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■オープニング本文 綾(あや)は、とある屋敷に住み込みで働いている。掃除、洗濯、その他諸々。そして一番重要な仕事が、その屋敷の一人娘・奈美(なみ)の世話。 幸いにして、奈美と綾とは年も近い。それもあってか奈美は綾に、ごく親しい友人のように接してくる。それは時々やりにくくもあるが、嫌われるよりは良いだろう。 いつも、奈美の食事は綾が部屋まで運び、終わるまで傍に控えている。その席で、奈美は何でも綾に話す。その日あったことから悩み事相談まで何でも。 「ねえ綾、私、恋患いなの」 だからその日、夕食の膳を運んでいって「お嬢様、さっさとお着替えになって召し上がって下さいましね」と告げた奈美に返されたのが、まったく脈絡のないそんな言葉だった事は、特に驚くべき事ではない。相変わらず人の話を聞いてないな、とは思ったが。 ふと部屋の中を見回すと、昼間、奈美の外出中に綾が整えた部屋は、奈美が帰宅して半刻もしないうちになぜか、片付ける前よりも酷い状態になっていた。広げられた着物があちこちに散乱し、一見して思いつくままに手当たり次第モノを広げました、という様相。 この状況は後でしっかりお灸を据えておかなければならないだろうが、今は奈美に夕食を食べさせる方が先決だ、と綾はため息を吐いた。でないと、お台所が片付かないったら。 部屋の惨状からは一旦目をそらして、奈美を見た。困った事にこのお嬢様は、一度話し始めたら気が済むまで付き合わないと、てこでも動かない習性を持っている。この場合、『恋煩い』とやらの内容を聞くまでは夕食の膳に手をつけないだろう。 今に始まった事ではないので、綾はため息交じりに相槌を打って話を促した。 「どちらの殿方ですか?」 「町で見かけた開拓者よ。ほら、アヤカシが出ると言う噂のある、町外れの枯れ井戸を調査しに来られていた」 「そういえば‥‥確かあれ、結局子供のイタズラだったんですよね」 「ええ、そうなの」 困った事ね、とおっとり奈美は頷いた。ちなみに綾が聞いた噂によれば、件のイタズラをしていた子供達はしっかり開拓者達にお小言を食らい、さらに親からも拳骨をたっぷり落とされたと言う。 ま、そこは自業自得だ。町外れの枯れ井戸から不気味なアヤカシの呻き声が聞こえるとか、そんなイタズラをして街の住人を怖がらせた方が悪い。 それは兎も角。 「つまり、その開拓者の方に、お嬢様は」 「そうなの、そうなのよ綾! 本当にステキな方だったのよ、あの方の憂いを帯びた横顔といったら! 是非お側で支えて差し上げたいって、きっと綾も思うはずよ! ああでも、今日、神楽にお帰りになってしまったの‥‥」 「それは残念ですね」 綾は努めて気の毒そうな表情を作り、相槌を打った。実際には特に残念とは思っていなかったが。 まぁ、その程度の『恋患い』ならば、数日もすれば冷めるだろう。基本的におっとりとしていて、世間知らずの奈美はどうせ、本当に恋を患っているわけではなく、『恋患いの自分』という設定に酔っているのだろうし。 そろそろ話を上手く切り上げて夕食を食べさせよう、と考えていた綾はだから、続いて奈美が発した言葉に、思わず愕然と目を見張った。 「ね、だから綾も一緒に、私と神楽に行けば良いのよ」 「‥‥は?」 「ええ、それが良いわ。私、なんて頭が良いのかしら! 神楽まであの方を追いかけていくのに、綾も一緒に来てくれたらきっと、とっても心強いわ」 「‥‥って、お嬢様!?」 開拓者を、神楽の都まで追いかける? 奈美が? まさかこの部屋の惨状は、その荷造りのつもりとでも? 綾は愕然と部屋を振り返り、また奈美を振り返った。にっこり、微笑んだ奈美の瞳に確信する。あぁ、本気だ、このお嬢様。本気でそんな突拍子もないこと、やっちゃうつもりだ。 お嬢様、と綾は呻くような声を絞り出した。 「お嬢様はこちらの一人娘でいらっしゃるんですよ? それに、お会いしたことはないとはいえ、お許婚者もいらっしゃいます。少しはお立場を」 「大丈夫よ綾、私、あの方に出会ってしまったのだもの。こういう時はすべてを捨てて追いかけるものだって、物語でも決まってるでしょう?」 「それは物語だからです!」 「きっと、綾が一緒なら大丈夫よ? でもあの方は取っちゃ駄目よ、私だってまだ告白してないんだから」 ころころ笑う奈美に、綾は真剣に頭を抱えた。わざとやってるのならともかく、このお嬢様は本気で言って居るのだから困る。 言い出したら聞かない奈美の性格は、彼女が小さな頃は遊び相手として仕えていた綾が良く解っていて、しかも今まで一度として綾はこの手の言い合いになって勝てた覚えが無い。そして無駄に行動力だけはある奈美は、放っておけば一人で屋敷を抜け出して開拓者を追って神楽の都まで行くに違いない。 許婚者が居るというのに。その開拓者と相思相愛の仲と言うわけでもないのに。まさに恋は盲目。 だとすれば、綾に残されている選択肢は、一つ。 「‥‥判りました、お嬢様。その開拓者の方に告白するまでは、綾がご一緒致しましょう」 「ホント!?」 「ただし、お相手の方にもご都合がおありでしょうし、告白して駄目だった時は大人しく屋敷にお戻り下さいませね。でないと綾が旦那様に怒られます」 「お父様に? まぁ、いけないお父様ね」 いきなり譲歩した綾の言葉に、奈美がパッと顔を輝かせた。それからちょっと唇を尖らせて、綾を怒ったら私がお父様を怒るから大丈夫よ、とまた自分勝手な事を大真面目に言う。 それはありがとうございます、と綾は力なく頷いた。どっちにしたってこの状況、綾が怒られる事は確実だ。それで済めば御の字、下手をすればクビだろう。ならばせめて奈美の傍にしっかりついていて、おかしな事になりそうになったら身を張ってでも止めるしかない――まぁ、感覚的には奈美は妹のようなものだし。気持ちが、まったく解らないでもないし。 深い、深い溜息。それからふと、気付く。 「お嬢様。神楽の都と一口に言っても広いですけれど、その方がどこにお住まいかはもちろん‥‥」 「あら綾、あの方は神楽の都に住んでいるのよ?」 「いえですから、神楽の何処に住んでいるかは」 勿論、このお嬢様が聞いているはずはなかった。神楽に行けば会えるものだ、と端から信じ込んでいたのだろう。 ――つまり。 「その開拓者の方を、まず探さなければならないのですね‥‥」 おっとり微笑んだ奈美を見て、綾はがっくりと肩を落としたのだった。 |
■参加者一覧
江崎・美鈴(ia0838)
17歳・女・泰
玖堂 羽郁(ia0862)
22歳・男・サ
巳斗(ia0966)
14歳・男・志
氷(ia1083)
29歳・男・陰
胡蝶(ia1199)
19歳・女・陰
雷華 愛弓(ia1901)
20歳・女・巫
橘 琉架(ia2058)
25歳・女・志
伊集院 優菜(ia3304)
20歳・女・巫 |
■リプレイ本文 さてその日、依頼人と顔を合わせた4人の冒険者の間には、静かな緊張が横たわっていた。 「奈美さんね。お話は伺ってるわ。木原さんに会えると良いわね」 「まぁ、ステキ。開拓者さんが協力して下さるなんて、ますます物語みたいね、綾」 何気ない風を装って言った橘 琉架(ia2058)に、おっとり笑顔で瞳を輝かせた奈美に、綾がぐったり頷く。ここまで辿り着くのにも、物凄く苦労があったのだろう。 今回の依頼は、表向きは奈美の恋の手伝い。その実は奈美に恋を諦めさせる事――なのだが、どうして中々、個性的なお嬢様である。 綾が開拓者達に深々頭を下げた。 「本当にご面倒をおかけ致します」 「あー、うん、色々とお疲れ様」 その肩を叩き、心底同情する玖堂 羽郁(ia0862)だ。綾にとって、奈美と神楽まで来たのは仕事なのだし。せっかくだから少しは息抜きをさせてあげたい、と思ってしまう。 ここに居る4人は奈美と綾の護衛や案内で、高晃は別の仲間達が探している事を告げると、お嬢様は不思議そうにこっくり首を傾げた。 「だってここは神楽でしょう?」 「神楽も広いですからね♪」 まず慣れる事ですよ♪ と雷華 愛弓(ia1901)がフォローし、氷(ia1083)が頷くと、そうなのね、と奈美はおっとり微笑む。そして次の瞬間、即行動とばかりにすたすた歩き出したお嬢様に、綾と開拓者達は大きなため息を吐いたのだった。 ◆ 木原高晃は容易に見つかった。開拓者ギルドでは詳細な個人情報までは開示されなかったが、件の井戸調査の報告書から特徴や、粘って大体の町名だけを教えて貰い、後は聞き込んで事足りた。 その、高晃の自宅を訪ねた巳斗(ia0966)――の後ろに隠れた江崎・美鈴(ia0838)が、自分より拳3つ分ぐらい上にある男の顔を、少し怯えた表情で見上げた。彼女は、余り大きな男性は得意ではない。 だが頑張らねば、と自らを励まし、きゅっと顔を上げた。 「お前が、前に井戸の騒ぎ依頼で行った町にいた女が、お前に恋をしたらしい。やんわりと断ることはできないか?」 「‥‥は?」 言われた高晃は首を傾げた。美鈴が言った依頼は覚えているが、その依頼で町の女と親しく話した覚えが、彼にはまったくなかった。 その様子に「どうせそんな事だろうと思った」とため息を吐いた胡蝶(ia1199)が、補足情報として奈美の容姿を教えると、さらに男が首を捻る。だがやがて、そういえばそんな娘が居たかも知れない、と頷いた。 取り敢えずはそれで良しとして、話を進める事にする。 「そのお嬢様が、婚約者も居るのに高晃を追いかけてきたのよ。私達は彼女を連れ戻して欲しいと依頼を受けているの。協力して貰えないかしら」 胡蝶は言った。依頼という事もあるが、胡蝶自身、奈美の片恋は諦めさせた方が良いと考えていた。何しろ、下手にくっつかれると確実に不幸になる綾の存在もあるし、 「貴方には美味しい話かもしれないけど、下手すると『娘に手を出した開拓者を消せ』なんて依頼が出かねないでしょ」 「ちょ‥‥俺はその奈美って娘を覚えてないし、まして結婚とか!」 ため息交じりに肩をすくめる胡蝶に、真っ青になってブンブン首を振る高晃。その場合、消されるのは間違いなく自分だと言う事ぐらいはわかる。 伊集院 優菜(ia3304)は優しく微笑んだ。 「私達に協力して貰えますか?」 「勿論、俺に出来る事なら」 「ありがとう。実は‥‥」 優菜が微笑みながら『その計画』を語る。それを真剣に聞いていた高晃は、やがて不思議そうな顔で、ほわりと微笑んだ巳斗を見た。その後ろで「怖そうじゃないな」と思っている美鈴を見て、「ホントどっちでも良いんだけど」という顔の胡蝶を見て。 もう一度巳斗を見て、指差しながら優菜を振り返った。 「‥‥これ男なのか!?」 「はぅ‥‥ッ」 ただでさえ女顔を気にしている少年のイタイケな心にビシリと傷の刻まれた音がした。 ◆ 「今頃上手くやってるかしら、巳斗さん」 ふと呟いた愛弓の言葉に、なぁに? と奈美が振り返った。こっそり計画の全貌を聞かされている綾が、何でしょうねぇ、と誤魔化す様に相槌を打つ。 あらいけない、と愛弓はそっと口を押さえた。別行動になる前、今回の計画の為に腕によりをかけて化粧を施した巳斗の顔を思い返す度、こみ上げてくる満足感で胸が一杯になるのだ。 今回の計画――その名も『憧れのあの人は妻子持ち!?』(by氷)。読んで字の如く、憧れの君には実は妻子がいた、という衝撃の事実を突き付け、お嬢様の改心(?)を促すというもの。その計画で重要な役所を務める巳斗を、半ばは趣味で、半ばは羽郁の強い希望でメイクアップしたのだが、出来上がりと来たら――良い素材の魅力を最大限引き出してこそプロというものだが、それにつけてもアレは良い仕事をした、うん。 また満足感に浸る愛弓を他所に、氷が抜群のタイミングで「そういえばそこなお嬢様って、飯は市井の飯屋とかでも大丈夫かい? そろそろ腹減ったろ」と話題を変えると、あらステキ、と奈美がおっとり微笑んだ。ハァ、と綾がため息。 基本的に、奈美は世間知らずだ。合流してからこっち、羽郁や琉架、愛弓が連れて行くお茶屋や小間物屋に入るたび、まぁステキ、と目を輝かせて足を止め、楽しそうに品物を手にとってはためつすがめつし、一緒にあれが可愛いとかこれがステキと盛り上がっている。 今もピタリと足を止め、愛弓がひょいと肩に乗せた猫ににこにこ微笑んでいる奈美に、琉架がおっとり話しかけた。氷お奨めの飯屋に辿り着くにはまだまだ時間が掛かりそうだが、最初から足止めなので良し。 「そう言えば、木原さんにはアヤカシ調査で出会ったと聞いたけど、どんな所を好きになったのかしら?」 「あ、私も聞きたいです♪」 愛弓も猫の肉球をぷにぷにしながら大きく頷いた。その辺りを知っておけば、今後、彼女がどんな男性に惚れやすいのかを知る事が出来るかもしれない。 両側から見つめられた奈美は、ま、と頬を赤らめた。 「何と言っても一番はあの方の物憂げなお顔ですけれど、時折お見せになった悩ましげな表情もステキで‥‥」 「そうなの、それがステキだったのね」 「支えてあげたくなる男性がタイプと言う事ですね♪」 て言うかソレ顔だけかよ、とは誰も突っ込まなかった。心の中では全員が一斉に突っ込んでいたが。 気付かず、そうなの、とおっとり微笑む奈美に、さりげなく羽郁が話を振った。 「ところでさ、その木原さんにもし妻子とか居たら、どうすんの?」 「え‥‥?」 奈美はキョトン、と首を傾げた。本気で何を言われたのか判らなかったらしい。 綾の顔がギョッと強張ったのは見えたが、あえて羽郁は言葉を重ねた。木原高晃、奈美の憧れの君に妻子が居て、彼女が入り込む隙などなかったらどうするのか、と。 しばし、奈美は考え込んだ、様に見えた。にー、と鳴く猫の声と街の雑踏、固唾を呑んで答を待つ開拓者と綾の張り詰めた眼差しだけが、辺りを支配して。 やがて奈美は開拓者達を振り仰ぎ、にっこり微笑んだ。 「だとしても、私はあの方のお傍に行くだけです」 「でもさ、君も婚約者が居るんだろ?」 「物語でも、真実の愛はすべてに打ち勝つものでしょう?」 にっこり言い放たれた言葉に、綾が真剣に頭を抱えた。『あんたも大変だな』と肩をぽんと叩いて労う氷に、悄然と頷く。誰か何とかして下さい、このお嬢様。 ふむ、と氷は奈美を振り返った。 「じゃあお嬢様、いっそ恋文でも書いてみたらどうだい? や、オレだったら想いを綴ったものとか、貰えたら嬉しいと思うけどね」 「まぁ、ステキ! そうね、それが恋物語の基本ね」 目を輝かせた奈美が、パッと猫を置いて立ち上がり、早速目に付いた小間物屋に飛び込んでステキな便箋を探し始めた。反射的に後を追おうとする綾に目配せして、愛弓と琉架が挟み込むように両脇に立ち、奈美が暴走してどこかに行かないようガードしながら一緒に便箋を探し始める。 綾ちゃん、と呼ばれて振り仰ぐと、羽郁が笑って手を出すよう言った。訳も判らず出した両手の上に、コロン、と綺麗な飴玉一つ。目を丸くした綾の前に、綺麗な千代紙の飴玉袋が差し出され。 「内緒だぜ? 大丈夫だから安心してて」 「あ‥‥りがとう、ございます」 秘密めいて囁かれた言葉に、綾は戸惑いがちにはにかんだ。口にそっと放り込んだ飴玉の滲むような甘さに、ああ、きっと奈美は大丈夫だと、根拠もなくそう思った。 ◆ 木原家。古びていても味のある家屋は、そこに暮らす住人を写しているかのようにも思える。 その小さな家の中に、彼は居た。 「高晃さん。そろそろお昼時ですけど、召し上がって? 巳斗も起きられる?」 「あ、ああ、優菜‥‥」 「おかぁさま、おとぉさま‥‥うっ、ごほごほ‥‥ッ」 「ああ巳斗、無理はしちゃダメよ」 「そ、そうだぞ。無理はしちゃダメだぞ」 一家団欒、である。病弱らしく床に臥せったまま時折咳き込む娘(=巳斗)を中心に、いかにも優しげな面立ちの落ち着いた母(=優菜)、悩ましげな様子の父親(=高晃)。一部かなり棒読みのセリフがあったとか、巳斗を見た瞬間羽郁と愛弓が目を輝かせたとか、優菜さん着物も落ち着いていて役にはまりすぎですとか、そんな事を気にしてはいけない。 垣根の向こうから垣間見ていた奈美が、見る見る顔面を蒼白にした。木原高晃発見を伝えに来た(という事になっている)胡蝶が、ほんの少し意外そうにそれを見ながら、指を指す。 「見ての通りだけど。どうする?」 「‥‥ッ」 胡蝶の言葉に、奈美は唇を噛み締めた。先刻、羽郁に聞かれた時、この光景を思い浮かべてみても、彼女の心は揺らがなかった。けれど、こうして目の当たりにしてみると想像しただけの時とはまた違う衝撃があった。 一家団欒。再会すれば、当然の様に奈美を見てくれると思っていた彼の瞳が、奈美ではない相手をまっすぐ映している。幾つも読んだ恋物語の中では、いつでもヒロインは恋人と結ばれたのに。 唇を噛み締めた。どうするの、と胡蝶が厳しさの篭る瞳で問いかけてくるのを、見返して。 「高晃、様」 垣根のこちらから呼びかけた言葉に、垣根の向こうの一家団欒が動いた。高晃の瞳が奈美を見て、少し考えるような色を浮かべる。優菜が彼の耳元で何か囁き、巳斗が少し顔を強張らせて奈美を見て。 チッ、と小さく舌打ちした胡蝶が彼らに呼びかけた。 「邪魔するわ。この子が、高晃に話があるんですって」 「‥‥ッ、その娘が‥‥」 「おとうさま、わたしたちをおいていってはいやです‥‥げほげほ!」 すかさず巳斗が、縋りつく娘の演技をした。ハッ、と高晃が自分の立場を思い出す。今の彼は、木原家の大黒柱。優しい妻と病弱な娘を持つ父親。 あらあら、と優菜が奈美にも見える様に優しく微笑んだ。 「お父様がどこかに行ってしまわれる筈がないでしょう? 巳斗は甘えん坊ね‥‥高晃さん」 「うん、行って来る」 「行ってらっしゃい」 そのやり取りに、奈美がそっと俯いたけれど、開拓者達は気付かなかったフリをした。出てきた高晃を誘い、人目につかない辺りまで移動する。 向き合い、見詰め合った。実を言えば、こうしてまともに顔を合わせるのは初めてだ。奈美はアヤカシ調査をする高晃を見つめるだけだった。高晃は、調査の為に聞き込む中で遠巻きに見つめてくる町の人々の中に奈美を見たきりだった。 ――そして。 「高晃様‥‥初めてお会いした時から、お慕いしてました」 「悪いけど‥‥俺はあんたの事、全然知らないから」 告げられた言葉は冷たくて正しく、奈美はヒュッと息を飲んだ。言葉を交わすのも初めての彼女を、それでも知ってくれていると、俺も想っていたと言ってくれると夢想していた――物語のように。 「お嬢様!」 ジワリ、滲んだ視界を両手で覆って駆け出した奈美を、綾が追いかけた。だがふと足を止め、ペコリ、と慌しく高晃に向かって頭を下げる。 それから再び、今度こそパタパタ草履を鳴らして走って行った少女2人と、その後ろをさらに追う開拓者達の背を見送って、高晃は深い、深いため息をはいた。残っていた氷がそっと傍に近寄ってくる。 「悪かったな、森原君。これ、少ないけど謝礼。受け取ってくれや」 「木原だよ――それも要らね。代わりにメシ奢ってくれ」 少し落ち込んだ表情で高晃が言った。どんな形であれ、誰かを傷つけるというのはとても辛い事だ――まして自分に好意を持ってくれている相手では。 それでも、敢えてはっきり言ったのは彼なりの優しさ、なのだろう、多分。或いは不器用さか。 了解、と氷は唇の端を釣り上げた。丁度、向こうの角に立ち食い蕎麦がある。それで気が晴れるかどうかは知らないが、その程度ならお安い御用だった。 ◆ 行動力はあるが、運動能力はないお嬢様はあっさり開拓者達に確保された。だが、ボロボロボロ、と大粒の涙を零す奈美を放って置く事も出来ず、場所を移して落ち込む奈美に、甘いモンを出したり言葉をかけたり、慰めに慰める開拓者達だ。 「あらあら? 残念だったわね? そんなに落ち込まない事よ?」 「そうだぞ。悲しいのはいやだけど、これで、一つ大人になったんだ、えらいぞ」 「こういう時は食べ物と相場が決まってるですよっ」 「そうなの‥‥お団子、お一つ頂くわ」 「そうよ、出会いなんかいつあるのか? わからないですもの‥‥後は、他人の恋愛話、聞くだけでも勉強になるし、面白いかもしれないわよ?」 「新たに恋の華が咲いた時は、是非呼んでくださいねぇ♪」 「今はあの方以外考えられないわ‥‥」 グズ、と泣き崩れる奈美を、たぶん色々良く判ってなさそうな美鈴が必死の表情で頭を撫で、力づけるように殊更明るく愛弓がお団子を薦め、「砂糖を吐きそうだわ」とか思いながら琉架が肩を叩く。 その様子を、少し離れた所から見ていた胡蝶が、溜息交じりに肩をすくめた。 「どうせ、帰りには新たに一目惚れ、とか言い出すかと思ってたんだけど――読みが外れたかしら?」 「‥‥もしかしたらお嬢様、今は恋に破れて耐えるヒロインのお気持ちなのかも」 「って事は、俺は余計な事をしない方が良いかな」 羽郁はそっと身を退き、女性集団から距離を保った。双子の姉を持つ彼は、別段女性集団などにも苦手意識はない――のだがしかし、下手に関わると今度は自分が『恋患い』の対象にされそうだと、何となく本能で悟ったのかもしれない。 その様子を遠くからそっと見ていた巳斗が、ギュッ、と小さく拳を握った。 「沢山恋をするのは良い事だと思います‥‥騙してしまってごめんなさい」 「巳斗さんは精一杯頑張りましたよ。はい、甘味。お疲れ様でした」 同じく、奈美に見つからないよう遠くから見守る優菜が、そっと巳斗に甘味を差し出す。受け取り、口に含んだお菓子は、泣きたくなるほど甘かった。 |