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■オープニング本文 ●高華楼 「おかえりなさいませ」 何日も居続けると、こんな扱いを受けるのか。丁寧に頭を下げられて、高藤重衝は皮肉げに口元を歪めた。 朧谷氷雨が犬神の者に連れ戻されて数日経つ。それ以降、動向が窺えない。 そして、開拓者に預けられていた秋郷と思しき赤子も連れ攫われたと聞く。犬神の者でも、朧谷の者でもなく、アヤカシに。話では、シノビの襲撃を防ぎきった直後を狙って来たという。 そんな事を考えながら、高華楼の回廊を行く。格式のある見世は、それなりに建物も風情がある。特に、主が心を砕いている庭は、ここが遊郭である事を忘れてしまいそうなほど雅だ。 その真ん中に、ぽつんと奇妙な建物がある。まるで家畜小屋か炭焼き小屋のように、全ての装飾を取り払った建物だ。 景観に合わぬと憤慨する者も多いらしいが、楼港に咲き誇る煌びやかな花々も、虚飾に満ちた人々も、素の姿はこんなものだと表しているようで、重衝は気に入っていた。 「花魁には袖にされ続けているが、せめて、あの茶室で茶ぐらい振る舞っては貰えないのか」 背後から近づいて来る気配に、重衝は口を開いた。 「申し訳ございません。あの茶室は、常々、この高華楼をご贔屓にして下さる方々に、太夫が茶をお点てする場でございますれば」 やって来て10日余りの重衝を特別扱いする気はないと、暗に告げている。身分を隠した貴族や名を馳せた志士も通っている楼閣の主は、あしらいも慣れたものだ。 「では、今、あの中にいる者達は?」 階の下に並べられている沓を示すと、高華楼の主はふくよかな顔に満面の笑みを浮かべて応じた。 「太夫が禿の頃より、何かと面倒を見て下さった方でございます」 「蓬莱屋、か」 「はい」 蓬莱屋とは、歌舞伎の一門である澤村家の屋号だ。花魁に会わせろと居続ける重衝の身の回りを世話する夕霧の振袖新造から、馴染みの客の噂はそれとなく聞き出している。 ふん、と鼻で笑って重衝は踵を返した。 楼港で赤子を連れた娘を探す者達が増える少し前、怪我をした女と赤子が高華楼の花魁と接触したらしい。女は赤子を連れてそのまま帰ったという。 ー赤子は人形。という事は、ここで朧谷の里長がすり替えられたと踏んでいたのだが。 当の里長がアヤカシの手に落ちた以上、すり替えの経緯を洗い、確保する必要は無くなった。 ー合戦に紛れて、アヤカシの中にも奇妙な動きをしている連中がいるのは確か。赤子を攫ったのも、狐妖姫とやらの配下やもしれんな。だが、何の為に赤子を連れ去った? どちらにしても、ここで得られる情報はもう必要ない‥‥。 だが、残る疑問はそれだけではない。護衛は付けられていたものの、楼港で自由に行動していた朧谷氷雨は何の為に犬神に戻されたのか。 ー犬神は氷雨に何をさせるつもりだ? 噂に寄れば、シノビの間で秘されていた強力な武器が輸送途中で奪われたらしい。 不安げな顔で囁き合うお大尽達を横目に見つつ、高華楼の暖簾を潜った重衝は薄く笑んだ。 ●押しつけられた依頼 不夜城とはいえ、楼港の全てに灯りがともっているわけではない。昼間は店や買い物客で賑わっていた界隈も、今は真っ暗な闇の中。手にした提灯の明かりを頼りに歩く重衝の耳に、甲高い女の悲鳴が届いた。 と同時に、耳障りな乱れた足音が近づいて来る。 「もし! お助けくださいまし! 野犬が‥‥」 後ろを振り返りつつ、駆け寄って来たのは粗末な着物を着た若い女だ。その背後から2匹の犬が追って来ている。 「犬? いや、あれは‥‥」 目を眇めて刀を抜く。 「下がっていろ」 2匹のアヤカシを一刀のもとに斬り伏せると、重衝は眉を寄せた。下級のアヤカシ。数が少なかったから、重衝1人でも問題は無かったが、楼港に出没する犬型の、となると引っ掛かる。 ー秋郷を攫ったアヤカシも、犬型だったとの報告が‥‥。 「‥‥何のつもりだ」 首筋に突きつけられた苦無に、さして驚くでなく重衝は問うた。 「あなた、開拓者ね? 今の、見たわよね? あれは、私がとある商人の別邸の様子を窺っていたら、襲って来たの」 「他人の家を窺うとは良い趣味をしている」 押しつけられた苦無が薄く肌に傷をつける。だが、重衝の表情は変わらない。 「お黙り。これは、あなた達にとっても有益な話のはずよ。アヤカシが番犬代わりの家に何があるのか、知りたくない?」 女は声を潜めて、その家の持ち主の名と、別邸の場所を告げた。 「調べるも調べないも自由。でも、きっと損はないわよ」 それだけ告げると、喉元に当てられた苦無の完食が消えた。同時に、娘の気配も消える。 「‥‥シノビ、か」 ●密談 「とりあえず、これで1つ」 灯りは月の光だけという部屋の中で、女が小声で呟いた。 「あいつらってば、ホント、狡猾で警戒心が強いんだから。同じ里の私達にまで隠れ家を知らせないってどういう事?」 まったく、後幾つあるのかしら‥‥と呟いて、使い込まれた楼港の地図に墨でバッテンを入れる。彼らは、月の光だけで十分読み書きが出来るように鍛えられている。ちなみに、地図は手書きだ。 「仕合まで、あまり時間はございませんのよ。使える物は孫の手だって使ってやるのですわっ!」 「しーっ、くもちゃん、声が大きいってば」 仲間達の深刻な雰囲気も何のその。部屋の真ん中で、優雅に扇子で風を起こしていた女が、はてと首を傾げる。 「でも、ひー姉様はともかく、あーちゃんはまだ赤子。絶対に泣いておりますわよね?」 「だから、赤子が居てもおかしくない場所か、泣いても聞こえないぐらい賑やかな場所、もしくは人が寄りつかない場所‥‥って、さっきも説明したじゃないの〜っ!」 筆を持ったままの女が、がっくりと肩を落とす。 「くもちゃんは放っておいて、とにかく1つずつ調べて行くしかないわ。私が頼んだ開拓者はそこそこ腕が立つようだったし、あの別邸に何が隠されているのか突き止めてくれたら、それでいいわ」 「ちょっと風音! 今、聞き捨てならない事をおっしゃいましたわねっ!? 幼い頃から苦楽を共にして来た、可憐なるスミレ組の‥‥ふがっ」 扱いに抗議すべく口を開いた女に饅頭を放り込むと、風音と呼ばれた女は筆を持った女の手元を覗き込んだ。 「氷雨姉様が賭け仕合に立ち会う事は慕容王のご意思でもあるわ。上の連中も逆らえないはずよ」 「そうね。あの方達が何を企んでいるか知らないけれど、私達は私達のやり方で氷雨さんと秋郷くん、そして犬神を守りましょう!」 強く頷き合うと、彼らはそれぞれの為すべき事をすべく、素早くその場を立ち去った。 あまり長く集まっていては、怪しまれる。 同じ里の中にも、さまざまな考えを持つ者達がいる。 下忍である彼らが逆らう事の出来ない者達を相手に水面下で腹の探り合いをし、目的を果たさなければならないのだ。事は慎重に進めなければならない。 「絶対、私が助けてみせるから。氷雨姉様、秋郷!」 |
■参加者一覧
野乃宮・涼霞(ia0176)
23歳・女・巫
音有・兵真(ia0221)
21歳・男・泰
橘 天花(ia1196)
15歳・女・巫
時任 一真(ia1316)
41歳・男・サ
喪越(ia1670)
33歳・男・陰
羅轟(ia1687)
25歳・男・サ
弖志峰 直羽(ia1884)
23歳・男・巫
紅 舞華(ia9612)
24歳・女・シ |
■リプレイ本文 ●その手段は 件の別邸の持ち主は、三笠屋という屋号を持つ楼港でも老舗の小間物屋であった。 町の娘にも買える可愛らしいものから太夫御用達の高級品まで、扱う品は様々だ。 「物は確かだとお客様から絶大な信頼を得ていると舞華さんからの情報です。本当、お仕事が早いですよね」 頻りに感心して見せる橘天花(ia1196)に、時任一真(ia1316)はうんうんと頷いた。 「だねぇ。飲み過ぎてないか心配している奴もいたけどさー」 「はい?」 無垢な瞳を向けられて、一真は何でもないと手を振った。 「私も早く、舞華さんみたいに立派な開拓者になりたいです。そうしたら、萩生くんをアヤカシに奪われたりしなかったのに‥‥」 しゅんと項垂れた天花の頭をぽんと叩く。 「ほらほら、しょぼくれてたらいいトコのお使いさんにき見えないぞ?」 「あっ、は、はい! そうでした!」 頬を叩いて、背筋を伸ばす。祖母から教わった作法と、重衝の実家である高遠家の女房達を真似て、しずしずと歩き出した天花に、一真も襟を直して続く。 髪に櫛を通し、仕立ての良い着物をきっちり着込んでいるとまるで別人のようだ。 「ごめんください」 小間物屋の暖簾を潜って、天花は中で忙しく立ち働く者達に声をかけた。 同じ頃。 「ぅわぁぁぁん!」 聞き込みをすべく、道行く親子を呼び止めた羅轟(ia1687)は困り果てていた。尋ねたい事を記した紙も準備し、用意万端で臨んだ聞き込み調査だったが、全身を鎧と兜で覆われた彼の外見に子供は大泣き、母親も、あわあわと意味不明な事を口走りつつ、腰を抜かしてしまったのだ。 「あ‥‥」 「わぁぁぁん、おっ母さんっ、暗黒魔人だよ! 暗黒魔人が来たよーっ!」 「ば、馬鹿お言いでないよ、暗黒魔人はおとぎ話なんだからねっ」 「暗黒魔人が、お、おいらを迎えに来たんだっ! おいら、これからはおっ母さんの言う事を聞いていい子になるよーっ!」 口を開こうにも、親子は聞く耳など持っちゃいない。這々の体で逃げて行く親子を見送った羅轟の兜からは、ただ虚しく呼吸音が響くばかりである。 「いい子になるってよ、アミーゴ。ある意味、あの親子のためになったかもな? けど、その格好はちょーっと個性的過ぎねえか?」 十分に個性的な格好をしている喪越(ia1670)に、言われたくない‥‥。 心の内でそう思うものの、自分の姿が相手に威圧感を与える事は重々承知している。仕方なく、羅轟は兜を外した。 「お? 素顔で勝負す‥‥」 滅多に素顔を見せぬ羅轟が、兜を脱いだ。 珍しい事もあるものだと茶化しかけた喪越の言葉が不自然に途切れる。 真っ黒な兜の代わりに羅轟の顔を覆っていたものは、妙に愛嬌のあるもふらの面。 「‥‥それはそれでコワイよ、オマエさん‥‥」 はて、と首を傾げた羅轟に、喪越は深く深く息を吐き出した。 ●そして困り果てる者 はああ、と盛大な溜息をついていたのは、喪越だけではなかった。 噂の別邸近く、弖志峰直羽(ia1884)は膝の上に肘を乗せ、再び息を吐く。 「舞ちゃん、飲み過ぎてないかなあ」 ぽつりと呟くのは何度目の事か。 だが、独り言でも呟いていないと、場を支配している気まずい空気に押し潰されそうだ。 「誰か、早く帰って来ないかなあ」 直羽が背中を預けている木の反対側、小春日和の太陽を浴びながら昼寝をしているのは高遠重衝。だが、眠っているように見えて、殺気を感じると傍らの刀に手を伸ばし、すぐにでも戦闘に入れる浅い眠りである事に直羽は気付いていた。 そして、直羽を間に置いて、扇子を手に静かに目を閉じているのは野乃宮涼霞(ia0176)だ。 ー2人の間に何があったか知らないけどさ‥‥。 顔を合わせた早々、一言二言言葉を交わしたかと思うと、笑んだままの涼霞から怒りの波動が発せられた。直羽が怯んでしまう程に激烈だった波動は一瞬で鎮まり、その後、涼霞はずっと瞑想を続けている。 ー気まずい‥‥。 当事者その2の重衝は、我関せずと昼寝を続けているし、今の涼霞に話しかける度胸はない。 ー高遠の旦那、傍若無人に乗り込んでってくんないかなぁ。 そうすれば、彼を引き留めるという口実で別邸に入り込めるのに。 けれど、重衝は「許可を得に行く者がいるならば、奴らが戻って来るまで動く必要はない」と言い切り、昼寝を決め込んだ。 彼曰く、「潜入の手段があるのならば、それを使う。無理に押し通すのは力の無駄だ」との事だが、直羽には「面倒くさいのはごめんだ」と言っているように聞こえた。 気のせいだろうか。 ー誰でもいいから、早く帰って来てー‥‥。 そんな直羽の祈りが天に通じたのは、一刻ほど後の事になる。それが「天に通じた」になるのかどうか、微妙なところであった。 ●追跡者 「‥‥一真さん」 「うん、分かってる」 でも、振り返らないように。 視線で天花に言い含めると、一真は聴覚、嗅覚、あらゆる神経を研ぎ澄まして、背後に感じる気配を探った。三笠屋を出た直後から、何者かがつけて来ている。 三笠屋に接触した事で、何かを踏んづけてしまったようだ。 「そう落ち込まなくてもいいよ。怒られたら、俺が一緒に謝るから」 貴人の使いを装ったままで、会話を交わす。 付けて来ている者が何者であれ、仕掛けて来るとしたら、街を出た時か。 その時に備えて、一真は天花と語らいながら頭の中で状況を整理する。 仲間達が待つ場所に向かうべきか。 それとも、逆に向かうか。 ーさて、どうするかなぁ。 人の姿がまばらになって来た。 もうすぐ楼港の中心街を抜ける。一真は覚悟を決めた。 「橘、すまん」 「はい? きゃっ?」 緊張した面持ちの天花に小さく謝ると、一真はその膝裏を掬い、そのまま駆け出す。攻撃は全て背で受けるつもりで一真は隼人を使った。 俊敏さを上昇させる隼人だが、相手はそんな彼の動きに遅れる事なく追ってくる。 「シノビ、かな。やっぱり」 「一真さん、私は大丈夫ですから!」 自分を抱えていては、一真は戦えない。行商人の姿をした者が間近まで迫って来ているのが、天花には見えていた。 「やー、心配しなくていいよー」 にへらと笑ってみせた一真にも不利は分かっている。けれども、ここで天花を放り出すつもりは毛頭なかった。 「しっかり掴まってろよ」 ちらりと背後を窺うと、追っ手が懐に手を入れるのが確認出来た。 ー来るか‥‥! ただ黙ってやられるつもりはない。出来る限り回避すべく、相手の動きを読み、瞬時の判断で横飛びに避けた。だが、その程度で躱せる程、シノビは甘くない。すぐさま、短刀を構えて襲い掛かって来る。そして、天花を抱えた一真には反撃の手段がない。 が、その次の瞬間、シノビが吹き飛ばされた。 「よ。今帰りか?」 軽く片手を挙げて笑ったのは、音有兵真(ia0221)だ。 彼の、目にも止まらぬ一撃がシノビを襲ったのだ。 「そのつもりだったんだけどね、なんか変なのに付き纏われちゃってさ」 「そりゃ災難だ」 体を起こしかけたシノビにトドメの一撃を打ち込み、猿轡を噛ませて木に括り付けると、兵真は2人を振り返った。 「聞き込みの途中で、偶然、三笠屋から出て行くのを見掛けてな」 「お陰で助かったよ〜」 地面にへたり込んだ一真に、笑って応えるとすぐに兵真は表情を改め、安堵の息を吐く2人を覗き込んだ。 「で、何か分かったのか?」 「あの別邸は、親戚のお姉さんが養生の為に使っているそうです。気を遣わせると体に悪いのでと訪問はご遠慮下さいと断られてしまいました」 淡々と答える天花の口調からは、不信感が窺える。 「俺も情報を色々集めて来たけど、親戚とやらが養生している割には、人の出入りが激しいみたいだな」 揶揄する兵真の言葉が、天花の中にある疑惑を確かなものに変えていく。 「ただ、舞華の集めた情報によると、三笠屋が赤ん坊用の物品を購入した形跡は無さげだ。もっとも、これは表の情報だけどな」 「三笠屋を訪ねた直後、シノビが襲って来るって出来過ぎだよねー」 ああ、と兵真は頷いた。 ●密談 三笠屋の訪問拒絶と動き、そしてシノビの襲撃という報に、待ち組だった者達の動きが慌ただしくなっていた。 「‥‥別邸周辺には、今のところアヤカシはいないようです」 涼霞の報告に、どういう事だと直羽は考え込んだ。 「アヤカシはいない。でも、旦那は実際に遭遇しているわけだ。追われていたというシノビの女がグルだったというのも考えられるけど‥‥」 「まあ! つまりは重衝様が女性に騙された‥‥という事ですね」 目を丸くして驚いてみせる涼霞に、直羽のこめかみを冷たい汗が伝う。 「す‥‥涼霞サン?」 「はい?」 にこやかに微笑んで応える涼霞に、直羽は何も言えなくなった。 ーえ‥‥笑顔がめっちゃ怖いんですケド‥‥。 重衝は何を言われても、知らん顔だ。 「と、とにかくだ。証拠はないが、あの別邸が怪しい事は間違いない。「養生している親戚」の為かどうかは分からないが、薬売りが頻繁に出入りしているというし」 取りなす兵真の顔も、心なしか引き攣っているような気がする。 「でも、正面から突撃するだけのネタは揃ってないんだよねぇ」 依頼人であり、涼霞曰く「女性に騙された」重衝は、無言のまま立ち上がった。 「旦那?」 重衝の視線を追い掛けて、直羽は思わず一歩後退る。 「も‥‥もふらが‥‥もふらが‥‥」 「直羽先輩? どうかし‥‥」 怪訝そうに直羽が指さす先を見た涼霞もぴしりと固まった。 もふらが‥‥全身を黒い鎧で覆った人型決戦もふらが駆けて来る! 「高やん!」 「「え」」 もふらから喪越の声が‥‥いや、違う。鎧の陰で見えなかっただけだ。ぴょんと跳び上がって手を振った喪越の姿を確認して、彼らは安堵の息を漏らす。いくら喪越でももふら魔人に変身したりはない‥‥だろう、多分。 ー待て。という事は、あれは‥‥。 ほっとしたのも束の間、直羽はもふら魔人の正体に気付いて戦慄した。 ー‥‥羅轟。どうしてそこまで‥‥。 がくりと肩を落とした直羽の横をすり抜けて、喪越は重衝の肩を掴む。 「急げ、高やん! 中の奴ら、変な事を企んでるぞ!」 「‥‥高やんっ!?」 喪越の言葉に、直羽は眩暈を起こしかけた。だが、そろり重衝の様子を窺うと、意外にも彼は喪越の付けた呼び名を平然と受け入れている。 ーごめん、天凱。俺、疲れたよ。すごく眠いんだ‥‥。 傾ぐ直羽の体を支えつつ、兵真は喪越に問うた。 「変な事とは?」 「みぞれと呼ばれていた女が男から小さな箱を受け取った。賭け仕合の当日に氷雨に持たせる。秋郷をちらつかせれば、氷雨は嫌とは言えない。そうすれば、あの女が我らの願いを叶えてくれるとか何とか。そのすぐ後に、三笠屋に別邸の探りを入れた者がいると報告しに来た男がいて、女が移動を指示した!」 蜘蛛に変えた人魂では、そこまで探るのがやっとだったらしい。慌ただしくなった屋敷の近くにそれ以上いるのは危険だからと、羅轟に急かされて戻って来たという。 「‥‥確かに、急がねばならないようだ」 重衝の言葉に、開拓者達は重く頷いた。 ●もぬけのから 彼らが集合場所としていた丘から別邸まで、さほど距離は離れていない。だが、涼霞はつい先程、見回った時には感じなかった異変に気付いて注意を喚起した。 「皆様、お気をつけて! 瘴気が!」 「シノビの次はアヤカシか。ますます怪しいな」 彼らがアヤカシに囲まれたのは、涼霞が注意を促した直後だ。明らかに、何かの意思が働いているとしか思えない、統率の取れた素早さだ。 「‥‥滅」 もふら面の羅轟が刀を引き抜き、襲い掛かって来た犬に似たモノを切り裂く。 「だから、そのままじゃ余計に怖いってば」 すかさずツッコミを入れた喪越に、仲間達は乾いた笑いを浮かべるのみだ。 「アヤカシ退治にかこつけて、別邸へ雪崩れ込もうか〜」 「赤ん坊や何か手がかり的なものがあるといいがね」 勢いよく飛び出した兵真と一真が群がるアヤカシに切り込んだ。天花の神楽舞で精霊の加護を受けて、彼らは次々にアヤカシを引き裂いて行く。 「頑張れよ、皆!」 「喪越さん? 一緒に突入されないのですか?」 「俺? 俺は乱入要員って事でヨロシク、セニョリー‥‥」 途端に、直羽と羅轟が喪越の両腕をがしりと掴んで、ずりずり引き摺りながら連行する。背を押すのは天花だ。 「よー、アミーゴ。一応、言っとくけど、戦いたくねぇとか安全な場所にいたいってわけじゃねぇからな?」 「うん、分かってるけどね。なんとなく」 なんとなくでこの扱いか! アヤカシに囲まれた状況でも、仲間達はいつもと変わらない。くすりと笑った涼霞に、直羽が切羽詰まった声を上げた。いつの間にか忍び寄って来たアヤカシが、涼霞目掛け、その鋭い爪を振り下ろしたのだ。 力の歪みも、羅轟の刀も間に合わない。 ぎゅっと目を閉じた涼霞の鼻先をふわりと香が掠め、同時にアヤカシの断末魔が空気を振るわせた。 「おいしい所を持っていくよなぁ、高やん」 「ま、いいんじゃない」 あの気まずい雰囲気より百倍マシだ。笑って、直羽は改めて別邸を見据えた。先陣を切った兵真と一真は既に門を突破したようだ。 だが、開け放たれた門の内側に人の気配はなく、アヤカシを一掃した後に屋敷内を隈無く探してみても、シノビに関わるものは何1つ見つからなかったのだ。 ただ1つ、陽の光も差し込まぬ座敷牢にも似た薄暗い一室に残された赤い髪紐だけが、開拓者達に何かを訴えかけていた。 ●掟 「高見の見物で得るものはあったのか」 問いかけた紅舞華(ia9612)の声に、別邸の様子を窺っていた女がはっと顔を上げる。 見た目は、どこにでもいる普通の娘だ。しかし。 「重衝から聞いた通り、か。闇夜の邂逅と油断したようだな」 懐に手を入れた女を、舞華は静かに制する。 「同じ目的を持つ者同士、争う必要はない‥‥」 「‥‥同じ目的?」 頷いて、舞華は別邸へと目を向ける。 「朧谷氷雨と赤子を助ける。違うのか?」 ぐ、と言葉に詰まった女は、だがすぐに舞華へと問い返して来た。 「お前もシノビだな。ならば一族の掟は分かっているはずだ。我々は掟に縛られて生きている。だが‥‥心がないわけではない!」 「当然だ」 淡々と返した舞華に、女は唇を噛み締めたかと思うと毅然と顔を上げる。 「上忍の命には逆らえない。例え、それが犬神の誇りに反していても」 それだけを告げると、女は舞華の前から姿を消した。 「犬神の、誇り‥‥?」 消えた女の後を追うでなく、舞華は呆然とそこに立ち尽くす。 同じシノビである舞華には分かっていた。 掟に縛られていると言った女が、掟を破り、舞華に情報を漏らした。 それが、どれほどの覚悟を要するのか。 「その心、確かに受け取った」 託されたものを抱き締めるように、舞華は握った拳を心の臓に当てたのだった。 |