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■オープニング本文 「お気づきにならないの。私にはあなたが必要なのに」 男は足を止めざるを得なかった。肩に手をかけられるでもなく、蹴つまづくでもなく、声をかけられるでもない。 普段のどのような日常として起こりうる妥当な作用も、そのとき彼には働かなかったはずである。しかし彼が足を止めたのは、彼自身の意思というにはあまりにも力強く、乱暴な、紛うことなき強制の力だった。 美しさは、触れた者の心とそして肉体を喚起する。 だが彼女の美しさとは、彼女の横顔とは、心というものを介することなく、あたかも美しさという名の実体の宿った触手を自らの領域に足を踏み入れた男に伸ばして、拘束するかのごとくであった。 柔らかく波うった金色の髪、血が青く透けるほどに白い肌、細くしなやかな指、そして何より、物憂げな、形容しがたいあの瞳。あの瞳こそ、彼女の美しさの湧き出す根源だった。 実体の宿りうる、受肉した美しさというもの。それはあるいは神性。あるいは―。 それまでとりとめもなく揺蕩っていた彼女の瞳が、とうとう男をとらえた。 「ああ、あなたは私を満たしてくださるのね。うれしいわ。うれしいわ」 男はすでに彼女のナニモノにも抗う術を持たない。 首に巻かれた彼女の腕。突きつけられた、彼女の瞳。 それはどこまでも赤い、深奥の紅の輝きだった。 「例のグールですが、やはり断続的な発生が続いています」 「被害は」 「大事には至っていません。グール自体は、把握できた時点で騎士隊が向かい、問題なく対処できています。……しかし、この頻度での発生というのは、やはり病巣の存在を疑わずにいられません。確認できましたが、首筋に傷、あったそうです」 「吸血鬼というのは実に厄介でね。私などもいい思い出はない」 「……いかがいたしましょう」 「これは騎士たちには少々、向くまい。場所も悪いだろう」 「貧民街ですか」 「ああしたところを嫌う騎士は多い。士気が下がってはな。銃士隊でも心もとないだろう」 「はい」 「開拓者ギルドに連絡を」 |
■参加者一覧
京子(ia0348)
28歳・女・陰
利穏(ia9760)
14歳・男・陰
エルディン・バウアー(ib0066)
28歳・男・魔
玄間 北斗(ib0342)
25歳・男・シ
央 由樹(ib2477)
25歳・男・シ
フォルカ(ib4243)
26歳・男・吟
柊 梓(ib7071)
15歳・女・巫
祖父江 葛籠(ib9769)
16歳・女・武 |
■リプレイ本文 雨は降らさずとも、ジルベリアの相変わらずどこか重苦しい空模様。 京子(ia0348)と利穏(ia9760)の放った鳥型の人魂が、灰の中を浮かぶようにして街の上空を飛んでいる。手元の地図と相まって、その俯瞰は手に取るようだった。 都市の中心から放射状に延びた大通りは、中心から離れるにつれ細かく枝分かれしてゆく。京子たちが歩いているのは、つまりその支流の最も末端だった。都市機能という血流が完全には行き渡らない、細かい血管にひしめくようにしてよりそう住居の並び。 (思っていた以上に複雑だな) 手帳にメモを落としながら利穏は思う。一帯を完全に把握するのは不可能といっていい。地図は中心ほど詳細に描かれているが、中心から離れた周縁部ほど大まかに、空白も多くなっている。要所になりそうな場所を可能な範囲で抽出していくしかない。最も、それも一人ではとてもままならなかったろうが。 「・・・・・・ふふふ」 ちらりとうかがった京子の横顔には、何かしら悦にひたっているらしい怪しげな笑みが浮かんでいる。深くつっこまずに当たり障りない話題でも振ってみるべきだろうか。 「それにしても吸血鬼って、どんな相手なんでしょう」 「吸血鬼。吸血鬼。ああもう、本当にいい響きですねぇ。アヤカシ達は総じて個性豊かですが、そこにはもう一歩、独自の固有性を含んだものを感じます。是が非でも出会いたいものです。そのためにも私たちの役割を果たさなくては。ええそうです。そうですとも。頑張りましょう、利穏さん」 「はあ」 きっちり地雷を踏み抜いたのだろうか自分は。 「聞くに、様々な特性を持っているらしいですが」 「まさしくその点ですね。彼ら吸血鬼は一個体の中に実に多様なものを抱えているようです。だからこそ他者をアヤカシとして増やすことも出来る・・・・・・。アヤカシを何を基準に数えるのかは難しい命題ですが、彼らこそ外見上での単体を生命としての単体として数えることは出来ない良い例かもしれません」 「・・・・・・一匹いたら三十匹、とか」 「あはは」 もっとも、陰陽師であるうえに献身的な性根の利穏は京子とのアヤカシ談義にじゅうぶん応えられていたわけだが。 調査をしながらのアヤカシ談義はしばらく続き、 趣味と仕事を両立させている例を一つ学んだ利穏だった。 貧民街と呼ばれる都市周縁部に住む日雇い労働者たちは、何かしらの手工業の作業場で働くことが多かった。ジルベリアは織物業が盛んであるから、特に織布作業場がその受け口になっている。 央 由樹(ib2477)と祖父江 葛籠(ib9769)の二人の姿もそこにあった。建築現場などと違って、女工も多い織布場であれば葛籠も目立たない。午前中の仕事を終え、今は昼の休みに入っている。 昼飯は他の労働者たちと同じく、パンとスープと、チーズを少しばかり。 「兄ちゃん、可愛らしい嫁さんもらってんだなぁ」 「・・・おおきに」 何やらばつの悪そうにチーズをかじる由樹の視線の先には、楽しげに周囲の女工と会話を交わす葛籠がいた。 「駆け落ち夫婦かい。事情はあるんだろうが、苦労だねぇ」 「大丈夫です、由樹さんと一緒ですから」 「あらお熱い。うらやましいわー」 最近よそから駆け落ちてきた夫婦という設定を完璧にこなして周囲に溶け込む葛籠のあの適応力とか芝居力とかはどうしたことか。末恐ろしい。それとも女ゆうんはみんなそうなんか? どないにしろ恐ろしいわ。 「かー、愛されてんなぁやってらんねえ。とっとと中央にでも移れるように気張るこったな」 共通の労働と食事は連帯意識を容易に生むのか、自然に進んでいく会話のなかで由樹は軽く思案するそぶりを見せ、 「そういや、ここら辺で吸血鬼が出るなんて噂を聞いたけどほんまの所どないなん?」 「なんだ、知ってるのか」 「うん?」 「ここの作業場の人間もやられたらしいぜ。・・・働いて働いて挙げ句グールにされてよ。せめてもう少しましな死に方させろって」 「その話、もうちょい詳しい人おるかな」 由樹はやたら固いパンをかじりながら顔を寄せた。 酒場は情報場でもある。結局のところ人の口を割らせるのは酒がもっとも上手いということらしい。 情報を買うべく酒を振る舞うエルディン・バウアー(ib0066)と 玄間 北斗(ib0342)の周りは当然のごとくにぎわった。 「お嬢さん、お兄さんたちと一緒に飲みませんか」 「なぁなぁ、兄ちゃん。美人さんの集まる場所とか知ってたら教えてくれよ。一杯奢るからよ」 そんな言葉と共に聖職者スマイルと癒し系たれたぬきスマイルという、なんだかよく分からないタッグを組んだダブルスマイルの効果もあってか、弾む会話の中で相手の持ちうる限りの情報は収集できた。 曰く、 「女が欲しいんなら宿で買やぁいいじゃねえか」 「私、通りで騎士とグールがやり合うところ見たわよ。怖かったわー」 「最近買った女が、えらく美人の商売がたきが居るらしいって噂をしてたがね」 「そんな上玉がいるなら男の間でもっと騒がれてていいだろうよ。ただの噂だろう」 「その道の女が知らねえ位だから、宿や館にゃ詰めてないんだろうよ。本当に居るんならな」 「あんたら二人は何かが逆にやばい匂いがする」 そんな具合だった。 店を後にした二人は集めた情報を整理しながら、埃っぽい通りを歩いてゆく。 「いやー、中々に楽しい時間でした」 「次はどうするかい、エルディンさん」 「そうですね。先ほどの話からも、やはり娼婦さん方の中にもう少し詳しい情報がある気がしますね。そちらに当たってみますか」 「旦那も好きだね〜」 「そういう設定ですよ、設定」 「エルディンさんは遊び人の体が堂に入ってて、演じてるうちにそれが素になりかねないのだぁ〜」 「いやですねぇ、これでも聖職者ですよ私。ははは」 「なはははぁ〜」 周囲から好奇の目を向けられる二人であった。 日が暮れた。 ひとつひとつ、どれも異なる間隔で揺れる蝋燭の明かり。薄暗い夜の酒場の中、客の喧騒の雑多さを示すように、いちいち不規則に揺れるその明かりたちは、しかし酒場という一個の全体として常にかたくなな調和を示していた。 一つ一つを遊ばせておきながら、全体という調和は崩れない。提琴を奏でるフォルカ(ib4243)の競い手は、あるいはこの蝋燭たちを自在に揺らめかせている何者かだった。一音一音、弾くような音を多用する今日の演奏は、ジルベリア風とはまた違った軽快な異国的抒情にあふれていた。 揺れる火明かりと弾む音色。それらの恩恵は柊 梓(ib7071)の小柄な体躯に捧げられていた。音の弾みにくるくると回り袖は振るわれ、梓の白く長い髪は火色に染まりながら宙を舞った。 客の喧騒、蝋燭の火、包みこむ夜の気配、そして曲と舞。おそらくそれもまた、芸術と呼ばれるものが消費されてゆく一つのあり方だった。演奏は客たちの囃すだけ続けられた。 「おまえさん方なら街の真ん中の方でもやれるだろうに」 「そりゃどうも」 「お嬢ちゃんこっち来ねえ。一緒に飲もうじゃねえか」 「私は、あまり・・・ふに」 男たちの視線から逃げるようにして梓はフォルカの背中に隠れてしまった。 「悪いな、人見知りする方でね」 「いくらだい」 「金じゃ買えん」 「そうかい」 適度にあしらいながら、情報を得るために会話を交わしていく。今のところ、めぼしいものは出てきていない。 「あの、フォルカさん、あちらの方に、お話を、聞きにいってみます、です」 「ん、大丈夫かい」 「はい、目を見れば、だいたい、わかります、です」 あの客はフォルカも演奏をしているときから目には止まっていた。自分たちを見据える視線に一種の真摯さがあった。あるいは彼も音楽でもやるのかと思う程度には。 「分かった。気をつけてくれ」 「はい、がんばります、です」 梓の背中を見送ると、フォルカは再び客の話に自分の狼の耳をかたむけた。 ひとしきり情報を集め終えた彼らは、あらかじめ決めておいた宿屋に集まっていた。夜は酒場も兼ねている一階からは、まだ残っている客たちの気配が伝わってくる。 各自が持ち寄った情報を整理する。件の吸血鬼に直結するような、決定的といえる情報まではいかなくとも、その存在を感じさせる噂が街には少しずつ散りばめられていた。 大変な美人。長い金髪。小柄。人気の少ない路地。この前出たグールは私の常連。 「グールが出るっていう、大変な出来事の割に情報が多くないあたり、かなり慎重な吸血鬼なのかもしれませんね」 「けど、みんなが持ち寄った、吸血鬼らしい人の、特徴なんかは、だいたい、共通してる、です」 「あとはその女の目撃場所と、グールの出現場所と、グールにされた被害者の生前の行動範囲を・・・・・・」 それらの情報と、京子と利穏が現地を歩いて書き込みを加えた地図とを照らし合わせていく。 「この盗賊横町から、ギーラー小路にかけての範囲が中心になってますね」 「ここからさほど遠くはないですね。では明日は本格的な捕り物ということで。私は一応、ムスタシュイルを仕掛けてきます」 「もちろんおいらもついて行くのだぁ〜」 「よし、あらかた方針は決まったか。・・・・・・大丈夫か、少し疲れてるように見えるが」 「ん、いや」 由樹は歯切れ悪く頭をかいている。ちらりと見やった視線の先には、対照的に元気いっぱいの葛籠。 「よーし、吸血鬼を見つけ出して、みんなが安心して暮らせる街を取り戻すよ! ん〜・・・でも、由樹さん」 「なんやろ」 「いまさらかもしれませんけど、ショウフってなんでしょう?」 「・・・・・・」 「菖蒲とか屏風の親戚でしょうか?」 わずかな硬直を見せる由樹。顔色は変わらない。しかしフォルカには由樹の緊張が透けて見えた。 彼はいま良心を試されている。 「・・・・・・菖蒲あたりは近いかもしれんな」 だいたい力関係を察したフォルカは黙って由樹の肩を叩いていった。 晴れてもよさそうなものだが、やはり空は曇っている。 通りを歩けば、あらゆる人々が目に止まる。労働者、娼婦、辻音楽士、手癖の悪そうな男、あるいはペテン師なんかもいるかもしれない。彼らの目が何を見ているのかは分からない。力のある目もあれば、目の前のものをひたすら受け入れるような目もある。梓は、彼等の目をどう見るだろう。 しかしどれだけ雑多な様相を示していようと、アヤカシはここにも混じれない。アヤカシと彼等、そして私たちを一緒に括ってはいけない。人はいついかなる時も愛を持ち得る。たとえ今がどうであろうと。 アヤカシは、愛を持ち得ない。 「こんにちは」 エルディンはやはり微笑を浮かべていた。女―の姿をしたものは微笑のようなものを返した。 「やっとお会いできました。・・・・・・ああ、やはり素晴らしい」 京子は嘆息をもらす。アヤカシと愛について、京子に聞いてみるのも面白いかもしれないと、エルディンは埒もなく思った。 「ふふ、素敵な方々。あなた方は私を満たして下さるの?」 「いいえ、生憎。なぜならあなた方は私たちからただ奪っていかれるだけですから」 「それは当たり前のことではなくて?」 「いいえ、そこにあなた方とは違うものを見いだすのが私たち、人です」 「ああ、あなた方はやはり敵でいらっしゃるのね」 吸血鬼が周囲に感覚を伸ばすのを北斗は相変わらずの笑顔の下で感じた。すでに分かっているだろう、自分にはすでに逃げ場がないことを。吸血鬼の姿を確認するや、利穏がすぐさま手帳に羽根ペンをはしらせて地理と、人数を配置するべき場所をわりだしていたのだから。 北斗は敵の動きにいつでも対応できる己の身を認じた。手元には、手裏剣の薄い鉄の冷たさが伝っている。 「ずいぶん用意のよろしいこと。ご苦労をおかけしてしまったのかしら。逃げ場がないのであれば、私も戦うしかないのだけれど、よろしくて」 「ご自由に」 「ふふ、酷い方々」 吸血鬼が最期に見せた微笑は凄惨に歪み、それは真実、魔性の美しさと言えた。 |