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■オープニング本文 夢というものを私は覚えていません。 それでも眠りから目覚めた私の体には、常に不可思議な感覚の名残りというものがあります。だからその中身を忘れ果てていようと、夢を見ていることは確かのようです。 彼の夢を見ているに違いありません。それはどれほど優しく、甘い夢か知れない。しかし目覚めた私には興味がないのです。 温もりに包まれた柔らかな感覚は目覚めの寸前、灰を一杯にぶちまけたざらざらとした感覚に取って代わります。そしてそれらの背反する二つの感覚の中心に横たわるのは、よほど絶対的な断絶でしかありえない。 そしてそれはやはり、私の剣が彼の肉を断ったあの感触なのでしょう。 目覚めの時。私の体は感覚の不連続を経た倦怠に包まれています。目覚めた私は、あの絶対的な感触を現実のなかに求めることができる。夢の中の私は、夢であることも忘れ、ただ彼の腕に抱かれているのでしょう。目覚めた私からも忘れられて。 それは、愚かな対比でしょうか。 馬を止めての僅かな休息。その間に眠ってしまったらしい。開拓者に起こされてしまった。多少は、疲れもあるのかもしれない。最近の城の騒ぎのために、手が足りていない。 やがて目的の村が見えた。腐った果実のような、穢れた甘い死臭。すでにあの村は死んでいる。情報によれば、あの中は悉く不死者であふれ返っているという。生存者もいないだろう。 不死者たち。このアヤカシ達は伝染する。潰さなければ、遠くないうちに近隣の村まで呑まれるだろう。 不死者。滑稽な呼び方であると思う。なんのことはない。生きているものが、アヤカシに取って代わられただけのこと。 生きていた者にすれば、生も体も、己の死さえも奪われたということ。曖昧にぼやけてしまった境界に、改めて確かな線引きを与える。それがせめてもの慈悲に違いない。優しさを込めて。 |
■参加者一覧
晴雨萌楽(ib1999)
18歳・女・ジ
アルバルク(ib6635)
38歳・男・砂
シリーン=サマン(ib8529)
18歳・女・砂
イデア・シュウ(ib9551)
20歳・女・騎
エリアス・スヴァルド(ib9891)
48歳・男・騎
カルマ=A=ノア(ib9961)
46歳・男・シ
トラムトリスト(ic0351)
28歳・男・吟
レオニス・アーウィン(ic0362)
25歳・男・騎
エマ・シャルロワ(ic1133)
26歳・女・巫 |
■リプレイ本文 馬をとめての小休止。シリーン=サマン(ib8529)は火にかけたコーヒーをカップに注いでいった。 「テュルク・カフヴェスィですので。粉が沈むまで待ってください」 レオニス・アーウィン(ic0362)は礼を言ってカップを受け取った。カップの中、舞い上がった粉が底にゆっくり降りていく。良い香りだと、眺めながら思った。 特に短い眠りから覚めたタムタリサは白い鼻梁を寄せて、カップを抱くようにして眼を細めていた。寝起きにはちょうどいいじゃねえかと、アルバルク(ib6635)は旨そうに飲みながら笑って言った。 エマ・シャルロワ(ic1133)が、シリーンに湯を借りている。コーヒーとはまた違った香りが、風に漂った。 「それは?」 「天儀の、花湯だ。よかったら試してみてくれ。……どうも、天儀や泰国はジルベリアよりも花の香りが強い気がするね。気候のせいかもしれないが」 「……不思議な香りです。甘く、仄かに酸っぱいような。何の花でしょう」 「桜だ。美しいが、見れる時期は酷く短い。儚い花だ」 そうですか、と、眠りのせいか少しまだ浮ついた調子で、タムタリサは漂う香りが見えるかのようにしばらく宙を見つめていた。 村に到着すると、開拓者達は二手に別れた。 モユラ(ib1999)は辺りを見渡した。目の前に広がる光景は、あらかじめ覚悟していたもの。それでも、モユラは赤いとんがり帽子の広いつばを強く握った。 「…想像はしてた、けど。歓迎はされないみたいだね、あたいら」 村のなかには歩き回る人影があふれている。しかし、そのどれもがすでに人間ではなく、それは不死者の群れだった。 「辛い光景です。地獄が実在するならば、凡そ目の前の光景と似た感じでしょうか」 「地獄ねぇ」 トラムトリスト(ic0351)の言葉に、カルマ=A=ノア(ib9961)が緩慢な相槌をうった。しかしカルマの腕だけがそんな調子とは裏腹な速度で跳ね上がり、鋼線「墨風」の霞のような煌めきが、トラムトリストの視界のなかで刹那に奔った。 「そんなもんがあるなら、一度行ってみたい気もするがな」 襲いかかってきたグールは、カルマの腕に従うように首を落とした。別れた体はなお数歩を歩き、倒れた。 その様子に胸を痛める様子のモユラをエリアス・スヴァルド(ib9891)は一瞥し、黙って己に向かってきたグールに剣を向けた。こうした敵を前にしたとき、そこにはおよそ顕著な二択が現れる。それは今のモユラのような感情を抱くか、あるいはカルマのような迷いの無さか。そういえばタムタリサの剣も、一切の躊躇を捨てたものだったとエリアスは思い返す。それは忠義のためか、愛を忘れぬためか。では、己は。エリアスは黒い刀身を振り下ろした。 レオニスは盾でグールの攻撃を受けた。開拓者の技量であれば、この程度の相手なら問題はない。しかし、数が多い。それはこの村の規模や予め聞いていた村人の程度からしても多すぎる気がした。また酷く肉体が損傷し、腐乱した個体もいる。それらは目を覆いたくなる姿であったが、レオニスはむしろそうした個体に手早く剣を振るっていった。 背でトラムトリストの奏でる竪琴が、透き通るように周囲に響き渡った。騎士の魂。凄惨なこの光景のなかで響き渡る音は、対極にあるものが重なり合うような危うい拮抗のなかで並べ立てられたようで、むしろその悲壮な美しさが極まっていくかのように、レオニスには感ぜられた。騎士とは異なる道を、確かな覚悟で行くのだなと、レオニスは友の旋律を背で聞いた。 「ごめんね…」 グールの胸に短刀を突き立てたモユラの小さな呟きが、冷えた風と旋律のなかに紛れた。 地を這うような太刀筋が足を切り裂き、そこから舞い上がるような軌跡を曳いたイデア・シュウ(ib9551)の騎士剣「グラム」が、グールの首を貫いた。シリーンの魔槍砲の砲撃が、その轟音を遠く佇む山まで木霊させている。 「はしゃぎ過ぎんなよー」 アルバルクは適当に戦陣を敷きつつシャムシールを肩に担いだ。こっちの班はお嬢ちゃんばかりと思いもしたが、どうしてその戦いぶりは烈しいものが揃っている。特にイデアとタムタリサの剣筋は迷いというような範疇を超えていて、突き抜けた、もはや危うい苛烈さという点で通じるものがあり、それがアルバルクには少々心配であった。 (老婆心か。俺も年を取ったかい) エマは前線からは少し引いた位置で、瘴索結界を駆使しながら村の様子をうかがっている。医師であるエマにとって、この村の光景は反立の命題と言えた。生と死という境界の曖昧となったこの場において、自分が医師として出来ることは残されていない。彼等はすでに境界を超えてしまった。だというのに、その境界線上を無理に彷徨わされている。 イデアの剣が彼等の肉を断ち、既に酸化した赤黒い血が地に滴った。医師が患者の肉に刃を入れるのよりも、強い断定に満ちた剣。それこそが今の彼等を救える唯一であると認めることが、エマには僅かに逡巡だった。 「しかし多いな。この頃この手の仕事にはよく当たるが、また吸血鬼絡みじゃねえだろうな」 「……肉体の損傷と腐敗にかなりのばらつきがあります。最近に命を落とした者ばかりではない」 どういうこった、とエマの言葉にアルバルクが振り返ると、粗方片づけたらしいタムタリサが歩み寄ってきた。 「長く土の下で死体だった者も、アヤカシとして蘇ったということですね。どうやら、吸血鬼の仕業ではありません。似て非なるもの、というところでしょうか」 「へえ、どんな野郎だ」 「屍王(リッチ)。己の周囲の死体をアヤカシとし、支配下に置きます。吸血鬼が個の力に優れているとすれば、屍王は集団戦に優れる……時に広範な被害を及ぼす、極めて厄介なアヤカシです」 「それがこの村に?」 「エマさんの結界にもこれ以上反応が無いとなると、或いはすでに去った後かもしれませんが。油断はなさらず」 剣を振るっていたイデアの前に、他とは明らかに動きの異なる敵が現れた。装いは村人のものではない。剣を手にした、野盗の類か。損傷した肉体でありながら、鋭い志体の動きを持つ屍鬼。それが、三体。アルバルクは青い狼煙銃を打ち上げた。 横合いからシリーンに襲い掛かった個体に、イデアは盾を掲げて突進した。屍鬼は体当たりを喰らいながら即座に剣を返す。反応が速い。際どい間合いで、差し入れた騎士剣が激しい鉄の音を響かせる。隣にタムタリサが立ち、ほかの屍鬼からの動きに備えた。 (あの時と変わらない、あなたの剣は) 視界の端で彼女の剣筋が閃き、剣戟の音が耳を打つ。イデアもあれから人を斬った。或るいはその剣のあり方は近づいているかもしれない。しかし、間近であるはずの彼女の剣はどうしても異質に感じる性質を帯びている。他と隔絶された剣。 あるいは、それは自分が恋というものを知ったためなのかもしれない。 「はっ、熱烈歓迎ってか。どいつもこいつも体温低そうな顔しやがってよ」 アルバルクのシャムシールが迸しって屍鬼の腕を裂き、その白い輝きに赤の斑を混じらせる。エマの神風恩寵の風が巻き起こってシリーンの体を包み込んでその体を癒した。 再び轟いたシリーンの魔槍砲の砲撃の音を目印にするように、別班の面々が駆けつけてきた。 「多少は脳みそと骨のある奴がいんのか? ただの木偶人形相手じゃつまらねぇからな、狩る方もよ」 駆け付けたカルマが獰猛な笑みを浮かべて印を結ぶと、屍鬼の一体の足元から裏術鉄血針が飛び出してその肉を貫いた。屍鬼は獣じみた呻きをあげながら、針から激しく自身の血液を噴き出させる。 エリアスはオーラを纏った盾で屍鬼の剣を受け流した。その剣筋は軍の正規の訓練を受けた質のものではない。おそらく野盗のたぐいがアヤカシと化したこの三体が、夜間に一気に村人たちに襲い掛かって全滅させた感染源かもしれない。志体を持たぬ村人たちでは、ひとたまりもあるまい。 (力を持つ者と持たない者。……もっともその末路は、大差なかったらしいな) 数度目の打ち込みを盾で受け流すのに合わせ、グレイヴソードを振り下ろす。開いた体に叩き込まれたオーラの剣に、屍鬼は無残に肉を割られて倒れ伏した。 残る一体が鋭い踏み込みでモユラに襲い掛かった。モユラは軽い足取りで地を踏んだ。迫る白刃よりも、屍鬼の色の失われた暗い瞳がむしろ脳裏に刻まれた。 刃の肉に触れる刹那に、更紗の翻るようにモユラは身をかわし、すれ違いざま短刀を振りぬいた。 屍鬼の体が折れたところ、レオニスは十分の余裕をもって剣を掲げた。空に向けられた水晶剣が、血と肉に穢されたこの場に不釣り合いなほどに無垢な輝きを放っていた。危機を察した屍鬼が、反撃の挙動を肉体に起こらせる。短く息を吐き出してその瞳を見据え、レオニスは剣を振り下ろした。 開拓者達は時間を掛け、村内のすべての不死者を討ち果たした。 「思ったより、荒れてはいないのですね…」 シリーンは住居を一つ一つ、住居をまわっていった。所々荒れてはいるが、そこに残されていたのは極めて日常的な生活の痕跡だった。シリーンは、荒れた箇所や無残な血の痕跡を丁寧に拭っていった。 モユラとエマは墓地にいた。墓地は穴だらけだった。屍王の力によって、地の下から蘇らされたのだろう。手伝っていたカルマも、最後の亡骸を運び終えて息をついた。旨そうに吸った紙煙草の紫煙が、乾いた風に流された。 「これで全部か。動いてようが止まってようが、死んでる奴はどう足掻いたって死体だ。そこに意味なんざ、ないがなぁ」 エマはその呟きを黙って聞いた。おそらくそれは死というものに対する合理的な処理だった。モユラの背が視界に映る。墓の前で祈っているらしいその背は、豊かな赤髪を揺らして振り返らず、静かに言った。 「甘い感傷かも、ね。ただせめて、安らかに眠ってくれればと、あたいは思うんだ」 「ああ、悪く思ってくれるなよ。おまえさんがどう考えようと自由さ。俺が多少、違った考え方もするってだけでよ」 「そうなる何かが、あなたにも有ったんだね」 「……さてなぁ。もう忘れちまったよ」 深く煙草を吸って、カルマは踵を返してその場を去った。エマはその背を見送った。モユラの祈りと、その狭間で。見上げれば墓地に寄り添う、捨てられた教会。神教会の放逐されたこの地では、もはや神は人の死を担当していない。エマは黙って瞼を下した。 「あの墓地の状態からして、原因は屍王と見て間違いないでしょう。近隣には早急に連絡を入れ警戒させます。おそらく、遠くには行っていません。発見次第、ふたたび開拓者の方々の助力を請うことになるでしょう」 「……他に、何者かが関わっている可能性は?」 エリアスの言葉に、おそらくないでしょうと、タムタリサは首を横に振った。エリアスの問は最近のグルボイにおける情勢を念頭に置いたものだった。魔術師や、盗賊騎士。屍王の仕業と見られる以上、その線は薄いという。 「モルドゥムを逃がしたのは、誰だと思う」 「さあ、城内に手引きをした者がいるでしょうか。或いは、単に彼が魔術を使って逃れただけかもしれませんが。……ただ、私はそれでよかった気もします」 「どういう意味だ」 「彼が悪い子ではないのは、私を含めておそらく皆知っています。ただ、それを口に出来ない複雑な事情が、城にはある…そのために縛られるよりは、ふふ」 タムタリサはただ曖昧な微笑を浮かべた。 トラムトリストも、レオニスからゼムクリンでの事件の顛末を聞いていた。 「そんな事があったとは……肝心な時に力になれず、申し訳ありませんでした」 「謝ることでもないだろう」 トラムトリストは空を見上げた。世界には未だ、血生臭いものが満ちている。それは、己が今手にしている竪琴と音楽などが入り込む隙間もない、張り詰めたものに思えることが辛かった。 ただ、全く異なるからこそ意味があると願わずにはいられない。張りつめたものを、少しでも緩め、差し迫った人の心に、わずかでも安らぎを与えることができればと。トラムトリストは、亡くなった者たちを思い竪琴を奏でた。 イデアの視線を受けて、タムタリサは優しく微笑んだ。 「あの時より、少し落ち着かれたようですね」 「……恋をしたからかも、しれません」 素直に応えたイデアに、それは素晴らしいことですと、タムタリサは深く頷いた。 「タムタリサ様、あなたは……あなたはどうして剣を振るい続けるのですか…?」 「愛は無限なものだと、あなたは思われますか」 イデアにはよく分からなかった。 「おそらく有限なものだと、私は思うのです。人が人を愛せる量は、およそ決まっている。そしておそらくそれを、私は使い切ってしまった。あれを超える愛は、このさき私には無く、さらに、私は彼を斬りました。それによって、その愛は、完全なまま、閉じてしまった」 イデアはタムタリサの己と同じ、緑色の瞳を見た。僅かに翳りのあるその色は、何かが燃え尽きたことを示すものなのだろうか。強さ。愛。自分とは異なるその形態が、タムタリサという人格を持って現れたかのように、イデアは錯覚した。 トラムトリストの綺麗な竪琴の旋律が、風と共に流れるように響いていた。瞼を閉じて聞き入るタムタリサの姿は、イデアには眠りに落ちたようにしか見えなかった。 それは死を思わせるほど、静かな穏やかさだった。 |