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■オープニング本文 焦げた臭いがそこら中に立ち込めて、静波の肺を冒し始めていた。 炎が並んだ建物を焼き、木々を焼き、もしくは既に人を焼いてしまっていたかもしれない。 静波は熱波の中を駆けた。ひたすらに、生きている者を探して駆けたのだった。 延石寺の寺町に火が放たれた。恐ろしい勢いで火炎に呑み込まれたのだ。 正直、何が起こったのかなんて事は彼女には分からない。ただ、延石寺が大火に見舞われている。 それだけだった。 「宜しくお願い致します」 ハッと浮かんだ回想では、延石寺代表である水稲院が開拓者達に頭を下げていた。 目の前に落ちてきた木材を寸での所で、飛んで避ける。 静波は頬に付いた煤を拭って、後ろを振り返った。朱色の渦の道。 人の声が聞こえた気がしたが、如何だろうか。彼女は気の所為であると思いたかった。 しかし、今は引き返す事が得策で有るとは思えなかった。 もし、此処で炎に焼かれてしんでしまっては、次に助けられたであろう人々を助けられないのだから。 それに気の所為かもしれないのだ。不確定な要素を含んだ危険地帯に飛び込めないと考えたのだ。 静波は妙に頭が冴えていた。火事場の何とやらであろうか。 「一度、本堂に戻った方が良いのかな……」 そう呟いて、静波は未だ火炎の脅威に晒されていない、此処より上の景色を眺めたのだった。 そうして、静波は開拓者と共に延石寺本堂へと戻る事にした。 階段を駆け上がって、本堂に戻ると寺町の人間ががやがやと広場に屯していた。 「進展は有りましたか?」 静波は近くに立っていた僧兵に状況を説明して貰う事にした。 「どうやらお前は現場に行っていた様だが……やはり火の回り方が尋常ではない」 そう言うと、僧兵は小さく「まるで妖術の様だ」と付け加えてくれた。 つまりはそう言う事なのだろうか。静波は腕を組んで唸って考える。 「アヤカシが噛んでいるんですか?」 「その可能性が高い。何せ、火が上がったと思ったら一瞬で消し炭になったらしいからな」 「何がです?」 「詰め所だよ」 この僧兵の言う詰め所とは、延石寺の段々になった寺町の所々に設置されている僧兵の待機場所だ。 静波だって何度も其処に待機して、アヤカシの襲撃に備えた事があった。 僧兵の話によれば、その後はあっという間であったらしい。静波は嫌に納得してしまった。 「偶々、詰め所から出たばかりの当番の連中が居たから避難は有る程度上手くいったが……」 それでも助けられなかった人も居たと言う。 そんな話を聞いて、静波は眩暈にも似た感覚を覚えた。足元が覚束ない。 「厄介なのは」 僧兵は静波の様子を窺いながら、苦そうに言った。 「当番の連中は『誰も火が付く瞬間を見ていなかった』と言う事だな」 実の所、詰め所は人気の多い所に置かれている。寺町の各層のほぼ中心にだ。 だからこそ、常に詰め所は誰かの視界に入っている事が多いのだが―― 「誰も、見ていなかった」 静波は目を伏せて考えてはみたが、結局分からず終いだった。 「最悪だな……もし、推測が正しければ、未だにアヤカシが潜んでいる可能性も有ると言うのに……」 「えぇ……」 アヤカシの仕業とも思える火事に見舞われた事と、犠牲者が出ていると言う事。そして、アヤカシの所在。 最悪、と表現したこの状況を構成しているものはそれだけではなかった。 此方側がアヤカシ側に攻勢を仕掛けた後だったのだ。それも隊が出立してから、随分時間が立っている。 今頃はどの辺りに居るのだろうか。作戦は完遂したのだろうか。 伝令役を走らせた様だが、もし戦場から撤退させるには時間が掛かり過ぎる。 戻ってきた頃には延石寺が無くなってしまっていてもおかしくはないだろう。 運良く近くまで戻ってきている、なんて事はないのだろう。伝令役が戻ってこないのが、そう告げている。 ならば、如何するか。如何する事が最善なのか。 残った戦力で事態の沈静化を図る。それが最善だろう。だから、水稲院は開拓者達に頭を下げたのだ。 英断だ。 「もう一度現場に……ん?」 言い掛けた静波が、人々のざわめきの色が変わったのを聞き逃さなかった。 人だかりが綺麗に割れていく。さぁっという音が聞こえてきそうなくらいに。 「円真様?」 その間を歩いてくるのは、自身の配下を大勢、いや、恐らくは全員を連れた雲輪円真だった。 「何事でしょうか?」 静波と話していた僧兵が円真に駆け寄る。どうやら、彼も円真の配下であった様だ。 「万紅とやらが現れた……」 眉一つ動かさずに、円真は答えた。答えて、手に持った物を僧兵と静波に見せた。 「これは……伝令書?」 どうしてこんな所に、なんて考えるまでもなかった。 「丁寧に矢文にして寄越してくれた……」 そう言って、血に塗れた伝令書を強く握り締める円真。表情からは知れないが、珍しく怒っている様だった。 「円真様……」 「……静波……火は頼んだ……俺は仲間と共に万紅を討ってくる……」 後ろの仲間達を肩ごしに見た円真は、そのまま歩を進めて階段を下りていく。 僧兵に続いて、何人もの開拓者が隊列を組んで進んでいく。これが今最大の戦力なのだろう。 と、なれば―― 「皆さん、私からもお願いします。どうか、お力をお貸し下さい」 静波は残った少数の開拓者の方を振向いて、頭を下げたのだった。 そして、その直後。段下から大声を上げて、此方に向かってくる僧兵が一人。 また新たな火の手が上がったとの報告を受けて、静波達は其々動くべく所に動き始めたのだった。 |
■参加者一覧
鴇ノ宮 風葉(ia0799)
18歳・女・魔
海神 江流(ia0800)
28歳・男・志
風鬼(ia5399)
23歳・女・シ
リーブ・ファルスト(ib5441)
20歳・男・砲
ラグナ・グラウシード(ib8459)
19歳・男・騎 |
■リプレイ本文 誰の目に見ても既に最下層の寺町は手遅れであった。 火の手から大分離れていると言うのにも関わらず、熱風が肌を焼いた。 残る、と言って聞かない静波を少々気にしながらも、二人は階段上を眺めた。 「発火を『誰も見ていなかった』じゃなく『誰も見る事が出来なかった』か……」 それだけ言って、鴇ノ宮 風葉(ia0799)は腕を組んで唸った。 何とも妙な話だ。 これだけの火が上がっていながら、衆人の目に晒された場所でありながら。 如何して誰もその瞬間を見ていなかったのか。 彼女は発想の逆転を狙って、思索に耽ってみようものの時間がそうはさせない。 「放火とか無差別に被害が及ぶから勘弁して欲しいんだけどな……」 頭痛でもしたのか、横に並んだ海神 江流(ia0800)は眉間を抑えている。 そして、すぐに顔を上げて風葉を急かす様に階段を登り始める。 「とりあえず、今は立ち止まってる暇はないな。ほら、早く行くぞ」 「ん? あによ、分かってるわよ」 如何だか、と肩を竦めて江流は階段を何段も飛ばして登って行く。 風葉も同じ様にして江流の後に続く。 今回の依頼にて厄介なのはこういう所なのだ。風葉も江流もそれを理解していた。 動きながら考えなければならない。探しながら考えなければならないのだ。 聡く。可能な限りそうあらねばならなかった。 そんな二人とは逆に、リーブ・ファルスト(ib5441)は最上段、本堂に佇んでいた。 此処は何としても原因を排除せねば、という思いに駆られていた。 一時的とは言え、妹や仲間達の戻るべき場所が灰になってしまってはどうだ。 他の仲間は知らないが、妹に関してだけ言えば泣いてしまうかもしれない。 それは彼にとって良くない事であった。 「しかし」 そう呟いて、リーブは風葉と似た様な所に行き着く。 不明な部分に関しての推測は、幾つか立てられる。 例えば、周辺や内部の死角からの放火、放火直前の出来事、もしくは内部犯。 果たして、この中に答えが有るのだろうか。 難しい所である。何と言っても圧倒的に情報が足りないのだから。 「おっと、済まねぇ。一番高いのは本堂の屋根か?」 「あぁ、修繕費も一番高いんじゃないかな」 尼僧の一人が元気無く、それでも気丈な様子で、リーブの問いに冗談を飛ばした。 流石、魔の森のど真ん中に位置する国の人間なだけある。 リーブは感心しながら、その本堂の屋根に乗り、更に高い位置から見下ろす。 火の流れがやけに早い。 まさか、火自体がアヤカシなのだろうか。 「どの道、こんな状況下で得するのはアヤカシだ。魅了された人間が居ねぇとも限らねぇ」 そう言うと、リーブは少し焦げたニオイのする風に吹かれる事にした。 ラグナ・グラウシード(ib8459)は漸くその準備を終えて、寺町丙の詰め所に入った。 今は警邏や消火活動などで、僧兵達は外に出払っていて、嫌に静かだった。 「しかし、火点けだと? ろくでもない事を考える!」 こんな事を仕出かすのはアヤカシであるに違いない。 そうでなくとも、その手合いの輩かもしれない。 ならば、此処を燃やされる訳にはいかない。何としてでもだ。 既に下層と中層の寺町は火が放たれた後。此方が後手に回っている事は明白。 だがしかし、それでも卑怯な手で陥れられたのだ。 一本気な彼に、それが許せるはずもなかった。 そんな中、はたと冷静になったラグナは手の中で呼子笛を転がして考える。 「もしや、上空か……?」 普通、生活する上で人が注視しない風景と言えば、己の目線より遥か上のはず。 となれば、火の原因は空から降ってきたのではないのだろうか。 火矢か、術式の類か。 別れる前に風葉が「長距離からの発火」について言っていたが、似た様なものだろう。 ラグナの中で今回の被害は「特殊な火の点け方」に有る、という事で落ち着いたようだった。 それでもやはり未だに靄掛かった様な、しこりが残っているのは確かだ。 「おや、これは」 ラグナは戸口の方に目を向けて、警邏から帰ってきた三人の僧兵と尼僧に声を掛けた。 表情にこそ出ていないが、何の手掛かりもなかったらしい。 重々しい空気が漂っていた。 「周囲の警戒は通常通り、いや何時も以上に念入りに頼んだぞ」 ラグナはと立ち上がると、僧兵達と連れ立って詰め所の外に出た。 「いやぁ、探しました」 避難してきた一般人の中に延石寺に滞在していた武器商、理知留の姿を見つける。 そうして、風鬼(ia5399)は彼女の肩を叩いた。 「あ、どうもっス」 「いや、御無事で何よりですな。時に貴女、火付けの瞬間は何処で何を?」 唐突な質問に理知留は頬を掻いて、馬鹿正直に答える。 「え? あ、いや、尼僧さん達に薙刀を売り込んでたんス。ぼったくりじゃないっス」 目を細めて理知留を観察する風鬼。理知留はと言うと、居心地悪そうにしている。 「ばっかもーん、お前が――ってそんな訳有りませんよな」 「アレ、疑われてたんスか? 酷い!」 風鬼はさっさと理知留の下を去った。 先程からこうして僧兵や尼僧に声を掛けては、同じ様な質問を繰り返している。 正直、信用に足る者ばかりなのか怪しいのだから(理知留はからかっただけ) 「何やってんですか?」 理知留とのやり取りを見ていた、リーブが本堂の屋根から降りてきた。 どうも、風鬼のやっている事が気になったらしい。 「いや、ちょっとお話をですな」 そこまで言って、風鬼は少し考えてリーブを手招く。 首を傾げて、風鬼に近付いてなるべく声を殺して答える。 「だから、何だってんですか?」 「ちょっとばかし――してもらえないですかな。例えばあの辺」 風鬼の指差した方を向いて、不思議そうな顔で頷く。しかし、問わずにはいられない。 「良いですけど……理由が分からねぇんじゃあねぇ……」 リーブの言う事は最もだ。ふむ、と声を漏らして風鬼が言う。 「いえね、誰も見ていなかった状況で火が出た事は間違い無いんですわ」 気の抜けた様な返事をするリーブ。 「けれど誰かが見ていたら失火したとは考え難い」 「と言うと?」 「どうやって火が付いたかなんて事は問題では無いんですよ。理由は幾らでも考えられますし」 そうなってくると、誰が火を付けたのかと言う点に考察点が移動する。 「やはり、内部犯か魅了された人間の犯行って事なのか?」 「ま、意図は分かりませんが……可能性は高いですな」 そう言われると、リーブは顎を擦ってもう一度深く頷いたのだった。 風鬼の手に乗るのが良策である事を何となしに理解したのだ。 登って登って千段と少しを越えた辺りだったろうか。 江流はふと横に続く道の奥を見る。 夕暮れであるのに、いつもよりも少し明るいのは下の火事の所為だろう。 大きく肩で息をしている幼馴染の回復を待つ様にして、江流は呟く。 寺町丙は未だに焼けていない。 甲の次に乙が焼けたのはどのくらい後だったのか。 「寺町自体を焼くのが目的、な訳ないよな……本堂を狙っているのか……?」 それとも単純に焼くと言う行為に心酔しているのか。 「ちっ……走るのは、得意じゃ、ないんだけどな……っ!」 深呼吸を一つすると、額の汗を拭い、江流の向いている方へずかずかと進む。 そんな風葉に江流も続く。 「馬鹿ね、本堂を焼くのが目的なら長距離から……焼けば、いいじゃない……」 「けれども、本堂は健在だぞ?」 「種火になる能力や物に発火するまで目視出来ない能力、なんて事も有り得るわ」 風葉は進む足を止めずに顎に指を当てる。 離れた所から放火した可能性は限りなく低くなった事は確かだ。 では、種火になる能力が有ったとして、種火はいつ仕込むのか。 物を発火させる前の、見えない炎は何処から湧いたのか。 目的は本堂に無いのか、とまで考えて、自身達が立っている場所の事に思い当たる。 「ねぇ、じゃあ何で此処は未だ焼けてないのよ?」 「まさかとは思うが、故有って今は火を付けられないとしたらどうだ?」 理由がそれならば、種火を先に此処に仕掛けておく事は出来なかったのか。 「考え方を変えて……」 江流は言い切る前に、咄嗟に刀に手を掛けて振向いた。 その視線の先には―― 「お二方、此処は未だ被害が出ていないぞ。安心してくれ」 ラグナが手を上げて、近付いてきていた。 その後には尼僧と僧兵達の姿が在る。警邏隊の様だ。 「手掛かりは?」 「いえ、ラグナさん達の方は?」 ラグナは残念そうに首を振って、溜息を吐く。収穫は無し。 「一応、念の為の準備はしたが。まぁ、使われない方が良いかもしれないな」 そうして会話を交わしていた三人に、尼僧が声を掛ける。 「私達はもう一度警邏に行って参ります」 「他に気配は有りませんけれど、油断はなさらずに」 江流の心眼の範囲内には、この場にいる存在の気配しか感じられない。 別行動を取っても問題は無いはず。と、誰もが思っていた。 「それでは皆さん、お気を付けて」 軽く会釈をすると、尼僧は三人の僧兵達と警邏に戻っていった。 その後姿を見て、風葉は何気なく言葉にしてみる。 「あの人達って、ずっと此処の警邏に当たってたのかしら?」 「どうだろう? 同行してからは辺りの警戒に気を向けていたからな……」 ラグナは腕を組んで、唸った。もう少し話を聞いておくべきだったかとも思う。 そして、今からでも追い掛けて、とまで言い掛けた時にそれは起こった。 強烈な熱波が三人を包み、瓦が熱で割れ、木が焦げ、そして―― 肉の焦げるニオイ。不快感を固めた様なニオイ。 江流は舌打ちをして、風葉と共に駆け出した。ラグナも迅速な理解を持って二人を追った。 そして、其処に辿り着いた時。ラグナは拳を固く固く握り締めた。 呼子笛を鳴らし、周囲の確認に移る。屋根の上に影は無し。 「大丈夫ですか!」 地面に転がった炭を抱えて江流が声を上げる。 ほんの少し前に分かれた僧侶だという事は分かっていた。 感じていた気配が一気に消えたのだから。 「無辜の民を苦しめるとは……許さんッ!」 怒りを滲ませながら、ラグナは江流を連れて詰め所へと走った。 準備しておいた幾つもの樽の中には、水が並々と入っている。 「ったく、あんなのよ! もう!」 文句を言いながらも風葉は氷の矢や槍を炎の中に叩き込んでいく。 徐々に、徐々に、火炎の勢いが死に、そして樽の水で消える程になっていた。 そして消える頃になって風葉は気付く。 転がっているのは三つの消し炭になった『僧兵』の死体。 それでは、尼僧は何処に行ったと言うのだ。 瘴索結界を張り、瘴気の残滓を辿る。炎から受ける瘴気とは別の瘴気の波長。 それが僅かだが、残っている。 後方からは怒声が聞こえる。どうやら他の僧兵達が来た様だ。 「行くわよ!」 「何処にだよ?」 「本堂に決まってるでしょ! 焼けてないのは、あそこだけでしょ!」 江流とラグナは、風葉が何かを察した事を察する。 そして、三人は僧兵達を押し退けて本堂へと走ったのだった。 尼僧が火事の知らせを持って本堂へと辿り着いて間もなく。 風鬼はその尼僧の姿を見失っていた。 やられた。 そう思うと、リーブに頼んで作っておいた『罠』の仕掛けてある場所に向かった。 「鐘鳴らしてください、お願いしますわ」 と、鐘の近くに居た僧兵に頼むと、リーブの様子を確認する。 どうやら、風鬼の動きに気付いていたらしく、屋根の上を移動している。 となれば『死角と言う罠』を先ず見るのは彼だ。 リーブが何とか最悪の初手を避けてくれるはず。そう願って、風鬼は疾走した。 そして予想通り、リーブは何者かの影を視界に捉える。 暗くて良く見えないが、態々本堂裏の、人気の少ない所に進む影は明らかに怪しい。 トリガーに指を掛ける。相手の顔は見えないが、照準は合っている。 少しでもおかしな真似をすれば、トリガーを引く準備は出来ていた。 そして、その時は然程待たずに来た。薄暗闇の中に青い炎が灯ったのだ。 「漸く遭えたな、クソ野郎……!」 銃声一発。避難してきた人達に、ざわめきが広がる。 その間を縫って、風鬼は到着した。到着したのだ、その女の前に。 「これは何の真似でしょうか?」 「それはこっちの台詞ですなあ」 どうするか、風鬼は数瞬悩んだ。果たして一人で相手に出来るものなのか、と。 「まさか、貴女が火付けの犯人ですか?」 「この期に及んで白を切るつもりか?」 風鬼の背後から男の声が飛ぶ。聞き覚えのある声に、尼僧は心の中で舌打ちをした。 ラグナは大剣をすらりと抜いて、切っ先を尼僧に定めている。 観念なさいとでも言いた気に、風葉も現れる。 「皆さん」 最後に江流の姿を確認すると、尼僧は押し黙ったまま俯いた。 「面白い事を聞きましてね。火付けの有った箇所の警邏隊には、必ず尼僧の姿が在ったとか」 風鬼が話を聞き込んだ末に手に入れたのは、怪しい尼僧の存在。 「本当はすぐにでも、火を付けたかったんだろうが……残念だったな」 ラグナは鼻で笑って、一歩前に出る。ラグナは理解していた。 己が一緒に警邏に出た事で、反撃を受ける可能性が高まった。 だからこそ、尼僧は行動に移せなかったのだ。 「証拠が有りませんよ?」 俯いたまま、尼僧が言う。 「有るわよ。あんた、あたしの結界内に居る事知らなかったの?」 瘴気を探る結界。尼僧は、その中に捉えられていたのだ。 「アヤカシで、しかも放火魔風情に焔の美学は分からないでしょ?」 「価値観の相違ではないでしょうか?」 肩を震わせて高笑いをすると、尼僧は頭巾を捨て、狼の如き瞳を覗かせた。 爪は何時の間にか鋭く伸び、牙も生えている。黒狼天狗。 「劫火絢爛が、焼き尽くす烈火の如き力を見せたげる――海神! 楯になりなさい」 「僕を楯にすんなよ……防戦一方なんて疲れるだろが……ほら、さっさと決めちまえ」 そんな掛け合いを聞いて、尼僧はまた笑う。 「良いでしょう、人間。覚えておく事ね、私は黒狼天狗の火呼」 「火呼、お前の行い、罪は……お前の生命で償え!」 そうしてラグナは地面を蹴った。 後方からはリーブの放った鉛弾や、風鬼の操る影が飛んでくる。 「人間の扱う火なんてね、糞ほど醜いのよぉ! 燃えろ燃えろ燃えろ燃えろ燃えろ!」 火呼は最後の最後まで、そんな風に叫んでいたと言う。 リーブは夜風に当たりながら、頬の火傷を確かめる。 まぁ、上々だろう。 水稲院の結界式で被害は本堂の最小限に抑えられた。 寺町丙は多少焼けてしまった様だが、復興に問題は無いらしい。 「嘘、か」 目撃者は確かに居たのだ。他人の目を盗み、火を点けた本人、火呼が。 何故、目撃者は居なかったのか。それは嘘だからだ。 良い線行ってたんだけどな、とリーブは頭を掻いて戦いの余韻に浸っていた。 戦いには勝ったが、出し抜かれた感覚だけは拭えない開拓者達であった。 |