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■オープニング本文 冷え切った風ばかりが歩く者たちの胸を満たす。 二人が交わした言葉も、白い吐息となって瞬く間に風に溶けていく。 「寒いねセラ」 「こんにちはイェルスさん。この季節だから冷えるのは当然だけれど、体には気をつけてね」 「なぁに、わしは一杯のヴォトカさえあればいつでも達者でいられる。ついでに愉快にもね」 「一杯で済んだことなんてないでしょう。イェルスさんは寒さより飲み過ぎに気をつけなきゃね」 「はは、寒さもヴォトカも長すぎる付き合いだ。いまさら縁を切る気には・・・・」 そこでふとイェルスと呼ばれた老人は言葉を途切らせると、老いのためにこの頃弱っている目を細めてどこか遠くに視線を運んだ。 「ふむ。そういえば最近そのヴォトカもどこか味気ないと思っていたんだが、もう一つ、付き合いの長いのが足りていなかった」 「あら。なにかしら」 「ヤルコさ」 今度はセラの方が黙った。ヤルコとはセラの父だった。 「いつもならこの時期にはとっくに山を下りて来ているだろう。そして村で年を越す。獲れた動物を売って、余った分をセラが料理してそれを家族で囲む。わしも時々ご一緒する。わしとやつがヴォトカを飲み交わし、そのうちけなし合いを始める。殴り合いになる前に、時々なり出してからセラが止めてくれる。楽しい時間だ」 「・・・・そうね」 「それが気づけば、ヴォトカはあってもまるでヤルコの怒鳴り声が聞こえてこない。気づくとなお憎ったらしくも寂しくもある。一体どうしたね」 「私たちも変だとは思っていて。ついこの間、主人が様子を見てくるって出かけたんだけれど・・・・」 「うん」 セラは目を伏せて額に手を添えた。傾けてのぞいた首に青い筋が透けて見えた。 「山道の途中をアヤカシがうろついていたらしくて。慌てて引き返してきたの」 「それは・・・・」 心配だな、とこの時ばかりはイェルスも腐れ縁の友人の顔を思い浮かべながら素直に呟いた。 風の音だけが二人の周りで鳴っている。この季節の風はやはりどこか寂しい。 「・・・・ウチのもんが今度ジェレゾに用がある。そのとき開拓者ギルドに頼ませよう。それがいい」 「ありがとうイェルスさん。けど、開拓者さんに十分なお礼が用意できるかどうか・・・・」 「わしの方からも出させてもらうよ」 「さすがにそこまでお世話になれないわ」 「なに。ヤルコの奴にあとでたっぷりヴォトカを奢らせるさ。セラの料理もつけてくれれば言うことはない。早速ウチのに言いつけて来るとしよう。それじゃあね、セラ」 「・・・・ありがとう、イェルスさん」 セラはやっと少し笑った。 |
■参加者一覧
水月(ia2566)
10歳・女・吟
鈴木 透子(ia5664)
13歳・女・陰
赤鈴 大左衛門(ia9854)
18歳・男・志
将門(ib1770)
25歳・男・サ
神鳥 隼人(ib3024)
34歳・男・砲
御鏡 雫(ib3793)
25歳・女・サ
罔象(ib5429)
15歳・女・砲
ルシア・エルネスト(ib5729)
20歳・女・弓 |
■リプレイ本文 「はっはっは。いやあ、寒いね。流石は噂に聞くジルベリアだ」 雪の上を弾むような快活な声に将門(ib1770)は首を向けた。 神鳥 隼人(ib3024)が笑っている。 「ほら見てみろ、雪が積もっている」 「ああ、さっきから見てる」 「よし、依頼が終わったら雪合戦でもするか。術技アリの」 「元気だな」 「はっはっは」 よく笑う男だと将門は思った。それだけに会話のとらえどころが今ひとつ見えない気もして、頭をかきながら視線を運んだ。 向こうでは依頼人とのやり取りが交わされている。 「ありがとうございます。遠慮無くお借りします」 「いいえ、こんなものでよろしければ」 借り受けたソリに鈴木 透子(ia5664)は、かさばりそうな荷をくるくるとまとめていく。パンと塩、それにピクルスやジャムもセラから受け取った。 赤鈴 大左衛門(ia9854)は樵仕事を生業としてきた育ちのためもあってか、山の様子が気にかかる。 「それなら、そこで一度休みとっていくことにするだス」 「日もよかった。今日は雪が吹くようなこともないだろう。あんたは山に慣れとる様だし開拓者にうるさくは言わんが、無理はしなさんな。・・・・随分小さい娘さんもおるようだしな」 イェルスの視線を水月(ia2566)はじっと見つめ返すと、とんと自分の胸を叩いた。 「そりゃ悪かった。いらん心配をした。よろしく頼むよ」 そのような様子で各自準備を進め、やがてすべて整った。 「きっちり無事を確かめてくるだス。安心して待っていて欲しいだスよ」 セラは微笑して頭を下げて、背を向け歩き出した開拓者たちを見送っていたが、何か思い出したように声をかけた。 「あの、御鏡さま」 御鏡 雫(ib3793)が振り向いた。 「ん、なんだい」 「父はあまり酒癖がよいほうではありませんので、その・・・・気をつけて下さい」 「ああ」 雫の持っているヴォトカのことを言っているらしい。雫はちょっと、あいまいに頷いてから、 「まあ、飲ませすぎるようなことはしないよ。医者なんだ、私は」 そう言って張りの良い笑顔を向けてさっさと踵を返した。見送るセラは、八人の雪を踏みしめて行くその音までも、どこか不思議な明るさをもったものに聞こえる思いがした。 八人が踏みしめて通った跡だけが、白い山中に黒く曳かれてゆく。 「・・・・恐らくアヤカシ退治よりも、この雪山登山の方が困難だと思います」 「同感ね」 かんじきで雪を踏むたび、罔象(ib5429)の担いだマスケットが揺れている。マスケットの機構部には布が巻き付けられている。雪の付着を嫌ってのことだった。 「さすがにこの寒さは堪えるわね」 罔象の前を行っているルシア・エルネスト(ib5729)が振り返らぬまま背中で相づちを打った。 「ルシアさんはジルベリアの出身ですよね」 「だからって皮膚が毛皮で出来てるわけでもないもの。寒いものは寒いわ。こんな山の中じゃなおさら。暖炉のある部屋でゆっくりさせてもらった方が嬉しいわね。別に弱音じゃないけど」 とは言ったものの、傭兵業をはじめてからこちら、ずいぶんタフな冬の過ごし方を経験することも多かった。我ながらたくましくなったものだと思う。 「まあ、冬山というのは余り好きになれるものではありませんね、さすがに」 「鈴木は年の割に旅慣れている様子だな」 「えっと、師にあたる人と、あちこちを。冬の山を軽装で越えるようなこともあったのですが」 言いながら透子は軽く手首を弾いた。分かれた道の前に立った木に飛苦無が刺さっている。 「ここはもっと寒いです」 雪があしもとで鳴る音に、時おり前から短くかわいた音が交じってくる。八人の先頭をゆく大左衛門が、手にした鉈を振るっているのだった。 「ああ、こンぐれェの雪ァワシが郷じゃ珍しくねェだスが、寒さはやったぁ強ェなぁ。みんなぁ歩きの具合はどうだス」 大左衛門は振り返って後に続く仲間の顔を見回した。山に慣れている者もいればそうでない者もいる。歩幅、体の大きさからしてまるで異なっている。八人のなかでは水月が最も小さかった。大左衛門は大家族の長男坊の癖で、小さい者が気にかかる。 「水月さぁ、かなり歩いたが疲れてねェだスか」 水月は前を行く者たちの踏み固めた雪の上を歩きながら罔象の背中についていく。水月の髪は雪に溶け込むような白であるから、後ろを歩く将門などは一瞬、雪との境が分からなくなるのか、目をしばたくようなことがあった。 その水月が耳をそばだてている。何か聞こえるらしい。超越聴覚を使っている。 「アヤカシだろうか?」 将門の問に、水月は黙ってちょっと首を傾げた。かもしれないが、そこまでは分からない、というところだろう。 辺りを見回してもそれらしい影は見あたらない。そも、木々のために視界がいいとは言い難い。 「まあ、どのみちそう離れてはいないようだ。そこら辺に散らばっているのは足跡のようだし。俺はジルベリアの動物には詳しくないが、この季節にこれだけの群を作って山を歩き回る動物がそういるものかな?」 「アヤカシでしょ」 ルシアは即答した。隼人はうんうんと頷いている。大左衛門は心眼で周囲を探ったが、まだ気配は無い。 やがて八人は再び歩き出した。歩き出すのと一緒に吐き出す息が白くのぼった。 深部まで取り入れた冷気が、広がりを求めて肺という袋から体内へと染み出していく。冷気に侵された頭は視界を鮮明にし、熱を失った指先は震えを起こす機能までも失っている。 呼吸が生命の活動に欠かせぬものだというのなら、この呼吸法はその活動からわずか数秒はずれるためにあると言えるのかもしれない。 罔象は静かに引き金を落とした。 「素早いのによくあてたな」 疾走する剣狼をとらえた罔象の弾道に将門は目を見張った。 仲間達の前に立つ将門の体にはすでに傷が多い。どれもかすり傷程度ではあったが、やはり数が多いのはいささか面倒だと、将門は小さく舌を打った。 受ける傷のことよりも仲間を守るのに面倒になる。背後では化猪の進行路上に結界呪符で透子が壁をつくりだして突進を防いでいた。 「はああっ!」 将門の咆哮にアヤカシたちが一斉に振り向いた。 「その数を一人で引き受けたらさすがにかすり傷じゃ済まなくなるかもしれんぞ」 「勇ましいな。うむ、この神鳥 隼人感じ入った。しかし、受ける傷は少なくするにこしたことはないからな」 隼人の弓につがえた矢が紅炎に燃えている。視線の先の剣狼はとっさに跳んだ。矢は放たれていない。隼人は殺気だけを飛ばしてみせた。 「此方も力を使うんだ、避けてくれるなよ?」 虚偽の矢のために跳んだ剣狼は地に着くと同時に飛来した実体の矢に射ぬかれた。 「・・・・あれ?」 飛苦無を構えていた透子は周囲の寒さが急に和らいだ気がした。周囲に音が満ちている。その音の緩やかな温もりがそう感じさせるのだった。 「あら、バイオリンね」 ルシアの視線の先で、水月が小さな手で掲げた楽器からするすると音を引き出している。 奏でられる夜の子守唄がアヤカシ達を次々とまどろみの淵に落としていった。 「ああ、これなら面倒がねェだス」 目の前で眠りに落ちて動きを止めた化猪に、大右衛門は十分に振りかぶってから天儀刀を打ち下ろす。朱色の刀身から燐光が散った。紅葉のような燐光は、揺れながら雪に降りてすぐに消えた。その様子がひどく美しかった。 大勢は決した。 「片付いたらちょっと休みたいわね」 ルシアは藍染めの弓で眠りの誘いから逃れたうちの一体を射抜きながら、そう呟いた。 木々の間隔がまばらになって小さく開けた場所で、八人は火を囲んでいた。薪の弾ける音がよく響いている。 「そろそろいいだろう。食べてくれ」 雫が芋幹縄と干飯で作った雑炊の味をたしかめながら言った。 「いや、ありがたい。頂くとしよう」 「雑炊ってこんなに美味しいものだったんですね」 「温まるわね」 「おかわりはいるかい水月」 「・・・・もう食ったのか」 「はは、育ち盛りは食えッだけ食うがえェだス。ほれ、鈴木さぁも」 「ありがとうございます」 焚き火と食事を囲む八人の表情は明るかった。体温確保のためにヴォトカを口にしたりもした。慣れていない者はその灼けるような強さに思わずうめき声をあげた。 「これは何の匂いでしょう。薬・・?」 首を傾げる透子に雫は相変わらず気風のいい笑みを向けた。 「お察しの通り薬湯だよ。さっき懐炉代わりに回してた皮袋の中身だ」 「ああ、どうりでいい匂いがすると思いました」 「熱が逃げたからな。また温めてる」 火を見つめ薬湯の独特の匂いに包まれながら、八人は体を休めた。食べた雑炊が腹になれるころには再び歩き出さなければならない。 ここから目的地はそう遠くないはずだった。 「こんにち・・・・いや、先ずは安否を気遣う言葉が先か? ぬぬ・・」 「なにを悩んでるんだ」 「お爺さぁ、大丈夫だスかぁ。居るんだらァ返事してくれンかァ!」 静まりかえった山小屋の中から、やがてがたがたと物音が聞こえだしたかと思うと、 「うるせええ誰だてめえらはあああ!」 「お元気そうですね」 「・・・・おかしいだろこのノリはさすがに」 将門は頭を抱えた。 「私たちセラさんやイェルスさんに依頼されて様子を見に来たんです」 「だったら見ての通りだピンピンしとるわ! 分かったらとっとと帰りやがれ!」 「挨拶代わりにヴォトカを持ってきた」 「突っ立ってねえでとっとと入って休んでいけ!」 「・・・・おかしいだろ」 将門は頭を抱えた。 小屋の中は動物の臭いで充満していた。いたるところに元どんな動物だったのか分からないような肉が吊されている。 「はっはっは、助かった。食い物は干肉が腐るほどあるからいいが、ヴォトカを切らして死ぬところだった。山を下りようにもアヤカシがうろついてやがった。動くに動けん」 ヤルコはヴォトカを飲みながら透子がセラに持たされたピクルスをつまんだ。罔象のつくった味噌汁にも珍しがって口をつけている。 「セラさんやイェルスさんが心配してたわよ」 「心配されるほどやわじゃないわい」 「そんなこと言って。大事な家族や友人なんだから、寄せてくれる気持ちには応えなきゃダメよ」 それが失ってからではあまりに取り返しのつかない類のものであることをルシアは知っている。 「・・・・ふん」 ヤルコはばつが悪そうに顔を背けた。水月がじっ、と何かを差し出している。 「どうしたお嬢ちゃん」 ヤルコは差し出されたものを手に取った。焼き芋だった。水月が山に入ってからずっと懐に忍ばせていたのだった。温かいものを山に一人で居るヤルコに食べさせたいと思ったらしい。しかしとっくに冷え切ってしまっているのが悲しいらしく、幼い水月はただ黙って堪えるようにうつむいてしまった。 「・・・・ありがとうよお嬢ちゃん。なに、冷めた食いもんはまた温めりゃいい。ジルベリアじゃ特にそうだ。お礼に何か・・・・肉しかありゃしねぇな。こいつはお嬢ちゃんには臭いがきつすぎる・・・・こんなことならもっとましなもんを・・・・」 小屋の中をうろうろと回っているヤルコの様子が、水月にはなんとなくおかしかった。 「あの、ヤルコさん・・・・よかったら一晩泊めてもらえないでしょうか?」 「ああ、泊まってけ」 透子の申し出にヤルコは案外素直に頷いた。 「明日の朝には山を下りるからな。そのつもりでいろ」 「あ、ヤルコさんも私たちと一緒に?」 「嫌なのか」 「いえ、それがいいと思います」 罔象は手にしていた手帳をとんと置いた。ヤルコの近況を記して依頼人に提出するつもりだったが、本人を連れて行けるのならそれが一番だろう。 出し抜けに、ヤルコは心底楽しそうな、不敵な笑みを浮かべた。 「よし、お前たちの持っとるヴォトカを全部ださんか。宿代だ。飲めるもんは付き合え!」 飲ませすぎるな、とセラと約束した雫は、残りの二本のヴォトカの入った背嚢をそっと背中の後ろに回した。 |