【梨園】蝶の羽
マスター名:桜紫苑
シナリオ形態: シリーズ
危険
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/05/17 00:29



■オープニング本文

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●揺れる視界に
「‥‥開拓者だ。用心に越した事はない」
 声が聞こえる。
 近いのか遠いのか分からない。
 まるで水の中で発した言葉のように、くぐもって、雑音混じりの不明瞭な声。
 拾えた言葉の断片からすると、自分に関する話のようだ。
 はっきりしない頭を軽く振って、縫い付けられたような瞼を必死に開く。ぼやけた視界の中に人影が浮かぶ。
「まあ、万が一暴れ出したら、松也を傷つけると脅せばいい。手足の腱を切るとでも言えば大人しくなるだろう」
――手足の腱‥‥?
 松也は少年だが、役者だ。受け継ぐ名も決まっている。
 だが、手足の腱を切られたら、役者生命はおしまいだ。
「‥‥っ」
 体が重い。
 何とかしなければと焦る心に反して、意識が再び遠くなっていく。
 そんな時だった。
「あ、揚羽はどこだ!?」
 地響きのような音と共に、階段らしきものから転がり落ちて来た男が叫ぶ。
「協力したら揚羽をくれるという約束だったろ!」
 途切れそうな意識を必死に繋ぎ止めて、目をこじあけた。
 後ろ姿しか見えないが、おそらくは仲間が目撃した男だろう。
「揚羽はどこだ!」
 激昂しきっている男の背に近づく別の影。その手に光る凶器を見つけて叫ぶ。
 けれど、叫びは声にならなかった。
 そして、凶器は男に振り下ろされ‥‥。


 沈み込む意識に、ぎりと歯軋りする。状況を打破しなければと巡らせる考えも、ねっとりと体に纏わりつく甘い匂いに絡めとられて掴む事が出来ない。
 憤りと後悔と絶望とを抱えながら、彼は再び瞼を閉じた。

●葛藤
 困った事になった。
 澤村の本邸で、澤村龍之介は深い溜息をついた。
 立女形である澤村揚羽への嫌がらせから始まって、人死にが出、可愛い弟弟子が行方不明になった。そして。
「縺れた糸は怨念か痴情か‥‥」
 常に澤村の為にと動いて来た。
 開拓者に依頼を出したのも、依頼を中止したのも全て澤村を守る為だ。
「けれど、それが本当に正しかったと言えるのだろうか」
 芝居の台本や構想、思いつくままに書き散らかした紙が落ちる。床に散らばったそれらを一瞥して、彼は顔を顰め、こめかみを揉みほぐす。
「世の中、芝居の筋書きのように上手くはいかないという事か」

●揚羽の依頼
 開拓者ギルドに依頼が届いたのは、川に身元不明の男の死体が打ち上げられたという噂が流れた翌日だった。
 依頼人は澤村揚羽だ。
「えーと、依頼内容は行方不明になった澤村松也と、揚羽の身代りとなった輝蝶の捜索、救出ね」
 受付嬢が読み上げた内容に、開拓者達に苦い笑いが浮かぶ。
 仲間である輝蝶が消えたのは、依頼の上でのこと。危険と背中合わせの開拓者は、常にそれを覚悟しているわけだが‥‥。
「そういえば、しばらくの間、澤村家の舞台は全て休演にするみたいね」
「全て?」
 聞き返した開拓者に、受付嬢が頷く。
「ええ。はっきりとした理由は公表されていないけどね。依頼状によると、澤村の一門の中でも揚羽の素顔を知らない者が多いから、犯人が輝蝶を揚羽だと信じて拉致したなら、無事でいる可能性が高いらしいの。それで、輝蝶の安全を考えて、揚羽は身を隠しているんですって。立女形のいない舞台が続くと不審に思われるから、休演にするんじゃないかしら」
「‥‥本当かな」
 ぽつりと開拓者が呟く。
「え、何か気になる事でもあるの?」
「いや。それで?」
 受付嬢の問いを流して、先を促す。全てはまだ憶測と推測の段階でしかない。
 そう、全てが。
 考え込んだ開拓者に気づく事なく、受付嬢は話を続けた。
「今回も、揚羽の別邸を提供してくれるそうよ。龍之介さんは、今回もギルドへ依頼を出す事に反対したみたい」
 龍之介の協力が得られないとなると、本邸への出入りに制限がつく。やりづらくなるが仕方がない。
「調査の対象となる者が多すぎる。利口な奴が仕組んだ計画的な事件なのか、子供が行き当たりばったりに悪戯を隠しているような事件なのかも見極められていない。その上、協力者になるはずの依頼人は雲隠れしてるし、澤村での影響力が強い龍之介は非協力的。そんな状態で松也と輝蝶の居場所を突き止めろ、救出しろと言われてもな‥‥」
 やれやれと肩を竦める。
 一連の事件には人が介在している。どこかに必ず痕跡が残っているはずなのだ。ただ、その調査範囲が尋常ではないだけで。
「絞り込めたら楽なんだがな」
 手を広げて情報を集める段階はとうに過ぎた。内容を精査し、真実を辿って松也達を救出する。
「無茶でも何でも、やるしかないな‥‥」
 決意のこめられた言葉に、仲間達も深く頷いたのだった。


■参加者一覧
滋藤 御門(ia0167
17歳・男・陰
六条 雪巳(ia0179
20歳・男・巫
橘 天花(ia1196
15歳・女・巫
大蔵南洋(ia1246
25歳・男・サ
時任 一真(ia1316
41歳・男・サ
楊・夏蝶(ia5341
18歳・女・シ
沢村楓(ia5437
17歳・女・志
紅 舞華(ia9612
24歳・女・シ


■リプレイ本文

●澤村龍之介
 相変わらず、隙がない。
 ただ「座る」という動作にも、指先、着物の裾の動きにまで細やかに神経を配り、計算されている。
 幼い頃から舞や楽を習って来たのは己も同じ。だが、常に「見られている」環境の中に身を置く役者には、日常の生活全てが舞台の上のようなものかもしれない。
 目の前に座した澤村龍之介を見ながら、六条雪巳(ia0179)はふと考えた。
「それで、ご用とは一体何でしょうか」
 背筋を伸ばし、彼との対話に備える。
 今日こそは、彼に腹を割った話を聞かせて貰わなければならないのだ。
 同じ気持ちであろう、大蔵南洋(ia1246)と紅舞華(ia9612)が真剣な表情で頷く。彼らの後押しを受けて、雪巳は口を開いた。
「わざわざお時間を割いて頂いてありがとうございます」
「いえ」
 にこやかに微笑んではいるが、態度はそっ気ない。歓迎されていない事は分かっているが、ここで退くわけにはいかない。微笑んで、雪巳は今を盛りと咲き誇る庭の花へと視線を向けた。
「綺麗に咲きましたね。手入れが行き届いた、良いお庭です」
「ありがとうございます」
 互いに腹の底を探り合いながら、他愛のない会話を笑顔で交わす。前哨戦の始まりは、表向き和やかだった。
「奥のお庭も、今は花の盛りでしょうね。お小さい方々が羨ましい」
「興行が中止になって、いつも以上に遊びの時間が増えたせいか、皆、嬉しそうですよ」
 そうですか、と相槌を打った雪巳に、南洋が目配せを送る。出された茶を手に取って、雪巳は会話から一旦外れた。
「奥の庭‥‥、確か、この家に出入りする子供達の遊び場になっているという庭ですか」
 穏やかに南洋が問う。
「何やら、珍しい花が咲いているとも聞き及んでおりますが」
「先代の揚羽が花好きな方でして、四季折々、花を絶やさぬように手入れをされていた名残で、種類だけは多いですね」
 そつなく答えて、龍之介は庭に目を遣った。
「先代の揚羽殿が‥‥?」
「ええ。我々もよく手伝わされました」
 懐かしむような声色に、南洋はしばし考え込むと次の一手を打つ。
「龍之介殿は、澤村のお家を本当に大切になさっておいでのようで。今も、とても優しいお顔をしておられた」
「誰しも家族は大切なものでしょう」
 深く何度も、南洋は頷いた。
「然り。そして、互いに背中を、命を預ける仲間も」
 いざり寄り、南洋は深刻な面持ちで告げる。
「龍之介殿はご存じないやも知れませぬが、輝蝶と申す開拓者の姿が先日来、見えません。どうやらこの一件に巻き込まれたようで」
 龍之介の唇が微かに戦慄いたのは、南洋の見間違いか。
「それは、お気の毒さまです。さぞやご心配でしょう」
 軽く頷く事で龍之介の言葉を流し、南洋は本題へと入る。ここからが、本当の意味での勝負だ。
「本日、お伺い致しましたのは、どうにもお耳に入れねばならない事実が浮かび上がってきたが故。揚羽殿の楽屋荒らしに、柳弥殿が関与していた可能性が濃厚と我々は見ているのですが」
「まさか」
 探るような視線に動じる事なく、龍之介は笑ってそれを否定した。勿論、その反応は南洋達の予想の範疇だ。彼が次の言葉を発する前に、雪巳が口を開く。
「事件を表沙汰にする事を避けておられたのに、何故、今回は休演なのですか。休演となる事で、口さがない者達に騒がれもするでしょうに」
「それは」
 口ごもった龍之介に、それまでじっと話を聞いていた舞華が立ち上がり、彼の傍らに膝をついた。何の警戒も抱かせない、ごく自然な振る舞いに、戸惑いつつも龍之介は舞華を見る。冷静でいて、真摯な瞳が彼の視線をまっすぐに受け止めていた。
「一連の事件は、澤村の家に深く関わりがある。あなたも、それを分かっているはずだ。だから、手を引いた。けれど、このままではもっと取り返しのつかない事も起こりかねない‥‥」
 まっすぐな舞華の言葉は、龍之介の不安を違わず射抜いたようだ。
 この部屋に姿を見せた時から、ずっと被り続けていた「澤村龍之介」の仮面が外れる。
「龍之介さん」
 語りかける雪巳の声が穏やかになっている事に、彼は気づいているだろうか。
 そんな事を思いながら、舞華は南洋と顔を見合わせた。
 南洋も、目元を和らげて頷く。
「お聞きしても構わないでしょうか。揚羽さんのお名前で依頼を出されたのは、龍之介さん‥‥ですよね?」
 確信をもって尋ねた雪巳に返る答えはー。

●鍵
 なるほどね、と顎を撫でた時任一真(ia1316)は、軽く肩を竦めた。
「ま、仕方がないさ。そういう事には厳しい場所だからね、楼閣は」
「詳しいな、時任」
 流すに流せなかった沢村楓(ia5437)のツッコミを、頭を掻いただけで躱して、一真は考え込む素振りを見せた。
 事が起きてから時間が経ち過ぎている。あらゆる可能性を考えて動かなければ、このまま闇に葬り去られてしまうかもしれない。
「輝蝶さんが高華楼と関わりがあるのは間違いないと思うの。それから澤村とも。確証が欲しかったんだけど」
 悔しそうに楊夏蝶(ia5341)が爪を噛む。
 楼港まで行ったにも関わらず、何の情報も得られぬまま、体よく追い返されてしまったのだ。
「だから、それは2人のせいじゃない。高華楼は楼港でも有数の楼閣だからね、口が堅いのは当然だ」
「うー‥‥」
 頭では分かっているのだ。けれど、輝蝶が危機に陥っているのだから、少しぐらい協力してくれてもいいとも思う。
 そんな夏蝶の頭を軽く叩いて、一真は2人の労をねぎらおうとしたのだが。
「納得出来ん。そもそも、楼閣は遊興の場だ。国の大事だとか、重要機密を扱う場でもないのに、何故、あそこまで頑なに拒まねばならん」
 憤慨しつつ、真顔で尋ねた楓に、一真は虚をつかれて言葉に詰まった。
「えーと」
 ちらりと見れば、夏蝶も困った顔をしている。彼女に説明を任せるのは酷というものだ。ここは大人の自分が説明すべきだろう。覚悟を決めて、一真は大きく息を吸い込んだ。
「あー、それはだね」
「まあ、情報提供を拒否されたのなら、他を当たればいいだけの事だが。‥‥どうした、時任」
 だがしかし、あっさりと思考を切り替えた楓に、一真はがくりと膝をついた。気合いを入れた分、肩透かしされた虚無感が押し寄せて来る。夏蝶の視線も、今の一真には痛い。
「そ、そういえば、一真さんはこの別邸を調べていたんでしたっけ? 何か手掛りとかありました?」
「‥‥揚羽君の秘密を、少し‥‥かな」
 はははと空虚な笑いを漏らして、一真は調査の成果を語った。
 一連の事件が揚羽の狂言である可能性を考え、彼なりに「揚羽」を調べてみたのだ。舞華が気にしていた、今回の事件に似た歌舞伎の演目がないかという事も含めて、関連がありそうなところをしらみ潰しに当たった。
「それで、揚羽の秘密とは?」
「せっかちだな、楓君。2人とも、これを見てくれないか」
 一真が取り出したのは、どこかの鍵だ。
「これがどこの鍵というと‥‥」
「どこの鍵なんですかっ!?」
「‥‥せっかちだな、夏蝶君。俺としては、誰かさん達の監禁場所に繋がる鍵だったら有難かったんだが」
 2人を連れて、一真は奥まった部屋へと向かった。文机の上に何冊か積まれた芝居の台本。揚羽の私室だろうか。冷たい、生活感のない部屋だ。
 一真は文机の鍵穴に先ほどの鍵を差し込んだ。かちりと音がして、難なく鍵が回る。
「揚羽君が書きつけた、一連の出来事の覚書とでも言うのかな。この間、見つかった付け届けや文が届いた日から始まって、俺達の誰が何を調べていたのかまで書かれてある」
「私達の事まで、そんなに詳しく?」
 肯定を返して、一真は帳面を差し出した。
 揚羽が差出人に見当をつけていたと思われる印が幾つか残されている。
 そして、覚書が途切れた時は‥‥。
「‥‥輝蝶さんがいなくなったのと同時期」
 帳面を捲る夏蝶の声が震える。
 その手元を覗き込んでいた楓は、引き出しの中に残されていたものに気づいて手を伸ばした。
 それは見覚えのある1本の扇だった。広げてみれば、かつて楓が用意したものと同じ絵柄の扇面に揚羽の署名が入っている。
「‥‥あの馬鹿、戻って来たら、絶対に殴ってやる」
「そうよ。絶対探し出すったら探し出す。‥‥私、最後に会った時に文句を言った覚えしかないのよ。あれでおしまいになんて絶対にさせないわ」
 決意を込めて顔を上げた夏蝶を、楓は自分に引き寄せて肩を叩いた。
 互いに励まし合う少女達に笑むと、一真は窓の外、高い位置にある太陽を見た。
「そろそろ分家の方も動く頃合いか。天花君達は何を見つけて来てくれるのかな」
 輝蝶へのお仕置きを検討している楓と夏蝶の会話は聞こえない振りをして、一真は明後日の方角へと視線を投げた。

●陰影
「ごめんください」
 大声で呼ばわれば、中から初老の女性が顔を出す。
「龍之介さんからのお届け物を持って参りました」
 少年「梅松」の姿をした橘天花(ia1196)は、付き添いの女性に扮した舞華から包みを受け取ると女性に差し出した。
 龍之介からの届け物は本物だ。
 雪巳や南洋、舞華の説得もあって、彼は「揚羽」の名を借りた今回の依頼人である事を告白し、再び彼らに協力を約束してくれた。彼からの情報を得て、天花と舞華はここにいる。
 そして。
「これは、こちらでよろしいですか?」
「ああ、そうだ。すまないね。本家から手伝いを回して貰えて、本当に助かるよ」
「いいえ。今日は急場しのぎという事で参りましたが、出来る限りお力になれるよう、頑張ります」
 突然に決まった柳弥の襲名でこの家の使用人達はその準備に追われている。滋藤御門(ia0167)は、おっとりとした笑顔で男のそばから離れた。
「家の造りは本家と似ていますね」
 探る場所が絞れる。そんな事を考えていた御門は、不意にかけられた声に凍りついた。
「似ているからどうだと言うのかしら」
「っ!」
 硬直した御門をどう思ったのか、豪奢な着物の女が頭の先から爪先まで睨めつける。まるで値踏みをされる家畜のような気分になる不快な視線だ。
「可愛い顔をしていること。女形ではなく使用人というのは、誰の指示なのかしら」
「はい?」
 開拓者だとばれたのだろうか。
 身を硬くした御門に、女は口元を歪めた。
「龍之介さんに愛人がいるとは聞いていましたけれど、まさか、ねえ?」
「え」
ー僕は今、とんでもない誤解をされているのでは‥‥?
 御門が絶句している間に、女は癇に障る笑い声を上げて御門の肩に手を置いた。細い指先が御門の顎を辿る。
「可愛い貴方の言う事なら、龍之介さんは聞いて下さるかしら? 貴方からもお願いして頂戴。柳弥の襲名披露の時に、龍之介さんが相手役になって下されば、ご贔屓筋も世間も柳弥が未来の立女形だと認めるはずよ」
「た、立女形は揚羽さんでは?」
 揚羽の名を聞いた途端に、女は嫌悪を露わにした。
「揚羽! ええ、そうよ。揚羽は澤村の立女形が受け継ぐ名跡の1つ。でも、揚羽は‥‥。いいえ、やめましょう。龍之介さんは、もっと柳弥に目をかけて下さってもいいはずよ。柳弥は、揚羽や松也とは格が違うんですもの」
 女の整った容貌が醜怪に見える。延々と柳弥の正統性を語る女の言葉を聞きながら、御門は押し寄せる嫌悪感にひたすら耐え続けた。
 同じ頃、天花と舞華は藤棚の下で舞う柳弥の姿に目を奪われていた。
 化粧もしていないのに、舞う姿には艶がある。揚羽と比べるとぎこちないけれど、それでも人の目を惹きつけるには十分な舞だ。
「凄いです、柳弥さん!」
 舞い終わった柳弥に、天花は思わず賞賛と拍手を贈っていた。
「え? あ、お前‥‥」
「綺麗でした! 扇が、風に花弁が踊っているみたいに見えて‥‥!」
 素直に感想を伝えると、柳弥はぷいと顔を逸らす。機嫌を損ねてしまったかと、天花は慌てて少年に駆け寄った。自分の受けた感銘がどれほどのものだったか、一生懸命に言葉にする。
 けれど、柳弥はそっぽを向いたまま。
 そんな2人の様子を眺めていた舞華には、しっかりと見えていた。少年の耳が真っ赤に染まっている。素っ気ない態度も、照れ隠しなのだろう。
ー思っていたよりも良い子のようだ。間違っても謀が出来る子ではない。
 冷静に観察しながら、舞華はそう結論づけた。
ーとすると、何故彼が‥‥という疑問が残る。
「あ、そうだ。柳弥さん、花柳襲名、おめでとうございます。揚羽さんもそうですが、女形の人って凄いですね。一瞬で男の人から女の人に変わってしまうなんて」
 揚羽の名を出したのは、天花なりの考えがあってのことだ。だが、柳弥の反応は、天花の予想を裏切った。
「女形の型があるから。‥‥梅松は揚羽兄さんの付き人見習いって言ってたよな?」
 しばし逡巡した後で、柳弥は意を決したように顔を上げた。
「襲名披露の稽古、揚羽兄さんにつけて貰えるよう、頼んでみてはくれないか」
「え? えええっ?」
 予想外だ。
 これが何を意味するのか、今はまだ結論づけられないけれど。
 混乱している天花と、必死に頼み込む柳弥に、舞華は眉を寄せた。

●光明
 考え事をしながら、澤村本家へと向かっていた御門は、背後から掛けられた声に相好を崩した。
 夏蝶の屈託ない明るい笑顔に、今の今まで体に纏わりついていた、あの女性の毒々しい気配が払拭されていく心地がする。
「あれ? 疲れてる?」
「ええ、少し。それよりも、何か分かりましたか?」
 揚羽の事を調べていた夏蝶がここにいるのは、何らかの情報を追って来たからだろう。そう察しをつけて尋ねれぱ、夏蝶の表情が翳った。
「えーとね、これは乙女の勘なんだけど」
「はい」
「輝蝶さんは生きてると思うの」
「‥‥はい」
 頷けば、夏蝶はほっとした顔をして話を続ける。
「だから、色々調べていたのよ。ここしばらくの身元不明の死体とか。それでね、少し気になる事があって」
「気になる事ですか?」
 夏蝶は握り締めていた紙を御門に渡した。そこには、彼女が調べた身元不明の死体の詳細が記されていた。
「大柄な男、刺し傷あり? 殺されたという事ですね」
「以前、襲ってきた男の特徴に似てるような気がして‥‥。後で、舞ちゃんが調べてる澤村贔屓のお客さんと照らし合わせてみようかなって」
「そう、ですね。螺鈿細工は名のある品ではなかったようで、手がかりは得られませんでしたし、この線で‥‥」
 言葉を切った御門に、夏蝶は怪訝な顔をした。こころなしか、御門を取り巻く空気が緊張を孕んでいるような気がする。
「夏蝶さん。この男、川に流されていたのですよね」
「ええ。雨が続いて川が増水していたから、どこから流れて来たのか、まだ分からないそうよ」
「逃げる途中で落ちたか、それとも落とされたか。どちらにしても、川の流れを遡って行けば、何か手掛かりが見つかるかもしれません」
 例えば、と声を落とした御門の言葉は、夕刻の喧騒の中、夏蝶の耳にだけ届いた。
ーどこかの名家の別邸とか。