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■オープニング本文 ●夜の悩み 「ふむ」 軽く膝を曲げ、侍女が上げた御簾を潜るとその御方は考え込む素振りを見せた。 長く艶やかな黒髪が夜着の背に流れ落ちる。先ほどまで横になっていたとは思えぬ程に癖もなく乱れもない、美しい髪。それは、毎日、命をかけて手入れを行う侍女の努力の賜物である。 「姫様、そのようなお姿でこのような場所にお出になっては」 諫める老女を一瞥すると、姫と呼ばれた女はおもむろに口を開いた。 「のぅ、婆や。あれは何の声じゃ」 「お耳障りを申し訳ございませぬ。実は子が生まれまして、それでああして」 興味を持ったのか、女は更に足を進めようとした。だが。 「なりませぬ、姫様。高遠の姫様ともあろう御方が、これ以上、誰ぞの目に触れるやもしれぬ場所にそのようなお姿でお出ましになられては、どのような噂が立つやもしれませぬ」 「高遠の変わり者は兄上様達で十分かえ?」 揶揄を含んだ女の言葉に、老女は平身低頭する。 ふふふ、と女は笑った。 「仕方がないのぅ。では妾は婆の言う事を聞いておくとしよう。父様にいらぬ気苦労をおかけして倒れられても、変わり者の兄様達のこと、家に戻って来てくださるかどうか分からぬし。そのような危険をおかす程の事でもないしのぅ」 「は、はい。ありがとうございます」 ふう、と女は息をついて頬に手を当てた。 「兄様達が戻って来てくださるのであれば、父様に倒れて頂くなど造作もない事じゃが‥‥。母様が泣くしのぅ」 そのお言葉に老女が硬直するのを可笑しげに見て、女は部屋の中へと戻った。 「じゃが、うるさくて眠れぬ。もーりぃの為じゃと我慢はしておるが、妾も眠れぬのは困る。そなた、明日にでもギルドとやらに出向いて、開拓者に何とかするよう、頼んで来やれ」 「しょ‥‥承知致しました」 階で冷や汗を掻く老女の事などすぐに忘れたように、女は側仕えの女達に次々と命じて寝支度を整える。 やがて、するすると、御簾が再び下ろされた。 ●昼の光景 「ふああ〜」 大きな欠伸と共に、その男がギルドに現れたのは昼飯時も過ぎた頃の事だった。 「「おはよう」、重さん。昨日も派手にやっていたみたいねぇ」 「ちぃーす。まったく、あのババア、たまには静かに寝かせてくれっての」 「重さんが溜めているお家賃を払ったら、おトメさんもしばらくは何も言って来ないんじゃないの?」 痛い所を突かれて、重と呼ばれた男は、にこにこ笑っている娘からくるりと踵を返した。 「さーて、お仕事探すかぁ。どこかに楽して大金が転がって来るような依頼はねぇもんかなァ」 娘の更なる舌撃を牽制しながら、重は壁に貼り出された依頼に目を通した。 「おっ、これなんかいいんじゃないか? 報酬たんまりの‥‥」 重が指さした依頼に、隣で仕事を探していた開拓者も興味を惹かれて覗き込む。 「ほー。確かに割のいい仕事だな。夜、なかなか寝ない「もーりぃ」の子を寝かせて欲しい、か。子守にしちゃ破格値だ」 その声に、別の開拓者達も集まって来る。アヤカシ討伐の為に、武器を新調したいと考えている者や、溜めた飲み代の支払いに頭を抱えて来た者、依頼料3ヶ月分溜めて、惚れた女に求婚しようと考えている者。手っ取り早く、簡単に金を稼げる仕事を探している者は多い。 「なになに? ああ、この「もーりぃ」というのはどこぞの姫さんのお気に入りらしいな。だが、「もーりぃ」は女を作って子供まで産ませた」 「サイッッテー!!」 女開拓者から非難の声があがる。 「まあまあ、そう言うなって。で、子供が毎晩うるさくて、姫様も眠れないから、夜泣きを何とかして欲しいってわけだな。こんなの簡単じゃねぇか」 「何? 策でもあるのか?」 「もちろん」と、開拓者の1人が胸を張った。 他の開拓者達も興味深く男の次なる言葉を待つ。 「古今東西、言うじゃねぇか。眠れない時には羊を数えるんだってな。よし、俺がこの「もーりぃ」のガキの隣で羊を数えて来てやらぁ」 どんと胸を叩いて、男は受付台に依頼書を叩きつけて、参加の手続を取った。楽勝な依頼だと鼻歌まじりに手続の完了を待っていた男に、重がぼそりと呟いた。 「お前‥‥依頼書はちゃんと最後まで読んだ方がいいぞ‥‥」 「ん? どういう事だ、重? 依頼書に一体何が‥‥」 意味深な重の言葉に、開拓者達は戻された依頼書をじぃと見つめる。 「なお、「もーりぃ」なる者、姫様のご寵愛深い猫であり、子は2‥‥‥‥‥‥‥‥」 「な、ちゃんと最後まで読んだ方がよかったろ?」 がくりと床に崩れ落ちた開拓者の横にや○きー座りして、重は気の毒そうにその肩を叩いた。 「ま、頑張れや」 |
■参加者一覧
朝比奈 空(ia0086)
21歳・女・魔
滋藤 御門(ia0167)
17歳・男・陰
天河 ふしぎ(ia1037)
17歳・男・シ
煉夜(ia1130)
10歳・男・巫
乃木亜(ia1245)
20歳・女・志
雲野 大地(ia2230)
25歳・男・志
伊集院 優菜(ia3304)
20歳・女・巫
斎 朧(ia3446)
18歳・女・巫 |
■リプレイ本文 ●高遠さん家の猫事情 「高遠様のお屋敷‥‥ですか。少し緊張しますね」 そう呟いた滋藤御門(ia0167)の微笑みはどこかぎこちなかった。 「緊張なさる程のお家で?」 「朝廷の政治にも関わっておられる、偉〜いお家柄ですから」 御門の短い答えに、雲野大地(ia2230)はなるほどと頷く。それならば、この屋敷の豪華さにも納得がいく。貴族の家の庭には川や池があると聞いた事はあったが、この家の庭には朱塗りの橋が架かった池の中に小島が浮かび、更にそこには立派な屋根のついた四阿があるのだ。 「はあ、なんだか凄い所に来てしまった気がします」 「ほら、緊張するでしょう?」 一応は案内の女房に気を遣って、小声で囁き交わしていた御門と大地の傍らを、乃木亜(ia1245)の手を掴んだ天河ふしぎ(ia1037)が歓声を上げて駆け抜けていく。 「見なよ! 池に白い鳥がいるよ!」 「えと、あの‥‥」 無邪気に喜ぶふしぎに相槌を打てばいいのか、それとも女房に非礼を詫びればよいのか。おろおろする乃木亜を気遣ったのか、女房はにこやかに微笑んで口を開いた。 「時折、当家にて羽根を休めておりますれば」 「都鳥‥‥ですね」 伊集院優菜(ia3304)が尋ねると、女房は曖昧な笑みで視線を在らぬ方へと向ける。 「当家では、別の名にて呼ばれておりますので‥‥」 別の名とは何だろう。 顔を見合わせた優菜と乃木亜に、女房は小さく咳払った。 「ささ、お猫様はこちらでございます」 渡り廊下を曲がった先の建屋は、こじんまりとしながらも立派な造りとなっている。庶民の暮らす家とは雲泥の差だ。 「ここは、ご家来の方々が住まわれる場所ですか?」 首を傾げて、朝比奈空(ia0086)が問う。 自分達の宿として提供された建屋だろうという彼女達の推測は半分当たって、半分外れていた。 「いえ、こちらはお猫様のお住まいとなります」 「‥‥‥‥‥」 さすがの彼らも絶句した。 見えているだけでも部屋の数は片手では足りぬ。使われている木材は、間違いなく檜。寝殿や対の屋は貴族の屋敷然としていたが、この建屋は彼らに馴染みの深い造りをしていた。それでも十分にお貴族様の屋敷だったが。 「一般庶民が見たら泣いちゃいそうですね」 斎朧(ia3446)の言葉に、煉夜(ia1130)もこくこくと頷く。 「いや、その前に怒るんじゃないか」 「呆れて笑っちゃうかもしれませんよ」 大地と御門が苦笑したと同時に、中にいた者がするすると障子を開いた。 「!!!!!!!」 そして、再び絶句。沈黙。 檜の柱には無数の傷跡、恐らく名工が丹精こめて作った漆塗りの櫃も漆が剥げて無惨な姿を晒していた。几帳はびりびりに引き裂かれ、さぞや美しかったであろう屏風も幾筋もの引っ掻き傷と穴が出来ている。 「それでは、わたくしはこれで‥‥。大子、お客様をよろしくお願い致します」 「あい」 洗練された案内の女房に代わって顔を出したのは、純朴そうな娘だった。先ほど、障子を開いたのもこの娘らしい。 「よろしくおねがいしますぅ」 「あ、はい。こちらこそよろしくお願いします」 元気よく頭を下げる仕草に、祖父の元にいる者達の姿が重なって、優菜は柔らかく笑んで礼を返した。 「それで、子猫はどこにいるのですか?」 そんな社交辞令には興味はないとばかりに、朧が大子に尋ねる。豪奢な邸宅と無惨な室内とに呆然としていた仲間達も、その声に本来の目的を思い出し、我に返った。 大子の視線の先にあるのは、これまた悲惨な状態の塗籠だ。よくよく見れば、薄く戸が開いていた。 「この中、ですか?」 そっと近づき、中の気配を探る。 確かに、気配のようなものがある。煉夜は仲間達を振り返った。 煉夜に頷き返すと、御門は大子に向き直る。 「子猫はこの中に。では、この子達の母猫はどこにいるのですか?」 屋敷に来る前に仲間達と話し合って出した夜鳴きの可能性は、子猫達の環境と母猫の不在だ。 「大子さんは母猫をご覧になった事はありますか? 特徴を教えて頂けたら有り難いのですが‥‥」 言いつつ、乃木亜が塗籠の戸に手をかけた。 子猫を怖がらせないように、静かに戸を開く。 その途端に。 「シャァァァァァッ!!」 般若面の如き形相の猫が乃木亜を睨みつけ、威嚇の声を放つ。 「す、すみません! ごめんなさいっ!」 慌てて謝ると、ぴしゃりと戸を閉める。 ばくばく音を立てる心臓を宥めつつ、真っ青な顔をしてずるずるとへたり込んでしまった乃木亜に、大地が首を傾げる。 「‥‥なんぞおりましたか?」 「ね‥‥猫が‥‥」 塗籠に猫がいるのは承知で戸を開いたはず。何故、こんなに驚いているのだろう。怪訝そうな開拓者達の様子に、ああ、と大子が手を叩く。 「でりが来てるだね」 「でり?」 それは何だと視線で促した朧に、大子は事もなげに答えた。 「もーりぃちゃんの嫁さんだ」 「という事は、子猫達の母親?」 目を丸くしたふしぎに返って来たのは肯定だ。 「は‥‥母猫がいるのなら、何故子猫達は夜鳴きをするのでしょう?」 いつもは泰然とした雰囲気を纏う空も、さすがに驚いたのか僅かに声が揺れている。だが、すぐに彼女は自分を取り戻した。 「それは夜になれば分かりますね」 「そうですね。もう1つ聞きたいんですけど、父猫のもーりぃはどこに?」 朧の問いかけに、大子は何も言わずに部屋の奥の蔀戸を押し上げた。 丁寧に手入れされていると思しき白砂が夕焼けに染まる中、毛を逆立てている灰虎猫が2匹。 「‥‥‥‥」 「白っぽいのがもーりぃちゃんだ」 あの、全身傷だらけで喧嘩をしている猫が、大貴族と呼んで差し支えない高遠家の姫の猫だというのだろうか。優菜は何とか愛想笑いを浮かべる事に成功した。 「ご近所の猫さんが間違って入り込んでしまったのですね。家と子供達を守る為に戦っているのでしょうか」 だが、気遣いから発せられた彼女の言葉はあっさりと否定された。 「んにゃ。黒っぽい方はひーすけ。もーりぃとおんなじ、ひーすけも姫様の兄上様のお名前を貰ったお猫様だ。毎日、ああやって決闘してるだよ」 ふらり、と眩暈を起こしたように揺れた優菜の体を支えて、御門は引き攣りながらも言葉を継ぐ。 「喧嘩ばかりするという事は、相性が悪いのでしょうか」 「いーや。2匹は仲良しさんだ。いっつも、一緒に丸くなってひなたぼっこしてるだ」 分からない‥‥。 何でもない事のように高遠家の猫事情を語る娘の言葉を聞きながら、開拓者達は知らず明後日の方へと視線を向けて、途方に暮れたのであった。 ●母の事情 「母猫もいる。環境も悪くない‥‥というより、私達より良い暮らしをして、至れり尽くせりの状態で、なにゆえ子猫は鳴くのでしょう?」 夕餉として出された豪勢な料理を有り難く頂きながら、大地が呟く。 その言葉に、空も箸を置いて考え込んだ。 子猫の夜鳴きについて「空腹」「寒さ」「トイレ」「寂しさ」という原因を考えていたのだが、部屋の様子を見る限り、幾つかの条件は除外されそうだ。 「僕は見てないんだけど、やっぱりふわもこだった?」 尋ねられて、乃木亜は項垂れた。 暗い塗籠の中に浮かんでいたのは般若面だけだ。子猫の様子を見るどころではなかった。 「そう。早く会いたいな‥‥」 ぽつりと呟いたふしぎに、皆の視線が集まる。 それに気付いて、ふしぎはぶんぶんと首を振った。 「べっ、別に僕、猫とか可愛いものが好きとかじゃないからなっ!」 「‥‥可愛いものが好きなのは、悪い事じゃないわ」 朧の慰め? に、他の者達も微笑みを向けた。それでも素直に認める事が出来ないのは、男の自尊心だ。けれど。 がたーん! 隣室から聞こえて来た音に、開拓者達は一斉に腰を浮かした。 だが、次の瞬間、聞こえて来た声に彼らの肩から力が抜ける。 んにゃぁぉ‥‥んにゃぁ‥‥ 成猫に比べて細く小さな声。だが、ひっきりなしに、声が嗄れてしまうのではないかと思うぐらいの鳴き声に、放っておけない気持ちになる。 「姫様が哀れに思われたお気持ちも分かりますね」 予め用意して貰っていた品を手に取り、優菜が席を立つ。 煉夜とふしぎの姿は既にない。 開け放たれた障子から生温かな風が吹き込んで来るのに苦笑して、大地もよっこいしょと立ち上がった。 燈籠の灯りが照らす廊下で、ふしぎは煉夜と頷き合う。 驚かせて、子猫が飛び出したら大変だ。万が一に備えて煉夜が一歩下がったのを確認すると、ふしぎは静かに障子を開けた。 「わぁ」 廊下からの灯りの中に、白いもこもこの姿が浮かび上がる。それは、突然の闖入者に驚いて一瞬、動きを止めた。 「ふわもこだっ‥‥!」 用意していた猫じゃらしを取り出そうとしたふしぎは、しかし、そのまま固まってしまった。 白くて愛らしいふわもこが「しゃー」と威嚇の声を発しながらふしぎを睨みつけている。 「こいつは生意気な。一人前に威嚇しておりますな」 「‥‥母猫の影響大とみました」 大地と朧の会話に、気の毒そうに空がふしぎの肩に手を置く。 「大丈夫です。見慣れぬ人間が突然やって来て、驚いているだけですわ」 ね? と笑って、優菜は手にしていた紐をふしぎに見せる。 先についた小さな鈴がちりんと音を立てると、子猫の威嚇が止んだ。 「‥‥目、釘付け」 手燭を掲げた煉夜の言葉の通り、部屋の中で侵入者を警戒して身構えていた子猫達が優菜の手もとで揺れる紐に合わせて小さな頭を動かしている。 警戒はしていても、そこは子猫。 興味をひくものと、本能には抗えないようだ。 くすくす笑いながら、優菜は紐を振った。逃げる素振りを見せたのも束の間、体勢を低くしながらも、揺れる紐から目を離さない子猫の様子に、ふしぎも気を取り直した。 「よーしっ!」 取り出しましたるは伝家の宝刀、猫じゃらし。 目を奪われるものが増えて、子猫達はじりじり後退りながらも、お尻を高く上げて尻尾を忙しなく振り出す。 こうなってしまえば、彼らが餌に掛かるのは時間の問題だ。 どったんばったんと調度が次々に倒れる音を聞かなかった事にして、朧はそっと障子を閉めた。 隣室へと戻ると、既に大地と煉夜、乃木亜が揃っていた。 そして、いつの間にか煉夜が呼んで来た大子も。 「隣には子猫達の姿しか見えませんでしたが、母猫はいずこへ?」 昼間、子供を守る為に威嚇していた母猫は、子猫達が優菜やふしぎが手にした遊具で遊び始めても姿を見せなかった。という事は、母猫はあの部屋にいないのだろう。朧の問いに、大子はあっけらかんと答える。 「でりは余所様の猫なんで」 「余所の‥‥ですか? どこぞのお宅で飼われているとか?」 さあ? 首を捻った大子に、大地は額を押さえた。どうやら母猫は、別に寝床を持っている余所猫で、環境の整ったこの屋敷で子供を産んだようだ。子猫が目も開かぬ頃は付きっきりだったらしいが、今はこの場所に置いておけば安心だと思ったのか、時折、乳をやりに来て一緒に過ごした後、自分の寝床に帰っていくらしい。 「‥‥逆通い婚ですね」 朧の呟きが、大地にトドメを刺す。ぐったりと床に手をついた大地を気の毒そうに見ていた煉夜は、更に賑やかになった隣の部屋へと視線を向けつつ、呟いた。 「かあ様がいつもいないの‥‥寂しいのでしょうか」 「かもしれませんね」 煉夜の言葉に混じる感情に気付いていない振りで、乃木亜が応える。 母猫を探して屋敷に連れて来るつもりだった。 けれど、猫を縛りつけ、閉じこめる事も出来ない。それが、別の家で飼われている可能性のある猫なら、尚更のことだ。 「難しいです」 ぽつり漏らされた乃木亜の言葉に、彼らは言葉もなく互いを見合ったのだった。 ●子猫の事情 その頃、隣の部屋では。 「あ‥‥」 子猫に新しい寝床を用意していた御門は、突然に髪の毛を引かれて、微笑みながら作業の手を止めた。ふしぎや優菜が息切れするまで、全力で相手をした甲斐あって、子猫達は彼らへの警戒をすっかり解いてしまっている。 作業をする度に揺れる御門の髪の毛も、玩具だと思ったのかもしれない。 「御門さん、見事な絡め取りです」 空の賞賛を冗談として笑って流すか、本心からのものとして礼を述べるか、御門はほんの少しだけ迷った。 その間に、空は御門の髪に絡まった子猫を抱き上げ、丁寧に髪を解いていく。 優しい手の温もりに、子猫も次第に気持ちよくなって来たのだろう。ごろごろと喉を鳴らし始めた。どうやら遊び疲れもあって、眠くなって来たようだ。 「寝床を用意しましたけれど‥‥」 空の手の中の子猫を覗き込んで、御門は笑みを深くした。 「しばらく、そのままで‥‥。構いませんか?」 頷いた空の側から静かに離れると、御門は優菜と視線を交わした。もう一匹は、まだまだ元気いっぱいだ。このままだと眠りかけた子猫が起きてしまう。 「ふしぎさん」 「分かってる‥‥あっ!」 一瞬の油断が、子猫に反撃の機会を与えてしまった。ふしぎが手にしていた猫じゃらしを奪うと、子猫は僅かに開いていた障子の隙間からするりと飛び出してしまった。 「待って、らんぜ!」 慌ててその後を追いかけていくふしぎの姿を見送ると、優菜はふふ、と笑う。 「まあ。いつの間に名前をつけていらしたのでしょうね」 「ですね」 微笑み合って、2人は眠ってしまった子猫を空に預け、逃げ出した子猫はふしぎに任せて隣室へと戻って行った。 ●姫 「僕から逃げられると思ってる? 僕には心の目があるんだからなっ」 床下へと潜り込んだふしぎは、そこかしこで頭をぶつけながらも、子猫の後を追った。小さな子猫は遊びの延長だと思ったらしく、たまたにからかうように立ち止まったり、急に走り出したりと忙しない。 「もう! あんまりそっちに行っちゃ駄目だってば!」 猫に宛がわれている建物から離れてしまっている。その先は、さすがにマズイ。 「らんぜってば!」 「何者じゃ?」 また床下に潜り込もうとする直前で、何とか子猫を掴んだふしぎは、頭上から降る声にぎょっとして顔を上げかけ、慌てて下を向く。 そこにいたのは、白い夜着を纏った女性。 夜着の女性をまじまじと見るのは失礼だ。それが、高貴な薫りを纏った女性ならば尚のこと。 「そなた‥‥開拓者かえ?」 「う‥‥、は、はい」 女性が膝を折る気配がした。薫りが強くなって、白く柔らかそうな手がふしぎが抱き締める子猫に伸びる。 「これがもーりぃの子‥‥。愛らしいものよのぅ」 「あ、あの。この子達、寂しくて鳴いてたんだ‥‥じゃなくて、鳴いてたんです。だから‥‥」 そうか、と女性はふしぎの手から子猫を受け取った。 「ならば、寂しくないよう、夜は妾の元で過ごさせるとしようかの?」 「出来れば‥‥」 あいわかった。 喉を鳴らす子猫を連れて、女性は静かに去って行った。 顔も上げられなかったふしぎには、その表情も姿も確かめる事は出来なかったけれど。 |