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■オープニング本文 ●始末 「仕合は、変わらず執り行うと‥‥?」 首を傾げる部下を見て、慕容王はくすりと笑った。 「一度決めた事である以上は」 反論を口にしようとした部下を制して、慕容王は、彼に背を向ける。楼港の夜景を暫し眺めるようにして、呟いた。 「狐妖姫が今回の事件に関わっている事は、おそらく事実であろう」 しかしだ。 それは、それ。これは、これ。 アヤカシが関与しているかもしれない、というだけでは、おそらく両派の強硬派は収まるまい。アヤカシが関与しているとしても、その事を、確固たる事実として確認できなければ駄目だ。 あるいは、今回の楼港合戦を出汁にうやむやにする事も考えた。 だが、慕容王という立場が、彼女にそれを許さない。 「仕合は、期日通りに。されど‥‥」 「されど?」 「‥‥」 暫し押し黙り、眼を閉じる。 合戦へ至るより以前、彼女は、此度の一連の騒動における関連報告書の多くに眼を通し、開拓者達の姿勢を追った。 そして、楼港を守る為の先の合戦においては自ら戦おうとすらしなかった。 彼女は、見ていた。開拓者達の戦い振りを、その心様を、ひたすらに見つめていた。炎羅の撃破に決定的役割を果たした開拓者が如何なる存在か。自分達シノビと、何が違うのかを。 「或いは、彼等に感じるところが無ければ、普段通りだったか‥‥」 「‥‥は。何か?」 慕容王の呟きに、部下が首を傾げる。 「何でもない‥‥そうですね。狐妖姫関与が、確実となれば、これを中止させる事はできましょう」 「それでは!?」 部下の顔が輝く。慕容王は、薄っすらと笑みを浮かべて振り返り、部下に退出を促す。 「ギルドで手筈を整えよ。私の気が変わらぬうちにな」 ●遊郭潜入 慕容王からの通達がギルドに届いたその日、1つの報を携えてギルドの扉を開け放った男がいた。 「高華楼に話をつけ‥‥て貰った! 何人か手を貸してくれ!」 声高らかに告げ、予め用意していたらしい依頼状を受付嬢に突きつけて、輝蝶は呆気に取られている仲間達へと振り返る。その顔に浮かんでいるのは、不敵な笑み。 「なんだなんだ、皆して目ェ丸くしやがって。このまんま、氷雨と秋郷を奪われたまんまじゃ、開拓者の名が廃るじゃねぇか」 「それはそうだが、氷雨さんはともかく、秋郷は最悪の状況も考えられ‥‥」 反論を返した開拓者の肩にどかりと腕を回して、輝蝶は自信ありげに片目を瞑ってみせた。 「秋郷は無事だと思うぜ? 報告書によると、秋郷を攫ったアヤカシは、シノビを撃退した開拓者の隙をついたフシが見受けられる。そのシノビも何かに操られているようだったという話もあるしな。ただ喰らうだけの為に、こんな手の込んだ事をするか? 楼港じゃ、今、この瞬間にも誰も知らぬ間に人が消えている。アヤカシだって、餌にゃ不自由してねぇだろ」 今も人が消えている。 さらりと流した言葉の裏にあるものを感じ取って、開拓者は苦笑した。 誰がやって来て、誰が出て行ったのかさえ掴み切れない楼港では仕方がない事だ。例え、それがアヤカシに喰われていたとしても、「最近、あの人見かけないね」「郷里に帰ったんだろ」で済まされる事が多い。 「ともかくだ。狐妖姫の関与も疑われている一連のシノビ同士のいがみ合い。連れ去ったのがアヤカシであるなら、秋郷は無事だと俺は思う。何かに利用する為に、今は生かしてあるに違いない」 「何かって何だよ」 混ぜっ返した開拓者に、輝蝶は表情を改めた。 「秋郷き朧谷の里長だ。だが、それだけじゃない。同じ時期に氷雨も犬神に連れ戻されて消息不明と来たら、何か匂わないか?」 開拓者達の表情も真剣味を帯びる。 「そこで、だ。高華楼に協力を取り付けて、そこを中心に情報を集める」 「はあ? 情報を集めるのはいいとして、どうして楼閣なんだ!?」 真剣な話になったと思った途端に、話が飛躍して、開拓者達は頭を抱えた。どうして、情報の収集先を楼港でも指折りの楼閣を選ばなければならないのか。渋い顔をした開拓者達に、輝蝶が言い募る。 「そんな目立つ所で遊興して密談してる奴なんて、精々、どっかのお大尽が不当な買い占めの相談してるとか、悪い役人の接待程度だろうが」 「それはそれで問題だと思うぞ‥‥」 むうと口をひん曲げた輝蝶は、すぐに気を取り直して話を続ける。 「別に高華楼で密談している奴を取っ捕まえろと言ってるわけじゃない。いいか、不夜城楼港は歓楽街が中心だ。その歓楽街で、遊んだ客の中にはついいい気分になってぽろりと情報を漏らす事もある。それだけじゃない。楼閣には客を見世に案内する茶屋、お座敷を盛り上げる為に呼ばれる連中、見世に料理を仕出す料理屋に酒屋、遊女や客が贔屓の甘味処、楼港中のいろんな奴らと繋がりがある。つまり、楼港中の情報が集まって来るんだ」 輝蝶が言わんとしている事に気付いて、開拓者は互いに見合った。言いたい事は分かるが、どうやってその情報を集めるつもりなのか、急に彼らを不安が襲う。 「‥‥で、そ、その情報収集の手段は?」 「だからさっきから言ってるじゃないか。高華楼と話をつけたって。高華楼に入り込んで、遊女や出入りの連中から氷雨と秋郷に関する情報を‥‥」 ずざざっと後退った仲間達に、輝蝶は黙り込んだ。 不自然な沈黙が、彼らの間に落ちる。 先に口を開いたのは輝蝶だ。 「‥‥誰も遊女や陰間に身売りしろとは言ってねぇだろうが」 誰からともなく漏れる安堵の息。 「‥‥昼間は遊女達も暇だからな。あちこちでしゃべくってるし、仕出し料理屋や酒屋に行きゃ、高華楼だけじゃなく、贔屓の楼閣での噂も聞こえて来る。三味線でも弾けるなら、夜は座敷に出てもいいだろうし。あっ、と、座敷に出るなら気をつけろよ。芸者に手を出すのはご法度だが、たまに禁を犯すのがたまらねぇって奴もいるからな。何かあったら、花魁か主の親戚筋だとか適当に脅して切り抜けろ。それでもしつこく言い寄って来る奴がいたら、軽く一発食らわしとけ」 それは、高華楼の評判を落とす事になるのでは‥‥と思ったが、見世の評判よりも我が身の方が大事である。誰も口には出さなかった。 「特に、氷雨に関すると思われる情報を出来るだけ多く集めてくれ。犬神に連れ戻されて、その後が分からないのが不気味だ。居場所が分かるなら、その場所と状況、あと、賭け仕合に立ち会うと言うが、どこから見る事になっているのか‥‥どんな小さな事でもいい」 輝蝶の言葉に、開拓者達は頷いた。 確かに、氷雨がどうなったのか、彼らも気になっていた事だ。否やはない。 「賭け仕合は楼港全域を使うらしい。当然、その間、一般の連中は出歩けない。色んな通達も出ているはずだろうしな」 任せろと胸を叩き、勇んで依頼を受けた開拓者達は、その数刻後、潜入の「危険」さを思い出して青くなるのだった‥‥。 |
■参加者一覧
滋藤 御門(ia0167)
17歳・男・陰
虚祁 祀(ia0870)
17歳・女・志
大蔵南洋(ia1246)
25歳・男・サ
御樹青嵐(ia1669)
23歳・男・陰
縁(ia3208)
19歳・女・陰
輝血(ia5431)
18歳・女・シ
沢村楓(ia5437)
17歳・女・志
夏 麗華(ia9430)
27歳・女・泰 |
■リプレイ本文 ●市井の噂 不夜城と呼ばれる街、楼港。 太陽の下においては、他の街とさほど変わらない光景が広がる街。商人が行き交い、路地裏の長屋で井戸端会議に余念がないおかみさん達と、遊びに熱中する子供達の歓声が響き、表通りの甘味処では娘達の楽しげな笑い声が爆ぜる。 けれど、太陽が天頂から下がりかけた頃、不夜城楼港は本格的に目覚めの時を迎える。 楼閣に出入りする様々な店にとって勝負の時間帯だ。 早朝から周囲の村や漁港で厳選した素材を仕込み、いつ注文が入っても対応出来るように準備万端整える。 そこは、既に戦場の様相を呈していた。 「ちょっと! 大根と芋の皮剥きはまだなの!?」 「今、やってます!」 情け容赦なくとんで来る罵声に首を竦めた娘の代わりに、虚祁祀(ia0870)は声を張り上げた。黙っていると、また怒鳴られる。 「なんて返事だいっ! 嫌なら辞めてくれてもいいんだよっ!」 もっとも、返事を返してもこんなものである。 「どういう返事ならお気に召すのかしらねっ」 溜息をついて、祀は次の芋を手に取った。 高華楼の伝手があるとはいえ、昨日、今日入ったばかりの新入りに与えられる仕事と言えば、厨房の外で冷たい風に当たりながら、氷のように冷たい水で野菜を洗い、皮を剥き、下拵えの下準備をする事ぐらいだ。 「お料理ぐらい、私にも出来るんだけどな」 「お、お店の味というものがあるそうですから‥‥」 一緒に芋の皮を剥いていた娘が祀の顔色を窺いながら小さな声で応える。祀と前後して雇われた娘だ。ちょっと内気で、少しの失敗で罵倒されては身を竦ませる娘を庇うのが、祀の役目になってしまっていた。 「それにしたってねぇ」 腕にそこそこ覚えのある祀にとっては、納得がいかない。 「ところで、こんな大量の芋を剥いて使い切れるのかしら」 「多分、大丈夫だと思います。賭け仕合の日が近いので、大きな宿や楼閣はお客さんでいっぱいだと言ってましたから」 祀のいる店は、楼閣だけでなく高級宿にも料理を仕出している。 賭け仕合需要に、店も大忙しなのだろう。 「そっか‥‥。って、賭け仕合でお客さんが増えるの?」 「? ええ。外に出ると危険な事もあるかもしれませんが、店の中からだと危ない事もないので、見物のお客さんが‥‥」 祀は呆気に取られた。 シノビ同士の争いに対して陰殻の王、慕容王が取ったのが賭け仕合という手段だ。 「私、シノビの賭け仕合って真夜中にこっそり行われるものだと思っていたわ」 「? いいえ。今回はお昼に行われるそうですよ。慕容王様から見物禁止のお触れも出ていませんし」 それでいいのだろうか。 芋の皮を剥きながら、祀は真剣に悩んだのであった。 同様の衝撃を、酒屋の臨時雇いとして入った大蔵南洋(ia1246)も味わっていた。 「はあ、さようでございますか」 楼閣の裏口で、南洋はそう呟くしかなかった。 「そうなんだよ。うちも仕合見物と洒落込む為に居続けのお客が多くてねぇ。仕合の日、酒が足りなくなりそうなら、悪いんだけど持って来ておくれよ」 ちょっと危ないかもしれないけど。 そう付け足した女主人に南洋は引き攣った愛想笑いを浮かべてみせた。 「大丈夫だよ、一般の者を巻き込んだら負けって決まりがあるからね。そうそう怪我なんかしないよ」 その笑みを恐怖からだと勘違いしたらしい女主人の言葉に、南洋は更に乾いた笑いを漏らすしかない。 「そ、そう言えば、仕合には立会人がおられると聞きやしたが、何やら里の者が迎えに来たと耳に挟んだんですがね。仕合も近いのに里にお戻りになったんで?」 「立会人? ああ、シノビの女房の事かい? そんな話は聞いてないけどねぇ。どこかのお座敷にその女房の為に席が用意されているって話だし」 「はあ、席が‥‥」 という事は、氷雨は仕合の当日に姿を現すという事か。 ーどこの座敷であろうか‥‥。 お喋り好きな女主人の話に適当に相槌を打ちながら、南洋は頭の中に楼港の街並みを思い浮かべた。 ●化ける 「何故、こんな事になったのだろう‥‥」 夜見世が始まる時間までに全ての支度を終わらさねばならぬとあって、忙しない遊女達に混じり、御樹青嵐(ia1669)は遠い目をして呟いた。 「こら! 動かないでと言ったでしょ!」 途端に輝血(ia5431)から叱責が飛んで、落ち着きなくもぞもぞしていた青嵐がぴたりと動きを止める。 「でも、輝血さ‥‥」 「あっ! 紅がはみ出した!」 ひゃっと身を竦めた青嵐に、はみ出した紅を指先で軽く拭った輝血が耳元で囁いた。 「ねえ、青嵐、仕事の後は少しぐらい遊んでもいいわよ」 「そ、そんな事は」 不埒な考えを見透かされたような気がして、青嵐は慌てて否定の言葉を返す。 「でも、ちゃんとあたしの所に帰ってくるように‥‥ね?」 輝血が心の中で「大切な金蔓だから」と付け足した事など露知らず、青嵐は喜色を浮かべて大きく頷いた。 「当然です! 私は輝血さんの忠実な僕ですから! 端から遊ぼうなどとは思ってもいませんし!」 「‥‥嘘をつくな、嘘を」 ぼそりと呟いたのは輝血ではない。 青嵐の隣で、同じように化粧を施されていた沢村楓(ia5437)だ。隣で、同様に「固定」されていたからこそ分かる。部屋の前を遊女達が行き来する度に、彼の視線が動いていた事を。 「し、心外な」 輝血と楓との間で視線を泳がせる青嵐に、楓の化粧を担当していた縁(ia3208)も思わず笑ってしまう。 「縁さんまで!」 「ごめんなさい。でも、おかしくて」 今にも頭を抱えそうな青嵐が微笑ましくて、一頻り笑った後、そう言えばと楓の目元に色を置いていた手を止めた。 「楓はどうして役者修業の芸者見習いなの? そのまま芸者見習いでもよかったんじゃない?」 「そっ、それは‥‥澤村一門の」 ぽんと縁は手を打つ。 「ああ、女形の修行に来た殿方という設定なのね」 納得した縁に、輝血もなるほどと腕を組んで頷いてみせた。 「この楼閣は澤村一門と縁があるらしいし、融通がきくもんね」 「あの‥‥」 事情が飲み込めていないのは、当の楓本人だ。 困惑する彼女に、青嵐がそっと耳打ちする。 「澤村は歌舞伎の一門。役者は男だけです」 凍り付いた楓を気の毒そうに見遣って、青嵐は話題を変えた。 「ところで、他の皆さんからの情報は何か入っているのでしょうか。輝蝶さんは何か言ってませんでしたか?」 「何も。まだ情報は届いていないという事でしょうか。氷雨親子の足取りも‥‥」 言葉を止めて、縁は格子のはまった窓へと視線を遣る。 「‥‥楼港の見返り柳は氷雨親子をどう見送ったのでしょうか‥‥」 その言葉に誘われるように、他の仲間達も窓を見た。そこへ。 「柳はまだ彼らを見送ってはいないようですよ」 静かに襖を開けて入って来たのは、滋藤御門(ia0167)だ。様々な楽器を扱える事を活かして、男芸者として座敷に出る御門は、彼らの前に一枚の紙を広げて見せた。 楼港の楼閣が記された細見に御門自身が調べて来た情報を書き込まれてある。 「先程、輝蝶さんから伺いました。南洋さんから連絡があって、賭け仕合の当日、氷雨さんの為にどこかの座敷に席が用意されている可能性が高いようです」 「座敷‥‥。それはどこかの見世の?」 問うた縁に、御門は首を振った。 「そこまでは、まだ。慕容王は高台にある楼閣におられるとの噂ですが、氷雨さんの居場所を絞り込むにはもう少し情報が必要ですね」 賭け仕合は楼港全体が舞台となるらしい。 候補のあまりの多さに、彼らは言葉を失った。 「と、とにかく噂を片っ端から当たるしかないですよね」 真っ先に気を取り直した青嵐の言葉が救いになったのか、ならなかったのか。 互いに視線を逸らし合って、彼らは乾いた笑みを浮かべたのであった。 ●集束する情報 夜の楼閣は賑やかだ。 あちこちのお座敷から三味線の音や笑い声が響く。 その中で、夏麗華(ia9430)はやって来た客を部屋へと案内する役目を淡々とこなしていた。自分から話しかける事はないが、客の言葉にはそつなく答える。出しゃばり過ぎず、気が利くと、気難しい遣り手達からの評判も上々だ。 「料理が来ました」 仕出しを頼んでいた店から運ばれて来た料理を、部屋に運ぶのも彼女の役目だ。 覚え書きを確認しながら、料理を受け取るべく裏口に回った麗華は、そこに見知った顔を見つけて顔を綻ばせた。 「小祀‥‥」 その胸元に勾玉が下げられているのを見て、麗華は見世の中へと声を掛けた。 「もし、どなたかお膳を運ぶのを手伝って頂けますか」 すぐさま、若い男がやって来て、慣れた様子で膳を運んで行く。 「受け取りの記帳をお願いします」 「ここでよろしいのですか?」 祀が差し示した帳簿に、麗華は常備の筆で書き付ける。自然と彼女らの距離が近づいた。 「小蝶は、先程から姿が見えません」 「全く、どこで油を売ってるのかしらね」 伝えたい事があるのにと爪を噛んだ祀に、麗華は「ならば」と微笑んだ。 「お膳をお部屋にお運びするのを手伝って頂けませんか? そうすれば、小蝶も見つかるかもしれません」 「そ、うね。なら、ちょっとだけ‥‥」 麗華に手を引かれて、祀は初めて遊郭に足を踏み入れたのだった。 ●危険な話 小気味良い三味線が盛り上がった場を更に盛り上げて行く。 座敷で芸者達と戯れ、酒を飲んでいい気分になっているのは、楼港の商人達であった。馴染みの遊女を側に侍らせながら、大声で談笑している。お世辞にも上品な座敷とは言えない。 撥で弦を弾く御門の隣で、今は横笛を吹いている縁も酔った彼らに絡まれ、遊女からの助け舟で難を逃れたクチだ。 「‥‥成り上がりですって」 御門にだけ聞こえる声でぼそりと呟いた縁に、御門も苦笑するしかなかった。粋な遊び方を知らず、ただ金に飽かせて騒いでいるだけらしい。 けれども、底辺から這い上がって来た者達だけに情報は早い。どこから得たのかと思えるような情報ー主には醜聞の類だったがーを仲間達に披露している。 「そうそう、先日、三笠屋さんは」 聞こえて来た言葉に、三味線を弾いていた御門の眉が上がる。 三笠屋はアヤカシが出るという別邸の持ち主だ。 「世にも稀な宝珠を手に入れたようじゃ」 周囲の商人達から羨望の声が漏れた。 「それは、どのような宝で?」 「稀というぐらいだから、素晴らしいものだろうよ。一度拝んでみたいねぇ」 注目を浴びた商人は、得意げに胸を張り、続けた。 「儂との商談中に宝珠が届いてな。中は見せて貰えなんだが、別邸に届けるよう丁稚に言いつけておった。別邸に囲っている女への付け届けにするのだろうて」 「お内儀が知ったら、事ですな」 またも商人達は下品に笑い出す。 だが、御門と縁は笑うどころではない。互いに頷き合うと、縁は横笛を置き、そっと座敷を出たのだった。 ●手掛かり 酔客をあしらうのは、輝血には慣れた事だ。適当に相槌を打って、正体を無くした相手から情報を聞き出す。理性というたがが外れた男達は、案外、ぺらぺらと喋ってくれるものだ。 「へぇ、そうなの?」 歯に衣をきせない物言いが気に入ったと、輝血に部屋までの案内を頼んだ男は自慢げに笑い出す。 「そうともよ! 夫殺しの女房の為に、うちの2階を丸ごと貸切たぁ、有り難い事だ。なぁ?」 「本当にね」 確か、高華楼の向かいの筋にある料亭の主人だという男だ。さほど美味い店ではないので、上客が来ると、仕出しを頼むのだと遊女達が笑いながら教えてくれた。 「仕合が終わった後は、あの女房が使った座敷で一稼ぎ出来そうだ」 がははと笑う男に、さすがの輝血も苦笑いをするしかない。 「だから、どうだ? 今のうちに俺を客にしとかないか」 「うーん、どうしようかなぁ」 ちらりと窺った先では、廊下の隅で盆を持ったまま心配そうに立ち尽くしてい長身の仲居がいる。 「悪いようにはしねぇぜ?」 「そうだねぇ」 素早く頭の中で考えを巡らせる。 ここまで酔っている状態の相手と口約束をしても、どうせ覚えてはいまい。賭け仕合の当日に、この男の店に氷雨が現れるという情報だけで十分だ。 「さ、この部屋だよ」 男を部屋に押し込んで、素早く当身をくらわせる。昏倒した男は、目覚めればしばらく腹の鈍痛に悩まされるだろうが、そんな事は知ったこっちゃない。 「青嵐」 するりと部屋を抜け出して、簪を引き抜きながら青嵐を呼ぶ。 「今の、輝蝶に伝えて。あたしは、その場所を確認して来るから」 重たい着物を脱ぎ捨て、シノビ装束になると、輝血は青嵐に片目を瞑って窓から飛びだして行った。 一方、輝血と同様に酔った客を部屋まで案内していた楓は、体重を預けて来る男によろめきながら廊下を進んでいた。 「おめぇ、役者になるんだって?」 「は、はい」 酒臭い息を吹きかけられ、背中を走る嫌悪感が顔に出ないよう苦心しながら頷く。それが油断に繋がったわけではない。ただ、男だと張った予防線を気に留めもしない客だったのが不運だ。 「え? わっ!?」 男の手が素早く襖を開け、楓もろとも倒れ込む。誰も使っていない部屋は真っ暗で、一瞬、何が起きたのか楓には分からなかった。 「女形になるなら、もうちっと女の艶を磨かないとな」 「えっ、えっ!?」 胸元で結ばれた帯に手を掛けられても、混乱の極地に達した楓にはどうする事も出来ない。 その時だった。 勢いよく襖が開かれ、廊下に灯された灯りが部屋に差し込んで来た。 「旦那さん、確か明里姐さんの馴染みでありんせんか? わっちは、明里姐さんに何とお知らせいたしんしょう?」 逆光となって顔の見えない遊女の一言で、楓の上に乗っかっていた男が硬直する。楼閣で馴染みの遊女を持つ男の浮気は御法度。何をされても文句は言えないのだ。 慌てて逃げていく男を呆然と見送っていた楓の手を、遊女が乱暴に掴み、引っ張った。 「ったく。慣れない事はするんじゃねぇよ!」 煌びやかな衣装に飾り立てられた美女の口から、乱暴な言葉が発せられる。薄暗い灯りの下で覗き見た遊女の横顔に、楓は恐る恐る声を掛けた。 「‥‥輝蝶?」 「あ? ほら、麗華と祀に礼を言っとけよ! 連れてかれるお前を見つけて知らせて来たのはあいつらだからな」 不安げに佇んでいた祀と麗華が楓の姿を見つけて、安堵の表情を見せる。そんな2人に感謝しつつも、楓は輝蝶の袖を掴んだ。 「輝蝶、夕霧に会いたい!」 「何言ってんだ、お前。ここの一番人気が‥‥」 主の側で雑用をしている輝蝶にも無理な頼みだ。だが、最上の客を持つ夕霧から氷雨達に関する情報が得られるかもしれない。そう訴えかける楓に、輝蝶は煩そうに落ちて来た髪を掻き上げた。 「夕霧は何も知らねぇよ。そもそも、氷雨親子をお前らに預けたのは俺なんだから」 爆弾発言と共に。 |