【嫁】家出娘
マスター名:桜紫苑
シナリオ形態: ショート
危険
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/03/30 00:10



■オープニング本文

●導火線
「おや、重衡殿」
 渡り廊下で馴れ馴れしく声をかけて来た男に、高遠重衡は眉間の皺を深くした。
 薄い金色の髪を緩く背で纏め、ジルベリアの服に身を包んだ男は、つい先日から重衡の隊で預かる事になったトリス・レインウォーター。ジルベリアの騎士という触れ込みだが、どのような経緯で仁生を訪れ、天護隊の客人になったのか定かではない。
「つれないなぁ、重衡殿。僕は一応、あなたの隊の一員なんですけどね」
「隊に属していると思うなら、まず、その言動を改めろ」
 軽佻浮薄な男は、暇さえあれば街に出て、女達と浮かれ騒いでいるらしい。それでも、誰からも咎められないのは、この男を隊に入れた誰かの力が大きいのだろう。
「えー、いやですよ。だって面倒臭いじゃないですか、そんなの」
 怒鳴りつけたくなる衝動を拳を握り締める事で抑えると、重衡はくだらない事ばかり喋り続けている男を無視して再び歩き出した。この男に関わるとイライラが増すばかりだ。相手にしないに限る。
 しかし。
「そう言えば! 重衡殿の妹さん、何て言ったっけ‥‥あ、千歳ちゃん? もうすぐお嫁に行くんですよね。おめでとうございます」
 他の隊士が居合わせたならば、身をもって彼を止めたであろう。
 それは、触れてはならない禁忌の箱。その鍵を開いた者には、どのような災いが降りかかるか分かったものではないからだ。
「‥‥係ない」
「え? あー、それでですね、僕、聞いちゃったんですよねぇ。どこかのお姫様が、芹内王にラブラブしちゃっててー、親が娘の想いを叶える為に千歳ちゃんのお嫁入りを妨害するって息巻いてるらしいですよ」
 次の瞬間、彼の踵が浮き上がっていた。
 彼の襟首を掴んでいるのは、勿論、重衡だ。
「どこのどいつだ?」
「や、やだなー。そんなに怒らないで下さいよー」
「言えっ!」
 ぎりぎりと絞め上げられて、降参、降参と手を上げる。それでも緩まない手に観念したのか、彼は苦しげな声でその名を告げた。
 途端に、放り出すように手が離れた。
 げほげほと咳込む彼に見向きもしないで、重衡は足音を荒げながら去っていく。
「‥‥ふふ、単純。この分だと予定より早く片付くかもしれないな」
 残された男の呟きに気付く事もなく。

●娘の事情
 やれやれと広げた扇の向こうで千歳は息を吐いた。
 目の前でしくしくと泣き崩れているのは、高千穂家の姫、花梨。先日、裳着の儀を終えたばかりの幼い姫だ。
「ほれ、そのように泣くでない」
「千歳姉様、わたくし、わたくし‥‥」
 何度めか分からない溜息をついて、千歳は女房が差し出した漆の器を花梨の前に押し遣る。
 中に入っているのは、花梨が好きな菓子だ。
「千歳姉様‥‥」
 花梨も、何が入っているのか分かったのだろう。器の蓋を取ろうと手を伸ばしたまま、再びしくしくと泣き出してしまう。
「花梨殿、不思議に思うのじゃが」
「はい?」
 鼻を啜りながら答えた花梨に、千歳は額に手を当てた。
「それだけの涙、いったいどこに溜めておったのじゃ?」
「ふぇぇぇぇ‥‥」
 またも激しくぽろぽろと涙を零し始めた花梨に、側に控えていた女房が慌てて首を振る。余計な事を言って泣かせては話が進まない、とでも言いたいのだろう。
「ああ、妾が悪かった。それ、甘いものを食べて、心を鎮めよ」
 親も兄達も手玉に取ってころころと転がす千歳が折れた。前代未聞、明日は嵐かもしれないと女房は驚いた。決して顔には出さないが。 
「はいぃぃ」
 可愛らしい色をした菓子は、名のある職人の手によるものだ。美味しそうに菓子を頬張る花梨を眺めつつ、千歳はここまでの経緯を思い返していた。
 高千穂家は高遠家の遠縁にあたる。
 けれど、先代当主の道楽が過ぎて家は傾き、現当主の努力も虚しく、内情は火の車だという。
 華やかだった頃を知る現当主は自尊心が高く、高遠からの援助を「侮辱」と撥ねつける気概を持った人だったが、やはり娘は可愛いらしく、時折、花梨を千歳の元に遣って、姫らしい遊びに興じる事を許していた。
 その現当主が、花梨に告げた。
「お前はもう一人前の姫なのだから、嫁ぎなさい」と。
 続けられた名は、千歳も良く知る寡黙で実直な王で、いきなり親子ほど年の離れた男に嫁げと言われた花梨は混乱を来し、家族にばれぬよう、夜のうちに屋敷を抜け出して高遠家を訪ねて来たのだ。
「家族に内緒で」「夜のうちに」というだけで、花梨にしては大冒険である。
 千歳の顔を見た途端、子供のように泣き出してしまい、今に至る。
「真継殿も、何をお考えやら」
「ふぇ? お父様が何か?」
 なんでもないと手を振った千歳の耳に、些か乱暴な音が飛び込んで来た。心得たように、女房が部屋から滑り出て行く。
−噂をすれば影がさす、か? 花梨殿の事じゃ、どうせ痕跡を消す事すら思い付かぬであろうし。
 家族に黙って抜けだしたとはいえ、どうせ今頃、どのような経路を通ってどこへ行ったのかまで、しっかりばれているだろう。
−さて、どうしたものか。
 千歳には千歳の動けぬ事情があるのだ。
 思案を巡らせる千歳に、音も立てずに戻って来ていた女房がそっと耳打ちをする。
「‥‥そちらは、しばらく妾の話し相手になって頂こう。なに、柱にでも縛りつければ、そのうち大人しゅうなる」
「は‥‥い」
 主の無茶振りに、女房は口元を引き攣らせた。
「そして、花梨殿じゃが‥‥」
「はい?」
 改めて花梨に向き直ると、千歳は真剣な表情で切り出した。
「家を出るくらい、嫁ぎとうないと言うのは、何故じゃ? 好いた男でもおるのかえ?」
 しばらく首を傾げていた花梨の顔にみるみるうちに血の色が上がって来る。
「いいいいいませんっ! そんなっ、好いた方などっ!」
「‥‥じゃろうな」
 落ちぶれたとはいえ、貴族の姫。娘を溺愛する現当主、真継が若い男など寄せ付けるはずもなく。
「わたくしは、まだ何も知りません。お家には帰れません‥‥」
 ぽつりと寂しげに呟いた花梨に、千歳は扇を閉じた。
「分かった。では、妾に任せておくがよい」

●預かって下さい
 あんぐりと、口を開いたまま依頼状を見上げる開拓者に、受付嬢はおやつとして持って来ていた豆を放り込んでみた。
 ただ噎せ返っただけでつまらない。
「おやつ、一個損しちゃった」
「何を期待してたんだ、何を‥‥」
 突っ込む者も、どこをどう突っ込めばいいのか分からないと頭を振る。
 彼らが見ていた依頼には、こう書かれてあった。
『親が定めた結婚が嫌で逃げ出した姫(匿名希望)をしばらく預かってくれる者を絶賛募集中。悲しみの底の姫を慰めて浮上させること。親を説得してくれるなら、なお良し。詳しくは高遠家まで』


■参加者一覧
野乃宮・涼霞(ia0176
23歳・女・巫
香椎 梓(ia0253
19歳・男・志
橘 天花(ia1196
15歳・女・巫
弖志峰 直羽(ia1884
23歳・男・巫
楊・夏蝶(ia5341
18歳・女・シ
煌夜(ia9065
24歳・女・志
ケロリーナ(ib2037
15歳・女・巫
破軍(ib8103
19歳・男・サ


■リプレイ本文

●花梨
 通された部屋の中、幾重にも立てられた几帳の奥に、その少女、花梨が身を縮込ませるようにして座っている。
 ‥‥気配がある。
「え、えーと、わたくしは橘朝臣梅宮天花と申します。お気軽に天花とお呼び下さいね」
「‥‥‥‥」
 めげずに明るく声を掛けた橘天花(ia1196)に返って来た言葉はぽそぽそとか細く、何を言っているのかさえ分からない。
「千歳姫の親戚の姫と伺いましたが」
 香椎梓(ia0253)が苦笑混じりに呟く。
「‥‥とは違って、随分内向的な方のようですね」
 梓が明言を避けた比較対象は推して然るべし。
 肩を竦めた楊夏蝶(ia5341)も同意見のようだった。
「本当に。あのくらい強くなった方がいいのかも‥‥多分、きっと」
 いや、あれは強いというか腹黒いというか図太いというか。比較対象への形容を幾つも頭に浮かべた夏蝶の言葉尻が小さくなっていく。かたや、天花は几帳の向こうに隠れた花梨の不安を取り除こうと一生懸命である。
 けれど、花梨は姿はおろか、声さえも聞かせてはくれない。
「困りました‥‥」
「そうね。姫様がこの屋敷にいる事は、とっくに知られているでしょうしね」
 出来れば、早急に場所を移って貰いたいのだが、と夏蝶は溜息を吐く。困り顔の天花と夏蝶が互いの顔を見合わせたその時、それまで黙って成り行きを見守っていた破軍(ib8103)がおもむろに立ち上がった。
「破軍さん? どうかなさ‥‥」
 怪訝そうに問う天花の目の前で、破軍は立てられていた几帳をばさりと払い除け始めた。薄絹を掻き分け、土居をずらし、彼は呆気に取られている花梨の前に立つ。
「で」
 低く漏れた破軍の声に、花梨はびくりと身を震わせた。
「姫様!」
「破軍さん、いきなりこれは‥‥」
 次第に驚きは恐怖へと変わったようで、歯の根も合わぬ程に震え出した花梨を庇うように抱き締めた天花と抗議の声を上げる夏蝶をちらりと見て、破軍は言葉を投げた。
「お前さんはどうしたいんだ? 手前の境遇でも憐れんで欲しいのか?」
「‥‥っ」
 血の気が失せた花梨を見下ろしていた破軍が膝をついた。体を震わせる花梨の顎に手を当て、顔を上げさせて続ける。
「自分の不幸を言い訳にしているようじゃ、いつまで経ってもそこから抜け出せねぇよ。特に、ピーピー喚く事しか出来ない奴はな」
 真っ直ぐに目を合わせれば、潤んだ花梨の瞳が揺れる。
 目を眇めると、破軍は興味を失ったかのように花梨から離れた。

●女子の夢
「千歳おねえさま〜♪」
 開け放したままの向かいの部屋から、遣り取りの様子が微かに漏れ伝わって来る。
 ただ、見守っているだけはつまらないと、ケロリーナ(ib2037)は千歳の隣にてててと席を移した。
「花梨ちゃんに〜、これをお渡ししようと思っておりますの〜」
 千歳の前に並べたのは、2枚の錦絵。歌舞伎役者の「澤村龍之介」と「澤村揚羽」の絵姿だ。
「けろりーなも、天儀に来る前は花梨ちゃんと同じで、お外にはあまりお出かけしなかったですの。でも、天儀でいっぱい、いっぱい、キラキラを見つけたですの! だから、花梨ちゃんにもキラキラを見つけて欲しいですの〜!」
 錦絵は、ケロリーナから花梨への「キラキラ」への招待状といったところか。
 興味深そうに覗き込むと、千歳は笑みを浮かべた。
「ケロリーナは良い子じゃな」
 両側で可愛らしく結わえられたケロリーナの頭にふいと手を伸ばし、その柔らかな手触りを楽しみつつ撫でる。
「おねえさま?」
「さすがは妾の妹じゃ」
 くすくすと笑い合う2人を眺めつつ、弖志峰直羽(ia1884)は柱に括りつけられた人物を振り返った。
「妹さん、増えてるみたい?」
 睨み付けられても怖くない。相手は柱に縛りつけられているのだ。
「いやあ、微笑ましいねぇ。千歳姫に料理も教えたってホント? 優しいお兄様な重衡様も素敵ッ! いつでもお嫁に行けるよねッ!」
 きっと、こんな機会、もう二度とない。
 重衡の頬を指先で突っつくと、直羽はぷにぷにと思う存分弄んだ。
「‥‥俺が千歳に教えたのは武術だが?」
「へ? ‥‥という事は、あの包丁ぶん投げは‥‥あれ?」
 何かが音を立てて落ちる。
 その正体を確認しようとした直羽の目に、床の上、とぐろを巻く縄の残骸が。
「あら」
 柱の後ろ、縄を解いた野乃宮涼霞(ia0176)が口元に手を当てて佇む。縄と直羽を見比べた彼女は、瞬時に、この後の惨劇を予測したに違いない。
「ごめんなさい、私‥‥」
「ぅわぁぁぁぁん〜っ!」
 涼霞の言葉よりも先に、月歩を使ったらしい直羽の姿が遠ざかっていく。猛然と追いかける重衡に、いつの間にか、その走りは全速力のものに変わっていた。
「まるで鬱憤を晴らすかのようね。‥‥無事に逃げられるといいんだけど」
 溜息をついて、煌夜(ia9065)はケロリーナと談笑する千歳に向き直った。
「ところで、千歳様?」
「なんじゃ?」
「まだ決着していなかったのですね、嫁騒動」
 煌夜の一言で、その場が凍り着いた。誰もが思いつつも、口に出さなかった一言だ。
 しかし、対する千歳は冷静そのもの。表情には些かの変化も見られなかった。
「当然であろ。知り合って数ヶ月やそこらの男には嫁げぬ」
 さらり返された言葉に、煌夜も黙り込む。
 花梨の話がいい例で、多くの貴族の姫は家の都合や親の判断で嫁がされる。それも早いうちに。十を幾つか出たばかりで顔も知らぬ相手に嫁ぐのは珍しい事ではない。
「やはり、女子としては望み、望まれた相手に嫁ぎたいものじゃの」
「既に嫁き遅れという感が無きにしもあらずだけど‥‥」
 繰り返すが、多くの貴族の姫は十を幾つか出たばかりで嫁がされる。姫の気持ちなど関係なく。
「‥‥まあ、そういう意味では、やはり血なのかしら?」
 苦笑しながら、煌夜は向かいの部屋へと視線を向けたのであった。

●野遊び
 足元に咲く小さく青い草花を見つけて、天花は嬉しそうな声をあげた。
「わぁ! 見て下さい、姫様! こんなにいっぱい花が! 春が来たって感じるのはこのような時ですね!」
 ケロリーナに手を引かれた花梨は怖々と周囲を見回していて、花を楽しむどころではなさそうだ。
 つん、とケロリーナが手を引っ張る。
「大丈夫ですの、花梨ちゃん。けろりーな達が花梨ちゃんを守りますから、花梨ちゃんはいっぱいキラキラを見つけて欲しいですの〜」
「き、きらきら‥‥ですか?」
 はい、と大きく頷いて、ケロリーナは繋いでない方の手を広げた。
「いっぱい、いっぱいあるんですの〜!」
 柔らかな緑が満ちた森、陽差しを反射しながら流れる小川。
 高遠の屋敷から程近い丘は、生命が溢れる季節になって、光を増し、輝いている。
 花梨は何度か瞬きして、辺りの景色を眺めた。す、と肩から力が抜けた事に気付いて、ケロリーナと天花は顔を見合わせ、笑い合う。
「姫様、今日は晴れて風もないと精霊様もおっしゃっていますから、楽しみましょう!」
「楽‥‥しむ?」
「はい! 野原で走ったり、お花や若菜摘みをしたり、あっ、直羽さんと一緒にお菓子も作りましたので、後で頂きましょう!」
 走り出した少女2人に恐る恐るながらもついていく花梨の姿に、大人組は頬を緩めた(一部を除く)。
「ふふ、楽しそうじゃのう」
「本当に」
 目立たぬよう、侍女の姿をした夏蝶が相槌を打つ。
 姫2人の外出を知られぬよう、そして、恐らく訪れるであろう高千穂の家人への応対の為、屋敷に残ると言った煌夜達にも見せてやりたかったと思う。
「几帳の後ろに隠れていた姫が、こんなに‥‥」
 思わず目頭を押さえてしまう。
 彼女が几帳の後ろから出て来るきっかけを作った破軍は、少し離れた所で幼い少女達が戯れるのを見守っている。きっかけは作ったものの、花梨にひどく怯えられてしまい、支障が出ない程度に離れている事にしたのだ。
「おい」
 離れているはずの破軍の、緊張を孕んだ声が間近で響く。
 それが意味している事は1つ。夏蝶は素早く反応した。隠し持っていた忍者刀「風魔」を抜き放ち、少女達を守るように立つ。
「っ!」
 ざわりと空気が揺れたような気がした。
 次の瞬間、目の前に現われた黒づくめの男に、ケロリーナは千歳の手を思いっきり引っ張った。
 彼女達と場を入れ替わるように滑り込んだ夏蝶が風魔で男の刀を受け止める。
「手加減はなしにさせて貰うわよ!」
「姫様、立って下さい!」
 腰が抜けて動けなくなった花梨の腕を掴んで、揺さぶる。背負って逃げようにも、この状態では無理だ。だが、花梨は呆けたように震えるだけだ。
 花梨を守らねば。その一心で天花は花梨の体を押した。
 だが、その程度で男達の目は誤魔化せない。
 冷たい刃が翻る。
「姫様っ!」
 硬質な音が響いた。
 花梨を抱えた破軍の太刀が男の刀を跳ね返したのだ。
「アムルリープ!」
 ほっと息をついた天花の耳にケロリーナの声が飛び込んで来る。夏蝶が男の刀払ったと同時に、ケロリーナが呪を唱えたようだ。
 倒れた男を、別の男達が素早く回収していく。傷ついた仲間はすぐに撤退させるのは、捕えられるのを防ぐ為か。見れば、男達の数は減っていた。
 だが、花梨を襲った男はまだ破軍と刃を交えている。
 花梨を抱えたままの破軍は、どうしたって不利だ。夏蝶が援護に回ろうとしたその時に。
「しまった!」
 破軍の太刀を躱した男が、その反動を利用して別方向へと跳んだ。ケロリーナと、そして千歳目掛けて。
 布を断つ音と悲鳴、そして‥‥。

●対決
「まだ、納得なさってなかったのですか」
 掛けられた言葉に、彼は振り返る事もしない。
 けれど、そんな彼の態度は今更で、涼霞は気にする様子もなく香りの良い湯気をたてる茶を差し出した。
 無言で受け取る重衡に笑みを深めると、涼霞は話を続ける。
「千歳様の件、何か掴んでおいでなら、そちらの対応をすべきかと。私もお手伝い致しますよ」
「‥‥千歳が何を考えているかなど、そうそう悟らせるわけがなかろう」
 返った答えは何拍か後、不機嫌そうに。
 しかし、答えなど返るとは思ってもなかった涼霞は驚いたように目を丸め、絶句して彼を見つめる。
「? なんだ? 貴様が聞いてきたのだろうが」
「あ、いえ。ですが、それでも妹を護るは兄上のお役目でございましょう?」
 言われるまでもない。
 ふんと鼻を鳴らした重衡は、しばしの沈黙の後、ぼそりと呟きを漏らした。
「‥‥が、俺に出来る事は限られている。‥‥まぁ、もっとも、俺の力が必要となれば、千歳が勝手に組み込んでいるだろうがな」
「それは」
 否定出来ない。
 涼霞は引き攣りそうになる頬を必死で抑えた。
「‥‥真継殿に入れ知恵した奴がいるはずだ」
「入れ知恵、ですか」
 唐突に告げられた言葉に、涼霞の表情も改まる。詳しい話を聞くべく、口を開きかけたその時、しずしずと歩いて来た女房が真継の来訪を告げた。予想通りとは言え、時の悪さに眉を寄せる。
「俺がいると知れては、騒ぎになる」
「‥‥分かりました」
 行けと目で示した重衡に頷くと、涼霞は静かに立ち上がった。
「強引に連れ戻して嫁がせて、それで姫様は幸せになれるのですか」
 真継が通された部屋では、既に仲間達が彼との話し合いに臨んでいた。
 いつになく真剣な口調の直羽の言葉を聞きながら、煌夜の隣に座る。怒りに打ち震え、ただ座っているだけの真継の気迫に肌がちりちりと灼けるようだ。その真継を相手に、直羽は一歩も引く様子もなく対していた。
 数刻前、重衡を相手に全力で鬼ごっこをしていた者と同一人物とは思えない程に毅然としている。
「貴方に大切に大切に育てられた姫様は、傷一つない、無垢な心をお持ちです。その心に、ご自身が傷を刻まれるおつもりですか?」
「知った事をぬかすな。あれの幸せは、誰よりも私が一番に考えておる」
「何が一番かは‥‥」
 直羽と視線を交わした梓が口を開く。
「姫ご自身が決められる事です。姫は、縁談話についても父君の愛ゆえと理解されましたよ。聡い方ですね」
 梓の口元に笑みが浮かぶ。
 野遊びに出る直前に言葉を交わした花梨を思い出したのだ。
 おどおどとした少女だったが、親の心情というもの、心配をしているだろうと告げた時には、家に帰るとまで言い出した。縁談に動揺し、飛び出しては来たものの、彼女は父が嫌いではないのだ。
 そして、無理を強いようとしたが、父親も娘を愛している。
 ならば、和解出来ないはずがない。
「聡い方だからこそ、もっと色んな事を経験し、知識を吸収すれば素晴らしい姫となられるでしょう」
「うん。花梨姫はまだ蕾の姫。いつか、華が綻ぶ時が来れば‥‥いいね」
 その願いを込めて持たせた、春を思わせる、梅餡の饅頭とうぐいす餡の練り切り。直羽から渡されたそれを、花梨は小さな声で礼を返した。顔を真っ赤にして。あの千歳ですら、世話を焼かずにはいられないという気持ちが分かるような気がした‥‥というのは、今は置いておくとして。
「姫は、必ずや自分で答えを見つけられるでしょう。父君のご心配は分かりますが、今しばし、時間を頂けますか?」

●いつか
 ぎりぎりの所で間に合った夏蝶と破軍の働きで、襲って来た黒づくめの男達は撃退された。
 千歳が腕にかすり傷を負ったが、襲われた本人はけろりとしたものだ。無傷であった花梨の方が青ざめ、さながら病人のようである。
「それで、出掛ける時はあんなに怯えていたのに、あの状態になるわけね」
 軽く肩を竦めて笑う煌夜の視線の先には、破軍の服を掴んで離さない花梨の姿がある。親から離れない雛のようで、見ている分には微笑ましいのだが。
「お父上がご覧になられたら、大変な騒ぎになりますね」
 苦笑する涼霞の脳裏に、自由恋愛派の梓と激論を戦わせていた真継が過る。この光景を見られでもしたら、本気で破軍抹殺指令を出しかねない。ある意味において、高遠家の血筋は本当によく似ている。
 その自由恋愛派の梓が花梨に歩み寄り、手を取った。
「姫、父君と、もう一度、よくお話をなさって下さいね。‥‥それから、恋愛は嫁いだ後でも、いくらでも出来るのですよ」
 そっと彼が囁いた言葉に動揺したのは、その意味を知る大人達だ。
 慌てる彼らをちらりと見ると、梓はにっこりと笑って続けた。
「ですから、ご安心くださいね」
 待て。
 ちょっと待て。
 ぶんぶんと首を振りながら、直羽と夏蝶が梓を姫から引き離す。このまま、いけない大人の恋愛講座が始まっては、幼い少女達に悪影響を及ぼす。
 そう判断しての事だ。
 呆れながら息を吐いた破軍の服がついと引かれる。
 不安そうに見上げて来る花梨の頭に手を置くと、破軍はその目を細めた。
「‥‥己を見失わず、女として、人として己を磨け」
 認めた書は懐の中にある。だが、彼女にこの言葉が必要なのは、今だ。
 こくんと頷いた花梨に、破軍は微かに口元を引き上げたのだった。