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■オープニング本文 ●月夜の出会い かつて、空と海は1つだったーー。 昔、そんな話をしていた男がいた。それはガキが信じてるお伽噺じゃねぇかと笑い飛ばす度に議論が始まり、いつの間にか野菜の値上がりの理由や、酒の品評だとかくだらない事に激論を戦わせて朝になり、互いに目の下にクマを作って仕事を始めた。 「‥‥昔の話だな」 雲のない夜だ。 月が輝く空を見上げて呟く。 あの男は、今もこの空を飛んでいるのだろうか。 「‥‥柄でもねぇや」 去来した感傷に肩を竦めて、彼は歩き出した。 と、すぐにびたりと歩みを止める。 刀の柄に静かに手を伸ばし、いつでも抜けるように身構える。自分の足音や風が揺らす葉の音に紛れ込みそうな、微かな気配。これだけ気配を消せるのならば、相当の手練れだ。 「ここンとこ、誰かの恨み買うような事はしてねぇんだけどなぁ。‥‥って! 俺はいつでも清く正しく生きてるよッ!」 自分の言葉に自分で突っ込みを入れつつ、彼は草むらへと声を掛けた。 「で、どこのどちらさんだぁ? 俺は狙われるような事はなぁんもしてねぇぞぉ?」 彼の言葉に、自分の存在が気付かれていると知り、気配を消す事が無意味と悟ったのだろうか。 がさりと音がして草むらが揺れた。 体を低くして、軸足に重心を掛ける。草むらから姿を現そうとする相手を見極めるべく、彼は鋭い視線を向けた。緊張と彼から発せられる気迫とで、その場の空気が張りつめられていくように感じる。息を詰め、その瞬間がやって来るのを待つ。 がさがさと目の前の繁みが掻き分けられて、「それ」は姿を現した。 「にゃあ」 「‥‥‥‥‥‥‥‥」 思わず凝視してしまった彼に、「それ」は甘えた声で鳴き、繁みから這い出そうとする。その仕草、行動から次に来るべきものに気付き、彼ははっと我に返った。 「やややややばいよ、やばい。目ェ合っちまったよ〜」 足早にその場から立ち去ろうとする彼。 だがしかし、それは許されなかった。 「にゃにゃにゃにゃにゃ」 せかせか歩み去る彼の後ろを、てけてけ軽い足音が追って来る。歩みを早めると、足音も早くなった。 「だーかーらーっ! ウチは飼えねぇんだよーーっ!!」 「にゃにゃにゃにゃにゃ」 いつの間にかの全力疾走にも、愛らしい声は離れない。 それもそのはず。 「ぅおうっ!?」 いつの間やら、その愛らしい生き物は彼の背をよじ登り、肩にしがみついていたのだ。 「お‥‥俺の背後を取るとは、あなどれん奴。はっ!?」 即座に過ぎる恐ろしい疑惑。 昔、彼に聞かされた事がある。夜な夜な首が伸びてぺろりぺろりと行灯の油を舐める猫の話を。ぞぞぞっと、背筋に冷たいものが走った。 「な、なあ、お前? 俺なんか‥‥」 恐る恐る顔を向ければ、愛くるしい瞳がある。ふわふわの毛が彼の頬を擽り、彼が動く度に首に付けられた鈴がちりちりと澄んだ音を立てる。 「‥‥なんだ、本物の猫か」 肩に乗っかる小さな体を摘んで、目の前にぶら下げた。よく見れば、どこにでもいる茶虎の子猫だ。こんなものにびびったなんざ、永遠に心の奥に封印だ。ぶちぶち呟きながら、ごろごろ喉を鳴らす体を抱き直した時、彼はそれに気付いた。鈴のついた縮緬の紐に、何やら小さな紙が結ばれている。 「この子拾ってくださいだったら、どうするかなァ」 嫌ぁな予感に駆られながらも、紙を丁寧に解く。月明かりに透かせば、何とか書かれてある字が読めた。手習いを始めたばかりの子供が書いたのだろうか。下手くそな字だ。 「ええと、なになに? とりのばけものがこわいですたすけてください‥‥鳥?」 どこからともなく、ばっさばっさと翼の音がした。 「‥‥‥‥」 何かに怯えたように、子猫は彼の懐に潜り込んでいる。 「おいおい、ちょっと待ってくれよ?」 月の光が落とす木の影に、いびつな形のおまけが幾つかくっついていた。不気味に蠢くそれは、鳥の形によく似ていたーー。 ●依頼 「というわけだ」 ぼろぼろの様相で現れた男は、頭の上に茶虎の子猫を乗っけていた。可愛いと色めき立つ女達に子猫を任せて、彼は卓の上に小さな紙を広げてみせる。 「あの猫の首紐に結ばれてたやつだ。鳥の化け物、助けてとある」 興味を持った開拓者達が紙切れを覗き込む。そんな仲間達に、彼は続けた。 「多分、俺を襲って来た奴らと同じだろうな」 当然、叩き斬ってやりましたであります! 「そういえば、噂があったわね。眼突鴉の群れが餌場を見つけて、集まって来てる‥‥とか」 「眼突鴉? ああ、あれか。人の眼が大好物とかいう」 自慢話は無視して、仲間達は頭を突き合わせるように互いの持つ情報を交換し合う。置いてきぼりにされていじけた男は、眼中外。放っておくと腐乱死体になりそうな気配だ。 「もしかして、眼突鴉の餌場って」 開拓者達の視線が、卓の上の紙切れに集まる。 もしも、村が餌場にされているというのであれば、すぐにでも助けに行かねばならない。さもなくば、村人は眼突鴉によって全滅されられかねない。当然、この文を書いた子供も。 「にゃ〜ん」 卓の上に飛び乗って愛想を振りまく子猫に、深刻になりかけた開拓者達の心が僅かに慰められる。飼い主の危機も知らず、子猫は無邪気で羨ましいぐらいだ。 「いや‥‥」 子猫の喉を撫でていた開拓者が不意に呟いた。 「違う。この猫は命がけで飼い主の危険を教えに来たんだ」 何人かが息を呑む。 確かに、村が眼突鴉に狙われているのであれば、子猫が無事にこの場にいる事自体が奇跡だ。人の眼が好きな眼突鴉だが、子猫も当然、食料だ。あの鋭い嘴から逃れるのは、どんなに大変だっただろう。 「可哀想に。苦労したのね」 女開拓者が、子猫をそっと抱き締めて頭を撫でた。気持ちよさげに眼を細めて喉を鳴らす子猫の姿に、彼らは決意した。 「よしっ! この子の為にも飼い主を救い出してやろうぜ!」 「眼突鴉が何よ! 1匹残らず消し去ってみせるわっ!」 だがしかし。 打倒眼突鴉以前に、彼らには大きな問題があった。 「‥‥ねえ、依頼人って‥‥いるの?」 基本的にギルドに出される依頼には、依頼人がいる。確かに、ここには依頼状と呼んでも差し支えない助けを求める文がある。だが、依頼料は‥‥。 「依頼料は俺が払う」 と、卓の隅の腐乱死体が手を挙げた。 腐乱死体から人間へと戻りつつ、彼は小銭の入った包みを卓の上に投げる。 「大家が猫を見るとくしゃみが止まらなくなるんでね。だから、コイツを早々に飼い主に返却しなきゃ、家、追んだされる」 依頼状と依頼料、これで必要なものが2つ揃った。 「後は、村の場所と奴らの動向‥‥これは調べりゃ分かるだろ? おめぇらなら」 にっと笑った男の言葉に、開拓者達は冷笑を浮かべた。 「重よ‥‥」 こんな端金でそこまで働かせる気か! この野郎! 阿鼻叫喚のギルドの中、女開拓者の腕の中の子猫だけがのんびり気持ち良さげに欠伸をしたのだった。 |
■参加者一覧
緋桜丸(ia0026)
25歳・男・砂
滋藤 御門(ia0167)
17歳・男・陰
緋室 蓮耶(ia0360)
24歳・男・サ
志藤 久遠(ia0597)
26歳・女・志
純之江 椋菓(ia0823)
17歳・女・武
天河 ふしぎ(ia1037)
17歳・男・シ
睡蓮(ia1156)
22歳・女・サ
橘 天花(ia1196)
15歳・女・巫 |
■リプレイ本文 ●戦いの前 ぽつねんと道端の石に腰掛ける1人と1匹。 じっと動かない彼らにお年寄りが置いて行ったお供え物を、有り難く頂いてよいものかどうか。そんなくだらない事に葛藤して更に小一時間。 「‥‥ただいま戻りました‥‥と、重殿?」 固まったままの重と、その膝の上で丸くなっている子猫の姿に、志藤久遠(ia0597)は首を傾げた。 重が子猫と出会った場所を中心に、仲間達と手分けをしてアヤカシに狙われている村を探していたのだが、これはどういう状態なのだろう。 「‥‥何かの修行をなさっておいでなのでは?」 また1人、情報集めに奔走していた仲間が戻って来た。微笑んで迎えた久遠に軽く会釈を返し、滋藤御門(ia0167)は修行の邪魔をしないように膝の上の猫に手を伸ばした。 んみゃう‥‥。 眠そうな声を上げながらも、壊れ物を扱うように優しく抱き上げてくれた御門の頬にすりすりと頭を寄せる。 「‥‥っっ!!」 その仕草に、思わず久遠は口元を押さえて横を向いた。 危ない所だった。 今は仕事中。可愛いだなんて、浮かれてはいられない。必死に自分を律する久遠を、「わあ」と嬉しげに声を上げた橘天花(ia1196)が押し退ける。 「猫ちゃん、とっても可愛いです!」 頬を紅潮させ、きらきら光るお星様のように目を輝かせた天花に口元を綻ばせて、御門は子猫の手を取り、天花の頬にそっと押し当てた。ぷにぷにと柔らかい感触に、天花はほわんと魂を飛ばす。 「久遠も素直になったらどうだ」 一部始終を見ていたらしい緋桜丸(ia0026)に揶揄されて、久遠ははっと我に返った。どうやら羨ましそうな顔をしていたらしい。ぺしぺしと頬を叩いて、平常心を取り戻すべく務める。そんな彼女に、緋桜丸は喉の奥で笑うばかりだ。むっと頬を膨らませた久遠は、いつもの落ち着いた志士の顔とは違う、少女っぽい一面を覗かせる。 「いつもそうしてりゃいいのにな」 やれやれと肩を竦めて、緋桜丸はどらと大きな手で些か乱暴に子猫の頭を撫でた。 「けど、にゃんこは人気だな〜」 途端に、抗議の声が猫と天花、御門から上がる。 「ほんと、子猫の破壊力は抜群だ。可愛けりゃ正義、だな。なぁ?」 緋室蓮耶(ia0360)が同意を求めた相手は睡蓮(ia1156)だ。興味無さそうに振る舞いつつも、道中、じゃれて遊んでいる所をしっかりと目撃されていたらしい。 頬を染めてそっぽを向いた睡蓮に、蓮耶は純之江椋菓(ia0823)と笑い合う。生真面目に仕事をこなしている仲間達が、子猫の一挙一動に反応するのがおかしくて、微笑ましくてならない。 「まったく、皆、可愛いなら可愛いと言えばいいんだ」 「ですよね。もふもふのころころで猫さんが可愛いのは間違いない事ですし」 うんうん。 一斉に頷いた数名に、素直になれない者達は唇を尖らせたり、溜息をついたりと様々な反応を返す。それがまた仲間達の笑みを誘う事になるのだが。 「そういや、後1人、どうした? ふしぎちゃんが戻って来てないみたいだが」 きょろと辺りを見回した緋桜丸の後頭部に、ごいんと鈍い音が響いた。 「ふしぎちゃんって言うな!」 1人遅れて戻って来た天河ふしぎ(ia1037)が投げつけた瓜が、ぱっかり綺麗に割れて緋桜丸の頭から落ちる。 「おっとっと‥‥。お、冷えてるな」 受け止めた蓮耶が、瓜の半分を椋菓に渡す。 「あ、皆さんの分もありますから! さっき、貰ったんです!」 眼突鴉に狙われた村の情報を集める為に分かれた時には、手ぶらに近かったのに、今、ふしぎの両手にはいっぱいの瓜が。背中には籠が負われていて、胡瓜や茄子といった、今が旬の野菜が詰め込まれ、首には何かを包んだ風呂敷が結ばれている。 「ふしぎ‥‥ではなくてっ、ふしぎ殿。確か、村の情報を聞きに行かれたのでは?」 「うん。でも、いつの間にかこうなってた」 睡蓮に問われて、ふしぎは「おかしいな」と不思議そうに首を傾げた。 「いいじゃないですか! 皆さんでおいしく頂きましょう? ね、重さん‥‥?」 猫を抱えて振り返った天花の言葉に、応えは返らない。 「重さん、修行は一旦お休みに‥‥‥‥」 肩を揺すった御門の手が離れると同時に、重の体がふらりと傾ぐ。あっと思う間もなく、彼は後ろへと倒れ込んでしまった。 「ちょっ、おまっ! 暑さにやられてるならやられてると一言言え!」 「緋桜丸殿、そんな乱暴なっ!」 意識を無くした重の襟首を掴んでゆさゆさと揺さぶる緋桜丸を、久遠が必死に止める。 ちょっとした騒動を起こした仲間達の姿を見つつ、椋菓はかぷりと冷えた瓜に齧り付いた。 「んー、冷たぁい。で、ふしぎさんの方は何か分かりましたか?」 「えと、最近、危ないから近づいちゃいけないって言われてる場所があるみたいだね」 天花の腕から飛び降りた子猫が椋菓の足下に擦り寄る。 「こいつも何か欲しいんじゃねーか?」 最後の一欠片を口に放り込んだ蓮耶の言葉に、椋菓は頷いた。 「ちょっと待ってて下さいね」 仰向けに倒れたまま、久遠に扇がれていた重の懐を探り、煮干しを取り出すと子猫は嬉しそうに椋菓の足下でかりかりと食べ始める。そんな光景を微笑ましく見つめる開拓者達。それどころでないのがいても、とりあえず気にしない。 戦いに赴く前の、一時の憩いの時。 彼らは存分に鋭気を養ったのであった。 ●餌場 手分けして調べて来た情報を纏めると、自ずと目的の場所は見えて来る。それぞれの情報が示す村は、山の中腹にある。山を切り開いて作った田んぼと畑、住人は十人かそこらの小さな村だという。 「この子のご主人様、無事だといいですね」 小さな頭を撫でてやると、ちりんと鈴が鳴る。重の腕の中に子猫を戻して、天花は神楽舞を舞い始める。戦いに臨む者達の為に、心を込めて。そうして準備が整った所に、蓮耶は不敵な笑みを浮かべて仲間達に頷いて見せた。 彼から迸る咆哮が、周囲の木々をざわめかせ、無数の鳥が飛び立つ。アヤカシの集まっている場所に、普通の鳥などいるはずがない。全て眼突鴉だ。鳥達が蓮耶目掛けて襲い掛かったその一瞬を逃す事なく、久遠は用意していた網を投げた。突然に動きを封じられて、眼突鴉達はバサバサと翼をばたつかせ、耳障りな叫びが辺りに響き渡る。 「お気をつけ下さい! まだ、上に!」 御門の放った呪縛符が網を逃れた眼突鴉を束縛する。仲間達を落とされ、残りの眼突鴉達も猛り、獲物ではなく敵と認識した開拓者達へと鋭い嘴を突き立てるべく急降下して来る。 「この美しい大空に、お前達の居場所はない…炎精招来、燃え尽きろっ!」 双剣に炎を纏わせたふしぎが眼突鴉を切り裂けば、一撃必殺を信条とする睡蓮の二刀が群れて襲い来る鴉の首へと振り下ろされる。空を飛ばれては捉えるのも厄介だが、接近し、攻撃範囲内に飛び込んでくればこちらのものだ。 眼突鴉はあっという間に数を減らしていった。 だが、気を抜く暇はなかった。 網に捕らわれた眼突鴉達が、その嘴と爪で網を破り出たのだ。 「それ以上の狼藉は許しません!」 網を抜け出た眼突鴉に薙刀を突きつけると、椋菓は静かに宣告した。 「純之江椋菓、いざ、参ります!」 網という枷をつけた眼突鴉は、椋菓の敵ではなかった。一薙ぎで数匹の首を撥ねると、もがきながらも反撃すべく網を破った次の眼突鴉を屠る。 「大丈夫です。怖くありませんよ」 戦いの気配に怯え、逃げだそうと藻掻く子猫を腕に抱き込みながら、天花は身のまわりに視線を走らせた。ここが戦場である以上、何が起こるか分からない。子猫を護るのは自分だと唇を引き結ぶ。けれど、そんな天花を狙う影があった。彼女が背にした巨木の枝の上に潜んでいた1匹の大鴉だ。 「天花ッ!」 気付いた緋桜丸が、天花と子猫とを抱え込み地面へと身を倒す。山の斜面を転がった緋桜丸は、1本の木にぶつかって止まった。 「‥‥っ怪我はないか?」 問いかけながら、緋桜丸は転がっている最中にも手放さなかった槍を突き上げた。串刺しにされた大鴉の絶命する寸前の悲鳴に、子猫がまた騒ぎ出す。 「わ、わたくしは大丈夫ですけど、緋桜丸さんが‥‥」 「なに、お嬢さんを守るのは、男の役目ってな」 額から流れる血を拭って、からりと笑って見せる緋桜丸に、天花は子猫をぎゅっと抱き締めて、目を閉じた。優しい風が吹き抜けて、緋桜丸の前髪を揺らす。大鴉の爪に引っ掻けられた傷は、その風の慰撫にいつの間にか消えていた。 「すまねぇな」 「いいえ‥‥」 ふるふると首を振ると、斜面を覗き込んでくる御門に大丈夫と手を振った天花の表情が、瞬時に凍り付く。地面に落ちたはずの眼突鴉が、ぼろぼろになった翼を広げ、鋭い嘴で御門を貫こうとしていたのだ。 気付いて駆けだしたのはふしぎと睡蓮。だが、2人がいた場所からでは遠すぎた。 「御門さん!」 誰かが悲鳴のように叫ぶ。 取り出した呪縛符も間に合わない。御門の視界を黒い影が塞いだその時に、 「‥‥ちったぁ働かねぇと、後から何言われるか分かったもんじゃねぇしな」 ばっさりと影を切り裂いた刀を肩に担いで、重はにやりと笑ってみせた。 「重さん‥‥」 呆然と呟いた御門の真上にあった重の顔が奇妙に歪む。 「うぷ‥‥」 口元を押さえた彼の様子に異変を感じ取り、先程とは別の恐怖に御門のこめかみを冷たい汗が伝った。 「し、重さん!? ちょっと待って下さいね!? も、もう少し我慢して下さいッ!」 慌てふためく御門と、駆け寄る仲間達と。 全てが終わって静かになった山の中、緋桜丸と天花は呆れ顔で阿鼻叫喚の地獄絵図を見上げていた。 ●名残惜しきは 「はい、頑張った猫さんに、私からご褒美です♪」 椋菓の手から煮干しを貰って喉を鳴らす子猫は、飼い主だという少年の腕の中だ。 「‥‥てか、そりゃ俺が買って来た煮干‥‥」 額に冷たい手拭いを乗せて文句を垂れる男の言葉を綺麗さっぱり無視して、椋菓は子猫の頭を撫でた。短い間だったが、すっかり情が移ってしまったようだ。これが最後かと思うと何だか寂しい。 「ふしぎさんは撫で撫でしなくてもいいんですか?」 先ほどから手をわきわきさせていたふしぎは、椋菓の問いにぷいと横を向いた。 「べっ、別に僕は‥‥可愛い物とかが好きなわけじゃ、無いんだからなっ! そんなふしぎの様子にくすりと笑うと、久遠は重の額の手拭いを変える。あわやの大惨事に遭う所だった御門はと言えば、心配する天花に引き攣った笑顔で応えていた。 「ま、こんなもんかな」 そんな仲間達の様子を見つつ、こきりと首を鳴らした蓮耶に緋桜丸も頷きを返す。 家の中に閉じこもり、眼突鴉の恐怖に耐えていた村人達は、脱水症状を起こしていたり、精神的に不安定になっている者も多かったが、何とか無事だった。 襲われる危険をかいくぐり、村の危機を伝えた子猫も無事に飼い主の元に戻った。 これで一件落着だ。 「で、睡蓮。お前はお別れしなくていいのか?」 蓮耶の視線に促されて、睡蓮は躊躇いがちに子猫に手を伸ばした。 「よかったね、猫さん。ご主人に会えて」 満足そうな子猫の様子に、睡蓮の表情も緩む。 「‥‥またね」 「名残惜しいのは人の方か。さもあらん」 緋桜丸の呟く声に、蓮耶は肩を竦めた。犬派を自称する彼自身、子猫への愛着を感じていたのかもしれない。 「ところで、あれも置いて帰るというのはどうだろう?」 うんうん唸っている重に冷たい一瞥を向けると、蓮耶は迷いなく同意を示したのであった。 |