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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ●役者達の憂鬱 「兄さん」 些か乱暴に閉められた障子に、次の公演での演目の準備をしていた澤村龍之介は顔を上げた。 「いつまでこの状態を続けるおつもりで?」 不機嫌そうな声に、龍之介は額に手を当てる。幼い頃から共に芝居の稽古に励んで来た弟弟子であり、血の繋がった従兄弟でもある。こんな時の彼がどんな状態なのかは聞かなくとも分かった。 「いつまで、と言ってもね」 「菊松は「揚羽」のせいで命を落としました」 揚羽へと向き直ると、龍之介は柳眉を逆立て、怒りを隠そうともしない彼の激しい視線を真っ向から受け止める。2人の間でおろおろとしているのは松也だ。未だ少年の域を出ない弟弟子も、龍之介とも揚羽とも遠くない親戚である。 「だから、これ以上危害を加えられないように、早急な解決が必要なんだよ。分かるね、揚羽」 「それで、開拓者ですか。彼らとて暇ではないのですよ」 そんな事は先刻承知だ。そして、開拓者は定められた期間だけしか関われない。四六時中、揚羽を守ってくれるわけではない。だが、期間が区切られた契約だとしても彼らの力が必要なのだ。 「揚羽、お前がこっそり調べている事は知っているよ。けれど、それにも限界があるだろう。協力してくれる者達が必要だ」 「兄さん!」 苛立った揚羽を片手を挙げて制すると、龍之介は静かに微笑んだ。 「家族のような存在だった菊松の死を悼んで、揚羽はしばらく喪に服し、舞台に上がらないと告知してある。そして、そんなお前が菊松の供養の為に澤村の本家で舞う事も」 「でも、龍之介兄さん、それが開拓者と何の関係があるんですか?」 首を傾げた松也の頭に手を置いて、龍之介は続ける。 「姿を消した揚羽が、間違いなく現れる日がある。揚羽を狙う者がそれを知れば、どうすると思う?」 不思議そうに瞬いていた松也が、あ、と声を上げた。 「そっか! 犯人が現れる可能性が高い! 龍之介兄さん、揚羽兄さん、それなら僕も」 「お前は駄目」 ぴんと松也の額を弾いて、揚羽は龍之介に向き直った。 「また開拓者を揚羽の身代わりとして危険に晒すのですか」 「揚羽、お前がそれを言える立場なのかい?」 はあと溜息をついた龍之介に、揚羽が言葉に詰まる。 「開拓者は、志体と幾多の危険を潜り抜けた経験を持つのだろう? ならば、何の心配もいらないね?」 「兄さん、僕も揚羽兄さんの役に立ちたいです!」 口を尖らせた少年を不機嫌そうに一睨みすると、少年は瞬時に青ざめて龍之介の背後に隠れる。不機嫌最高潮の揚羽に逆らってはいけない。彼が物心ついた時から身体に染みついている習性は、もうじき子役の域を脱し、名跡の1つを襲名する事が決まった今でも抜けないようだ。 「松也、お前を関わらせたくないのは、私も同じ事だよ。ここは大人しくしていなさい」 兄弟子2人の言葉は絶対である。 渋々と、松也は頷いた。 「良い子にしていたら、お前の襲名披露の公演の相手役を引き受けよう」 揚羽の一言に、松也の顔が輝く。澤村の立女形たる揚羽が相手役となれば、それだけ箔がつく。彼の新たな役者人生の幕開けに最高の演出となるだろう。けれど、いきなり立女形は、と座頭が渋っていたのだ。 だが、揚羽自身が引き受けるとなると話は別だ。 「本当に? 兄さん、約束ですよ?」 「本当。だから、良い子にしておいで」 苦笑しながら、龍之介は肩を竦めてみせた。 「これは、私の座も危なくなりそうだね」 「兄さんの時も「揚羽」でしたが?」 前後して襲名した2人は、共に舞台に立った。だがそれは、駆け出しの頃の「揚羽」であって、立女形ではなかったのだ。 分かっていて意地の悪い事だ。龍之介の苦笑がますます深くなる。 「ともかく、供養の日まで開拓者達に協力して貰うよ。それでおびき出されて来た犯人を捕まえられたら、全て解決なのだから」 ●打ち合わせ 開拓者ギルドに、再び澤村一座の立女形、揚羽を守る為の依頼が届いたのは、供養の日を10日後に控えた日の事であった。 「澤村の本家で舞う予定の揚羽の替え玉役と警護、それから怪しい者の発見、捕縛か」 貼り出された依頼を眺めて呟く開拓者に、輝蝶は口元を歪めてみせた。 「替え玉はいいとして、澤村の本家だぞ? 本当におびき出せるのか?」 澤村の本家ともなると、出入りが比較的簡単な芝居小屋と違って、怪しい者が簡単に入り込める場所ではないだろう。それでホイホイやって来るとしたら、相当の馬鹿か、もしくは‥‥。 「簡単に入り込めない場所で行われるから、真実味が出るんじゃないのか?」 何故、揚羽が狙われているのか。付け届けや仕込まれた毒。犯人の意図すら見えぬ状態なのだ。出入りの難しい場所の方が、彼らも動きやすい。 開拓者の動き易さまで考えているわけではないだろうが、利用出来る状況はありがたく利用させて貰えばいい。 「さて、それではどう動くかを考えるとするか。これが、澤村本家の見取り図だそうだ。貴族の屋敷を真似て造られている。母屋があって、対の棟があり、母屋の正面には広大な庭と舞殿‥‥」 見取り図を見ながら、考え込む仲間達に、輝蝶はやれやれと息を吐いた。 「ところで替え玉はいいとして、本人はどこにいるんだ?」 「本人の身の安全を確保するのが仕事だろ? 当然、本家の中にいるだろうさ」 「供養は1日だけだが、依頼の期間は5日だ。その間、揚羽も本家に滞在しているという事か?」 熱心に打ち合わせる開拓者達の議論は、まだまだ続きそうだった。 |
■参加者一覧
滋藤 御門(ia0167)
17歳・男・陰
香椎 梓(ia0253)
19歳・男・志
橘 天花(ia1196)
15歳・女・巫
大蔵南洋(ia1246)
25歳・男・サ
時任 一真(ia1316)
41歳・男・サ
沢村楓(ia5437)
17歳・女・志
紅 舞華(ia9612)
24歳・女・シ
狐火(ib0233)
22歳・男・シ |
■リプレイ本文 ●手掛かり 澤村揚羽に対する度を過ぎた嫌がらせは、死者まで出した。 その事に衝撃を受けたのは、澤村の関係者だけではなかった。 「菊松さんは、意識こそ戻りませんでしたが命には別状はなかったそうです」 今にも泣き出しそうな顔をしながらも、橘天花(ia1196)は淡々と報告を続ける。天花が駆け付けた時、既に菊松は事切れていたという。 「看護に付いておられた方は菊松さんの奥さんだったのですが、水を替えに行って戻って来たら、菊松さんがひどく苦しまれていて、慌てて人を呼んで、それから‥‥」 医者だ巫女だと大騒ぎになった。その知らせが龍之介の元に届き、彼から話を聞いた天花が澤村の本邸に到着する少し前、菊松は息を引き取ったのだ。 「怪しい人の出入りは無かったようです。奥さんが菊松さんの側を離れたのはほんの少しの時間だったそうですし。ただ、気になったのは‥‥」 菊松の突然の死に騒然とする澤村の屋敷の中で、呆然としながらも、天花は開拓者として為すべき事を為していた。菊松の部屋の中、そして、状況と不審な動きをする者の有無。痕跡が消される前に、一通り、素早く確認していたのだ。 「菊松さんの枕元のお花が少し不自然な感じでした」 市井の人々が折々の花を自宅に飾るのはよくある事だ。 だが、歌舞伎の名門「澤村」の本邸に飾られた花が、ただ無造作に花器に挿されているはずがない。華道、いずれかの流派の様式、型に沿って活けられていたに違いないのだ。それの花が、天花の目には奇異に映ったという。 「花、ね。どちらにせよ、なんこう‥‥理性を感じるな。偏執、妄執という事も考えられるが、菊松の容態が急変したのだって‥‥」 天花の様子をちらりと見て、時任一真(ia1316)は語尾を濁した。 開拓者が介入したが為に、菊松が口封じされたとも考えられる。だが、今、それを言うのは天花に酷な気がしたのだ。 「菊松の話が伝わった時、楽屋の周囲にいた連中は驚いてはいたが‥‥挙動不審になった者はいなかった」 沢村楓(ia5437)はそう呟いて爪を噛んだ。 楽屋の周辺に協力者がいれば、その尻尾を捕まえる気でいたのだが不首尾に終わってしまった。動きがあった時こそが、手掛かりを掴む絶好の機会だったというのに。 「‥‥まあ、うまく隠し通したという可能性もあるが」 楓の言葉に僅かに口元を引き上げると、紅舞華(ia9612)は表情を改め、天花の様子を窺いつつ静かに言葉を続けた。 「菊松を診た医者、容態が急変した時、邸内にいた者達の中で菊松を妬んでいた者等がいないか調べてみたが、菊松は妬みを買うような性格ではなかった、と。だからこそ、揚羽の付き人に選ばれたとも聞いた」 「揚羽さんの? 気難しい方なのでしょうか。揚羽さんは‥‥」 問うた滋藤御門(ia0167)に、舞は虚を突かれた顔をした。 「気難しいというか‥‥噂では猫‥‥のような人物らしい。気まぐれで、ふいと姿を消しては2、3日は帰らぬ。ひどい時には10日も1月も帰って来ないそうだ。舞台に穴を開ける事はなかったようだが。その間、揚羽に関わる様々な雑事は全て菊松が行っていたとのこと」 御門は手にした数冊の冊子に目をやる。それには、芝居小屋や「澤村」に届けられた付け届けの記録が記されている。揚羽宛ての付け届けには、所々、印が付けられていた。問題があった付け届けや文に印をつけていたのも、菊松だったという。 「その印のついた付け届けの何が問題だったのか、分かったのか?」 一真の言葉に、御門は静かに首を振った。 一杯になった帳面を新しいものに替えて、古い帳面を預かっては来たものの、それと付き合わせる品がない。 「猫の生首が送られて来た日は、事件のあった日ですから分かりましたが‥‥その前後にも印がついていて、どれが生首だったのか確認が出来ないのです」 そうか、とだけ呟いて、一真は顎を撫でた。 「害のない付け届けも文も、揚羽の手元。印がついていた贈り主の何名かは存在しない」 「もしくは、身の覚えのない付け届けのようですね。帳面の記載も、贈り主ではなく、お使いの方のものですし」 楓と御門の報告は、帳面からの手掛かりが断たれた事を意味する。 仲間達の間に流れる重苦しい雰囲気を振り払うように、一真は頭を一振りすると、勢いをつけて立ち上がった。 「分からないもんは仕方がないさ。無けりゃ、次の手掛かりを探せばいいだけの話だ。そうだろ?」 もうすぐ、供養の夜があける。 ここにいない仲間達は、今も手掛かりを掴む為、そして「揚羽」を守る為に動いている。調査結果の報告だけで、意気消沈している暇などないのだ。 「ともかく、だ。犯人は今日、事を興す可能性が高い。皆、油断せず行こうな」 しっかりと頷いた仲間達の顔を確認すると、一真は蝋燭の火を吹き消した。 ●梨園の女達 「あら、おはようございます」 一目で上等と分かる着物を着たご婦人が数人、廊下を歩いて来るのに気付いて、香椎梓(ia0253)はにっこり微笑むと声を掛けた。だが、返って来た彼女らの反応は、あからさまな無視と聞こえよがしの嫌味だ。 「愛人が図々しいったら」 「龍之介さんの優しさに付け込んで」 「正妻の座を狙っているのではなくて?」 「いやだいやだ」 聞こえて来る悪意ある言葉に、梓は苦笑した。 この家の風当たりは、梓の予想を少々超えている。龍之介の愛人という立場上、澤村の奥様連中には嫌がられるだろうとは思っていたが、これ程の反発を招く事になろうとは。 お陰で、関係者や下働きに至るまで、声を掛けてもまるっきり無視されて、情報収集どころではない。 「げに怖ろしきは女かな‥‥」 「すみません」 突然謝られて、梓の苦笑はますます深くなった。 そこに気配がある事は察していたが、まさか謝られるとは思っていなかったのだ。 「龍之介さんのせいじゃありません。‥‥でも、これでは色々差し障りがありますね。今からでも男だと明かしましょうか」 「いえ、それは‥‥」 申し訳なさそうだった龍之介の顔が引き攣る様に、梓は思わず吹き出しかけた。 二枚目、看板、千両役者‥‥一番人気の澤村龍之介の情けない姿など、滅多に拝めるものではない。 「冗談です。それよりも、お願いしていた事は‥‥?」 「ああ、揚羽の予定ですね。一通り、話してあります」 自分が動けないなら、動ける者を使えばいいだけの事だ。 最も有効な駒を、梓は手にしているのだから。 「では、後は情報が流れるのを待つばかりですね」 開拓者の顔に戻って梓が考え込む様子を見つつ、龍之介は額に手を当てて小さく息を漏らしたのだった。 ●手向け 揚羽が供養の舞を舞う前に、菊松の部屋に花を手向けるらしい。 「急いで花を用意しないといけませんね。もうどなたかお使いに出られたので?」 舞舞台の準備を手伝っていた大蔵南洋(ia1246)が問うと、舞台の周囲に張り巡らせる白布の皺を取っていた男がいやいやと首を振る。 「買いに行く必要なんざないよ。四季折々の花の風情を楽しめるようにと、この家にゃ、あちこちに花が植えられてんだからさ」 「そう言えば、そうですね」 今、南洋がいる舞殿の傍らの泉のほとりにも、可憐な花が咲いていた。 花の名前は知らないが、そこらに勝手に生えている野花の類ではないことぐらい、一目で分かる。 「お屋敷の奥には、もっとでかい花園があるって話だからなぁ」 「花園、ですか」 何気なく問い返した南洋に、男が頷く。 「多分、揚羽さんもそこで花を摘んでいくんじゃねぇか」 「その花園の場所は、皆様ご存じなのですかね?」 南洋の頭に浮かぶおほろな考え。 それは、まだはっきりとした形を成さず、彼を苛立たせた。 後少しで、掴めそうなのに掴めないもどかしさ。 「そりゃ、澤村の人間なら知ってるだろうよ。‥‥って、どこ行くんだ? 大蔵!」 「ちょいと野暮用で」 ぐるぐると考えが頭の中を回る。 荒らされた揚羽の楽屋。 一番最初に見つけたのは、揚羽の弟弟子の松也、そして龍之介だ。松也に関しては、天花や楓が出来る限り目を配っているはず。 龍之介には、愛人役の梓がべったりくっついている。 そして、菊松。 揚羽が一番信頼していたであろう付き人。 彼が芝居小屋に隠した猫の生首は、何処かへ持ち去られたと思われる。そして、澤村本邸で養生中に容態が急変、死亡した。 「揚羽殿は一体、何の為に狙われている?」 間近に迫っているという名跡の襲名は「揚羽」の名を持つ者が継げるものだという。誰かがその出世を妬んでいたとしても、代わりになる事は出来ない。 「誰が、何の為に」 滅多な事では姿を現さない揚羽が、花園で花を摘み、菊松の部屋に手向けてから供養の舞を舞う。 舞台設営の裏方まで知っていた情報だ。仲間の誰かが故意に流したに違いない。 となると、「誰か」が動く。 揚羽の行動範囲の、どこかで。 本邸の中に駆け込もうとした南洋に、緊張を孕んだ天花の声が届く。 「大変です! 松也さんが!」 振り返った南洋の目に、天花と共に駆けて来る一真と楓の姿が映った。 ●筋書き 「揚羽さん、そろそろ」 亡くなった菊松の代わりとして、この5日の間、髪の色を染めて澤村の本邸に居座っている狐火(ib0233)の声に、「澤村揚羽」は溜息をついて立ち上がった。 人付き合いの嫌いな揚羽は、龍之介が集めた芝居に関する資料を収めた離れを使っている。 揚羽が籠もった部屋の外で、食事を運び、細々とした身の回りの世話をしながら、狐火はずっと澤村の家を探っていた。 怪しい動きにいち早く対応する為に。 だがしかし。 「異常は?」 「今の所、ありませんねぇ。供養舞の支度と、集まって来る関係者の応対で本邸は大わらわのようですが」 集まった者達に菊松への哀悼を込めて記帳を、とも考えたが、使いの者が書き付けた付け届けの帳面では対比のしようがない。届いたという文があれば、話は別だが。 「別邸にあるという文があれば、もしかすると‥‥」 「そうとも限らねぇだろ。字なんざ、いくらでも変えられる」 「多少は癖というものが残っているかもしれない。で、どこまで替え玉で行くんです?」 「さてな。‥‥てか、最初から「揚羽」を出すつもりなんか無いんだろ」 白い舞装束に着替えた輝蝶の言葉に、狐火はやれやれと頬を掻く。 「つまり、我々も騙された、と」 「俺達が策を講じるならどうするよ。狙われてる本人がここにいまーす、なんて喧伝するか?」 「そりゃそうですけどね。せめて我々には話してくれないと」 揚羽が菊松の為に供養の舞を舞う。 それを前提に、皆、それぞれに対応している。それこそ、真剣に。 「ああ、そうか」 開拓者も「菊松の為に供養の舞を舞う揚羽」という芝居の役者として組み込まれていたというわけか。 「見ろよ、この本の山。芝居の本だけじゃなく、古今東西の軍記や兵法の類まで揃ってんだぜ? しかも」 ほら、と手渡されたのはまだ新しい帳面だ。書きかけの芝居の台本のようだ。 「芝居の台本も作ってるんだ。筋書きを作るのも慣れたもんだろう」 「まあ、確かに知らされていては、この澤村の中に潜んでいるかもしれない誰かを炙り出す為に、我々も「揚羽」氏が替え玉だという前提で策を講じたでしょうからね。敵に気付かれる可能性があった‥‥」 だが、龍之介に謀られたようで、何やら悔しいと思うのは狐火だけだろうか。 「文句なら、後で依頼主に言おうぜ。それより、もう時間じゃねぇのか」 「そうですね。この一件、犯人を確保出来たら、報酬上乗せでもして頂く事にして、我々も‥‥おや?」 準備で慌ただしく行き来する足音とは違った気配が近付いて来る。それも、よく知った気配だ。 「どうしました、皆さん」 敵に気付かれる可能性があるというのに、仲間達が勢揃いだ。 面食らった狐火の腕を、天花がゆさゆさと揺さぶる。 「大変なんです! さっき、こんなものが届いて!」 天花が握り締めていた書状を受け取り、狐火はそれを慎重に開いた。 「‥‥っ!」 思わず息を呑む。 覗き込んだ輝蝶の顔色も変わった。 「松也は預かった。無事に帰して欲しければ、揚羽を寄越せ‥‥なるほど、確かに筆跡どころじゃない」 「そんな事より!」 恐らくは潰した筆を使い、更に力をこめて書いたのであろう。潰れた文字は、書かれてある内容を何とか判別出来る程度だ。 焦った様子の天花の手を軽く叩いて、狐火は仲間達を見回した。 「では、事の次第を教えて下さい」 ●消えた少年 龍之介の口利きではなく、無理に頼み込んで下働きとして本邸に入り込んだ一真は、中の慌ただしさを余所に、体力仕事の雑用ばかり押しつけられ、その時も他愛のない雑用で外に出ていた。 そこで、こっそり裏口から出掛ける松也と行き会ったのだ。 「松也さん‥‥ですよね? どーしたんです? そろそろ大切な催しが始まるんじゃ‥‥」 「うん。でも、揚羽兄さんから頼まれたんだ。菊松が好きだった花を手向けたいけど、うちには無いから探して来てくれって。確か、菊松の家の庭に咲いていたはずだから、ちょっと行って来るよ」 そう言って、元気よく駆けて行った背中を見送ったのが、一刻ほど前の話だという。 「そうしたら、先程、この文が届けられて‥‥」 「私が龍之介さんに頼んで、揚羽さんが菊松さんに花を手向けるという情報を流して貰ったのが朝方。その話には幾つか別の情報を混ぜて流して貰ったんですが」 梓は微かに目を伏せた。 「一番、無難な線に食いついて来たみたいですね」 梨園の奥さん方、役者に流した情報、そして、南洋ら裏方仕事の者達にも伝わった話。少しずつ内容を変えていたのだが、それらの情報を知って、敢えて一番無難な話を選んだのか、それともその話しか知らなかったのか。 これでは判別が難しい。 「僕は、松也さんが文を受け取った所を見ました」 そう切り出したのは御門だ。 人魂を使い、仲間同士の連絡や、内部の偵察、関係者の警護を行っていた御門は、一刻ほど前、次々と集う親戚達を出迎えていた松也が、年配の女性から文を受け取るのを見た。 「離れていたので、会話の内容までは聞こえませんでしたが、途中で玄関を指さしてましたから、その女性も誰かから文を預かったのだと思います」 「松也殿と言えば」 思い出したように、楓が口を開く。 「以前、楽屋が荒らされた時、何をしに楽屋へ行ったのか尋ねたのだが、その時も揚羽殿が忘れ物をしたから取りに行った、と言っていた」 食い入るように書状を見つめていた輝蝶が、ふと顔を上げた。 「舞」 「何だ?」 狐火とは別に、替え玉となった輝蝶の周辺を探っていた舞がその声に姿を現す。 「朝から今まで、この離れの近くに誰か来たか?」 「狐火以外は誰も」 開拓者達は顔を見合わせた。 見えない敵がすぐ側に潜んでいるような不気味さに、背筋に冷たいものが走るのを感じながら。 |