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■オープニング本文 ● じゃぶじゃぶ。 まだ上ったばかりの太陽の光が、桶の中の水に反射してきらきらと輝く。 翠は家の軒先に出て、桶にたっぷりと重なった着物を一枚ずつ、洗濯板にこすりつける。水を吸った着物は重く、土や泥をたっぷりと浴びた汚れは、なかなか落ちない。着物は家族全員の――八人分もある。翠は歯を食いしばりながら、布をこすりつける腕に力を込めた。落ち着いた言動と見た目が大人っぽく見えるとはいえ、翠はまだ十一歳。未成熟な細い腕には、家族の分の洗濯は重労働だった。 「翠、まだ終わらないのかい? 洗濯一つに、いつまでかかるんだ。さっさと終わらせて、こっちの掃除を手伝っておくれ」 家の中から、中年の女性のあきれたような声がして、翠は顔を上げた。聞こえてきたのはあわてて、言葉を返す。 「すみません、お養母(かあ)さん。すぐに終わらせます」 「頼むよ、こっちは子どもたちの世話で手一杯なんだから。ああ、忙しい忙しい」 そういう義母の声は疲れ切っている。翠は、しびれはじめた両腕を叱咤しながら、大急ぎで布をこすりはじめた。 お養母(かあ)さんとお養父(とう)さんは私を今まで育ててくださったのだから、私が恩返しをしなくちゃいけないのです。 翠はいつでもそう思っている。物心ついた頃には、翠の両親はすでに亡かった。アヤカシに殺されたのだ。 両親と兄は、翠を守って勇敢に戦い、亡くなったのだと、そう聞いている。残されたのは、まだよちよち歩きの翠だけだった。 養父母はそんな翠を不憫に思って、拾ってくれたのだ。彼らには五人の子どもがいて、自分たちの暮らしだって決して楽ではなかったはずなのに。 だから、翠は二人に感謝している。どんなに感謝してもしきれないほどに。それは、罪悪感にも似たものだったのかもしれない。たとえ彼らが、実の子どもたちのことを思うあまり、外から拾ってきた翠に辛く当たっているように思えることがあったとしても、それは当然であって、仕方がないことなのだ。義理もないのに育ててもらったことだけで十分ではないか。 幼い頃から物わかりがよく、聡明な翠はそのように思って、今まで生きてきた。彼女は根っからの優等生だったのだ。 けれど――甘えたいと思ったことが、なかったわけじゃない。 ● 北面の国のとある都市。そこに一軒の屋敷があった。 豪華、とは言えないがそこそこの広さを持つその屋敷の門扉は、日中は常に開かれており、門にはこんな表札が掲げてある。 「寺子屋 俊馬」 その名の通り、俊馬という名の一人の志士が、都市の子供たちを相手に学問を教える手習所だ。 ここに通う子どもたちの共通点は、「志体持ち」であること。年齢も性別もばらばらの、五人の門弟たちはみな「志体持ち」であった。 「というわけなのですが、相談に乗ってもらえないでし蛯、か」 昼下がりの開拓者ギルドで、受付員にむかって困ったような顔を浮かべながら話しているのは、寺子屋の先生である俊馬だ。 一応は実力のある志士だというが、その冴えない顔には威厳などは全然ない。思わず構ってやりたくなってしまう子犬のような顔、といえなくもないが。 「なるほど、もうすぐ翠ちゃんの誕生日だから、何か喜ばせてあげたい、とそういうことですね」 受付の女性の言葉に、俊馬がうなずく。 「ええ。僕では、女の子が何をしたら喜ぶかなんて、さっぱり分からなくて・・・・。翠は、うちの生徒の中で最も手のかからない優等生なのですが――その分、普段からいろいろと気を遣いすぎて、自分を押し殺しているところがあると思うんです。家庭環境のこともありますし――」 俊馬の真剣な様子に、受付の女性が感心したようにうなずく。 「ですから、せめてその日だけでも、彼女が主役になれるように、誰かのためではなく、彼女自身のために心を開くことができるように、何かしてあげたい、と思うのです」 ――頼りなさそうにみえて、意外と考えているんじゃない。 俊馬の話を聞きながら、受付員がそんなふうに思い、心の中で微笑む。 「できれば彼女には――もっと甘えて欲しい、なんて言ったら、お節介ですかね」 自分の言葉に照れくさくなって、顔を赤くしている様子が微笑ましい。そんな俊馬に、受付の女性はにっこりと笑ってみせた。 「わかりました。大丈夫ですよ、百戦錬磨の開拓者たちなら、きっと、翠ちゃんを喜ばせてあげられますから」 |
■参加者一覧
礼野 真夢紀(ia1144)
10歳・女・巫
平野 譲治(ia5226)
15歳・男・陰
ジェシュファ・ロッズ(ia9087)
11歳・男・魔
木下 由花(ia9509)
15歳・女・巫
エグム・マキナ(ia9693)
27歳・男・弓
ベルトロイド・ロッズ(ia9729)
11歳・男・志
琉宇(ib1119)
12歳・男・吟 |
■リプレイ本文 ● 「いつも助けていただいちゃってすみません」 そう言って気弱そうな笑顔を向けた俊馬に、木下由花(ia9509)がほんわかとした笑顔を返す。 「いいえ。翠さんの心が温かくなるような、素直な日になるといいですよね♪ 翠さんはいつも、自分を抑えていらっしゃるので、お誕生日には主役になっていただけたらいいんですけど・・・・」 「そういえば、翠さんには家の事情が、って言ってましたけど・・・・何かあるんですか?」 そうたずねたのは、礼野真夢紀(ia1144)だ。同年代の女の子として、翠とは友達になりたい、と思っている。少しでも彼女のことを知っておきたい。 「ええ。実は・・・・」 俊馬はそう言って話し始めた。翠の両親が、翠が幼い頃にアヤカシによって殺されたこと。そして翠が養父母に育てられたこと。養父母はいい人たちだが、生活は苦しく、聡明すぎる翠は、甘えることができないということ。 「養父母か。俺たちも少し違っていたら同じようなことになってたのかな?」 同じく両親をアヤカシに殺されたベルトロイド・ロッズ(ia9729)が、小さく呟いた。あの時以来二人きりで共に生きてきたジェシュファ・ロッズ(ia9087)の方にちらりと視線を向ける。当のジェシュはきょとんとした顔で、翠の過去には興味がない様子だ。 「まずは翠ちゃんがどうしたいか、だと思うんだけどね。もちろん、僕たちは味方だけど」 のほほんと言うジェシュ。俺はジェシュの、こんな態度に救われていたのかもしれないな。そんなことを、ベルトーは心の中だけで呟く。 「翠ちゃんには内緒で、みんなでお誕生日会を計画しようよ。みんなで歌を作れたらいいと思うんだ」 琉宇(ib1119)が楽しそうに提案する。 「やる場所は、寺子屋で良いでしょう。そこで・・・・こっそりみなさんでお祝いを用意してください」 元教師のエグム・マキナ(ia9693)が、頭の中で計画を立てながら言う。 「でも寺子屋は、普段の授業もありますし・・・」 そう言った俊馬に対し、真夢紀がエグムと視線を合わせながら、あらかじめ考えておいた計画を説明する。 「昼間ではなくて、授業が終わったあとに翠さんが家の手伝いのために帰らなくても良い理由を作った方が良くありませんか? ・・・・今の時期ですから、月見のための特別授業、なんてどうでしょ?」 「親御さんへは、俊馬先生が授業をしている時間に、私が話しに行きます」 エグムがそう言うと、俊馬はほっとしたような表情になった。元教師で、物腰も丁寧なエグムになら、任せても大丈夫だろう。 「細かい事情云々はともかく、全力で遊ぶなりよっ!」 そう言って、平野譲治(ia5226)が走り出し、みんなもそれぞれに動き始めた。翠の、笑顔のために。 ● 少し日が短くなりはじめたこの季節。夕方ともなると、西側から射し込む日差しが庇を越えて屋敷の中に入り込み、教室が橙色に染まる。そんな、寺子屋の放課後。 「ななっ、黄平の友達なりかっ? 少々ばかりお願いがあるのだっ!」 教室に飛び込んできて黄平と親しげに挨拶を交わしたあと、いきなり自分の元にやってきた譲治に、翠は目を白黒させる。 「申し遅れたのだっ! おいらは平野譲治なのだっ! 平野っていっぱい居るから譲治なりよっ!」 「じょ、譲治さん、ですか?」 「譲治なのだっ! 君とかさんとか様とかダメなりねっ!」 などと、すごい勢いで迫っている。 「え、えっと、その、お願いって・・・・」 「そうそう! 女の子の祝い事なりが、何をあげたらいいか分からなくてっ! 買い物に、付き合って欲しいのだっ!」 (「ふふ、いきなりデートのお誘いなんて、譲治君らしいなぁ・・・・」) 同じく教室にやってきていた琉宇が眩しげに微笑む。教室の隅では朱吉と蒼太が、一体何が起こったのかと二人の様子をはらはらしながら見ているようだったが、当の二人はまったく気付いていない。 「でも、私はこれから、家事をしなくては・・・・」 「二人でやれば、半分なりよ! 今回のお礼の先払いで、お手伝いするのだっ!」 屈託のない笑顔の譲治に、翠は思わずうなずいてしまう。 「そうと決まったら、早速行くのだっ!」 そう言って、翠の手を引っ張り、譲治が走り出す。手と手が触れた時、翠の頬にさっと赤みが差し、それを見た朱吉と蒼太が思わず腰を浮かしかけたりしたのだが――譲治はそんなことには気がつかない。 「さて、翠ちゃんが居なくなったところで、と」 走り去る二人を見送って、琉宇が口を開いた。 「みんなに、手伝って欲しいことがあるんだ。翠ちゃんの、誕生会の準備を、ね」 そう言って片目をつむってみせる琉宇。それを合図に、教室の中に他の開拓者たちが入ってくる。 「あー、ゆかちゃんと、まゆちゃんだ〜ひさしぶり〜」 桃子が、にっこりと笑って手を振る。 「桃子ちゃん、おひさしぶり。一緒に、美味しいご飯を作っちゃおう!」 由花が笑顔で返し、真夢紀もにっこりと微笑む。 「桃子さん、翠さんが好きな食べ物知らない?」 そんなことを話しながら、女の子達はすでにすっかりお料理モードだ。 「おりょうり、つくるの?」 「そうよ、黄平君。そうだ、このあたりで手に入る、秋においしいものと言ったら何があるかな? 教えてくれる?」 食べ物の話題につられた黄平もお料理組に参加のようだ。 「僕はジルベリアのデザートを作ろうと思うんだ。ババとか、チョコレートスフレとか・・・・」 ジェシュの女の子をとろけさせるお菓子レパートリーは、きっと、翠にも好評だろう。 「さて、俺たちは教室の飾り付けをしよう。朱吉と蒼太は手伝ってくれる?」 『もちろん!!』 事前に準備しておいた布や紙でできた飾りを荷物から取り出したベルトーに、朱吉や蒼太がなにやらやけに気合いの入った声で応じた。・・・・どうやら、翠は寺子屋の男の子たちに人気の存在のようだ。 「あとね、みんなにはぜひ、協力して欲しいことがあるんだ。ね、俊馬先生?」 琉宇に話題を振られ、俊馬が笑顔でうなずく。 「ええ、みんなで翠のために・・・・誕生日の歌を作りましょう。琉宇が作ってくれた曲に、素敵な歌詞をつけてください」 「俊馬先生も、ね」 「え? わ、私もですか? 困ったな・・・・詩は苦手なんですけど」 そう言って俊馬が頭をかくと、教室の中に笑い声が弾けた。良い誕生会が、できそうだった。 ● 夜の冷たい空気は美しく澄み、真っ黒な空に輝く光をくっきりと浮かび上がらせる。 満月。 冷たくも美しい夜の神が、地上に白銀の光を振らす、静かな夜。 「すっかり遅くなっちゃって、ごめんなのだっ」 「いえ、譲治さ・・・・じょ、譲治。私も楽しかったです。家事まで手伝ってもらっちゃって・・・・」 外からそんな声が聞こえてきて、真っ暗な教室の中で息を潜めている者たちの顔が、ほころんだ。 「さすがにみんな帰っちゃってますよね、荷物だけ取って・・・・」 そう言いながら、翠が教室の戸を開く。 「今ですっ!」 由花が【火種】の術を飛ばし、用意しておいたたくさんのろうそくに火をつける。 「わぁ・・・・」 教室に入った途端に目の前に広がった幻想的な光景に、翠が歓声を上げる。 と同時に、ポロロン・・・・と、琉宇のリュートが軽やかな音を奏で始める。 こほん、と一つ咳払いをして、少し照れながら、歌い始めたのは俊馬。ちょっとたどたどしいけれど、朗々と響く、落ち着いた声。 『ありがとう おめでとう お誕生日 おめでとう いつも真面目で 気が利いた 優等生な 君だけど たまに 泣いても 良いんだよ 私から 贈るね この言葉 ありがとう ありがとう お誕生日 おめでとう』 いつの間にか、聴いている翠の瞳から、大粒の涙がこぼれていた。 浮かべているのは満面の笑顔で、うれしそうに、心からうれしそうに泣いている。 「どうしたの? みどり、おなかいたい?」 桃子が心配そうに尋ねると、翠が泣きながら桃子を抱きしめて、答えた。 「ううん、私、すごく嬉しいんです!」 俊馬の歌が終わると、次に桃子が立ち上がる。 生徒たちが一人一人順番に、自分の作った歌詞で歌っていくのだ。 みんな、それぞれに頭をひねって考えた歌詞とたどたどしい歌声で、翠へのおめでとうの気持ちを歌っていく。 誰もが笑顔になる時間。 「さあ、最後は、翠ちゃんに歌ってもらおうかな♪」 琉宇の言葉に、翠が目を丸くする。 「え、私ですか? で、でも・・・・」 「いいからいいから、ね、みんな?」 琉宇の言葉に、みんなからの暖かい拍手。 翠が、真っ赤になりながら立ち上がる。 「大好きなみんなに 囲まれて 笑っているのが 嬉しくて 今日は涙が とまらないよ 本当にみんな ありがとう」 少し弱々しいけれど、澄んだ歌声。心からの言葉に、誰もが聞き惚れていた。 ● 真夢紀がつくった月見団子に、芋煮鍋や炊き込みご飯、由花のつくったお吸い物や肉団子。色とりどりのご飯に、ジェシュのデザートが彩りを添える。 「おいしいなり〜」 「おいしいね〜」 譲治と黄平が、ならんで幸せそうな声を出す。 もちろん、翠も満足そうだ。 「みなさん本当に、ありがとうございます」 「もしできれば、なんだけど」 真夢紀が翠のとなりに腰かける。 「敬語をやめてくれたらうれしいな。もっと仲良くなりたい、って思うんだ」 「はい・・・・あ、うん。なるべく、がんばりま・・・・がんばってみる、ね」 「ふふふ、無理しなくて良いからね」 うなずいた翠は、ちょっと照れながらも嬉しそうだ。 「これ、誕生日の贈り物なのだっ! 友達を大事にして欲しいから、球「友だち」なのだっ!」 「ジルベリアの民話を天儀の言葉に訳した本をつくってみたんだ。よかったら」 「朱色の簪、です。普段使いにしてくださいね。朱色は魔除けの色ですので、お守りにもなると思うんです」 「はい、薄衣の単衣。似合うと思うな」 「貰いものだけど、良かったらあげるよ」 譲治、ジェシュ、由花、琉宇、それにジェシュが、それぞれに贈り物を渡す。抱えきらないほどの贈り物に、翠が目を白黒させる。 「私は、翠さんの妹、弟さんに渡せるものを用意しました。これで、喧嘩にならないでしょう?」 真夢紀は、そんな気配りをみせてブレスレットや球を渡す。 「では私からは、これを。『恋愛成就のお守り』を差し上げます。肌身離さず持ち続け、想いを抱き続ければ両想いになれる、とのことですよ。もちろん、使いたいと思う相手がいなければ、その日が来たら、ということで――」 エグムがそう言って手渡したお守りを握りしめ、翠の顔がほんのり紅くなった。その瞳がふわりと泳ぐ。その先には――。 「今日の月は、すごく綺麗ですねぇ。それに、翠が喜んでくれて本当に良かった」 そんなことを言いながら、俊馬が、気弱そうに微笑んだ。 |