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■オープニング本文 ●見えざるもの 不意に、赤子は目を開いた。 粗末な布団の隣で囲炉裏の炭を掻き回していた男は、それに気付かない。灰の中に埋めた石の熱さを確かめ、幾重にも包んで布団の中の包みと交換している最中も、男は赤子が目を開けているとは思ってもいなかった。 目を覚ます時には、大声で泣き始めるのが常であったから、気付かなくても仕方のない事かもしれない。 赤子はただ、宙を見ていた。 何が見えるわけでもない。 囲炉裏の火だけでは、天井でさえも見えない、真っ暗な宙。 やがて、開いた時と同じように、赤子は静かに目を閉じた。 ●彼の苦労 「やっぱマズかったかなあ」 今日も今日とて、赤子のおしめの洗濯に勤しんでいた重は、はふうと溜息をついた。 水は今にも凍りつきそうな程に冷たい。 手は真っ赤っか。あかぎれ、ひび割れがじくじくと痛む。 それでも、重はおしめを洗い続けるのだ。 何故ならば。 「重ー。またおしめ汚れたー」 「またかっ!?」 赤子は清潔好き。 少しでもおしめが湿ったならば、火がついたように泣き出すのだ。 「お天道さんのあるうちに、出来るだけ乾かさねぇとなぁ」 長屋の入口に張った縄に、絞ったおしめを引っ掛けると、重は乾いていた数枚を取り込んで、中へと放り込む。 「‥‥ったく、どうせなら見てるだけじゃなくて手伝えっつーの」 この所、気配を感じる。 どこから覗いているのか、開拓者である重にさえも居場所を掴ませないほど巧みに気配を消し、けれども無言の圧力をかけて来る。 そんな気配を感じるようになったのは、花街へと情報収集に出掛けた後からだ。 赤子の母親探しのつもりだったから、さほど注意は払っていなかったが、どうやら「訳あり」らしい。 「やれやれ」 汚れた水をドブに捨てて、井戸から綺麗な水を汲み上げると、重は腰に手を当てて周囲を見回した。 「どこの誰だか知らねぇが、いる事は分かってんだぞー。もうバレちまってるんだから、隠れてても意味がねぇだろーが。出て来て少しは手伝ってくれませんかねえ?」 だが、応えが返ってくるはずもなく。 舌打ちすると、些か乱暴に桶に水を移して、勢いよくおしめを洗い始める。 もう一度、ギルドに依頼を出した方が良いかもしれない。 桔梗がいるとは言え、あの娘の力はまだ未知数。得体の知れない何者かに、四六時中、監視されているとなれば、おちおち留守も出来やしない。 「‥‥俺は、ここに仕事しに来たはずなんだけどなぁ」 なんで、依頼を出す側に回っているんだろう。 ぼやいた重に応えたのは、冷たく吹きすさぶ寒風だけであった。 ●逢魔が刻 「赤子、赤子、大事な赤子」 口ずさみながら、少女が赤黒い鞠をつく。 「ひぃ様のお望み叶えませ」 てんてんと弾む度に、ぴちゃぴちゃと湿った音がする。立ち込める生臭い匂いと、ガリゴリと不気味に響く音に眉を顰めると、少女は鞠をつく手を止めた。 「お前達、もう少しお行儀よくなさいな」 めっと叱ると、犬によく似た形をしたもの達が、体を低くして恭順を示す。 それらが群がっていたものが顕わとなり、少女は呆れた様子で小さく頭を振った。 「何も食べさせていないみたいにがっつくのはやめてちょうだい。餌も与えていないのかと、ひぃ様に誤解されちゃうでしょう?」 舌っ足らずな声が紡ぐのは、まるで不作法な子供を叱る母親のようだ。 「あら、嫌だ。この子の体が覚えているのかしら」 頬に手を当てて首を傾げると、少女は犬の形をしたもの達に細い指先を突きつけた。 「今、この街には、突然消えても、誰も何も言わない輩が大勢いるのだから、餌が欲しければ、好きなだけ狩っていらっしゃいな。でも、言われた事はちゃんとなさい。分かった?」 頭を下げた犬に似たもの達に、少女は微笑んだ。 少女らしからぬ、赤い唇をにぃと吊り上げて。 「まずは赤子を連れて来るのよ。その辺りにいる赤子じゃ駄目なのよ? 大事な大事な赤子なの。そうすれば、きっとひぃ様は褒めてくださるわ」 |
■参加者一覧
滋藤 御門(ia0167)
17歳・男・陰
劉 天藍(ia0293)
20歳・男・陰
虚祁 祀(ia0870)
17歳・女・志
橘 天花(ia1196)
15歳・女・巫
弖志峰 直羽(ia1884)
23歳・男・巫
黎乃壬弥(ia3249)
38歳・男・志
璃陰(ia5343)
10歳・男・シ
鳥介(ia8084)
22歳・男・シ |
■リプレイ本文 ●誤解 「入り浸りは駄目ですよ?」 薄桃色の着物から覗く小さな手を軽く揺らして、女は言った。 こちらは地味な色の着物に襷をかけ、白い手拭いの姉さん被りをした、どこの長屋にもいる「おかみさん」風だ。 「特に、重さんはお父さんなんですから」 「待てっ、俺は父‥‥うわなにをするやめ‥‥」 両脇から伸びた手に口を塞がれ、引き摺られていく重を見送りながら、滋藤御門(ia0167)は腕の中の赤子に微笑みかけた。 「困ったお父さんですね、秋?」 「本当に。ただいま。ご近所の人達に挨拶して来たわよ」 わいわい大騒ぎしながら遠ざかって行く仲間達の背に、周辺住人への挨拶回りに出ていた虚祁祀(ia0870)が、呆れ顔で肩を竦める。 「おかえりなさい。祀さん、天花ちゃん」 「ただいまです。近くに瘴気はありませんでした。あ、萩生くんもただいまです」 御門に抱かれた赤子を覗き込むと、橘天花(ia1196)はその小さな手を握って軽く揺らす。赤子の柔らかい頬をつんと突っついて笑みを浮かべた祀が、思い出したように口を開いた。 「そうそう。ご近所さんから言われたわよ。「あんたのとこの喧嘩も相当だね。姉さん、大人しそうな顔してやるもんだ」って」 恐らくは、先の合戦で襲撃を受けた時の事であろう。その騒ぎが「自分と重の喧嘩である」と認識されているらしい。遠い目をした御門の耳に、今度は元気な声が聞こえて来た。 「洗濯もん、終わったでー!」 洗ったばかりのおしめや着替えを抱えて戻って来た璃陰(ia5343)は、手も頬も鼻の頭も真っ赤だ。が、要領の良い彼は、既にご近所のおかみさん方に可愛がられ、何かと得をしているらしい。 「ご苦労様でした。干して終わったら、家の中で暖まって下さいね。甘酒も用意していますから」 「分かった〜」 元気よく、物干し竿に駆けて行く璃陰を微笑ましく見送ると、御門は長屋の前を通り過ぎた男と目を合わせた。 ほんの一瞬だけのすれ違い。 それで十分だった。 「ところで」 通りの向こうへ男達の姿が消えたのを確認して、祀は気になっていた事を尋ねた。 「女の子の着物とか、見るからに女の子向けの色合いの組紐とか‥‥どこから調達して来たと思う?」 「‥‥さあ?」 男性が童女用の着物やその他諸々を持っているのは普通だろうか。彼には妹も、重のように隠し子もいないので当然ながら、娘もいないはずだ。 「どうして、こんなもの持っているのかしら」 まさか‥‥。 祀は眉を寄せた。 清廉な気を纏った陰陽師だが、人は見かけで判断してはいけないのかもしれない。 「‥‥趣味、趣向は人それぞれですから」 何となく視線を逸らしながら呟いた御門に、祀も「そうね」と気のない返事で返す。 ー例え、そういう趣味でそういう服や装飾具を集めていたとしても、仲間には変わりないし、偏見なんて持ったりしないわ。 でも、と祀は心の中で付け足した。 ー天花と桔梗は、なるべく彼に近づけないようにしなくちゃ。 ●囮 「くしゅ」 「天ちゃん、どないしたん? 風邪?」 不意にくしゃみをした劉天藍(ia0293)に弖志峰直羽(ia1884)が呑気に問うた。 「いや、そうではないと思うが‥‥」 よもや、自分に幼女趣味疑惑が掛けられている事など知る由もない天藍に、「はは〜ん」と意味深な笑みを浮かべた直羽が耳打ちをした。 「‥‥天ちゃんがいい男だから、おねーさん達が噂してるんだ」 「ばっ、馬鹿な事をっ!」 その手のからかいに未だ慣れない天藍は、途端に顔を赤くして、馴れ馴れしく肩に回された直羽の手を振り払う。 「やっぱ、天ちゃん連れて来て正解だったなぁ。これならきっと、花街のおねーさん達も友好的になってくれるに違いない!」 反論しかけた天藍の出鼻を挫くように、重がぼそりと呟いた。 「けど、おねーさん達に話を聞こうにも‥‥」 ふ、と黄昏れた笑みを浮かべると、重は御門から渡された財布を直羽に放り投げる。 「‥‥入り浸る以前の問題だよな」 財布から聞こえて来る音は、ちゃりちゃりと軽い。 これでは、茶の一杯に団子一皿が精々だ。 「さすがだな」 天藍が納得したように何度も頷く。 「持たせ過ぎると仕事を放って遊んで来ると思われたのだろうな」 こういう時、日頃の行いが物を言うのだと真面目な顔で諭されて、重の頬が引き攣った。 「そういうお前はどうなんだよ、天藍。妙にガキの扱いに慣れてるじゃねぇか。お前、本当は子持ちなんじゃねぇの?」 「失礼な! 自分と一緒にしないでくれ! 俺は生活費の足しにと、子守の賃仕事をしていただけだ!」 隠し子と貧乏と、どちらも花街のド真ん中でする話ではない。 苦笑しつつ、直羽は更に言い合いを続けようとする2人の間に割って入った。 「まーまー、折角の花街で野暮な話はナシで。っと‥‥」 直羽の手から、重の財布があらぬ方へと飛んで行く。 「あー、ごめんなー、重兄。返そうと思ったんだけどー、手元が狂ったみたいだー」 「思いっきり棒だな」 黎乃壬弥(ia3249)の冷静なツッコミに、てへへと笑いながら財布を追い掛けて建物の間へと入って行く直羽。 「見つかったか?」 さりげなく声を掛け、直羽が入り込んだ場所を往来から見えないように天藍が移動する。 「んー。なんか、壊れた桶とか、ゴミばっかだなぁ。重兄、見つからなかったらごめんなー」 さすがに気の毒になったのか、壬弥が重の肩を叩く。 「イキロ。っと、しまったー。煙管を忘れて来ちまったぜー。長屋で吸うと子供に悪影響だとかって、おめぇのかみさんに取り上げられちまってたんだー」 「‥‥お前も棒だ。ていうか、アレはかみさんじゃねぇからッ!」 てへへと照れ笑った直羽とは正反対に、がははと開き直って豪快に笑うと、壬弥は重の背を思いっきり叩いて片手を挙げた。 「本ッ当、煙愛好者にゃ住みにくい世の中になっちまったなぁ。ちょっくら取ってくるから、先に行っててくれや」 「禁煙中の癖によく言うぜ、ったく」 人混みに紛れ消えて行く壬弥に、重が毒づく。 「重兄ー、ごめん、ちょっと汚れちゃったー」 まだ棒かよ。 肩を落とした重の顔を覗き込み、手の中に財布を戻しながら、直羽が囁く。 「アヤカシの気配はない。この辺り限定だけど」 「そうか‥‥」 一瞬だけ真面目な顔をした重に、「それで」と天藍が切り出した。 「これからどうするんだ? 壬弥さんもいないみたいだが」 「壬弥なら、忘れ物の煙管を取りに戻った」 怪訝な顔で互いを見合った直羽と天藍に、宙に投げた軽い財布を芝居がかった仕草で掴み取り、重はにっと笑う。 「金がねぇならねぇで、それなりに楽しめばいいだけの事だ。さ、行くぞ!」 妙にうきうきしているのは気のせいか。 「‥‥仕事だという事を忘れているなじゃないだろうな」 「‥‥まあ、しばらくおしめ洗いと子守の二乗で大変だったらしいし、息抜きぐらい構わないんじゃないかな。‥‥仕事は仕事できっちりやって貰うとして」 仕方がないと諦めて、2人は先で待つ重の元へと向かったのだった。 ●襲撃 その頃、長屋では囲炉裏を囲んで他愛のない話に花が咲いていた。 相変わらず隙間風は入って来るが、十分に炭を足された囲炉裏と屋内に満ちた甘酒の香りで、ほっこり暖かくなるような気がする。 「それで、お向かいの方がお裾分けして下さったんです。今日はあったかお鍋を作って重さん達の帰りを待ちませんか」 お裾分けして貰った野菜を前に、嬉しそうに天花が語る。 「寒い中、お出掛けしている重さん達もきっと喜ぶと思います!」 だが、御門と祀は視線を逸らし合って、微妙な反応しか返せない。 「どうかしましたか? あ、そう言えば、お聞きしたかったのですが、花街って、こんな季節にも花が沢山咲いているんですか? それなら、私も行ってみたいです!」 「えーと、天花? あのね」 「そうなんや!? なら、落ち着いたら、皆で花街にお花、見に行こや〜♪ なっ、鷹風っ」 具体的な説明は避け、とりあえず話題を変えようとした祀は、続いた璃陰の言葉に眩暈を起こした。間違っている。確実に何かが間違っている。 なのに、天花と璃陰は無邪気に「どんな花が咲いているのか」とか「お花見出来る場所はあるのか」と楽しげに語らっているのだ。 これが眩暈を起こさずにいられようか。 「あ、そや、あのな、長屋のお姉様方に聞いた話やねんけど」 「お姉様?」 ‥‥と呼べるような人が、この長屋にいたのだろうか。 疲れ果てた頭に挨拶回りをした者達を思い浮かべた祀に、察した御門がそっと首を振る。 「この長屋、出るねんて」 「‥‥何が、ですか?」 「ゆーれーとか言う奴か?」 ずずっと甘酒を啜った桔梗の反応に、璃陰は手を叩いて喜んだ。 「そや! さすが桔梗はんやなあ! わいの言いたい事をよう分かっとる! さすがは負傷付随や!」 聞こえた言葉は間違ってはいない。だが、何かが違う気がする。 「璃陰くん? それがどういう意味か、ご存じですか?」 尋ねた御門に、璃陰は胸を張った。 「亭主が怪我したら、嫁はんも怪我するんやて!」 「‥‥それはどなたから教えて頂いたのですか?」 見当はついていたが、一応、問うてみた。 「重兄やんや! 昨日、わいが指切ったら、桔梗はんも同じ所に傷こさえた言うて」 気を取り直し、お玉で甘酒を混ぜていた祀の手がふるふると震え、乳のように白い表面が波立つ。 「凄いです! そんな事は、お祖母様も教えては下さいませんでした! 重さんって物知りなんですね!」 人を疑う事を知らないお子様に、次から次へと嘘ばかり‥‥。 「重‥‥」 危うく、お玉の柄をへし折る所だった。ひくひくと引き攣る頬に何とか笑いを浮かべて、盛り上がっているお子様達に向き直ろうとした祀は、何かを考え込むような御門に気付いて首を傾げる。 「気になる事でも?」 「幽霊、というのが。例のお豆腐屋さんが、夜明け前に出会った女性の身のこなしが人間と思えないとおっしゃっていたので‥‥」 人だけならば、体を捩れば回避出来る。だが、その女性は両天秤の水と豆腐の入った桶にも触れる事なく、まるで宙を舞っているかのようだったという。 「天女か何かのようだった、と。怪我はしていなかったそうですよ」 「そういう事が出来る女の人、ねぇ」 祀が呟いたその時。 うみゃああっ! 璃陰に抱っこされて気持ち良く眠っていたはずの赤子が突然に泣き出した。 「おしめはさっき替えたばかりですよね?」 慌てて璃陰から赤子を受け取ろうとした御門は、璃陰の視線を追って眉を寄せる。 「璃陰くん?」 「‥‥なんか、変や」 長屋の造りを調べていた璃陰は、彼らを監視している存在が何処に潜んでいるのかアタリをつけていた。見張られているのは良い気分ではない。だが、敵意を感じない以上、赤子の守護である可能性も考慮に入れ、敢えて、そのまま放置していたのだ。 けれど‥‥。 「おー、寒ッ! ん? どうした? 赤子が泣いてるじゃねーか」 がたがたと戸を開け、ご近所にも響き渡る大音声と共に入って来た壬弥は、泣き続ける赤子を引っ手繰るように抱き上げると慣れた手つきであやし始める。 「あー、よしよし。腹が空いたのか? うーん、泣きやまねぇな。悪いが誰か、この子に乳をー」 「それ、もうやったから」 冷静な祀のツッコミに、壬弥は大仰に驚いてみせた。 「何!? このネタは消費済みだと!? 誰だ! そんなけしからん事を言った奴はっと!」 冗談めかした言葉と共に、赤子を片手に抱えた壬弥は腰の珠刀を抜き放ち、襲い掛かって来た何者かを斬り払う。同時に、祀が甘酒の鍋を炭の上へとひっくり返す。 もうと上がった灰の中、万が一を想定していた開拓者達の動きは素早い。壬弥が放り投げた赤子を受け止めて天花に託し、彼女を中心に防御の陣を敷くと、御門は呪縛符を放つ。 「大丈夫ですからね、萩生くん。絶対に、わたくし達が護りますから」 赤子をしっかりと抱き締めて、天花は毅然と襲撃者達を見据えた。 ●尾行 花街へと向かう道筋は活気に満ちている。花街の客を見込んで、さまざまな商いをしている者もいれば、己の服装がおかしくないかと確認をしている客らしき者、皆が浮かれているようだ。 そんな賑わいの中、張見世を巡っている素見の3人組の姿がある。 「おかしいですね‥‥」 長屋を出る時から、彼らと距離を置いて後を付けていた鳥介(ia8084)は、袖を引いて来る客引きの手をやんわりと払って足を止めた。 彼らの後をつけて来る者はいない。 忘れ物を取りに帰った壬弥の動きに反応する者もいなかった。 「どういう事でしょうね、こりゃあ」 僅かに鳥介の目が細められた。もしかすると、これは一本取られたかもしれない。 足を速めて、遊女と会話を交わしている仲間達の元へと急ぐ。彼の接近に真っ先に気付いたのは、天藍だった。囮である自分達から離れて尾行していた鳥介が、人目を憚らずに接触してくる様子に何かあると悟ったのだろう。 天藍は遊女と会話する2人の肩を掴んだ。 「長屋へ戻った方がようございましょう」 その一言で、彼らの表情が変わる。 「おいらは一足先に戻りますんで」 言うや否や、鳥介の姿が視界から消えた。花街のど真ん中で早駆を使う程に、事態は逼迫しているようだ。頷きを交わして、彼らも地を蹴った。 ●赤子 「ち、こいつら正気じゃねぇな」 壬弥と祀が繰り出される攻撃を防ぎ、御門が呪縛符で動きを封じても、黒尽くめ達は倒れた仲間達を意に介する様子もなく、彼らに迫って来る。まるで、感情のない人形のようだ。 「安心しぃや、わいが守ったる!」 赤子を抱えた天花を守るのは璃陰と桔梗だ。 長屋は、いつの間にか黒尽くめに埋め尽くされている。倒れた者と、それらを踏み越えて迫る者と。 狭すぎてロクに刀も使えない長屋でこの人数。さすがに、状況は開拓者に不利だった。 「おや、どうやら間に合ったようですね」 戸を蹴倒して顔を覗かせた鳥介に、祀が安堵の声を上げる。黒尽くめも、増援の登場に僅かに動揺を見せた。その隙を、彼らが逃すはずがない。 「おっと。逃がしはしませんし、自害する隙を差し上げる程、おいらは甘くはありませんぜ?」 活気づいた壬弥と祀の反撃と、退路を塞いだ鳥介の手によって、黒尽くめ達は次々と冷たい地面に倒れ伏した。 「あー、よかった。無事だったか!」 鳥介に遅れて長屋へと駆け戻った者達が、ほっと息をついたのも束の間の事だった。 一陣の風が吹き抜けたかと思うと、天花の手から温かな重みが消えた。 「萩生くん!?」 咄嗟に振り返った天花の目に、赤い口と鋭い牙が飛び込んで来る。その牙に引っ掛けられているのは、今の今まで天花が抱いていた赤子のお包みだ。 「アヤカシ!?」 泣き叫ぶ赤子を牙に引っ掛けたまま、犬に似たアヤカシはゆうゆうと開拓者に背を向け、闇の中へと消え去ったのであった。 |