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■オープニング本文 花嵐 残り桜を眺むれば いつかの志をば 思い出されん―― ●初志、忘れがたし。 北面は仁生に、その詰所はある。花椿隊――女子のみで構成された北面の非公式諸隊である。 活動の意思さえあれば志体の有無はおろか身分も問わぬ。ゆえに貴族の姫君から町娘に至るまで、年頃の娘達が集って華やかな事この上ない。正規の北面諸隊のような戦闘能力こそ有してはいないが、女性ならではの細やかな慈善活動や他愛ない茶話などで近隣からの評判も悪くはなかった。 花椿隊詰所に長閑な音色が流れている。 詰所の大部屋で、七宝院 鞠子(iz0112)は心向くままに楽を奏でていた。 琵琶である。白い胴の撥面に、もふらの顔が描かれている。先日誕生日を迎えた際に開拓者から贈られたものだ。どこかもふらの鳴き声を思わせる、もっふりくぐもった音色が、うららかな春空と相まって長閑さを醸しだす。 突然、撥を持つ鞠子の手が止まった。 (もう三年経つのですわね‥‥) 「‥‥曙姫様?」 そのまま昼寝でもすればさぞ心地良いだろう調べに耳を傾けていた花椿の娘が、突然止まった楽の主を怪訝そうに見遣った。 外を見ている。ちょうどもふらの顔を抱えたような格好になった鞠子が、ぼんやりと何処ぞの屋敷から枝を伸ばしている桜樹を眺めていた。 「桜‥‥もうすぐ終わりですね」 盛りの時期を過ぎ、赤茶の萼が目立ち始めた桜樹を見た娘が言った。 花嵐とはよく言ったもので、昨夜は随分風が強かったから花はあらかた散ってしまっている。しかしそれでもまだ枝に残る花はあった。 「ほんに‥‥時の経つのは早いこと」 桜の盛りも、人の生も。 花椿隊に入ってもう三年になる――開拓者になりたいと願い始めて既に三年が経っていた。 鞠子は下流貴族の姫だ。七宝院には本家と傍家があり、彼女の家は傍家である。数代前に地方貴族が七宝院本家と縁戚になった事により発生した、比較的新しく家格の低い家柄だ。 しかし幼い頃は、身分や家格など関係なしに同世代の子と遊んだりもしたものだった。やがて世間を知り疎遠になってしまったものの、幼馴染の面影を忘れ難く思っていたところ――志体を持っている彼が開拓者になったと伝え聞いた。 ――あの方の、お側に。 開拓者に身分や家柄は関係ない。問われるのは資質だから、志体を持たぬ鞠子の決意は無謀としか言いようのないものであった。それでも鞠子は自分なりに道を探して、吟遊詩人を目指している。 「‥‥もう、三年」 そう呟いて、再び琵琶を構えなおす。もふぅん‥‥と、くぐもった音が鳴った。 志体無く精霊の力を借りる事は不可能かもしれないと薄々気付いていた。だが鞠子は諦めたくはなかった。 不思議の力は発動できずとも、楽の音は等しく人の心を動かすものだと、鞠子は信じているからだ。 ●忍犬の仔犬 「曙姫の姉様、姉様がお留守の間に、シロが仔犬を産んだのよ?」 再び鳴り始めた長閑な音に耳澄ませ、花椿の少女が言った。演奏は続けたまま、鞠子は少女へ顔を向ける。 「仔犬、ですの?」 少女は機嫌良く、犬の躾や繁殖を生業としている人物と家族ぐるみの付き合いをしているのだと言って、声を潜めて続けた。 「姉様には教えてあげる。シロはね、忍犬の子なのよ?」 「忍犬の?」 「ええ、シロの旦那さんも忍犬だった犬なの。だから仔犬もきっと忍犬になるわ!」 最後のほうは普通の声量になっていたから周囲に丸聞こえだ。仔犬という言葉に反応して、花椿の娘達が集まって来た。そうなると少女も内緒の話だったのをすっかり忘れて、皆にシロの話をし始める。秘密の話ほど人に広まりやすいものなのである。 話によると、忍犬を輩出した事がある血統のシロという名の柴犬が、元忍犬の黒柴との間に仔を生したらしい。少女は繁殖家に頼んで、鞠子へ仔犬を譲って貰おうと考えたのだ。 「姉様にはお供が要ると思うの。だって姉様は吟遊詩人になるのでしょう?」 開拓者は皆、相棒と呼ばれる供を連れているというのが少女の言い分だ。しかし、忍犬を輩出した血統の犬が必ずしも忍犬になれるとは限らないのだが―― 誕生日の祝いにと言い募る少女に、鞠子は優しげな瞳を向けた。 生物を飼育するのには、それなりの愛情と労力と資金が要る。幸い鞠子はその三つが満たされていたし、犬が苦手ではない。 「お供になってくれるかどうかは、仔犬さん次第ですが‥‥」 そう言って、鞠子は少女に「逢わせてくれますか」と微笑んだ。 そして話は更に広がりを見せる――少女の手により北面の開拓者ギルドに以下の募集が出たのは、程なくの事だった。 『忍犬の仔犬、要りませんか?』 |
■参加者一覧
柚乃(ia0638)
17歳・女・巫
鳳・陽媛(ia0920)
18歳・女・吟
秋霜夜(ia0979)
14歳・女・泰
御陰 桜(ib0271)
19歳・女・シ
明王院 千覚(ib0351)
17歳・女・巫
ケロリーナ(ib2037)
15歳・女・巫 |
■リプレイ本文 ●仔わんこ 屋敷に入り広い敷地内へ通されて。ずらり並ぶ犬舎は圧巻の一言だった。 「わぁ‥‥たくさんお世話されているんですねー」 犬舎から生命の気配が色濃く漂って来る。 庭の広さや犬舎の規模に驚いて秋霜夜(ia0979)が言うと、此方の気配を察したのか、犬舎の中で一頭が吠えたのを皮切りに犬達が次々と鳴き始めた。 やかましいでしょうと繁殖家は苦笑して、一同を犬舎へと誘った。 動物の多頭飼い、まして犬は吠えるものだから近所との揉め事もあったのだろう。犬達にとって良い飼育環境の選択と近所との軋轢を避けた結果、主は仁生を離れて広い敷地と犬達と共存できる生活を手に入れたのだと語る。 「好きで始めましたが、近所迷惑でもありますからね。今では田舎暮らしです」 「まぁ‥‥そうでしたの」 濃い獣の匂い、柵から身を乗り出して吠える犬。主に相槌を打っていた鞠子が息を呑んだ。大丈夫ですよと明王院 千覚(ib0351)が微笑んだ。 「ここの子達は、みんな良い子ですよ。ね、ぽち」 足元に従う忍犬のぽちに水を向ければ、ぽちは尻尾を振っている。よく見れば犬達も一同を歓迎しているようだ。 (さ、里親にさせてくれる仔犬さんはいるでしょうか‥‥っ) どきどきと柚乃(ia0638)は犬舎を見渡した。 今日は縁を結ぶ日。兄の相棒たる忍犬を思い出し、柚乃は自分にも縁が繋がる子が居ますようにと心に願う。 鞠子の傍で、ケロリーナ(ib2037)も忙しなく視線を動かしている――と。 「仔わんこさん、赤ちゃんですの!」 ひとつだけ、犬が顔を出していない仕切りの中で仔犬がころころと遊びまわっていた。 この世に生を受けて、まだ三月ばかりの小さな命達。 「わあ‥‥可愛いー!」 思わず鳳・陽媛(ia0920)が歓声を上げた。 白に黒、白黒混じりの仔――ころころのふわふわが七〜八匹。 「生後三ヶ月の柴わんこ‥‥」 ほわわん、と御陰 桜(ib0271)が柵越しに蕩けるのも無理はない。何せ今が可愛い盛り、兄弟姉妹に埋もれてやんちゃに動きまわる様は無垢そのものだ。 「あれ? お母さんは?」 霜夜が主に振り返る。里子に出す事を考えて母犬と離す時間を増やしているのですと説明した主は、隣の柵を開けて白い母犬を連れ出した。 「シロが怒りますから、先に行かせてやってください」 そう言って、仔犬部屋の柵を開けると主はシロを中へ離した。柵が開けられるや母犬は我が子を守ろうとするかのように飛び込んだ。シロに気付いた子犬達もキュンキュン鳴きながら母に寄り添い甘えている。 「わぁ‥‥みんな夢中でおっぱい吸ってますー」 「もう普通に餌を与えているのですが、シロが傍にいるとどうしても甘えてしまいましてね」 栄養摂取的には必要ないにも関わらず、仔犬達は母犬の腹の下に潜り込もうとする。そのいじらしさに千覚の心がちくりと痛んだ。 「シロさん‥‥」 私達は貴女の仔を引き取りに来たのです。でも、心配しないで。 千覚に従うぽちの気配に感じるものがあったのか、シロは穏やかに千覚を見つめた。 「あなたのお子さんは、依頼についてくるぽちに代わって、家族を守ってくれますか?」 気付いていたのだろう、シロは目を細めた。 仔犬達は母犬と人間達の様子はお構いなしで、シロの腹の下を潜ったり仔犬同士で追いかけっこしたり気侭に遊んでいる。 無邪気な様子を和ましく眺めつつ、桜は屋敷の主に初めて飼う者も居るからと、飼育に関して注意すべき点を尋ねた。 「桃には、ネギ類とか鶏の骨、ちょことかは食べさせないように気をつけてはいるんだけど、他にもダメな物ってあるかしら?」 「そうですね‥‥うちでは魚介類は与えていませんね。魚は小骨が気になりますし、タコやイカは猫にも禁忌ですから」 「あー、猫は腰が抜けるって言いますよねー」 相槌打つ霜夜の横で、桜は成程ねぇと頷いている。その他、刺激物にあたる香辛料や調味料など、人間と同じような感覚で与えるのはよくないと語る。 「そうそう、ハチミツも避けてやってください。人間の赤ちゃんもハチミツは危険ですが、犬は成犬になっても危険ですので」 主の話に耳を傾けつつ、柚乃は運命の仔を無意識に目で追っていた。 白い仔犬。だけど耳先だけがほんの少し黒っぽいのは父犬譲りか。どのような成犬に育つかはまだ想像も付かない、だけど名前だけは決めている。 「‥‥はくふさ」 無意識に呼んでいた。追いかけっこから逸れてころんころんと地面に身をすり付け始めたのを抱き上げて、柚乃は仔犬を真っ直ぐに見据えた。 「私の‥‥家族になってくれますか‥‥?」 仔犬は黒目がちの瞳を潤ませて柚乃を見つめている――と、突然自分の鼻の頭をぺろりと舐めた。どういう意味だろうと不安げに主を見た柚乃に、屋敷の主は大丈夫だと微笑する。 「ほほに寄せてやってごらんなさい? 舐めてくれますよ」 言われるがまま仔犬を顔に近づけると、挨拶だと言わんばかりにぺろぺろと舐め始めた。 「改めて。初めまして、これからもよろしくね? 白房」 ●初心 ころころしていた。 まだ外の世界を知らぬ、小さな生き物。母親に庇護され兄弟姉妹の中で埋もれている幸せを享受している幼い命。 桜は地面に座り込み、仔犬溜まりを微笑ましく眺めていた。 「なんか見てるだけでも癒されるわねぇ♪」 本当はもふりたくて仕方ないのだけれど。 構い過ぎると仔犬が疲れてしまうから、桜は手を伸ばしたいのを我慢するのだ。そうしている内に、仲間と認識したのか一匹の仔犬が桜に近付いて来た。 「いらっしゃい♪」 まだまだ幼い尻尾を千切れんばかりに振っている。そっと伸ばした桜の手を、仔犬は小さな舌でぺろぺろ舐めた。 「か、可愛すぎっ!」 桜の相棒の桃は修行好きの頑張り屋さんなのは美点だが、真面目さ故にこうも無防備に甘えて来はしないから、仔犬の素直さが愛らしい事この上ない。 桃がいるのだし本当は引き取るか決めていなかったのだけれども。 「一緒に‥‥来る?」 身を寄せてきた仔犬に、桜は思わずそう尋ねていた。 「ふぁ」 可愛らしい声の主はケロリーナ。仔犬溜まりと鞠子を交互に眺めている。 姉姫の乳母と七宝院家の居候には面識があるのだが、鞠子とは初対面だ。未だ見知らぬ姉姫を鞠子に重ねて想像しつつ、ケロリーナは鞠子の様子が気になっていた。 「んと。鞠子おねえさま、悩みがおありですの?」 何となくだが、心に悩み事を抱えているように見えた。しかし鞠子は微笑を作って「どの子も可愛らしくて」と言うのだ。 「白か黒かで悩んでいるですのね」 「ええ、そうですの」 悩んでいる内に、千覚は縁ある子を見つけたようだ。ぽちが近付きくんくんした黒白の毛並みの子を膝に上げ、握手するかのように前脚を握る。しっかりした足裏を確認して満足そうに微笑んだ。 「この子は、家族を立派に守ってくれますね」 白い仔犬も縁が繋がったようだ。 「翡翠に何か言われそうだけど‥‥月夜にも」 居ついた猫又、それから双子の妹――家族の顔を思い浮かべて躊躇ったものの、この子の円らな瞳には勝てなかった。 陽媛が仔犬を抱き締めて柔らかさを愛おしく感じている最中、霜夜は妙齢の娘さんの縁談を。 「面倒見の良い気立ての良い子なんですが、気立ての良い分、自分の事はついつい後回しして嫁き遅れそうなタイプなんです」 何々、霜夜が仲人か? それとも早々と婚活!? 「四歳の雌なんですけど‥‥いい子、いませんかー?」 何の事はない、相棒の忍犬・霞の縁談だった。しかし当の霞がこれを聞いて言葉を発せるならば、「霜夜ちゃんがお嫁にいくまでは!」などと拒否するに違いない。何せ霞は霜夜の保護者気分でいるのだから。 「そうですねぇ‥‥犬同士の相性もありますから、今度ここへ連れておいでなさい」 「はい、よろしくです。鞠子さまは、白の子か黒白の子か迷ってらっしゃるですか」 話がひと段落付いた所で、霜夜はケロリーナと一緒に悩んでいる鞠子を振り返る。 「ええ‥‥どの子も選びがたくて」 「んー やんちゃな子、おとなしい子、勝気な子、臆病な子‥‥個性はそれぞれと思いますが‥‥」 相性は一目あったその時に感じちゃう物な気もします、と霜夜。その上で――と、彼女は白い仔犬を手招いた。 「お母さんわんこの血が一番濃そうな白わんこさんをお傍に置いては?」 「シロちゃんの子供ですし、桜の季節の終わりに生まれた子ですの」 里子に出される仔犬達の運命を受け入れているのか、母犬は仔犬達を代わる代わる舐めては毛繕いをしてやっている。 愛情深いシロが産んだ白い犬なれば、きっと母犬同様の情の深さを引き継いでいるだろうと霜夜はいい、ケロリーナは「純白はまっさらな心ですの」と言って続けた。 「迷いがあるときは初心に帰ってはじめての気持ちにもどるといいと思いますの〜」 「初心‥‥」 ――まっさらな心に戻って。 それは仔犬を選ぶ助言だったのかもしれないけれど、鞠子にはとても新鮮な驚きを与えた。 生まれたばかりのまっさらな心。如何様にも色づく可能性を秘めている、はじめての心。それは誰もが持って生まれたはずの、もの。 触れている先から壊れそうな気がした。 命の重みとそれを預かる責任を改めて思い知らされたような気がして、鞠子は厳かな気持ちで白い仔犬を抱き上げて尋ねた。 「あなたの将来を、わたくしに委ねていただけますか?」 人と犬ではなく、対等な生命同士として。 仔犬は――鞠子を受け入れた。 ●巡り、巡りて 鞠子が仔犬を選んだのに安心して、二人も自分達の縁を手繰り始めた。 「どの子がいいかなぁ‥‥きりっとした顔立ちのこの子っ」 「ちっちゃくって、あったかくて、ふわふわですの〜♪」 霜夜は白黒の子を、ケロリーナは黒一色のふかふかした毛並みの子を抱き上げる。どちらも仔犬達に認められたようで、舐められたり齧られたり甘えられている。 「あはははっ、顔を舐めてくれなくても大丈夫ですよー♪」 「全員、ご縁がありましたね。鞠子様も心通わせられる子が見つかって良かったです」 千覚が鞠子に言った。彼女が選んだ白黒の子犬は既にぽちにも馴染んだようすで、ぽちの足元に纏わり付いている。 「心通わせて、互いの足りないところを補ってくれるのが、良き朋友との関係ですから‥‥心通わせた相手だからこそ、身を任せられるんです」 そう言って、千覚はぽちを引き寄せた。闘争心の欠片も見えぬ温厚な犬だ。忍犬だと説明されなければ誰が開拓者の相棒と思うだろう。 「ぽちは、こんなに優しくてほんわかさんですけど、いざって時にはきちんと守ってくれる私の騎士さんなんですよ」 仔犬にじゃれつかれるがままになっている忍犬は長閑に喉を鳴らしてみせた。 ところで、と千覚は主に父犬の所在を尋ねた。 「ご両親ともに安心して欲しいですから」 「大切なお子さんを‥‥命をお預かりしますので。父犬さんにもご挨拶をさせてください」 柚乃も頷く。皆で父犬に挨拶へ行く事になった。 仔犬達の父は黒一色のしっかりした体格の柴犬で、人間で喩えるなら壮年辺りだろうか、第一線を引退した者の落ち着きと貫禄を備えていた。 「シロさんとは歳の差夫婦なのですねー」 「はい。忍犬出身と聞いています。よく躾けられた、無駄吠えしない良い犬です」 どんな半生を生きてきたのかは主も詳しく聞いていないのだと言う。おそらく知らぬ方が良いのだろう。黒柴は新たな主の下で第二の生活を送っているのだから、それで充分だ。 皆それぞれに仔犬を抱え、柵越しに黒柴と対面してご挨拶。柵越しに手を伸ばした柚乃に黒柴は大人しく頭を撫でられていた。 腹を痛め乳を含ませ舐めて世話する母犬の情の濃さほどには未練も少ないのかもしれぬ。そう考えるだに母犬が不憫で仕方なくなって。 「ごめんね。子供は大事に育てるから。たまには一緒に遊びにくるね」 霜夜はシロをぎゅっと抱き締めて、約束した。 来訪の目的を果たした後、一行は母屋で一休みさせて貰う事にした。 手土産にと用意した柚乃お手製のクッキーはほんのり桜色。出された茶にもよく合って、ほのかな香りが春を感じさせる。 桜型のクッキーを手に穏やかな微笑を浮かべている鞠子へ、陽媛は歌を所望した。 「ちょっと、あわせてみませんか?」 伝説の精霊に肖って名付けられた髪飾りは宝珠細工の逸品だ。声を媒介とし楽器となす不思議の飾りに気付いて、柚乃が自身の首元に手を遣った。そこには銀の鈴をあしらった水晶の首飾りが輝いている。 「けろりーなも合わせるですの♪」 お供のカエルさんとまったりお茶を楽しんでいたケロリーナ、カエルさんを置いて荷をごそごそ。オルガネットを取り出した。 「まあ‥‥みなさまったら」 準備の良い少女達の様子に鞠子の顔が綻んだ。くすくす笑いながら己の荷を解く。何やら嵩の高い荷を持ち歩いている様子だとは思っていたが、やはり鞠子も琵琶を持参していたのだ。 「合わせて、くださいますか?」 「鞠子さんの好きな歌でいいですよ」 「それでは‥‥夕桜を」 弦の調子を合わせ、撥を握った鞠子の手元から、もふぅん‥‥と気の抜けた音がした。 『夕桜 あのやこのやに 琵琶鳴りて』 誰かが「おや?」という顔をした。悪戯っぽく笑い、鞠子は弦を弾く。 家族団欒の夕餉を歌った曲だ。親元から新しい家族の許へ――仔犬達の幸せを願っての選曲なのであった。 「‥‥想い続ける事って大変な事です。でも、きっと大切な事」 「陽媛さま?」 心配げな鞠子に、陽媛は「お互い頑張りましょうね」そう言って笑顔を作る。 あまり上手くはないけれどと謙遜しつつ、陽媛は一首詠んだ。 ――懐かしき 想い新たに 前向けば 巡り、巡りて 櫻また咲く―― |