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■オープニング本文 ●遊郭にて 厚く垂れ込めた灰色の雲が、重く楼港の街を覆っていた。 凍てつくような寒風が部屋の中へと入り込むのも構わず、障子を開け放ち、隠されながらも存在を示す太陽を見つめる。 「つい先程の事でありんすが、わっちらが贔屓にしている商人が大慌てで帰って行ったでありんすよ。なんでも、最近、楼港の外は危ないそうで」 不意にかけられた声に、ゆっくりと振り返った。 華やかな衣装を身に纏った美女が、手に簪を持って歩み寄って来る。 「慕容王もギルドに協力を要請なさったとか。楼港にいては危ないのではないかと、めっきりお客が減りんした」 そっと、女が簪を挿し込んで来る。鼈甲細工の見事な品だ。 「けれど、わっちらは所詮は籠の鳥。どんなに危のぅても逃げ出す事は出来ないのでありんすよ」 ほんの少し、言葉に混じる非難の声色。挿し込まれた簪を抜くと、女の髪に挿し直すと、窓際から離れ、障子戸を閉めた。 「‥‥慕容王と開拓者が動いているのでありんしたら、何も心配する事はありんせん」 きょとんとした女の顔が、幼く見える。 楼港でも名の売れた花魁の1人ではあるが、彼女はまだ団子屋できゃっきゃとはしゃいでいる娘達と変わらぬ年頃のはずだった。美しく化粧された花魁から僅かに覗いた素顔に笑んで、軽く裾を払った。 「すぐに、いつもの楼港に戻るでありんしょう。籠の中にまで嵐が吹き荒れる事にはならぬと‥‥」 「親父様が」 遮るように、女が言う。落ち着いているように見えるが、不安に揺れる瞳は隠せはしない。 「親父様の話では、お天道様が沈んだ後、突然に人が消えていくそうでありんす。連れも気付かぬ内に、いつの間にか消えておりんしたと‥‥」 その手の話は、昔からよく聞く類のものだ。 神隠しだの、人攫いだのと囁かれているが、最近では、その大抵が「アヤカシ」によるものではないかと言われている。 もちろん、「アヤカシ」の名を借りた悪い連中の仕業である場合もあるのだが。 「楼港は不夜城でありんす。夜でも眠らぬ人が行き交う街。街道も行灯が照らしておりんすえ」 以前、暗い夜道で殺された遊女がいたという。が、今は、楼港の歓楽街には等間隔に行灯が設置され、煌々と夜道を照らしているのだ。 「分かっておりんす。けれど、見世の金茶衆も何人か‥‥」 高華楼は、楼港でも大きな見世の1つだ。 そこの客ともなると、それなりに金を持っている者が多い。使用人に提灯を持たせてやって来る者もいる。供を連れた者達も何人か消えたというのであれば、1人歩きで行方知れずとなった者はもっと多いだろう。 楼港は、来る者も出る者も多い街。 いちいち出入りの者の名を調べているでなし、正確な人の流れを掴むのは至難だ。 「確かに‥‥おかしいでありんすな。わかりおした。すこぉし、調べて貰えるよう、開拓者に頼んでみるでありんす」 にっこり微笑むと、高華楼一の花魁、夕霧にも笑顔が戻った。 身の回りで起きた不気味な出来事は、不穏な噂と共に彼女を不安にさせていたのだろう。 「そういえば、あのお子は元気でありんすか?」 「元気でありんしょう。けれど」 口元に指を当てると、夕霧も心得たように頷きを返す。 怪我をした女性から預かった可愛い赤子の事は、誰にも知られてはいけないのだと彼女も分かっているのだ。 夕霧の部屋を出て、優雅な足運びで廊下を進みながら、細い指先で扇子の飾り房を玩ぶ。 「請け負ってはみたものの‥‥誰に頼みんしょうか‥‥」 高華楼の主人から花魁を経た情報だ。 誰かれと頼めるものではない。 「さて‥‥」 ●千両役者からの依頼 その日、開拓者ギルドを訪ねて来たのはすっきりとした目鼻立ちをした華のある男だった。 「う‥‥うそっ」 受付嬢が呆然となるのも仕方はない。 その男は、今をときめく千両役者、澤村龍之介その人だったのだ。 「申し訳ありませんが」 やけに姿勢の良い男で、立ち居振る舞いにも品がある。歌舞伎の名門の1つ、澤村の名を継ぐ者として、幼い頃から厳しく躾られて来たという噂は、満更嘘でもなさそうだ。 「依頼を、受けて頂きたく参上致しました」 「は‥‥はい! どんな依頼でもお引き受け致しますっ!」 自分が受けるわけでもないのに、安請け合いをした受付嬢に、その場にいた開拓者達から即座にツッコミが入る。だが、男はそんな周囲の様子を気にする素振りもなく、穏やかに微笑んだ。 「ありがとうございます。依頼の内容は、こちらにしたためて参りました」 確認を兼ねて、受付嬢は差し出された紙に書き留めれらた内容を読み上げる。 「えー、楼港の外れにて消息を絶つ者が続出、原因を探り、対処をお願いしたく‥‥? あの、これは‥‥」 「ご贔屓筋から伺った話なのですが、頻繁に人が消えているようなのです。外出を控えてしまわれる方も増えている様子、これでは巡業の千秋楽には人がいない舞台に立たねばなりません」 そういえば、と受付嬢は思い出した。 澤村一門の役者達は、現在、楼港で巡業中だったはずだ。 「別に舞台なんざどうでもいいが、気になるな」 黙って話を聞いていた開拓者が腕を組んで考え込んだ。 「今、楼港では色んな事が起きている。賭け試合に、アヤカシの大群、野盗までもが楼港に押し寄せていると聞く。人が消えるっちゃ、今に始まった話じゃないが、原因はアヤカシ絡みが多い」 受付嬢と男の視線が、ぶつぶつ呟いている開拓者へと向かう。 「報告書によると、陰殻のシノビ絡みの事件の後ろに狐妖姫とかいう人型アヤカシが絡んでいるらしい。楼港に元々いたアヤカシどもが、狐妖姫の動きに活気づいているという可能性もあるわな」 「輝蝶さん?」 問いかけるような受付嬢の言葉に、輝蝶は勢いをつけて席を立った。 「人を食らって、力をつけて、おこぼれに預かろうとする馬鹿がいてもおかしかねぇ。だが、はい、そうですかとアヤカシの思う通りにさせてやるわけにもいかねぇ。万が一、アヤカシの仕業でなくて、悪い連中がアヤカシに乗じて悪事を働いているなら、尚の事放っておけねぇ。この依頼、俺は受けるぜ」 無造作に束ねられた髪をうるさそうに払って、輝蝶は受付嬢に手を差し出した。 「紙と筆。手続きをする」 「あっ、は、はいっ!」 慌てて受付台の下から紙と筆を取り出す受付嬢の姿を見ながら、周囲の開拓者達は苦笑した。 「ったく、輝蝶の奴は相変わらず即断即決だよな」 「頭より先に体が動く‥‥というやつかもしれんな」 周囲の言葉に不敵な笑みを返すと、輝蝶は黒々とした筆跡で己が名前を紙に書き付けた。 |
■参加者一覧
柚月(ia0063)
15歳・男・巫
貉(ia0585)
15歳・男・陰
天河 ふしぎ(ia1037)
17歳・男・シ
大蔵南洋(ia1246)
25歳・男・サ
沢村楓(ia5437)
17歳・女・志
神咲 輪(ia8063)
21歳・女・シ
濃愛(ia8505)
24歳・男・シ
和奏(ia8807)
17歳・男・志 |
■リプレイ本文 ●聞き込み 澤村龍之介は千両役者であり、澤村一門を代表する役者の1人だ。故に、簡単には会えない。 ‥‥はずだが、今回は、彼自身の依頼であり、それを受けた開拓者という事で、特別に彼らが貸切にしている宿に通して貰う事が出来た。 「面倒な事をお願いして申し訳ありません」 龍之介自身は、ギルドを訪ねて来た時と変わらず、丁寧な物腰で神咲輪(ia8063)と天河ふしぎ(ia1037)を迎えてくれたのだが。 ーぼ‥‥僕は子供じゃないんだからなっ! お抱えの護衛に子供扱いされたふしぎは少々膨れっ面だ。 出された甘味も、大人の男として見なかった事にした。不機嫌そうに茶を啜るふしぎとは反対に、輪は目の前のいい男に頬を赤らめながらも、甘味に大喜びだ。 「まあ。これは、楼港でも指折りの甘味処の甘露梅ですわね」 「ええ。好物なんです」 放っておくと、輪と甘味話に花が咲きそうだ。 子供扱いされた事を男らしく水に流して、輪と談笑する龍之介に開拓者の顔で問いかけた。 「それで、いなくなった人の事をもっと詳しく聞きたいんですけど」 「ああ、すみません。私も人伝手に聞いたものですから、ギルドに出した依頼以外の事は‥‥」 苦笑する龍之介に、輪がはてと小首を傾げる。 「では、龍之介さんに教えて下さった方がいらっしゃるのですよね? その方を教えて頂けますか?」 「それはちょっと‥‥。会えるかどうか分かりませんし」 顔を見合わせた輪とふしぎに、「そうだ」と呟いて、龍之介は脇の茶箪笥を開けた。 「お役に立てるかどうか分かりませんが、消えたと思われる方々を書き出したものを頂きました。どうぞ」 差し出された紙は一目で高級と分かる紙だ。焚きしめられた香も上品だ。 「楼閣馴染みの金茶衆である大店の主や、楼閣帰りの客が多いみたいに思えるのですが‥‥。これは素人より、あなた方に判断をお任せした方がいいですね」 穏やかに告げた龍之介の微笑みの下に、「お前達の仕事だ」という言葉が隠されているような気がしたのは、ふしぎの考え過ぎだろうか。 「私はこの通り、狭い世界しか知らないのです。広い世界を見る事が出来るあなた方を、正直、羨ましいと思いますよ」 ●情報交換 柚月(ia0063)が望んだ地図は、思いの外、簡単に手に入った。遊郭街に限っては細見と呼ばれる案内図が客に配られているからだ。 ふしぎと輪が龍之介から貰った一覧から、仲間達が手分けをして「消えた」状況と場所の確認を行い、この細見に詳細を書き込んでいくと、一連の失踪事件の立派な資料となった。 「ふうむ。まあ、やりようによっちゃあ、人間でも出来ん事はないのかもしれんが‥‥」 貉(ia0585)の呟きに、大蔵南洋(ia1246)も頷く。 彼は、実際に人が消えた場所の調査も行って来た。 それによると、そういう事に慣れた複数の者がいれば、連れに気付かれずに人1人連れ去るぐらいは可能な場所が多いらしい。 「被害に遭ったのが行き帰りの客で、遊女に被害が出ないので、これまで表沙汰にならなかった‥‥か」 沢村楓(ia5437)が呟く。 馴染みの客が来なくなったとしても、ここしばらくの楼港の情勢を考えたら仕方がないと見世側も考えるだろう。ましてや一見の客の多い、下級の見世では客の顔すら覚えてはいない。書き付けに並ぶ失踪人の名は家族や友人からの届けで発覚している者達だ。 本当は、もっと多くの者が消えているのかもしれない。 「自発的に消えたって事はなさそ?」 柚月の問いに、考え込んでいた楓が顔を上げる。 「ない、とは言い切れないだろう。だが、例えそうだとしても、出入りの数が多過ぎて確認出来ない」 「‥‥しかし、遊郭街というのは夜の方が賑やかになるのだと聞いている。そうそう人が消えるのに、誰も気が付かないものかな」 ぽつりと落とされた和奏(ia8807)の言葉に、ふしぎが決意をこめて顔を上げる。 「僕、もう少し調べて来るよ。昔、捜査の基本はまず足だって言ってた人がいるから!」 言うが早いか、ふしぎは駆け出した。あっという間に、集合の場と決めた社から姿が見えなくなる。 「何かあったのか? ふしぎが若鹿のように駆けて行ったが」 輝蝶と共に戻ってきた濃愛(ia8505)が、ふしぎが走り去った方へと視線を向けながら問う。 「いいや。若いっていいナってところだね」 しれっと答えた貉に、そうかとあっさり納得する濃愛。南洋はとりあえず咳払って話を戻す。 「ともかく、だ。我々も、もう一度情報を洗い出して、場所を絞るとするか」 「あと、少し休憩も取って下さいね。情報集めは言わば下準備、本番は夜なのですから」 「優しいねぇ、輪君は」 仲間の体を気遣った輪がそっと差し出した重箱を受け取ると、狢は嬉しそうに蓋に手を掛ける。 「腹が減っては戦は出来ないって言うからなぁ。さて、腹拵えと‥‥」 重箱を開けた狢が固まった。 一の重、二の重と開く度に、彼の動きが鈍くなる。 「‥‥輪君。これは一体?」 「疲れた体には甘い物が一番ですから。あ、一番下はお萩のお重です」 にっこり微笑んだ輪に、恐る恐る重箱を覗き込んだ南洋が黙って回れ右をした。 「わあ! 美味しそう!」 喜んだのは柚月だ。早速、物色を始めた彼は、その品数と質に賞賛の声を上げる。 「さすがダネ! 全部、楼港で評判の店の品だろ?」 「柚月さんもさすがです。あ、これは龍之介さんのご贔屓のお店のお菓子なんですよ」 「ホントに? うわっ、僕も一緒に行けばよかった!」 甘味話に花を咲かせる柚月と輪の様子を窺いつつ、そっと後退った濃愛の服の裾を、輪がはしっと掴んだ。 「濃愛さんも、たんと召し上がって下さいね」 「和奏もな!」 重箱を膝に乗せられて人間卓とされた狢は、逃げる事も許されない。道連れは1人でも多い方がいいと、狢は我関せずと細見を見入っていた和奏にも声を掛けた。彼が状況に気付く前に、先手を打ったのだ。 「え? え?」 そして、和奏が状況に気付いても後の祭り。 「ほら、手ェ出して」 柚月に言われるがままに手を出した和奏は、次々に築かれて行く甘味の山に青ざめた。 「あ‥‥甘いものが嫌いという訳ではないのだが‥‥」 口元を押さえた濃愛に、輝蝶が諦めろと肩を叩く。 嗚呼、仲良きことは美しき哉。 ●囮の支度 日が暮れる頃、花街は賑わいを増し始める。 不夜城の長い夜が始まる。そして、夜は常に深い闇と隣り合わせだ。不夜城、楼港とて例外ではない。 「被害者は無作為に選ばれている可能性が高い、か」 聞き込んで来た情報を元に、更に情報を絞り込んで、狢は唸った。 被害に遭ったと思われる者の数も増えた。 遊郭の客だけではなく、お座敷帰りの芸妓も何人か消えているらしい。周囲には、花街という夜の街での暮らしが嫌になって逃げたと思われていたようだ。 「ふむ‥‥」 いつもの羽織を脱ぎ、洒脱な着物を着込んだ南洋は、どこかの金持ちの旦那に見えない事もない。 「人とアヤカシの可能性、どちらもある。油断は出来ない」 重々しい楓の言葉に仲間達は同意の頷きを返す。 「以前、アヤカシがもふら様に化けていた事もある。アヤカシが関わっているなら、警戒範囲は人だけにあらず。犬や猫といった動物にまで広がる」 「大事だな‥‥」 肩を竦めた狢は、口元を押さえて青い顔をしている和奏と濃愛に目を向けた。2人とも、甘い物の食べ過ぎで胸焼けを起こしているらしい。だが、狢の視線にはしっかりと応えた。 「大丈夫。仕事で遅れを取ったりしないから」 深く息を吸い込み、吐き出した後、和奏は背筋を伸ばす。そんな仲間の様子に、狢は仮面の下で満足そうな笑みを浮かべた。 「とにかく、目当てのものが掛かるといいけどな。ま、期待して‥‥」 「駄目だ!」 作戦開始の刻限に向けて、やる気に満ち始めていた場がしんと静まりかえった。 大声を出した者を探して恐る恐る振り返れば、そこには艶やかな着物に身を包み、芸妓に化けた輪が目を瞬かせて立っている。思わず見惚れる程に艶やかな姿なのだが、ただ1人、輝蝶だけが彼女の芸妓姿が駄目だと言う。 「一体、何が不満なのさ、輝蝶」 化粧から着付けまで手伝った柚月の不機嫌そうな声に、輝蝶はきっぱりと告げた。 「色気がない!」 ぴしり、と何かが割れる音がした‥‥ような気がした。 あんぐりと口を開けた柚月は、次の瞬間、背後から感じた圧力に血の気が下がる心地を味わった。 成り行きを見守っていたふしぎも、まるで生まれたての子鹿のようにがくがくと足を奮わせて、後退る。 「色気‥‥ですかぁ」 「それじゃ、育ちのいいお嬢さんだ! まずその化粧からして駄目だ。もっと目元に色を差してだな、紅はつけりゃいいってもんじゃない。ふっくらと‥‥」 言いながら、輝蝶は手早く輪の化粧を直していく。 その間にも、色気についての講釈が続き、輪の纏う雰囲気がいつものほわほわしたものから、おどろおどろしいものへと変わっていく‥‥ようだ。 「じゃ‥‥じゃあ、そろそろ俺達は行くか」 そろそろと立ち上がって、狢は南洋達を急かした。 遊び帰りの通人を装った南洋と、その通人を尾行して敵の尻尾を掴む役の者達が、触らぬ神に祟りなしと次々に場を立つ。 「合図は呼子笛だ」 楓の言葉に手を振って返すと、彼らは人が増えた夜の花街へと紛れ込んで行った。 ●人攫い 先を行く芸妓を確認して、楓は精神を集中させた。 丁度、夜道を照らす行灯が切れる場所。襲って来るには最適だ。 周囲には芸妓に化けた輪と、先回りしている柚月、楓とは反対側についているふしぎの気配。ただ、それだけのはずだ。だが、楓の心眼はそれ以外のものも捉えていた。 反対側のふしぎに視線で合図を送ると、小さな頷きが返る。柚月も、楓達の動きに変化があった事に気付いたのだろう。懐の扇子を取りだした。 近づいて来る気配は、輪も感じていた。普段、おっとりしている彼女は、正真正銘のシノビだ。暗闇の中でも回りを見通す目も養われていたし、近づく気配も察知していた。 無骨な手に口を塞がれ、もう1人に抱え上げられたのは一瞬だった。慣れた様子の男達を相手に、輪は「芸妓」の演技を続け、震えながら藻掻き続ける。 「ははっ、今日は上玉だぜ! まだ色事に慣れていない様子だが、それはそれで高く売れる」 ー売れる‥‥? 口枷を噛まされた輪は、じたばた暴れるふりをしながら、男達の会話に耳を傾ける。 金を持っている男は金目のものを奪い、重石をつけて楼港の海に沈めるているようだが、女はとりあえずは生かしたまま、その手の趣味を持つ金持ちへと売られる。そうして、男も女も、決して表には出て来なくなる。海の底で、どこかのお屋敷の奥か地下で、生きる者が持つ全ての権利を奪われるのだ。 ー何てひどい‥‥。 筵の上に転がされた輪は、憤る心を抑え、その時を待った。 ●決着 楓からの合図にぴくりと体が震える。だが、狢は動かなかった。 通人に化けた南洋にも、何者かの手が伸びていたのだ。それを見極めるまでは、楓らの援護には迎えない。 武器の類を一切置いて来た南洋の行く手を遮るように、屈強な男が路地から飛び出して来た。身を翻し、逃げようとするも、いつの間にか反対側にも男がいる。 暗闇の中、男が笑う。 本当に、一瞬の出来事だった。 背後で行われた誘拐劇は、和奏だから気付いた。これが普通の店の番頭や手代ならば、振り返れば主が消えていた‥‥となっておかしくはない。 「そろそろ反撃に出るかねぇ」 狢の一言に、仲間達が素早い動きで南洋を連れ去った者達を追う。 輪を守っていた者達も、行動に移っていた。 「楓!」 「紅葉だ!」 狢の声に仲間の到着を確信した楓が、柚月とふしぎに合図を送る。 「よーし、行くよ!」 ボロい漁師小屋の戸を蹴破って、ふしぎは肩に担いでいた円月輪の刃を男達へと突きつける。刃は既に赤く燃え上がっているように見えた。精霊力による燐光なのだが、柚月が作り出した火は本物だ。 小屋に火がつき、勢いよく燃え出すと、呆然としていた男達が慌てて消火に走る。襲撃者から気を逸らし、油断した所に毒蟲を使われては、ひとたまりもない。男達は為す術もなく、その場へとへたり込んだ。 「さてと、オイタはここまでだぜ?」 勝利を宣言する狢を、男達は呆然と見上げるしかなかった。 「楼港の守備が飛んで来てしまうかもしれませんね‥‥」 南洋の縄を解いた和奏の呟きに、こきこきと首や肩を鳴らしていた南洋が「心配するな」と笑う。 「なに、来るなら来たで引き渡しの手間が省けるってものだ。火は‥‥」 彼が指さした先、柚月に縄を解かれた輪が意識を集中させている。突然に現れた水柱は燃え始めの小さな漁師小屋の火の勢いを弱め、そこへ仲間達が筵や桶に汲んだ水で消火にあたり、火は程なくして消えた。 「ま、守備の連中に渡す前に、こいつらを縛り上げて、2、3日、そこらに晒しておきたい気はするけどな」 辛辣な狢の言葉を、笑うだけに留めた和奏は緊張を解かず、周囲を見回す楓に気付いて彼女の傍らへと歩み寄った。 「どうか‥‥したの?」 「影が‥‥」 闇の中を見通そうとでも言うかのように目を眇めていた楓が、和奏を振り返る。心眼を使っていた彼女には、人攫い達と違う何かが「視えて」いたのだ。だが、その影も、既に何処かへと去ってしまった。 ぎゅっと唇を噛んで、楓は静かに頭を振った。 「いや、何でもない」 ここは楼港。 合戦の名残で人以外のものも、未だ多く存在する。 それらの駆逐は、今の彼女が受けた依頼ではないのだから。 ●追加報酬 大向うから声が上がった。 舞台の上では、依頼人澤村龍之介が演じる仇討ちを誓った青年が、恋仲の遊女を酷い言葉で袖にする場面だ。2人の悲しみが、痛い程伝わり、その演技に対して掛け声が飛ぶ。 「桟敷席で観劇なんて、滅多に出来ないんだから狢や輝蝶も来ればよかったのに」 依頼料だけ受け取って、ほくほく顔で帰って行った狢の姿を思い浮かべて、和奏は「そうだね」と相槌を打った。 柚月が依頼の報酬として頼んでみたら、あっさりと龍之介が頷き、そして用意されたのが、この桟敷席だ。 「‥‥あの遊女役の方」 ぽつりと輪が呟く。 「ん? ああ、澤村の一番人気の女形だな」 「‥‥中は男性なのですよね」 ふ、と黄昏れる輪に、男達はあわわと口を噤む。こんな時、自分達が下手に慰めると怒りに火を注ぎかねない。 「輪は輪だ。開拓者で、私達の仲間で、依頼に向かう私達の緊張を解してくれる。輪に遊女のような色気なんて必要ない」 そうきっぱり言い切るのは楓。 訳あって、長かった髪を切り、男装をしている仲間の言葉は、その思いと共にまっすぐ輪へと届いたようだ。 「‥‥そうですね」 にっこり微笑んで、輪は舞台を見つめた。 「私は私。それでいいのですよね‥‥」 |