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■オープニング本文 永劫の愛というものが存在しないなどと、誰がそのような妄言を口にしたのでしょう。彼らはただ私の胸を開きそのなかをのぞき見たなら、己の無知から出たその言葉を恥じらいと共に即座に翻すでしょう。愛はここにあった、と。 私の愛は変わりえないのです。ただ一人、それを変えることの出来た貴方がいらっしゃらないために。いいえ、やはり貴方はいらっしゃいます。私の内に、その永劫の愛と共に閉じられて。 確かな愛に満たされて、それでも貴方が外にいらっしゃらないために、この手で触れることのできないことだけが私の心に寂しさを落とします。ですから私はあの時の貴方との触れ合いを思い出す為だけに、やはりこの剣を振るうのです。 貴方と触れ合ったあらゆる感触。そしてそれが最後に行き着いた、貴方の胸を貫いた、この剣にのみ残る鮮烈な感触。私たちの触れ合いの帰結があの一瞬にあったというならば、私はそれを思い出す為だけに、やはりこの剣を振るうのです。 貴方へのこの愛を感じるために。 「君が森に出ている間、ずいぶん忙しくなっているのだ」 「そのようですな。当分は森へ行くのは慎みましょう」 「期待できんが、まあ戻ったならばよい。その気が変わらんうちに早速遠征に出てもらう。例のディアヴォルだが、君ならば問題あるまい」 「それは構いませんが、他の者はどうしています。大事ありませんかな」 「アベルがやられた。吸血鬼の討伐に出していた」 「……ここへの途中、タムタリサ女史とすれ違いましたが」 「勘のよいことだ」 「どうも、感心しませんな、そういった使い方は」 「私とて気は進まん。しかし今は手が足りん。それに、役目としては適任と思うが」 「最適に違いありません。彼女であれば、容易に切れるでしょう。しかし、どうにも、危うい。人というのはああも変わってしまえるものでしょうか」 「それは誰しも感じている。しかし、如何ともし難い。彼女と彼を知っていた者ならばなおさらに。持て余しているのは確かだが、個人の事情ばかり考慮していられん。責務は果たしてもらう」 「女史は強くなられました。しかし、私は思うのですよ。あの強さというものはアヤカシをこそ切ることは出来ても、いつか同じく血の通った人間のために破滅を迎えるのではないかと」 「そうならんことを願おう」 「騎士の手が足りず、一般兵というわけにもいきませんから開拓者の手を借りることになりますな」 「そのつもりだが」 「なに、何かしら変化があってもよいと思うまでです」 「……君は君の責務を果たせばよい」 「ご随意に」 |
■参加者一覧
鬼島貫徹(ia0694)
45歳・男・サ
倉城 紬(ia5229)
20歳・女・巫
設楽 万理(ia5443)
22歳・女・弓
ユリア・ソル(ia9996)
21歳・女・泰
ルシール・フルフラット(ib0072)
20歳・女・騎
桂杏(ib4111)
21歳・女・シ
イデア・シュウ(ib9551)
20歳・女・騎
エリアス・スヴァルド(ib9891)
48歳・男・騎 |
■リプレイ本文 夜は雨が降ったらしい。 森の中から吹き抜けてくる風は、湿った土と緑の薫りに濡れていた。 薫る風は、エリアス・スヴァルド(ib9891)の頭の中の深い場所をくすぐっている。棄てたはずの故国の風は、閉ざしたはずの堆積する記憶の土を、無遠慮に造作も無く巻き上げる。現れた女騎士は、自分が断ち切ろうとするそんな旧びた匂いを胸一杯に仕舞い込んでいるのだと、鋭敏になった嗅覚から直観として告げられて、エリアスは物憂く息を吐いた。 「私、開拓者の方と仕事をするのは初めてです。よろしくお願いしますわ」 「こちらこそ」 差し出された白い手は氷のように冷たかった。これが剣を握る手とはイデア・シュウ(ib9551)には思われない。しかし、イデアはその瞳に直感する。自分が求めるものをこの人は持っている。あらゆる余剰を捨て去って、弱さという、最も罪深いものの介在する余地さえ残さない、確かな強さというものを。 波打つ金色の長い髪、白い肌のうえにはしる眉が、やや色濃く鋭さの気色を帯びている。そしてその央に据えられた双眸は、イデアと同じ翠緑をしていた。 あの緑の深みは危ういことを、ルシール・フルフラット(ib0072)は知っている。あれは或る一点に己の持ち得るすべてを注ぎ込む者が陥る渦の中心である。ルシール自身もそうであるように、その渦中へ一時的に身を投じる者は少なくない。たしかにそれによって到達できる境地というものもあるだろう。しかし、そこに長く留まれば戻る手段を失い、そしてその先にあるものは―。 「敵の戦力、というのは予想がつきますか」 「全滅した小隊は騎士が一人と、志体(テュール)を持たない兵が十数名でした。吸血鬼に加えて、このほぼすべてがアヤカシとなったと見るべきでしょうね。可哀そうに」 「……では、これ以上犠牲を増やさないよう急ぎましょう」 桂杏(ib4111)の声音は平静としている。吸血鬼の討伐は時間との勝負でもある。放置した病巣が周囲に浸透する前に取り除かねばならないように。小隊分に加えて、周囲の村人なども今まさにアヤカシと化している可能性もある。犠牲となった者達を思ってか、眼前でいかにも不憫そうな表情をしている女よりは、自分たちにとり差し迫った問題のはずである。 緑の瞳と、天儀人らしい黒い瞳は互いの様子を窺うようにしばし視線を交差させ、やがて桂杏たちは薄暗い森へと足を踏み入れた。 「薄暗い森、ですね」 倉城 紬(ia5229)は小柄な体をさらに寄せるようにして森の中を歩いている。森の暗がりにはいかにも何かが潜むような気配がある。それでも紬は目を大きく転がすようにしながら、森の中を注意深く見渡しながら歩いていく。茂みを這っていた蛇に驚いたり、遠目に見つけた鹿の親子に少し和んだりする。 「先日の我が隊の依頼に同行してくださった方もおられるのですね」 「うむ。あれも森での戦いだったが、此度は森林での行動に特化したアヤカシではない。特に吸血鬼はその存在を気取られた時点で脅威度は格段に下がる相手よ。なに、潜むと分かれば打ち倒すは造作もないわ」 呵呵大笑する鬼島貫徹(ia0694)には、この薄暗い森の中にあって、見えぬ敵に怯える様子など微塵もない。むしろ己のその様を篝とし、赫灼と焚く火明かりによって敵を炙り出しにでもするかのようでさえある。 「たしかな目をお持ちですわ。そう、吸血鬼というアヤカシの本質はそこにあるのではありません。人を内から侵し、変質させる……」 「良い男なら多少は楽しみがあるのだけどねー」 その吸血鬼、とユリア・ヴァル(ia9996)の飄然とした調子にタムタリサは曖昧な微笑で応えるばかりである。この女とは合わないな、とユリアは思っている。抱えた主題が同じでも取組みが根本で違っている。 もしユリアが死に、その恋人が過去に囚われた生き方をしていたら、ユリアは殴り飛ばす。たとえ失っても、再び芽吹く強さというものを己と相手に要求する。それが愛なんてものの条件である。 (誰かが殴って根を引っこ抜けるならそれもいいんだけど) 根は深い気がする。瘴索結界のほのかな光の中で、その芽吹いた新緑のような色の瞳でユリアは宙を仰いだ。 「雨が降りそうね」 ユリアの何気ないその言葉を受け、設楽 万理(ia5443)は手にした弓の弦をひとたび掻き鳴らす。湖水の波紋のごとく森の中を遠く広がる鏡弦の音の反響は、そこに潜むアヤカシ達の存在を浮き彫りにする。不死者には、自身の瘴気を弱化させる探知対抗の能力を持つものも多い。しかしある程度まとまった数で動いているのであれば、その全てがユリアと万里の探知から逃れるのは、まず不可能といっていい。 「今ので引っ掛かったのが、八体。多分もう少しいるかな。前方周辺に散らばってるね」 万里の言葉に違わず、時置かずして木々の陰から蘇屍鬼の群れが現れる。剣や槍を手にした兵たち。その肉体は傷み、目は生の光を帯びてはいない。その姿に胸を痛める間もなく、蘇屍鬼と化した兵たちは一斉に襲い掛かった。 蘇屍鬼が足を踏み出すよりも速く、その肉体に凍てつく矢が突き刺さる。矢を番える手も見せぬ万里の先即封の早業を皮切りに、開拓者たちも即座に戦いの中に展開する。 紬の足が、不確かな森の土のうえを軽やかに弾んでゆく。流れるような神楽舞は、巫女装束の千早が放つ雪のような白燐と相まって、周囲の空間そのものに荘厳な趣を与える。その舞に応えた森に宿る精霊が、開拓者たちに力を与えている。 「有象無象に憑いたところで何ができるものかよっ!」 繰り出される槍の刺突を防ぐまでもないと言わんばかりに貫徹は正面から躍り出る。振るわれる戦斧が片っ端から槍を弾く豪快は生ならぬ不死者さえも震わせる。されど、その剛の一振りに込められるは力のみではない。鬼島貫徹という男は激情の男であり、無情の男ではない。今はアヤカシとして眼前に立つ者たちにも待つものは居たに違いない。慮る情念は、必要以上の破壊を避けながら不死者たちを蹴散らしてゆく。 強くなるには、人を斬ることがきっと必要だ。 たとえそれが死体であれ、その機会がこうも早く巡ってきたことに、イデアは感謝する。手にした青銅色の霊剣は迷い出た死霊を祓うといういわくのもの。この場には最適に違いない。しかしイデアが斬るのは迷いではない。アヤカシに負け、自らをもアヤカシと化したこの者たちの弱さを斬るのである。振り下ろした霊剣が、イデアの何かに焦れるように動悸する胸に人の肉を斬った確かな感触を、眩むような鮮烈と共に伝えていた。 視線の先にタムタリサが居る。左右から迫る槍を体を捻って剣で弾き、半身入り身に間合いを消して差し出された腕を落とした。痛覚の通わぬ蘇屍鬼は落とされた腕に構わず大口を開けて食らいつこうとするが、その差し出された顎から首までを一息に長剣が貫いた。人とはこのように斬らねばならない、とイデアは思った。 その容赦ない剣筋の音を背で聞きながら、桂杏は体を影の中に滑らせる。音もなく蘇屍鬼の懐に入るや、忍刀をその体の中央に突き立てる。蘇屍鬼の反応する間もなく捻り抜くと、血と瘴気の混じったものが激しくしぶいた。すでに身を引いている桂杏は返り血も浴びていない。アヤカシの仮初の生は絶命し、物言わぬ亡骸がそこに残った。 必殺を期し、余分を排除した技。タムタリサのあの剣筋はシノビのそれに近いものがあると桂杏は思う。しかし、シノビが古くから影を担うものとして在ったのに対し、彼女のあれは、本来そう在らざるものが到達している。それは、歪みと呼ぶ。 「いったん引きましょう。吸血鬼を倒さない限り、この者達の替えはいくらでもききます」 それは未だ姿を見せない吸血鬼を誘う策でもある。背を見せ、疲弊したと思わせおびき出す。 「ええ、分かりました」 タムタリサは不平もなく従った。 退く間に、紬とユリアはそっと口元に梵露丸を運ぶ。練力にまだ余裕はあるが、万全を期すつもりでいる。さらに、紬の行使した閃癒の光が、全員をやさしく包み込んでその傷を癒した。 「感謝します」 そして再び鏡弦を鳴らした万里が、後方から新たに反応の現れたことを、周囲にささやくように告げる。 「はっはっは、諸君のたずね人は他でもないここに居る。まだこちらの持て成しは終わっていない。お疲れのところ申し訳ないが、いましばしお付き合い願おう」 現れた吸血鬼の周囲には、兵のみならず村人らしき装いの蘇屍鬼もいる。そしてタムタリサと同じ、鎧と赤い外套の騎士姿の屍鬼も。 「うわー、三下っぽいあの吸血鬼」 「期待外れね。さっさと片付けましょ」 ユリアの放ったブリザーストームが、アヤカシ達を一瞬にして吹雪の中に包み込む。薄暗い森が、その皓皓たる雪白に照らされる。 吹雪に動きを硬直させる蘇屍鬼の群れに、ルシールがオーラを身に纏って切り込んでゆく。取り囲む、人ならぬ者たちの意味をなさない呻きが胸を締め付ける。命を賭して、自分の命を救ってくれた人の姿。その恩人が命を落とし、屍鬼となった姿。そしてその人の体を取り戻すために、全てを賭けた己の過去。未熟な己と苦しい記憶、その上に立てた誓いがある。 故に、この場において敗北は許されない。オーラの赤熱は覚悟のもとに際限なく高まり、振るう剣の力となってルシールの道を切り開く。 「何をしている、潰せっ!」 ルシールの覇気に気圧されるような吸血鬼の叫びに、蘇屍鬼たちは数をもって一斉にルシールに迫り、さらに屍鬼も駆け出した。屍鬼の振り下ろす剣に、エリアスの盾が割って入っている。 「お前ではあれは止められない」 言葉に応えることなく、屍鬼は剣に力を込めて盾を弾き、エリアスの逆の半身に即座に剣を返す。それは紛れもなく生前の騎士たる者の技。上体を大きく反らして交わすエリアスと屍鬼の視線が交差する。抜け殻、中身の無い、技だけの人形。これが今のルシールに敵うとは思われない。しかし、その姿が己と重なる。喪失。矜持か、誓いか、愛か。 俺は何を、喪った。 突如襲った嫌悪の念を払うように、エリアスの放った流し斬りが屍鬼の胴を抜いた。 「ええい、五月蠅いわ雑魚どもっ!!」 爆ぜるような貫徹の咆哮が、蘇屍鬼たちの注意をくぎ付けにする。道を押し開いたルシールが紬の加護結界の力もかりて吸血鬼に迫る。 万里の極度に集中された精神が、あらゆるものを消し去っている。敵も味方も、風さえも。他の一切が消え去って標的と己のみが残ったとき、放たれた月涙の矢は必然の軌跡を一直線に描いて吸血鬼の胸に深々と突き刺さった。深い一撃を負った吸血鬼は、己の窮地を知る。 ルシールの眼前で体を崩し、霧と化してゆく吸血鬼の不定形の体に、聖堂騎士剣が振り下ろされる。聖なる精霊力は切り落とした霧の一部を、塩と化して崩れさせた。 苦悶のうめきを挙げる霧に、さらに桂杏の結んだ印から放たれた水流刃が叩き込まれる。霧となることも適わないと見たか、霧は無数の蝙蝠へと姿を変えた。本体はこの無数の中の一体。散られては追いようがない。 「だったらまとめて消えなさい。残念ね、あなた顔も中身も落第よ」 再び放たれたユリアのブリザーストームが、容赦なく蝙蝠の群れを飲み込んでゆく。黒い影は悉くその白い奔流に飲み込まれ、白のなかに溶けるように跡形なく消え去った。 訪れた強い静寂に、甲高い剣戟の音が一つ響いた。 地に倒れ伏した屍鬼に、エリアスと共に相手取っていたイデアが、逆手に構えた剣を向けている。 「これで……」 イデアの視線が短く彷徨った。先にタムタリサが居た。彼女は動かない。しかしその瞳は何かを誘うように、イデアと同じ色をしていた。 イデアは力を込め、屍鬼の首筋に剣を振り下ろした。 亡骸は燃やしてしまうという。 「いいのですか、連れ帰らなくて」 「我々はアヤカシに憑かれた肉体を忌みます。それは残された者たちにとってのことではなく、騎士である我々自身が死後アヤカシと化すことを恥じ、一時でもアヤカシと化した体を残すのをよしとしないのです。……残すのは、これで十分」 取り上げた剣を、タムタリサはルシールに差し出した。持っていろ、というだけの筈であるのにこの女の微笑は、受け取るルシールの手を何故かひどく重くした。 エリアスは、それを眺めている。 「さようなら、アベル。貴方にもう一度、騎士として、確かで安らかな死を」 亡骸に身を寄せ、その頬に口づけるタムタリサ。その長い後ろ髪は森の水気を吸ってたわみ、火明かりに赤く照らされてせせらぎの如く煌めいた。 エリアスは愛を否定し、彼女は愛を肯定する。己の周囲に、積み上げられた壁。 赤く燃える火明かりのなかで、エリアスは彼女の胸の内に咲き誇る黴の花を幻視した。 それは触れれば鈴の音を鳴らしそうな、純白の花に違いなかった。 |