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■オープニング本文 ※このシナリオは初夢シナリオです。オープニングは架空のものであり、ゲームの世界観に一切影響を与えません。 ※このシナリオは、シナリオリクエストにより承っております。 ●精霊の湖 人里離れた山奥に、精霊の棲まう小さな湖がある。 今や訪れる者もないその場所で、川姫は水童女と共に暮らしていた。 精霊と人では命数に違いがあり過ぎる――湖畔に庵を結んだ旧友の安否を見守りつつ、彼女は静かに刻を重ねていた。 今日も草庵では、老僧が日々の勤めを欠かさない。 人里離れ、旧き友人の許に留まってから随分と経つ。うつろう四季を重ね、己の老いと向き合ってきた。 いつ姫の許を去らねばならぬか、それは彼にも分からない――だから望む。 願わくば――天命尽きしのち、人ならざる旧友が孤独に囚われる事のないように、と。 ●冬の湖 そこは少々寒かった。 さもありなん。冬至も過ぎた深山の水辺に、梨佳(iz0052)は立っていたのだから。 はふ、と白い息を吐き、梨佳は腕を組みなおした。おや、腕の中に居たはずの白い毛玉がいない。 「七々夜?」 梨佳は小さな白もふらの名を呼んだ。 見知らぬ地、迷子にならない内に見つけなければ――そう思ったのも束の間、真隣で聞き覚えのある声がした。 「なー♪」 だが、声を発していたのは白く小さなもふらさまではなかった。 真っ白な髪を、おかっぱ頭に切り揃えた女の子が、梨佳の着物の裾を握ってじっと見上げている。 「‥‥‥‥七々夜、です?」 「なー♪」 半信半疑、尋ねてみたが確信していた。間違いない、彼女は梨佳の七々夜だ。 何故童女の姿をしているのか、そもそも此処は何処なのか―― わからない事だらけであった。考えようにも思考が追いつかない。 だから梨佳は考えるのを放棄して、童女の手を取ると寒さに輝く湖の岸を歩き始めた。 |
■参加者一覧
羅喉丸(ia0347)
22歳・男・泰
柚乃(ia0638)
17歳・女・巫
アグネス・ユーリ(ib0058)
23歳・女・吟
御陰 桜(ib0271)
19歳・女・シ
ユリゼ(ib1147)
22歳・女・魔
神座真紀(ib6579)
19歳・女・サ
ケイウス=アルカーム(ib7387)
23歳・男・吟
佐藤 仁八(ic0168)
34歳・男・志 |
■リプレイ本文 ●はじまりの場所 夢を見ているのかなと、柚乃(ia0638)は首元に手を当てた。 いつもそこに居る襟巻き――玉狐天の伊邪那の姿がない。しかし宝珠に戻った訳でもなさそうだ。 「伊邪那ぁ‥‥?」 「ここにいるわよ?」 湖畔を見渡し呼んでみる。いつから近くにいたのか、女歌舞伎の役者を思わせる粋な髷を結った姐さんが柚乃の後ろに立っていた。 年のころ二十歳前後、淡い蒼紫の髪にさばさばとした物言いは伊邪那を思わせたが――狐獣人変化を使ったのではなく、頭部に狐の耳はない。 「なぁに? 襟元が寂しい?」 伊邪那は小さな主に抱きついた。 夢か現か。なんだかよくわからないけれども――この状況、ゆるりと楽しんでみよう。 「ところで伊邪那、ここってどこなのかな‥‥?」 柚乃と伊邪那は湖畔を散策してみる事にした。 小さな湖だ。小半時も歩いていると前方に幼子を連れた少女の背が見える。 「‥‥ん? ひょっとして梨佳ちゃん?」 「あや? 柚乃さんも迷っちゃったですか?」 声を掛けると振り返った幼子が「なー♪」と喋った。連れは七々夜に違いない。 そちらは、と尋ねる梨佳に伊邪那だと説明して更に歩く。程なく春を待つ桜の大樹と小さな庵が目に入った。 「あの、こんにちは。どなたか‥‥」 庵の入り口で声を掛け、中を覗き込んだ。 「おや、今日は客人が多いのう。嬉しい事じゃ」 しわがれた声は庵の主。膝上には一尺ばかりの水系の羽妖精らしき童女を座らせている。 老僧――良寛の声に、向かいに座っていた二人が入り口を振り返った。 「梨佳、さん‥‥?」 黒髪の娘が驚きの声を上げる。ユリゼ(ib1147)は少女の成長に目を見張り、そして懐かしさに目を細めた。 「前にも会ったわよね? 随分大きく綺麗になって‥‥」 そう、あれは五年近くも前の出逢い。永く逢っていなかったからこそ感じる少女の成長から、良い時間を歩んできたと感じられた。 ユリゼは良寛に向き直り、伏して礼を述べる。 「始まりは、ここでした。この場所にもう一度来られたなら‥‥私は伝えなければなりません」 「行きなさるか」 ユリゼは良寛に頷いた。 あの人もきっと来ている。だから――伝えなければ。 席を立つユリゼの後方で、光の加減で金にも見える銀の髪をしたエルフの女性が静かに立ち上がった。無言で良寛に目礼し、先に庵の外へ出る。 「どうかそのまま素直で‥‥幸せにね」 最後に梨佳へそう言い残し、ユリゼは庵を後にした。 ●水と遊ぶ 姉弟のような黒髪黒瞳の少年少女が、湖畔で困惑していた。 「あれ? にんげんになってるよ?」 線の細い色白な少年は十歳ほどだろうか、じっと見ていた掌をぐーぱーさせて首を傾げている。 「ふしぎだな〜♪」 言葉に楽しさを滲ませているあたり、好奇心旺盛な少年のようだ。一方、姉らしき十六、七の少女は冷静に身辺を調べていたが、やがて落ち着いた様子で言う。 「まぁ、問題ないでしょう」 そうでしょう桜様――とばかりに御陰 桜(ib0271)を見上げた少女の首筋には、桃の花の形をした特徴的な痣があった。 「前にも似たような事があった気がしますし‥‥」 「そうね。こんな感じのコトは何度かあったけど、まぁ楽しんじゃえばイイわよね♪」 「桜様‥‥」 何とも楽天的な主だ。闘鬼犬だったはずの桃は、遊びたくて今にも走ってしまいそうな弟分の忍犬少年・雪夜の着物の袖をしっかり捕まえて溜息を吐いた。 ここは不思議な場所だ。忍犬だった桃や雪夜が人の姿を取っている――そして。 「それにしても、この景色って?」 てくてく前を歩きながら、桜は独りごちる。雪夜は珍しげにきょろきょろ視線を遊ばせているが、桃もこの場所には覚えがあるような気がしていた。 「懐かしい、匂いがします」 肩の辺りで切り揃えられた黒髪をさらりと揺らし、桃は意識を集中させる。ほんの僅かだが、春を待つ桜の香りがした。 「桃も見覚えあるわよね‥‥ってコトは、こっちに♪」 「あ、桜様!」 警戒する様子もなく、桜はすたすたと先へ進んでゆく。慌てて桃は後を追った。 湖畔沿いに小半時、見えてきたのは春を待つ桜――ではなくて。 「あのコ達もいるのかしら?」 「あのこたち?」 きょろきょろ水面を探す桜に雪夜が首を傾げて問うた。確かこの湖には小さな精霊が棲んでいる。 ぱしゃりと、水が跳ねた。 「こんにちは!」 水童女が声を掛けてきた――が、何だろうこの違和感は。 「こんにちは♪」 「こんにちは!」 桜と雪夜は警戒した様子がない。 確かに水童女から害意は感じ取れないのだが、この不可思議な感覚は何だろう――人型を取って鼻が混乱しているのだろうか。 桃は水童女から人の匂いも感じ取っていた。それが夢か現か判断付かず、素直に尋ねてみる。 「今日は。あなたは何方ですか?」 前に出て、桜と雪夜を庇うような恰好で礼をする。雪夜が首をかしげて問うた。 「ももね〜ちゃん、しってるひと?」 自信はない、でも何処か別の場所で会った事のある匂いだ。 ――と、岸辺の方から恬淡とした声が聞こえた。 「さすがね〜。その子、柚乃よ」 「もー、伊邪那ったら。ばらしちゃ駄目ですっ」 くすくすと悪戯めいた笑い声を上げて。近づいてきた水童女が柚乃の姿を取った。 「仲間に見えるかなーと思って♪」 ふよふよと寄って来た水童女達に囲まれて柚乃が心の旋律を奏でると、楽しげに水童女達が揺れた。 「なかま♪」 「なーかまー♪」 くるりくるりと楽しそう。瞳を輝かせ、調べに合わせて身体を揺らしていた雪夜が言う。 「ぼくも、あそびたいな〜♪」 「さすがに今の時期に濡れるのは寒そうだから‥‥かくれんぼは、どう?」 桜の提案に、雪夜はもちろん水童女達もわくわくと鰭を揺らす。桃は遊びも訓練の内らしく、姿勢を正して言ったものだ。 「鼻に頼って探すのは難しそうですが、頑張ります」 伊邪那の膝に座った水童女が楽を奏でる中、湖のまわりでかくれんぼ。 「こんどは、まけないよ〜♪」 雪夜が仔犬のように駆けてゆく。濡紙で包んだ芋を焚火跡に忍ばせてから、桜は藪に転がり込んだ。 あとでみんなで焼き芋を食べよう。芋が焼ける香ばしい匂いが、かくれんぼ終了の合図になるだろう。 ●老僧の庵にて さて、再び良寛の庵である。 「ごめんくださーい。ちょっと、おくどさん貸してくれへんやろか?」 老僧に快く招き入れられた神座真紀(ib6579)が厨を借りて料理中。相棒の炎龍と修行中に山中へ迷い込み、空腹を覚えたので腹拵え――なのだが。 「一々こんなもん使うなんて、人間ってめんどくせえな」 竈前で火吹竹を手に文句を垂れている赤毛褐色の娘。彼女がその相棒、ほむらであった。 「オイラなら火を吹いて‥‥」 「いや、吹かれへん吹かれへん」 茹でた野草を水切りしながら、真紀がすかさず突っ込んだ。少なくとも今は、その手のスキルは装備させていない。 それに今のほむらは龍ではなく人の姿をしていたから、良寛には友人だと紹介していた。相棒とて友人には違いないし妙な遠慮など存在しない。 「ほれ、もっと火力つよしてぇな」 「人使い荒ぇ‥‥」 文句を垂れながらも、ほむらは白い泡をこぼしはじめた釜が掛かった竈の火を弱めまいと尚も息を吹き込む。やがて厨に米特有の甘い香りが立ち込めた。 老僧が精進物を望んだので、品書きは山菜おこわと野草の御浸しだ。 「やや、これは有難い」 慎ましく手を合わせて箸を取る。おこわを一口、良寛の口元が綻んだ。 真紀の向かいでは、ほむらが器用に箸を使って食べている。人の姿なのだから当然なのかもしれないが、真紀にしてみれば元が炎龍なのだから、何だか不思議な光景だ。 「そうそう、オイラの名前‥‥」 口いっぱいに頬張った食べ物をごくんと飲み下し、ほむらが続けた。 「炎龍だからって安直すぎだろよ」 「何でぇな。あたしはええ名前やと思うんやけどな」 いきなり文句を付けられて、真紀は少々むっとして返した。ほむらは更にむっとして、良寛に同意を求める。 「な? 坊さんもそう思うだろ?」 「良寛さん巻き込むんやない! あんまし煩いと今後食事は柿ばっかやで!」 「横暴だ! オイラが柿を苦手なの知ってる癖に!!」 女二人の漫才を、良寛は大らかに笑って眺めている。我に返った真紀、ほむらの頭を床に押し付けた。 「いや、みっともないところ見せてすんません」 「良い良い、そちらは焔と書くのかのう? 髪の色に合うた良い名じゃ」 「そのまんまじゃねぇか!」 老僧の庵を辞して、真紀はほむらと連れ立って来た道を戻りつつ考えていた。 安直だと思った事はなかったのだが、当龍がそう感じているのなら本音を聞けたのは良かった気がする。 「ま、とりあえず名前は戻ってから考えよか?」 * 小春日和――そんな言葉が似合う光景だった。 湖面を渡る風は少し冷たかったけれど、岸辺に集まった陽光はぽかぽかと暖かそうだ。 日向の石上には還暦をいくつか過ぎた年頃の男性が腰を下ろしている。見知らぬ地に迷い込んでしまった羅喉丸(ia0347)は、彼の人に尋ねてみる事にした。 「もし、ご老人。名は頑鉄というのだが、この近くで鉄でできたような鱗で覆われた、大きな龍を見なかっただろうか」 男はむっとした顔を羅喉丸に向けた。白い髭を長く伸ばし、鎧を身につけた姿は老いてなお盛んといった風情だ。 まだまだ現役と言いたげな頑固そうな老人に、年寄り扱いは禁句であったろうか。礼を尽くして謝ろうと膝を折りかけた羅喉丸に、その翁は言った。 「ここにおる、羅喉丸」 「御戯れを」 余程機嫌を損ねてしまったのだろうか、あるいはからかっているのだろうか。戸惑う羅喉丸に、翁は立ち上がり着衣を見せた。確かに彼の鎧には頑鉄に巻きつけた泰紋毛布と同じ文様の色鮮やかな刺繍が施されている。 「本当に、頑鉄なのか」 「そうじゃと言うておる」 頑鉄は皇龍に相応しい威厳を備えていた。 胡蝶の夢とはこういう事なのだろうか。 夢か現か、ともあれ羅喉丸は頑鉄を連れて周辺を探索してみる事にした。 「最初は甲龍だったが‥‥今では皇龍か」 「お前も鍛錬を積んだ。同じ事じゃ」 あれこれと思い出を手繰りつつ、他愛ない話に興じる。頑鉄は羅喉丸が開拓者になって最初に選んだ相棒、長きと共に過ごした戦友とも呼べる存在と昔語りをするのは楽しい。 程なく彼らは、桜の樹の下に建つ小さな庵に辿り着いた。 「ご無礼する‥‥道を尋ねたいのだが」 水童女を膝に乗せた老僧に仔細を話した羅喉丸は、他にも連れの姿が変わってしまった迷い人がいる事を彼から聞いた。 案ずる事はないと良寛は言う。 「此処は、そなたとお連れの方との絆が繋いだ地じゃ。元の場所へはいずれ戻れようから、今はお連れ殿との時間を悔いなきように過ごされよ」 抱拳礼で庵を辞した羅喉丸と頑鉄は、晴れやかな心持で湖畔を散策した。やがて広い場所を見つけた二人は、どちらからともなく手合わせを始めた。 「こうして頑鉄と手合わせできようとはな」 羅喉丸の拳を武翁の籠手が防いだ。頑鉄の鱗を思わせる固い防御が拳に重い。 「なんじゃ、羅喉丸。鍛錬が足らんのじゃないか」 「まだまだ!」 遠目には祖父と孫ほどに歳が離れた二人であった。だが二人は長きに渡り背を預けあってきた同胞だ。 同門でもなく開拓者同士でもない、まして敵と相対するのとは全く違う――心躍る感覚。 羅喉丸は大地の加護を受けた老将軍に全力で向かって行った。 * その頃、庵では派手ななりの兄さんが、銀の髪をした少年に説教されていた。 「申し上げておく事があります」 人間なら十三歳ばかりの少年なのかとまじまじ見つめる佐藤 仁八(ic0168)を正座させて、白一色の炎龍だった少年は自身も仁八の正面にきっちりと正座した。 「おめえ熊公か。そういやあたしが連れて来た時ぁちっこかったっけなぁ」 勝手な感慨も結構ですがと、抜けるような白い肌をした少年は仁八の意識を引き戻して続ける。 「天儀暦1013年5月、あなたが何をしたか覚えていますか?」 「んな昔の事ぁ忘れちまったねぇ」 足を崩して胡坐をかこうとした仁八の膝を存外強い力で押さえつけて、熊は正座を無理矢理固定させて言った。 「僕の毛を全部三つ編みにしようとして、右半身だけ編んだ所で飽きて投げ出しましたね」 そんな事あったかねぇと目を泳がせる仁八に、口と後脚だけでほどくのはたいへんだったんですと熊。 憮然とした様子で、熊はまだ続ける。 「同年秋、近所の落ち葉掃きで溜まった落ち葉を、庭に投げ込みましたね。同年末、寒そうだからと僕にお湯を掛けたまではいいですが、拭く布が切れて途中で逃げましたね。それから‥‥」 「おめえ、よくそんな昔の事ぁ覚えてらぁな」 「正座、まだ崩していいとは言ってません!」 痺れていた。足の感覚は既にない――が、熊の説教はまだまだ続きそうだった。 そんな様子を良寛が微笑ましげに眺めている。 「あなたが落ち葉を投げ込んだ時、庭には僕がいたんですよ。毛に絡まって難渋しました。それから僕は元来毛だけで充分暖かいんです。なのに年の瀬に濡らしてくれたおかげで僕は風邪を引いたんですよ。それにあなたはいつも気まぐれで僕の毛を染めたり刈ったり‥‥」 熊の叱責はまだまだ続く。日頃は鯔背な仁八兄さんも、だんだんと肩を竦め身を竦め――小さくなっていった。 小一時間が過ぎた頃、熊は漸く良寛が出してくれた茶に手をつけた。 「‥‥とは言え、それらは全て、あくまで善意から発した行為であって、僕の被った迷惑は貴方の不注意や根気不足に起因するものですからね。故意もしくは未必の故意に依るものでなく、能力の不足に依るものですし大目にみましょう」 言いたい放題だが、正論過ぎて仁八はぐうの音も出やしない。 長い説教ですっかり冷めた茶の湯呑みを横に置き、熊は姿勢を正した。 「‥‥ですから、折角お伝えできるこの機会に申し上げておく事があります」 まだあるのかとげんなりしている仁八に、熊は三つ指ついて頭を下げて言ったものだ。 「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いしますね」 * 「うわぁ! な、何!?」 小柄な少年に飛びつかれて、ケイウス=アルカーム(ib7387)は目を白黒させた。 橙色した短い髪の少年は、人懐っこい笑みを浮かべてケイウスにぶら下がっている。 「ケイウス! おれ、ガルダだぞ!」 そう言って見上げる額には赤い宝玉。ガルダはケイウスの相棒である上級迅鷹の名だ。彼は少年の着崩した服の胸元を覗き込んだ。 傷が入った赤い宝玉が、ある。しかもケイウスの首にしがみついてぶらぶらさせている左足首には紐輪のお守りが結ばれていた。 「‥‥ほ、本当にガルダなんだね?」 迅鷹が人の形を取るとは、一体どういう事だろう。 戸惑うどころかこの状況を喜んでいる無邪気なガルダをそっと下ろして、ケイウスは歩きだす。とりあえず周辺を探索してみよう。 どこから紛れ込んでしまったのやら、そこは真冬の湖畔であった。水を掬ってみると仄かに汐の香りがする。 「ケイウス! これ、桜だな!」 湖畔に植わっていた古木の幹に触れて興味津々のガルダが呼んでいる。喋れる事が嬉しくて仕方がないようだ。 ケイウスは微笑ましく思いつつ古木へと近づいた。真冬の事とて枝振りはまだ寂しい。近づいて枝を見れば、固い花芽が付いている。 「桜だね」 「でも花、ないな‥‥」 しょんぼり。 春までまだ間があるのだから仕方ないのだけれど、残念そうなガルダの頭を撫でながらケイウスは歳の離れた弟が喜ぶ顔を見たいと思わずにはいられない。 「そうだね‥‥そうだ!」 ケイウスは古木の根元に腰を下ろすと荷から詩聖の竪琴を取り出した。 そっと指を絡ませて、ケイウスは軽快に弦を弾いた。その音色は春の訪れを称える小鳥のよう。すると―― 「あっ、咲いた! 桜、咲いたぞ!」 ぽ、ぽぽ、ぽん。 春の音色に誘われて桜の花が咲き始めた。無邪気に喜ぶガルダの様子に、ケイウスも嬉しくなって爪弾く音色が踊りだす。 「おや、これは珍しい事じゃのう」 春の音色に誘われて、庵の主が顔を出していた。 良寛と名乗る老僧に招かれるまま中に入ると、室内の設えは一人暮らしのそれに見えた。 一人で住んでいるのかと問えば老僧は頷いて言った。 「そこの湖に友が棲んでおるでの、寂しくはないのじゃよ。しかし、いつまで共に居られるものやら‥‥」 「湖‥‥塩湖の精霊ですか」 頷く良寛の歳は傘寿を越えていよう。人の身では精霊と共にある事は難しい――老体であれば尚の事。 寂しげな老僧にケイウスが何と言葉を掛けようかと躊躇っていると、彼を代弁するかのようにガルダが力強く言った。 「おれ達も、精霊や川姫と友達になれば、安心だな!」 言うなり彼は庵を飛び出した。慌ててケイウスは良寛に挨拶すると少年を追う。 「待ってってば、ガルダーっ!」 風のように去って行った兄弟のような二人組を見送り、良寛は思う。 絆が繋いだこの場所で出逢った縁――人の命は短くとも、人の想いは繋がってゆくに違いない、と。 ●微睡が見せた夢 水の匂い――落ち着く匂い。 湖畔を歩いて、逢いに行こう。もう、大丈夫だから。 想いを持て余し、心が定まらないまま、当て所なく旅した日々。 でも今は、必要な時間だったのだと思う。 望んだ未来に辿り着けるかは解らないけれど、希望は持っていて良いと思える今だから。 かつて迷い人だった娘に寄り添い、光宿した銀の髪の駿龍は誓う。 (‥‥私は、あなたの翼) 時が、世界が巡っても、それだけは決して変わらないから―― * 古木の幹に身を預け、エルフは目を閉じ己が記憶を辿っていた。 我が身が形作られるずっと以前から知っていたはずの、山桜。 (‥‥今は良寛と共にあるのだね) 樹の根元には杯がふたつ。旧友と再会し杯を交わすエレンを、アグネス・ユーリ(ib0058)は静かに見守っていた。 数年前に人妖として出逢ったエレン。何故か初めて逢ったような気がしなかった。もっと昔から知っているような気がしていた。そしてその想いは、この地にも感じられて。 きっと、エレンもそうなのだろう。 エレンが、人妖という形を結んでからずっと、ずっと探し渇望していた――場所。 ようやく戻って来られたのだと、そんな気がしていた。 友の庵を訪ねて年老いてしまった良寛に無沙汰を詫び、エレンはアグネスと湖に出た。 真冬の風が渡る湖面を水童女達が駆けてゆく。ひらり、ひらりと戯れる様子の目を細め、エレンはもう一人の友を探した。 「―――」 唇がその真名を紡ぐ――居た。 「‥‥久し振り、元気にしていたかい?」 目を見張る川姫に会いたかったとエレンは微笑み、安心したと抱き締めた。 エレンの笛でアグネスが舞う。真似て一緒に水童女達が踊る。そんな様子を川姫は笑顔で眺めていた。 時折楽を止めてエレンは川姫に語って聞かせる。天儀で過ごした日々の事、出逢った人、冒険譚――そして。 「リゼ‥‥おいで」 今ここで逢う日の為に長い旅を終えて来た、ユリゼに。 ――ずっと前はごめんなさい‥‥ありがとう。 やっと、やっと言えた。 ユリゼは微笑み、声に出さずに愛おしいその名を呼んだ。 「何度生まれ変わっても、誰に未来を託しても、あなたが好きよ」 たとえそれが瘴気が形作ったあなたであったとしても。きっと私はあなたを見つけられる。 いい笑顔をするようになったユリゼにエレンは微笑した。 君が君らしくあれるよう、君に幸あれと何処にいても願っているから。 「リゼ‥‥元気で」 * 微睡から覚める刻が近づいていた。 川姫の手を取りエレンは耳元で囁く。彼女の真名と再会の約束を。 実態のない我が身であれど、魂に記憶が残り続ける限り姿が消えてもいつか巡り逢える。 何度でも、いつまでも―― |