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■オープニング本文 暑さが和らいで虫の鳴き声が聞こえ出す頃、空は美しく澄み渡る。 人々は月を愛で、満つ月に豊饒を願い、月の世界へ想いを馳せる―― ●神楽の街で 精霊門を通って出た先は、東房とは雰囲気の異なる街だった。 見慣れぬ風景に息を呑んだ静波(iz0271)だが、師の言いつけ通りに一夜の宿を借りると朝を待ち、日の出と共に行動を開始する。 「ここが神楽の街なんですね! ‥‥あ、お遣い済ませておかなくちゃ!」 早々に観光気分に陥りかけたのを慌てて糺し、静波は水稲院から預かった包みを大事に抱え直した。行き先は天儀天輪宗系寺院だ。懐から覚書の紙片を取り出して行き先を確認すると、彼女は元気に歩き始めた。 それから数刻後。 午前中に無事遣いを無事済ませて、静波は神楽観光を楽しんでいた。気侭に街を歩き、昼食を済ませ、店々を冷やかして歩き、それから―― 「開拓者ギルドへ行ってみましょうか」 静波とて武僧、延石寺尼僧であると同時に開拓者ギルドの一員。折角の神楽訪問だ、挨拶くらいはして行こう。 通りを行き交う人々に道を尋ねつつ静波が開拓者ギルドへ辿り着いてみると、職員らしき女の子が笑顔で迎えてくれた。 「こんにちはですよ〜 初めてのお客さんですね? それとも開拓者さんでしょーか?」 「あ、と、はい! 私は武僧の静波って言います!」 お仕事をお探しですねと案内を始めた梨佳(iz0052)を、静波は慌てて挨拶に来ただけだと引き止めた。梨佳は一瞬きょとんとして、次に満面の笑顔を浮かべて、言った。 「お仕事じゃないんですね! じゃ、お月見しませんか?」 そう言えば今日は仲秋だ。ギルド内にはささやかながら観月の誂えが施されている。 何故か自慢げに胸を張った梨佳が、満面の笑みを浮かべて言った。 「あたしもお仕事が終わったら七々夜とお月見するです。あ、七々夜小っちゃいもふらさまなんですよ〜」 「わぁ、梨佳さんのもふらさま?」 「はいです♪ 家で待ってるですよ〜」 初めは梨佳の勢いに飲まれていた静波も、すっかり馴染んで来たようで、仲良く毛動物の可愛らしさについてなど話し合っている。 精霊門が開くのは夜、それまでは自由に過ごせるから、静波は梨佳の誘いに応じて神楽の観月を楽しんで行く事にした。 ●居場所 毎年、観月の時期になると何処の餅屋も大忙しになる。言わずもがな、月見団子の需要である。 普段は夫婦二人で切り盛りしている兎月庵も同様で、こうした繁忙期には開拓者ギルドを通じて手伝いを募るのが常になっていた。 兎月庵の厨房で、吾庸(iz0205)は黙々と働いていた。 蒸し上がった生地が入った蒸篭を運んで成形担当の者に届ける。汚れ物が出れば洗う。接客の担当箇所もあったけれど、無愛想な自分には厨房の作業が性に合っていると思う。 「吾庸さんは、今年もお里へは帰らなかったのね」 女将のお葛に話しかけられ、吾庸は頷いた。 吾庸は隠れ里出身の出稼ぎ開拓者だ。神威族にとって観月は特別な意味を持つのだが、今年も彼は仕送りと一緒に供え菓子を里へ送って神楽に留まる選択をしたようだ。 小さく笑って、吾庸は言ったものだ。 「こうして此処で過ごすのも悪くない。最近そう思うようになった」 その頃、安田 源右衛門(iz0232)は、当て所なく街を歩いていた。 平服である。浪志隊の隊服を四六時中好んで着るような趣味は彼にはなかったし、そもそも縛られるのは性に合わない。 (面倒な事になったものだな) 雇い主の家の娘に付き合って神楽へ出て来た一介の傭兵が、浪志隊の隊員を名乗る事になろうとは。 源右衛門にとって仕事は仕事だ。雇われ、働き、金を得る。 身分も名声も無意味なものだったから、浪志隊に所属するのも傭兵仕事の一環でしかなかったし、ただ淡々とこなすだけだった。だが、しがらみは彼とは無縁の所で次々と出来上がっている。 例えば隊の規律。彼にはどうでもいい窮屈な規律は、源右衛門を神楽へと縛り付けていた。 藍可に神楽へ召還されて以降、妻の許へも帰っていない。隊の規律とやらがあるらしいので迂闊に動くのも憚られるのだ。 せめて何か送ってやろうと、源右衛門は万商店の方向へ足を向けた。 (何か良いものが支給されると良いが) 足取りに迷いはない。知らぬ者が見れば全盲だとは思うはずもないほどに、彼の所作は常人と変わりなかった。 |
■参加者一覧 / 鈴梅雛(ia0116) / 水鏡 絵梨乃(ia0191) / 桔梗(ia0439) / 柚乃(ia0638) / 鷹来 雪(ia0736) / 深山 千草(ia0889) / 天宮 蓮華(ia0992) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 水鏡 雪彼(ia1207) / 弖志峰 直羽(ia1884) / フェルル=グライフ(ia4572) / 倉城 紬(ia5229) / 雲母(ia6295) / からす(ia6525) / 和奏(ia8807) / リエット・ネーヴ(ia8814) / 村雨 紫狼(ia9073) / ラヴィ・ダリエ(ia9738) / 千代田清顕(ia9802) / ジルベール・ダリエ(ia9952) / フラウ・ノート(ib0009) / フェンリエッタ(ib0018) / 御陰 桜(ib0271) / 明王院 千覚(ib0351) / 燕 一華(ib0718) / 无(ib1198) / 朱華(ib1944) / 白藤(ib2527) / リア・コーンウォール(ib2667) / 西光寺 百合(ib2997) / 寿々丸(ib3788) / 紅雅(ib4326) / 緋姫(ib4327) / 泡雪(ib6239) / 神座真紀(ib6579) / 神座早紀(ib6735) / 神座亜紀(ib6736) / 柊 梓(ib7071) / イーラ(ib7620) / ラビ(ib9134) / 音羽屋 烏水(ib9423) / ナシート(ib9534) / 月夜見 空尊(ib9671) / 秋葉 輝郷(ib9674) / 木葉 咲姫(ib9675) / 草薙 龍姫(ib9676) / 天野 灯瑠女(ib9678) / アミール・M・カーラ(ib9681) / 啼沢 籠女(ib9684) / 須賀 なだち(ib9686) / 須賀 廣峯(ib9687) / 仰深(ib9688) / 闇川 ミツハ(ib9693) / 稲杜・空狐(ib9736) / 逢坂 覡(ib9745) / 戸隠 菫(ib9794) / 久那彦(ib9799) / 至苑(ib9811) / 雁(ib9954) |
■リプレイ本文 ●壱 開拓者ギルドは年中無休の機関である。暇そうなのは梨佳くらいなもので、実際は連日訪れる依頼人と開拓者との仲立ちに職員達は忙しい。 喧騒の中、まったりと駄弁っている梨佳や静波の声は場に紛れて居はしたが―― (あら? 聞き覚えのある声が‥‥) ――既知の者の耳には止まったようだ。 武僧の戸隠 菫(ib9794)が振り返ると、そこには東房に居るはずの静波がにこにこと喋っている真っ最中で。 「静波ちゃん? こんな所で会えるなんてー!」 思わず抱き付いてしまったが、、意外な再会に静波も大喜びだ。お知り合いですかと笑顔の梨佳とも初対面の挨拶をして、菫は二人と約束を交わす。 「観月? それいいなあ、あたしも良いかな。栗きんとんを用意してくるから、後でね」 師匠直伝の栗きんとんは、菫にとって大切な菓子だ。東房の一件を終えたら新しい儀へ向かおうと思っている菫だけに、観月は天儀での良き思い出になりそうだ。 「梨佳ちゃん、ナニか面白そうなお仕事なぁい?」 いつもより遅めの時間に現れた御陰 桜(ib0271)の台詞はいつも通り。そのまま雑談に突入するのも常の事。 「桜さん、今日は遅かったですね〜」 「ちょっとねぇ、生活のりずむが変わってきてるのよねぇ‥‥」 何でも最近からくりを迎えたとか。身の回りの世話をしてくれるのは有難いのだが、毎朝きっちり起こしてくれるもので、とても規則正しい生活をしているのだそうな。 「ご飯がおいしくて食べ過ぎちゃうから修業の時間を増やすハメになって、桃がますます張り切るし‥‥」 「あ、何だか想像できるです〜」 生真面目な忍犬の姿を思い出して、梨佳はくすくす笑っている。 菫や桜と別れた二人は、ギルドを出て神楽の街へ繰り出した。 「開拓者の皆さんがお手伝いに行ってるです。静波さんも今度どーですか?」 一端の職員振って解説する梨佳に連れられて静波がやって来たのは、餅屋の兎月庵だ。なるほど、賑わいを見せる店先ではフラウ・ノート(ib0009)が手際よく客を捌いている。 「お待たせしてごめんなさいね♪ お茶でもどうぞ〜」 喫茶席の空きを待っている客へ茶を勧めていたかと思うと、迷子を見つけて肩車。子供の名を呼んで親を探せば程なく連れも見つかって。 「お姉ちゃんありがとう!」 「良かったね〜 また来てね♪」 親子を見送り喫茶席へ目を向ける。屋内では相棒がおおわらわだ。 「は、はい。畏まりました。少々お待ちくださいね」 緊張しつつも健気に頑張る倉城 紬(ia5229)、彼女にとってはこの仕事も異性に慣れる為の特訓を兼ねていたりする。 「お姉さん、勘定!」 「あ、はい。ただいま参ります」 返事に籠もった逡巡をフラウは見逃せず、ちょっとだけ手助けしてあげる事にした。 「お客様、こちらへどうぞ〜」 次は頑張ってねと紬へ目配せ。とても息の合ったコンビだ。 絆ならこちらも負けてはいない。神座三姉妹は協力し合って厨房と接客の役割を繋いでいる。今の接客担当は末妹の神座亜紀(ib6736)、静波を見つけて興味津々。 「わ、ボク武僧の人は初めて見たよ」 まだまだ神楽に少ない武僧が珍しいらしい。あれこれ尋ねてくるもので、東房の生活など世間話をしていると、何と亜紀はメモを取り始めた。 「亜紀さん‥‥?」 「武僧の不思議を解明しなくちゃ!」 静波が被験者になり得るかどうかは甚だ疑問だが、まだ希少種なだけに一応参考にはなるらしい――が。 「亜紀、仕事中やろ。厨房と交代してぇな」 姉の神座真紀(ib6579)に耳を引っ張られて、厨房へと押し込まれてしまった。ごめんねと静波に笑い掛け、真紀は店頭販売に就いた。 「水稲院さんへのお土産に、ひとつどない?」 「そうですね♪ ではひとつ‥‥」 「あたしも包んでくださいな♪」 早々に二人分の売り上げを伸ばし、景気良く見送った真紀は、通りの向こうに見覚えのある人物が歩いているのに気付いた。 「あれ? 安田さんやん」 旧知の声に源右衛門の警戒が解けた。 商店が建ち並ぶ辺りだ、彼女も買い物だろうかと尋ねれば、真紀は甘味屋の手伝いをしているのだと言う。 「安田さんはもしかして於歌さんへのお土産探してるん?」 「‥‥今日は引きが悪い」 万商店帰りらしい。源右衛門が懐から出したのは耳栓で、盲目の傭兵は何の役にも立たぬと不満顔だ。 「要らぬから売ろうとしたが、断られた」 女物なら引き取ったのだがと言う辺り、やはり妻へ送るものを探しているようだ。今日は仲秋やでと真紀が言うと、源右衛門は少し考えた後、ひとつ頼みがあるのだがと真紀に言った。 「女子が好みそうな甘味を適当に見繕ってくれんか。できれば日持ちのするもので頼む」 一方、厨房では―― 「姉さんと話してる、あの人誰!?」 真紀と話す源右衛門に対抗意識を燃やす三姉妹の次女、神座早紀(ib6735)の姿があった。暖簾の隙間から厳しい視線を投げつつも、手だけはきっちり動かしている。 「どの方ですか?」 そっと暖簾を上げた明王院 千覚(ib0351)が、あれは浪志隊の安田源右衛門さんですよと微笑した。 直接の面識はないが、ギルドに名が挙がっている森藍可の既知者だ。確か、妻を残して主君の招聘に馳せ参じたとか。 「奥方さまへの手土産を求めにお越しになったのでしょう」 「あ、奥さんがいるんですね‥‥」 あからさまに態度が軟化した姉想いの早紀が可愛らしくて、千覚はほわりと微笑んだ。 完璧な厨房装備で黙々と手を動かしている礼野 真夢紀(ia1144)へ話し掛けると、手拭越しの唇から可愛らしい声が返ってくる。 「過ごしやすい気温ですけれど、冷茶の方が良さそうでしたら仕度はできてますよー」 夏場引っ張りだこになる巫女スキル、氷霊結だ。なかなか修練が上手くいかなくて最近やっと作成できる氷の数が増えたのですと嬉しそうに語る。 「まー ちょっと動けば汗ばむような陽気だしなー おにいさん喉渇いたなー な、アーくん☆」 蒸篭を運んできた村雨 紫狼(ia9073)が晴れやかに言う。一気に和んだ厨房内で、一人吾庸は複雑な様子。 「いやーケモミミマン、さすがに俺が同じ職場でバイトするとは思うまい!」 「黙れ」 「お前ったら厨房バイトっつったら意地でも表に出て来ねーんだもんなー おにいさんは悲しいぞ☆」 「おにいさん言うな」 仏頂面で言い返す吾庸。当人達は軽口を叩き合っているつもりでいたが、傍目には大変不機嫌そうに見えなくもなくて―― 「‥‥ひぃぅっ」 生地を捏ねるのに使っていた杓文字を抱えたまま、柊 梓(ib7071)隅っこで固まった。 ほわほわの垂れ耳兎の獣人はさながら小動物、そこへ愛想無しの狼獣人と来たものだから紫狼は突っ込まずにはいられない。 「あ〜 いーじめーた、いーじめた〜」 「‥‥‥‥」 不器用過ぎて言葉も無くむっすりと作業を続ける吾庸の代わりに、鈴梅雛(ia0116)は梓に近付いて手を伸ばした。 「怖くないですよー ひいなと一緒にお団子丸めましょう」 「‥‥はい、です」 その様子は本当に仔兎のようであったとか。 ●弐 暑さ過ぎ、日が落ちるのも随分と早くなったものだ。 窓際にもたれ掛かり、雲母(ia6295)は銚子を咥えたまま月を見上げた。夜風が弄ぶ前髪を煩わしげに掻きあげる。 いつもは誰かしら来客のある己が民宿も、今夜は雲母ただ一人だ。 (‥‥騒ぐのもまぁ、いいとは思うが) こんな月夜は静かに楽しむのが通というもの――右腕の義手も今夜ばかりは外しておいて、自然のままの姿でゆったりと過ごしている。 額に添えた左手を離せば、黒の眼帯が前髪に隠れた。銚子を持ち直し膝元に置いた杯に注いで口へと運ぶ。 「当分片手で過ごさなきゃいけないのは大変だな」 一連の動作を全て左手で行って、杯を置いた雲母は左手を握ったり開いたりした。義手はあるが、咄嗟の時に頼りになるのは自身の腕だ。 「ごろ寝で頬杖も突けんか」 然して困った風もなく片手酌をする雲母である。 ――誰ぞ戻ったら膝枕でもさせようか。 開拓者達が生活の場としている多くの拠点でも観月が行われていた。 「うん、綺麗な十五夜で良かった‥‥」 今日くらいは酔って寝入っても許してくれるかな。昼の間に兎月庵で買い求めた団子は四人前、うち二人分だけを皿に盛って、白藤(ib2527)は独りで酒を呑んでいた。 「一人で月見なんて久し振り‥‥こういうのも良いなぁ‥‥」 誰にともなく呟いて、白藤は結い上げた髪を解く。今は亡き大切な人からの形見を両手に握り締め、彼女は彼に呟いた。 「‥‥少しずつ、前に進むから‥‥大丈夫。大丈夫‥‥怖く、ないから」 自分に言い聞かせるよう、噛んで含めるように繰り返し、白藤は猪口の酒を一気に煽った。 月が滲んで見える。 「頑張るから‥‥自分の気持ちとも、ちゃんと向き合えるようになりたいから‥‥」 今夜の酒は酔いが早く回りそうだった。 今日この日、神楽の何処かで誰かを偲んで酒酌む者がいるやもしれぬ―― 「‥‥兄様は、団子は足りますでしょうか?」 そわそわと縁側を見遣る寿々丸(ib3788)の心配気な様子を、紅雅(ib4326)はそっと制して言った。 「寿々、今は一人にしてあげなさいね‥‥今はまだ‥‥考える事も必要でしょう」 「‥‥‥‥大兄様‥…分かりましたぞ‥‥寿々は、我慢でするな‥‥」 寂しげな紅雅の苦笑を見上げ、寿々丸は健気に頷いた。 本当なら朱華(ib1944)の許へ駆け寄りたいのだ。しかし朱華兄様は今、一人で居たいとの事だから――我慢する。 二人と共に縁側を見守っていた緋姫(ib4327)が、そっと寿々丸の頭を撫でて微笑んだ。 「一人‥‥ではないのに‥‥でも、これは朱華の問題、ですものね‥‥」 「さ、お団子食べましょう?」 穏やかな良い夜ですよと紅雅は妹弟に促して、程ほどにねと緋姫へ酒を注いでやる。 三人に遠巻きにされている朱華は、亡き親友の分も用意した二膳の団子と酒で月を眺めていた。 「‥‥うん‥‥綺麗な月だ‥‥」 杯を軽く合わせ、自身の分を呑む。神楽の何処かで、同じような事をしている者がいるかもしれなかった。 「‥‥自分勝手で良い、か‥‥」 寂しそうな呟きは親友への返事か、あるいは故人が遺した言葉か。ちびり杯を傾ければ、今夜はやけに月が眩しく見えた。 輝く月は友の姿にも似て。 「‥‥そんなこと言うのは、お前くらいだよ‥‥」 朱華の呟きは、月だけが聞いていた。 夜の都を歌舞音曲が行く。 「開拓衆『飛燕』の夜公演ですよっ」 「月下にひとつ花咲かせんと、隊の皆との公演じゃっ」 先頭を行く燕 一華(ib0718)が掛け声を共に薙刀を振るえば、紫色の軌跡を残して地上に満月の花が咲いた。 三味線で賑やかに、踊りも交えて音羽屋 烏水(ib9423)が口上を述べたのを受けて、ナシート(ib9534)が身体全てで音を奏でた。 (ちゃんと出来るかなぁ‥‥って、弱気は駄目だっ!) ナシートの鈴の音に勇気を貰って緊張を振り払うラビ(ib9134)、夜光虫と人魂で一華の舞を盛り上げる。 「さあさ、ナシート! 次はわしらの番じゃ♪」 手を取り、烏水は羽を広げた。 獣人多しと言えど、羽持つ獣人はそう多くはない。年の頃が近い二人が出逢ったのも縁というもの。 「月も満ち満ちれば鷲も烏も踊りだすっ」 「みんなで楽しく! それがアル=カマル流だ!」 「中秋の名月がこの日に出会えたのも何かの縁。皆さんの心にひっそりと咲くひと華となれば嬉しいですっ♪」 座長の口上に観客達は更に沸いた。 夜というのに賑やかなのは、今夜が仲秋だからだろうか。 妻の許へ荷を送る手配を済ませた源右衛門が屯所へ戻る道すがら――彼は己を呼ぶ声に立ち止まった。 「安田の旦那」 「今日はつくづく人に呼ばれる日らしい」 振り向いた源右衛門が苦笑している。イーラ(ib7620)は何かあったのかいと気楽に尋ねて呑みに誘った。 通りの店々から楽しげな声や音が漏れ聞こえている。どこも宴席で盛り上がっている頃だろう。外気を感じたくて敢えて屋台を選んで入る。 「旦那、今夜は月が見事なんだよ」 「仲秋らしいな。月見団子を売っていた」 兎月庵で甘味を求めて於歌へ送った事を話して、源右衛門は懐かしむように言った。 「お前達に助けて貰ったのも月が見事な日だったな」 源右衛門は目が見えない。しかしあの日の空気に気配、思い出は一生忘れ得ぬ。彼にとって月夜は人生の転機でもあった。 「カミさんも今頃見上げてるかもしれねぇな?」 「女一人で見せたくはなかったが‥‥な」 主筋の召還とあらば仕方ない。この身は藍可に雇われた身だ。中々面倒な事になったものだと打ち明けると、イーラは源右衛門の杯に酒を満たして言った。 「月が良い夜は、空気と風が良い。カミさんもこの風を感じてると思えば‥‥悪かないと思わねぇか?」 そうだな、と源右衛門は微笑した。 ●参 神楽の外れに庵を結ぶ男の許には、不思議な仲間が集まって来る。 月夜見――夜を統べる月が如く冴え冴えとした風貌を持つ主の名は月夜見 空尊(ib9671)、何処か浮世離れした青年だ。庵の軒先に吊るしていたてるてる坊主に鈴を付けてやりながら、闇川 ミツハ(ib9693)は空尊に話しかけた。 「晴れて良かった‥‥灯瑠女殿のお陰かな‥‥では、失礼します」 二人分の甘露茶を淹れてミツハは庵へ入って行く。 「‥‥‥‥」 彼が去った後、空尊は二人分の茶の意味を知った。 木葉 咲姫(ib9675)が無言のまま視線だけを向けて空尊の言葉を待っている。少し間を取った位置で立ち止まると、空尊は無言で咲姫と対峙した。 さて、何の話をいたそうか。 暫し考え込んだ後、月の下に佇んでいた青年は、ぽつり、ぽつりと問いかけた。 「ぬしの、先日の言葉‥‥魂は、一つというもの‥‥ぬしにとっては、それは真実か‥‥?」 何とも意味深な問いである。禅問答とも解釈できようか。 しかし咲姫は迷いなく、きっちりと答えた。 「‥‥魂はたった一つにございます。その命、終わってしまえばそれまで」 「‥‥ぬしが、そう思うのならば‥‥我は、考えよう‥‥」 咲姫の答えを完全に理解できた訳ではない。しかし空尊は頷いた。ちらと庵を振り返り、言う。 「‥‥皆、楽しんでいるようだな‥‥?」 庵――天鳥船には、不思議な縁に導かれ、仲間達が集まっていた。 九頭竜 鱗子(ib9676)の賑やかな声がする。 「呑むぞ絡むぞ、絡まれたくなきゃ逃げなっ!!」 上肌脱ぎの晒巻き、威勢の良い格好で次々杯を空けている。この勢いでは銚子ごと流し込みそうだ。 「ちょっとペースが速過ぎやしませんかね?」 いそいそと料理を運んでいたアミール・M・カーラ(ib9681)が、つい鱗子に関わってしまった。彼女両手に握っていた銚子を鱗子から取り上げて、小皿に煮物を取ってやる。 世話焼きが高じてオカンぽい事を始めたアミールを、鱗子はちろりと見た。にーっと笑って起こしたのは悪戯心。 「おう、ありがとよ。ちょうど晒が邪魔になって来てたんだ。解くとするk‥‥」 慌ててアミール他、全員で取り押さえたのは言うまでもない。 稲杜・空狐(ib9736)が菓子を自作でなく店買いして来たとは珍しい。兎月庵という名に惹かれて買ってきたのだと、空狐は腕一杯に菓子を抱えて戻って来た。 「なんだか美味しそうなお店をみつけたのです。とと様、仰深様、どうぞです」 「‥‥ほう‥‥美味い‥‥」 勧められるままひとつ取った仰深(ib9688)が口へ運んで言った。料理は得意だが作ろうとしない仰深の舌は肥えている。空狐は嬉しげに笑って甲斐甲斐しく茶を淹れたり酌をしたりと忙しい。 「重陽は過ぎてしまったが、これも風情があるだろう?」 空狐に満たして貰った杯へ菊の花弁を浮かべ、逢坂 覡(ib9745)は仰深に気負わぬ微笑を向ける。黙って杯を傾ける仰深の反応はいつもの事だから覡は気にする様子もなく話し続けた。 「こうして‥‥大切な者と見る月も、良いな」 覡の言葉に仰深は顔を強張らせた。 この男が何を考えているのか、仰深にはよく解らない。ひとつ言えるのは、彼が自分の感情をかき乱すという事だ。 仰深が極力冷静に無言を貫いて酒に集中していると、空気を読んだ啼沢 籠女(ib9684)が近付いて来て、そっと助言した。 「あまり覡に冷たくしちゃ駄目だよ?」 「‥‥勝手にするがよい‥‥」 不貞腐れたような仰深の応えに安心して、籠女はミツハの姿を探す。てるてる坊主を手に未だ空を心配気に見上げるミツハを見つけると、籠女は彼に笛を差し出した。 「僕は琵琶、君は笛。綺麗な日の姫様の興味を引けるかやってみようよ」 この庵には月嫌いの日の姫様がいる。引き出すのは別の誰かかもしれないけれど、お囃子は必要だ。 頷いてミツハは観月の調べを奏で始める。琵琶で合わせつつ、籠女は思う。 (良い夜、いい仲間。此処なら僕は寂しくない‥‥) 癒しを求めて久那彦(ib9799)をもふもふしつつ、アミールは彼と酌み交わしていた。 「全く‥‥貴方という人は」 大人しくもふられながらも久那彦の言葉は容赦ない。 でもそれは、兄のようにも感じている最も心を許した相手ゆえの事。いつしか眠りに就いてしまったのも、其処がアミールの横だったからに違いない。 調べ流れる庵の厨房では須賀夫婦が仲良く饂飩を調理中。 「‥‥お。天ぷらもう出来てるじゃねえか」 ――もとい、夫はつまみ食い中だ。 揚がったばかりの海老天を手で掴んで、須賀 廣峯(ib9687)がぱくり。饂飩を茹でていた須賀 なだち(ib9686)が振り返って小首を傾げて言った。 「あら?アナタ、そんな所で如何なさったのです?」 どうやら海老天がひとつ減ったのには気付いていないようだ。くすりと笑って、もうすぐ出来上がりますからねと微笑む。 「そうそう、今朝採れ立ての山菜を頂きましたので味見してもらえます?」 「‥‥ンだよ。海老のほうが美味いに決まってんだろ。山菜なんざ‥‥」 言いつつも、妻に「あーん」と言われれば口を開けてやらない事もない。暫しの葛藤の後、山菜天は無事廣峯の口へと収まった。 「‥‥ま、まあまあだな」 それが夫の照れ隠しである事は、なだちが一番よく知っている。 酒の締めに饂飩を食す者、饂飩を肴に呑む者――色々いたが、廣峯が捏ね、なだちが仕上げた天麩羅饂飩は皆に好評だ。普段は荒々しい廣峯の雰囲気が柔らかい。口には出さないものの庵の皆の反応が嬉しいようで、自慢げな表情に滲み出ている。 「本当に、月が綺麗ですね‥‥」 料理が出揃い、なだちは夫へ酌をしながら縁側で夫婦水入らず、夜空を見上げて廣峯に寄り添う。 廣峯にしてみれば、饂飩は美味いし酒も旨い正直月見はどうでもいい――のだが。 「‥‥‥‥おぅ」 自分を見上げていた妻の視線には、ちょっぴり視線を泳がせて赤面したりして。 「どうかなさいましたか?」 「‥‥ああ、ちと酔ったみてえだ。膝貸してくれや」 なだちの膝に頭を委ねる。こういうのもまあ、たまにゃ悪くねえか。 満月を空に仰ぎつつ、秋葉 輝郷(ib9674)が庵への道を急いでいた。 「おい、大福買ってきたぞ」 襖越しに話し掛ける。彼女――天野 灯瑠女(ib9678)が月嫌いなのは知っていた。 気配はする。やがて襖に僅かな隙間が空いて、目だけが輝郷を見て言った。 「大福は貰う。でもそれ以外はいらないわ」 ぴしゃりと襖を閉めてしまった。これでは大福どころじゃない。 仕方なく輝郷は襖を隔てて灯瑠女に話しかけた。 「もう少し開けてくれなきゃ大福を渡せないじゃないか」 「輝郷は月を見に行かないの」 「俺は帰り道で月を眺めて来たからな。次は日が昇るのを待ってるんだ」 「夜は長いわ。でも」 ほんの少し、隙間が空いた。大福の包みを押し入れてやると襖が閉まる。お供えはお気に召したらしい。 訥々と、二人は襖越しに語り合った。互いの顔も見ず、饒舌でもなく。だけど、そのくらいの緩さが丁度良い。 「あと一月もすれば山が色づくぞ」 「そう」 紅葉狩りにでも誘おうかと考えていたのだが、相手はなかなか手強そうだ。 ●肆 一緒に居られる事が何より嬉しかった。 昼の間に二人して兎月庵へ行って買ってきた、月見団子にみたらし団子。華夜楼の屋根の上で見る月は、いつもより明るく、大きく見えた。 「特等席、だね♪ 少し冷えて来たかな」 弖志峰 直羽(ia1884)の温かい声音と毛布に包み込まれて、水鏡 雪彼(ia1207)は、ほぅと息を吐いた。常より朗らかな彼だけど、今は更に温かい。 「毛布を二人で掛けるとあったかいね」 そう言って、雪彼は直羽にも毛布を巻きつけた。二人寄り添う温もりが、一人ではないと感じさせてくれる。 「直羽ちゃんに夜は似合わないなって雪彼思ってたけど、ほんとは違ったね」 毛布から手を出して、みたらし団子の串を取る。甘辛いタレを上手く絡めて直羽の口元へ持ってゆく。 直羽の明るさは、夜闇の中にいる雪彼が頼るよすがだ。彼の朗らかさに救われ、支えられていると雪彼は思う。 「雪彼も直羽ちゃんみたいに誰かを照らす事が出来るといいなって思うの。直羽ちゃんは雪彼のお日様だから」 「お日様、かぁ」 みたらしの串を咥えて直羽は照れ笑いした。 直羽が自分らしくいられるのは皆と共にあるからだと彼は言う。そして、彼を輝かせるのは。 「俺にとっての光は‥‥一際強い輝きは、雪彼ちゃんだよ」 そっと誰より護りたい人を抱き寄せる。髪にそっと頬寄せようとした瞬間、暖かな感触が頬に触れた。 「あ、タレついてるよ」 雪彼ぺろりと舐められて思わず紅潮して固まった直羽の顔は、お月様だけが知っている。だって雪彼は、直羽の腕の中に居たのだから。 (雪彼ちゃん‥‥大好きだよ、忘れないで) 二人きり、二人だけの時間。 「もう秋だな‥‥月見酒も悪くない」 温泉ひとつを貸切にして、水入らずのひとときを過ごす水鏡 絵梨乃(ia0191)と泡雪(ib6239)の同性夫婦。 「昨年はギルドで食事をしましたね、絵梨乃様」 「うん、何処で月見しようとボクは泡雪が一緒なら」 絵梨乃はそっと泡雪の肩へ腕を回した。泡雪の酌を受けて杯を重ねる。恥らう泡雪の様子も愛らしくて、絵梨乃はそっと口付けた。 「絵梨乃様‥‥私、少し酔ってしまったみたいです‥‥」 お酒には強いはずなのだけれど、今夜は特別。泡雪は絵梨乃に凭れかかった―― 出逢って三年。春の花も秋の照葉も、何度も季節の移り変わりを共に過ごしてきた対にして親友の二人。 「ちょっと作りすぎてしまいましたけれども‥‥」 池臨む縁側に団子を運んできた天宮 蓮華(ia0992)が抱えている大皿は、大量に作った団子が盛られて、さながら小山のようになっている。 おっとりと白野威 雪(ia0736)は「おねだりしたのは私ですから」と微笑した。 「蓮華ちゃんのお団子は美味しいですから、いくらでも食べられます」 「私達ならば、ぺろりですわね♪」 甘味大好き姉妹は顔見合わせて微笑った。 月見団子と温かいお茶、御酒は果実酒で月を愛でる。そんないつもの季節行事。何気ない日常の幸せ。 だけど今年の観月は、ほんの少しだけ違っていた。 「蓮華ちゃん、私‥‥」 雪は恋人に求婚された事を蓮華に打ち明けた。 「本当に本当におめでとうございます。沙桐様とならお幸せになれると信じておりますわ」 蓮華は心からの祝辞を親友に伝えた。 雪の恋人は武天の役人で、古い家柄の青年だ。記憶を失し、自分が何処の誰かも定かではない雪に対する親類縁者からの風当たりもきつかろう。 「まだ道は険しいけれど、何があっても負けない強さを持ちたいと思います」 雪の決意を蓮華は果実酒を含みつつ聞いている――それは自分自身の為であって。 「‥‥少し寂しいです」 「蓮華ちゃん?」 少しばかり酔いに頼って素直な気持ちを口にした蓮華は、雪をぎゅっと抱き締めた。 「奥方になられても、こうして時々は雪ちゃんを独り占めさせてくださいますか‥‥」 蓮華の言葉尻に寂しさが滲んでいた。 お嫁に行ったって蓮華ちゃんは家族同然、対の姉妹なのに。雪は蓮華を抱き締めた。 「勿論です。またこうしてまったり過ごしましょう? 蓮華ちゃん、大好きですよ」 都外れにあるジルベリア建築のカフェ、カフェ ドヴォール。ジルベリア出身の夫婦が営む瀟洒なカフェの自慢は、四季折々の花々が美しい中庭とシェフである妻の料理。 今夜は観月にちなんで月見団子とアレンジスイーツを供しつつ、月がよく見える窓際の席では女子会が密やかに行われていた。 「それで‥‥想いを寄せる方とお近づきになれたのですか?」 ――お友達さん。 主語を殊更に強調して、ラヴィ(ia9738)は西光寺 百合(ib2997)に尋ねた。 「おっ‥‥お友達、ね‥‥え、と‥‥うん」 団子に添えられた生クリームをフォークでつつきながら、百合は雪の庭を思い出していた。 雪は嫌いだという彼に少しでも笑ってもらいたくて、白椿を埋めた、あの日。 『ばかだな‥‥』 あの時の温もりと彼の声音が耳元から離れない――忘れられはしない。 無意識に、生クリームへ椿の花を描いていた、その時。 「あー、冬くらいだったかな」 千代田清顕(ia9802)の声が耳に入って、思わず指先に力が入ってしまった。さりげない風を装って、ぱくりと口に入れる。耳はそのまま男性陣の会話に釘付けだ。 別の卓では清顕がジルベール(ia9952)に酌をしている。 「結局いつから付き合い始めたん? いつの間にかくっついとったけど」 水臭いなぁと絡むジルベールをのらりくらりとかわしつつ、清顕はジルベールの空いた杯に酒を注ぐ。勧められるまま杯を煽って、ジルベールは更に問うた。 「んでんで? どうするん? 一緒に住むとか所帯持つとか」 「まだそこまでは‥‥俺の里は碌なものじゃないし、百合を連れ帰るのもね」 聞き耳を立てていた百合、ほんのちょっと落ち込んだ。 (私じゃ駄目なのかしら‥‥) 過小評価してしまうのが百合の悪い癖だ。自信がないから、つい相手の顔色を伺ってしまう。不安になってしまうのだ。 そんな事とは露知らぬ清顕、ジルベールに次々と杯を重ねさせている。流れは男同士の恋愛相談になっていた。 「そういうジルベールはどうなのさ。ラヴィさんとまだ式はしてないんだろ?」 「んー 俺はラヴィのドレスまで準備済みやねんけど、ラヴィが家族の人に認めてもらうまで式は待ってほしいって言うんや」 ちら、と妻を見るジルベール。こちらを気にしている百合に気付いて、気軽に手を振った。ひくっ、と緊張した百合が微笑み返す。 「やっぱ駆け落ち同然で神楽来てもーたし、何とかせんとなあ‥‥」 「ま、呑みなよ」 酔っているのか、いつになく憂いを帯びたジルベールを励ますように、清顕は更に杯を満たしてやった。 ――暫し後。 カフェの夫婦に見送られて百合と清顕は帰路に付いていた。 「何か心配事?」 浮かぬ顔の百合を覗き込んで清顕が問う。ふるふると首を振る百合の様子は如何見ても変だ。 (私よりも素敵な人、見つけたら清顕を笑顔にできるかな‥‥) そんな事を考えているのだから尚更だ。 この優しい娘は、また何か考え過ぎているのだろうか。清顕はいきなり百合の手を掴むと駆け出した。 「今日、滑空艇乗って来たんだ。家まで送るよ」 「え、でも‥‥!」 「大丈夫、酒は全部ジルベールに飲ませたから」 そうじゃなくて私高い所は――夜空に百合の悲鳴が木霊した。 その頃、カフェでは夫婦が二人だけで月を見上げている。 「お月様の兎さんしか見てませんし‥‥ちょっとだけ」 そっと夫の肩へもたれかかり、ラヴィは百合に話した言葉を思い出した。 傍に大切な人が居て。同じものを見、感情を共有できるのは、とても素敵な事―― 触れた温もりが心地良い。この人の傍に居られて良かった、そう思ったラヴィに素早くキスを落としたジルベールは、驚いて見上げた妻に、にっこりと笑んだ。 「お月さんと兎さんしか見てへんからエエやろ?」 夜空の月と兎なら二人の秘密は守ってくれるから、今夜は素直でいよう。優しく抱き寄せてジルベールは誓った。 「絶対幸せにするからな、ラヴィ」 ●伍 いつものように仕事を終えた无(ib1198)は、図書館を出て夜道を歩いていた。尾無狐を懐へ入れ、さて何処へ行こうかと考える。 (そう言えば‥‥昨年はギルドでお月見の会があったな) 「行ってみるか」 懐へ話しかけ、試しにギルドへ向かってみる――果たして、見知りも初見も集まっている処へ居合わせる事ができた。 「おや、そちらは武僧のお嬢さんですか」 「静波です。初めまして」 いい夜ですねと挨拶交わし、何やってんですかとからす(ia6525)に尋ねる。 ギルド間近では、朋友屋敷の呼び声高いからす宅の綺麗処が集まって、姦しく宴会ならぬ屋台を開いていた。 七輪の前にしゃがみ込み黙々と団子を焼いている琴音から、みたらし団子を受け取った笑喝が无に愛想を振り撒く。 「いりまへんか、そこの渋めのお兄さん! 酒のアテにもなりまっせ」 「今ならキリエちゃんがメロメロにしてくれまっせ」 「逃げますけどね」 何やらぼったくり屋台並の胡散臭さをかもし出しているような気がしなくもないが、主に聞けば暢気なものだ。 「屋台をやりたいと沙門が言い出してね。ま、美味いのは確かだから如何?」 止めるでなく落ち着いた様子で茶を淹れている。 茶を啜って、ふうと溜息吐いた柚乃(ia0638)は既に馴染んでいて、静波達と女子会の真っ最中だ。 「松茸が大変で‥‥その、人を襲うんです」 「マツタケアヤカシですかっ!?」 何て恐ろしいと慄く梨佳に走龍ですと補足して、他の名では反応しないのがまた悩みのタネでと嘆息した。 静波は无の神楽情報に興味深く耳を傾けている。 「神威族の集落があるのですね‥‥!」 「神威の伝説では、月は彼らの祖先が住むというそうです」 无の言葉に、柚乃は幼い頃ばば様に聞いた御伽噺を思い出した。そっと荷からフルートを取り出して、柚乃は静かに語り始める。 「月は運命を司る‥‥豊穣と再生の女神の化身だって古い言い伝えがあってね‥‥」 フルートに唇を当てた。月下に立ち奏でる音色は女神へ献ずる調べか、それとも今夜この場に集った縁に捧げる旋律か。 また会えるといいな、もっとお話できるといいな。 静波が精霊門を潜る時間は、刻一刻と近付いている。再会を願いつつ、柚乃は想いの丈を音色に籠めた。 夜になればすっかり肌寒いこの頃、リア・コーンウォール(ib2667)の姪っ子探しも中々大変だ。 「まったく。まだ家に帰らないで‥‥」 何せ姪っ子ときたら神出鬼没、何処にいるか予想も付かない。ひとまず出没し易い場所をと兎月庵に立ち寄れば、丁度閉店後の観月真っ最中だった。 「‥‥ふに。まんまる、お団子、美味しい、です」 ほわり笑んだ梓の隣で雛がこくりこくり船を漕いでいる。疲れたのだろうと羽織を掛けてやり、千覚は真夢紀特製の月見団子をぱくり。 「お団子‥‥とってももちもちの餅肌さん‥‥ですね」 姉のような千覚の言葉が嬉しい。姉様達も満つ月を見ている頃だろうか――真夢紀は空を見上げた。 神座の三姉妹は月より団子だ。亜紀の食い意地に苦笑して、真紀は三味線を取り出した。興が乗ってきた一堂の反応に安堵して、徐に撥を握った。 「月の都を立ち出でて 罷り越したる天の儀の‥‥」 真紀の小唄に耳を傾ける吾庸は、郷の伝承を思い出していた。かつて月に居たという神威の祖先、死して後還る場所―― 「‥‥あ、済まん‥‥」 おや、こんな女開拓者が兎月庵の手伝いに来ていたろうか。秋風肌寒いというのに粋に衿を抜いた大柄の女が吾庸の隣に座っている。大人しく酌を受けて記憶を辿ったが覚えがない。 それにしても大層な美女だった。少々逞しいような気もするが、志体持ちの中には大柄な女も珍しくはないし、当人が気にしているやもしれぬから敢えて黙っておく。 無言のまま杯を重ねて暫し――女がくつくつと笑い出した。 「‥‥どうした」 「俺だ、俺だよ親友のアーく〜ん!」 いきなり美女に肩を抱かれて吾庸はその正体を知る。むっすりと、彼は紫狼に言った。 「とりあえず黙れ。酒が不味くなる」 そう、声さえ出さなければ、それなりに絵になる二人なのだった。 その頃、従叔母に心配を掛けているリエット・ネーヴ(ia8814)はと言うと――意外と近く、兎月庵の屋根の上に居た。 「‥‥お月様の光で、大もふら様になれないかねぃ〜♪」 かなり真面目に考える。まずは形から入ってみようと犬座りして左足で器用に顔を掻いていると、アホ毛レーダーで何やらキャッチしたようだ。 「う! 梨佳ねーと七ちーの、匂いと気配がっ♪」 方角を確認して屋根から飛び降りたところで、宴に混ざっているリアと遭遇した。梨佳と七々夜がと訴えるリエットに付き合って付いてゆくと、確かに梨佳と七々夜、静波がいる。 「こんばんわんしー♪ お久しぶりじぇ〜! どこか行くの?」 「皆さんの拠点に行くのですよ〜」 「なー♪」 一緒に如何と誘われて、リエットも付いてゆく事にした。 都から少し離れた風情ある鄙びた場所――小川に沿うようにして佇む茅葺屋根の茶店そば。 盛った月見団子は茶店特製、いくつかの兎団子を忍ばせて。 ススキが原の真ん中で月見を楽しむ親友同士、フェルル=グライフ(ia4572)の後姿は地上に月の女神が降り立ったかのようだった。 フェンリエッタ(ib0018)は親友の背に言った。 「ね、知ってる? ススキには『心が通じる』という花言葉があるの」 「心が通じる?」 「こうして見ると、お月様に手を伸ばしてるみたい」 闇に輝く唯一の満つ月、地上のススキは希望へ手を伸ばそうとする人々の腕―― 「風に揺られてなお、満ちた月に手を伸ばし続けるススキ‥‥」 共に挑んでいる依頼を重ねて呟いたフェルル、彼女からの贈り物をそっと撫でたフェンリエッタは静かに唇を開いた。 『手を伸ばそう、貴方に想いが通じるように』 黒髪に薄緑の燐光が舞い散った。祈りを込めた歌声が、月夜の原を満たしてゆく。 振り返り、フェルルは静かに立ち上がった。親友の歌に応じるように、月の女神に仕える巫女が如く舞う。手を伸ばす心は必ず月に届くと信じながら。 二人の時間はすぐ過ぎて、やがて茶店に客が来る。向こうで梨佳と静波が手を振っていた。 古民家、花木蓮。海を臨む庭には四季折々の花が咲く。春には木蓮が香る古民家は、今は虫の声が秋の訪れを告げていた。 月見団子に里芋、ススキ。めっきり涼しくなった縁側に観月の設えを整えた少年は月を見上げた。 (離れていても、心は傍に‥‥) 太陽のように元気を、月のように励ましてくれるひと。 彼女は桔梗(ia0439)がいるから頑張れると言った。でも自分は受け止めるだけで精一杯で――だから、彼女のようになりたいと思う。 天高く輝く月。 繋いだ手の温もりを思い出して手の平を見つめた。ただ見上げているだけでなく、自身の足で歩いて――頑張るきみに近付きたい。 ちょっぴり憂いを帯びて大人びた様子の後姿に、来客を継げる声が届いた。 (千草、お客さん、呼んだのかな) 「桔梗くん」 「こんばんはー お招きありがとうです♪」 ほら、深山 千草(ia0889)が呼んでいる。振り返った彼が見たのは、千草と梨佳の姿だった。 驚く桔梗にふふと微笑いかけ、千草は月への供え盆をもうひとつ持って来た。離れていても心は傍に、だけど伝えたい事を言葉に乗せるのも時には良いものよと桔梗へ目配せして、ちょいちょいと梨佳を手招きして縁結び。 「わぁ可愛い〜」 「梨佳ちゃんと、こんな風にも在りたいんですって」 盆の上には小皿にちょこんと二匹の兎饅頭がぴったり寄り添って並んでいる。まるで仲良く月見をしているようだ。 「桔梗さん‥‥♪」 「梨佳‥‥良かった、会えて」 千草の粋なはからいに感謝しつつ、二人は仲良く縁側に並んで座った。 並びたい、傍に居たいって‥‥思ってる。いつも。 同じ日の夜、東房―― 不動寺の縁側では、のんびりと至苑(ib9811)が月を眺めていた。 この日の為に兎月庵の甘味を求めて来てある。相変わらず円真様が背中で勧めている冷やし飴をいただきつつ、心静かに今年の満月を見上げていた。 「おかえりなさい」 「ただいま戻りました!」 ふいに至苑が声を掛けた先には静波の姿があった。 はにかんだ静波は、至苑の横にちょこんと座ると甘味に気付いて目を輝かせる。 「わぁ、お月見団子に月餅に、それから‥‥」 「静波さんもいかがですか? 皆で分けて食べても美味しいですよね?」 お茶を入れましょうかと身軽に立ち上がる。 不動寺の庭ではタヌケモノが月下に浮かれて奇妙な踊りを披露している。 人もケモノも、皆、月夜に思う――今夜はそんな不思議な日。 |