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■オープニング本文 天儀の何処にいても月は同じ、唯ひとつの月。 遠く輝く、いつか還る場所―― ●月見みたらし その日、吾庸(iz0205)は兎月庵にいた。 兎月庵とは神楽のはずれにある甘味処である。喫茶室を併設した餅屋は、菓子職人の頑固親仁と洒脱な女将が二人三脚で営んでいる。時折、繁忙期には開拓者ギルドに手伝いを募る事もあり、気軽な日雇い仕事として吾庸も度々請けていた。 さて、時は秋、観月の時期である。 日雇い仕事の内容は言わずもがな、月見団子の需要を捌く手伝いだ。常ならば、販売接客の手伝いと厨房補助の手伝いに分かれて、吾庸は厨房に引きこもるのだが、何故か彼は店先にいた。 「月見みたらし、二十文だ」 仏頂面で販売をしている。否、彼なりに愛想を振り撒いているつもりなのか、懸命に笑顔を作っている。しかし無理矢理目を細めた作り笑顔に普段の低い声では、とても愛想良くは見えない。 有体に言えば傍目には吾庸の接客は大層怖い。しかし幸いにもそれを凌駕するだけの魅力が兎月庵の商品にはあった。 「お疲れ様、そろそろお昼に抜けて頂戴な」 気付けば日が中天に昇っていた。店頭に現れた女将のお葛が、朝から立ち通しで疲れたでしょうと吾庸を労うと、彼は大した事はないという風に僅かに首を振って言った。 「昼は半時だったな‥‥少し抜けても構わないか?」 「どこか用事?」 快諾するお葛に、吾庸は早便屋で荷を送って来るという。 吾庸は神威人の隠れ里の出で、毎年この時期になると里のしきたりに則った供え餅を兎月庵で作って貰って里へ送るのだが、それは少しまえに手配済みのはず。お葛は怪訝な顔をした。 「お里へのお供え餅は前に手配したわよね?」 「ああ、あれとは別に、月見みたらしを送ってやりたくなった」 菓子職人の平吉が改良に改良を重ねて観月当日ようやく日の目を見た、兎月庵の新商品を里へ送ってやりたいのだと吾庸は不器用に微笑んだ。 月見みたらしというのは、みたらし団子の中外が入れ替わったものと考えると想像しやすいだろうか。一見、焼き目の付いた白団子のように見えるのだが、齧ると中から醤油だれの餡が溢れ出す変り種の団子だ。 これを作るにあたり、平吉はちょうど良い餡の濃度や包み方を納得いくまで試行錯誤したらしい。 結果、販売が観月当日になった上に、開拓者には団子の製造補助を頼まない方向で、今回の手伝い募集は行われた。今日、厨房では食器や調理器具の洗浄程度の手伝いしかできない事になっている。 厨房の人手が間に合っていたので吾庸は表で慣れぬ接客を担当していたのだが――朝から客や商品と接している内に彼の心境に変化が現れた。取り扱い商品に対する愛情である。 ――旨い月見みたらしを里の皆にも食べて貰いたい。 その心が、昼休みの外出許可を請う行動になったのだった。 しかし、お葛は心配そうだ。 「大丈夫? 月見みたらしは余り日持ちしないわよ?」 里への供物は木の実や干した果物を練りこんだ、日持ちがするような作りになっている。だから運送屋も請け負ってくれるのだが―― 「早便で届けられそうなら預ける」 折角届いたのに痛んでいたら里の者もがっかりするからな、と吾庸。 少し考えて、お葛は昼休憩の後で遣いを頼めないかと彼に問うた。 「街へ出るなら、ギルドへ寄ってってくれないかしら? お茶請けを届けて貰いたいの」 もちろん昼休憩の後でいいわ、とお葛。ついでに吾庸の月見みたらし代も後払いでいいと言って、早便が無理だった場合はギルドに置いて来るようにと言った。 「それは‥‥忝い」 彼女なりの気遣いに感謝して、吾庸は奥へ下がり手弁当を食べた後、荷を持って街へと出て行った。 ●月が綺麗な一日に 運送屋の主人は難しい顔をした。 「うーん、そいつは難しそうですねえ。早便を使えば山田までは行けるでしょうが‥‥」 吾庸の故郷は山間の隠れ里だ。最寄になるのは麓の村で、そこに里人が荷を取りに来なければならない。何時受け取りに来いとの連絡もできぬ以上、荷は麓で留め置きになるし痛まない内に里へ届く可能性は限りなく低いと考えざるを得なかった。 「そうか‥‥邪魔をした」 ならば仕方ないと吾庸は主人に礼を言って運送屋を出る。次に向かうは開拓者ギルドだ。日々訪れる開拓者の為の口入屋、仕事は此処から始まると言っても過言ではない。 「あ、吾庸さん、いらっしゃいですよぅ」 窓際でごそごそしていた梨佳(iz0052)が笑顔で迎えてくれた。観月の設えが整えられている。彼女の手によるものだろう。 「お前も精が出るな」 梨佳は開拓者ギルド職員見習いの少女だ。お葛の使いで茶請けを持ってきた旨を告げると、梨佳は大喜びで教育係の桂夏へと伝えに行った。 それからほどなく――何故か吾庸は座敷で茶を振舞われていた。 遣いに来ただけだからと辞退するのをまぁまぁと制し、梨佳に「後はよろしくね」そう言い置いて桂夏は受付へと戻って行った。勿論、差し入れの半分を職員控え室に届けておくよう言い置くのは忘れない。それでも沢山の茶請けが座敷に残っていたのは、吾庸が早便を使えなかったからだ。 「梨佳、これは齧らない方がいいぞ」 送り損ねた月見みたらしを一つ摘み上げた吾庸は、大きく開けた口へと一口に放り込んだ。もぐもぐと無言で咀嚼する吾庸の顔はいつもの仏頂面だ。何故齧らない方が良いのか説明しない辺りが言葉足らずの彼らしい。 「一口で食べるですね?」 梨佳は素直に従うことにして月見みたらしを丸々一個口内へ入れ――咀嚼して理由に気付いた。が、暫くは声も出せずにもごもごと団子を噛み嚥下した後、茶で締めて漸く口を開いた。 「‥‥みたらし団子になったです! 皆さん、齧ると中のタレが零れちゃいますよ!!」 噛み締めるごとに醤油だれが溢れ出て来た。確かにこれでは齧らない方がいい。 梨佳の補足に興味を惹かれた開拓者達が次々に手を出していく。暫し座敷は無言の空間と化した。 「ところで吾庸さんは、今日はどうされるんです?」 「俺か? このあと兎月庵に帰って仕事の続きだが‥‥」 「お仕事のあとですよぅ」 大真面目に答える神威族の男に、梨佳は「観月するんでしょう?」と首を傾げた。獣人族が月に敬虔な想いを持っている事を知っているからこその問いだ。 「あたしは七々夜連れてお散歩に行くです。吾庸さんは?」 「俺は‥‥」 今年は何処で月を観よう。 同じ空の下、皆が同じ月を眺めている――そんな日の夜に。 |
■参加者一覧 / 桔梗(ia0439) / 柚乃(ia0638) / 秋霜夜(ia0979) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 和奏(ia8807) / 千代田清顕(ia9802) / ジルベール・ダリエ(ia9952) / ニーナ・サヴィン(ib0168) / 御陰 桜(ib0271) / 明王院 未楡(ib0349) / 明王院 千覚(ib0351) / 国乃木 めい(ib0352) / 朱華(ib1944) / 言ノ葉 薺(ib3225) / 東鬼 護刃(ib3264) / 寿々丸(ib3788) / 紅雅(ib4326) / 緋姫(ib4327) / 神座真紀(ib6579) / 神座早紀(ib6735) / 神座亜紀(ib6736) / 金森凪沙(ib7920) / カルマ=V=ノア(ib9924) / ジャミール・ライル(ic0451) / 花漣(ic1216) |
■リプレイ本文 月が一年で最も美しいとされる日。 神楽の空の下、開拓者達は―― ●月の兎の餅屋にて 澄んだ秋の夜空に輝く、まん丸い月――餅屋にとって、観月の頃は年の瀬に次いで忙しい時期だ。 甘味処を有する餅屋・兎月庵も例外ではない。殊に今年は望月当日に新作を発売した事もあって、昼の内から大変な盛況振りであった。 相席でもよろしいですかと接客担当の開拓者に尋ねられ、ジャミール・ライル(ic0451)はきょろきょろと店内を見渡した。 「いいよー? あそこ、いいか聞いてみるよ」 案内を軽く辞退し、一人身軽に近付いた相席希望の場所は、何とも良い感じのお姉ちゃんが一人で団子の到着を待っていた。 「ここ、一緒いい?」 頷く先客。艶やかに流れる金の髪に青い瞳が印象的な極上の美少女だ。しかも身形が垢抜けていて、何とも色っぽい。 「ここの店初めてなんだけどー、なんかおすすめとかある?」 「知らねぇ。俺も初めてだ」 意外と声の低い娘だ。ハスキーな声も素敵だねと囁かれて、カルマ=V=ノア(ib9924)がキレた。 「女じゃねぇっつーの」 見た目は完璧に美少女なのに、性別も行動も男性そのものだ。イライラした勢いで懐から煙管を取り出したが、場所が場所だけに思い留まった。甘味処で紫煙を燻らす趣味はない。 注文を取りに来た開拓者に月見みたらしを注文し、ジャミールは気にした様子もなく彼に名を尋ねた。 「カルマ=ヴィンセント=ノア」 「へぇ…なっがい名前、ヴィーって呼んでいい?」 断られてもそう呼ぶつもりのマイペースなジャミールである。初対面にも関わらず気さくに話しかけたから、自然とVも言葉を返して会話が成立していた。 そうこうしている内に、団子と茶が運ばれて来る。存外小さな団子を見て、Vが呟いた。 「天儀の菓子って、甘いものはすっげぇ甘い気がするけど…これは大丈夫か?」 「んー、大丈夫じゃない? 食べ切れなかったら、おにーさん食べたげるよー」 ヴィーちゃんの奢りね、なんて冗談交じりにVの団子をひとつ摘み、彼の口へと放り込んだ。 もごもご―― 「ん、まあまあじゃね?」 甘じょっぱい醤油だれが何とも後を引く。それは良かったとジャミールも自分の皿から団子を摘み口へと入れた。うん美味しい。 「…ま、旨いものは誰かと食べる方が良いよな」 初対面の相手とだけど。この後月見に誘われたのが何となくナンパっぽいけれど。 どこか憎めない所があるジャミールと向かい合い、Vは熱いお茶を一口飲んだ。 相席を請うほどの盛況振りは厨房にいても伝わって来る。礼野 真夢紀(ia1144)は束子片手に微笑んだ。 ぬるま湯を張った盥から捏ね台を半分引き出し、緩んだ汚れを掻き取るように洗い始める。団子粉の汚れは結構しつこいのだ。 いつもなら製造補助をするのだが、今回は平吉が調理補助の事前説明を行えないほど余裕がない状況だったので、せめてと厨房補助に志願した。いつだって出来る事を全力でが真夢紀の遣り方だ。 いつも通りに姉さん被りに髪を手拭で覆い、髪の毛一本、汚れひとつ残さぬ完璧な洗浄を心掛けて。 (新作は自分でも食べてみたいですもん) 庭から聞こえる歌舞音曲に耳を傾けつつ、昼食時に月見みたらしを食べるのが楽しみだと真夢紀は思う。 喫茶席に面する庭では、領巾振る所作も軽やかに、涼やかな鈴の音響かせ舞う金森凪沙(ib7920)の姿があった。相席を頼んでなお空席待ちの状況だったから、全ての客が楽しめるよう喫茶席からも待合席からも見える庭での舞踊披露である。 「今宵は満つ月、どうぞ良いお月見を‥‥」 薄黄色の衣と羽のような純白の領巾を風に靡かせ、氏族に伝わる月見の踊りを舞い踊る。 (元首様もご覧になるでしょうか?) 今夜は月がとても美しく輝く日。月の光は人を美しくする効果があると聞く。アル=カマルの元首に憧れる少女は、その身に敬仰の姿を宿して踊る。巫女の素質はなくとも――少しでも近付きたい憧れのあの人を想って。 凪沙の舞は、団子を売っている吾庸がいる場所からもよく見えた。同じ獣人族ではあるが生まれも育ちも違う氏族、しかし心に響くものが、ある。 「コンコン、こんにちは。お団子はいかがですか?」 おや、売場では狐獣人の御新規さんが――もとい、宝狐禅の伊邪那と同化中の柚乃(ia0638)だ。 手が止まっている吾庸の代わりに客を捌いて、舞を眺めている吾庸の背をちょいと押した。気付いた凪沙が領巾を泳がせて小首を傾げる。 「吾庸さんも一緒に踊りませんのです?」 はた、と我に返った吾庸は照れたのか、ほんの少し目を泳がせた。振り返ると狐耳の柚乃が「行ってらっしゃい」と言うかのように小さく頷いていたりする。 「俺は踊りは不調法だが‥‥一曲、所望しても良いか?」 言いつつ、吾庸は庭へ出て懐かしげに目を細めて請うた。 売場を離れた吾庸の分まで柚乃は頑張った。 神々しいほど美しい純白の衣装に身を包み、狐耳を生やし、満面の笑顔を湛えて五十鈴をしゃんと鳴らす。 「コンコン、お団子お買い上げの方、占って差し上げますよ?」 霊験あらたかな御狐様の口上の効果あってか、次々と団子が売れてゆく。 大半が占い希望の年頃の娘さん達で、柚乃は接客に占いにと大わらわ。一気に忙しくはなったけれど、柚乃も伊邪那も頑張った。 「コンコン、こんなん出ました?」 もっとヒトの役に立てるようになりたいから、日々精進。 夜は月光浴をしながら心静かに歌い祈りを捧げよう――背後に聞こえる神威の調べに耳を傾けつつ、元巫女は仕事後の事を考えていた。 ●約束 冷気を帯びた乾いた風に、ススキの穂が揺れている。 昼を少し過ぎた頃、兎月庵から開拓者ギルドへ茶請けの配達に訪れた吾庸は座敷で茶を喫しながら、窓際のススキを見るともなしに眺めた。日々変わり無いようでいて、季節は巡るのだと、ささやかな設えに教えられたような気がする。 一息入れた吾庸が発った後も、座敷は開拓者が入れ替わり立ち変わり、賑やかに和やかに休憩してゆく者達で溢れかえっていた。 座卓の大皿には兎月庵から届けられた茶請けのほかにも様々な菓子が並んでいる。どれも誰かが厚意で持ち寄ったものだ。 黄粉と餡の団子は桔梗(ia0439)が手ずから作った甘味。皆でどうぞとはにかんで、彼は満面の笑みでぱくついている梨佳に微笑した。 「ギルドは大変な事も起こるけど‥‥でも、こういうの。『家』みたい、だよな」 茶の間で過ごす一家団欒。目の前には気の置けない人がいて―― ほっこりしていた桔梗は、はっとしてきょろきょろと辺りを見渡した。 (‥‥大丈夫) 哲慈とか桂夏とか、何となく察している開拓者とかの――冷やかす視線は、ない。 すっと息を整えて、桔梗は小声で言った。 「えと‥‥仕事が終わったら、家に来ないか? 近所の子供達も呼んでて、月見っていうには、賑やかになると思う、けど」 「はいです♪」 ぱあっと梨佳の顔が綻んだ。 桔梗は小さな神社で子供達に読み書きを教えている。きっと彼の教え子達や神社のばばさまも一緒の観月なのだろう。 賑やかなの大好きですよと笑顔で返す梨佳に、桔梗はまだ物言いたげだ。 「‥‥それで。梨佳が良かったら、迎えに来ても、良いか? 家に着くまで、で」 「いいですよ?」 梨佳は首を傾げている。 海に近い古民家に到着してしまえば皆がいて、確実にケンタら悪ガキ達に冷やかされるのが目に見えている。それに―― 「少しの間でも、二人で見れたらなって」 ――俺にとって、梨佳と一緒に月を見るのは、特別で。だから。 桔梗の囁きに、梨佳の頬が赤くなった。 団子や栗の甘露煮、芋と蓮根の煮物をつまみに楽しいひととき――だけど、せめて往路だけは二人きりで夜空を見上げよう。 ●今日ほど綺麗な月はない からりと澄んだ秋の晴れ空、夜に輝く丸い月。 その夜は、神楽の街のあちこちで観月を楽しむ人々の姿が見られた。 「良い場所を教えていただきました」 月見団子を一串摘み上げ、言ノ葉 薺(ib3225)が言った。何処か声が昂ぶっているのは満月ゆえか、それとも東鬼 護刃(ib3264)が傍に居るからか。 昼間、兎月庵で月見用の団子を求めた際に、お葛に月見の穴場を尋ねておいたのだ。静かに月見ができる場所をと。今ここにいるのは護刃と薺の二人きりだ。 「中秋の名月とはよく言ったもの‥‥ま、かく言うわしらは月も団子も楽しむ心算じゃがな?」 くすりと薺が預けた尻尾を膝に載せ護刃が微笑う。月見みたらしを一つ、口に放り込み杯を干した。 薺の酌、空には肴。何度こうして二人で眺めただろう。しかしそれでも飽く事なく、心惹かれる、月。 「寒くはありませんか?」 薺が気遣うもので、ふと悪戯心を起こした護刃は膝に載せた薺の尻尾を撫で上げた。 「なんの、月下の一献、心地良き温もりもあるとなれば、なんとも贅沢なものじゃ」 「もう‥‥ならば私も」 お返しとばかりに護刃を抱き寄せた。秋風の冷たさも、互いの温もりがあれば気にならない。 おや積極的じゃなと茶化す護刃からわざと顔をそむけ、薺は空を見上げた。 「今は月しか見ていませんからね」 そう、視線は月に注がれていた。しかし心はいつも護刃に向いている――それは護刃も同じ。 そっと顔を寄せた護刃は薺をじっと見つめ――微笑んだ。 「‥‥ほんに月が綺麗じゃな」 神楽に構えた居で、和奏(ia8807)は幼い頃を思い出しつつ観月の設えを整えていた。 「舟の上とか、浮御堂とか、萩の咲く庭を望む座敷とか‥‥その年によって色々違っていましたけど‥‥」 上級人妖の光華に、語るでもなく話かけつつ、ススキと萩、団子や栗やアケビと里芋などを用意する。 「秋よりも冬の方が空気も澄んでいて綺麗に見えそうなのに、何故、今の季節なのでしょうね?」 和奏には、皆が月見をする心境がよく解らない。だから今年は皆の気持ちを推し測ってみようと、家中の手鏡や器を縁側に並べている。盥は勿論、手桶に鍋に椀に猪口――ありとあらゆる器を集めた。 「姫、じっとしていてくださいね?」 興味深げに覗き込んでいた光華が濡れないよう気をつけて、全ての器に水を張る。 手鏡に水鏡。大小さまざまの鏡に映し出された月は丸いのもあれば、水面がゆれて不思議な紋様を描いたのもあった。 地上に下ろした月たくさん――今宵彼は何を感じた事だろう。 月明かりは存外明るかった。 神座三姉妹と、からくり三兄妹の6人は高揚した心持で家路に付いていた。花漣(ic1216)の為に神楽案内をしていたのだ。 「都見物、面白かったデース!」 「そら良かったわ」 神座真紀(ib6579)が微笑んで言った。神座早紀(ib6735)も相棒の月詠に「良かったですね」と声を掛ける。 「案内なんてメンドくさいと言いつつ一番熱心に案内してましたし、なんだかんだ言って妹思いなんですよね」 照れたのか、ふんと顔をそむける月詠はジルベリア風の美女。どうやらツンデレの傾向があるようだ。 「ダッテ、ハイテンションにもなるデスよ」 今日は嬉しい事が沢山あったのだ。マスターのご息女達が神楽を案内してくれたし、からくり三兄妹の上二人と会う事もできたし! 夜間の大声は近所迷惑だからやめなさいと嗜める相棒の雪那をまあまあと取り成して、神座亜紀(ib6736)は女性と見紛うばかりの中性的な青年からくりに囁いた。 「花漣が喜んでくれてよかったね、雪那」 「ええ」 主の言葉に柔らかい微笑を返す。きょうだいの行方を誰よりも心配していた長男からくりは、妹達の所在が判明して安堵と喜びを感じていた。 「あれ、梨佳さんやんか。こんばんは」 真紀が、向こうから歩いてくる梨佳と桔梗を見つけて声を掛けた。挨拶を返す二人を微笑ましいとは思ったが冷やかしたりなどはせず、さりげなく花漣の腕を取って紹介した。 「今日は新しく家族になった花漣に神楽を案内してたんよ」 「カレンさんですかー よろしくなのですよ♪」 「なー♪」 梨佳の腕の中で、もこもこした白いものが突然鳴いたので、花漣は黒い瞳をぱちくりさせた。 「それは何デスか?」 「なー?」 「七々夜って言うです。もふらさま‥‥見るの初めてです?」 花漣に七々夜を抱かせてやって、梨佳は早紀と世間話。何でも昼間、兎月庵で月見みたらしを食べた際、亜紀が中の醤油餡を零してしまったとかで―― 「もー 早紀ちゃんなんでばらすの? 恥ずかしいじゃん、馬鹿!」 「亜紀が膨れてるデス。これが「河豚みたい」というやつデスね」 「なー♪」 花漣と七々夜がそんな事を言ったものだから、亜紀は益々おかんむり。真紀がクッキーを取り出して漸く直った機嫌に、早紀は笑いを堪えるやら姉に感心するやら。 「さすが私の姉さんだわ」 「亜紀の機嫌も直ったデスし、帰ってマスターとお月見するのデース!」 三人と三体は梨佳達と別れて、賑やかに帰って行った。 きっと神座家では今宵、三姉妹の父も加わって更に賑やかな観月の宴となるだろう。 街外れにある休憩処、色邑亭では兄弟姉妹が集まっての賑やかな観月だ。 「兄様、兄様。今年も美味しそうなお団子ですぞ!」 縁側に佇む朱華(ib1944)の元へ、寿々丸(ib3788)が団子の大皿を運んで言った。ちょこんと朱華の隣に座り「いただきます」手を合わせて嬉しそうに食べ始める。 「今年も立派な満月ですなぁ‥‥!」 尻尾を嬉しげに揺らしつつ食べる養弟の隣で朱華も団子を食べ始めた。大食漢の弟を見て、団子を用意した姉は溜息を吐く。 「まったく、無駄にたくさん食べる子がいるから」 「‥‥まぁ、そう言わず。姫も座って落ち着きなさいな」 兄の紅雅(ib4326)に言われては敵わない、緋姫(ib4327)は苦笑いを浮かべて朱華の様子を見守り「‥‥そうですわね」と呟いた。 「‥‥少しでも、寂しさが和らいでいるなら‥‥」 兄姉の心配を他所に、朱華の食欲は全開だ。そんな彼を見上げ寿々丸は尻尾を揺らした。 「実はですな‥‥寿々は兄様と一緒に、お月見が嬉しいのでする」 血は繋がらぬが大事な弟にそう言われるのは何だか照れくさい。朱華は寿々丸の髪をわしゃわしゃ撫でて、ぼそっと照れ隠しを言った。 「‥‥ま、たまには、皆で月見も良いと思って」 「大兄様と姉様と、兄様と寿々の四人でお月見‥‥久し振りで嬉しゅうございますぞ」 重ねて喜ぶ寿々丸が無邪気で、だけど兄姉の視線は居心地が悪くて。朱華は何だか落ち着かないのだけれど、寿々丸は朱華と一緒にいられる事を、とても嬉しく感じていた。 (少し前まで兄様は、月見の時は一人で寂しそうでしたから‥‥) 「お団子、美味しゅうございますなぁっ」 嬉しくて、嬉しくて。どんどん団子に手が伸びる。 あっという間に減ってゆく団子のお代わりを持って、緋姫が縁側に寄って来た。 「朱華は、色気より食い気ばかり‥‥これで可愛いお嫁さんとか見付かるのかしら‥‥」 「っ‥‥っ‥‥!いきなり、変な事っ‥‥!」 大事な弟だからこそ出て来る小言に、当の弟は茶を噴き出した。長兄が近付いて、面白そうに緋姫の頭を優しく撫でる。 「おや、はー君がお嫁さんですか?」 くすくす笑いながら兄弟姉妹で眺める月は、まん丸で温かい。小さく笑みを浮かべた朱華は湯呑みを月に掲げた。 (‥‥やっぱり、嫌いにはなれないんだ‥‥お前を、思い出すのも‥‥偶には、な) 昔に失くした親友の笑顔が満月に映っているような気がした。 その宵、縁生樹は来客でごった返していた。 尤も、縁生樹は民宿なので来客は珍しくないのだが――随分と大人数になっていたのだ。 「未楡さん、千覚さん、めいおばあちゃん、お連れしましたよー」 北面から戻った秋霜夜(ia0979)の元気な声がする。迎えに出てみれば若い娘達に従者達の大集団が到着していた。花椿隊――北面にある、有志の女子による私設諸隊が飛行船を用いて到着したのである。 花椿隊は嫁入り前の娘達が中心になって慈善活動を行っている諸隊である。年頃の娘達それも慈善活動を行える環境にある娘子となればそれなりに恵まれた環境の者が多く、供なしでの旅など有り得ない。 隊の目付け役となっている翁が恐縮しきりといった様子で女将の明王院 未楡(ib0349)に挨拶した。 「大勢で押しかけてしまいまことに申し訳ない‥‥皆来たがりましてな」 「構いませんとも。大部屋を開けてお待ちしておりましたわ」 「皆さま、お久しゅうございます」 翁の後ろから一歩踏み出た七宝院 鞠子(iz0112)は、胸に抱いた真白な仔犬が苦しくない角度でお辞儀して、北面へと出向き此度の旅の為に動いてくれた皆への感謝を述べた。 そう、此度の神楽入りは霜夜と御陰 桜(ib0271)の根回しがなければ実現しなかっただろう。鞠子は屋敷周辺を昼間出歩く事はあったが、夜間しかも他国で夜を過ごした事などない箱入り娘だ。いかに既知の開拓者の誘いであっても、泊りがけで他国へ旅行するなど周囲の者が許さない。それが叶ったのは霜夜と桜が花椿隊の翁を通じて誘いを掛けた事が功を奏した結果であった。ただ、翁を通した為に話が花椿隊全体に広がり、鞠子と供の者達のみならず隊員の娘達とその従者達も同行する事となったのだが。 「鞠子様、花椿隊の皆様、ようこそお越しくださいました」 奥から小走りに出て来た明王院 千覚(ib0351)と、その後ろを駆けてくる黒白の仔犬は国乃木 めい(ib0352)が大切に育んでいる山水だ。千切れんばかりに尻尾を振って甘えた声で鳴く雪夜に、桜が目を細めた。 「久しぶりにみんなと会えて、雪夜嬉しそうね♪」 「雪夜ちゃんと山水ちゃんは、ウチの雫と同じ黒白さんですねー 白蓮ちゃんも元気でした?」 再会した兄弟姉妹犬達を霜夜がわしゃわしゃ撫でまくる。暫くくんくんと様子を見合っていた仔犬達は、すぐに打ち解けてころころと遊び始めた。 「あらあら‥‥孫から聞いては居ましたが、こんなに可愛らしい方々でしたのね」 千覚の忍犬・ぽちに懐いて縁生樹へやってきた山水だ。めいと花椿の娘達とは初対面だったが、娘達は穏やかで優しい気性のめいにすぐに打ち解けて――玄関先での再会はいつまでも続きそうな様子。頃合を見計らって未楡が中へと招いた。 「お月様が昇る前に、皆様お上がりくださいな。つもる話は美味しい料理と共に、どうぞ」 「月餅とか作ってみませんか? お台所も材料も揃えていますよ」 千覚の誘いに娘達から歓声が上がった。 ●望月の下に想う 神楽の外れにあるアストロラヴェーラは、かつて星見だった場所だ。 今はもう知る人もない場所で、ニーナ・サヴィン(ib0168)は満月を見上げていた。 「‥‥綺麗ね」 まるで夜空にぽっかり穴が開いたかのようだ。 満月は完成の象徴と言うけれど、今のニーナには丸く欠けた心の穴にしか見えなかった。 「‥‥拒絶、なのかな」 最後に彼がくれたのは、感謝の言葉だった。 大好きな人だった。今だって嫌いになった訳じゃない。好きだからこそ距離を置こうとした――別れた、恋人。 恋人になってから知った、彼の立場と恋愛ご法度という組織の規則。居場所を失くしてきた人だったから、自分の存在が彼から居場所を奪ってはいけないと思った。 だから離れようとした――本当は簡単に別れられないくらい大好きだったのに。 「好きだけど離れるなんてややこしい事したから、もういやになってしまったのかも‥‥」 彼の本心を知りたい。でないとどんどん悪い方向へ想像を膨らませてしまいそうで――でも。 ひとつだけ確かな事がある。 「苦しい思いも辛い思いもさせたくないじゃない‥‥だって大好きなんだもの」 同じ日の夜遅く―― 「遅くにごめん。奥さんはもう寝たかい」 神楽郊外の街道沿いに建つジルベリア風カフェ、ドヴォールにやって来た飲み友達は旅支度をしていた。 「清顕さんどうしたん、その格好」 カフェの主人、ジルベール(ia9952)はそう言って千代田清顕(ia9802)を迎え入れると、重い空気を軽くするかのように冗談めかして言った。 「何や、彼女に振られたからって傷心旅行か」 清顕は真面目な顔のままだ。まあ、生きてりゃ色々あるわなとジルベールはカウンターへ入ってごそごそし始めた。 忍犬のモクレンを傍に、清顕はカフェ・ドヴォールで過ごした日々を、開拓者を辞め姿を消した恋人との思い出を辿っていた。 二度と逢えないかもしれない。けれど生きていさえすれば、彼女と道が交わる時が来るかもしれない。 雪解け水を運ぶ清流、慎ましく咲く梅――艶やかな椿。一度は連れ帰る訳にはいかないと拒んだ彼女に、里を見せたい。 「里のゴタゴタを片付けておきたいと思ってさ」 彼女を里へ連れてゆけるように。いつか再び道が交わった時のために。 カウンターから出て来たジルベールは小さな風呂敷包みを持っていた。 「何や、叛の時も思ったけど、シノビの里って色々めんどくさそうやな。そういうとこで育つから清顕さんも色々屈折してるんやろけど?」 軽口を交えつつも友を気遣う気持ちは本物だ。あんなに嫌っていた自分の里へ帰る気になった事を意外に思いつつ、モクレンの首に風呂敷包みを結び付けた。 「月見団子や。帰って来たらカフェに顔出してや」 愛妻が作った月見団子を餞別に一人と一匹を見送って、月を見上げたジルベールは独りごちた。 「俺もそろそろ、ちゃんと考えなあかんなぁ」 駆け落ちで結ばれた妻が眠る家の中へと、戻って行った。 一方、清顕はモクレンと共に街道を行く。恋人への想いに胸を満たしながら。 今、君は何処にいるのだろう。 風邪を引いてやしないかい。悲しい目に遭ってやしないかい。 「君も、見てるかい‥‥」 今宵の月を、この世界の何処かで―― |