飛空船護衛紀行〜北の空へ〜
マスター名:遼次郎
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 10人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/04/30 02:21



■オープニング本文

 この一年、天儀各国を巡った私の経験と収穫はとても豊かなものになったと言える。
 それだけに、今この胸にある寂寞としたものの正体をおよそ理解できるようになってしまったがために、故郷へと向かう筈の私は未だ、帰郷の念にひたることも出来ずにいる。
「詩人の兄さんよ」
 背から掛けられた言葉に、思わず指が撥ねて弦をはずす。彼は天儀本島からジルベリア首都ジェレゾへと向かう、商船団の護衛艦であるこの中型飛空船の船員であり、私とは幾らか言葉を交わす仲になっていた。
「いや、これはどうも」
「ずいぶん侘しい曲じゃねえか。そんなのは空の夜に弾くもんじゃないぜ。ろくなことにならねえからな、気が滅入る一方だぜ、お前ぇ。どうせなら昼間みたいな陽気な曲にしな。馬鹿みてえに底抜けによ。馬鹿のうちに港まで着けばいい、てな」
「酔ってらっしゃる。だいじょうぶですか」
「だいじょうぶに決まってらあな。今日の仕事はもう終わり。働いて働いて、後は酒食らって寝るだけよ。気楽なもんさ空の旅。兄さんも飲むかい」
「や、旦那の酒の相手はとても務まりません」
「そうかい、まあいいさ。眠れねぇんなら、開拓者の相手でもしてみりゃどうだい。話のタネにはなるだろうぜ。開拓者なんてのはどうも、輪を掛けて妙なのが多いからな」
 そう言って船員は鼻唄交じりに去って行った。決められた航路を往復する彼等。或いは、私などのたぐいは彼等よりさらに根の無い放浪者に違いない。開拓者というのも、そうだろうか。一口に言っても様々だというし、実際私が出会ってきたのもそうであったが。
 気温が下がってきている。ジルベリア、ベラリエースという冬の大地。すでに冬も終わりだというのに寒さを感じるのは、私がその地を離れていたからだろうか。
 そう、あの地は厳しく荒涼としているのだ。音に対しても言葉に対しても等しく変わらずに。音楽や詩などというものを色を為すものとして呼ぶならば、彼の地はまさしく色の絶えゆく地に違いない。それは天儀、秦国に見た白と黒、水と墨の濃淡のみが織り成す色彩すらも許さぬ荒涼の地である。色も墨も落とすそばから捌けてしまう。
 その地にも芽吹かんとするものはあったのだ。おそらくそれは人々が神というものを信仰することが出来た時間であったが、その色も失われていく。天儀との国交が開かれてから、近年都市部を中心として色づくものをうかがうことも出来ようが、果たしてそれも己の色と言えるかどうか。
 私が帰るのはそんな場所。
「それでも故郷には違いなし、と」
 船員の忠言を身に受けて、弦を陽気に弾ませてみる。やはり調子はいま一つあがらない。


■参加者一覧
ルオウ(ia2445
14歳・男・サ
海月弥生(ia5351
27歳・女・弓
クルーヴ・オークウッド(ib0860
15歳・男・騎
ユーディット(ib5742
18歳・女・騎
ケイウス=アルカーム(ib7387
23歳・男・吟
アーディル(ib9697
23歳・男・砂
山茶花 久兵衛(ib9946
82歳・男・陰
ルース・エリコット(ic0005
11歳・女・吟
トラムトリスト(ic0351
28歳・男・吟
エドガー・バーリルンド(ic0471
43歳・男・砲


■リプレイ本文

 空は常に問うている。或いは我らが勝手に問を見出すのである。
 飛ぶことは離れることと近しい。飛行によって、己の生きる世界との間に生じる距離をいかに認めるかで人間の持つ尺度は容易く変化する。それは簡素な二極である。
 世界の広漠を知るか、自己の世界の矮小を知るか。
「おー! やっぱしいい眺めだなー」
 飛空船の広い甲板のうえで遠ざかる天儀の地を望みながらルオウ(ia2445)は大の字になって風を受けた。大気の激しい抵抗は確かな実感となってルオウの肌を押した。そしてこの空もルオウの世界となった。赤い髪が空の青と対比する。
「ん?」
 ぐるりと見回した視界の端で、何かこぢんまりしたものが丸くなって震えている。
「ひぃいうぅ、寒い…凍えて、しま…はっ!?」
 近づいてみれば、格納庫の中のそのこぢんまりはルース・エリコット(ic0005)だった。全身を耐寒性能ばっちりの「ゆきんこ」セットで包んでいながら、縮こまってがくがく震えている。
「んー、そんな寒いか?」
「わ、私、砂漠生まれで、寒さはからっきし、ダメで……」
 ジルベリアの血が半分流れるルオウは涼しい顔である。そんなルオウの平気な様子に、生来の人見知りと相まってますます恥ずかしいのか、寒さで青くしていたルースの顔はみるみる赤くなってしまった。そんなルースに、何を思ったか傍らの駿龍が頭をすり寄せた。「ゆきんこ」セットの蓑を、もしゃもしゃと齧っている。
「わ、ちょ、ちょっと」
「ルースの龍か?」
「は、はい。レグレット、です。よろしく、お願いしま…すね」
 喉を鳴らす相棒の頭を撫でているうちにルースも落ち着きを取り戻したようで、やわらかい笑顔をその小麦色の横顔に浮かべていた。
 日が傾いている。
 遠く地平に沈みゆく赤い日は、飛空船の眼下の雲を一面に橙色に染めた。周囲を航行する商船も、その橙の上に黒く浮き上がる。甲板に立つアーディル(ib9697)の金の瞳は、それらの光を受けて細やかに煌めいた。この光景はまたアル=カマルの如くでも無い。砂漠を灼くあの星が去り際に放つ赤い日の光、それはまさしく火の絶える間際に激しく燃え盛る如くであり、それはやはり鮮烈な、どこか一心不乱とも呼ぶべき赤なのだった。
「見張り、お疲れ様。砂漠の人はみんな目がいいなんて聞くけど、そうなのかしらね」
 振り返れば、海月弥生(ia5351)が滑空艇を押して格納庫から出てきている。日中からずっと整備をしていたらしい。機械好きらしい彼女やルオウの楽しげな声が時折中から聞こえていた。
「夜の見回りにはまだ時間がありますが」
「ええ、でも整備の馴らしも兼ねて飛びたいから。それにほら」
 そういって弥生は滑空艇の流線を撫でて見せた。
「こういう日の光の中で飛ぶのも、綺麗でしょ?」
 機体全体を染め上げた抜けるような青はこの空の火照りに浮き上がり、それが光の具合でほのかな緑に覆われたように映る。それは青と赤の単純な対立ではなく、あの夕と海の溶け合う調和に似ていた。
「それじゃ、飛ぶわ」
「気を付けて」
 宝珠の組み込まれた機関を稼働させて甲板から浮き上がると、あとは音もなく斜に傾き滑るようにして飛空船から離れてゆく。機体に据えられた流星の印。蒼き流星という名を持つ滑空艇は、夜よりも早く商船団を縫うようにその軌跡を曳いた。

 兎角、この世は住みにくい。
 地の上が住みにくいのは承知の上なれど、かといって空の上が極楽と思えばそうでもない。上手いメシ出ずアヤカシが出る。ろくな酒も出ねえと風に揺られて浮つく足を運べば、耳にするのは何やら湿っぽい曲と男が一人。
 真、この世は窮屈だ。窮屈なれば少しでもくつろげるがよろしかろ。
「よう、音楽やら詩やらはそのくつろげる為のもんだろが。その詩人がそんな面してちゃいかにも不健全だろうが。また、港の女に袖にでもされたのか? 話して楽になるなら全部話しちまえ」
 そういって煽る山茶花 久兵衛(ib9946)の様子が面白かったのか、ケイウス=アルカーム(ib7387)はちょっと笑った。最初に竪琴の音を聞きつけてやってきたのはケイウスだった。
「弾き手の気分て、音に出ちゃうよねぇ…大丈夫?」
 ケイウスの言葉に詩人の男は胸の音が聞こえそうな様子で驚いて硬直してしまい、そんなところへ久兵衛がやってきたのだった。久兵衛の歯に衣着せぬ強引さがむしろ詩人にも気楽になるかもしれぬとケイウスは思う。
「いや、大した話などありません。ただ、旅先で色々見て、帰る故郷に己の居場所が無いように思われただけです」
「そいつは贅沢ってもんよ。このご時世、帰る場所が消えちまうなんてざらだ。それがあるだけありがてえってもんよ。居場所ぐらい耕して作ってみせな。ざっくざっくとよ」
 そんな調子で男が三人駄弁っているとクルーヴ・オークウッド(ib0860)もやってきた。
「宜しければ他国での詩のことなど、お聞かせくださいませんか」
 クルーヴがその詩人に興味を持ったのは彼自身の家系の事情もあるのかもしれない。魔術師を輩出している家系。兄と姉に比べ、魔術の才は己にはなかった。騎士という道を選んだことに後悔のあろうはずもないが、己の根に近しい場所にズレの意識を抱えるという意味で、この詩人の言うことも、理解できる気がするのだった。
「そうですね。詩の形式でいえば、ジルベリアの詩は天儀よりは秦国のものに近いと思うのです。ジルベリアも秦国も、特に韻を詩の要とするところがあります。それに比して、天儀は俳句に代表されるように、音節が重要になっています」
 しかし、と詩人は言う。そこに流れる精神は形式とは別の問題である。例えば、ジルベリアでは自然を詩とすることが難しい。オウイやエンメイの詩に見られるように、天儀や秦国の自然を読んだ詩は如何にも俗世を離れた仙人めいたところがあるが、これはジルベリアには見られないという。
「そういった境涯に立つには、ジルベリアの自然はおそらく、厳しすぎるのです」
 そんな話をケイウス、クルーヴも熱心に聴いていた。
 すると甲板の方から聞こえてくるものがある。耳を欹てていると、それがトラムトリスト(ic0351)の奏でるものだとケイウスが気づき、行ってみようか、と詩人を連れてゆく。久兵衛はいつの間にだか寝ていた。
「これはお恥ずかしい所を」
 甲板の隅で隠れるように歌の練習をしていたトラムトリストはばつが悪そうに苦笑する。腕の確かな竪琴であればこうでもあるまいが、こと歌となるとどうにも上手くゆかず、人目も気になるのであった。
「けど、こんな所でも練習するなんて、トラムトリストは歌が好きなんだね。うん、すごく大切な事だと思う」
 好き、とケイウスに嬉しそうな顔で言われて不意をつかれるような思いがする。上達したいのは確かである。そしてそこには歌を欲する自分とその欲求を満たすだけの技術を持たぬ自分とのずれがあるが、その欲求を持つこと自体、己の根本から発生しているものなのだと教えられたような感がある。トラムトリストという人間は歌が好きで、歌を求める者だと。
「これも何かの縁、もしよろしければご教授願いたいのです」
 クルーヴを聞き手とし、旅の詩人も交えてケイウスと三人で奏でてゆく。ところどころ途切れながら音を確かめるようにく。しかし、これは紛れもなくジルベリア、ベラリエースという自分たちの大地に流れる旋律であると、クルーヴは一人耳を傾けながら思った。やがてクルーヴとケイウスが夜の見回りに行き、トラムトリストは旅の詩人としばし言葉を交わした。
「神楽の都……志具原の、天儀神教会の大聖堂は美しいものでした。建築様式、彫刻、絵画、色硝子。かつてジルベリアが所有していたものがそこにありました。そしてそれらは今まさにジルベリアから失われゆくものでもあります。ジルベリアの打ち捨てられた教会をいくつか見ました。それは喪失でした。それが、私には辛い」
「……確かに、我々が抱える問題は簡単ではありません。ジルベリアの冬は長い。そして厳しい。しかし、貴方はそれらを求めているのでしょう。求めるということは現在から未来へ向いた方向性です。その先に何があるか……」
 トラムトリスの手元には騎士剣、そして歌精の首飾りがある。過去と今がある。
「先に何があるかは私にも分かりません。しかし、来たる春を信じるのも分の悪い賭けとは思いません。例えばそう、私たちと貴方がこうして出会ったように。今という一瞬にも、望みは十分満ちているではありませんか」
 詩人は黙って瞼を閉じた。それは己の手の一歩届かぬ、僅かな峻厳たる隔たりの先にあるものに、かくあれかし、と願う祈りの姿にも似ていた。

 夜になると、風に交じってジルベリアの曲がどこからか聞こえてきやがる。平穏なる音も悪くない。
 しかし、とエドガー・バーリルンド(ic0471)はヴォトカを前に椅子を軋ませながら考える。俺は非常の音というものも知っている。
 戦場の音。死地に立たされた野郎どもが死にもの狂いで押し寄せる戦火を掻き分け、這い出し、一呼吸の清浄な空気を求めて喚きたてる姿。音。歌。唄。詩。それから死。
 ただそういったものと、今遠くで聞こえる音が白々しく隔たることなく、不思議と同居するのだ。うちの国は。
(ジルベリアねえ……傭兵の俺としちゃあ、あっちこっちで正義を掲げてくれるお陰で飯の種にゃ困らん国なんだがな)
 ヴァイツァウとかね。もっとも、自分もそこで払い以上に高くつく傷を負った訳だが。
「どうしたい、旦那。急に黙っちまって。酔っちまったかい」
 酒を呑む船員たち。どこか傭兵団の男たちと重なるようなところもある。
「……馬鹿いえ。これっぽっちのヴォトカで一々酔ってられるか」
「俺、天儀育ちだからさあ、やっぱこの酒強いぜ」
「あっちの綺麗な姉さんは一緒に飲んでくれないのかい」
 静かに紅茶を飲んでいたユーディット(ib5742)は、そんな男たちの視線を受けて微笑して見せた。その様がいかにも品がある。
「俺、酒もいいけどお紅茶にもよばれたいかなー」
「お前らがご一緒するような御嬢さんじゃねえんだあちらは。黙って酒喰らってろ」
 エドガーにぶーたれる船員たちを、ユーディットはやはり微笑のまま見守っていた。
 ユーディットの時間はこの船の中にあっても静かに流れている。生来、そういった時間の中に居ることが長かった。あるいはそれは、零落した家の持ち得る特有の時の流れであるかもしれない。これがやがて滞り、淀み、澱となって沈むのであれば、そのとき本当に流れは絶えるのだろう。
 もっとも、その時が訪れるかはユーディットにも分からない。
「アヤカシが来るぞ。仕事だ」
 嵐の門を超え、ジルベリア到着間近となった昼下がり。弥生と共に自身の淹れた紅茶を飲んでいたユーディットはその知らせを受け、手にしたティーカップを音もなく下して格納庫へと向かった。

「でやがったなあ! シュバルツドンナー! 出るぜぃ!!」
 威勢の良い叫びと共に飛び立ったルオウ達の視界に、遠方の空から飛来するアヤカシの群れが黒い影となって映っている。天候はジルベリアの空域としては厚い雲も少なく、快晴といっていい。その青磁色の空の下、アヤカシの襲撃を受けて密集する商船団の周囲をルオウは滑空艇シュバルツドンナーで練煙幕を張りながら飛び回る。
「ひぃん…」
 寒いのか高いのか迫るアヤカシがおっかないのか。そんな短い泣き声のようなものをあげていたルースもやがて腹を括って歌声を響かせる。激しい拍子の剣の舞を一生懸命に歌い上げる様は自分自身をも勇気づけているようであり、それは確かな力となって仲間たちの身体に宿った。
 飛来するアヤカシ達との間合いが急速に詰まってゆく。互いの射程にはまだ入らない。しかし弥生の弓は例外である。苑月の技で統一された精神は外れ知らずの名を冠した長弓と相まって、超長距離の射程を獲得する。ホバリングによって宙に完全静止した滑空艇を確かな足場とし、放たれた矢は弥生の心に描いた通りの軌跡を描いて以津真天の身体を覆う鱗を貫いて突き刺さった。
 弥生の射に動揺を見せながらも突き進んでくるアヤカシを眺めながら、久兵衛は甲龍の首元をぽんと叩く。
「よーし俺たちは以津真天狙いで行くか花子。この仕事が終わったらたらふくエサをやるからな」
 久兵衛の黒死符から召喚された眼突鴉は一直線に飛んで以津真天の眼球を食らおうと襲いかかる。鋭い嘴が振るわれる度、以津真天の人面は髪を振り乱して耳障りな叫びをあげた。
「嫌な声だ」
 クルーヴは思わず顔をしかめる。以津真天の叫びは呪詛でもある。そうやって振り撒かれた呪詛はこちらの身体に染みわたり、あらゆる呪いを受け入れやすくする。以津真天の身に纏った毒の風をも。
「面倒は早めに取り除きましょう。グェス!」
 クルーヴの言葉に応えていなないた甲龍グェスは、大きく翼を打って以津真天めがけて突進する。以津真天と甲龍。体長はおよそ近しくとも、鎧を纏った甲龍とでは質量は比べものにならない。その全体重を載せた体当たりは容易く以津真天を吹き飛ばし、宙で蛇体をのたうたせながら叫びと共に落下させた。
 接近時に吸い込んだ毒の風がクルーヴの体を内から蝕んでいる。多少の毒には構わない。毒の回る前に片づける覚悟でクルーヴはコルセスカを握る手に力を込めた。
「行くよ、ヴァーユ!」
 一群となって押し寄せたアヤカシたちはなお広範に展開せず密集している。そのうちに先手を取って痛打を与えるべくケイウスは駿龍ヴァーユの翼を駆る。
 空の青は澄んでいる。海は広がっている。前にはベラリエースの大地があるのだ。それを眼前のアヤカシ達が遮っている。ならばその道をこの歌で開いて見せよう。ヴァーユは駿龍特有の速さで目標に接敵し、ケイウスはその背で心の底より歌いあげる。精霊をも狂わせる狂想曲は音の奔流となってグリフォン、以津真天、大怪鳥に等しく叩き付けられ一群を混乱の渦へと落とし込む。およそ全ての大怪鳥、グリフォンと以津真天の約半数が混乱に陥った群れは集団としての機能を果たさない。正気を保ったものはたまらず同士討ちを避けて集団から飛び出している。
 集団から離れた一体の以津真天が白い煙幕に近づいたとき、その煙幕の尾から瞬間に飛び出したルオウが、以津真天の虚の衝かれている間に一撃を叩き込んでいた。
「ケイウス殿の歌の後で恐縮ですが……」
 アヤカシが相手であれば気兼ねなどしようはずもない。せいぜい練習に付き合ってもらうとしよう。細身のトラムトリストの体から発せられるバリトンの低音は重力の爆音となって混乱に陥っていた一群に追い打ちをかけた。ケイウスの歌と同士討ちも重なり耐えきれなくなっていた大怪鳥たちが、その大きな翼を広げてくるくる落下しながら瘴気の塵へ還ってゆく。
 残った大怪鳥たちにもクルーヴがコルセスカを向けている。小柄なクルーヴの身の丈の倍近くに及ぶ長槍は呵成の気合と共に一息に振るわれ、その半月状の射程に巻き込んだ大怪鳥たちをことごとく一掃した。
 しかし戦力の大部分であるグリフォンと以津真天は混乱から立ち直ったものも含め大多数が未だ残っている。
 駿龍パイスを駆るユーディットに、アヤカシグリフォンが追い縋る。この駿龍と同等以上の飛行速度を誇る敵を一対一の局面で振り切るのは難しい。とすれば、乗り手の腕が物を言う。
 ユーディットの身に纏ったオーラが風の中で煌めいている。その色は彼女の髪と同じ輝かしい金色だった。その金色が手にした儀礼宝剣「クラレント」の装飾の光と交って一際強い輝きを放つ。振り下ろされたオーラを宿した一撃は同速度で並走するグリフォンの厚い羽毛を貫いて肉を切り裂いた。甲高い鳴き声をあげ、組み合いに持ち込むべくグリフォンが上体を反らしたとき、乾いた銃声と共にその翼が弾けて体勢を大きく崩した。その間にユーディットは再び距離を置いている。視線の先には白銀のマスケットを構えたエドガーがいる。
「そりゃあ、真面目に一対一でやりあう筋合いはないさな。正面から来るならせいぜい横合いから殴ってやるさ」
 エドガーの下で駿龍サラディナーサが喉を低く鳴らしている。黄金色の鱗と深緑の瞳を持ったこの美しい駿龍は、同時に高い気位をも持っている。或いはエドガーの戦い方に不平を述べているのかもしれなかった。
「そう言ってくれるなよサーラのお嬢さん。こちとら傭兵、綺麗事じゃ食えんのよ。明日の飯のためしっかり稼いでお嬢さんにもいいエサ貢ぐからよ」
 精霊の沈静のために歌い続けていたケイウスが、さきほどの激しさとは打って変わって緩やかな夜の子守唄を奏でている。うまく眠りに落ちた個体は翼を広げたまま、滑空艇のようにゆるやかに旋回しながら落ちてゆく。目を覚ませば再び襲いかかってくるだろうが、各個撃破の為の時間としては十分である。
 短銃で距離をはかりながら攻撃を続けていたアーディルに、グリフォンが一気に距離を詰めて襲い掛かる。接近戦になるとみるやアーディルは武装を魔槍砲「アクケルテ」へと持ち替える。巨大な白い銃身を盾のごとく己の前に差し出して、グリフォンの突進を受け止める。グリフォンとタルジュの激しいいななきが耳に反響する。しかし、そのいななきを割って透き通るような歌声が聞こえている。突進の衝撃が予想以上に強くなかったのも、このルースの歌による共鳴の力場のためであった。
 今日は色んな歌を聴く、とルースに感謝しながら、アーディルはタルジュの爪がグリフォンを弾き生じた隙に魔槍砲の穂先を向ける。そのうねるような独特の模様の穂先から放たれた砲撃は、死を意味するという噂に違わぬ威力でグリフォンの胸を轟音と共に撃ち抜いた。
 仲間との連携を密にしつつ一体ずつ敵を屠ってゆき、ついに残りはアヤカシグリフォン一体となった。もはや勝ち目の無い戦いに、グリフォンは翼を翻して逃げ去ろうとする。
「おいおいおい、連れないな。最後まで付き合ってけよ」
 即座に久兵衛の飛ばした呪縛符が、白い縄状の式となってグリフォンの翼に絡みつく。思うまま羽ばたけぬグリフォンは不器用にもがいている。
「よっしゃこいつ貰うぜみんなあああ!! 」
 敵が十分に動けぬとはいえ体を固定したベルトに預けきり、諸手上段のまま滑空艇で突っ込むルオウの荒技に見るものは舌を巻き、ルースはひぃと悲鳴をあげた。しかし当のルオウにはどこ吹く風。渾身に滑空艇の速度を上乗せして振るわれた示現流の一太刀はものの見事にアヤカシを両断して見せた。
 最後のアヤカシが瘴気の塵となって風に消えるの見届けると、アーディルは船団を振り返った。密集していた六隻の船団が再び距離を保ち、無瑕息災なる姿をこの広い空のもとに晒していた。商船の甲板に出たいくつかの人影が、こちらに手を振っているのが見える。その姿に、隣を飛ぶルースは顔を柔らかく崩して照れている。それはアーディルもよく知る光景だった。旅の商隊がこの活気を見せるのは、旅の終わりが見えた時である。旅は終わったのだった。
 トラムトリストは護衛艦の甲板にあの詩人の姿を認めた。しかし、その視線はすでに自分たちを見ていないことも知っていた。振り返れば、高くそびえた山脈は厚い雲と雪に白く覆われ、記憶の中では常に雪と氷に覆われているはずの大地は薄く緑づいて我々を迎えていた。
 それは一つの大地が厳しい冬を超え、新たな季節を迎えんとする姿だった。