美女と積み荷と父親と
マスター名:塩田多弾砲
シナリオ形態: ショート
危険 :相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/11/19 21:49



■オープニング本文

 五行、結陣。
 そこで、とある人物の父親が死んだ。アヤカシに殺されて。

 五行首都、結陣。その北東部、北面方面には山脈があり、それを超えると瘴気がやや濃い魔の森が尾根に広がっている。そのため、北面には陸路ではなく、五行の南端近くの三陣からの海路で向かうのが普通。
 さて、その三陣。海路にて他国との輸出入を唯一扱っている商業都市で、海路と陸路で人と商品とが集まり、経済を動かしていた。
 当然、その周辺の村落からも商品を売り買いに来たり、一山当てようとする者が集まる事も日常茶飯事。
 が、当然アヤカシの犠牲者も多く出ることに。

 土葉という名の男が、命からがら現れたのはある日の夕刻だった。
 結陣で酒場を営んでいる挫居という男は、ぼろぼろの様子で入り込んできた男を見て、最初は顔をしかめた。
「おい、どうした?」
「な‥‥何か飲ませてくれ‥‥」
 かすれた声で、男は言った。その声に、挫居は聞き覚えがあった。
「あんた‥‥まさか土葉の旦那? いったいどうしたんだ?」

 土葉は、挫居の知り合いの商人だった。高価な着物や服飾品を扱っており、商売も商才もそれなりの男。伊達男を気取り、顔立ちもそれなり。そのため、女性の問題もしばしば。
 少し前に、北面へと商売のために海路で向かった事は聞いていたが、一体何が起こったのか?
「か、帰りに‥‥海の、アヤカシに襲われ‥‥海岸に‥‥。そこで‥‥もっと恐ろしいアヤカシに‥‥‥積み荷が、そのまま‥‥」
 土葉はそれだけ伝えると、そのままこと切れた。そして、二度と目を覚まさなかった。

 土葉の死は、すぐに彼の商店、「芽傘商会」へと伝えられた。
「父が? ‥‥まあ、女遊びばかりしてたあの男らしい最後ですね」
 息子の図羽が、ため息をしつつそれを受け入れる。たくましく、厳しい顔つきの青年は、一見すると商人と言うより若武者を思わせる。
 それもそのはず。彼は少し前までは傭兵としてジルベリアに赴き、実戦をかいくぐってきたほどの猛者なのだ。が、去年に大けがをして傭兵を引退後、挫居と土葉本人に懇願されたのをきっかけとして、芽傘商会で商人として働いている。
「挫居さん、知らせてくれてありがとうございました。それで、遺書があると?」
「ああ。旦那は書付を懐に入れてあってな。どうやら遺書らしい。積み荷のもうけはみんな、芽傘商会と図羽に任せるから、回収してほしいとの事だ」
「まったく、最後の最後まで周囲の皆さんに迷惑ばかりかけて‥‥。あの世で母さんに詫びてから、地獄に落ちるがいい」
 図羽の言葉に、挫居は苦笑する。そう思うのも当然だ。なにしろ土葉は若いころ、放蕩の限りを尽くしており、妻もその心労から体を壊し亡くなったようなもの。そんな父親を快く思わないのも、当然と言えば当然だった。
「では、積み荷を回収します。挫居さんにもいろいろとお世話になりましたから、あとで正式にお礼をさしあげますね」
 図羽のしっかりした様子を見て、挫居は安心した。

 こうして、図羽は人を雇い、船とその積み荷を回収すべく三陣を出港した。
 そして、数日後。
 彼は傷だらけで、たった一人で戻ってきたのだ。

 所有している大きめの船で、図羽は海路を進んでいた。アヤカシが出た時の事を考えて、武装した人間を十名ほど雇い、戦いに備えていた。
 そして、途中で座礁した船を発見。可能な限り近づき、小さな船で接近した。
 周辺には瘴気が漂い、間近ではなかったが魔の森が見えた。近くには小さな川が、海へと流れ込んでいる。
 周囲には隠れる何かもなく、交代で見張りを立てればアヤカシの襲撃にも対処できるだろうと判断し、護衛の半分を船に残し、図羽も半分の護衛とともに上陸。座礁した船のすぐ近くに、たき火を多く焚いて、休むことにした。
 かつて傭兵だったころ、図羽はこれよりもっとひどい状況でも寝泊りしたものだ。いざというときには、愛用のブロードソードにものを言わせるつもりだ。剣の鍛錬は怠ってないし、まだ並みのアヤカシ相手なら十分渡り合える。
 そう思い、彼は眠りについた。

 が、夜中。彼は胸騒ぎとともに目覚めた。
 見ると、見張りがいない。絶やさないようにと指示していた焚火も消えかかっている。
「おい! 誰かいないか?」
 返答がない。
「おい! どうしたんだ?」
 近くには船。それはほとんど横倒しになっているが、中には誰もいない。なぜなら自分は、そこで眠っていたからだ。
「‥‥?」
 ふと、誰かの人影が見えた。それは、武装した護衛ではない。はかなげとも思える、女性がそこにはいた。
「あんたは‥‥? どっから来たんだ?」
 近くで難儀して、焚火を頼ってきたのだろう。そう思って図羽は彼女に向かっていく。
「‥‥助けて、ください」
 か細いが、はっきりした声で彼女は言った。が、図羽は足を止めた。
 彼女の声を聴いて、非常に心地よい気分になったのだ。だからこそ、怪しいと思った。
 何か、いいにおいがする。ぼんやりした気分になり、このまま心地よい中にいたいと願うような。
「こちらに‥‥来てくれませんか?」
 そう言って、彼女は手を広げた。焚火の残り火が、その女性を照らす。清楚な顔つきに、可憐な瞳。薄い唇は、ほのかに桃色。まるで上品な桜の花びらの様。
 だが、図羽は見た。その口元から伸びる牙を。
「アヤカシ!」
 彼は大声で叫び、剣をめちゃくちゃに振り回した。
 女性は驚いたような顔をすると、そのまま下がり、闇の中に。追おうとして踏み出すと、足元に何かが転がっているのに気付いた。
「‥‥!」
 護衛の遺体が、そこにはあった。
 まずい。ここに居続けると危険だ。直感でそう思い、船へと視線を転じたら。
「あれは!」
 アヤカシ‥‥怪鳥の群れが、船を襲っていた。何かの拍子に火災が起きたのか、甲板で何かが燃えている。
 向かおうと思ったその時、数羽の怪鳥が海岸の図羽の元にも飛来してきた‥‥。

「というわけで、私は必死になって戦い、逃げました。そして、そのまま海岸沿いに南下したのですが‥‥あの女性が必ず現れて、私にまとわりついてきたのです」
 ギルドの応接室。悔しげに図羽が依頼内容を口にしていた。
「自分の判断の誤りで、人命を失い船も亡くし、積み荷も回収できませんでした。情けない馬鹿者とお笑いください。しかし‥‥このままで放置するのは、あまりにも情けない‥‥」
 そう言いつつ、図羽は報酬を差し出した。
「愚かな父でしたが、それでも、最後のけじめだけはつけさせたいのです。船を用意し、私も同行します。どうか積み荷の回収を、やっていただけないでしょうか?」


■参加者一覧
梢・飛鈴(ia0034
21歳・女・泰
水鏡 絵梨乃(ia0191
20歳・女・泰
酒々井 統真(ia0893
19歳・男・泰
針野(ib3728
21歳・女・弓
鉄龍(ib3794
27歳・男・騎
藤吉 湊(ib4741
16歳・女・弓
ハシ(ib7320
24歳・男・吟
にとろ(ib7839
20歳・女・泰


■リプレイ本文

「そろそろ、現場に到着します」
「ああ。皆、アヤカシに注意しておくように。さて‥‥」
 図羽が甲板に立ち、八名の客人へと振り返った。
「皆様、どうかよろしくお願いします」
「おう、任せナ」もふらの面をつけた、梢・飛鈴(ia0034)。
「はい、お任せください」赤き瞳の水鏡 絵梨乃(ia0191)。
「ああ、大船に乗ったつもりでいてくれ」金色の瞳と白銀の髪を持つ猛者、酒々井 統真(ia0893)。
「何とかする、にゃんすー」猫の眠たげな瞳と耳と尾の少女、にとろ(ib7839)。
 泰拳士の四名は、それぞれに請け合った。
 弓術師の二人は、周囲に視線を向け、敵が来襲しないかと油断なく見張っている。
「にしても、座礁した船ってのは今乗ってるやつより大きいんやね? 当たるとでかいんやね、貿易っちゅうんは」商売熱心、勉強熱心な金色の獣人少女、藤吉 湊(ib4741)。
「今んとこ、周囲にアヤカシは見当たらんさー。けど、油断は禁物さねー」青の髪と瞳を持つ、針野(ib3728)。
「‥‥嫌な予感がするな」
 針野に続き、針野の恋人が口を開いた。左目に眼帯、鎧と剣とで武装した騎士。彼の名は、鉄龍(ib3794)。
「んっふふ〜、あたしはそう悪い予感しないけどね〜♪ むしろイイ男とお近づきになれて、結構ラッキー? かしらぁ」吟遊詩人のエルフ、彼の名はハシ(ib7320)。
 四名の泰拳士に、二人の弓術師、そして騎士と吟遊詩人が一人づつ。この開拓者たちが、あのアヤカシに立ち向かってくれる。
 そう思うと、図羽は頼もしかった。恐怖を覚えることなく、勇気が湧いてくるのを知るのだった。

「ふむふむ‥‥船ってこんだけ人使うんか。じゃあ、動かすだけでもかなりかかりそうやな」
「ええ、陸路に比べて『船』は、一度に多くを輸送できますが、船員の給料・食糧・水、遭難の危険性などを考えると、時に輸送費が必要以上にかかる事もあるのです」
 図羽の言葉に、湊は熱心に聞き入っていた。商人を目指す彼女に、図羽は惜しげもなく色々と教えてくれている。
「将来商いで身を立てたいとお考えなら、『輸送』も重視される事をおすすめします。商人にとって、お客と商品、取引先、そして資金が重要ですが‥‥それらを行き来する手段もまた重要です」
「せやな。下手にケチったら、運べるもんも運べへんしなあ。いや、勉強になるわ、おおきに!」
 湊と入れ替わるように、図羽に語りかける者が一人。
「ところで図羽ちゃん、あたしもいくつか聞いてもいいかしらぁ〜?」
「な、なんでしょう?」
 図羽に、ハシは語りかける。
「ん〜、芽傘商店の品って、新品だけ? 古物なんかもあつかうのかしら?」
「え、ええ。現在は新品ですが、今後は古物も考えております。他に何か?」
「もう一つ。例の『女性』だけど‥‥」ハシの声が低くなった。
「今でも、同じのが憑いてるの?」
「いえ、戻ってからは水辺に立っても、出てはきません。これは自分の勘ですが‥‥あれは、あの現場とその周辺にのみ現れるのではないかと。でなければ、私の住居付近にも出てくるはずですからね」
 ならば、そやつを討ち取ってみせよう。
 少し離れた場所からその会話を聞いていた鉄龍は、己の武器の柄に手を添え、静かに待った。戦いの時が来るのを。

 座礁した船は、変わらず横倒しになっている。船から見たところ、変わった様子はない。
「鳥に襲われたのは、ちょうどこのあたりかいナ?」
 船上より、梢は座礁した船へと視線を向けつつ聞いた。
「はい。海岸から見た限りですが、ちょうどこのあたりだと思われます」
 図羽の言葉にうなずきつつ、梢は周囲の地形を確認する。周辺はなだらかな砂浜。隠れる場所は見当たらない。ちょうど昼ごろに到着したため、明るいうちに周囲が見て取れた。
 ふと見ると、南側に陸地の奥から小さな川が流れているのを発見した。どうやら、陸地の奥の方から海へと注ぎ込んでいるようだ。
「‥‥にしても、その鳥ヤローは今んとこ来ねえようだな。件の女アヤカシも、さすがにこっからじゃあ見えねえか」
 梢の隣にいた統真が、浜を睨みつける。が、彼の言葉通り、海にも、陸にも、アヤカシはおろか生き物の姿は全く見当たらなかった。動くのは水面の波と空の雲。
「‥‥?」
 絵梨乃が、空を仰ぎ‥‥『それ』を見つけた。
『それ』は、大きく翼を広げ、大空から獲物を狙っている。明らかにその動きは、急降下して空から襲い掛かる直前の行動。
 その『鳥』は‥‥海に浮かぶ哀れな獲物を発見すると‥‥襲撃した!
「‥‥海鳥も大変ね。空から魚を取らなきゃならないなんて」
 その様子を、絵梨乃は一瞥し‥‥海岸へと視線を向けた。

 船は、座礁船まで可能な限り接近したが、それでも海岸まではかなりの距離。そして、まだ日は高い。
「‥‥アヤカシめ、まだ来ないか」鉄龍がうめき、うらめしそうに空をにらむ。
 現れないものかとしばらく待つが、物事がそう期待通りにはならない事を開拓者たちは身をもって知った。
「ふぁ〜。あの海鳥さんたちは、呑気そうで良いにゃんすねー」
 くぁ‥‥と、大きな欠伸をしつつ、にとろは眠たげなまなざしを空へと向けた。彼女の言うとおり、青空には数羽の海鳥が、空に円を描くようにして飛んでいる。
「ん〜、ちょっとあの海鳥、大き目でにゃんすー」
 もしや、あれがアヤカシ?
「‥‥なわけないにゃんすー」
 と、呑気した言葉とともに、もういちど大欠伸。
「‥‥?」
「‥‥!」
 だが、にとろは感じた。鉄龍と、針野とがいきなり、周囲の空気を尖らせるような気配を放ったのを。
 視線を上に向けると、先刻の海鳥が墜落していた。
 そして、墜落する海鳥を、邪悪な輪郭の何かが空中で捕まえ、喰らう様子がはっきりと見て取れた。

「アヤカシだ!」
「皆! 船に隠れろ!」
 統真が叫び、鉄龍が言い放つ。
 非戦闘員である船員たちを船内へと逃がすと、開拓者たち八名はそれぞれ戦闘態勢をとった。
 間違いない、怪鳥‥‥。大空を飛び回る、鳥のアヤカシ。けたたましい鳴き声とともに強襲した二羽へと、弓を携えた開拓者‥‥針野と湊とが迎撃に進み出る。
 鳴弦の弓を引き絞る針野。重藤弓の狙いを定める湊。
 二人に向けて、鋭い嘴と爪とが、大空から舞い降りる。数は‥‥十前後か。ねじくれた悪夢が、青き空に膿まれたかのように、船へと強襲した。
 が、そいつらの嘴が開拓者を襲う前に、二人の弓術師による掃射がアヤカシを襲った。
「‥‥よっしゃ! 命中や!」
「わしも、命中したっさー!」
 二羽の翼に矢がそれぞれ突き刺さり、海中へと沈む。が、残り五羽が広がると、別方向から甲板へと迫り来た。
「うおっ!?」
 そのアヤカシの変則的な軌道に、針野は少しばかり驚いた。が、すぐに矢をつがえ、その驚きをかき消す。
「鉄龍さん‥‥甲板に落とすんよ! 後は、頼むっさー!」
 後方に控えた恋人へ、叫ぶように彼女は言い放ち‥‥同時に鳴弦の弓より矢を放つ。
 矢は二羽に命中、飛行能力を失った怪鳥はそのまま、一羽は会場に、一羽は船上の甲板にその醜い身体を転がした。
「とっとと‥‥落ちやーっ!」
 湊の言葉の力を受けたかのように、重藤弓から放たれた矢もまた‥‥一羽を仕留め、一羽を甲板へと叩き落した。
 が、空から引きずり落としたとはいえ、まだそいつらは健在。さらに、もう一羽がいる。
 甲板に落ちた一羽、そいつは甲板上の一人を食いちぎらんと、立ち上がって突撃した。
「‥‥『転反功』!」
 身体をひねって、怪鳥の一撃をかわした絵梨乃は、同時に体を回転させ、片足を怪鳥へと蹴り出した。
 天馬もかくやの一撃が、怪鳥の体に強烈な痛手をくらわす。ぼきりという骨が折れるような音とともに、悔しげな怪鳥の断末魔が響き渡った。
「‥‥!」
 もう一羽に、にとろの飛空下駄が襲い掛かる。転がったそいつに、にとろの正拳突が決まり
「‥‥にゃんすー」
 ‥‥二羽目の怪鳥も沈黙し、霧散した。
「‥‥『竜巻』」
 そして、低空で襲い掛からんとする怪鳥へは、梢の旋棍「竜巻」が放つ風の一撃が直撃する。文字通りきりきり舞いした怪鳥へと、刀剣を構えた鉄龍が襲い掛かった。
「はーっ!」
 刃の一閃と、その手ごたえで、彼は実感した。三体目のアヤカシも、無に帰したと。
 残りのアヤカシを葬り去るのも、時間の問題だった。図羽はそれを見て、感心し‥‥感銘をうけていた。
「‥‥さすがは、開拓者だ」

「よし、それでは運び出しましょう」
 数名の船員。そして開拓者の半数は、座礁した船から荷物を運び出す作業を開始した。
 五羽の怪鳥を仕留めた開拓者たちだが、それ以後は出てこない。何より一番危険視していた、『水辺の女』が未だ現れない事を危ぶんでいた。
 しかし、このままここに停泊し続けるわけにもいかない。船上で夜を過ごし、夜が明けた現在。できるうちにやる事をやっておこうと、荷物の運び出しを始めたのだ。
 船をその場に固定し、小船を繰り出して海岸へ上陸。そこから座礁船へ入り、中身を小船に乗せ、運び出す。船員も、そして開拓者たちも働きづめで疲れはしたが、何事もなく作業は進んでいった。
「う〜ん、回収始めちゃったけど、アヤカシは大丈夫なのかしら」
 ハルが疑問を口にした。倒した怪鳥が全てなのか、彼にとってははなはだ疑問。そして、彼の予想では、このままだとはなはだ危険。
 一応は、針野の鏡弦で探索し、何も見つからなかったのだが。しかし‥‥それでもなお、不安ではあった。
「‥‥本命は、まだかイナ」
 船に残って待機した梢は、一抹の不安を感じずにはいられなかった。
「‥‥ふぁ‥‥みんな、大丈夫にゃんすー?」 
 仲間へと、にとろは欠伸しつつ思った。

「ん?」
 怪異の気配を感じ取った統真は、脇にいた鉄龍へと視線を向けた。彼もまた、その気配を実在のものとして受け止め、うなずく。
 海岸の、波打ち際。そこに、いつの間にやら彼女が「立っていた」。
「?」
 その様子は、まるでずっと前からそこに立っていて当たり前で、むしろそれに気づかない方がどうかしているような、そんな印象。
 それは、静かにうつむき、そして‥‥攻撃してきた。静かな攻撃を。
「みんな、下がりやー! 図羽さん、これが‥‥?」針野が、警戒しつつ問いかける。
「はい、自分が見たのも、これでした!」
 が、そいつの攻撃に皆は表情を変えていた。
 とろんとした目つきで、船員の数名が攻撃を受けて術にかかっていた。それらの中に、開拓者も交じっている。
 魅入られたかのように、鉄龍と統真とが、じっと「彼女」を見つめていたのだ。

 が、魅了はすぐに終わった。
「感謝しぃ! その牙落としてもっと美人さんにしたらるわ!」
 湊が放った矢が、その女性がかけていた術をといたのだ。だが、矢は全て弾かれていた。
 否、それだけでなく‥‥明らかに「彼女」は怒っていた。湊を見て、そして近くの針野や絵梨乃をも認めると、顔が怒りのそれにかわっていった。
 まるで悪意ある何者かにより、顔を歪められたかのよう。そしてその顔こそが、彼女の本性であるかのよう。
 が、向けられた怒りは、統真と鉄龍によって阻まれた。
「野郎!」
「貴様、すぐに引導を渡してくれる!」

 自らに紅焔桜と苦心石灰を付加したため、もう魅了など効かない、かからない。だが、統真は少しでも敵の術中に乗りかけた己を恥じた。
 鉄龍も同じだった。自分には最愛の女性がいるのに、彼女を差し置き魅了されかけた自身に怒り、魅了しかけた存在へと怒っていた。
「はーっ!」
 降魔刀で切りかかる鉄龍。
「喰らいなっ! たーっ!」
 同じく、拳をふるう統真。敵である、彼女‥‥すなわち、アヤカシ・川姫へと拳をめり込ませると、統真はそこから感じ取った。そいつが、人であり守るべき女性ではなく、女性の姿を模した、己が狩るべきアヤカシであることを。
「あらあら‥‥必要なかったかしら?」
「霊鎧の歌」を唱えたハシだったが、その必要は無かったかと、二人の戦いを見て思った。
 鉄龍が、そいつの脚に切り付けた。剣の刃より伝わる感触は、まぎれもない実感そのもの。こいつ自身が幻覚かと考えたが、こいつは実体があり、こいつ自身が犯人だ‥‥鉄龍は、それを確信した。
 そして、醜くゆがむその顔を見るだに、そいつこそがこの事件の犯人だと、依頼人の父を殺し、依頼人そのものに加害したものだと、その確信を与えてくれる。
「「とどめ!」」
 鉄龍と統真、二人の攻撃が同時に決まり‥‥そいつは果てた。

 最後の積荷を船に積み終え、後は出航の準備のみ。
 夕暮れになったものの、ここから離れられるとあって、皆きびきび動いていた。
 が、問題が一つ。
「俺はお前一筋だから! 浮気なんて絶対しないから!」
 鉄龍が、針野へと弁明を続けていたのだ。
「‥‥うん、まァ、アヤカシ相手だし、変な術にフラフラ〜っとするのは、仕方ないさねー」
「ああ、そうだろう? 見とれたのは確かだが、浮気じゃあない。事故みたいなもので仕方ない事だ」
「うん、仕方な‥‥くない! やっぱりダメなんよ‥‥鉄龍さん! もう、何やってるさァァァ!」
「ま、待て! 落ち着け! 俺は、その‥‥」
「あーあ、修羅場だナア」
 梢がその様子を、半ば呆れたような表情で見ていた。
「ま、俺もちっとばかしかかりそうになったからな。俺も人の事は言えねえな」
「だね、まったく、なにをやってんだか」統真の言葉に、絵梨乃は苦笑する。苦笑しつつ、図羽から送られた芋羊羹を一口齧った。
「ホント、男ってしょうがないわよねえ。まあ、そこが可愛いんだけど♪」と、男で乙女なエルフも修羅場を楽しんでいた。
「‥‥あふぅ、眠くなってきたにゃんすー」
 唯一、にとろのみがこの修羅場に無関心。我関せずとばかりに、襲ってきた眠気に従い、大欠伸。
「まあ、お二人ともその辺で」
 図羽が助け船を出し、二人の修羅場はようやく沈下した。
「それより鉄龍様、あなたの提案ですが‥‥仰るように致したいと思います」
「ああ。過去に何があったとしても父親は父親、恨みもあるだろうが、ちゃんと弔った方が報われるだろう」
 図羽へと、鉄龍は申し出ていた。この件が終わったら、父親を弔うようにと。事情はどうあれ、己の言葉が伝わった事を確信し、鉄龍は満足げにうなずいた。
「図羽はん、おおきに。水路使うた稼ぎ方、色々勉強できたわ」と、湊がそこへやってきた。
「何時かうちもでっかい船使うて、船いっぱいの品物を取り扱ってみたいもんやわ」
「ですが、私にはまた一つ、新たな問題ができてしまいました」嬉しそうに語る湊へ、図羽が空を仰ぐ。
「え? なんや、またアヤカシが?」
「いえ‥‥近い将来、元弓術師の優秀な商売敵が出てくると思うと、こちらもうかうかできない‥‥と思いましてね」
 おどけた口調で、湊へと図羽は言った。
 笑い声が、船上に響く。それを載せつつ‥‥船は家路へ向かっていった。