|
■オープニング本文 北面の西に、花を育てる村があった。 名を千代見村――菊花の名を冠したこの村は、災厄を乗り越え復興の道を歩み始めている。 ●重陽 北面は仁生にある七宝院邸。 「また文箱をご覧でござりましたか」 乳母の声に顔を上げた七宝院 絢子(iz0053)は微笑した。 手元の文箱には宝物が入っている。もうすっかり香りが飛んでしまってはいたけれど、元は愛らしい小菊だった花だ。 大切に、そっと文箱を閉じた絢子に、乳母の於竹は殊更さりげなく水を向けた。 「長月でござりまするな」 「ええ」 「今年も、菊の時期にござりまするが‥‥」 於竹の言葉を途中で遮り、絢子は「いいの」と首を振った。 二人の遣り取りは、菊の節句についてだ。 毎年この時期になると、絢子は着せ綿を取り寄せる。着せ綿を誂えているのは西北にある千代見村といい、菊の生産を生業にしている村だ。 しかし千代見村は昨年末にアヤカシに襲われて村人達が一時避難する事態になっていた。あれから数ヶ月経つが、復興の最中に例年通りの手間が掛かる着せ綿を発注するのは憚られて、絢子は今年は見送ろうと考えていた。 「今は村を立て直す方が大事ですもの。わたしの布団は来年誂えましょう」 この姫、身を拭う為の着せ綿を乾燥させて布団綿にしているのだ。当然必要な綿の量は身を拭う綿の比ではない。 絢子とて自分の道楽と人々の生活のどちらが大切かは十二分に理解していたから、今年の重陽は人並に執り行えばそれで充分だと考えていた。 代わりに見舞いの品など於竹に手配させて、一人になった絢子は再び文箱を開ける。そんな様子を猫又が見ていた。 ●猫又 北面を訪れたあなたが何気なく仁生の開拓者ギルドを訪れて見たのは、猫又がうろついている光景だった。 二尾の三毛がうろうろしている。毛並みの良い、世話の行き届いた猫又だ。胡乱な表情で見ている職員などお構いなしで、落ち着かない様子で開拓者に近付いては離れるを繰り返している。 (誰か探しているのかな) あなたがそんな事をふと考えた時――猫又と目が合った。 猫又は、あなたに近付くと尋ねた。 「御主は龍を連れておるか?」 「龍?」 「いや、龍でなくとも構わぬのだが、空を飛べる相棒を連れておるかと聞いておる」 あなたが頷くと、猫又は乗せてくれないかと頼んできた。 偶々立ち寄っただけだ、別に依頼遂行中じゃないし乗せるのは構わない。しかし何故乗りたいのだろう。 「行きたい場所があるのだ。千代見村という所まで連れて行って欲しい」 連れて行くのは構わないが、何か理由がありそうだ。 聞けばその猫又、ある家の居候なのだが、家主に千代見村の菊を届けてやりたいらしい。千代見村は仁生から北西に位置する村で、街道に魔の森は発生して久しい為、徒歩では半月もかかってしまう場所にある。生花を届けるには空輸が最も手っ取り早いが、猫又は飛べないので協力者を探しているそうだ。 「何名かに声を掛けている。頼めようか」 あなたが快諾すると、猫又――ちくわは嬉しそうな表情を浮かべたのだった。 |
■参加者一覧
崔(ia0015)
24歳・男・泰
礼野 真夢紀(ia1144)
10歳・女・巫
明王院 千覚(ib0351)
17歳・女・巫
刃兼(ib7876)
18歳・男・サ
御簾丸 鎬葵(ib9142)
18歳・女・志
マルセール(ib9563)
17歳・女・志
戸隠 菫(ib9794)
19歳・女・武
緋乃宮 白月(ib9855)
15歳・男・泰 |
■リプレイ本文 ●魔の森を越えて 仁生から西北へ空の旅。 猫又の頼み事を聞いた開拓者達は、その朋友たる龍に騎乗し千代見村を目指していた。 その数八頭――先導するは刃兼(ib7876)が騎乗する駿龍のトモエマルだ。彼らは一度千代見村を訪れた事があった。 (あの時、救援に向かった村か‥‥) 晩秋のあの日を、刃兼は思い出す。覚えている、あの時の避難誘導を。村を残して逃げねばならなかった村人達の悲痛な心を。 「刃兼はんとトモエマルはんは行った事がありんすなァ」 膝でちんまり座っている白足袋黒毛の猫又の声に、ふと我に返った。そうだよと刃兼は猫又のキクイチへ顔を向けて言った。 「復興中だとか。畑の菊や大菊が観られるといいな」 「わっちの名前と同じでありんすな!」 そう、菊市と書いてキクイチというのが彼の名だ。キクイチは華やいだ声で喜んだ。 懐に迅鷹の月光を納めて、崔(ia0015)は駿龍を駆る。駿龍の夜行は戦闘時の姿からは考えられないほどゆったりと、主を乗せて空をゆく。 「月光、お前が飛ぶと周りが危ねえから大人しく懐にな?」 崔が懐の迅鷹に話しかければ、何やら反抗的な反応が。何事かと夜行が軽く頚を巡らせ振り返った先では懐と戦っている崔がいる。 「‥‥って、夜行独り占めする訳じゃねえから妬くな!」 月光の焼餅に崔が巻き込まれるのは珍しい事ではない。夜行は慣れた様子で視線を元に戻した。 夜行の前をゆく駿龍テバサキ。その手綱を握るマルセール(ib9563)の腕の中で、ちくわはのんびり空の旅を楽しんでいる。 「御主の朋は手羽先と言うのか‥‥美味そうだな」 「竹輪も美味しそうだぞ。それにふわふわもふもふして‥‥」 ちくわが暢気な事を言ったものだから、彼女は淡く微笑んだ。 腕に収まる小柄な身体は柔らかな毛に包まれていて何とも心地良い。幼猫から脱した頃合の少年猫又の言葉遣いも、どこか背伸びしているように感じられて微笑ましい。 村へ降りたら撫でてみたいな。このままきゅっと抱き締めてみたい―― 「‥‥もとい、主のためとはいえ、感心だな」 「そうであろう」 えっへんと腕の中で心なし猫背が伸びた感のあるちくわの様子が面白く、微笑したマルセールはテバサキ越しに見える下界を見下ろした。 (初めて行く村だが‥‥手掛かりになる情報があればいいが) 罪を着せられ行方不明の師。絶対に罪人などではないと彼女は信じていたし、消息とその無実を晴らす為の情報を欲してもいた。 (どこにおられる‥‥我が師) 「どうした、マルセール?」 翳りを見せたマルセールの表情を、ちくわが見上げている。茶色い鼻先を指先で触れて、彼女は手綱を握り締めた。 「しっかり捕まっていろ、もうすぐ千代見村だ」 「お? おお? おー! 菊! 菊でありんすー!」 前方でキクイチの叫び声が上がった。マルセールの手綱に応じたテバサキが滑空を始め――程なく、空をゆく八頭の龍達は千代見村へと降り立った。 村民達を驚かせぬよう、ひとまず村外れに着陸した開拓者達は相棒達を待機させた。 「空閃、お疲れ様」 優しく撫でながら労いの言葉を掛ける緋乃宮 白月(ib9855)の声に、駿龍の空閃も穏やかな鳴き声で応える。 「鈴麗もお疲れ様」 心尽くしの御馳走が詰まった重箱や村の子達へのお土産を下ろして駿龍を労った礼野 真夢紀(ia1144)の懐から仔猫又の小雪が顔を覗かせて言った。 「おじちゃん、どこ?」 「我はまだ若いと言うに‥‥」 仔猫又に掛かっては小父さん扱いになってしまうちくわが、マルセールの腕の中でがっくりと脱力している。甲龍のたまから下ろした荷を纏めて抱えた明王院 千覚(ib0351)が困った風に微笑んで言った。 「ちくわさんは、お兄さん、でしょうか?」 どうだろうねと言うかのように忍犬のぽちが千覚の足元で千切れんばかりに尻尾を振っている。 「お弁当を作って貰ったから、あたしはお茶菓子を用意したよ」 甲龍の鞍馬の背から、戸隠 菫(ib9794)が傾けないよう注意して下ろした荷は茶菓子のようだ。少女達の瞳が輝いたのを茶目っ気たっぷりに制して、あとのお楽しみだと笑う。 「お師匠さんがよく作ってくれたんだ」 自慢の直伝だよと期待を高める菫達の様子を微笑ましげに見ていた御簾丸 鎬葵(ib9142)は、その視線を村の東へと向けた。 (街道を使えぬのは村にとっても痛手でありましょう‥‥) 往路で上空を抜けて来た魔の森を東に見遣り、鎬葵は瞳を伏せた。此度のアヤカシ然り、騒乱に翻弄されるのはいつだって戦う術を持たぬ市井の民だ。 (ささやかに、日々を険しく生きる者達の為にも、いつか街道を遮る魔の森も祓う事ができれば良いのですが‥‥) 沈痛な面持ちを察したか、駿龍の羽芭貴がそっと鎬葵に鼻面を寄せた。いつか共に祓おうと羽芭貴が言っているかのように感じられて、鎬葵は心強く思う。 朋友、己と生死を共にする相棒。 「村への挨拶が済むまで待ってくれな」 夜行に待機を命じ、置いてけと懐で騒ぐ月光を宥めながら崔は仲間達と村へ入り、七宝院家居候の猫又の誘いで来た事を村人達に伝えた。 先に絢子からの見舞いが届いていた事もあって村人達は姫に直接礼が言えないのを残念がったけれど、姫の代理が来られたと喜んで彼らを迎え入れてくれたのだった。 ●復興の村 千代見村の東側に位置する魔の森が活性化したのは一年ほど前の事だ。 村人達は避難を余儀なくされ、その後の千代見村は仁生から派遣された志士隊が警備に当たっていた。村人達の避難命令が解除されたのは今年も半ば、夏に差し掛かった頃。 例年であれば株が育っているはずの畑は手付かずのままで、村人達は生活環境の復旧に追われていた。 「例年通りの収穫は見込めないと聞いていたが‥‥」 手伝える事は沢山ありそうだ。畑仕事を後回しにせざるを得ない現状を把握した刃兼が、村人に手伝いを申し出た。一緒に見回っていた鎬葵も言い添える。 「女の身ではありますが、これでも志体持ち。力仕事もどうぞお任せください」 「これはありがたいことです。年寄りが多く手が回っておらん家もございます。どうかよろしくお願いします」 刃兼と鎬葵の申し出を、村人達は大層喜んだ。 千代見村は五十戸ほどの集落なのだが、村人の平均年齢は比較的高めだ。中には老夫婦や独居の者もいるから、そうした家ではなかなか片付けがはかどらないとか。 村人達の頼みを快く受け入れて、鎬葵達は家々を回り始めた。 「じゃ、私は探し物をして来るね! 行こう鞍馬!」 菫は鞍馬を駆って空へ。探し物とは何だろう。 村周辺をぐるぐる探索している菫と鞍馬とは別に、村内の空域を迅鷹の黒陽に探索させていた白月が、黒陽を呼び戻した。 「どう? 黒陽、何か有りそうかな?」 再び空へ腕を差し伸べれば、黒陽は再び羽ばたき白月を導くかのように旋回した。 「うん、そっちだね」 手伝いを要する場所へ、黒陽に案内して貰う白月が駆けてゆくと、白い前髪と猫尻尾がぴょこぴょこ揺れる。 思わず尻尾を追いかけたくなったちくわは小雪と一緒に鼠取り。 「小雪よ‥‥お前は鼠を取るのか?」 「おじちゃんは、ねずみたいじしないの?」 「‥‥‥‥」 鼠取り云々以前に、小雪の前では小父さん扱いなのが未だにショックなようで。 がっくり項垂れて小雪の後に従ってゆく。そんな様子での狩りだから、ちくわの成果は言わずもがなだ。 「小雪すごいね、頑張ったね」 「ねずみたいじ、かんたん」 各家々から鼠を追い出し、意気揚々と真夢紀に獲物を見せた小雪は、小さいながらも立派な働き手だ。 村内の木陰に夜行を繋ぎ直して月光を懐から開放してやり。崔は破損品を片しながら村全体を観察していた。 警備されていたとはいえ、一時は戦場になった場所だ。初めて来た時のような華やかさは、ない。 (もう二年近くになるか‥‥) 龍搭乗訓練を兼ねて千代見村まで行って来いとのギルドのお触れで、夜行を伴い菊を見に来たのだったか。 あの時、空から見た金色の光景は――今は、ない。 今年は畑での小菊栽培は間に合わなかったようだ。広大な畑は寂しい事この上なかったが、避難の際に持ち出せた株を大事に育てているのだろう、村のあちこちで明るい色の花が見え隠れしている。 (来年は‥‥見られるよな) 地上に金色が広がる光景を――崔は瓦礫を運ぶ途中で立ち止まると、村人相手に何やら話し始めた。 働ける者達が働いている間、まだ力仕事をするには危ない子供達はお留守番だ。 いつもなら年長者が年少者の面倒を見るのだが、今日は開拓者のお姉さん達が相手をしてくれる。 「お留守番やお手伝いを頑張ってる子達へ、ご褒美ですよ」 屈んで掌を広げてみせた千覚に、子供達の歓声が上がった。 千覚の手には、子供達の人数分に割って分けた正飴が乗っている。大人達へ混じって働いている少し年長の子達の分もきちんと用意してあった。 子供達の無邪気な笑顔に思わず口元を綻ばせた千覚は、他にもあるのですよと荷から玩具を取り出した。 「はい、うさぎさんが出てきましたよ」 「それ良いですよね。あたしも‥‥くまさんにりゅうさん、球もありますよ〜」 千覚と真夢紀は、荷から玩具を取り出して村の子達へと配って行った。 絢子が見舞いの手配をしていると聞いてはいるけれど、それは村全体への見舞いだと思うから。自分達でできる援助をしたいと思う。 「これからも、一杯お手伝いをして、その後みんなで仲良く遊ぶんですよ」 「「「はぁい!」」」 穏やかな千覚の声に、子供達の声が重なった。 ●秋の味 御馳走を最もよく知るのは食いしん坊かもしれない。今日も真夢紀の心尽くしはとても見事なものだった。 「ご飯やおやつは皆で食べるのが美味しいのです」 そう言って真夢紀が開いた包みの中には重箱がいくつかと果物類。村人達へのお裾分けもだが果物は鈴麗が好物なのもあって沢山用意してある。 箸を使わずとも食べやすいように握り飯にした栗御飯、煮物は里芋と烏賊、秋刀魚の蒲焼に、酢醤油を絡めた南瓜や茄子の素揚げ――いずれも季節を感じる料理揃いだ。 お腹をすかせたマルセールがピリッと辛めの馬鈴薯を口に入れ、ご飯が進むとおむすびをひとつ手に取った。 「うん、美味い!」 「ほんと、美味しいよ! こんなに沢山、作るの大変だったでしょう? ありがとう!」 料理の心得があるからこそ解るのだ。これらを用意するのにどれだけの手間が掛かったか。だから菫は手放しで称賛する。 「これも美味しいです。こんな美味しいお弁当を用意してくれて、礼野さんありがとうございます」 牛肉と茸の甘辛煮を小皿に取った白月が笑顔で礼を言うと、黒陽が自分にも寄越せと言うように白月をせっついた。 「黒陽は秋刀魚かな? お弁当美味しいね」 秋刀魚の蒲焼を分けて貰ってご満悦の黒陽を見て、わっちもと刃兼にねだるキクイチ、そこから伝染してちくわも食べてみたくなる。 「ねーねー、おじちゃんたち、さんまがいいの?」 「「おじちゃん‥‥」」 仔猫又の小雪はまだ柔らかめの食事が良いらしい。竈を借りて柔く煮た、玉子とじのおじやを真夢紀に冷ましてもらって、どんよりする雄猫又達を他所に少しずつ食べている。 「小雪も少し食べてみる?」 真夢紀は秋刀魚を細かくほぐしておじやに入れてやった。 食後は果物や甘味で腹休め。 葡萄に梨にお煎餅、そして師匠直伝・菫の茶菓子。 「じゃーん。お待たせ!」 栗の季節だものねと言って開けた笹包みの中身は、茶巾絞り。丁寧に裏漉しされた栗の淡黄が愛らしい形になって並んでいる。 お湯を貰って淹れた緑茶から太陽の恵みを思わせる香りが立ち上った。桜茶もあるからねと、一同へ好みの茶を淹れ分けてゆく。 ほわ、と白月の顔がほころんだ。 「美味しいです」 「お師匠さん直伝だもの、間違いなく美味しいはずだけど‥‥やっぱり美味しそうに食べてくれるのは嬉しくなるね」 「ですよね」 食べ手に喜んで貰えるのは作り手冥利に尽きる事。 笑顔を交し合う菫と真夢紀に、何か簡単な料理を教えてもらえないかとマルセールは遠慮がちに尋ねてみた。 「料理や裁縫は‥‥ほぼやったことがないから‥‥私にもできそうなものがあれば、だけど」 「茶巾絞り、教えようか?」 「難しくはないか?」 「だーいじょうぶ! 手を抜かなければ誰でも作れるよ! あとは秘伝の調合が‥‥」 むにゃむにゃと思わせ振りな分量を伝授をする菫と目を見開くマルセール。菫に新たな弟子が出来た――かもしれない。 充分に鋭気を養った一同は、それぞれ午後の行動を始めるべく活動を再開した。 ●届けたいもの 村の子供達が投げる球を、ぽちが追う。 午前中に粗方の片付けを終えた開拓者達は、午後をそれぞれ思い思いに過ごしていた。 高齢者の家々を回り、屋根などの修理を請け負う白月と刃兼。黒陽が目となり異常がないかを確かめる。キクイチやちくわが道具を運んで刃兼や鎬葵が修繕する。 屋根葺きをしている刃兼の許へ、キクイチが材料を運んできた。 「後で、近くで見せてもらおうな」 刃兼が言わんとしているのは咲き初めの菊鑑賞だ。嬉しそうに二又の尻尾を揺らして、キクイチは懐かしむように言った。 「名前をもらった時、わっちはまだちゃんと言葉を話せなくてなァ‥‥」 「市場の菊が綺麗だから、菊市。出かけた先で、兄貴が思いついたんだよな」 とんとん。板を打ちつけながら刃兼は思い出す。往路で話したキクイチの名の由来。刃兼にとっても懐かしい思い出だ。 菊市。本猫又も刃兼も、とても、とても気に入った名前。 「懐かしいな‥‥あの頃より、少しは剣の腕が上がってるといいんだけどな」 とんとん。雨漏りを塞いで刃兼は呟いた。 父と兄四人の男所帯で彼はずっと末っ子だったから、故郷ではいつだって先達を追う立場だった。今は開拓者として己の剣を磨いているが、父兄達に恥じぬ剣を修めているだろうかと自己に問う。 兄との思い出、キクイチとの出逢い。こうして思い出せるのも、千代見村を護ったからこそ――護れて良かった、そう思う。 キクイチは暖かな屋根の上で伸びをした。思い出すのは刃兼と出逢った時の事。 「感謝の気持ちでいっぱいだったでありんす」 空腹で行き倒れていた自分を拾ってくれた刃兼、兄者の命名で良い名を授けてくれた刃兼。 「ほんに懐かしい‥‥けども今も変わってないでありんすよ?」 「‥‥ん?」 助けて貰った感謝、共にあれる感謝。楽しく幸せな暮らしへの感謝。 今までも、これからもきっと変わらない。キクイチは言葉の代わりに甘えるように刃兼へ頭をすり寄せた。 テバサキの水浴びを終えて川から戻って来たマルセールに、畑から千覚達が手を振った。例年の規模ではないにしろ少しの菊畑は作ってあって、それらが咲くのは真冬になるだろうとの事だ。 首が重くなるだろう菊の為に支柱を立ててやりながら、真夢紀は食用菊の加工はどうなっているのかと尋ねた。 「食用菊? 食べられる菊があるのか」 マルセールの興味が食用菊に向くと、村人は笑って御浸しにしたりするんですよと説明した。食用菊ほか畑で広く栽培する菊の多くは隣村の土地を借りて栽培したらしい。来年は此処で御馳走して差し上げますよと村人は言った。 抗う力は持たぬ、だが人は逞しい。 菊を眺めていた鎬葵は会話を耳にして、そう思った。嵐に翻弄されようとも立ち上がり生き続ける。彼らの希望が潰えぬように、己が志を果たしたいと思う。 ――と、腕に抱えていたちくわが突然くしゃみした。 「済まぬ、少し近付き過ぎたようだ」 「ちくわ殿、主殿に差し上げる菊はお決まりで?」 そっと抱きかかえ直して、鎬葵はちくわに問うてみた。無理強いして聞きはしない、もしよければ千代見村まで来なければならなかった理由を教えてはくれまいかと。 「絢子は、この村と開拓者が好きなのだ」 ちくわは言った。 元々、絢子にとって千代見村は重陽の菊を買い付ける村でしかなかったのだ。しかし、村の東に魔の森が発生した事から開拓者に品の移送を依頼したのを切っ掛けに、産地と客の関係が少しずつ変わって来たらしい。 「我も詳しくは知らぬのだが‥‥依頼を請けた開拓者が心を砕いてくれたらしゅうてな」 開拓者を通して、千代見村は絢子にとって近しいものになっていったのだと、ちくわは話した。 絢子の通称は翳姫。かすみひめと称する名の通り、屋敷に引き籠もった正真正銘の深窓の姫だ。欲すれば財を用いて取り寄せるだけ、人前に出る事もなく乳母を相手に暇を持て余していた翳姫が、初めて外への興味を示したのは開拓者達の心遣いがあってこそ。 「殊に、ある文と花を大切にしておるのを見てな‥‥」 既に香りも飛んでしまった菊の花。絢子が何故それを後生大事に持っているのか、ちくわには解らない。だけどその菊が千代見村のものだという事だけは判っていた。だから彼は千代見村へ来たかったのだ。絢子に菊花を届ける為に。 トモエマルの背を滑り台にして遊んでいたキクイチがころんと落ちた。首根っこを咥えて背中に上げてやるトモエマルとキクイチとの関係が微笑ましい。 月光と夜行の蜜月を邪魔しないようにと、崔は朋友達と離れて作業を手伝いながら村人に今年の着せ綿がまだ残っていないかと尋ねた。 「重陽用の普通の着せ綿ならありますが‥‥」 所謂、縁起物の着せ綿だ。菊に真綿を被せて朝露を含ませたものであり、それで身を拭うと寿命が延びると伝えられている。 湿り気を含むそれを少し分けて貰って、崔は夜行達の傍で作業を開始した。 まずは着せ綿を軽く伸ばして水分を飛ばす。その間に持参のお手玉に穴を開けて中身を取り出すと、乾いた着せ綿を代わりに詰め込んだ。 「崔、何をしておるのだ?」 寄ってきたちくわが不思議そうに眺めている。男の針仕事を興味津々眺める猫又に、崔は目当てのものは手に入ったかと問うた。 「ああ、一輪分けて貰える。御主達のおかげだ」 ちくわは千代見村の菊を生花で絢子に届けたかったようだ。崔は犬歯で糸を切って、完成したもののひとつをちくわの首に付けた。 「おや? 我にくれるのか?」 「此処に来る機会くれた礼って事で」 そう言って、首に付けた以外のものを二つちくわに見せる。崔の掌に乗っているのはお手玉大の香り袋だ。 「流石に布団大って訳にゃいかねえが、こっちは姫サンと乳母やサンに」 「礼を言うのは我の方だと言うに‥‥」 崔との付き合いも長くなってきた猫又は目を細めて喉を鳴らした。ありがとう、と。 ●届いたもの その後、ちくわは菊花一輪と香り袋、文一通に開拓者達との思い出話を持って仁生の七宝院邸へと帰った。 一日姿を消していた猫又に事情を聞いた絢子は、乳母にギルドへの依頼を手配させる。それだけの働きを、猫又に付き合った開拓者達はしてくれていた。 ちくわに同行した開拓者からの文には、千代見村近辺の様子が記されていた。 「ガンピ、というの? 群生地が見つかったそうよ」 「紙の原料でござりまするな」 文には――菫が絢子に知らせたのは、雁皮の群生地が見つかった事と、生花以外に千代見村らしい特産品を作り生計を立てられないかという提案だった。 そのために菫は一日を費やして千代見村の周辺で特産品に加工しうる材料を鞍馬と共に探していたのだった。 「於竹、紙漉きには何が要るの」 「さようでござりまするな‥‥」 材料に道具、そして技術。 村人達次第だが、彼らが望むなら新たな特産品への援助を惜しむまい。 千代見村側の意向を問うべく於竹に使いを出させて、絢子は縫い目の不揃いな香り袋を両手に包み込んだ。 掌を通して菊露綿の柔らかさが伝わってくる。優しさを内包した香りは、布団にも負けぬほど絢子の心を温めていた。 |