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■オープニング本文 ●届かぬ石 また、景色が変わった。 あの日、思い上がった愚かな自分は、この拡がり行く不気味な森の中で友を失った。 最後に見たのは、自分を蹴り飛ばし、代わりに冷たい刃で貫かれた友の姿と翻った白銀、漆黒を纏う異形。 それ以来、友の消息は知れない。 「‥‥あのバカ、思いっきり蹴りやがって。肋骨が折れるっつーの。性格はひん曲がってやがるし、腹ン中は真っ黒だし、バカだし、救いようがねーな。良いのは顔だけか?」 悪態を吐きつつ、拾った小石を投げる。 森に届くことなく崖の下に消えて行った石は、まるで自分のようだ。知らず、握った拳に力が籠もる。 「‥‥ぜってー、ヤツに一矢報いてやらァ!」 友の為にも。 必ず。 ●ご主人様を探して 「僕のご主人様を探して下さい」 入ってくるなり、そう言って頭を下げた男に辺りは静まり返った。 しかし、それも一瞬のことだ。 いつもの喧噪を取り戻した開拓者ギルドの中、男は困ったように眉を寄せた。憂いを帯びた表情が、ちょっとヲトメ心を擽る。 「あの、依頼ですか?」 声を掛けた受付嬢に、周囲がざわめく。 どうした事か。 常ならば、海千山千の開拓者を相手に情け容赦なくツッコミを入れまくる受付嬢が、まるで乙女のようだ。頬を染め、上目遣いに見上げる仕草を目の当たりにした開拓者達が、ずざりと一歩後退る。 「開拓者に依頼されるのでしたら、私が承ります」 心なしか、声までも甘さを含んでいる。 気の弱い者には見せられない光景だったと、一部始終を見ていた開拓者は後に語った。 「ありがとうございます。どうすれば良いのか、僕には分からなくて‥‥」 寂しげに笑って、男は続ける。 「僕の名前は狭霧。今朝起きた時、僕は記憶の一部を失っていました」 悲しげに揺れる男の瞳から、目が離せなくなる。 受付嬢が。 「そんな‥‥。記憶を失ってしまうだなんて。もしかして、私の事も‥‥?」 「元々、そんな記憶はないだろ!」 思わず声を上げて、はっと我に返る。 恐ろしい形相で睨んで来る受付嬢に、開拓者の背筋が凍った。 「僕はあなたと知り合いだったのですか? 申し訳ありません。‥‥覚えていなくて」 お前が謝る必要はない。 今度は口に出さず、心の中で男を慰める。 「ううん、いいの。私の事なんて‥‥。それよりもどんな依頼を? 私、あなたの力になりたいの」 哀れな男は、傷ついてなお健気に笑う(芝居をする)受付嬢に申し訳なさそうに頭を下げた。 「僕は、僕に関する記憶の一部を無くしてしまったようです。ただ、一つだけ確かな事があります」 「それは?」 問うた受付嬢に、拳をぐっと握り締めた男が絞り出すように答える。 「僕には、ご主人様がいたのです」 ご主人様、と受付嬢が繰り返す。 はいと頷きを返して、彼は語り出した。 「見つけたのです。僕の、この全てをお捧げすべきご主人様を。なのに、僕はそのお顔はおろか、お名前もお声も‥‥」 男の目から涙が伝う。 自分が待ち続けていたご主人様を見つけた、嬉しい、そんな感情は残っているのに、肝心な記憶が抜け落ちているらしい。 「でも、確かにご主人様です。僕は、やっと出会えたのです! ああっ、ご主人様っ! 早くご主人様に下僕と、犬と呼んで頂きたいのにっ!」 「‥‥」 見目はいい。いいのだが。 「‥‥ちょ、こいつ危なくね?」 こそこそと囁き交わされる言葉。 「わかりました。人探しですね。何でも構いません。覚えている事などはありますか?」 それまで運命の相手を見つめるように目を輝かせていた受付嬢も、一瞬のうちに仕事の顔に戻っている。 そんなまわりの状況を気にする事もなく、男は続けた。 「ご主人様は、恐らく、何者をも凌駕する程にお美しく、聡明でいらっしゃいます。お声は、天上の音楽の如く涼やかに違いありません!! 慈愛に満ち溢れ、誰よりもお強い。そんな方のはずです」 「‥‥‥‥へえ」 曖昧に相槌を打つしか出来ない。 「あ、でも、誰よりも冷酷で、残酷な方かもしれません。ああ、踏まれたい‥‥」 「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥そ」 ‥‥れって願望かよ。 陶酔しきった様子の男に、開拓者達は完全に退いていた。 「運命の出会いは昨日。昨日の記憶は、ほぼ一日分失われていますが、同じ長屋の方に「ご主人様を見つけた」と告げていた事から、そう推測されます」 「記憶を失った原因は分かりますか?」 受付嬢に至っては、先ほどまでの熱は何処へやら、きっちり一線を引いて事務的に男の言葉を書き取るのみだ。 「井戸の縁に頭をぶつけたのが原因ではないかと、同じ長屋の方が」 「井戸の縁?」 「はい。もの凄い勢いでぶつけたそうです。そのまま昏倒し、朝まで目を覚まさなかったと聞いています」 どれどれ、と開拓者の1人が男の頭に手を伸ばす。 「ああ、本当だ。でかいコブが出来てる」 「一応は、僕も志体持ちですから、体の丈夫さには自信があったのですが、まさか記憶が穴あき状態になるとは思ってもおりませんでした」 志体持ち。 開拓者達は、男をまじまじと見直す。 細身の体、立ち居振る舞いからは品を感じるが、隙がない。 数多の戦いを経験した者の直感とも言うのだろうか。男から並々ならぬものを感じる。だが、彼の肌は陽に焼けておらず、手にも肉刺ひとつ無さげだ。 「‥‥ちなみに、職業は?」 「ヒモです」 「言い切った!?」 あっさりきっぱり爽やかに言い切った男に、開拓者達の間にどよめきが走る。 「ああ、でも今日からはご主人様の忠実な下僕になるはずでした‥‥」 そっと目元を押さえて、男は開拓者達の前にひざをついて頭を垂れた。 「お願いします。どうか、僕のご主人様を探して下さい」 |
■参加者一覧
星乙女 セリア(ia1066)
19歳・女・サ
橘 天花(ia1196)
15歳・女・巫
弖志峰 直羽(ia1884)
23歳・男・巫
楊・夏蝶(ia5341)
18歳・女・シ
叢雲 怜(ib5488)
10歳・男・砲
玖雀(ib6816)
29歳・男・シ
ナタリー・フェア(ib7194)
29歳・女・砲
アルシャイン(ib7676)
26歳・男・騎 |
■リプレイ本文 ●ご主人様と紐 それでも、彼女は我慢していたのだ。 ご主人様を探している、記憶の一部を失った青年、狭霧の話を聞いた時から、ずっと。 「出会いは神の御業と言いますが‥‥」 呟くと、星乙女セリア(ia1066)は目の前で繰り広げられている阿鼻叫喚な様相を呈して来た茶番劇から目を逸らした。 狭霧曰くの「運命のご主人様」について、話を聞けば聞く程、仲間達のこめかみに青筋が浮かび、口元が引き攣っていく。真剣に書き留めているお子様達はともかく、世間というものを多少なりと知っている大人達は狭霧が語る「ご主人様」像に苛立ちを覚えるようだ。 さもありなん、「ご主人様」は、多感な時期の少年が思い描く英雄のように完璧な人物であったのだ。 どう考えても狭霧の妄想過多な気がしてならない。 「そもそも、一度会ったか見たかした相手を勝手に主人と思い定め、あまつさえ「踏まれたい」はどうなのでしょう、神様‥‥」 「ま、まあ、それはそれで‥‥。ほら、一目惚れってそういう症状が出る事もあるし」 どこか虚ろな笑みを浮かべて宙を見るセリアを宥めるように、楊夏蝶(ia5341)が肩を叩いた。 しかし、「症状」と言っている時点で、夏蝶もかなり引いている事が窺える。 「百歩譲って、主に理想を求めるのは良しとしよう。しかしだ、井戸に頭をぶつけて記憶を無くすとは不甲斐ない」 腹立たしげに吐き捨てたアルシャイン(ib7676)に、セリアも夏蝶も頷いた。それに関しては全面的に同意だ。 「それに! 大の男がヒモで糧を得ているとは如何なものか!」 アルシャインの怒りは、狭霧の不注意だけに向けられているのではなかった。 その点に関しても、同意。 うんうんと頷いたセリアと夏蝶の隣で、橘天花(ia1196)が筆を止めて首を傾げる。だが、仲間達を見上げただけで、すぐに紙に向き直る。その眉は困った形のままだ。 「ヒモって何だろうな?」 がしかし、一旦は回避された罠を無邪気に踏み抜いた者がいた。 叢雲怜(ib5488)だ。 「そうですよね! やっぱり気になりますよね! 私もずっと悩んでいたんです。紐というのがどのようなお仕事か分からなくて‥‥」 天花が勢いよく顔をあげる。同じ疑問を持つ同志を得た事が、彼女の背を押した。 そして、怜の背も。 「ご主人様がいるのもよく分からないんだけど、ジルベリアのメイドさんみたいな感じなのかな?」 「どうなのですか、狭霧さん?」 固まった大人達の様子になど気付きもしないで、お子様達は依頼人を見上げる。きらきらと輝く瞳が、新しい世界に抱く彼らの期待を物語っていた。 「ヒモがどのような仕事か、ですか? それはですね、女性に‥‥」 「わー! わーわー!」 笑顔で説明しようとした狭霧に、夏蝶とセリアが慌てて天花と怜の耳を塞ぎ、彼らの気が逸れた瞬間を逃さず、玖雀(ib6816)ががしりと狭霧の肩に腕を回して拘束する。 「子供に変な事教えようとするなッ」 「変な事ですか?」 心外という顔をするんじゃない。 玖雀の口元が大きく痙攣した。 「まったく。昼間から堂々と‥‥」 溜息をついて額を押さえたナタリー・フェア(ib7194)が、玖雀達とお子様の間にさりげなく割り込み、ちらりと目配せをする。それを受け、天花と怜を聞き込みと称して避難させる夏蝶とセリア。 打ち合わせの暇もなかったのに、見事な連携だ。 「あの子達にはまだ早いわ。そんな言葉、覚えさせちゃダメでしょ?」 ナタリーの輝く笑顔。 けれど、目が笑っていない。 「ふふ。それじゃあ、こちらはこちらでご主人様の事を調べましょうか。でも、狭霧くんは記憶がないのよね? どうしましょうか。‥‥そう言えば、踏んで欲しいって言っていたわね。その感触で分かるのかしら」 ナタリーは軽くドレスの裾を上げた。ちらりと覗いた靴は月夜のヒール。 「あれ? ナタリーちゃん、もしかして‥‥踏む気満々?」 相談のお供にと用意した菓子を並べていた弖志峰直羽(ia1884)が問うた。 その、どこかのんびりとした声に、ナタリーが肩を竦める。 「と思ったのですけど」 「お望みとあらば叶えて差し上げたいのですが、あいにく、僕を踏めるのはご主人様だけなのです」 「これですもの」 恭しく手を取って唇を寄せた狭霧に、ナタリーも乾いた笑いを漏らすしかない。 「‥‥それに、嫌がっていない人を踏むのは私の趣味ではありませんし」 「え?」 小さな呟きを聞き咎めた直羽に、なんでも無いと首を振ると話題を変えた。 「長屋の人達に話を聞きたいわ。頭をぶつける前に、ご主人様の事を聞いているかもしれません。それに、狭霧くんはどうして井戸に頭をぶつけたのかしら?」 不注意による事故かもしれない。だが、もしも誰かの手によるものだとしたら? 「‥‥まさかとは思うけれど、狭霧くんがヒモをしている相手にご主人様の話をして、逆上されたとか」 有り得ない話ではない。 ナタリーの言葉に、玖雀も表情を改める。 「確かに。その相手にも尋ねた方がいいかもしれねぇな」 「ああ、それは違うと思います」 可能性の一つを挙げた開拓者達に、おっとりと、それでいてしっかり反論したのは、この件に関しての記憶を無くしているはずの狭霧だった。 「何故、そう言い切れるの?」 尋ねたナタリーに、清々しいまでにきっぱりと答えが返る。 「お互い、割り切った関係ですから」 「‥‥‥‥」 どうしよう、とナタリーは呟いた。 「右手がうずうずするわ」 「お、抑えて、ナタリーちゃん!」 愛用の短銃に手が伸び掛けるナタリーを押し留め、玖雀は痛み出したこめかみをほぐすように揉む。 「まったく、どうしようもねぇな。お前、女に養われてどうすんだよ。朝から晩まで働いた金で、働かない男に飯食わせてくれるなんて、そんなうまい話がどこに‥‥」 不意に黙り込んだ玖雀に、仲間達の視線が集まった。 青ざめ、だらだらと脂汗まで流している玖雀に、さすがに心配になったらしい直羽がてのひらを振る。しかし、それにも気付かぬ様子で、玖雀はぶつぶつと独り言ちる。 「いやいやいや、アイツも俺も男だし。放っておくと三食取らねぇから食わせてるだけだし」 この時、顔を見合わせたナタリーと直羽の中に、どのような疑惑が生まれたのか。知らぬが幸いであろうとアルシャインは深く深く溜息をついた。 ●末恐ろしきは 「そうですか。ありがとうございます」 丁寧に頭を下げて、天花がてけてけと戻って来る。 狭霧の足取りを追いかけるという地道な調査によって、当日の狭霧の行動がだいぶ絞られた。 そろそろ狭霧を押し付けた仲間と合流してもいい頃合いだろうか。 そんな事を夏蝶とセリアが話し合っている傍らで、怜があっと声をあげた。 「すみませんなのだ〜」 彼が向かったのは、お姉さんの集団。 漏れ聞こえる会話の内容から、近くにある茶屋の茶屋娘のようだ。確かに、彼女達ならば道行く人よりも情報が得られる確率が高い。 「ご主人様を探してるのっ! それで、この辺りに」 かくかくしかじかという説明を省いた言葉に、一瞬、呆気に取られたお姉さん方は、次の瞬間、相好を崩して怜の頭を撫で始める。どうやら、彼女達に気に入られたらしい。 「わわわ、姉ちゃん達、髪が、髪がぐちゃぐちゃになるのだ!」 そんな遣り取りを、呆気を通り越して絶句しながら見ていた夏蝶が、ぽつりと漏らす。 「‥‥怜くん、恐ろしい子‥‥!」 「育て方を間違えたら、狭霧さん以上になるかもしれません」 冷や汗を拭いつつ頷いたセリアは怪訝そうな天花の視線に気づいて、ぎこちない笑みを浮かべたのだった。 ●夕暮れ その数刻後。 彼らは開拓者ギルドへの道を辿っていた。 聞き込みの結果的に、狭霧がギルド周辺に来ていた事が確定したからだ。 「あと、ご主人様についてです。狭霧さんのお部屋を調べさせて頂きましたが、ご主人様について触れられた書き物等はございませんでした」 読むも恥ずかしいご主人様語りでもあればよかったのに。 残念そうなセリアの肩を、直羽が叩く。 「ご主人様の事は、既にいっぱい語ってくれてるし」 「‥‥妄想ですけど」 直羽の慰めが水泡に帰する呟きは、ナタリーのものだ。ああ、うんと直羽は目を逸らした。さすがに、狭霧の語る人物像を探して見つかるとは思えなかった。 「で、でもさ〜。狭霧さんがギルドの近くにいたのは間違いないんだね? ご主人様って開拓者なのかもね。あっ、俺はホラ、紳士だし。それにカッコ良くて賢明で優しいのも否定しないよ? けど、冷徹じゃないからご主人様じゃ‥‥」 場に漂うのは白けた空気。 「あ、この辺り‥‥。狭霧さんが通られた頃、わたくしも通っていたはずなんです」 直羽の言葉をまるっと無視して、天花が通りの先を指差した。 「姉ちゃん達が行ってたんだぜ。茶屋で茶を飲んで出てった狭霧が、そのすぐ後に上機嫌で戻って行ったんだって。しかも、軽く飛びはねながら! 絶対、怪しいんだぜ」 収獲を語る怜にも聞き流されて、直羽は崩れ落ちた。 「すみません。調子乗ってました」 「ん? あれ? なんで正座してんの?」 流しどころか、聞いてもいなかったらしい。不思議そうに首を傾げる怜に居た堪れなくなり、直羽はわっと泣き伏す。 「なんて言うか‥‥まあ、生きて?」 直羽の背を叩き、夏蝶は狭霧を見遣った。落ち着かなく周囲を見回している様子に、彼も不安である事を知る。微苦笑を浮かべて、夏蝶はもう一人の困った男の背も叩く。 「ほら、しゃんとして! 何をそわそわしているのよ」 「と申されましても、ご主人様にお会い出来るかもと思うと‥‥」 どきどきで壊れそうです。 胸元を押さえて頬を赤らめる狭霧に「女子か!」というツッコミを入れて、夏蝶は腰に手を当てた。 「お料理上手に、掃除洗濯繕い物も完璧。しかも、身のこなしも太刀筋もいいのよね。もっと胸を張っていいと思うわ。ご主人様だって、きっと」 言いかけて、不意に言葉に詰まる。 「職業ヒモって‥‥受け入れられるのかしら」 はっと息を呑み、瞳を潤ませた狭霧に、セリアの勘忍袋の緒が切れた。 「もう少しビシっとしなさい、ビシっと。あなたが主を選んだように、主にも僕を選ぶ事が出来るのです。懐くだけの愛玩犬など不要と言われてもしりませんよ」 出来の悪い弟を厳しく指導する姉のごとく、その後、延々と続いたお説教に、いつの間にか狭霧は直羽の隣で正座させられていたのだった。 仲間達の騒ぎを一歩離れて見守っていたアルシャインが額を押さえる。 「主人とやらに同情を禁じ得ない」 「‥‥だな」 きょろきょろと周囲を見ながら歩く天花が躓いたのに咄嗟に手を伸ばした玖雀も息を吐く。 愛のお説教は、更に続いている。 今は、まともな職につく事に対する世間の評価の講義だ。 「ねぇねぇ。やっぱり、この辺りみたい。狭霧を見かけたって姉ちゃんがいたのだぜ」 どんな時にも全力投球な少年は、こんな時にも受けた仕事を忘れない。通りに並ぶ茶屋で聞き込みをして来たらしい。 「姉ちゃんが言うには、往来でいきなり仁王立ちしてたって」 はい、と戦利品の団子を皆にお裾分けして、視線でその場所を示す。 「人通りの多い時間だったから、すっごく迷惑になってたみたい」 新たな情報に、大人組だけでなく、説教をしていたセリア達も肩を落とした。だが、本人はそれどころではない。 「ここで、僕はご主人様を‥‥?」 「じゃないかなぁ?」 何か思い出さない? 怜に問われ、狭霧は悲しげに眉を寄せた。 思い出したくても思い出せない。そんな狭霧の苦悩が伝わって来るようだ。 「わたくしの時間がもう少しずれていれば、わたくしもその方を見ていたかもしれませんのに。お役に立てず残念です」 しゅんと萎れた天花に、狭霧は緩く首を振って微笑んだ。 「あなたは、とても優しい方なのですね」 「わたくしは‥‥」 それまで、とってつけたような笑みを浮かべていた狭霧の、温かな笑顔。それは恐らく、初めて彼が見せた、素顔。 思わず見惚れてしまった天花の頬に朱が走る。 「あ、あの‥‥わたくし、もう少し調べて来ますっ」 急に大きな音を立て始めた心の臓を気付かれたくなくて、天花は駆け出した。動揺した天花の様子に、1人には出来ないと、アルシャインがその後を追う。 彼らを見送った狭霧の肩に、セリアと夏蝶の手が乗った。 「狭霧くん、もう少し、私達とお話ししましょうか」 「狭霧の運命や如何に!? 以下次号! ‥‥って感じだよね」 足を擦りながらやって来た直羽に、玖雀が苦笑する。まさにその通りなので、ツッコミを入れる気も起きない。 「でもさ、真面目な話、狭霧くんはご主人様の居場所を知っているか、連絡先のアテがあったんじゃないかな。だからこそ、明日からお仕えさせて貰う、なんてことを長屋の人に話していたわけで」 長屋の住人への聞き込みで、ご主人様を見つけたと浮かれ騒いだ狭霧の行動も明らかになっていた。 それによると、彼は、一頻りご主人様を称えた後、地に足がついていない状態で部屋に戻ろうとして縁石に躓き、井戸に頭をぶつける事になったらしい。 この辺りは目撃者もいる話だ。 「さっきも言ったけどね、やっぱりご主人様はギルドに出入りしている開拓者じゃないかと思うんだ」 そうだなと相槌を打つと、玖雀は先に行ったアルシャインと天花に視線を向けた。彼らの立つ場所から少し先にギルドがある。 「丁度、時間もいい頃だ。ギルドに行ってみるか」 沈みかけた太陽に、空気が蜜柑色に染まる。先に行く天花へ注意を呼び掛けるアルシャインの姿に、親子のようだと感想を抱いたその時に。 「ご主人様‥‥」 狭霧の呟く声が聞こえた。 「狭霧くん、もしかして思い出した?」 直羽の言葉も、今は届いていないように、彼はただ一点を、アルシャインの後ろ姿を見つめていたのだった。 ●頑張れ 眉間にくっきりと皺を刻んで不機嫌なアルシャインと上機嫌な狭霧を、彼らは遠巻きに眺めていた。 「ご主人様」 「気色が悪い。その呼び方はやめろ」 「旦那様」 「却下だ!」 「ア・ナ・タ?」 「‥‥‥‥‥‥ッ」 ぷち、と何かが切れた音が聞こえた。 と、後に直羽はこの時の事をそう回想する。 「ともあれ、一件落着だよね。よかったよかった〜」 狭霧の更生には、まだまだ時間がかかりそうだ。ご主人様であるアルシャインの苦労も絶えないだろう。それでも、狭霧が幸せそうだからいっか。そう思う。 アルシャインが幸せか否かは‥‥いや、止めておこう。 「えいっ! 末長くお幸せにね〜!」 2人の上にフラワーシャワーを投げかけて、そのまま脱兎の如く走り出す。 怒りながら直羽を追いかけるアルシャインの頭には、可憐な色をした花弁が乗っかって。 どこか間の抜けた、長閑な光景に開拓者達は仕事を終えた満足感を感じながら、少し遅い午後の茶を楽しんだのであった(一部を除く)。 |