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■オープニング本文 とげつあん、という名の茶店がある。 兎月庵と表記するこの店は、菓子屋であると同時に茶も供する。 安定した人気を博する餅を搗くのは、保守的な頑固親仁であった。 ● その日、開拓者ギルドを訪れた兎月庵の女将は、いつもと様子が違っていた。 「お手伝いをお願いしたいのだけど」 お葛は興奮冷めやらぬ様子で「接客担当を中心に」と続けた。 話は二月初頭に遡る。 「ジルベリアにはバレンタインデーという習慣があるそうなのよ」 閉店後の兎月庵。何処で聞き及んで来たものか、お葛は亭主の平吉にそう切り出した。 「何でも古い慣習らしいのだけれど、この日にジルベリアの人達は親しい人に贈り物をするんですって」 正確にはお葛の説明通りではない。起源については宗教的な事情があり、現皇帝が支配するジルベリアに於いては黙認されているだけの土着習慣でしかないというのが、現在のバレンタインデーである。もはや宗教的意味を持たなくなったこの日を、商業関係者が普及に努めているに過ぎない。 「それで‥‥うちもやらない?バレンタインデー」 「‥‥で、どうなったんですか?」 梨佳が持って来た茶を勧めながら、係が続きを促した。盆を抱えたまま梨佳も何となくその場に残っている。 むっすりと、お葛はこたえた。 「あの人、一言『やらん』‥‥って」 平吉が頑固で寡黙なのはよく解っている。お葛は食い下がった。 「甘い豆茶を出したいの。好き合った方同士、温かい豆茶の湯呑みを手にお喋りの時間を‥‥って素敵じゃない?」 「‥‥くだらん。大体その茶では甘味に合わんだろう」 「やってみなければ判らないじゃないですか!」 平吉の否定で更に意固地になったお葛は、勢いで開拓者ギルドへ飛び込んだという訳だった。 「負ける訳にはいかないの、あの人にバレンタインデーの素敵さを思い知らせてやるんだから!」 やたらやる気のお葛に、係は「はぁ‥‥」相槌打って梨佳と顔を見合わせた。 |
■参加者一覧 / 天津疾也(ia0019) / 井伊 貴政(ia0213) / 奈々月纏(ia0456) / 橘 琉璃(ia0472) / 鷹来 雪(ia0736) / 佐上 久野都(ia0826) / 玖堂 柚李葉(ia0859) / 玖堂 羽郁(ia0862) / 鳳・陽媛(ia0920) / 虚空(ia0945) / 巳斗(ia0966) / 天宮 蓮華(ia0992) / 奈々月琉央(ia1012) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 喪越(ia1670) / ルオウ(ia2445) / 瀬崎 静乃(ia4468) / 倉城 紬(ia5229) / 海神・閃(ia5305) / 設楽 万理(ia5443) / 雲母(ia6295) / からす(ia6525) / 神咲 輪(ia8063) / 神咲 六花(ia8361) / 夏 麗華(ia9430) |
■リプレイ本文 世間に新しい習慣を根付かせる為に必要なもの。 儲け話に敏感な商家の者と新し物好きの顧客達。 それから――夢見がちな女と開拓者。 ●兎月庵のバレンタイン その日の兎月庵は、何処となく妙な雰囲気を漂わせていた。 「おや、女将さん今日は何かあるの?」 「ええ♪」 「‥‥そ、そう‥‥」 お葛に尋ねた馴染みの客は、彼女の凄み籠った良い笑顔に圧倒された。至極にこやかに、浮き足立って接客を努めるお葛の様子は何か変だ。 不自然な女将の様子が心配で、白野威雪(ia0736)は睫を伏せた。 (「お二人が喧嘩、ですか‥‥でも、平吉様にも何か理由がお有りなのでしょうか‥‥?」) 厨房奥でむっすりと菓子作りに専念している兎月庵の主を見遣る。聞くところによると、バレンタインデー用の品目で意見対立したとの事だが―― 憧れの君が心痛めている様子を、巳斗(ia0966)は哀しげに見つめた。淑やかで優しく温和で儚げな雪が浮かない顔をしているのを、見るのが辛い。 そんな巳斗の視線に雪が気付いた。 「みーくん、とっても可愛らしいのです‥‥v」 満面の笑顔で、巳斗の頭を撫でる雪。可愛いものをつい撫でてしまう彼女の行動に嘘偽りはない。 良かった、いつもの雪さんだ。 それにしても。 「なぜ女の子用なのですか‥‥」 ちょっぴり不満気な巳斗。春風を思わせる少女のような男の子は、お姉様方に仕事用の着物を誂えてもらったのだが。 「みーくんは、今日も女性と間違えられてモテモテさんですね♪」 もう一人のお姉様、天宮蓮華(ia0992)に、おっとり微笑まれては頑張らない訳にはいかない。女装に抵抗はあれど元気に明るく頑張ろう。 「むぅ‥‥間違えられるのは困りますけど、お客様に和んでいただけるよ良いです」 「ええ、皆様に良い一時を過ごしてもらえるように‥‥」 優しい笑みを浮かべた蓮華は、祈るように心に思った。 恋人さん達に甘い一時を過ごしてもらえるように、これから想いを伝える人には勇気を与えられるように、お友達やご家族がずっと仲良しでいられますように‥‥と。 清らかな白き長娘、春風纏う末娘、おっとりゆかしい次娘。 「いらっしゃいませ」 「兎月庵にいらっしゃって下さったお客様へ、感謝の気持ちを込めて」 「本日限定の豆茶はいかがですか?甘くて美味しいだけでなく、体にも良いお飲み物ですのよ」 揃いの着物を身に付けた、仲良し三姉妹がお勧めの豆茶の湯呑みを客席へ。 さて。バレンタインデーの発祥はジルベリアである。 「ジルベリア出身の親父がいたんだし、ほっとけないぜー」 ルオウ(ia2445)は武天出身だが、その身にはジルベリアの血も流れている。もうひとつの故郷を広めるのだとばかりに張り切る赤毛の少年は、御用聞きの間も余念がない。 「『バレンタインデー』ってのはジルベリアじゃ有名な行事なんだ。恋人どうしの一大イベントって感じでさ!」 ルオウの話を興味深く耳を傾けた若い男女二人連れに、失礼にならないようにとさり気なく瀬崎静乃(ia4468)が補足する。 「‥‥バレンタインデーに併せ、今回は『豆茶』という限定商品もございますので、よろしければご検討ください」 じゃあその豆茶をと注文された。二人で組んだ営業は順調のようだ。 女性に連れられてやって来る男性客もいる。茶のみを頼んだ男性客に、佐上久野都(ia0826)は豆茶を勧めた。 「女性と一緒に甘味を召し上がるのに気が引ける方にもお勧めですよ」 盆にいくつかの猪口を並べ客に試飲して貰い、丁度良い甘さのものを出すようにすると、付き合いで甘味屋に来店した客にも喜ばれた。 向こうでは義妹の鳳・陽媛(ia0920)が海神・閃(ia5305)と共に豆茶に合う甘味について考え中。 「甘いお茶ですから、あっさりしたものが良いでしょうか‥‥?」 「塩味のかきもちはどうでしょう」 味見させて貰った豆茶を元に、二人であれこれ合いそうな菓子を盆に盛って客の間を回っている。そんな妹達の姿を、久野都は温かく見つめていた。 外の世界へと動き出した妹。少し、大人びたと思う。久野都自身は何も変わらないけれど、これからも媛を見守っているから――疲れたなら、何時でも戻っておいで。 仕事がひと段落付いた頃、厨房で陽媛へ豆茶を淹れてやった久野都は、妹の頭に手を乗せて言った。 「くるくるとよく働くのは感心だけれど、無理はしないようにね」 兄の手は暖かく優しい慈しみに満ちていた。 一方、バレンタインデー普及に、外回りへ向かおうという者もいる。 設楽万理(ia5443)の提案は、小分けにした菓子をチラシと一緒に配るというものだった。 「配布しても構わないお菓子はあるかしら?」 「そうねぇ‥‥配るなら形崩れしないものが良さそうね」 あられや干菓子を選び出したお葛は、白紙に少しずつ包んでみる。広告用紙と共に籠へ収めれば持ち運びにも便利そうであった。 洗い上げた皿を拭いていた倉城紬(ia5229)が、そこにひとつ提案を。 「‥‥あの‥‥小分け包みを色糸で結ぶのはどうでしょうか‥‥」 手近にあった色糸を組み合わせてみると、ちょっとした贈り物のように仕上がった。寒いから気をつけてねとお葛に見送られ、防寒を整えた万理は商店街へ。 淑やかそうな妙齢の女性が差し出す菓子の包みに、人々は興味を持って尋ねてくる。 「バレンタインという風習があるんです。親しい人同士が贈り物をする日なんですよ」 掴みは上々。兎月庵でも催しを行っておりますのでどうぞとチラシも渡すと、珍し物好きが興味を持ったようだった。 それにしても。 (「既に私は兎月庵の不定期労働者となっているのかもしれない‥‥」) 何やかやと、件の甘味屋に貢献している万理である。 ●恋せよ男女 昼を過ぎた頃にもなってくると、手伝いを終えた者が茶席で甘味を嗜んでいたりする。 午前中、厨房の皿洗いに追われていた虚空(ia0945)は、隅の空き席に座するとほっと一息ついた。営業には顔の筋肉が付いてゆけそうにないと裏方を志願したが、水周りはなかなかの重労働だ。 仕事前に取り分けて貰っておいた豆茶の椀、蓋を取ると既に冷めてしまっていた。休憩時に買っておいた白玉を其処へ浮かべてみる。 (「‥‥」) 美味いかどうか判りかねる代物を前に、暫し思案する虚空――と、実験台発見。 ちょいちょいと手招きすると、梨佳(iz0052)が釣れた。 毒見、もとい味見を促すと美味しいですとにっこり。虚空も安心して食べ始めた。 (「‥‥これは冷ましたけど、温かいのでも合わせる甘味次第では大丈夫じゃないか?」) 豆茶の新たな食し方を見つけた虚空は、厨房でむっすり菓子作りをしているはずの亭主に思いを馳せた。 白玉豆茶のご相伴に預かった梨佳は、手を振る友人を見つけて寄って行った。 「梨佳ちゃんも豆茶の試飲どうかな?」 佐伯柚李葉(ia0859)が差し出した豆茶を一口飲んで風味の違いに驚いた梨佳へ、豆乳で溶いてみたのだと微笑んだ。 「羽都さんの工夫は素敵。いつも、温かくて優しい味だなって‥‥」 水を向けられた玖堂羽郁(ia0862)は有難うと穏やかに笑んで。 つい先日、心が通い合ったばかりの初々しい恋人達は、休憩中も豆茶研究に余念がない。 甘いものが苦手な人には甘さ控えめの豆茶を、甘党向けには蜂蜜を加えて、牛乳を入れるとまろやかにならないだろうか‥‥これらの豆茶に合う茶請けは何だろう‥‥等々。 内心、平吉の耳にも届けばと願いながら語り合う二人だ。 「干し杏とか、砂糖漬け又は蜂蜜漬けにした柑橘系の果物とか‥‥果物の甘みを活かした甘味なら合うと思うんだ」 「甘さを控えた‥‥塩気のあるお菓子が似合いそう。一口大の塩饅頭とか‥‥」 甘味談義で盛り上がる恋人達は実に幸せそうで、梨佳は自分まで嬉しくなってその場を後にした。 喫茶席の一角で、あれこれ準備して怪しげな実験を行っている流行最先端の更に先を行く男。 「甘味業界に革命を起こしてやるぜ!」 喪越(ia1670)が混ぜた豆茶の湯呑みから白煙が上がった! 「げほっ、けほ‥‥洗った方が良かったな」 盛大に上がった白煙の正体は餅取り粉だったようだ。火の気でなくて一安心。 餅取り粉まで溶かし込んでどろりとなった汁粉もどきに口を付けて、うげぇと隅に追いやった。 「‥‥まぁ、こういう事もあるわな」 それにしても、水分摂ってるのに寧ろ水分を持って行かれているような気がするのは如何なものか。 ともあれ、懲りずに次なる実験へ。ジルベリアの強い酒で割ってみたり、厨房にあった一味を合わせてみたり。その度に悶絶する彼は、宣伝しているのか妨害しているのか‥‥見物人がいる辺り、集客効果はあるようだ。 「やっぱ食べ合わせを探すのが無難かね」 ひとしきり大騒ぎした喪越は陽媛が運んできた菓子盆から塩豆大福を取った。 「これなんか意外とお互いの持ち味が際立つんはねぇかな?」 野次馬の一人が試して「こりゃ旨い」と太鼓判。気を良くした喪越は誰に言うともなしに独りごちた。 「そこの、頑固職人とのほほんマダムの夫婦みてぇにさ」 当のマダムは相変わらず意地を張っている――お葛を見遣って、からす(ia6525)はくっくっと大人びた笑いを漏らす。 「奥さんも乙女だねぇ」 自身の倍ほども歳の離れたお葛だが、考え方は少女のそれだ。 お葛が何を考え何を求めて此度の催しをしたがったものか、からすには何となく判っていた。 だが、からすは同調はしない。何故なら彼女は恋をしないから。恋はしないが傍観者にはなる。 「食べなさい。どんどん食べなさい」 豆茶に合う甘味を探す名目で購入した菓子を、恋する者達へ振舞うからす。 お代はあなた方の話を聞こう。 他人の成果や惚気話、恋の悩みや苦労話。他人事を笑いながら聞いている方が自分らしい。 (「命短し恋せよ乙女。恋してる乙女は強いのよ」) 傍観者は、自身と無縁の世界に淡々と耳を傾けるのだ。 一仕事終えて、待ちに待ったお楽しみの時間。 「ここのお菓子、めっちゃ美味しいからウチ好きぃ〜♪」 ほくほく顔で水仙を模した練り切りに楊枝を入れた藤村纏(ia0456)、静かに隣で座っている恋人に無邪気な顔を向けた。 「ん?琉央、食べへんのん?」 「‥‥あ、ああ」 暫し考え事をしていた琉央(ia1012)が、纏の声に我に返る。 アイツ‥‥微妙な関係の弟も兎月庵の何処かにいるはずだ。暴走してないかは気になるが‥‥今の所大騒ぎもないようだし放っておこう。 にこにこしている恋人に向き直った。 「良かったな、売り切れてなくて」 彼女の好物が色々と並んでいる卓の向こうに、纏の満面の笑顔がある。 ――と、纏が急に真面目な表情になった。 「‥‥あ。あんなー、ウチな‥‥」 「ん?どうした」 「‥‥る、琉央。これ、上げる‥‥」 差し出したのは豆茶だ。 ジルベリアではバレンタインデーにチョコレートを贈るのだと――万商店が打ち出した販売戦略に過ぎないのだが、恋する娘にとっては大切な儀式であり。 真っ赤になって豆茶の湯呑みを差し出す纏に琉央は小さく微笑んで、そっと肩に手を掛けたのだった。 ●甘いぬくもり 再び厨房――皿洗い職人がいた。 「皿洗いは地味にもみえますけど、重要な仕事ですからね」 夏麗華(ia9430)の言葉に、手拭を姉さん被りにした礼野真夢紀(ia1144)が頷いた。 「お皿や湯呑、洗ってすぐ使えるようにする人も必要ですよね?」 「泰料理をする上でも、皿洗いからまず始まるのです」 基本は大事。そんな事を語りつつ黙々と手を動かす二人である。 (「バレンタイン限定で豆茶かぁ‥‥」) 真夢紀が思い出すのは姉の事。体が弱く食も細かった姉を心配した両親が取り寄せたチョコレートは滋養強壮の高級品でもあったけれど。 (「姉様達、元気かな‥‥」) 豆茶の事、文に書こう。 労働の後の甘味を楽しみに、やや苦手な家事を頑張る真夢紀である。 少女達と並んで洗い物をこなしている皿洗い職人が一人。雲母(ia6295)は丁寧かつ高速で皿洗いをこなしながら、少女達とは違った考えを巡らせていた。 (「世の中は常に変わり続けるか‥‥しかし天儀には向かない風習だ」) ジルベリア発祥というこの風習がこの地に根付くかは今後次第である。雲母自体は諸手を挙げて歓迎したい風習でもないが、それでも奥で黙っている男に対しても思う所あった。 「もう少し柔軟な思考を持てば儲かるだろうな」 ぽそりと言った呟きは、平吉に届いたかどうか。 相変わらず頑固職人は黙って菓子を作っている。その様子をちらりと見つつ、橘琉璃(ia0472)は黙って厨房の手伝いをしていた。 (「ジルベリアには変わった習慣が、あるんですねえ‥‥」) お葛が豆茶を載せた盆を運んでゆくのを見送って、琉璃は豆茶の材料に考えを巡らせた。 (「この粉を飲み物に混ぜるんですか‥‥う〜ん、菓子の上に振り掛けても良いかもしれません」) ちらり、平吉を見る。新しい甘味にもなりそうだが、今進言するのは拙そうだ。 仕事が終わったら、豆茶を飲んでみよう。その頃には平吉の機嫌も直っていると良いのだが。 ぴりぴりした雰囲気のまま、その日の兎月庵は営業を終えたのだった。 一日を終えて、残っていた手伝い達は思い思いに休息を取っていた。 それでもやはり平吉は無言のままで、手伝い達は何処となく居心地が悪い。お葛を見遣れば相変わらず意地っ張りのようだし、梨佳はおろおろと泣き出しそうだ。 「梨佳ちゃん、大丈夫だよ」 女子の輪に混ざってまったりと仕事の後のお喋りを楽しんでいた井伊貴政(ia0213)は、長閑に言った。 あの夫婦は大丈夫、長年二人三脚でやって来たのならば。 「そんな簡単に壊れるような絆じゃない感じだしねぇ。少し羨ましいですよ〜」 ほやんと微笑んだ貴政に安心した梨佳は、湯呑みから立ち上る甘い湯気を含んで笑った。 豆茶の準備をしていた柚李葉が、お葛に続きを託した。言わんとする処は、お葛が淹れた豆茶を平吉にも飲んで欲しいという願い。 皆の見守る中――甘味屋夫婦は甘い飲み物を手に寄り添った。 |