【修羅】枯れし心〜脈動
マスター名:桜紫苑
シナリオ形態: ショート
危険
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/02/07 00:33



■オープニング本文

●何処かで
「賢しげなことを‥‥」
 寝床に決めた木に背を預けたまま呟く。
 周囲には風に吹かれた木々が揺れるばかりだ。
 けれど、息を潜めて続く言葉を待つ気配が周囲に無数に蠢く。
「だが、五月蠅い人間どもの目はしばしの間、彼奴に向く。汚れた地を浄化しても邪魔は入らぬ、か‥‥」
 歓喜にも似た波が盛り上がる気配を冷ややかに見下し、誰に聞かせるでもない言葉を紡いだ。
「手始めに‥‥あの抹香臭い地を、吾が手で‥‥」

●枯れた心
「っ!」
 目の前の光景に、彼は息を呑んだ。
「ひっ、ひぃぃぃぃぃぃっ!!」
 従者は腰を抜かし、ずりずりと無様に後退っていく。
 主である彼を置いて。
 そんな従者を一瞥すると、おそるおそる足を踏み出す。
「て、天祥様っ! 危のうございますっ!!」
 悲鳴じみた叫びを上げる従者を無視して、もう一歩、彼は近づいた。
「これは‥‥なんたる事か‥‥」
 昨日、詣った時には何の異変もなかった。
 たった一日で、樹齢何百年と言われる巨大な神木が枯れ果てるものだろうか。それに、周囲に満ちるこの禍々しい気配は‥‥。
「瘴気‥‥」
 法衣の袖を口元に当てて、眉を顰める。
「天祥様っ、お早く、お早く!」
「‥‥このご神木は、安積寺の北の護り。安積寺の心、宿る精霊がアヤカシから安積寺を守るとも、ご神木の放つ清浄な気をアヤカシを厭うて近づかぬとも言われている。そのご神木が枯れたとなれば‥‥」
 考え込むと、彼は未だ腰が立たぬ従者を振り返った。
「急ぎ、本山に使者を。良からぬ事が起きる前兆やもしれません。早急に対策を打たねば」
「は、はいっ!」
 不格好に這いずりながらも、従者が離れた場所に待たせてある下男のもとへと向かうと、彼は黒く朽ち果てた巨木を見上げる。
「‥‥全てを壊す嵐が‥‥」
 呟く声に混じった響きは、吹き抜ける風がさらい、何処かへと運んでいった。

●本山にて
 東房の都、安積寺には東西南北にそれぞれ「神木」と呼ばれる巨木がある。
 嘘か真かは不明だが、このご神木が安積寺を災いから守っていると信じる者は多い。
 天輪宗としても、悠久の時を経た巨木に敬意を払っていたわけだが。
「北のご神木だけではありません。西のご神木の周辺にアヤカシが大量に出現したとの報告が入っております。近くにいた者達が対応に当たっておりますが、倒しても倒しても、また湧いてくるとのことで、至急、救援をと」
 上擦った声で告げられた報告に、その場にいた者達の目は上座に座する男へと注がれた。
 天輪王。
 この天儀天輪宗の大僧正であり、東房を預かる指導者だ。
「此度の事、いかがなされますか?」
「とにもかくにも、アヤカシを退治せねばなりますまい」
「目の前のアヤカシだけを退治しても、原因が分からぬのでは解決にはならん!」
「しかし、実際に跋扈するアヤカシを放っておいては!」
「安積寺の人々も不安を募らせておりまする。安積寺は精霊に見放されたなどと放言する者も」
 人徳があり、天輪宗を導く者の威厳に満ちた僧正達が、常の冷静さを失って言い争う姿は他の僧侶や信者達には見せられない。
 大きく息を吐き出すと、天輪王は隅にひっそりと控えていた青年に声を掛けた。
「北のご神木の異変は天祥殿が発見されたとか。他に気づかれた事などは?」
「‥‥いえ、特には」
 そうかと頷きを1つ落とすと、天輪王は決断を下す。
 ここで議論をしている暇などなかったのだ。
「開拓者ギルドに要請を。ご神木は安積寺の護り。真に言い伝えられている力があるか否かは分からぬが、住まう者達の心の拠り所には違いない。原因の究明とアヤカシの駆除を、大至急と伝えよ」
 言い争っていた者達が途端に静まり返り、頭を下げた。

●暗雲
 神楽の都、開拓者ギルドにて。
 板張りの広間には机が置かれ、数え数十名の人々が椅子に腰掛けている。上座に座るのは開拓者ギルドの長、大伴定家だ。
「知っての通り、ここ最近、アヤカシの活動が活発化しておる」
 おもむろに切り出される議題。集まった面々は表情も変えず、続く言葉に耳を傾けた。
 アヤカシの活動が活発化し始めたのは、安須大祭が終わって後。天儀各地、とりわけ各国首都周辺でのアヤカシ目撃例が急増していた。アヤカシたちの意図は不明――いやそもそも組織だった攻撃なのかさえ解らない。
 何とも居心地の悪い話だった。
「さて、間近に迫った危機には対処せねばならぬが、物の怪どもの意図も探らねばならぬ。各国はゆめゆめ注意されたい」


■参加者一覧
滋藤 御門(ia0167
17歳・男・陰
柚乃(ia0638
17歳・女・巫
橘 天花(ia1196
15歳・女・巫
弖志峰 直羽(ia1884
23歳・男・巫
紅 舞華(ia9612
24歳・女・シ
狐火(ib0233
22歳・男・シ
ルンルン・パムポップン(ib0234
17歳・女・シ
シア(ib1085
17歳・女・ジ


■リプレイ本文

●安積寺
 東房は魔の森の侵触が激しい国である。
 痩せた土地も多く、人々は困窮している。
 東房の中心たる安積寺とて、その影響から逃れられない。貿易の窓口となる港があり、農村部よりも遥かに楽だが、それでも国をも飲み込みかねない魔の森、アヤカシへの恐怖は根強い。
 そんな安積寺に住まう人々の心の支えの1つとなっているのが、街の東西南北に位置する「アヤカシの侵入を防ぐ」ご神木だ。真偽は定かではないが、安積寺の人々のご神木への敬慕は深い。
 そのご神木に異変が起きたという噂が流れて、安積寺の街はざわついていた。
 すぐに天輪宗から派遣された僧達がご神木の周囲を立ち入り禁止にした為、彼らはご神木の現状を知る術もなく、ただ不安に慄くしかない。
「やれやれ。これでは情報収集も難しいですね」
 ご神木に異変ありという噂が広がって以降、仕事でやって来た他国の商人を相手とした酒場も店仕舞いが早くなったらしい。普通の店に至っては太陽が沈むと同時に店の戸を閉ざし、家族と共に家の奥深くで息を潜めている。
「少々作戦を変更しなければ」
 閑散とした大通りを歩きながら、狐火(ib0233)は呟いた。
 出歩いている者と言えば、事情を知らない他国の者と、警戒に当たる天輪宗の僧兵ぐらいだ。
 この状況は、ご神木に異変が起きた「後」のものだ。それ以前は、夜でも商売をする者達がいたはず。彼らを昼の間に見つけ出して、ご神木に異変が起きる前後の事を聞き出せばいい。
「朝が来るまでは、現地の調査でもしていましょうか」
 時間を無駄にせぬ為、狐火は1日の大半を調査に費やす。
 それでも事件の真実に近づくのは難しい。それは、玉石入り混じった河原でたった一つの石を見つけるに等しい。
「さて、とりあえずどこから攻めましょうか」
 大通りを吹きぬけて行く寒風に衣の裾をはためかせながら、狐火は確かな足取りで何処かを目指して歩み去って行った。

●ご神木
 枯れた木は見ているだけで心が痛い。
 散った葉は、水分を失ってシア(ib1085)の足元でカサカサと乾いた音を立てているだけだ。以前は、冬でも葉が落ちる事はなかった。情報収集で回った寺の老僧が寂しげにそう語っていたのを思い出して、ぎゅっと胸元を握り締める。
「うーん、やっぱり完全に枯れちゃってますね」
 木肌に触れながら、ルンルン・パムポップン(ib0234)が肩を竦める。
 さすがの花忍も枯れた木を甦らせる事は出来ない。
「でも、ご神木が枯れた原因がまだどこかにあるはずです。きっと何か巨大な悪の仕業に違いないんだから! 絶対に原因を見つけちゃいます!」
 ぐぐっと握った拳に力を入れて、ルンルンはシアを振り返った。
「ニンジャと捜査の基本は美脚なんだからっ! 植物の事なら花忍の私にお任せです!」
「えーと‥‥どこを突っ込んだらいいのかしら‥‥」
 美脚関係ないし。
 乾いた笑いを浮かべたシアの言葉はメラメラと闘志を燃やすルンルンには聞こえなかったようだ。自慢の美脚が汚れるのも構わず、ルンルンは膝をついて丹念に木を調べ始めた。
「でも‥‥そうよね。ただ瘴気があるだけなら、木がすぐに枯れる事はないだろうし。例えば、木の根とかに傷をつけられたり、生気を奪われたって事も考えられるわよね」
 枯れ果ててなお大地に踏ん張って巨大な身を支える根にシアは手を伸ばした。地上に出ている部分だけではなく、地中深く埋もれている根に異常がある事も考えられる。
「枯れ始めの場所か何か見つけられたらいいんだけど」
「そういえば、ここに到着してすぐ、ご神木周辺の痕跡を調べたんですけどー」
 枯葉の下の土を摘み、指で潰していたルンルンが思い出したように呟く。
「私達が‥‥お寺まわりをしている時ね」
 手を止めたシアに、ルンルンは困ったように眉を寄せる。何を調べたのか、詳しい話は聞いてはいないが、この様子では寺まわりと同様、あまり成果はなかったのだろう。
「そうなの。狐火さんと一緒にね。でも、天輪宗の人達が踏み荒らしちゃってて、手掛りになりそうなものはなかったんですよねー」
「‥‥それは」
 シアは言葉を失った。天輪宗の僧達も動揺していたのだろうが、あまりに迂闊すぎる。
「でも、さすがに土は掘り返してないみたいですケド」
 はああ。
 ルンルンが深く息を吐きだした。
「‥‥」
 その溜息を聞きながら、シアは細い根に触れていた手に力を込める。ばきりと、鈍い音が響いて、根は呆気なく折れた。
 ご神木が豊かな葉を蓄えていた頃は、この根ももっとしなやかで、軽く力を込めたぐらいではたわむ事はあっても折れたりはしなかっただろうに。
「本当に‥‥この木は死んでしまったのね」
 何十年、何百年かは分からないが、この場所に根付き、人々の暮らしを、変わる世界を見続けて来たご神木は、もはや虚ろな外郭を残すばかりだ。
「可哀相に」
 ぐすんと涙ぐんだルンルンに、シアは瞳を閉じる。
ーせめて‥‥。
 訪ねた寺で分けて貰った竹筒に入った清水を取りだすと、その全てを枯れた根っこに振りかけた。ご神木がまだ生きているなら、その身を蝕むものを少しでも清められないかと用意していたものだ。
ー今はこんな事しか出来ないけれど、きっと、あなたを苦しめたものを見つけるから。
 
●瘴索
「第一印象としては、とにかく薄気味悪いの一言に尽きらぁな」
 弖志峰直羽(ia1884)の言葉に、一緒に歩いていた柚乃(ia0638)もこくりと頷く。
「東西‥‥南北のご神木は‥‥まるで安積寺を守る結界のようね。陰陽道では‥‥北、東北は鬼門‥‥何か関係あるのかな‥‥」
「そうだなぁ」
 アヤカシを再構成して使役する陰陽士の理が的を得ている可能性は高い。けれど、天輪宗の総本山たる安積寺が陰陽道に沿って街を形成し、ご神木を配したとは考えにくい。強いて言えば、自然が生み出した偶然。アヤカシの恐怖に曝された土地だからこそ、大地を守ろうとする精霊の力が防御の要となる場所で凝り固まり、「ご神木」を育てた‥‥とも考えられる。
「うーん‥‥人智では及ばない自然の神秘てところかな?」
「?」
 首を傾げた柚乃の隣で気勢をあげたのは、橘天花(ia1196)だ。
「そうです! 精霊様のご加護に違いありません! だから‥‥」
 くしゃりと顔を歪めて、天花は柚乃と繋いだ手に力を込めた。
「だから、東房の方々が心安らげるように、一刻も早く原因を突き止めましょう」
「‥‥うん」
 手を繋いで頷き合う2人の少女を、直羽は優しい表情で見守った。
「強い子達だよねぇ、舞ちゃん」
 彼らから少し離れて歩く紅舞華(ia9612)は頷く。直羽の言葉に含まれた意味を、舞華は正確に受け止めていた。
 彼女が手にしていのは、直羽達、巫女が見つけた瘴気の場所を記した地図だ。見ているだけでも気が滅入りそうだ。
 だが、幼い少女達は惨状に心を痛め、それでもこの国の為、懸命に調査を続けている。
「‥‥私は見守る事しか出来ない」
「ありがとうね」
 小さな呟きに応えたのは直羽だった。 
「アヤカシに襲われても、僕達はまともに戦えないから、舞ちゃんが一緒に来てくれて心強いよ」
 いつの間にか舞華の前に立っていた直羽が静かに笑う。
「直‥‥」
 その笑顔に心臓が跳ねた次の瞬間。
「頼りにしてるよ〜♪」
 ころりと雰囲気を変え、腕を広げて抱きつこうとする直羽からするりと身を躱す。
「どっ、どうしたんですか!? 何かいたのですかっ!?」
 豪快に顔から地面に激突した直羽に驚いて、駆けよる天花と柚乃に向かって何でもないと軽く手を振ると、舞華は溜息を吐きだしながら額を押さえたのだった。

●天祥
 ご神木に起きた異変の第一発見者に話を聞く為、滋藤御門(ia0167)は天輪宗の古刹を訪れていた。
「こちらのお寺は、随分と立派なのですね」
 東房の窮状を考えれば当然の事かもしれないが、天輪宗は清貧を尊ぶ風潮にある。
 だが、この寺は御門が知る寺の中で最も豪奢だ。金銀玉がふんだんに使われているわけではない。細かな所にまで細工が施された欄間や、美しい色彩で描かれた天井画、そして。
ーここにもあるのですね。
 長い廊下の所々にひっそりと置かれているのは、竹の花挿しに活けられた1輪の花。
 華美ではないが、ほんのりと心が温かくなる気配りだ。
「その花は、毎日、天祥様が活けておられるのです」
 花に目を留めた御門に気づいたのか、案内の僧が微笑んで説明してくれる。
 これも、御門には意外な事だった。
 荒行に挑む者、アヤカシから民を守る者、己を律し、過酷な環境に身を置く者、天輪宗の僧は、そういった者達が多い印象を抱いていた。しかし、この寺の僧達は穏やかで、どこか荒事とはかけ離れている気がする。
ー所作も歩き方も、貴族の屋敷に仕えている者みたいですし‥‥。
 この寺を預かる天祥という僧は、まだ年若い青年だという。経験と修行を積んだ高僧達ではなく、寺を任されたのは天祥が人より優れた力を持つ者だからだろうか。
 花を見つめながら、御門が天祥に思いを巡らせた時、慌てた様子で僧が駆けて来た。
「申し訳ございません。天祥様は急な病でお倒れになりました」
「病、ですか?」
 問い返した御門に、案内の僧は困った顔で笑顔を作る。
「よくある事なのです。天祥様はお体が‥‥その、あまりお強くはないものですから」
「そうですか‥‥」
 病に倒れたのであれば、無理は言えない。
 後日の再訪を約して、御門は寺を出た。
「天祥サマには会えましたか?」
 寺門を出てすぐに声を掛けて来た男に、御門は小さく首を振る。
「街で色々と聞き込んでいたのでが、その中に天祥サマの噂も幾つかありましてね」
 男は‥‥狐火は声を潜めた。まだその「天祥サマ」が預かる寺の門前だ。誰に聞かれるか分からない場所で迂闊な事は話せない。互い言葉なく、2人は緩やかな階段を降りて行く。
 階段の半ばを過ぎて、寺が持つ独特の空気が薄れた頃、ようやく狐火は口を開いた。
「天祥サマは「どこかの偉い人のお子様」だそうですよ。どうして、そんな方が僧をやっているんでしょうね?」
「直接お会いする事は出来ませんでしたが、天祥様はまだお若い方なのだそうです。‥‥それならば、若くしてこの寺を任された理由にも見当がつきますね」
「理由はそれだけじゃないみたいですね。天祥サマは、物心つくかつかないかの頃から僧としての修行を積まれたそうですし」
「え?」
「それから、これを」 
 手の中に押し込まれた紙は、安積寺の簡単な地図だ。おそらく、街の瘴気を調べに行った仲間達の情報をまとめたものだろう。
 そっと紙を開いて、御門は息を呑んだ。
「これは‥‥!」
「驚きましたか? 実際、街をじっくり歩いてみると分かるでしょう。この安積寺は急速に瘴気に蝕まれていますよ」
 軽く振り返った狐火の目は真剣味だった。
「どうしてこんな‥‥」
「さて。天輪の方々も気づいているでしょうが、瘴気の広がりが早すぎて、対応出来ないのでしょう。今、この安積寺は、いつ、アヤカシに襲われてもおかしくない状態にあるんですよ」
 苛立ち混じりに言い切って、狐火はふと気付いたように肩を竦めた。
「ああ‥‥、そうでした。もうアヤカシは襲って来ているのでしたね」
 アヤカシが大量に発生しているというご神木。そちらにも既に仲間達が向かっている。
「一体、この国に何が起きようとしているのでしょうか」
 背筋を走った悪寒を気のせいには出来そうになかった。

●浄めの炎
 最後はルンルンだった。
 ご神木に異変がある前日、周辺の住民が飼っている動物達の様子がおかしくはなかったかを調べに出ていたのだ。
「それで、どうだった?」
 問うた直羽の顔色は悪い。
 だが、それは直羽だけではない。
 安積寺の現状が、思っていた以上に悪いという事実。そして、その「原因」が何によるものかを彼らは知ってしまったのだ。
「えと‥‥やっぱり、動物達はおかしかったそうです。吠えたり、噛みついたり、逃げ出そうとしたり。でも、それはその日だけじゃなくて‥‥」
「今も続いている、と」
 そっかー、ありがとー。
 明るく労う直羽の笑顔は疲れを色濃く滲ませていた。
「早急に南と西のご神木の状況を確かめる必要があると思う」
 舞華の提案に、仲間達は頷いた。
 しかし、その為には、まずやらねばならない事がある。彼らに残された時間では、到底間に合わない。それが分かっているからこそ、舞華は焦っていた。
「ご神木の護りというのは、こんなにも大きい意味を持っていたのね‥‥」
 皆で作った地図を手に、柚乃が呟く。
「そう‥‥ですね。護られているという認識は、この街の人達が生まれた時からずっと自分達でも気付かぬうちに持っていたものでしょうから」
「それが消えてしまって、人々の恐怖は増大するばかりですね」
 御門の言葉を補った狐火は、ここ数日で目の当たりにした街の人々の様子を思い返して口元を歪める。
「この街はアヤカシ達にとって最高に美味な味付けがされたご馳走状態と言ってもいい。この事態を引き起こした原因がアヤカシであるなら、そいつは、ご馳走が皿の上に乗せられて供されるのを舌なめずりしながら待っているのでしょうよ」
「そんな事‥‥!」
 させないと言いかけて、ルンルンは言葉に詰まった。
 街の瘴気、ご神木の状態、異変が起きる前後の様子を調べたものの、「原因」を突き止めるまでには至らなかった。原因がアヤカシである可能性は高いが、それがどのようなアヤカシなのか、その影も掴んでいないのだ。
「‥‥街の人達は、ご神木と一緒に暮らしてきたんです。思い出や願いがいっぱいいっぱい託されていて、本当にアヤカシの侵入を防ぐ力があったかどうか分からないけれど、確かに街の人達の心の拠り所だった‥‥。だから」
 街の人達が語るご神木への想いを思い出しながら、ルンルンは潤みかけた目をゴシゴシと擦る。実際は異変が起きた後のご神木しか知らないけれど、街の人達の話を聞くうちに、親しみが生まれて来た。
 出来るなら、無事な所だけでも残して次代に繋ぎたいと。
 しかし、それは無理な話だ。木の状態を調べていたルンルンはそう理解もしていた。
「このままにしてはおけない‥‥よね」
 枯れた木の肌に手を当てながら、シアが天花を見る。今にも泣きだしそうな顔をしながらも、天花はその言葉に「はい」と頷いた。
「だから、ちゃんとご神木に戻してあげて」
 それが、その場にいる者達の、安積寺の人達の願いだ。
 シアは最後に木の肌を優しく撫でて、身を引いた。
 精霊の力を借りた炎が、木を包み込んだ。それは、一瞬の幻のようにゆらりと木の周囲を揺らめかせて消える。
「これで、ご神木に戻れたのよね」
「きっとね」
 枯れた木を見上げる柚乃の頭に手を置いて、直羽は力強く頷いたのだった。