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■オープニング本文 ●退屈 「つまらぬ‥‥」 白い手から離れた絵巻がころころと転がって、鮮やかな色彩で描かれた物語の様々な場面が床の上で展開される。 それは貴族が好んで読む類の、美しい姫君と運命的な出会いを果たした貴公子の恋の物語だ。 「姫様、この絵巻は殿上人の間で人気の絵師の手による、もっとも新しい‥‥」 「新しいも古いも、どれもこれも同じじゃ。見目麗しく、心も美しいが不遇な姫と、何もかもに恵まれた男。味付けが違うだけで、ものは同じであろ」 そう言われては、側仕えの女房も返す言葉がない。 確かに、彼女の言う通りであったフで。 「絵空事の上に、いつも同じ展開の恋物語など飽きたわ。もっと違うものはないのかえ?」 違うもの‥‥と呟いた女房は、脳裏に過ぎったものを即座に消去した。 あんなものをお仕えする姫君には見せられやしない。 「そ、そうですわ、姫様。物語にお飽きになられたのでしたら、実話をお聞きになるというのはいかがでしょうか。女房達の中には、絵巻物に劣らぬ素敵な殿方との話をお持ちの方もおられるやも‥‥」 「ふむ‥‥」 苦し紛れの女房の言葉は、高遠家の影の支配者たる千歳姫の関心を大いに引いたようだ。姫の不興を買わず、女房がほっとしたのも束の間、彼女は姫の次の一言に言葉を失う事となった。 「では、開拓者ギルドに依頼を出して参れ」 「‥‥ひ、姫様?」 真っ先に我に返ったのは、常に彼女の傍らに控えている女房。 仕える主人の突拍子もない言葉には慣れているはずの彼女も、さすがに驚いたようだった。 開拓者ギルドの開拓者達は、日々舞い込む大量の依頼を解決する為に、天儀のみならず、ジルベリアまで足を伸ばしている。更に、今はとある遺跡に関する依頼が大量に出ており、開拓者達はその対応に奔走しているらしい。 「姫様、開拓者の皆様もお忙しいでしょうし‥‥。ああ、そうですわ。絵巻にお飽きになられたのでしたら、貝合わせはいかがでしょう? それとも、新しい香をお作りあそばされますか? 先日の香合わせでは、姫様の香が素晴らしかったと評判で‥‥」 ぱちんと千歳は扇を閉じた。 その音を合図に、女房が黙る。 「開拓者ギルドに依頼を出して参れ」 にこやかに笑って同じ言葉を繰り返した姫に、女房は青ざめた顔で静かに頭を下げたのであった。 ●姫からの依頼 「もし‥‥開拓者のお方でしょうか」 開拓者ギルドの前で、市女笠姿の女が1人の男に声を掛けた。 「そうだけど。あんたは?」 「私、主の命でこちらに依頼を出しに参ったのですが、どうすればよいか分からず‥‥」 声の調子からして、まだ幼い娘のようだ。ギルドに依頼を出して来いという使いを言いつかったものの、初めてのギルドに戸惑っているというところか。 「それなら、別に難しい事じゃあない。中に入って、受付台にいる係に必要な事を書き込んだ依頼状を渡すだけだ。後は、受付係が処理して、俺達への依頼の一覧に並ぶって寸法だ」 「はあ、さようでございますか。ご親切にどうもありがとうございました」 深々と頭を下げると、女は戸を潜るのに邪魔な市女笠を脱ぎ、教えられた通りに受付台へと向かった。 娘が焚きしめた香が、すれ違い様、開拓者の心にほんの僅かばかり甘い感情を呼び起こす。 「雅だねぇ。まあ、俺にはちょっとばかし縁がないもんだがな」 呟いて、彼は太陽が照りつける街路へと足を踏み出した。 待っているのは未知への入口か、それともアヤカシの群れか。 どちらにせよ、開拓者として立ち向かうまでだ。 依頼へと出立した彼は知らない。 娘が持ち込んだ依頼が、ある意味において阿鼻叫喚の世界を招く爆弾であった事を。 そうして、娘が再び頭を下げてギルドを辞した後、1枚の依頼状が貼り出された。 「心にときめきを。 乙女心を揺さぶるあなた様の恋物語を、当家の姫にお聞かせ下さいませ。 菓子と茶をご用意してお待ち申し上げております」 |
■参加者一覧
橘 天花(ia1196)
15歳・女・巫
紬 柳斎(ia1231)
27歳・女・サ
セルシウス・エルダー(ib0052)
21歳・男・騎
アーシャ・エルダー(ib0054)
20歳・女・騎
白 桜香(ib0392)
16歳・女・巫
天霧 那流(ib0755)
20歳・女・志
ケロリーナ(ib2037)
15歳・女・巫
ネリク・シャーウッド(ib2898)
23歳・男・騎 |
■リプレイ本文 ●ご挨拶 「こんにちは〜、千歳おねえさま」 ふんわりとした裾にフリルをあしらったドレスの先をちょこんと抓んで、ケロリーナ(ib2037)は軽く膝を曲げた。頭の動きに合わせて、くるんくるんの金色の髪が揺れる。 「よう来たの。名は‥‥」 「けろりーなですの〜」 にこにこにっこり、笑って千歳に走り寄ったケロリーナに、橘天花(ia1196)が慌てて手を伸ばした。だが、それはケロリーナに届く事はなく、彼女は御簾を潜ると千歳の傍らに座る。 青くなった天花の肩に、紬柳斎(ia1231)が溜息と共に手を置いた。 「まあ、よいではないか。当の本人が楽しそう故」 抱えたカエルの手足を操りつつ、ケロリーナは千歳と楽しげに会話を交わしている。 主がそれでよいならば、と女房達も何とか復活をとげ、客人のもてなしの支度に動き出していた。 「高遠家の影の支配者‥‥」 苦笑しつつ呟いたのは天霧那流(ib0755)だ。天儀では貴族の姫は御簾ごしに客人と対面する。だが、この家では千歳の意思が優先されるらしい。 「‥‥ご当主は、一体どのような方であろうか」 娘に実権を握られた当主の立場を思い、柳斎はふと視線を外に向けた。 外は夏の陽射しに輝いている。庭木の合間に、汗を拭き拭き樹木の手入れをする庭師の姿が見え隠れする。 「長閑だな」 「本当に」 夫であるセルシウス・エルダー(ib0052)に同意したのは、アーシャ・エルダー(ib0054)だ。 互いに笑み合う2人の間には、何者も入り込めない雰囲気が漂っていた。 「‥‥絶対領域‥‥」 つぅとこめかみを伝う汗を拭った柳斎が漏らした呟きに、白桜香(ib0392)が不安そうに彼女を見上げる。 「何人にも侵されざる聖なる領域、とでも言うべきか。あの2人の周囲に張り巡らされた見えざらぬ壁を感じぬか」 「そ、そう言われると、確かに‥‥」 ただ見つめ合っているだけの2人の周囲に透明な壁のようなものが見える‥‥気がする。 「これが‥‥絶対領域‥‥」 ごくりと喉を鳴らした桜香と柳斎の傍らをすり抜けて、絶対領域に踏み入った者が約1名。 「今日のけろりーな達は〜、恋のお話で盛り上がる為に来たのなの〜!」 ぷんと頬を膨らませると、ケロリーナはアーシャの腕を掴んだ。 「ちゃんとけろりーなに、お2人のらぶらぶなお話を聞かせて欲しいのなの!」 自分にかっ! 突っ込む仲間達の様子も何のその。 無邪気に笑うケロリーナに、アーシャは苦笑を漏らした。 「そう、ね。では、私達の話から始めましょうか」 ●紅と蒼 アーシャはジルベリアの皇帝に剣を捧げる騎士だ。 帝国の為にと向かった「異端」討伐、それが彼女の運命の歯車を回した。 「俺は、少数部族「紅き渓谷のエルナン」の族長を継いだばかりだった。どうすれば部族を帝国から守れるのか、そればかり考えていた頃、彼女に会ったのだ」 そう語ったセルシウスがアーシャを見つめる視線は穏やかで溢れんばかりの愛情に満ちている。 それだけでご馳走様と言いたくなるのを押し止めて、那流は笑顔で先を促す。 ーだって、最近、砂糖に飢えていたんですもの。 「最初は、森に迷った娘だと思った。そこにアヤカシが現れたのだ。彼女を救わんとした俺の目の前で、彼女は戦女神のように凛々しくアヤカシを斬り伏せてしまってな。俺は一目で彼女に囚われてしまった」 「ま。セラったら‥‥。囚われたのは私の方です。セラの鋭く力強い眼光に‥‥でも、私を見る時の優しい眼差しに、胸が高鳴りました」 上気した頬に手を当てるアーシャに、いいやとセルシウスが頭を振る。 「先に囚われたのは俺の方だ。その美しさ、気高さ、清らかさがいつも俺を魅了する」 「魅了されているのは私です。セラの事、どんどん好きになるの‥‥。頭がセラでパンクしちゃうぐらい‥‥」 アーシャの蒼い髪を梳いて、滑らかな毛先にセルシウスはそっと口づけた。 「俺の事で頭の中が溢れそうなら、それでいい。常に君の心の住人でありたいと願いうのは俺なのだからな」 外野の事を綺麗さっぱり忘れているらしい夫婦の会話に、那流と柳斎は己の口から砂糖が零れそうな心地を味わった。 「お‥‥恐るべし、絶対領域」 脇息に凭れ、話に耳を傾ける千歳の隣では、瞳を輝かせたケロリーナがうっとりと頬に手を当てている。 「シェレゾのギルドマスターのおじさまもビビビって来て恋に落ちたみたいだけど、本当に運命を感じる恋ってあるのかな〜。けろりーなも恋がしりたいよ〜」 ケロリーナの言葉に、アーシャはくすりと笑った。 「きっといつか恋をする時が来ると思いますよ」 「うう〜、いいなぁ。早く恋したいなぁ〜」 ケロリーナに微笑むと、千歳はセルシウスとアーシャへと視線を向けた。 「じゃが、そなたらは敵同士ではなかったか。如何にして、周囲を説き伏せたのじゃ?」 「俺としては攫ってでも妻にしたいと考えていたのだが」 その一言に、ケロリーナや天花、桜香だけでなく、静かに控えていたはずの女房達からも「きゃあ」と妙に弾んだ声が響く。 けれども、話を続けるセルシウスは静かに、毅然と言葉を続ける。 「元々、俺の部族は帝国に叛意はなかった。部族の暮らしが守られ、アーシャを妻に出来るのであれば‥‥」 「自ら帝国に下る事で部族と、己の愛とを守ったわけじゃ」 千歳の言葉に、セルシウスは軽く頭を下げる事で応えた。 「セラの決断のお陰で、私は彼とずっと一緒にいる事が出来るのです。これ以上の幸せはありません」 ぽっと頬を染めたアーシャに、この上なく優しい眼差しを注ぐセルシウス。 「なるほどの。紅と蒼、‥‥手にした双珠を守らんとする者、か。天晴れじゃ」 上機嫌でセルシウスとアーシャを称えた千歳に同意を示すと、開拓者達は、ほっと安堵の息をついた。 夫婦仲睦まじいのは良い事だが、これ以上、砂糖に蜜をぶちまけたような甘ったるい惚気話を聞かされては、身がもたない。 ー甘い話が聞きたかったけど、これは予想外デス‥‥。 妙に疲れた気分を味わいつつ、那流はぐったりと立派な柱に身を預けたのであった。 ●七転八倒 「さて。次の話を聞かせてくれるのは誰じゃ?」 甘々惚気話で胸焼け中の開拓者達に、情け容赦なく次の話を要求して来る。 ー恋話をご所望とは、お偉いさんはよく分からないと思ったが‥‥。 ネリク・シャーウッド(ib2898)は冷や汗を拭いつつ、依頼主を見た。開拓者がこれ程までにのたうち回る話をのっけから聞かされて、平然としている女。神経の図太さは並では無さそうだ。 ーこの娘、もしや、俺達を試す為に? となれば、ここは気を引き締めなければならない。 そんなネリクの心配を余所に、元気よく手を挙げたのは、意外な人物であった。 「はい! 次はわたくしがお話します!」 ざわ、と広間の空気が揺れる。 今回集まった者達の中で、最も恋や愛に遠いと思われた天花だったからだ。 「それでは」 皆の注目を浴びた天花は、咳払いをすると静かに口を開いた。 「初めは‥‥弟みたいに思っていたんです」 おおっと、どよめきが起きる。 まともな恋話だ! しかも相手は「弟」‥‥天花よりも年下ときた。 動揺を隠せないのは、子供だ子供だとばかり思っていた年長者達だ。 「依頼で訪れた国で出会って。でも、何年か後に再会したら、背を追い抜かれていて」 ん、と那流と柳斎は顔を見合わせた。 その少年と出会ったのは、数年前。となると、天花が幾つの時の話なのだろう。 「いつの間にか男らしくなって、姉としての気持ちが変わって行くのが分かりました。婚姻の申し込みは、それから何年か経った後ですが、自分から‥‥」 「ま、待てッッ!!」 あまりの展開に、思わず柳斎が声を上げる。 その話からすると、天花は自分達よりも遙かに恋愛経験を積んでいる事になる。更に怖い事に、既婚者である可能性も出て来たのだ。 これが驚かずにいられようか。 「わたくし、このお祖母様とお祖父様のお話が大好きで何度も聞かせて頂いたんです」 お祖母様‥‥。 安堵と虚脱感とが同時に襲って来て、柳斎は伸ばした手もそのままに、その場にへなへなと崩れ落ちた。 「‥‥私の運命の出会いは、開拓者になるべく、一大決心をしてギルドに向かっていた時の事でした」 そんな中、語り出したのは、桜香だ。 桜香よ、お前もか。 驚き疲れた那流と柳斎は、もはや引き攣り笑いを浮かべるしか出来ない。 「私の頭の上に、桃の花が落ちて来たのです。見上げると、彼がいて、とても嬉しそうに私を見ていました。私、そんな彼の笑顔に一目惚れして‥‥ずっと一緒にいたいと思ったんです」 「桜香‥‥」 そんな話は初耳だ。 表情を強張らせる那流の肩に手を置くと、柳斎は静かに首を振った。 「えっと、実は今もずっと一緒なんです‥‥」 「なんですってーっ!?」 衝撃で真っ白になった那流に、桜香はにこやかに笑って頷いた。 「はい。時々、一緒に依頼も受けてます。真勇って名前もつけました。とても格好よくて、可愛くて、いつも励ましてくれる理想の相棒です」 お子様ずの落ちは、まあこんなものだろう。短時間のうちに悟りの境地に達したのか、柳斎は視線を遠くに飛ばした。 そんな彼女の様子に、桜香は慌てて付け足す。 「父と母の話もあります!アーシャさんのように反対されましたけれど、今では母も祖母も仲良しです!」 必死に言い募る桜香を、微笑ましく見守る。本来、恋話とはこのように穏やかに、時に茶化したり照れる者を冷やかしたりして楽しむものではなかったか。那流と柳斎の2人は、似たような事を考えていた。 だがしかし、開拓者の恋話はそう甘くはなかった。 「祖母曰く、大事なのは生活力との事で、母は今、本を書いています。良く売れているらしいのですが、私にはまだ早いと」 「‥‥」 一体どんな本だろう。 その場にいた全ての者達が疑問に思ったその時、桜香は持っていた包みから薄い本を取り出した。 「よろしければどうぞ。母曰く、びーえ‥‥‥」 がばっと那流が桜香の口を手で塞ぎ、柳斎がその本を取り上げる。1と数える時間を100で割ったよりも素早い動きであった。 「持ち歩きも禁止」 びしりと釘を刺して、那流は溜息を1つ落とすと、髪を掻き上げた。 「仕方がないわ。よくある話だけど、次はあたしね」 「う、うむ」 これで空気が変わるかもしれない。込めた期待が、拳を握り締める柳斎の手に現れる。 「あたしには兄が2人いたの。千歳姫と同じね。でも、年の離れた兄の事を異性として好きだと気付いた時、どうして血が繋がっちゃっているのだろうって悩んだわ。兄の結婚が決まった時、相手の女性を憎んで、けど兄の悲しむ顔が見たくなくて、気持ちの整理がつかないまま、森へ駆け込んだの」 その場にいた者達が、こっそりと千歳を窺い見る。 しかし、千歳は楽しげに話を聞いているだけだ。 「誤ってケモノの巣に足を踏み入れ、群れに囲まれた。戦ったけど、このまま‥‥という考えもどこかにあったわ。そんな時、一陣の風が吹いたわ。彼は凄く強くて、私はただ見ているしか出来なかった。顔は分からないし、声と後姿しか覚えていないけれど、あれが、兄以外に気になる人の最初ね」 「初恋、か。拙者の初恋は14の時であった」 柳斎の声が昔を懐かしむ色に変わったと思うと、ぽつりぽつりと語り出す。 ー初恋、か 千歳の意図を探りつつも、繰り出される強烈な話に圧倒されていたネリクも、思わず己の過去に思いを馳せる。 「家を出て放浪していた時に出会った男だ。彼の太刀筋に見惚れてしまってなぁ。強引に弟子になった。‥‥2年程が過ぎて、拙者は彼が出掛けている間に刀を持たずに買い物に出たのだ。食事を作って待っていようと思ってな。そこをアヤカシに襲われたのだ。もう駄目だと思った時に、現れたのが彼だった。助かった安堵と彼が来てくれた感動とで勢い余って告白してしまった。‥‥彼も受け入れてくれたよ。毎夜、耳元で愛の言葉を囁いてくれてな‥‥」 意外だった。 柳斎と那流、2人のツッコ‥‥いや、制止役にこのような甘酸っぱい過去があろうとは。 だが。 「しかし、初恋というのは実らぬもの。彼は別の人に心を奪われた‥‥」 「っ!」 悲しい初恋の結末に、仲間達が息を呑む。 ふ、と柳斎は笑んだ。 遠い過去の傷が痛むのか、哀しい笑顔だ。 「柳斎さん‥‥」 そっと桜香が柳斎に手を伸ばす。その時、押さえつけていた彼女の感情が爆発した。 「よりにもよって男に! 確かに可愛い顔立ちの少年であったが、拙者というものがありながら、あんなのっ、あんなのってないわー! 拙者の‥‥私の青春を返せーーッ!」 柳斎から迸った激情に、仲間達は‥‥。 ●おしまい 「で、そなたの話は?」 開拓者と巻き込まれた女房達の屍が転がり、静まりかえった居室に声が響く。 微動だにせず、背筋を伸ばして座っていたネリクは、ゆっくりと首を動かした。 「ふふ。この状況下で、尚も平静を保っておるとは見上げた根性じゃな」 何もかも見透かしたような千歳の言葉に、背筋に冷たい汗が流れる。 平静に見えて、その実、ネリクは平静ではなかった。仲間達の破壊的な恋物語の数々に、ともすれば崩れそうになる心を叱咤し、何とか持ち堪えたのだ。 「平凡な、どこにでもある話だ」 「構わぬ」 倒れ伏す仲間の姿を見ながら、ネリクはぽつりぽつりと語り出した。 「俺のは‥‥片思いだ。ガキの頃から知っている幼馴染み」 聞いているのは千歳ただ1人。 「俺の家の近くには小高い岩山があってな。ある日、あいつが夜遅くまで帰らない事があった。いい所のお嬢さんだったから、大人達は大騒ぎさ。戻って来たあいつがボロボロになっていたってんで、また大変。でも、あいつは一言も事情を話さなかったんだ。最後には大人達が根負けだ」 語るネリクは、己の表情が優しくなっている事に気付いているのだろうか。 「そんなあいつが、日付が変わる頃に俺を訪ねて来たんだ。こっぴどく叱られたのに、また親の目を盗んで家を抜け出して。それで、岩山の上に咲いてる花を俺に差し出して、あいつ、何て言ったと思う? 「日付が変わってごめん。お誕生日おめでとう」だってさ。もう、その瞬間、俺はやられちゃったよ」 あの瞬間を決して忘れないだろうとネリクは思う。 この先、何があったとしても、例え、彼女が別の男を選んだとしても。 「昔、俺のお袋にあいつの親父が惚れてたんだってさ。今度は逆だけど、俺があいつを好きになる事は、生まれる前から決まっていたのかもな」 太陽の沈みかけた時刻、暗くなった居室の中では表情まで判別はつかないが、千歳が顔を綻ばせたように思えた。 「今日はこれでお開きじゃな」 「そうだな。‥‥しかし、世の中には色んな恋話があるもんだねぇ」 軽やかな笑い声を聞きながら、ネリクは開け放たれた障子の外、夜の色が濃くなった空を眺めたのだった。 |