クロヴニュミスト
マスター名:遼次郎
シナリオ形態: シリーズ
EX :相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/08/31 05:46



■オープニング本文

「リーザ。もう一度よく考えることだ」
「考える考えないの問題ではありません」
「リーザ。私はどう言葉をかけていいのか分からない。しかし自分の孫が歩んでゆくのを黙って見送るには、その道はあまりにも険しすぎる。第一、お前は志体持ちでもなんでもないではないか」
「これから手に入れます」
「手に入れられる者はごくごくわずかだ。多くはその途中で命を落とすという……仮に志体を得るとしても、それはいまお前が手に持っている命と未来をすべて捧げるということだ」
「かまいません」
「……ああ、なんという目をしているのだ。これがあのリーザか。もはや私の言葉など届きはしないのか。……神よ。この子はどこよりも罪深く赤く濡れた道をゆきます。しかしどうかお見捨てになりませぬよう……」
「神様は、すくなくともこのベラリエースにはいらっしゃいません。いらっしゃらないことを、私は望みます」
「・・・・・・リーザ」
「私も神様までを憎みたくはありません」


(まずいかもしれない)
 なんの脈絡もなく唐突に人生を振り返ってしまった。というよりなんの脈絡もなく意識を失っていた。そのほんの少しの時間のなかでやけにリアルな映像と音声付きの回想をしてしまった。それって走馬灯って言わない。言うよね。久しぶりに見たなあ。いかにも余裕がない。
 かちかち。
 気づけばただでさえ薄暗い森が急速に色を失っていく。日が落ちたのだろう。青々と輝いていた木々は光を失う度にざらつきを増していく。ざらざらとした質感が口の中まで広がる異物感。灰色の森。あるいはこの森にとっては私の方が異物なのだろう。
 身を寄せた木の根元でさらに体を縮こませる。かちかち。歯の根が合わずに乾いた音が鳴っている。寒いのかもしれない。日が落ちたのを考えれば寒いに違いない。夏でよかった。冬ならば間違いなく夜を越せず死んでいただろう。もっとも、それも凍死という選択肢が消えただけで今の私にとっては慰め程度にしかならないのだけれど。
(痛ぅ・・・)
 体の内側から肉を喰われていくような痛みに泣きそうになる。あるいは本当に喰われているのかもしれない。瘴気感染を起こしたのは初めてだった。さすがにアヤカシから攻撃を受けすぎた。
(・・・・・・大丈夫かなあいつら)
 先に逃げた仲間のことを思う。もし万が一、私が生き延びることが出来るとすれば彼等が無事に逃げ切って、開拓者ギルドに救援を頼めたときだろう。彼等がすでにアヤカシに捕まってでもいれば、今の私はすでに詰みというわけだ。
 私のくるまった外套の上からどっぷりとした暗闇が丸ごと包み込んでくる。夜の森が孕んだ闇。それは光に対した無機質な影の集合ではあり得なかった。それはざわざわと常に蠢き、何ものかを生み出さんと藻掻き続ける混沌という意志だった。それは私の中からあらゆるものを取り出して形になろうとする。
 かちかち。
 眠ることは出来ない。アヤカシに囲まれているからではない。ただ怖くて仕方がないのだ。
(どうにも、これだけは治らないのかな)
 私は闇が怖くて仕方が無い。どうしてもそこに見てしまうものがある。かちかち。相変わらず歯の根はさよならしたまま再開の気配を見せない。恐怖というものにここまで体をいいようにされるのも久しぶりだった。
 眠ることなくひたすらに闇の中にいることの方が、その奥にいるはずのアヤカシ達よりもよほど私の致命となり得る気がした。かちかち。
「それでもまだ死ねないんだよね私」
 がちりと噛み合わせた口の中によく知った鉄の味が広がって、闇のざらつきと恐怖はわずかに和らいだ。



■参加者一覧
汐見橋千里(ia9650
26歳・男・陰
シャンテ・ラインハルト(ib0069
16歳・女・吟
カメリア(ib5405
31歳・女・砲
ウルシュテッド(ib5445
27歳・男・シ
丈 平次郎(ib5866
48歳・男・サ
巳(ib6432
18歳・男・シ
祖父江 葛籠(ib9769
16歳・女・武
工藤 緑太郎(ib9852
22歳・男・泰


■リプレイ本文

 汐見橋千里(ia9650)の胸の内を満たしていた、駆けた草原の冷えた風はすでに何かと取ってかわっていた。
 森に踏み入れた足を、それまでの歩みとまったく同じくして連続させうる者は限られる。草原に訪れていた夜明け。その予兆。未だ朝日ではない、その切れ端を受けたに過ぎない仄かな白み。逆さまの白い薄暮。曖昧な時間。
 この場所にはそうした世界の理法さえ完全には及ばぬことを、千里のみならずあらゆる者が感じるに違いなかった。夜明けさえ外よりも遅れてやってくる。森というこの異なった世界には。
「一刻を争う。急ごう」
 ウルシュテッド(ib5445)の研ぎ澄まされた聴覚があらゆるざわめきを拾う。雑多なそれらのざわめきは、肺を満たしている濃度の高い大気と同じく、それら全てで一つの生命であるかのように錯覚させる。
「この森……それもアヤカシだらけの森に一人きりだなんて。とっても心細いよね。怖いよね」
「そうですねぇ。特に夜の森を一人で超すのは、堪えますね。ろくに眠れない、ですし。……ではこの辺りで一つ」
 白い手をきゅっと握り拳する祖父江 葛籠(ib9769)の傍らで、カメリア(ib5405)は自身の身の丈はある銃を天へ掲げた。
 乾いた銃声は森のなかで唯一無機的な存在の表象であるかのごとく、高く鳴り響いた。
「おーおー、分かりやすくざわつきやがるなぁ」
 気を集中させ暗緑のくらがりの中で淡く金に灯る瞳を左右に転がしながら、巳(ib6432)は持ち前の軽薄さをかもしながら薄笑った。ウルシュテッドと同じく鋭敏になった耳は、今の銃声に律儀に反応をよこす複数の遠くない気配を拾う。それは虫の行列に石でも投げ込んだのを眺めるような思いがした。まずアヤカシとみていい。
「いま聞こえる数は少ないが、これは奥に進むうちに増えていくと思って良いだろう」
「……しかし、それだけの数の群なんて珍しいですね」
 魔の森でもないのに、と零したシャンテ・ラインハルト(ib0069)の短い言葉がその場に沈黙という尾を引いた。それは程度の差こそあれ皆、この場にいる各々が何らかの違和のようなものを覚えていることを示していた。
「まあ、その辺りは後にしとこう。助けるべき女がいる。今はそれで十分だろ?」
「ひゅー」
 スーツに黒のコートできめた工藤 緑太郎(ib9852)は手応えを得た。何の手応えかは聞いてはいけない。野暮な理屈を抜きにした本質への肉薄。それがハードボイルドだ。そうだろ?
「女を救うってのは、それだけで正義だ。早いとこ助けにいこう」
「行きますよ、緑太郎さんっ」
「……置いていくなよ」
 それと俺のことは緑太郎じゃなくてロックと呼んでくれ。
 そう思いながら皆のあとを追う、緑太郎だった。

 一撃、二撃、三撃。
 苛烈な鉄の撃ち合いは剣戟の叫びのみならず、周囲に在るモノ全ての表面を直接に震わせ、景色を震わせた。
 森に入ってどれほど経ったか。ぽつりぽつりと現れるアヤカシ達は、奥へ踏み入るごとに少しずつその数を増していった。
「なぁんでただの森にこんな不死者どもが巣くってやがんのかねぇ」
 木の裏から現れたグールを忍者刀でさばきながら、巳がそうぼやく程度にアヤカシの数が増えてきたころ、八人は捜索とアヤカシを引きつける二班とに別れた。
 アヤカシの多勢はグールをはじめとした下級に過ぎないモノ達だったが、丈 平次郎(ib5866)の大剣を相手に撃ち交わす騎士姿の不死者は、明らかにそれらとは異質の技量を備えていた。
 一際烈しい衝撃から鍔迫りへもつれた両者から間合いというものが消える。己の顔を覆った被いの中から見据える平次郎の眼前に、アヤカシの半端に腐った顔がある。
 屍鬼。ジルベリアでレブナントと呼ばれる、志体がアヤカシとなったもの。目の前にいるのもそれに相違ない。繰り出される太刀筋の端々に、彼が生前に培ったであろう技を垣間見る。人からアヤカシという、その間に横たわる絶望的な断絶を、なお超えて残るもの。それはあるいは肉体の記憶か−。
 鍔迫る平次郎の横合いから飛び出したグールは、飛び出したままの姿勢を保って地面に倒れ伏した。
(ふむ、早いな)
 ウルシュテッドの視線の先ではカメリアが手にしたハンドマスケットが白煙をくゆらせている。長銃は背に担いである。この森の中では実質、この朱藩銃の射程の利点は活かせない。
(ほむ……しかし、これはこれでなかなか)
 一体、二体と視界の端から現れるグールをシングルアクションで次々と撃ち落としながら、不思議な作業的快感を覚える。視界の限定された画面内とグールの組み合わせに理由がありそうだが、なんとなく時代を先取りするカメリアだった。
(これくらいの数なら、なんとかなりますが……)
 銀のフルートを手に精霊の狂想曲を奏でながら、シャンテは周囲に満ちるアヤカシの気配に触れる。高音域を激しく吹き鳴らす様は無数の鳥が嵐に鳴き散らすような迫真があり、シャンテ自身と装いに漂う幽玄さとは対極にあるその激しさは、剣戟の響きと混乱に入り乱れるアヤカシ達の様相と相まって、一種の相克的な魔性をみせた。
「……捜索班から連絡だ。向こう近辺のアヤカシを引きつけられるかと。中級も一体いるようだ」
 ウルシュテッドは屍鬼の肩口に突き立てた忍刀を捻り抜き、噴き出る血と瘴気の混じった赤黒い霧を払って距離をとりながら、抉れた肩を構わず剣を振りかぶろうとする屍鬼を見据えるまま、声を張った。
 フルートを奏でながらシャンテは思案する。数が増えれば負担と危険は当然増す。この場の四人の中で言えば、前衛のウルシュテッド、そして平次郎にその負担は最もかかるが−。
「問題ない」
 シャンテの逡巡を察したかどうか。背で即答してみせた平次郎の言葉に偽りは無いと信じ、狂想に暴れる精霊を沈める響きを奏でていたシャンテは水面を撫でていた手を離すようにフルートを離した。
 やがてふたたび演ぜられたのは人の耳に聞こえることの無い、怪の遠吠えだった。

 大柄な体躯のグールが放った拳が、鈍い風の音と共に緑太郎の顔をかすめていく。両腕の脇を締め、フットワークは軽く、オーソドックスなスタイル。グールの拳をしっかりと見極め、それまでの細かいステップから一転、大きなストライド一足でグールの懐に潜り込む。がら空きになった左脇腹に一撃。悶絶するはずの一撃に委細かまわず振り払ったグールの左腕に合わせ、緑太郎の右腕が致命の確信と共に振り抜かれた。
「……少し勝手が違うんだよな」
 先ほどグールの脇腹に放った己の左拳を、感触の名残を確かめるように握りしめる。
「不死者は、無痛覚なのも多いみたいだからね」
「ああ。アヤカシなのは分かってても、人型してると感覚的にどうしてもな」
 グールに対処していた緑太郎と葛籠の後ろで、千里は先に放ってある人魂と共有している視覚と聴覚を研ぎ澄ませる。出現させるや、葛籠が「かわいいっ!」と喜んだ栗鼠を象った式の視界は、小刻みにせわしなく揺れている。
「この先でうろついてた奴らが減ってるな」
「向こうが上手いこと引き寄せてくれてんだろうぜ」
 それだけ負担を強いることにもなる。せめて早く目的を果たすべく、千里たちはカッシングの捜索を続ける。
「……しかし、この森に入ったのはカッシングさんが主導していた依頼絡みということだが、何か彼女に思い入れでもあったのだろうかね」
 カッシングが主導していた依頼。ギルドでその依頼に同行していた彼女の仲間に簡単に話を聞くことは出来たが、彼等にしても特別、変わった依頼という印象は持っていなかったようだ。この森の近辺、千里たちが入ってきた草原とは森を挟んで反対側になるが、その方角にある村で最近、グールの発生と被害が多発している。グール達はこの森の中心部に巣くっているらしく、カッシング達はその討伐に向かい、そして失敗した。
 カッシング達が襲撃を受けたという場所の近辺には、ところどころ戦闘の痕跡と思われるものが点在していた。今は人影もアヤカシも見えない。この場からどちらへ、どこまで逃げているかを見極めるべく、カッシングの名を呼ばわりながら四人は捜索の範囲を広げていく。
「……あれ、これって」
 捜索に来た自分たちまで迷わないようにと、時折木に印をつけていた葛籠は怪訝な顔をする。この木に印はつけていなかったはず。しかしそこにはただの戦闘痕ではない、明らかに人為的な傷が刻まれていた。
「……カッシングさんかな?」
「だといいけどな。他に手がかりも無さそうだし、行ってみるか」
 背の高い針葉樹の森は、温暖な気候の密林のような、むせ返るほどの緑と命の芳醇を感じさせない。しかし冷たく、異質な大気は自己の体の境界を常に浮き彫りにする。それは自己と外部の隔絶という感覚へ、容易に人を埋没させる可能性を宿していた。
 冷たく重い森。それは何よりも静謐な問だった。
「……聞こえるのかな、私の声。ここにいるんだけど、分かるかな、私のところ」
 巳の耳が拾ったかすかなささやきは軽い口調とは裏腹に、乾き、差し迫った響きに満ちていた。

 呼子笛の甲高い音が木霊する。
「……見つかったらしいな」
 足元に複数のグールが倒れていくなか、ウルシュテッドは若干の安堵のまじった息をついた。目の前には未だどこぞから湧いてくるグールに加え、騎士姿の屍鬼が二体。明確な終了の定まっていない戦いは、精神的にも疲労の度合いが高いように思われた。目的が達せられたのなら長居は無用。元々アヤカシの討伐は今回は二の次でしかない。
 去り際を見極めようとするなか、もはや何合目とも知れない轟音が響く。
 撃ち交わした剣の拮抗を互いに破るべく、平次郎と屍鬼の剣が示し合わせたように同時に跳ね上がる。そのまま上段から振り下ろされる騎士剣。平次郎の大剣は速度では分が悪いと後方のシャンテが身構えたとき、平次郎は大剣を宙に置き去るように体を下に捻って一閃を交わし、そのまま低く回転させる体の速度にようやく大剣が追いついたとき、両断する勢いで胴を払い抜かれた屍鬼が、地に静かに倒れ伏した。
「よし、引こう」
「皆さ〜ん、ぴかっとします・・・よっ」
 カメリアの放った閃光練弾が、薄暗い森を一瞬に皓白に塗った。

 カッシングはばつが悪そうに巳の背の上で揺られている。
 葛籠が駆け寄った時、カッシングは木の根の窪みに外套でくるまって息を詰め、何かの虫のような格好だった。彼女は葛籠の姿を見るや、力無く微笑した。
「……水、持ってないかな」
「持ってる。うん、持ってるよ。もう大丈夫だよ、安心して」
 傷を負ったうえに瘴気感染を起こしていた彼女に、皆の手持ちの水や治療道具を持ち寄って応急処置をほどこした。
「……一部割と高価そうなものも混じっていた気が」
「気にしなくていい」
「請求は、出来ればギルドの方に……」
「割と余裕ありそうだから聞くけどよ、お前この依頼に何か思い入れでもあったのか? お前が主導してたって聞いたぜ」
「吐きそう」
「俺の肩のうえで言うな」
「んー…。別に大した理由は無いよ。ただ、この辺り、私の生まれた土地に近いからさ……」
「へぇ、そうかい」
 言葉尻に滲むような疲労があり、巳はとりたててそれ以上聞くのもやめておいた。
 時折あらわれるアヤカシの気配を感じ取ってはいるが、そのたびに千里たちが対処してくれているのに任せている。一度ちらりと振り向いたら千里の式だろうか、気味の悪いモノがグールにばくん、と喰いついていた。
 森の外へ歩みを進めるごとアヤカシの数は減ってゆき、その気配が完全に消えたころ、それまでの暗緑の視界は唐突に明るく開けた。
「……空だ」
「空だな」
 応えてやりながら、緑太郎は周囲を見回した。アヤカシを引きつけていた向こうの四人が気にかかる。
「気が向いたらさ」
「ん?」
「ギルド通して、も一回、依頼出してもらうから。……気が向いたら、よろしく。たぶん、前の仲間達、懲りちゃったと思うから。君たちなら、腕もたちそうだし、たぶんその腕、必要になる」
「その前に体を治せよ」
「……そうだね」
「まぁ、嫌いじゃ無いぜ。タフさってのは、どうしたって生きてくのに必要だ」
 緑太郎はにっと笑った。
 タフでなければ生きてはいけない。しかし、それだけでは足りない。彼女は、どうか。
 少し離れた場所が騒がしい。見れば、ウルシュテッドたちの四人が向こうからやってくる。ここからは少し離れた場所から、森を抜けたらしい。アヤカシとの戦いのためだろう、平次郎などは随分消耗しているらしい。表情にはあらわさないが、顔の被いが風では無い、深い吐息に揺れていた。葛籠は瞬く間に駆け寄って治療道具を取り出していた。
 巳の背で、その様子をじっと見つめていたカッシングが、巳の肩をつついた。
「あん?」
「皆にお礼、言いたい。早く、みぃちゃん」
「とっとと寝ちまえ」