【北戦】平和への願い
マスター名:桜紫苑
シナリオ形態: ショート
EX :危険
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/01/27 01:09



■オープニング本文

●戦雲
 アヤカシは、東和平野での攻撃を開始した。
 その目的は住民の蹂躙。開拓者たちの反撃もあって最悪の事態こそ避けられたものの、各地の集落、特に朽木では多くの犠牲者を出し、北方では北ノ庄砦が陥落し開拓者が後退を強いられた。
 日は傾きつつあるが、アヤカシは夜でも構わずに活動する。
 前進で消耗した戦力も、魔の森で十分に力を蓄えた新手を加えることで回復していくだろう。
「本隊を佐和山まで前進させる。援軍を集合させつつ反撃に出る」
 備えの兵を残し、北面国数百の本隊が整然として清和の町を出陣する。城へと進むと時を同じくして、東和地域にははらはらと粉雪が舞い始めていた。

●願いと望み
 丁寧に頭を下げた。厳めしい顔をして門を守る僧達も、その時だけは表情を緩めて礼を返してくれる。
 冷えた指先に息を吹きかけながら、天祥は先ほど交わされた会話を思い出す。
 時雨慈千糸。
 天輪宗随一と言われる頭脳を持つ男。その知識の深さから天輪王の相談役の務めも果たし、また穏やかな人柄故に、多くの僧や東房の人々に慕われている。
 勿論、天祥も彼を尊敬している。
「千糸殿のおっしゃる事はごもっともですが‥‥何か方法はないものでしょうか‥‥」
 不意に口をついて出た言葉。鈍色の空を見上げて、天祥は息を吐いた。どうしようもない無力感が襲って来る。
 今、この時にも東和平野では必死の攻防を続けている北面の志士達、そして開拓者がいる。伝え聞く話では、アヤカシはいずこかの砦を落としたとのこと。守備についていた者達が無傷というわけにはいかないだろう。
「いかに因縁のある国とはいえ、命は命。このような時にこそ助けの手を伸ばす事こそが、精霊の心にも添うでしょうに‥‥」
 だが、説法派の代表であり、王の相談役でもある千糸でさえも良い顔はしなかった。武僧派の代表である円真も、天祥の話に耳を傾けてはくれたが、頑として自分の考えを変える事はなかった。
 東房の北面に対する気持ちは、それほどまでに拗れてしまっている。
 天祥のように考える者の方が少ないのだ。
「皆が望まぬ事を、王が決断されるとは思えませんし」
 今の空みたいに己の心にも厚い雲がかかってるような心地だ。晴れた空が見たい、せめて雲の合間から差し込む希望があれば。
 そんな天祥の心を読んだかの如き間で、空からふわりふわりと白い雪が舞い降りる。
 雪が景色を白く塗りつぶして行く様にしばし見入っていた天祥は、やがて踵を返した。
「あ‥‥」
 そこに佇む男の姿に息を呑む。
 いったい、いつからそこにいたのだろうか。全く気配を感じなかった事に驚きつつも、天祥は彼の元へと歩み寄った。
「こ、こんにちは‥‥。あの、いつぞやは」
「お前の望み、叶えてやろう」
 唐突に告げられた言葉に目を見開いた天祥を、男はにぃと唇を吊り上げる。魂をも虜にする、とはこのような笑みを言うのだろうか。ぼんやりと、そんな事を考えていた天祥の体が揺らぐ。
 そうして、彼の意識は闇の中に溶けて行った。

●不安
 東房の都たる不動寺で不審火が続いている。
 冬場の事で、最初は火の不始末として片付けられていた火災が3件、4件と続くうちに、人々の口に不安と共にある噂が上るようになった。
 武僧派と思しき者が深夜、何者かと戦闘を繰り広げているというものだ。戦いの最中、手にした松明が家々に燃え移ったのではないか。
 そんな憶測が飛ぶ中、不動寺を訪れていた安積寺の古刹、祥雲寺の僧天祥の助言を受けて、街の人々は開拓者ギルドに依頼を出した。
 彼らでは恐ろしくて確認が出来ない不審火の原因を突き止め、早急に対策を講じること。
 それは、ただでさえアヤカシの恐怖に怯えている不動寺の不安を、1つでも取り除いて欲しいという人々の切なる願いであった。

●夜ごとの
 ち、と舌打ちして、男はそれが消えた先を凝視した。
 逃げられたのは、これで何度目になるのだろうか。
「ふざけたことを!」
 己の技量には自信があった。
 なのに、夜ごと現れる「あれ」は、いとも容易く自分の拳を躱し、嘲るように何処かへと消えていく。
 背後では、朽ちかけた家をちろちろと炎の舌が舐めていた。
 またも手遅れだ。
 古い家屋は火が着いたらはやい。自分1人で何とか出来るものではないと言い聞かせ、男は身を翻した。
 火災はしかるべき者達に任せ、ここは誰かに姿を見咎められる前に立ち去るのが良策と言えよう。
「次こそは必ず、この拳で討ち取ってくれる」
 静かに激しく闘志を燃やして、男は未だ人気のない通りを走り去っていった。


■参加者一覧
柚乃(ia0638
17歳・女・巫
巴 渓(ia1334
25歳・女・泰
滋藤 柾鷹(ia9130
27歳・男・サ
ゼタル・マグスレード(ia9253
26歳・男・陰
紅 舞華(ia9612
24歳・女・シ
陽狐(ib0235
24歳・女・シ
叢雲 怜(ib5488
10歳・男・砲
熾弦(ib7860
17歳・女・巫


■リプレイ本文

●不穏
 天祥という名の年若い僧は、不動寺の寂れた寺に滞在していた。
「それで、助言を?」
 ちょんと首を傾げた柚乃(ia0638)に、老いた寺男は相好を崩すと彼女の頭を撫でる。先ほどから何度も繰り返されている事なので、柚乃も、共に寺を訪ねた紅舞華(ia9612)も、何も言わない。
 離れて暮らす孫娘が柚乃と同じくらいの年なのだそうだ。
 常にアヤカシの危険に曝されている不動寺は危ないからと、彼の家族は、長年雑用をこなして来た寺を見捨てられない彼1人を残して、ここよりも安全な地に移り住んだらしい。
「お優しい方です。この不動寺の人々が困っているのを見て見ぬ振りが出来なかったのでしょう」
 さ、こちらです。
 部屋の中へと一声かけて、男は静かに障子を引いた。寂れた寺の寺男にしては、立ち居振る舞いが上品だ。
 目を細めた舞華は、部屋に足を踏み入れて納得する。
 荒れているのは外観だけだったようだ。襖絵や欄間から室内の装飾品に至るまで、華美ではないが趣味の良い品々で纏められている。
「私に、何か御用と伺いましたが」
 穏やかな声に、周囲を観察していた舞華はゆっくりと視線を声の主に向けた。
「‥‥あ」
 と、同時に柚乃が顔を輝かせた。
「あなた‥‥は、ご神木の」
 驚いたのは舞華も同様だった。安積寺でご神木が枯れた一件を追っていた彼女達が出会った僧。天祥への面会を望んで、ここに通されたという事は、つまり‥‥。
「御坊、あなたが天祥殿、ですか」
「いかにも。私が天祥です」
 落ち着いた声。
 どこか哀しげな微笑み。
 あの日と同じはずなのに、胸がざわざわする。困惑して、柚乃はもう一度、天祥を見た。そういえば、襟巻きと称して首に巻きついている管狐、伊邪那が大人しいのも気にかかる。ご神木の傍らで仲良く語らった僧なのだから、また彼の肩に飛び乗って、ぺらぺらと話しかけていてもおかしくないのに。
「‥‥伊邪那? どうしたの?」
「‥‥」
 小声で問うても答えはない。
 ただの襟巻きのように管狐は沈黙を貫いた。
 まるで、何かに怯えるように体を強張らせたままで。

●不動寺
「ここも、か」
 板塀に刻まれた痕を指先でなぞると、巴渓(ia1334)は考え込むように眉を寄せた。
 これまでの不審火が起きた周辺を探って見つけた、新しい傷。
 武僧派の僧が戦って‥‥という話が真実か否かは定かではないが、確かに、ここで何らかの戦闘行為があった可能性が高い。が、しかし、残された傷は多くはない。大半が燃えているので、これも確証はないが、多人数での争いではなさそうだ。
「だが、それでボヤが出るものなのか?」
 むーん。
 腕を組み、頭を捻ってみてもしっくりと来る答えは浮かんで来ない。
「あああっ! やめだ、やめ!」
 答えを出すには不確かな要素が多すぎる。
 頭をガシガシと掻き回して、渓は傍らの焼け焦げた柱に拳を叩きつけた。
「今は状況を徹底的に洗い直す! 全てはそれからだ!」
「私も、そう思います」
 その声に振り返れば、倒れた柱が巻き上げた煤を吸い込まぬよう、口元を袖口で覆った陽狐(ib0235)と、木を切り出しただけの独楽を手にした叢雲怜(ib5488)が佇んでいた。
「そっちは何か見つかったのか?」
「私の方は、さして目新しい情報はありませんけれど、こんなものを作ってみました」
 差し出された紙を開いて、渓はひゅうっと口笛を吹く。
 簡素な地図に書き込まれた印は、不審火の起きた場所だ。その印のひとつひとつに、丁寧な書き込みが添えられている。
「これを見る限り、法則性はなさそうだな」
「はい。現場近辺で聞き込みをしてみたのですが、不審者などの目撃情報はありませんでした」
 どこでどのような話を聞いたのか、事細かく記入されてある地図を覗き込んでいた怜が「あ」と声をあげた。
「俺も、この場所で話を聞いたんだぜ」
 地図を指差しながら、怜は続ける。
「火事があった日、寝てたらママ上に起こされて、パパ上に担がれて、慌てて外に飛び出したって。その時、火の中に見た事ないものがいた‥‥らしいのだ」
「見た事ないもの‥‥ですか?」
 うん、と頷いて、怜は独楽に目を遣った。友達になったシルシだと言った少年の顔を思い出して、嬉しいような切ないような気持ちになる。焼け出された少年にとって、その独楽は父親が作ってくれた大切な宝物だったのだ。
「それはアヤカシか何かか?」
「って、俺も聞いたのだぜ。でも、違うって‥‥。凄く綺麗なもの‥‥何なのだろう?」
 少年の為にも、この街で安心して暮らせるようにしてやりたい。
 ぎゅっと独楽を握り締めた怜の肩にそっと手を置くと、陽狐は微笑んだ。
「必ず、解決しましょうね」
 怜の心を読んだかのような言葉。
 知らず強張っていた肩から緩やかに力が抜けていく。
「うん! 絶対なのだぜ! 絶対、火を付ける悪いヤツをやっつけるのだーっ!」
 拳を突き上げるように宣言した怜に、陽狐と渓は互いを見合い、笑みを交わした。
 同じ頃、「武僧派の僧が戦っていた」という噂を追っていた熾弦(ib7860)は、疲れたように息を吐き出していた。
 不動寺の街は寂れた感が強い。そのほとんどの機能が安積寺に移りつつあるとはいえ、東房の都である。昼間のうちは、それなりに店が開き、人々が行き交っている。
 そんな店の一つ、古ぼけた卓とぎしぎしと鳴る椅子しかない団子屋で一息をついていたのだが、体の疲れよりも精神的疲労の方が大きいらしく、火傷しそうに熱い白湯を啜っても、甘さ控えめ以前の団子を齧っても一向に気分が浮上しない。
 理由は分かっている。
「武僧派の僧」に関する噂を集めているうちに、この東房に根付く北面への反感‥‥複雑な感情も一緒に集める事になってしまったからだ。
「‥‥武僧派と説法派に諍いがないとは分かったけれど」
 天輪宗の派閥同士を争わせて、仲をこじらせようとしているという仮説の1つは消えた。
「武僧派の僧」の噂の出所も、辿って行けば何の事はない、夜廻りが何かと戦う武僧派と思しき僧を目撃したというものだった。その直後、近辺から出火した為、噂に尾ひれがついたらしい。
 また、火事の直前、周辺住民が戦闘と思しき激しい物音を聞いている事も、噂に拍車をかける事となった。
「その僧が何と戦っていたのか、気になるな」
 共に卓についていた滋藤柾鷹(ia9130)の呟きに、熾弦は「ええ」と同意を返す。
「不審火に関しては、夜、手分けして巡回するのが良さげですね。それまでの間は‥‥」
 それまで黙々と団子を片付けていたゼタル・マグスレード(ia9253)が、空になった皿を重ねて立ち上がる。
「根回し、しておきましょう」
 それでは、とにこやかに立ち去ったゼタルの後ろ姿を見ながら、熾弦は呟いた。
「‥‥爽やかですね」
「‥‥ああ」
 柾鷹も、恐らく同じ事を思っていた。目を逸らした様子を見ると。
 言葉はどこか生臭い響きを持っているのに、ゼタルが言うと「広場の掃除をしておきます」というぐらい健全で爽やかだ。
 自分達の耳がおかしいのか、それともゼタルの隠された能力なのか。
 2人はしばし本気で悩んだのだった。

●怪し
 もともと他の国の都と比べて寂しい不動寺だが、夜はもっと寂しくなる。
 人通りの絶えた大通りを歩きながら、柾鷹は注意深く辺りの気配を探った。これだけ静かならば、戦う音は周辺一帯に轟き渡るであろう。そう言った意味では、警戒しやすいと言える。しかし。
「出火場所に法則性は無いのだな?」
「なのだぜ」
 昼間、陽狐に見せて貰った地図を思い出しながら、怜が答える。
 法則性はない。
 見た事のないものがいた。
 異変に気付きやすい環境でも、天輪宗の僧達の協力があっても、犯人が現れるアテのない夜廻りを続けるのはきつい。この依頼にかけられる時間は有限なのだから。
「全ては今夜の結果次第、か」
「明日は、別の展開も期待出来るはず」
 2人の後ろを歩いていた舞華が言葉を挟む。隣を歩く柚乃もこくんと首肯した。
 昼間、天祥を訪ねた2人は、彼の協力を得て武僧派の代表、雲輪円真との面会を申し出たのだ。床についている円真に会えるか否かは、明日にならねば分からぬ事だが。
「円真さん、ご病気で、北面への援助のお話もあって大変そうだって言っていたの。でも」
 その話を聞かされた後で不動寺の街を歩いて、それまで知らなかった東房の人々の北面に対する複雑な感情を感じる事となった。悲しい、と柚乃は思う。
「皆、同じ天儀の民なのに」
「‥‥そうだな。明日、円真殿に柚乃の気持ちをお伝えして、考えて頂こう」
 柚乃の頭を撫でた舞華は、次の瞬間、身を強張らせた。
 柾鷹も怜も緊張した様子で周囲を見回している。
「今の音」
「確かに聞こえたのだぜ」
 小さな声で囁きを交わすと、2人は音のした方へと走り出した。
「不審火に法則性はないと言っていた。今夜、騒動が起きてもおかしくはない。だが、我々が来てすぐに‥‥という事が気になる」
 険しい顔をして呟く舞華を、柚乃は不安そうに見上げるのだった。
 柾鷹が振り下ろした刀に、男は一瞬、驚いた素振りを見せた。間髪をいれず、素早く短筒「一機当千」を抜いた怜が男を撃つ。弾丸は後退った男の足を掠めた。
「おのれ、何者!」
「それは俺達のセリフなのだぜ!」
 ぶんと空気を巻き込んだ一撃を柾鷹が躱せば、その動きを予測していたらしい怜の弾丸が軌道を変える。
「貴様ら、アヤカシの手先か!」
「どうしてそうなるのか分からないッ」
 よりにもよって、アヤカシの手先と言われ、怜の言葉に憤りが滲んだ。
 男の退路を塞ぎ、少し離れた場所から状況を確認していた舞華がソレに気付いたのは、その直後だった。
 粗末な壁沿いに何か蠢くモノがいる。
 紛うことなき異形、アヤカシだ。
 仲間と男の攻防に乗じて、ソレはじわりじわりと闇の中に溶けるように消えて行く。
「待てッ!」
 舞華の忍刀が閃いた。
 ぴょんと飛んで攻撃を避けたアヤカシが、舞華に向けて火を吐き出す。散った火花が木塀や枯れ草の上に降り注いでいく。
「っ、逃がさん!」
 追った舞華の視界の隅、白い影が駆け抜けた。
 軽く壁を蹴って逃げようとしたアヤカシの前に躍り出る。
 別班として動いていた陽狐だ。
「逃すかッ!」
 アヤカシを吹き飛ばし、更に攻撃を加えようとした渓の拳を止めたのは、柾鷹と怜が対していた男だった。
「こやつを倒すのは私だッ!」
「馬鹿かッ!」
「そう言う事を言っている場ではないでしょう!?」
 渓の荒げた声に、熾弦の叫びが重なる。
 枯れ草に燃え移った火を氷柱で消していたゼタルと、その手伝いをしていた柚乃を示し、熾弦は続けた。
「あなたがそんな事を言っている間に、焼け出されて不自由な生活を強いられている人がどれほどいると思っているのですか!」
 言葉に詰まった男を尻目に、柾鷹は動きが鈍ったアヤカシに刀を突きつける。再び吐かれ火は、柾鷹ではなく壁の貼り紙を燃やした。小さく舌打ちすると、柾鷹は素手で燃える紙を引っ剥がす。
「いい度胸だな、お前‥‥」
 ぽきりと指を鳴らした渓と、短筒を向けた怜、そして柾鷹に囲まれて、アヤカシは動きを止めるしかなかった。

●嘆願
 通された寺の一室で、彼らは息を詰めるようにして事の成り行きを見守っていた。
 天祥に伴われ、武僧派の代表、円真の元を訪れたのはいいが、取り次ぎの僧は、先ほどから渋い顔で首を振るばかりだ。
「どうやら、円真様はお体の調子が優れないご様子で」
 申し訳なさそうに振り向いた天祥に、ゼタルは落胆の表情を隠す事が出来なかった。
「先の騒動の原因となりました僧につきましては、間違いなく何らかの‥‥」
「それも‥‥ですが、もう一つ、お願いしたき儀がございます」
 ひと膝にじり出て、ゼタルは天祥の言葉を遮った。怪訝な顔をした天祥と、後ろで顔を見合わせる僧達をまっすぐに見ながら、思いの丈をぶつける。
「此度、我々は東房の人達から色々と話を聞きました。その中で気になった事がございます」
「と、申されますと?」
 おずおずと口を開いたのは柚乃だ。
「東房の人達の、北面への敵意‥‥に近い感情です」
「北面の騒動を冷ややかに見ながら、自分達の近くで起きた事件を早急に解決し、安全に暮らせるようにして欲しい、と。対岸の火と認識しているのかとも思いましたが、どうやら違うようですね」
 僧達がざわめくのを手で制して、天祥は先を促すかのように彼らを見返した。
「‥‥皆さんが東房を故郷として大切に思うように、北面の人達も故郷が大切なのです。国という垣根を作っているのは人の心で、それを取り払う事が出来るのも、また人の‥‥」
「あなた方に何が分かる!」
 突如あがった非難の声に、柚乃はびくりと肩を震わせた。
「北面との間に起きた諍いは、心1つで流していまえるような事ではないのだぞ!」
「過去からの因縁とは、錆びついた楔のように人々の心に根を張るもの」
 沸き起こる怒号の中、ゼタルの静かな声が響く。
「それは、果たして人々の幸いをもたらすものでしょうか。‥‥東房が、魔の森と跋扈するアヤカシに手を割かれている事は、他の国も承知のこと。今、危急の時を迎えている北面、かの国に過去の因縁を越え、援護の手を差し伸べられたならば、東房の心意気は天儀中に知れ渡りましょう」
 黙って自分を見つめる天祥の瞳に底知れぬ何かを感じながらも、ゼタルは頭を下げた。
 柚乃も舞華もそれに倣う。
「今が、長年に渡る因縁を払う好機かと存じます。どうか、雲輪様にご一考頂けますよう、お伝え願えませんでしょうか」
 表情を消して考え込んでいた天祥は、やがて穏やかに笑んだ。
 背後でいきり立つ僧達の中、取り次ぎ役を呼び寄せるとその耳元に何事か囁く。心得たように一礼し、取り次ぎの僧が姿を消すと、天祥は改めて開拓者達に向き直った。
「円真様も、千糸様も、もちろん天輪王も、苦しむ人々をお見捨てになる方ではございません。ただ、そう簡単に国の大事に関わる事を決められるものでもありません。国を、民の命を‥‥そして、心を預かっているのです。それはご理解下さい」
「無論です」
 冷めてしまった茶に手を伸ばせば、室内の空気も次第に和らいでいく。
 他愛のない会話を交わしながら待つことしばし。
 円真の「善処する」との言葉を携えて来た取り次ぎの僧に、他の僧達がどよめいた。了承を示す答えではなかったが、東房の人々には驚きの言葉だったようだ。
 今は、これで良しとしよう。
 開拓者達も互いに笑みを交わしたのだった。


「楔、か」
 浮かぶ冷たい月を見上げて、彼は呟いた。
「錆びついた楔など、役には立たぬ。‥‥ふふ」
 酷薄な微笑みと呟きの意味を知る者は、誰もいない。