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■オープニング本文 まず、食事は外せない。 もちろん他にも人々が楽しみにするものは多い。酒、歌に踊り、博打、芝居、ボウル遊び、盤上遊戯‥‥。 騎士と呼ばれる者にも色々あるが、彼らの場合これらに馬上槍試合、そして狩猟などが加えられる。 狩猟というものは一石三鳥で、まず娯楽であり、獲物を肉として供することができ、そして騎士たる彼らの勇気を示すこともできた。 ジルべリアが雪と氷に覆われない季節。他国よりも短い季節の訪れとともに農民は田畑へ、そして騎士の一部は森へ、放たれるようにして向かっていくのが春のはじめだった。 天儀ほどの、青々と生命が溢れるような緑の様子はジルべリアの森にはない。 肥沃な国土の熟れた森より乾いてはいるが、それでも冬には無かった緑の香りに森はたしかに満たされている。 人数は五人。四人は騎士であり、一人は従者だった。 すでに二人になっている。残りの三人は土に横たわり息絶えている。 狩猟の主な獲物は兎からはじまり、せいぜいが猪や熊までだろう。しかし、森へ向かえば稀にそれらをはるかに超える力を持ったケモノや、さらに運悪くアヤカシに出くわすこともありえた。 狩猟という娯楽に名誉というおまけがついてくるのは、そういった危険もまた、常についてまわることを意味していた。 そして彼らはもっとも運が悪く、さらに悪いことに、騎士たる己への自覚に足りていた。 現れたアヤカシに背を向けることをよしとしなかった。 騎士の亡骸に乗せられた足は巨大であり、重厚な輝きの鎧はなすすべなく砕け、鋭い爪が肉を裂いて血が噴き出た。 一人残った騎士はその様を前に剣を構えると、己の背にいる従者に言った。 「とんだ狩りになった。暇を与える。戻れ」 沈黙は短かった。あるいは長かったかもしれない。 「御武運を」 もともと口数の少なすぎる男だったが、このときにこそ無用の言葉をかけてこない己の従者に、騎士は感謝した。愁嘆場を演じたくもない。思えばあの従者とも長い付き合いになった。 これ以上友の亡骸を傷つけさせるわけにはいかず、騎士は躊躇なく己らを狩り尽くさんとするアヤカシの巨体へ足を踏み出した。 町へ駆け戻った従者が開拓者たちをかき集めだしたのは、それからひととき後だった。 |
■参加者一覧
キース・グレイン(ia1248)
25歳・女・シ
フェルル=グライフ(ia4572)
19歳・女・騎
利穏(ia9760)
14歳・男・陰
ジルベール・ダリエ(ia9952)
27歳・男・志
フェンリエッタ(ib0018)
18歳・女・シ
晴雨萌楽(ib1999)
18歳・女・ジ
丈 平次郎(ib5866)
48歳・男・サ
ジェーン・ドゥ(ib7955)
25歳・女・砂 |
■リプレイ本文 数は三。 各々が異なる崩壊の道筋をたどり、それでいて同一の意味をキース・グレイン(ia1248)の前に示していた。 動脈どころか肉をほとんど断つ爪痕から血を喪い肉体を変色させ、あるいは中の骨のどれだけがまだ接合しているのか分からないように肉体を変形させ、あるいは胸にいくつかの穴がきれいに空いているだけだった。 それらの異常は元の持ち主から悉く主体というものを持ち去り、周囲の景色との完全な調和のもと、ただ純粋な肉体として、彼らはそこに存在していた。 調和を崩して足を踏み入れたのは丈 平次郎(ib5866)だった。余程の速さで駆けつけたはずだが、顔を覆う被りは息で揺れてもいない。 ともすれば危うい場所へ立ち行きかねない刹那の夢想を、平次郎の背が視界に入ると共に、キースは瞬きひとつで断ち切った。 「……ごめんなさい」 遺体に駆け寄ったフェルル=グライフ(ia4572)は息を落とした。生死流転。未だ魂の宿る肉体を蘇生させる、巫女たる己の技。魂。横たわる三つの遺体に、それがもはや宿りえないものであるのは明らかだった。謝罪は助けられぬことと、いましばらく彼らをこの場に置いてゆかねばならぬこと。 数は三。元の騎士は四人。残りの一人は、この場には見当たらない。 それは生存の可能性の示唆だったが、ジェーン・ドゥ(ib7955)はこの場に何らかの違和を覚えた。打ち捨てられた肉体。それは、人間を食料とするアヤカシとは、近いようでいて微妙に整合しない光景のように思われた。 人間同士の争い、戦場ならばともかく―。 「急ぎましょう。まだ間に合うかもしれない」 つきつめた表情でフェンリエッタ(ib0018)は言った。彼女の心眼、フェルルの瘴策結界にはまだ反応はない。 どの方角へ、と、視界の端で地面に身を屈めながらぶつぶつとつぶやいているジルベール(ia9952)が目についた。それがアヤカシと騎士の痕跡を探っているのだと、フェンリエッタにもすぐに分かった。 「戦いながら……少しずつ押されるような形で移動……すり足から反転、歩幅が一気に広がっとる……走っとるな」 ジルベールは立ち上がった。 彫像のように立ち尽くしていた件の騎士の従者は伏せていた顔をあげた。凄惨な光景に耐えがたかったのか、あるいは騎士たちへの黙祷だったのか。 極端に口数の少ないこの青年は、そのジルべリアよりは天儀風に近い顔立ちから表情を読み取ることも困難だった。それでも、ジルベールは気にも留めない様子で話しかけていたが。 「行こうや。……ご主人、助けなな」 ジルベールたちはアヤカシと騎士の跡を追って再び迅速に移動を開始した。 人の足跡と、それよりはるかに大きい足跡。それらの合間に明滅するように続く夥しい血痕については、誰も口にしなかった。 キースの咆哮が森の静寂を割った。 森という異界にすでにありながら、彼らの周囲は尚以って容易に景色を変えた。 フェルルと利穏(ia9760)たちが疾走し、そのあとを追おうとする従者をジルベールが抑えている。なおも追い縋ろうとする従者の前に、白い壁がせりあがった。 「いまはあたいたちに任せとくれよ」 結界呪符を行使しながら、かくいうモユラ(ib1999)も抑えがたい焦燥をおぼえた。 キースに向かい、鞠の軽やかさを持った大岩のように襲いくる巨狼のアヤカシ。およそ一丈、とモユラの見た巨体だったが、それよりも彼女の平静を波立たせたのは別にあった。 互いに駆けるフェルル、利穏と巨狼が交差する。しかし両者は接することなく、互いの脇を駆け抜けそのまますれ違った。巨狼はキースへ、フェルルと利穏は、地に伏した騎士と思しき者の元へ。 モユラたちがこの場に駆け付けた時、遭遇したのは紛うことなき捕食の光景だった。巨狼が騎士の体に顔をうずめ、その肉の一部をかみ砕いて咀嚼する姿。 その光景は生命の循環という他の自然とは何か全く異なった、強烈な不和を催すものだった。 果たして、あの光景の元、騎士がいまだ生命を保ち得るか―。 「私たちが死なせはしません」 フェルルが駆けつけるや術を行使する。血の匂いしかしない。騎士の肉体の損傷から目を背けている暇もありはしない。 それは利穏も同じだった。 フェルルが術をかけるそばから持ち得る道具、術をもって騎士の肉体を回復させんとする。 「黒死を司る呪符でも、使い方次第で人を救える筈です!」 指先の符にあらん限りの気力を込める。燃焼した気力は新たな力となって手にした符を仄かに灯した。 騎士の肉体がすでに死を迎えているのは明らかだった。肉体の損傷ならば自分がなんとしてでも治してみせる。しかし、魂という生命の灯火が完全に消えた肉体は治せない。 魂さえこの騎士の肉体に未だ留まっていれば、フェルルの術によって生命の鼓動、その初動を開始させることが出来る。 魂。魂さえあれば。 (諦めない……諦めたくない) 騎士の血に塗れた肉体を見据える利穏の瞳は揺らがない。それは或いは赤い血潮という暗海の只中、かすかな光明をもとめて遼遠を見つめる者の真摯さだった。 二人が騎士の治療に専念し、一人は本調子ではない。万全とは言い難い条件の中での戦闘となったが、傭兵上がりのジェーンにしてみれば、そも戦場で万全を期待する習慣からして毛頭ありはしなかった。 手にしたもの、目の前にあるもの。その中で目的を達成するという機能性は、いわば現在という、人間にしてみれば一瞬の接地点に己の五感すべてを投入することを強いているのかもしれなかった。 「依頼は優先します。ですが、その中で救える命があるのであれば、出来る限りのことはさせて頂きます」 手にあるもの。刀とピストル。それが現在の己の機能だった。 ジェーンの白くしなやかな手が静止の中でわずかな挙動を見せたとき、ピストル「アクラブ」から放たれた弾丸が、線を描いた精緻さで疾駆する巨狼の現在を捉えた。 黒い体毛を逆立てて体を震わせた巨狼は、しかし止まることなくキースに向かって跳躍した。巨大な体躯は前足を振り上げさらに巨大な影でキースをすっぽり覆う。影の中で巨狼の鋭く、当然これも巨大な爪だけがやけに白々しい。 キースは影のなか短く息を吐いた。凶爪は迫っている。重心はなお丹田にある。この場にあって廃忘せぬ自己を確かに発見した。 爪に左腕を差し出す。腕では捌ききれない。質量が違う。爪が腕に届く。瞬間、左腕を支点として体を半身入り身に捌いた。駆け抜ける巨狼の後、大きく揺れながらも両足で立つキースの体が残った。 「キース」 「大丈夫だ」 駆け寄った平次郎の背で、キースは朱に染まった左腕の拳布を素早く締め直した。爪で掻き切られたというより、接触時の摩擦で皮が削がれていた。 「さすがに一撃が重い。おまけに速い」 「鈍らせるか」 平次郎が大剣を構える。手にした者の怒りを吸うという曰くの大剣。記憶の多くを失った己がどれほどの怒りを宿しうるか。怒りという感情もまた、過去に根差したものなのではないか。刹那に訪れた怖れにも似た空虚のなか、騎士の命を手繰り寄せんとするフェルルと利穏、そして騎士の従者の存在を、平次郎は感じた。 己にもいたはずの主。その主も、やはり忘却の淵に名前すら追いやられたまま。 (生きるべきだお前は。そうでなければ……) 喪失が己の過去だとすれば、まさにその道を同じくせんとする者がいる現在。そして彼の者が歩む未来―。 静かに紅に揺らいだ大剣が、平次郎の放胆な踏込と同時、巨狼の足を深々と捉えた。 巨狼の攻撃をキースが受け止め、傷が深くなると平次郎が咆哮によって攻撃を引き受けた。 それは一撃を受けるたび、体が軋み文字通りに血のにじむ思いのする行為だったが、初撃以降、フェンリエッタが斜陽によって巨狼の攻撃を減衰させたことも功を奏し、致命に至るものにはならなかった。 「汝を縛るは陰陽師モユラが蜘蛛の糸。逃げられるかい?」 蜘蛛を象った呪縛符の式が吐いた無数の糸が紗のように足にまとわり、平次郎、フェンリエッタが鈍らせんとしていた巨狼の四足獣の疾さを着実に封じた。 フェンリエッタが巨狼の懐にもぐりこむ。巨狼はわずらわしげに足を振るったが、動きの鈍った体と瞬風波の風をまとったフェンリエッタでは速度が違った。 「これで終わりだ!」 地から振り上げられた剣が巨狼の喉元を真下から貫くと、巨狼は低くくぐもった短い唸りをあげて全身の輪郭を崩しだし、やがて崩れた線は春の雪消のように風に融けてゆく。残された瘴気を払うようにフェンリエッタが剣を振るうと、黒い霧の中で刀身に刻まれた光輝の文字がながく線を引いた。 勝利の余韻も無く駆け寄ったとき、彼らの前にあったのは憔悴したフェルルと利穏、そして戦いの前と変わることなく横たわる騎士の亡骸だった。 「手は、尽くしました。けれど魂、魂がもう……」 フェルルが声を震わせて言った。うなだれた顔から表情はうかがえない。 長い沈黙があった。 「……主人は」 騎士の従者だった。亡骸の前で膝を折り、訥々と口を開いた。騎士の開かれた掌のすぐ近くに横たわった剣に、すがるように指をかけていた。使い込まれた美しい剣だった。 「主人は立派だったのだと、思います。私を逃がして下さいました。最期まで戦ったのだと思います。他の騎士様方から一人離れてここまで来られたのも、アヤカシに、ご友人の亡骸を傷つかせないためだったろうと思います。これだけは私は誓って言えますが、決して、最期になって臆して一人逃れようとしたわけでは―」 「誰もそんなこと思っとらんよ」 ジルベールの言葉にわずかに安堵したような表情を見せたきり、言葉を詰まらせてうつむいた従者を、ジェーンは何か遠い光景を眺めるような心持ちでいた。勝ち目無い戦いに向かった騎士。それは名誉、あるいは矜持と呼ばれるのだろう。騎士の死。死してなお、その名誉を守ろうとする従者、彼の安堵。その安堵という一瞬に、己が捨てたものの結晶を見た気がした。 死してなお、それは人を縛るのか―。 騎士の亡骸を見やった。引き締められた顔と表情。それは決して安らかという類のものではなかったが、ジェーンが見てきた戦場の苦悩を込めたどの死相ともまた異なるものだった。 葬儀はすみやかにとり行われた。 ジルベールの手配していた馬車で町に運ばれた騎士たちの遺体が、今日は棺台によって埋葬の地に運ばれる。 「私から、そして彼らに代わってお礼申し上げる。あなた方は彼らの最も大切なものを守って下さった」 それが領主の言葉だった。 そんなことはない、と誰かが小さくつぶやくのを平次郎は頭を覆った被りを通して聞いた気がしたが、空耳かとも思われた。 つば広の三角帽を胸に抱いたモユラの瞳に、会葬者たちの手にしたロウソクの小さな赤い灯火が無数に揺れていた。 (死ぬのが名誉だなんて、あたいは思わないケド…) ジルべリアの黒い天鵞絨に覆われた棺が、墓穴に下ろされてゆく。 (この騎士様たちは、きっと誇りをかけて戦って、倒れたんだ) その誇りをせめて、家に帰すことが出来ただろうか。 帽子を脱ぎ、その豊かな赤毛をすっかり露にしたモユラが黙祷する姿は、ロウソクの赤い灯火が全て、モユラの祈りを投影して灯り、細やかな揺らぎをも生み出しているようにさえ、傍らの利穏には思われた。 利穏がこの町に居合わせたのは、曖昧な己の記憶をたどりジルべリアを旅している途中だった。その自分が結果として、ジルべリアに生まれた人が辿る最期に立ち合わせたことには、何か浮遊感にも似た不可思議な感覚をおぼえずにはいられなかった。 これもまた神教会の信仰というものを廃した葬儀の形式なのだろうかと、葬儀の進むなかでわずかに色の欠けた空白のようなものを感じたとき、フェンリエッタが口ずさむ歌が聞こえてきた。 剣と盾の誇りを知る者よ、勇敢なる友よ。貴方の志はここに引き継ごう。溢るる新緑は魂の旅路を照らすだろう。命はふるさとへ、大地の揺籃に眠り給え。貴方が永久に安らかでありますよう。 フェンリエッタの歌と重なり、従者の両の手に乗り領主へと差し出される騎士の遺剣が無数の灯火に映えて薄紅に染まったとき、欠けたものが全う手元に揃ったような充足に、利穏は知らず満たされていた。 |