苦八苦しながらプルトップを開けたもの。
 そんな風に珍しいものを見かけるたびに、柚李葉もまた「わぁ」と目を輝かせて足を止めた。ふわふわの綿飴に目を輝かせ、ひらりひらりと泳ぎ回る金魚すくいに目を細め。
 飴細工屋では、好きな細工を拵えてくれるという。

「じゃあ、私は浴衣と同じ兎さんで‥‥」
「俺はいっそのことハートマークで♪」

 しっかり手を繋いでそう言った羽郁と柚李葉に、飴細工屋の親父はニヤリと笑ってハートに乗った兎の細工を作ってくれた。受け取って顔を赤くした柚李葉に、にこにこ笑って羽郁は手を繋いだまま歩き出し。

「何かもったいないな、食べるの」
「うん‥‥そういえば、因幡の白兎を使うと出てきてくれる子に明音って名付けてみたの」
「へぇ。柚李葉ちゃんらしいなッ」

 じっ、と兎を見ながら言った柚李葉に、羽郁はハートの辺りをぺろりと舐めながら頷く。術の兎は本当は毎回違うが、それでも名前をつけてあげるのは、心優しい彼女らしい。
 また会わせてくれな、とぎゅっと握った手に力を込めて、また人ごみの中を歩き出した恋人達の姿を木の上から見下ろして、リエットはほえー、と息を吐いた。あちらこちらでこうして木に上ったり、ごろんごろんと転がりまわったり、祭りの空気に浮かれてはしゃぎ回っていたのだけれど。
 紬はどうしたかな、と見やればまだ、夜店を丁寧に聞いて回っている姿が見えた。聞かれたライディンが「んー」とヘラを忙しく動かしながら首を傾げる。

「何かなくなったらしいな〜、って言うのは聞いてたケド。お客さんにもついでに聞いてみるよッ」
「あの、ありがとうございます」
「なんの。それよりこれ、試食していかない?」
「ん? これ何?」

 すとん、と紬の隣に着地したリエットが反射的に受け取り、ほえ、と首を傾げる。覗き込んだ紬も袖で口元を押さえ、なんでしょう、と不思議顔だ。
 そんな2人に胸を張り、ライディンは高らかに宣言した。

「一番の自信作! 卵と牛乳を固めたお菓子にモヤシを刺した、我が家伝来! モヤシプリン!」
「モヤシ?」
「プリン?」

 ひげもしっかり見えているモヤシを見つめ、ライディンの言葉を繰り返す2人だ。略してMPね、と注釈を付け加えられて、曖昧に笑う。
 それが食べ物である限り、口にするのが礼儀だろう。しかも自信作とまで言われてはなおさらの事。
 それでも手を動かすまでに多大な苦労が必要だったのは、無理のない事だった。





 義妹達を探していた黎阿は「あら」と声を上げた。

「静瑠。久しぶりね、元気? って、あらぁ‥‥何よすみにおけないわね。お邪魔だったかしら?」
「‥‥あんたも元気そうで」
「‥‥‥‥何よ、ずいぶん暗いわね」

 静瑠が同じネタで弄られ続けてきた事を知らない黎阿は、返ってきた暗い反応にちょっと身を引いた。だがすぐに、マリンににっこり挨拶する。
 それからふと、思いついて尋ねた。

「義妹を探してるんだけど見なかった? 2人居て、1人は前にも会った事あるんだけど‥‥」
「あぁ‥‥それなら会ったな。もう1人は見かけてない」
「そ、ありがと。そっちは‥‥失せ物探し? 居なくなる子が多いのね、祭だからかしら‥‥」

 黎阿はやれやれと首を振り、ついでに見ておくわと告げた。そうして「じゃあ頑張ってね」とくすくす笑って手を振りながら去っていく様を、パシャリ、と神社の屋根の上からデジカメで撮るからすである。

「うむ、良い構図だ‥‥なかなかに楽しい事になっているね」
「優雅だな」

 呟いき茶をすすったからすを見上げて、蒼羅が小さな息を吐いた。ん、と見下ろした彼女に途中の屋台で手に入れた屋台菓子を掲げて、身軽にひょい、と登ってくる。
 そうして屋台の群れを見下ろし、なるほど、と頷いた。

「ここで茶を飲めば気持ち良さそうだ‥‥そうそう、MPとやらを貰って来たんだが、食べるか?」
「祭だからな。こんな夜も不思議ではない‥‥蒼羅殿は食べたのか?」

 じっ、とMPを見つめながら一緒に茶をすすり始めた神社の境内では、人いきれに疲れた和奏が紫蘇ジュースのカキ氷を食べながら、小休止をしている所。

「思えば1年中お祭があるのですねぇ‥‥」

 雪の祭に桜の祭、夏の祭に秋には収穫の祭‥‥随分と祭があるのだと今更しみじみ思いながら、しゃく、と氷をまた口に運ぶ。
 キーン、と頭が痛くなるのも面白く、しゃく、しゃく、と少しずつ氷を口に運んでは、祭の屋台を1つ1つ思い返してほっこりして。

「そう言えば、探し物は見つかったのでしょうか‥‥?」
「んー、まだみたいだよ? あたい達も探してるんだ。ね?」
「ああ」

 通りがかった月与が、耳に届いた和奏の言葉に首を振って倫太郎を振り返った。ひょい、と肩をすくめた倫太郎がこっくり頷く。
 月与がきょろきょろと辺りを見回していたら、偶然、酔客の1人と荒事になりかけていた倫太郎を見かけたのだ。話を聞こうと声をかけた相手が酔いでちょっと気が大きくなっていて、「どうして答えなきゃいけないんだよ?」「隠し立てするとは、怪しい奴」「あン? 失礼な!」と一触即発になってしまい。
 刀を抜くか抜かないか、という直前で月与が割って入り、以降、ずっと一緒に失せ物探しをしているのだった。なるほど、と頷いた和奏がふと、月与の姿に目を留める。

「さらしに祭り法被‥‥夏祭りの衣装ですね。初めて見ます」
「あぁ、これ? 粋でしょ」
「‥‥多少、目のやり場には困るが」

 ふふっ、と笑った月与からそっと目を逸らす倫太郎。さらしでしっかり抑えてあるとは言え、女性らしい体型は完全に隠せるものではない。すらりと伸びた足にピタリと張りつく短い股引も、何だか妙に色っぽく。
 微妙な困り顔になっている倫太郎を、きょとんと和奏は見上げた。月与も気付かない振りで、それにしてもどこにあるんだろうねー、と境内から見渡せる祭の屋台を眺めやる。
 そのうちの1つの店先で、うわぁ、と紫乃はほっこり頬を緩ませた。

「ユリアさん、ユリアさん。わたがし、一緒に食べませんか?」
「んー、紫ちゃん、つんつん袖引っ張っちゃって可愛い♪ 愛してるわよー♪」
「お、俺も! 愛してるぜ♪」

 誘われたユリアとそれを聞きつけたヘスティア、両方からぎゅむりとはぎゅられて、紫乃は照れた様子でえへへと笑う。くす、と笑った朔が「そうそう」とフラウを振り返った。

「フラウさん、あちらにもとんぺい焼きなるものが‥‥」
「ほんと? 行きましょ! 紫乃んはどうする?」
「あ、私も行きます‥‥あの、ユリアさん、後でみんなで食べましょうね?」
「えぇ。デザートもまだ制覇してないものねぇ♪」

 くすくす笑いながらひらりと手を振ってユリアは3人を見送った。それからふと視線を感じ、微笑んでこちらを見ているニクスにビシリ、と指を突きつける。
 キッ、と真面目な顔を作ってはいるけれども、目の奥はやっぱり笑っていて。

「ニクスは射的で一等を取ってくるように! 頑張りなさい、最年長」
「やってみようか」

 ニクスはこくりと頷き、射的の屋台へと歩き寄った。昔も射的をやったりして、こういうのは得意な方だ。けれどもちょっと久しぶりだし、何より取れなかったらお姫様に文句を言われそうで。
 だがそんな緊張感も面白い、と弓を受け取ったら、へぇ〜、と隣に立つ影があった。

「ニクス、勝負しようぜ!」
「良いね」
「よっし! おじさん、こっちも弓くれ!」
「ほいよ、まいどあり」

 受け取った弓の具合を確かめ、わざと緩めてある弦をビヨン、ビヨンと弾く。弾き、真剣な眼差しで商品を見据えているニクスの耳元に、ニヤリと笑って顔を寄せる。

「なぁ、ニクス‥‥ユリアの‥‥‥」
「‥‥‥ッ!?」
「‥‥スーちゃん、何を言ったの?」
「べっつに〜♪ それよりユリアー、一等取ったぜ! 惚れ直すだろ? 俺のこと♪」

 途端、動揺してあらぬ方へと矢を飛ばしたニクスと、ガッツポーズのヘスティアを見比べたユリアに、ヘスティアはぎゅむりと力強く抱きついた。頬に大きな音を立ててキスをして、ニヤリとニクスを振り返り「ふっ、甘ぇぜニクス!」と勝利宣言だ。
 はは、とニクスが嘆息しながら外れた弓を親父に返した。とんぺい焼きを買って戻ってきた紫乃達が、事情が良く判らないまま、ぱちぱちと楽しそうに拍手している。
 そして、にっこり黒い笑顔でそんな幼馴染を見る娘が1人。

「ってイリス、今回は全面的にニクスが悪いからな?」
「本当ですの‥‥?」
「そう! 綿飴にリンゴ飴、かき氷も付けるから、許してくれないか?」
「ん、もぅ‥‥今回だけですわよ?」

 ちゅっ、とこめかみにキスをして謝る幼馴染に、イリスは渋々頷いた。全面的に悪い事になったニクスがますます、はは、と嘆息交じりの笑みを零す。
 やれやれ、と時雨がそんなニクスに耳打ちした。

「そんな調子でユリアを放っておくと他の男の所に行っちゃうわよ?」
「‥‥ッ、それは」

 ちょっと嫌だな、と心の中だけで呟くニクス。この頃あの幼馴染が、幼馴染以上に特別に見えているのは事実で。射的を頑張ったのもそんな想いがあるからで。
 迷いながらユリアの方へと近付く兄の姿に、イリスが気付いてヘスティアの腕を引っ張った。イリスとニクスを見比べたヘスティアが、良いのか? と確かめる。
 それにこくりと頷きイリスは微笑んだ。あの兄が『誰か』が気になっているのは彼女も知っている。

「2人きりにしてあげましょう。大事な兄さまですもの。思いはとげさせてあげたいです」
「そっか。イリスはホントニクスが好きだよな、俺妬いちゃう〜♪ ‥‥マジ妬けるぜ」

 ぼそ、と暗く呟いたヘスティアの眼差しが凄みを増した事など気付かぬまま、どう声をかけたものかと悩みつつ、ニクスはユリアの前に立った。どうしたの? と笑ったユリアに、何か言おうとして、口を閉ざして、また口を開き。

「ユリア。あの‥‥」
「わわわ‥‥ッ、ごめんなのッ!」
「ごふ‥‥ッ!?」

 だがニクスは最後まで告げる事が出来ぬまま、横からやって来た猫の大群に全力で体当たりされて揉みくちゃになった。反射的に避けたユリアが、その猫達の中に居るレイランを見つけてぽかん、と目を丸くする。

「レーちゃん、また猫の所に居たの? なんかボロボロね」
「うん。ボス猫さんたちと一緒に、色んな所を歩き回ってたの」
「‥‥焼け焦げが出来てて、びしょ濡れで、くもの巣がべったりついてるわよ?」
「ついでにニクスんが下敷きになってるんだけど‥‥」

 恐る恐る、と言った風情で横合いから声をかけるフラウと時雨に、あれ、とレイランは自分の下を見下ろして、べちゃりと潰れたニクスを発見した。それからひょいと、幼馴染達を順番に見回して。
 最後にじっとボス猫と視線を合わせ、こっくり頷いた。

「ごめんなさいなの。許して欲しいの」
「まずはニクス兄さまの上からどいてあげてくださいな」

 ぺこり、とニクスの上に座ったままお行儀よく頭を下げたレイランに、イリスがニクスの手を握りながら訴える。ごめんなの、と謝ってニクスの上から飛び降り、また猫と一緒に走り出したレイランの背中に、くす、と朔が笑みを零した。

「ユリアさんや姉も楽しそうですし、皆さんが居て幸せ、ですね。大切な、思い出、です」

 知らず目を細めた朔の手を、フラウと紫乃がぎゅっと握る。そしてそっと互いに目を合わせて、朔に「あっちの屋台も見に行こう」と声をかける。
 そんな射的の屋台の店先で、羽郁も「やってみるか」と親父から弓を受け取った。

「柚李葉ちゃんが欲しいのはあの置物だっけ?」
「うん‥‥ありがとう」

 通りすがり、つい「あれ可愛い」と呟き指差した柚李葉は、もしかしておねだりしちゃったかな、と今更ちょっと心配で。けれども明るい笑顔で「ちょっと待っててな」とぽふぽふ頭を叩いた羽郁は、何度か失敗した後に見事、欲しがっている置物を獲得した。
 柚李葉に置物を渡すと、ありがとう、とはにかむ笑みが浮かぶ。へへッ、とそれに笑顔を返して、辺りの雑踏に眼差しを向けて。

「俺の故郷も夏祭りがあるんだよな。こことは違うけれど」
「そうなの?」

 見上げてきた柚李葉に、うん、と頷き羽郁は思い起こすようにその様を語った。三日間篝火を絶やさず火の精霊を讃える祭の事。氏族の長が神楽舞を奉納する、そこでの父の舞が美しかった事。
 そんな事を話す羽郁に、頷きを返す柚李葉。彼女と、のんびり、ゆっくり絆を深められるように。まずは自分を知ってもらいたいと、思いつく限りの思い出を語る羽郁の手を、柚李葉もぎゅっと握り返す。
 賑やかな人ごみの中で、独りで居るのは寂しさが増すもので。ふと、マリンの杖は寂しくないのだろうかと思い、自分の隣に居てくれる羽郁を想う。

「ありがとう‥‥羽郁」

 ぽそりと小さく小さく呟いた言葉は、果たして彼の耳に届いただろうか。





 結論から言えば、皓月と呼ばれるマリンの相棒の白亜の魔杖は、西瓜割りの棒として使用されていた。

「マリンねー、これかな?」
「あ、そうです! 皓月、楽しそうですね♪」

 もしかして落し物として届けられていないだろうか、と思いついたリエットが運営の人に声を掛け、その人が西瓜割り会場で見たようなと記憶を辿ってくれて、無事に件の魔杖を発見した際の、月精霊の第一声がそれである。西瓜の汁にまみれた魔杖の心情を思い、静瑠はひくり、と口の端を引きつらせた。
 何はともあれ無事に見つかって良かったと、ほっと胸を撫で下ろした紬がふと夜空を見上げれば、夜目にも鮮やかに翻る緑色が1つ。

(‥‥風葉姉さま?)
「あー、思いっきり登っちゃってるわねぇ。アレ降ろすの大変よ」
「あ、黎阿姉さまも‥‥」

 きょとん、と首をかしげた紬をようやく見つけ、眼差しの先にもう1人の義妹を見つけた黎阿のぼやきももちろん聞こえず、少し離れた物見櫓で涼しい風を受けながら、地上を見下ろしていた風葉はほぅ、と小さく息を吐いた。
 特に誰かを待っているわけではない。まして肉や魚が食べられない彼女は、夜店を歩いても購入出来るものが少ないので、それらを持ち込んでいる訳でもない。
 物見櫓の手すりに頬杖を突き、だからポツリ、彼女は地上の賑やかな光を見下ろし呟いた。

「いつかこの世を、征服する。‥‥アタシは揺るがないッ」

 吹き抜ける風の爽やかさとは裏腹に、なかなか物騒な響きの誓いは、ただ風に浚われてどこへともなく消えていく。その行く先を追うわけでもなく、また地上を眺めてほぅ、と息を吐いた眼差しの先にあるカキ氷屋の軒先では、皓月が無事見つかったと聞いた真夢紀がほっと胸を撫で下ろしていた。

「それは良かったですの」
「はい! 大事な旅の相棒、ですから‥‥あ、カキ氷、1つ頂いて良いですか?」
「けろりーなも白玉たっぷりのカキ氷が頂きたいですの〜。そうですの、マリンおねえさま、後でおねえさまの恋のお話を聞かせてくださいですの♪」
「恋、ですか? ふふッ、人間の恋のお話を聞くのが私は好きです♪」
「ひゅーひゅーッ! 恋バナだじぇーッ♪」

 にっこり笑ったマリンの言葉に、テンションぶっちぎりでリエットがバタバタ手を振り上げる。それを見けた一華が、てててッ、とやってきて皆にぺこりと頭を下げた。

「リエット、お祭り、楽しまれてますかッ? 隣にいらっしゃる方──マリン姉ぇとは初めましてですねッ!」
「えぇ、よろしくお願いします♪ でも、そろそろ帰らないと皓月に怒られちゃう、かな?」
「‥‥? その杖が、ですか?」

 きょとん、と首をかしげた一華に、こくりと頷いて手の中の白亜の魔杖に「ね?」と声を掛ける。その答えは開拓者達には聞こえなかったけれども。
 そうか、と劫光が肩を竦めた。

「なら仕方ないよな。じゃあな、縁があったらまた会おうぜ」
「楽しかったよ。また、何処かで遊ぼうねぇー♪」
「うむッ、気をつけて帰るなりよッ! じゃあ劫光、今度こそ夜店を制覇するなりッ!」
「‥‥って、まだ食うのかよ!?」

 賑やかな人間達に、ふふ、とマリンは微笑んだ。そうして「じゃあ行きましょうか、皓月」と相棒に声を掛けると、途端、空中にぽっかりと銀の光が浮かぶ。
 ポカン、と見上げた人々にひらひら手を振って、しっかりかき氷を確保したまま、マリンは光の中へと消えていった。途端、それまでの光景が嘘だったように銀の光が掻き消える。
 やれやれ、と静瑠が大きく息を吐き、ぐったりとその場に座り込んだ。





 その夜、祭の帰り道。

「‥‥あれ」

 志郎を始めとする多くの者が、祭からの帰り道、祭で手に入れた色々なものがいつの間にか手の中から、袂から、懐から消えていてこくりと首をかしげたものだ。そうして不思議に思いながら帰った夏祭が、ただの夢だったと気付くのは、夜闇が朝日に払拭されてからの事だった。