桃花に添えし紙雛
マスター名:周利 芽乃香
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: やや易
参加人数: 30人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/03/12 01:34



■オープニング本文

 女児の健やかな成長を祈る行事、雛祭りの起源には諸説ある。
 各地にはその起源を伺わせる風習も数多く残されているが、身近な所でも起源の違いを感じる事はあるものだ。
 例えば――そう、男雛女雛の座り位置だとか。

●紙雛
 押しかけ見習いの少女が、もふもふと鼻歌を歌いながら雛飾りを作っている。色紙でちまちまと折られた飾りは男雛女雛だろうか。
「おや、梨佳。お雛様かい?」
「はい〜♪」
 通りかかったギルド職員の一人が声を掛けると、梨佳はにーっと笑顔を見せた。
 梨佳は開拓者ギルドの正規職員ではない。
 開拓者ギルドに連日押しかけては、掃除やお茶汲みなどの雑事を自主的にこなしているだけ、職員達もそれを黙認しているだけだ。
 だが、こうして通うようになって一年近く経ってくると、顔馴染みもでき、それなりに居場所も知己もできるものであった。

 さて、折り上げた色紙のお雛様と調度品を、梨佳はギルド入口付近に生けられた桃の枝の側に並べ始めた。
「ちょっと待ちなよ。梨佳そりゃ逆じゃないい?」
 梨佳が並べた男雛女雛を、職員の一人が直してやる。
 え〜と梨佳、驚いた様子で手直しされた内裏雛を修正する。むっとした職員と顔を突き合わせて無言の対決を始めた二人に、受付係が口を添えた。
「あ〜雛人形の並びは地方によって違うらしいぜ」
 へえと顔を見合わせる二人。
 自身にとっての『常識』は、案外常識とは限らないものだ。生まれ育った場所も環境も人それぞれで、気付かないうちにこの手の行き違いは起こっているものかもしれない。
 面白いですねの梨佳の呟きに、受付係の悪戯心が頭をもたげた。
「そうだ、折角だから開拓者達にも並べて貰わねぇか?」

●桃花に添えし紙雛
 開拓者ギルド入口に桃の枝が生けられている。
 水盤に剣山で設えられた小枝の側には、誰が作ったものやら色紙のお雛様が置いてある。

 その日、あなたはいつものように開拓者ギルドを訪れていた。
 何気なく通りかかったあなたは、生けられた桃花、添えられた飾りに目が留まる。
 おや、男雛女雛の人形が重なって放置されているようだ。

 あなたは、雛人形を――


■参加者一覧
/ 崔(ia0015) / 櫻庭 貴臣(ia0077) / 神凪 蒼司(ia0122) / 水鏡 絵梨乃(ia0191) / 井伊 貴政(ia0213) / 桔梗(ia0439) / 佐上 久野都(ia0826) / 玖堂 柚李葉(ia0859) / 玖堂 羽郁(ia0862) / 深山 千草(ia0889) / 鳳・月夜(ia0919) / 鳳・陽媛(ia0920) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 巴 渓(ia1334) / 嵩山 薫(ia1747) / 嵩山 咲希(ia4095) / 各務原 義視(ia4917) / 海神・閃(ia5305) / 設楽 万理(ia5443) / 菊池 志郎(ia5584) / からす(ia6525) / 神咲 輪(ia8063) / 亘 夕凪(ia8154) / 和奏(ia8807) / 郁磨(ia9365) / 千古(ia9622) / ラヴィ・ダリエ(ia9738) / ジルベール・ダリエ(ia9952) / アレン・シュタイナー(ib0038) / 不破 颯(ib0495


■リプレイ本文

 ――どうしますか?

 冬の寒さも和らいで、だいぶ春を感じるようになってきた弥生の頃。
 穏やかに差し込んでくる朝の陽射しと共に、小柄な娘が開拓者ギルドの入口を潜った。
 遭都・神楽の開拓者ギルドには各地の情報が集まってくる。刻一刻と揺れ動く世情はきちんと把握しておかなければ。
 精霊や古事に惹かれる千古(ia9622)は、興趣のままにギルドへ通う。散歩の途中で立ち寄って、いつものようにギルドの壁へと視線を向けて――おや。
「風の徒らでしょうか‥‥」
 入口に飾られている色紙の雛人形が倒れていた。
 古事や神事に詳しい千古は迷う事なくごく自然に男雛を右の上座へ座らせた。
(「刀を抜くときに女雛を斬ってはいけません」)
 しきたりだけでなく、優しい心遣いでもあるようだ。活けられた桃の花に目を遣り可愛らしいと微笑んだ。
 新しい知識を吸収するは千古の日課、帰宅後は塾の仕度だ。家の庭から桃花を伐って教室に飾りましょうと考えつつ、千古は掲示がある壁へと歩いていった。
 今日はどんな事件や依頼があるだろう。
 暫くして現れた各務原義視(ia4917)は、壁の掲示に向かう前に雛飾りの異変に気付いた。
 男雛を右に並べ直して立ち去ろうとしたものの、何か物足りない気がする。
(「何かが足りない‥‥何が足りない‥‥?」)
 暫し考えて、違和感に気付いた義視はギルドを立ち去った。ほどなく戻って来た彼が持っていたのは雛あられ。
 満足気に奥へ向かう義視を見送る紙雛は、小皿に盛られたあられを添えられて嬉しそうに見えた。

「わぁ、お雛様いいな〜あたしも欲しいです‥‥」
 受付の影で職員に耳打ちする梨佳。全部食べるなよと笑われながら、梨佳は極秘任務開始。
 梨佳の任務は並べられた紙雛を周囲に気付かれないよう倒す事だ。きょろきょろ不審に辺りを探った梨佳が紙雛に手を掛けようとした――その時。
「梨佳ちゃん、こんにちは」
 聞き覚えのある声にどきりと振り返れば、佐伯柚李葉(ia0859)が感心していた。梨佳がしようとしていた事など知らず、にこにこ話し掛けてくる。
「凄いね、これ全部作ったの?可愛いね」
 えへへと笑って誤魔化して、雛あられを一粒つまみ食い。お菓子は開拓者さんのご厚意ですと正直に申告して、何でもなかったかのように問うてみる。
「柚李葉さんのおうちでは、お雛様、飾ってますか?」
「ええ、お養母さんが私が来てからまた飾るようになったんですって」
 にこにこ微笑んで語る柚李葉はとても幸せそうだ。佐伯の家に来る前は、あちこちの雛祭りに参加していたのだと、旅一座で各地を巡っていた頃の事を語る。紙雛を掌に乗せて懐かしそうに続けた。
「そこで色々お願いを託したり‥‥あ‥‥羽郁‥‥さんもこんにちは」
 柚李葉の言葉がぎこちなく途切れた。
 視線の先には玖堂羽郁(ia0862)、何やら包みを傾けぬようにして持っている。
 まだまだ初々しい恋人同士は端から見ているとじれったい。かと言ってちょっかいをかける訳にもいかず、梨佳はそーっと退散しようとした。
「桃饅頭作って来たんだけど、梨佳さんも食べるだろ?」
「たたっ、食べますっ!」
 饅頭に釣られて居残るお邪魔虫。おとなしくはむはむしている横で、恋人さん達は桃の節句に因んだ話に花が咲く。
 頂きますと羽郁の桃饅頭を手にした柚李葉は、にこにこと彼の双子の姉のお雛様について尋ねた。
「歴史のあるお家みたいだから、風習とがあるのかなぁって」
 玖堂家は安雲の貴族である。同時に氏族・句倶理の民としては別の節句があるのだとか。安雲の別邸では貴族の風習に準じ雛壇飾りだと説明した羽郁は、玖堂家のお雛様が他所と違う点に触れた。
「珍しいのは人形の衣装が玖堂の正装ってトコかな。代々玖堂の姫が受け継いでて、今の持ち主は姉ちゃんだよ」
 天儀風でなく氏族の正装を身に着けた雛人形。女雛は羽郁の姉を雛人形にしたような姿なのだろうかと想像し、柚李葉は素敵ねと微笑む。
「句倶理の里は流し雛で、穢れ払いの神事でもあるんだ。里だけじゃなく近隣の村からも身代人形を受け付けるから結構、賑やかな祭礼行事でもあるんだよ」
 かつて各地を巡っていた柚李葉が参加していた雛祭りも流し雛であった。この二人、知らずどこかで出逢っているかもしれない。
「いつか、柚李葉ちゃんにも見せてあげたいな♪」
 遠い未来、いつか二人で願いを水の流れに託す事ができますように。麗らかに和やかに、春の日は過ぎてゆく。

 菊池志郎(ia5584)、受付へ丁寧に詫びている。
「昨日依頼が終わったのですが、時間が遅かったもので次の日の報告になってしまいました」
 律儀な報告に職員が怒る道理はない。お疲れ様でしたと職員から報酬を受け取り、受付を後にした志郎の目に留まったのは、お雛様。
 手を延ばし掛けて、刺さるような視線に思わず手を引っ込めた。
「あれ、勝手に触ってはいけませんでしたか?」
 当惑しながら謝罪すれば、いえいえどうぞと勧められる。何なんだ。
 志郎が困っていたもので、梨佳が並べてくださいなと頼むと、彼は男雛を左に置いた。紙雛を作ったのが梨佳だと聞いて、志郎は穏やかな笑顔を向ける。
「俺は里でお雛様を飾ったりしたことはないので、何となく置いたのですが。でも地方によって違うなんて面白いですね」
「そうですよね〜♪みんなお祝いは同じなのにです〜」
 のほほんと応えた梨佳の手には、おや新しい甘味が。
「そういえば、桜餅も薄皮のともち米のとありますね。あれとお雛様の置き方って関連あるんでしょうか?」
 梨佳が手にしていた桜餅の盆からひとつ受け取って、志郎は土地ごとの違いに興味を持った様子。あむあむ食べている食いしん坊へ、統計の結果が出たら教えてくださいねと告げて、ギルドを後にした。
 入れ替わってギルドに姿を見せたのは設楽万理(ia5443)。入口に活けられた桃花の傍にある、ささやかな紙雛に、おやと目を留めた。
(「紙のお雛様‥‥」)
 それは万理がまだ小さかった頃。
 武人の氏族である設楽家では男子の成長こそ大掛かりに祝いこそすれ、桃の節句はあまり重要視されていなかった。
 万理六歳の端午の節句、豪勢に飾られた武者鎧や家宝の弓を前にした万理はつまらなくて寂しくて、いじけて紙雛を折っていて。
 見かねた祖父が買ってくれた雛壇、雛道具一式はとても豪華なものだったっけ――
(「ふふふ、こんな昔のことを思い出すなんて懐かしいわねぇ‥‥」)
 この紙雛は近所の子が作って置いて行ったものだろうか。
 男雛を左に整えた万理は感傷を振り切るように勢い付けて受付へ向かうと、係に話しかけた。
「すいません、依頼は何かあるかしら?天儀に巣食う害虫どもを一匹でも滅殺出来るような戦闘系のお仕事を探しているんですけど?アヤカシ、ケモノ、悪人、相手は問わないわ」
 あの日の小さな女の子はもう居ない――ここにいるのは凛々しい一人の女性だ。

 陽が真上に近くなって来た頃。
 午前の鍛錬を終えた巴渓(ia1334)がギルドに現れた。半ば日課と化しているだけに職員達とも既に顔馴染みだ。挨拶を交わしつつ、いつもと違う雰囲気に視線を彷徨わせた渓は、桃花の水盤に気が付いた。
 傍へ寄る気配に見下ろすと、梨佳の満面の笑顔が其処にあって。
「ちょっと待ってな」
 ギルドの面々の思惑に気付いた渓、梨佳の頭を軽くくしゃりと撫でて出て行った。
「おおっと」
 一陣の紅風と蒼風が入れ違いになった。水鏡絵梨乃(ia0191)は渓と入れ替わりに桃花の水盤の前に立つと、梨佳に促されるまま紙雛を手に取った。
「ん〜、ボクは男雛は右側に置く主義かな」
 でもその前に。
 男雛女雛の位置でひと遊び。逆さまお雛様とか、背中合わせのお雛様とか‥‥
「紙雛を向かい合わせると、紙相撲みたいですね〜」
 絵梨乃のお茶目に梨佳がくすっと笑う。軽くとんとんと叩いて振動させると、男雛がこてんと倒れた。
「おや‥‥これはカカア天下だな」
 今日は仕事を探しにギルドを訪れた絵梨乃だが、残念ながら丁度良い依頼はなかった。まだ昼前、時間はたっぷりあるし、今日は梨佳に付き合う事にしよう。
 何か手伝おうかと職員見習いもどきに提案していると、さっき出て行った渓が一抱えもある包みを持って戻って来た。
「これがなくちゃな。梨佳お前だいぶ食っただろ」
 先に盛ってあった雛あられは器に殆ど残っていない。食いしん坊がひと粒、またひと粒とつまみ食いした果てだというのは容易に想像がつく。求めてきた包みは兎月庵の菱餅に雛あられ、欠食児童が集うギルドで昼時につまめるような色々な軽食も買い込んで来ている。
 わあいと大喜びの梨佳の口へ豆大福を突っ込んでやって、渓はもがもが食べている少女の笑顔に安堵した。
 戦闘とはかけ離れた日常。
 こんな何気ない日常を、梨佳や子供達の笑顔を守る為に、渓は自らの手を血に染める。渓の願いはただひとつ。
(「‥‥俺は、それだけでいい」)
 守りたいものを失わずに済むのならば。
 ギルド内もだんだん賑やかになってきた。しかし紙雛は相変わらず倒れていたりするのだが。
 請け負った依頼の最終確認に訪れていた和奏(ia8807)、今日は昼食を外で食べて帰ろうと思いつつ、ギルドの出口に差し掛かった。
(「おや、お雛様が倒れていますね」)
 和奏は紙雛の異常に気付いた。だが、彼は素直過ぎる位に素直な青年であった。これだけ多くの人がいるのですし、きっと誰かが手を付けている途中なのだろうと、彼は考えた。
 状況に疑問を持たず全て受け入れる――何事もあるがままに。
(「遣り掛けの状況を壊したらお気の毒ですね」)
 結論づけた和奏は雛飾りをちらと見て、どこの店に行くか迷い始める。視界の片隅に串を咥えている梨佳を認め、焼き鳥にしようかなどと考えた。

 昼時にもなると、手弁当を持ち込む者もいてちょっとした宴会の雰囲気を呈してきた。春の祝い事に相応しい華やかな彩りが並ぶ。
 礼野真夢紀(ia1144)が開いたお重には餅が色々入っていた。真夢紀お手製の桜餅は餅米の粒を残し塩漬け桜葉で包んだもの、餅は紅白と蓬。
「お餅は実家から送ってきたんです。丁度蓬と白餅と紅餅ありますし‥‥」
 懐かしげに目を細め、何か思いついたのか懐から小刀を取り出した。餅を整形して色紙の余りで台座を作った真夢紀は、手作りの菱餅を雛飾りに添える。食べる分も充分にあるから、遠慮は要らぬと微笑んだ。
「他の人のお昼やお八つと交換するの楽しみですから」
 ところで――
(「確か昨日は雛飾りがなかったような‥‥」)
 一夜飾りは気になるが、気にしないでおこう。重箱を手に、真夢紀は宴会の輪に入っていった。
 海神・閃(ia5305)は今日、昼前にギルドへ到着し依頼遂行の報告を済ませていた。手続きを終えた閃は空腹を覚えつつギルドを発とうと出口へ向かおうとした――が。
(「‥‥?どうしたんだろう‥‥?」)
 開拓者が集まって歓談している近くに桃花を活けた水盤、その側に設えてある紙雛が乱れているのに誰も気付いていないようだ。
 閃は誰からも省みられぬ紙雛が可哀想になってきて、水盤へと近付いた。
 ――と、場の空気が変わった。気まずい空気ではなくて、何かこう、一斉に注目されているような‥‥?
 振り返るが、場の皆はそ知らぬ顔をしている中で、修練不足の一般人の視線がばれた。
「梨佳さん、こんにちは。‥‥何してるの?」
 えへへと笑って誤魔化そうとしたものの誤魔化しきれず、梨佳は事の経緯を説明する。なんだそういう事かと閃は紙雛を整えた。
「さて、と‥‥お昼ご飯食べに行こうかな。梨佳さんもまだなら一緒にどう?」
 美味しいお店があれば奢ってあげるよという誘いはとても魅力的だったけれど、梨佳は逆に三角おむすびを差し出した。海苔の着物を纏ったおむすびには小さな顔が。
「今日はお雛様ですよ〜閃さんも一緒にいかがですか?」
「今なら食後のお茶請けに芋羊羹も付けるぞ」
 お茶と甘味で会話を楽しんでいた絵梨乃が、場所を作って閃を招いた。
「お腹に余裕が在ったら、ね」
「こっちは、甘酒。もう、甘い匂いが沢山、だけど」
 くすくす笑って深山千草(ia0889)が梨佳に差し出したのは、ちらし寿司と蓬餅。甘酒の瓶を手に、桔梗(ia0439)が、くんと小さく鼻を動かした。
 雛祭りですものねと上品に笑む千草は、梨佳に請われるがまま倒れた紙雛を整える。彼女の手付きをじっと見つめている桔梗は素朴な人形にほっこりと目を細め。
 桔梗さんもと勧められた彼は、やや困惑して、言った。
「雛祭りは女の行事、だったから」
 彼にとって馴染みの薄い行事だったようだ。雛人形の並びは知らないのだと謝って、でも、と続ける。
「生まれた地方ごとに調べても、楽しそうだな」
 千草の家ではどんなお雛様だったか尋ねると、千草は二度と戻らぬ過去を手繰り寄せて語った。桔梗は雛流しの風習に興味を持ったようだ。
「雛流し、したことがないの?それなら、今日、やってみましょうか」
「でも、俺、男‥‥だから」
 女の子のお祭りだと考えて育って来た桔梗には抵抗感があるのか、躊躇っている。千草がおっとりと包み込むように言った。
「私の地方ではね、男女の区別なく、子供の無事と成長を願うのよ。桔梗くんは私達の家族だもの。健やかで在りますよう‥‥しっかり、お祈りしなくちゃあね」
 桔梗は小さく頷いた。表情からは彼の心の動きは読み取り難かったけれど、ほんのり赤みが差した頬や小さく動いた唇に、彼の嬉しさが伺えた。
「‥‥ありがと」
 家族、と言ってくれて‥‥ありがとう。

 昼食が一通り終わり、お茶菓子でまったりし始めた頃。不破颯(ib0495)が一人ふらりと現れた。
(「ああ、もうそんな季節だっけねぇ」)
 入口の桃花をしみじみと眺め、桃花が活けられた水盤の側にごちゃっと乱れている紙雛に目を移す。思わず苦笑して紙雛への同情が口に出た。
「これじゃあ可哀相だねぇ。せっかくの年に一度の晴れ舞台なのにさあ。ねえ」
 男雛を手に取り右側へと並べ、自身に向けられている視線に気がついた。そういう事かと梨佳達の悪戯に気がついて、颯は懐から小さな袋を取り出すと笑いながら梨佳へ手渡した。
「女の子の日おめでとう。雛あられじゃなくて悪いけどね〜」
 袋の中身は小さな星、色とりどりの金平糖。わあ可愛いと梨佳は大喜びでお雛様に差し上げる。もちろん自分の口にも。
 甘酒でも飲もうかなとギルドを後にしかけた颯へ、梨佳は良かったらと宴会へ誘った。
 ‥‥お、周囲の目が逸れている。
 にやそと意味深な笑みを浮かべて雛飾りに近寄った、大人気ないオトナが一人。崔(ia0015)、こそこそと梨佳と職員達に手招きした。
「ど〜しましたぁ?」
「‥‥ん、これな。これをこうしてだな‥‥開拓者雛――!?ってぇぅおいぃ!」
 崔は倒れていた紙雛を手に持つと、おもむろに男雛を置いて――雛飾りに突っ伏した。
 脳天を押さえて蹲る崔の背後には、肘打ち喰らわせてクールに佇む亘夕凪(ia8154)の姿が。挙動不審だと暫く様子見していたのだが、案の定というべきか。
「子供の前で何しでかしてくれるんだか、この男は」
「何時から居た!ったく、これ以上頭緩んだらどうしてくれる!」
 涙目で抗議する崔に、夕凪は「自業自得さね」涼しげな顔で言い捨てて、件の『子供』の様子を伺った。
「‥‥開拓者さんは女の人の方が強いんです〜?」
 大丈夫、梨佳は意味を履き違えていた。
 気付かない十三歳がいる一方、母親の悪ふざけを窘める十歳もいたりする。
「な、何やってるんですかー!!」
 同様の事を始めた嵩山薫(ia1747)に、娘の嵩山咲希(ia4095)が全力で突っ込んだ。
 紙雛相手におふざけが過ぎる母親は「そうよね」口ではそう言いつつ、尚も悪趣味な冗談を続けるもので、咲希も呆れ気味だ。
「咲希ちゃんはこんなロクでもない大人にならないでね」
 ならば手本を示してくださいお母様。
 ひとしきり遊んだ後、依頼の報酬を受け取りに来たのだったと思い出し、薫は受付へと去ってゆく。咲希はすかさず男雛を右に座らせ直すと、慌てて母の後を追っていった。
(「私もお母様に負けていられませんからね」)
 手頃な依頼があれば請けてみよう。まだまだ駆け出しだけど、いつかは熟練の開拓者である母に追いつき追い越せるように。
 母娘の様子を眺めていた崔は夕凪にどつかれて我に返った。梨佳がこちらを見ているようだ。
「‥‥ま、真面目な話、女姉妹が居ないんでガキの頃から雛飾り自体を見慣れてねえ分どっちとも云い辛いんだが」
 そう断っておいて、崔は「俺が置くなら」と紙雛を並べてみせた。並びを見た夕凪が小さく同意の首肯をし。
「うちも代々そうだね。詳しく謂れを聞いた事はないけどさ」
「刀を差してる左腰側に相手が居るとさ、いざって時に守ってやれる気がしなくね?だから、俺が置くならこっちかな」
 おちゃらけているようで、その実真面目で誠実な人柄が伺える、崔の考え方であった。
 手にした蓬餅を口に収めた夕凪は、さて、と立ち上がった。
「桃の節句を思い出したついでだ、節句菓子でも買って帰るかねえ」
 兎月庵に寄った後は酒も求めて、損な体質の大家殿や甘味好きの妹分を巻き込んでの花見酒としゃれ込むのも悪くない。

 午後も暫く過ぎて陽が沈み始めた頃。
「左でしょ?」
「‥‥右だった‥‥」
 鳳・陽媛(ia0920)と鳳・月夜(ia0919)姉妹が言い合っているのは男雛の位置。姉の陽媛は左だと言い、妹の月夜は右だと記憶している。一緒に育ったはずなのに、何故か話が食い違うのだ。
「「どっち!?」」
 梨佳と和やかに世間話などしていた義兄の佐上久野都(ia0826)に向けて、二人は一斉に問うた。
「さて‥‥人形の置き方は地方によって様々と聞くけれど」
 毎年二人仲良く雛人形を飾っている鳳姉妹の記憶が食い違うのは妙な話だ。久野都は佐上の家はと前置きして、男雛を向かって左に置いた。
「「‥‥あ」」
 久野都が紙雛を置く様子を見て、漸く姉妹は記憶が食い違っている理由に気がついた。
「鳳の家は兄さんのお家と逆なのよね」
「‥‥うん。だから右って覚えてた‥‥」
「そして私は左だと覚えていて‥‥」
「そっかぁ」
 すっきりした顔で笑い合う姉妹。元々いがみ合っての言い争いではなかったから、理由がわかればあっさりしたものだ。そろそろお暇しましょうかと義兄に促されて、夕餉の材料を買いに行くのだったと思い出す。
「雛祭り‥‥家でもやらない?折角のお祭りなんだし楽しまないと」
「今日はいつもより気合をいれてお料理しますからね!」
「二人とも楽しみにしているよ」
 月夜の提案に否やはない。気合を入れるのは何となくだと照れる陽媛、久野都は二人に微笑みかけて。
 兄さんも姉さんも笑顔でいてくれる。月夜にはそれが一番嬉しい事だった。

 天儀内でもジルベリアの民をだんだんと見かけるようになってきた。
 桃花の前には感心している夫婦が一組。
「これ、紙でできてるん?」
「まぁ。これが天儀に伝わる折り紙というものですのね?」
 ジルベリアから来たばかりの新婚さんはジルベール(ia9952)とラヴィ(ia9738)。ラヴィは初めて見る折り紙に目を輝かせ無邪気に喜んでいる。
 結婚して初めて迎える誕生日なのだとラヴィが梨佳に言った。
「女の子のお祝いの日と同じお誕生日なんて嬉しいですわ♪」
 ジルベールも、特別な日が誕生日だなんて何か得した気分だと笑う。何事にも興味を示し素直に表現するラヴィはとても初々しく愛らしく、ジルベールが新妻を見つめる目は愛しさに満ちている。
「おひなさま‥‥ご結婚式を模したお人形さんなのですか〜」
「結婚式か、そういう事やったら‥‥おねーさん、ちょっと広げてみてエエ?」
 ジルベールは断りを入れると、破れないようにそっと紙雛を広げた。どんな作り方をしているのか観察して、残っていた色紙で真似てみる。
 紙雛が増えた。
「ジルベールさま、ラヴィにも教えてくださいませ♪」
 一緒に仲良く数を増やしてゆく。二人が三人官女や五人囃子を知っていたかは定かではないが、いくつか同じような紙雛を作り上げた。
 元通りに折り直した初めの紙雛を左右に、仲間を周囲に並べるジルベール。
「仲間がおる方が賑やかでエエやんな」
「こうすると、ご結婚の誓い、なのですわ♪」
 ラヴィが仲間を向かい合わせに立たせてにっこり笑った。
 それにしても‥‥と、ラヴィは改めて朝から居た紙雛を手に取ってみる。
「このお二人は随分華やかですのねぇ‥‥」
 ラヴィ説では男雛女雛は新婦の両親らしい。
「ねぇジルベールさま?折角ですからおうちで桃の節句のお祝いをしましょう♪」
「ラヴィ、誕生日おめでとう。俺らもこのお人形みたいに仲良くしよな」
 雛あられと甘酒を買って帰ろう、二人の家へ。

 アレン・シュタイナー(ib0038)は桃花の側に置かれた紙雛を見て、怪訝そうな表情を浮かべた。
「なんだ、これは?魔除けの人形か?」
「えっと‥‥そんな感じですね〜」
 女児の健やかな成長を祈る、という意味では魔除けと言えるかもしれない。梨佳の曖昧な返答に、ならばと持っていた林檎を提供してくれた。
「ああ、失礼。名前を名乗っていなかった」
 名を述べたアレンは騎士だと言い添え、梨佳にも林檎を分けてやる。食べるというのでうさぎりんごに剥いてやると、少女は可愛いと喜んだ。
「‥‥で、この辺に美味い飯屋はないかい?」
「そうですね〜あの通りに最近新しいお店ができたそうですよ〜」
 できればジルベリア料理が良いと言う異国の少年へ、新規開店の料理屋を教える梨佳。まだ馴染みは薄いけれど、そのうちジルベリアの風習も天儀に広まってゆくだろう。
 アレンと入れ替わりに、ギルドの外で立ち止まった少年が一人いる。
 夕餉の買出しを終えた郁磨(ia9365)は入口に誂えられた小さな春に季節の移ろいを感じて、何となしに足を止めた。
「‥‥懐かしいなぁ」
 昔を思い出し微笑んでいると此方を見ているものがいる。うさぎりんごを手に持った少女はギルドの関係者のようだが、どうしたのだろう。
 しゃりしゃり林檎を食べている梨佳の側には乱れて放置されている紙の雛人形。郁磨はギルドの中へ入ると紙雛を手に取った。
「これ、直しとくな‥‥」
「ありがとうございます♪」
 男雛を左側に据えて雛飾りを整えなおしたついでに、買ったばかりの雛あられも少し添えて、にこにこして見つめていた梨佳へ「お疲れ様」と言い残して家路につく。
 一日中飾られていたお雛様は少しくたびれていたけれど、綺麗に整えて貰って何だかしゃんとしたように見えた。

 夜も更け、訪れる者も殆どいなくなった頃。
 知り合いの料理屋を手伝った帰りの井伊貴政(ia0213)が土産片手にギルドに立ち寄った。
「そう言えば桃の節句なんだねぇ」
 店がいつも以上に何かと忙しなかったのは節句だった事もあろうか。そうと気付いていれば、ちらし寿司の桶でも寄越しておけば良かったか――おや?
「ありゃりゃ、可哀想な事になってるよ〜」
 遠目に見ていた梨佳に指摘すると「お願いします〜」の応えが。何か変だ。仕方がないので紙雛を並べなおしてみる事にしたものの。
(「‥‥?そう言えばお雛さんの並びってどうだっけ?」)
 女の子の節句だし、あまり意識して眺めた記憶がない気もする。暫く悩んだ後、貴政は男雛を右に置いた。
「これで良かったっけ?‥‥ま、いっか」
「ありがとうございます〜」
 観察していた梨佳から礼の言葉が降って来た。依頼の掲示を確認した貴政は帰る娘達へ送ろうかと声を掛けた。
 夜勤職員以外はいなくなった頃になって、からす(ia6525)がふらりとやって来た。
「やあ。お勤め、ご苦労」
 ご機嫌いかがかなとは見た目の年齢にそぐわぬ挨拶だが、その小さな身体に老成した精神を抱える少女である。
 侘び寂びを好む少女は、紙雛に目を留めた。
「ほう、これは美しい」
 見た目の美観なのでなく、桃の節句に雛があるという事を美しいを感じる。こういう粋や風情を好ましく思う。
「はい、これ。疲れた時にどうぞ。中身は秘密だけど効果は実証済だよ」
 ちなみに味はわりと甘いらしい。
 応対に出た宿直職員へ、自身が調合した特性栄養剤を手渡すと、からすは再び夜の散歩に戻って行った。
「では、今宵も良い夜を」
 すっかり暗くなったギルドの入口では、桃花が月明かりに照らされていた。