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■オープニング本文 とげつあん、という名の甘味処がある。 兎月庵と表記するこの店は、屋号よろしく亭主が搗く餅の美味さに定評がある。 普段は夫婦二人三脚で営んでいる店なのだが、折々の繁忙期には開拓者の手伝いを請う事もあった。 ●観月を前に 神楽・開拓者ギルド。 今日も今日とて、依頼受付用の個室では女達がお茶を嗜んでいる。 「早いものね。もうお月見の時期よ」 熱い渋茶を啜り、お葛が言った。 お葛は兎月庵の女将だ。人手が欲しい時、お葛はこうして開拓者ギルドを訪れる。大抵は手土産に自家製の甘味を携えており、依頼がてら職員と徒然話をしてゆくのだった。 茶請けの甘味は汁粉だが、いまだ暑さ残る時期だけに汲み上げた地下水で冷やしたもののようだ。 もう一年経ったんですねと、女性職員が椀から掬い出した冷えた白玉を口に運ぶ。 初めてお葛がギルドを訪れたのは、月見団子の製造補助要員を頼む為であった。あの時は開拓者に頼むような事かと迷いながらギルドの敷居を跨いだものだったと、お葛は懐かしく振り返る。 それでね、と彼女は本題に入った。 「今年もお手伝いをお願いしたいのよ」 さて、今回も兎月庵で求められているのは業務補助だ。 普段は女将お葛と夫で菓子職人の平吉の二人で営業している兎月庵だが、餅菓子を多く販売する時期は手が追いつかぬ。平吉は日がな一日餅を搗き、お葛は接客に忙しい為、一日応援要員を募集している。 厨房では食器洗いや団子の成形・喫茶席や店頭では接客や時期物の月見団子販売等で、雇う側も専門的な技術を要する事までは任さないから、一般常識さえ弁えていれば決して難しい仕事ではない。 今回扱う商品は月見団子だ。 兎月庵ではごく普通の白い丸団子を中心に販売する。甘味も扱っている喫茶席では小豆や芋の餡を絡めた団子も出すけれど、これはあくまで喫茶席専用との事。 「この冷やし汁粉もあるんですか?」 「これは汲み上げた井戸水で冷やしたのだけれど‥‥いつでも冷やせる訳ではないのよね」 女性職員の問いに、お葛はいいえと首を振った。大量生産には向かなくて、お品書きには出せないのだと言う。 「そういう事なら開拓者に頼んでみては如何でしょう。製氷専門で商いをする巫女がいる位ですもの、協力してくれる開拓者がいるかもしれませんよ」 「そうね‥‥でも開拓者さん達に無理強いはできないわね。お品書きには出せないけれど、休憩用に出しましょうか」 仕事と休憩を混同しなければ、営業時間中に庭を眺めながら食してもいい。夜、閉店後に月見汁粉も悪くはないだろう。 お葛は暫し考えて、皆さんが食べるお汁粉も冷えているといいわねと微笑んだ。 |
■参加者一覧 / 鈴梅雛(ia0116) / 井伊 貴政(ia0213) / 篠田 紅雪(ia0704) / 鷹来 雪(ia0736) / 鴇ノ宮 風葉(ia0799) / 玖堂 柚李葉(ia0859) / 玖堂 羽郁(ia0862) / 酒々井 統真(ia0893) / 巳斗(ia0966) / 秋霜夜(ia0979) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 巴 渓(ia1334) / 周太郎(ia2935) / 犬神 狛(ia2995) / からす(ia6525) / 和奏(ia8807) / 霧咲 水奏(ia9145) / ラヴィ・ダリエ(ia9738) / ジルベール・ダリエ(ia9952) / アグネス・ユーリ(ib0058) / エルディン・バウアー(ib0066) / 琥龍 蒼羅(ib0214) / 明王院 未楡(ib0349) / 成田 光紀(ib1846) / 志宝(ib1898) |
■リプレイ本文 月の海にて餅を搗く。兎、向かいて餅を搗く。 いま仲秋の頃なれば、杵を担いで月愛でん。 ●兎達おおわらわの日 今年もこの日がやって来た。今日は兎月庵にとって最も慌しい日だ。 「兎月庵が繁盛するよう、みんなで楽しく忙しく働きましょう〜」 慣れた様子で道具類を運んでいるのは井伊貴政(ia0213)だ。もう何度目かになるだろう兎月庵の手伝い、忙しいのも望むところ寧ろ気合が入って良いと言いつつ、いつもと変わらぬ飄々とした様子で楽しく厨房を行き来している。 ちょうど蒸しあがった蒸篭を抱え裏庭に出ると、既に臼の準備はできていた。熱々の蒸米を臼に開けて餅搗き担当に後を委ねる。 「さって‥‥お手伝いしますかね」 巧くやれっかなと言いつつ手水に手を浸した周太郎(ia2935)の担当は返し手、杵持つ相棒は霧咲水奏(ia9145)だ。 「ぺったん ひと搗き杵の音♪」 軽々と杵を持ち上げた水奏は可愛らしい歌を口ずさみながら臼をひと搗き。歌のリズムに合わせて軽やかに杵を操る。 「ぺったん ふた搗き返す音♪」 歌のまま、懸命に返し手を担っていた周太郎は、だんだん慣れてくるにつれて歌の内容が気に掛かる。口を開く余裕が出来た辺りで尋ねてみた。 「‥‥で。水奏、さっきから口ずさんでる歌ってなんだ?」 「拙者の故郷に伝わる餅搗き歌でござりまするよ」 水奏は理穴出身、彼女の生まれ育った里では歌に合わせて餅を搗くのだとかで、彼女も祭事等で手伝っていたのだと言う。 「餅搗き歌なんてあるのか、面白いもんがあるんだなぁ」 感心している周太郎は餅搗き経験少なめだが、言葉を交わしながらも手水の手が休む事はない。思い人の適応能力の高さに水奏の悪戯心が頭をもたげた。 「おお、周殿も筋が良いですなぁ。ではもう少し早めましょうか‥‥」 「え゛」 周太郎の返事も待たず、水奏の餅を搗くテンポが速くなった。 ぺったん ぺったん 杵の音♪ 「これ以上速度上げたら、俺の手がヤバイって!」 「‥‥っとと、周殿。もっと素早く餅を返さねば一緒に搗いてしまいまするよ?」 ぺったん ぺったん 返す音♪ 辛うじて杵の打撃を免れた周太郎はお茶目な愛し人を見上げた。 ――絶対わざとだ。 「‥‥おや、交代ですかな?」 疲れた表情で自分を見上げる周太郎に交代を提案して、水奏は余裕綽々もう少し搗きたかったなどと言っている。 (「正直俺の手の危機を感じる‥‥とは流石に言えんわな」) 精神的に疲労した周太郎、今度は杵を握って搗き手に交代。女の子にずっと搗かせるのもと繕うと、水奏は「また歌に合わせて、始めましょうか」と微笑んだ。 搗きあがった餅は厨房へ運ばれて成形される。 くるくる、くるくる。兎柄の前掛け着けて、ひたすら丸める白兎さんはラヴィ(ia9738)だ。 「同じ大きさに丸めるのって難しいですわね〜」 むむむと悩むラヴィだが、傍目には大変美しい団子が仕上がっている。同業だからこそ兎月庵の商売事情も慮るし、故に仕上がりが気になるラヴィなのだ。 上手に出来るようになったら夫と営むカフェに出せるかもと、修行の一環で頑張る健気で真面目な職人さんの仕事振りに、平吉も安心して自分の仕事に没頭できるというものだ。 (「最初に手伝いを頼んだのは、去年の観月だったか」) 厨房内には顔馴染みの開拓者も多い。この一年を振り返りつつ平吉は擂り粉木を持つ手に力を込めて、山芋を擦っている。 心地よい緊張の中、和奏(ia8807)はひたすら洗い物。 実家が『男子厨房に入らず』の方針だったもので、和奏は厨房内のあれこれが珍しく面白い。自炊歴の浅いおぼっちゃまは団子の生成に自信がないのと無心に手を動かしてさえいれば良さそうなのとで洗い物担当を買って出た。この時期の水は温いけれど充分に気持ちいい。ある意味適所と言える。 洗った食器類は次々拭かれて使われてゆく。持ち帰り分だけでなく、喫茶席も繁盛しているようであった。 ●兎のおすすめ 佐伯柚李葉(ia0859)の奏でる笛の音が人々の足を止めた。 「もっちり感に心弾む兎月庵の御餅は如何ですか〜♪」 振り返った人に声掛けて、今夜は満月ですよと団子を勧める。持ち帰る人には包みを、この場で食す人は庭へ出した茶席へ案内して、柚李葉は再び軽やかな調べを奏で始めた。 (「もうそろそろ一年‥‥」) 昨年も、こうして兎月庵の販売を手助けしたのを思い出す。 あの時は一人で手伝いに来たけれど、今は隣に大切な人がいる。 「柚李葉、どうした?」 にっこり笑うと玖堂羽郁(ia0862)が彼女を覗き込んでくる。幸せだから自然と笑みが零れるのだ。 一層笑みの深まった柚李葉の頭をぽふぽふした羽郁は、高く結い上げた髪を傾けて微笑んだ。 恋人と過ごせる時間が何よりも愛しい。 二人して働く時間すら、羽郁にとってはかけがえのない逢瀬のひとときなのだ。 巫女装束に兎の前掛けを着けた明王院未楡(ib0349)の隣に白い尻尾の付いた緋袴を穿いた礼野真夢紀(ia1144)、仲睦まじい様子もあって揃いの姿は親子のようで微笑ましい。 販売担当の一部が厨房で円陣を組んでいる。 「皆さん、今日一日頑張りましょー!」 「去年の売上超え目指しましょ!」 「チームワークで一日乗りきろな!」 揃いの兎柄前掛けに獣耳の髪留めで兎を模して。秋霜夜(ia0979)の元気な掛け声に真夢紀とジルベール(ia9952)が合わせ、気合を入れた面々は最上のおもてなし目指して表に出陣して行った。 (「お餅丸めもしたかったな‥‥」) 厨房を離れる際、料理上手の真夢紀は後ろ髪曳かれる思いでちらり。だけど販売を担う以上はしっかり働く所存だ。 衛生上、金銭授受は他の販売担当者に任せて、手拭で髪を覆った小さな兎さんは持ち帰り用餅の箱詰めに忙しい。梱包に専念している兎耳がぴこぴこ揺れた。 観月とあって、持ち帰り用の団子が飛ぶように売れてゆく。 「団子の在庫が少ないな。追加貰って来るわ」 ジルベールはそう言うと、いそいそと厨房へ向かう。潤滑に団子の販売を‥‥というのも本音だが、彼にはもうひとつ目当てがあったりする。 (「ラヴィ、頑張ってるな‥‥」) 愛し妻の頑張る姿。 製作補助担当のラヴィが一心に団子を丸めている。白銀の髪に白い肌、存在そのものが白兎のような妻の頬には何処で付けたか餅取り粉で擦った跡がある。 (「よっしゃ、俺ももうひと頑張りや」) 妻の姿に力を得て、店頭へ戻ってゆくジルベール。張り切って団子が入った餅箱を三つばかり抱えて行った。 (「‥‥あら、ジルベールさま‥‥?」) 夫の後姿に気付いたラヴィは、ほんのり頬を染めてはにかむと、再び団子の製作に力を入れ始めた。 頭に兎耳、可愛い前掛け、爽やか聖職者スマイル‥‥の美青年。 無料奉仕でスマイル振り撒き、エルディン・バウアー(ib0066)が客を呼ぶ。輝く聖職者スマイルに妙齢のお嬢さん達が――釣れた。 きらーん。 「いらっしゃいませー、可愛いお嬢さん。本日のオススメは月見団子、ふっくらもちもち滑らかなお団子は、お嬢さん方の肌のようですよ。いや本当に綺麗な肌だ美しい‥‥」 スマイルの爽やかさアップ、少し薹が立ちかけたお嬢さん方にも迷う事無く立て板に水の美辞麗句。餡子のように甘い言葉に、エルディンと同年代の女性達は気分良く店内へと導かれてゆく。 「はい、月見団子と抹茶のセットですね。お嬢さん方がますます美しくなられる良い組み合わせです。少々お待ちください」 着席後もリップサービスを怠らぬエルディンが注文を申し送りに厨房へ顔を出すと、前掛けをつついと曳く者がいる。 「はい、どうしましたお嬢さん?」 「エルディンせんせ‥‥」 じとーっと見上げる顔は客ではなく霜夜だったりして。 「そんな目で見なくても、私はマジメに仕事してますよー」 「はい、とっても熱心にお仕事されてると思うのです。輝く笑顔と巧みな話術‥‥でも何故若いお姉さんのトコにしか行かないのです?」 びしっと指摘する霜夜。 そう言えばエルディンが客引きするのは女性客に限られていた。それも十代二十代が圧倒的に多い。 「そんな事は‥‥ちゃんと男性客にも笑顔振り撒きますってばー」 エルディンはそう言うが、彼は無意識に、ほとんど本能で同年代辺りまでの女性客に声を掛けている‥‥ような。 霜夜は疑いの眼を向けたまま、彼女がいないという神父様に監視を宣言した。 「お客様の贔屓はイケナイのですーなので、ちょっと監視しないとです!」 「ええっ」 絶句するエルディンを他所に霜夜は一緒に接客を始めた――のだが、二人は客達に兎親子と認識されてなかなか好評だったと付け加えておく。 来店した小さい子連れの家族を奥の広い卓へ案内した未楡は、座席がちびちゃんの座高に合わない事に気付いて、安定良いよう気をつけながら座布団を適した高さに積み上げた。 「これで如何ですか?坊や、苦しくない?」 優しく確認すると小さなお客様はご機嫌な様子。注文を取って安倍川餅を持って行くと、まだ上手には食べられないようで‥‥ 「あらあら‥‥何かご用がありましたらお申し付け下さいな」 手際よく濡れ布巾で飛び散った黄粉を拭いてやる。恐縮する母親に気にしないでと言葉を添えて、新しい濡れ布巾を置く気遣いも忘れない。客達が気持ちよく過ごせるようにさりげなく自然体で、未楡は店内外が滞りなく運営できるよう心を砕く。 「大分蒸してきましたね」 店外へ出、真上に上ったお日様を見上げて、未楡は箱詰めをしていた真夢紀に代わりましょうと声を掛けた。 「お子様連れが増えてきましたし蒸してもいますから、冷茶が喜ばれそうです」 冷茶の需要に供しきれなかったらどうしましょう、氷霊結でお手伝いしては如何ですか――というそれは、厨房に気持ちを残した料理好きの真夢紀に対する気遣いで。 いってらっしゃい。未楡に見送られた小さな兎の尻尾が揺れた。 ●兎のおもい 昼を過ぎると、そろそろ手伝いの顔触れも入れ替わって来る。 仕事を終えた志宝(ib1898)は塗りの椀を持って庭先へ。 「この一時が最高に幸せです〜♪」 つるん、と白玉が喉を滑っていった。ひんやりとした感触に幸せを噛み締めていると、エルディン監視中の霜夜が寄ってきた。 「エルディンせんせ、男性のお客様にもスマイルスマイルー☆」 「いらっしゃいませー可愛らしいお客様。当店のお味はいかがでしょうか〜?」 きらきらり。 爽やか聖職者スマイルを向けられても志宝は手伝いの開拓者だ――が。 「仕事を終えて食べているのならお客様でしょう」 きらんと言い切られて給仕をされている志宝である。 からす(ia6525)は仕事を終えても給仕役が抜けない。いつも通りと言うべきか、お茶を淹れては人に勧めて話を聞いている。 「よく噛んで食べるように、とは言ったが」 美味いのは解るが団子は逃げやしない。落ち着いて食べて欲しいねと一串一気に口へ入れた少年の背を叩いて湯呑みを差し出してやる。 毎度ながら餅を喉に詰める者は出て来るものだが、甘味処の庭先で詰められてはかなわない。特に小児や老人に目を配り、寂しい独り身の繰言に耳を傾ける。 「食べなさい、食べなさい」 大人びた物腰で笑いながら団子の皿を差し出す。どこまで仕事でどこまでが休憩か判らぬが、からすにとってはこれが休憩のようだ。 厨房で一生懸命頑張った後の冷やし白玉はとても美味しかった。 鈴梅雛(ia0116)が厨房と繋がった裏庭で賄いお八つをいただいていると、様子を見に来たお葛が寄ってきた。 「雛ちゃん、お味はどうかしら?」 「冷たくて、甘くて、美味しいです」 それは良かったとお葛。美味しいと喜んで貰えるのは何より嬉しい事だ。 美味しく食べてご馳走様して、雛がお葛に向き直る。 「女将さん、ひいなは、製氷専門では無いですし、余りたくさんもつくれませんが、氷が必要な時は、いつでもお手伝いに来ますから、気軽に呼んでください」 内向的な少女が言葉を選びつつ懸命に声に紡ぐ。 とても嬉しく優しい申し出に、お葛は「ありがとう」そう言って微笑んだ。 裏庭の餅搗き兎は、酒々井統真(ia0893)の搗き手と貴政の返し手に代わっていた。 「‥‥‥‥」 鬼気迫る勢いで餅を搗く統真は包帯巻き、先の戦での負傷だ。 ここは無理するなと言うべき所なのだろうが‥‥貴政は敢えて突っ込まず、普段通りの態度で手水を差している。 「‥‥‥‥」 先の戦で、自身を省みる機会を得た。 色々、自分の未熟な面を思い知らされた――それが統真を無心にさせた。 「そろそろ、代わりましょうか〜?」 「‥‥あ、ごめん。さすがに包帯巻きでずっと搗いてたら見てる方は気が滅入るよな」 いえいえそういう訳ではと貴政は飄々と返した。僕だって餅搗きを楽しみたいんですと笑う。 「調理は何をやっても楽しいですからね〜」 「料理人だな‥‥んじゃ俺は休憩するか。つっても、手水役いねぇじゃねえか」 結局、搗き手と返し手を交代して次の餅を搗く。 頃合を見て、貴政が「難しい顔してましたね」と話し掛けた。 「‥‥ん‥‥色々、足りない自分が分かってな‥‥」 だから今日は少しでも人助けをしたい気分なのだと統真。仰々しく包帯を巻いてはいるが、動いている方が怪我も気にならないのだと続けた。 相槌のように杵を突き入れる貴政は黙って聞いている。未熟さを恥じる思い、悔しいと感じる気持ち‥‥負けず嫌いの貴政にも身に覚えはある事だ。 だが、熱い本心を覆い隠す貴政の性が本音を表に出させなかった。人に知られたくはない、かと言って真面目な相手を茶化すのも憚られて、二人は黙々と搗いていた。 でもな、と統真の語調が変わった。 「はい?」 「嵐の門が開いたのは目出度いし、祝いたい気持ちもあるんだぜ?」 祝い事に餅は欠かせないだろ、と統真。勝手に祝いの気持ちを込めて餅搗きの手伝いをしていたのだという。 そういう事ならと貴政は再び統真に杵を譲った。 「沢山お祝いしていただかないといけませんねぇ〜」 ●月観る兎達 忙しい一日を終えて――兎月庵の暖簾が下りた頃。 仕事を済ませ家路に着く者あれば、兎月庵に残る者もあった。 「ん、一日よく働いた♪」 いそいそと表庭へ出て来た兎はアグネス・ユーリ(ib0058)、冷やし白玉の椀を持って縁台に座る頃には、まんまるい月が頭上に昇っていた。 「お椀の白い月も、綺麗だこと」 くす、と笑って白月を掬い上げる。艶々とした白玉団子はひんやり冷たくて美味しかった。 耳を澄ませば秋の虫が鳴いている。残暑厳しくはあれど、もう秋なのだ。 初めて過ごす天儀の夏、初夏の頃は如何様かと思ったものだけれど、過ぎてみればあっという間の充実したひとときだったと思う。 夏の思い出をひとつひとつ心に収め、少し辛い思い出は過去の事として最奥にそっと仕舞い込んで。夏を偲び秋を迎えるアグネスの夜は更けてゆく。 とても大切な、弟のような親友の笑顔が和んだ。 「ふぅ‥‥やっぱり甘味は癒し効果抜群ですね♪」 「美味しそうに食べる、みーくんも癒し効果抜群ですよ」 至極美味しそうに団子を頬張った巳斗(ia0966)だが、白野威雪(ia0736)は癒し効果抜群なのは巳斗の食べる様子だと思う。 あんまり可愛い様子なので、思わずなでなで。はにかむ巳斗の様子も可愛らしい。 「喜んでくださったのなら、御誘いして良かったです」 微笑んで夜空を見上げる。月の風情に、雪はほんの少し呑みたい気分になったけれど、今日は我慢だ。 「月には兎さんが住んでいるそうです。毎日お餅食べ放題でしょうね、羨ましいのです」 「み、みーくんらしいと言いますか‥‥」 雪に釣られて空を見上げた巳斗が、食い気全開の発想でぽつり。何となくそうしたくなって、雪は白玉をひとつふたつ分けてあげた。 冷やした団子が一日の疲れを癒す。巳斗の提案で休憩時間中に買っておいた団子は来られなかった姉妹のような友人へのお土産だ。 「ふふっ、買い過ぎてしまいましたね。喜んで頂けると良いな」 巳斗の笑顔に、雪は「きっと喜んでくださいますよ」と微笑んで巳斗の頭を撫でた。 昼の賑わいが嘘のように静かだな‥‥そう感じつつ、琥龍蒼羅(ib0214)は湯呑みを両手で包み込んだ。 茶に月が写っている。 (「月の鏡‥‥確か月を映した水面を例えた言葉だったな」) 丸い月は冴え冴えと、例えが如く鏡のようだ。 皿に手を伸ばし、少なめに餡を乗せた団子を取った。ここ数年は落ち着いて月見をする機会が無かったが、何時振り以来の月だろう。 (「‥‥良い月だ」) 開拓者となって半年、様々な出来事を思い出して蒼羅は物思いに耽っている。 痛む身体を月光に晒し、巴渓(ia1334)が難しい顔をしていた。怪我は先の戦で負ったものだ。 生きている実感に乏しい――死線を潜る一瞬に生を見出す自身の業に苦笑する。 月が笑って見えた。 一人屋根に上って、鴇ノ宮風葉(ia0799)は月を眺めていた。 大きな大きな今夜の月。手を伸ばしたら届きそうなのに、届きそうで届かない。だけどいつか掴んでみせると空に焦がれる娘は不敵に笑んだ。 「月には兎がいるんだっけ‥‥お腹を空かせた旅人の為に、焚き火の中に飛び込んだ変わり者の兎が」 誰にともなく言ってみる。 何処の伝説だったっけ‥‥ま、いいか。 夜風が心地よい。団子を平らげた風葉は屋根にころんと横になると、月の下で気ままに微睡んだ。 外回りで出張販売に行っていた成田光紀(ib1846)が兎月庵へ戻って来た。 「俺が預かる以上は、当然だ」 空の盥と売り上げ金を返し、誇らしげに言い放つ。 兎月庵と書いた旗を携え往来を行商に向かった光紀は、笛を奏でたり見世物めいた客寄せをしたりして購買客の好反応を得たようだ。 「偶にこのような事をするのも面白いものだな」 どこまでも偉そうな口調ではあるが光紀に悪気はない。お葛にもそれは伝わっているから気を悪くする風もなくお疲れ様でしたと光紀を労う。 厨房で冷やし白玉を受け取った光紀は表庭へ回った――が、見知りの顔に気付いて身を翻した。 「ふむ、野暮はいらんな」 両思いの二人が視線の先に居たのだ。 犬神狛(ia2995)が篠田紅雪(ia0704)の腕を見遣り問うた。 「傷の具合はどうかや‥‥?」 「大事はない‥‥」 紅雪の傷もまた、先の戦で負うたものだ。想い人に心配は掛けまいと気丈に応える紅雪だが、その声は少々気だるさを帯びている。 辛いのだろうと思いつつも、狛は紅雪の意思を尊重して過度の心配は表に出さぬ。 「左様か、余り無理はなさらんようにな‥‥?」 控えめな気遣いを嬉しく思いながらも、紅雪は素直に感情を出す事に躊躇いを感じていた。 話題を変えたくて夜空を見上げると、月を見上げた紅雪に狛が話しかけた。 「今日は良い月のようじゃな?紅雪殿‥‥?」 (「以前『また二人で月を見たい』と仰られた事があったな‥‥」) 狛殿は覚えていらっしゃるだろうか。 「月‥‥見ることができた、な‥‥」 押し出すように、ぽつりぽつりと想いを言葉に乗せて。 空へ視線を向けたままの紅雪は狛に横顔を見せている。凛々しい横顔に娘らしさを見出せるのは狛だけの特権だ。 狛は嬉しそうに微笑んだ。 「うむ、またこうやって、二人で月を見ることが出来たな‥‥」 覚えていてくださった――その事が紅雪には嬉しかった。 冷めた茶を淹れなおそうと急須を持った紅雪の手が震えた。添える手がなければ急須は不安定、無事な手片方で入れるには急須は少々重い。咄嗟に狛が手を添えた。 想い人に頼らなければ茶ひとつ淹れられない現状に些かの申し訳なさを感じるものの、触れた手の優しさは嬉しい。 「‥‥狛殿」 紅雪の声に、狛は穏やかに耳を傾ける。 「‥‥‥‥誘ってくれて、嬉しかった‥‥」 急須を二人で持ったまま、ぽつりと。 己の感情を顕わにする事に躊躇いつつも――紅雪は素直な気持ちを想い人に伝えたのだった。 |