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■オープニング本文 前回のリプレイを見る 苦界という言葉がある。生きる事は苦しみ悩み惑う事、転じて人間界を表す。 そしてもうひとつ、人間界にあって更に苦界と呼ばれる場所がある。 華やかな不夜城の裏には、弱き者の苦界が広がっている―― ●くのいち女郎 「千寿楼の妓女、柊歌‥‥」 そうか女郎であったかと、名張猿幽斎(iz0113)は笑狐の報告に合点した。 楼港は陰殻とは縁の深い場所である。過去、氏族同士の賭け仕合の舞台にもなったこの土地の、裏の顔役は慕容王だ。表向き、朝廷とは距離を置いている陰殻だが、古来より正史の裏に暗躍するは陰殻のシノビ達であった。 北面領でありながら楼港は異質な街だ。 過去の戦により五行領に孤立した飛び地である事、表向きは朝廷から下賜された北面が納めていながら陰殻が根深く関わっている内情、各国から人が集まる一大歓楽街―― 富が集まる場所には欲も溜まってゆくものだ。欲は人の業、慕容王が裏の顔役たり得るのは、楼港内に間者を配し人心の裏を把握しているからに他ならない。 陰殻の特産は西瓜などと言う向きもあるが、真の『輸出品』は人である。労働力として他国へ奉公に出すほか、戦う術を持つ者は傭兵に、見目良い娘は女郎に売る場合すらある。 これら、輸出――奉公に出た陰殻の民の中には、特殊な任を担って発つ者がいた。 任を負った者は決して周囲に正体を悟られてはならず、再び里の地を踏む事も叶わぬ。得た情報は密かに束ね役を通して里へと持ち込まれた。泥鰌配下の諜報員は、遊女に身をやつして楼港に潜伏していたのだ。 しかし、と猿幽斎は顔色変えずに笑狐に問うた。 「くのいち女郎が泥鰌を仕留めるとは思えんが、の」 「ええ。柊歌周辺に手練がいるのではと」 「して、そやつは知れたか」 いえ未だ――笑狐の表情が強張った。 笑狐は変装技術を得意とする中忍だ。その気になれば性別年齢思いのままに演じ分けられる彼は、常に微笑して見えるとさえ言われる余裕の表情から通り名を笑狐と称する。 その笑狐――藤次郎が猿幽斎の問いかけに表情を隠しきれずにいた。 つぅッと首筋を冷汗が流れてゆく。 「引き続き、柊歌周辺を捜査します。つきましては開拓者の護衛を頼みたいのですが‥‥」 志体持ちと予想される下手人の身元は未だ不明だ。捜査中に出くわした場合、藤次郎に勝ち目はない。 まァええじゃろと猿幽斎の声が降って来て、彼は一瞬安心した――が。 「好きにするがええ」 額面通りに受け取れぬ言葉の重みを噛み締めて、中忍は姿を消した。 ●籠の鳥 神楽・開拓者ギルド。 再び開拓者達は別室に集められていた。目の前には先日の依頼人、藤次郎が居る。 ご調査ありがとうございましたと丁寧に辞儀をした藤次郎は、頼みたい事があるのだと告げた。 「改めて名乗らせていただきます。手前は口入屋に奉公しております藤次郎と申します。楼港で殺害された知人‥‥沼五郎さんとは郷が同じ者にございます」 同郷とは言え、歳が離れた二人は郷で特別親しかった訳ではなかった。 藤次郎にとって面識の記憶も朧な沼五郎だったが、それでも殺害されたと郷の者に聞けば気の毒にも思ったのだと言う。 「身寄りのない御人でしたが、せめて心残りなく弔ってやりたいと思いまして」 同郷の誼で非業の死の事情を調べていたものの、如何せん藤次郎は奉公人。探索するにも限界がある。そこでギルドを通して開拓者達の力を借りたのだと説明した。 「皆様のご尽力で、沼五郎さんが千寿楼の柊歌姐さんと会おうとしている事が判りました。そこで‥‥事情を知る知らぬは存じませんが、一度柊歌姐さんにお会いしとうございます、が‥‥」 何せ当方奉公人ですからね、と藤次郎。スカスカの袖を振って妓楼に上がれる身分ではないのだと示す。 一方で千寿楼は中規模の格式を持つ妓楼であり、柊歌も結構な揚げ代を要する妓女だ。正攻法で会おうとすれば金子が幾らあっても足りやしないだろう。 そこで藤次郎は大胆な策を講じた。人の出入りに厳しい廓に侵入しようと言うのだ。 「何も手前は柊歌姐さんと想いを遂げようって訳じゃぁありませんからね、ちょいとお話しさせていただければ充分なんですが」 何処の廓にも勝手口はある。厨房に繋がる勝手口から肥取り死体運びの裏口まで、人目を忍ぶ場所から入り込めないかという訳だ。 いけしゃあしゃあと不法侵入を依頼しておいて、それにと藤次郎は恐ろしげに続けた。 「いまだ沼五郎さんを殺した下手人は上がっていないと聞きます。楼港の何時何処で、下手人と出くわすか‥‥手前はそっちの方が恐うございます」 例によって丁寧な辞儀のあと藤次郎が退出すると、開拓者達は微妙な表情で顔を見合わせた。 とりあえず藤次郎の言い分は分かった。しかし、同郷というだけでそこまでの危険を冒すものだろうか。 「この話、綺麗過ぎやしないか」 場に居た一人が口にした疑問を、誰もが感じ始めていた。 相手は志体持ちかも知れぬと藤次郎は言った。何故そのような発想に至ったのか。 争った形跡もなく一撃で屠られた沼五郎。狙い違わず心臓目掛け、大の男を一突きで殺害できるのは他人を殺傷した経験のあるものの仕業だと考えたとしても、だ。 藤次郎は何かを警戒している。それは『志体持ちの下手人』であって柊歌ではない。 「これは‥‥裏があるかもしれへんね」 ギルドを通して依頼を請けている以上、藤次郎の信頼は損ねる訳にはゆくまい。しかし、おいそれと藤次郎を全面的に信用するには情報が偏りすぎている――何かが足りない。 開拓者達は己の信念に従って、依頼内容以上の行動に出ようとしていた。 ●十五夜の宵 闇夜に満月はどのように映るのだろうと、柊歌は愛しげに安田源右衛門(iz0232)の瞼に触れて言った。 「物心付いた頃には見えなかったからな、想像もできないさ」 然して気を悪くした風もなく源右衛門はそう応えて、腕の中の柊歌に尋ねる。お前の目に月はどのように映っているのかと。 「えぇと、丸くて大きくて光っていて‥‥綺麗なん」 耳元で柊歌の囁き声を聞きながら、源右衛門は月の姿を想像する。全ては解らなくとも、柊歌の声音が月は美しいものだと教えてくれた。それで充分だ。 ねえ源さん、と柊歌。甘えるように身を預け、源右衛門に請うた。 「‥‥十三夜も、うちに来てくれへん?」 縁起を担いで片見月を嫌うのは廓の慣わし、二度の通いは遊女にとっても稼ぎになる。 源右衛門はそれでも良かった。今ひとときの安らぎが、二人にとっては真実だった。 |
■参加者一覧
崔(ia0015)
24歳・男・泰
ラシュディア(ib0112)
23歳・男・騎
マックス・ボードマン(ib5426)
36歳・男・砲
神座真紀(ib6579)
19歳・女・サ
キアラ(ib6609)
21歳・女・ジ
イーラ(ib7620)
28歳・男・砂 |
■リプレイ本文 苦界十年と言われる色街の世界。 だが、実際に十年で開放される女はごく僅かに過ぎぬ。まして名張の者であれば、生涯奉公が定めであった。 ●籠の鳥は何時出やる 依頼人を伴い再び楼港を訪れた開拓者達は、千寿楼への侵入方法を作るべく各人行動を開始した。依頼人の藤次郎は父親の足跡を辿る娘を演じる神座真紀(ib6579)達と行動を共にする。 離れてゆく後姿を見送って、イーラ(ib7620)は釈然としない何かの正体を心中で探る。 (妓買いってなぁ、開拓者6人雇うよりずっと高くつくもんかい?) 開拓者ギルドを通す分、依頼人の出費は人数分の開拓者報酬よりも高額になるはずだ。ちょいと話を聞くだけにしろ、中規模の妓女であれば数度も通えば逢えるだろうに、何故他人を通すのだろう。 (ま、依頼はきっちりこなすさ) イーラは街に消えた。 この世の悦楽、浮世の苦界――妓楼という名の籠に棲む女に逢う為に。 さて、藤次郎を伴った一行は、沼五郎が呑みに行っていたという酒場を経由して、港近くにある店を訪れていた。 「千寿楼の食材を納めてるゆうて聞いてんけど‥‥」 業者同士なら顔馴染みかもしれないから教えて欲しいと、酒場の親仁に頼み込んで聞き出した卸業者だ。何の用かと出てきた男は、楼港で見かけるには商売気のない少女の姿に面食らい、さらに真紀の頼み事を聞いて渋い顔をした。 「あたし、千寿楼に行きたいねん。食材を納めに行く時に連れてってくれへんやろか?」 何処の誰とも知れぬ少女の後ろには露出の高い外国人の女と男が数名。得体の知れぬ集団を妓楼に入れて、遊女の足抜けの手引きの片棒でも担がされては堪らない。男はやんわりと断ろうとした。 「そう言われてもね‥‥」 「そこを何とか。死んだお父ちゃんが千寿楼の柊歌さんと話をしてたらしいねん。知ってはる? あたしのお父ちゃん沼五郎ゆうねんけど‥‥」 突然殺された出稼ぎの父と柊歌姐さんが何を話していたのか、尋ねてみたいが正面から入るのは憚られる、迷惑は掛けないからと拝み倒す真紀。 「しかしね‥‥‥‥‥‥まあ、連れて行くだけだよ」 拒否の姿勢を通していた男だったが、真紀の背後でラシュディア(ib0112)が密かに用いた夜春が功を奏したようだ。片道の約束だけは取り付ける事ができた。 ところで藤次郎さん、とキアラ(ib6609)が依頼人にのみ聞こえるよう尋ねた。 「多少の手引きはこちらでもする予定ではありますが…ご自身が忍び込むと言っています以上は、足音を立てない様に行くなど忍んで行かれる事を期待してもよろしいですか?」 「勿論です、極力足音を立てないよう努力させていただきますよ」 空気を読んでか藤次郎もこっそり返す。キアラの意図する所は別にあったのだが、藤次郎にさらっと流されてしまったようだ。素人なりに努力しますと返されては、はいそうですかと応えるしかない。 ともあれ一行は、食材納入業者の手伝いで千寿楼に向かったのだが――そこで躓く事になる。 一方、街へ消えた異儀出身の男達は、飲食店が並ぶ通りの内、敢えて安酒を呑ませる店に足を向けていた。 様々な人種が出入りする歓楽街に於いて、外国人の姿は然して珍しいものでもない。難なく他の客と相席になったイーラが、天儀らしい品を見繕いに来た行商人を装って土産話にと色々尋ねている。 「実は‥‥カミさんに内緒で来てるのよ。だから、俺の事は秘密にしといてくれな」 苦笑して大っぴらに騒げないのだと理由付けると、好き者らしい相席の男にも思う所があるのか、同情気味に酒を奢られた。 「家に帰りゃ女房の尻に敷かれ、か。兄さんも大変だねえ‥‥ま、呑みな」 「ああ、有難いねえ‥‥ところで旦那も妓遊びに来たクチかい?」 まあなと答えた男は如何お世辞気味に見ても身形が良いとは言いがたい。安酒煽って景気を付けてから妓女の許へ向かうのだと言う男に、イーラは同調するように頷いた。 「身銭切ってでも逢いたい女が居る、か。羨ましいね、俺もそんな女に逢いたいもんだ」 注しつ注されつ、適当に追加の酒を注文してやって巧みに話を引き出してやる。偶々近くに席を取ったように見せかけて聞き耳を立てているマックス・ボードマン(ib5426)とも情報共有を図る。 「旦那のお勧めの子はいないかい? ‥‥ああ、そう言えば柊歌姐さんってのが別嬪らしいって聞いたが」 「柊歌姐さん? 千寿楼のか、上玉だがそろそろ年増だぜ」 聞けば二十代半ばの古株だと言う。千寿楼の格式と柊歌自身の価値から、結構な揚げ代が掛かるぞと男は訳知り顔に言った。 「年増なものか、せいぜい俺と同じくらいだろう?」 「まあな、そろそろ年季明けだろうしな。女としちゃ悪くねえ」 水揚げされたばかりの初々しいのに色々教え込むのも良いもんだが、酸いも甘いも噛み分けた妓女と大人の駆け引きをするのも良いもんだ――などと調子に乗って一端の口を叩いている、身形からは到底豪遊などできそうもない男の話に興味を持った様子を見せて、マックスが会話に混ざった。 「ほう、オウカという妓女か。通いたくなるような良い女なのか?」 「そりゃそうよ、千寿楼の柊歌姐さんと言えば話術音曲に巧みな床上手。最近では馴染みの客しか取らねえって話だ」 馴染みか、何とか逢ってみたいものだなと応じたマックスに、男は外人さんは無謀だねえそりゃ無理だよと返す。何故無理なのだと花街に疎い外国人を装ってマックスが重ねて問えば、酔いも回って上機嫌の男は妓楼のしきたりを訳知り顔で語り始めた。 「‥‥ってえ訳で、いくら大金積もうとも言いなりにならぬが太夫の矜持、ってな」 「ふむ‥‥」 男に納得いきかねる表情を浮かべてみせて、マックスは黙り込んだ。 後に相席になった男は得意顔で語るだろう。千寿楼で騒ぎを起こして出禁になった外国人と、俺は呑み仲間なんだぜと。 ●黒表覚悟の大芝居 男達が酒場で柊歌を品評してから少し後――そろそろ昼見世の頃合かという千寿楼の張見世は大騒ぎになっていた。 「太夫を呼べ!」 「お客様、申し訳ありませんが‥‥」 「金ならある! 太夫を呼べ!」 どっかりと座り込み、居丈高に妓楼の高位遊女を呼びつけようとする男はマックスだ。粗野な迷惑客を装い、出入り禁止覚悟の大芝居を打っていた。 「しかし登楼の約束事というものが‥‥」 妓女達を下がらせ、何とか穏便に退去願おうと楼主が頭を下げたところで、マックスは頭ごなしに理解不能と撥ね付ける振りをして、侵入班が柊歌と逢う間の時間稼ぎをしていたのだ。 これが天儀の者であれば粋知らずの田舎者よと笑い者になるのがオチだが、相手は楼港のしきたりを知らぬ他儀の人間だ。周囲も嘲笑うに嘲笑えず、ただなりゆきを見守っているばかり。 遠巻きに見られているのに激昂したように見せかけ、マックスは更に声を荒らげた。 「他儀の者だと馬鹿にしているな!? 金はある、証拠を見せてやる」 そう言ってマックスは無造作に財布を取り出すと、辺りに文をばら撒いた。途端、我先に拾おうと争う妓女で張見世はてんやわんやだ。 苦虫を噛む楼主とは対照的にどうだと得意気な表情を装うマックスには、仲間達への確固たる信頼があった。 一方、侵入班――千寿楼出入り業者に紛れて侵入を試みた依頼人達の方だが、確かに搬入用の裏口から入る事はできたものの、肝心の柊歌との面会には至らないでいた。 ラシュディアの夜春で補助した真紀の演技は、大抵の人間の同情を買った。しかし、当の柊歌には通用しなかったのだ。 「柊歌姐さんが怯えてはる‥‥?」 予想外の反応に、真紀は問い直した。泣き落としで繋ぎを頼んだ柊歌付きの禿は、うんと首肯して素直に答える。 「姐さん、わたしが見た事ないくらい怯えて、会いたくないって」 真紀にも柊歌にも申し訳ない気持ちになって、ごめんねごめんねと謝る禿に、真紀は「気にせんといてな」と頭を撫でてやって小遣いをやった。遣り取りを見ていたラシュディアが一旦退こうと一同を促した。 会おうとしている人物が面会を拒否している、しかも非常に怯えているとは、どういう事だろう。 千寿楼侵入後行灯部屋に身を潜めていた崔(ia0015)とキアラに合流し、五人は仕切り直しの相談を始めた。 (何か妙だな‥‥) これまでの調査を通じて、ラシュディアは沼五郎の素行と死に様の落差に疑問を抱いていた。そこへ柊歌の反応だ。 柊歌は沼五郎に脅されでもしていたのだろうか。 (姐さんの方が頭下げてたって言ってたっけか) 先日格子越しに得た目撃情報を思い出して、崔はそれとなく藤次郎を見遣る。 「何か?」 「いンや」 互いに顔には出さぬ腹の探り合いだ。 (地味で目立たず何処へでも何でも請け負う男は、実は雇い先不明な男でしたってか‥‥怪しいドコロじゃねえだろ。そいつに拘り過ぎる男もな) 食えぬ男から目を逸らし、怯えていたという柊歌に考えを巡らせる。 間違いなく二人は知り合い、そして柊歌の方が立場が弱い――そこまで考えた時。 『金なら有る! 太夫を呼べ!』 声を荒らげる男の怒声と、何か物が壊れたような派手な音。この声は――マックスだ! 「行こ、今しかあらへん!」 仲間の陽動を悟り、真紀が動いた。行灯部屋の戸を開けて人気がないのを確かめたキアラが藤次郎を送り出す。 「では気をつけて‥‥」 藤次郎とその護衛達を送り出し、キアラは見張りの相方、イーラと合流すべく脱出経路に急いだ。 柊歌の持ち部屋の前で、藤次郎は丁寧に腰を折って辞儀をした。 「ありがとうございました。後は手前一人で大丈夫です」 下手人をあれほど恐れていた藤次郎が柊歌に対して全く警戒していない事への違和感は、いまやはっきりと開拓者達にも感じ取れていた。 話は二人きりでと言わんばかりの態度に、そうは行かぬと崔は藤次郎を遮った。 「俺らは護衛だ、請け負った以上それは譲れね」 依頼人と請けた開拓者の関係である事を強調して、同席を強いる。 (柊歌が関わっていた場合‥‥藤次郎は柊歌をどうするつもりだ) 藤次郎と柊歌を二人きりにしてはいけない――今の違和感が良からぬ予感を生んだのだ。 不審気に崔を見上げた藤次郎の表情に邪気はない。だがそれもまた不審。彼は殺害された同郷の男の為に動いているのではなかったか。 「戸口の方で大人しくしておきますから」 「綺麗なお姐さんの顔だけでも見させてえな」 頼み込む真紀とラシュディア、ここに至るまでの交渉に何度か用いた夜春だが、藤次郎に効き目はあったかどうか――ただ緊張を帯びた硬い表情で藤次郎は同席を許可したのだった。 ●籠から出たし鶴の心 柊歌姐さん、と部屋の前で真紀が声を掛けた。女の声に新しい妓女が挨拶にでも訪れたとでも思ったのだろう、お入りと鷹揚な応えが戻って来た。 「‥‥何なん、あんたら」 開いた襖から現れた複数の男女を認め、千寿楼の稼ぎ頭は胡乱気な顔をした。階下の気配で張見世が騒がしいのは知っている。騒ぎを抜けて来た客だろうか。 「廓のしきたりも知らん田舎者はお帰り」 「泥鰌の件で来たのだが」 冷たく言い放つも、藤次郎の一言が柊歌を豹変させた。明らかに狼狽し、怯えた様子さえ見せて後ずさりしている。 (泥鰌?) 開拓者達の不審気な気配に反応すらせず、藤次郎は視線で柊歌を逃さぬとでも言うかのように、じっと見据えている。 「あたしは何も知らへん! 足抜けさせて言うたら沼さん死んどってん!」 凝視する丁稚が何より恐ろしいもののように両手で顔を覆い、知らん知らんと幼子さながらに首を振る。沼五郎に頭を下げていたというが、藤次郎に対しての上下関係も柊歌の方が下らしい事が伺えた。 「本当に何も知らぬのか。心の臓を一突き‥‥余程の手練でなければ泥鰌は殺れぬ」 「ひと、突き‥‥?」 恐る恐る、柊歌は問い返した。覚えがあるのかと問われれば否の繰り返しで、とても埒が明きそうにない。 この場にいるのが藤次郎と柊歌のみであれば、彼は女を拷問してでも吐かせたであろう。だが、彼を護衛する開拓者が同席しており手荒な真似は憚られた。 「‥‥藤次郎サンよ、そろそろ潮時のようだぜ」 「仕方ありません、出直しますか」 階下に耳をそばだてていた崔が陽動の限界を伝える。柊歌に対してとは打って変わって丁寧な口調に戻った藤次郎、已む無く退く事にしたのだった。 その頃、千寿楼から追い出されたマックスは、周辺警戒中のイーラとキアラに合流していた。周辺をうろつく不審な武芸者や辻斬りの類は見なかった等の報告をし合った後、柊歌面会班が出て来るのを待つ合間に思案していたキアラが独りごちた。 「動機は何であるのか‥‥」 柊歌が沼五郎殺害の手引きをしたとして、キアラには理由が見えて来ない。だが、開拓者ギルドでの藤次郎の振る舞いから、藤次郎側の事情を全面的に信頼するのは危険だとも思う。 「知っておきたい、気がします」 柊歌の事情を知りたい。彼女自身から話を聞きたい。 キアラのその思いは、場にいる開拓者の気持ちも代弁していた。イーラが呟く。 「俺達の仕事は依頼人の護衛だが‥‥」 にや。朗らかに不敵な笑顔を浮かべ、彼は続けた。 「ただ、他に余計な事すんな、とは言われてねぇな」 「これもフォローの内だな」 面会班と入れ違いに、三人は柊歌を訪れに廓へ侵入した―― ●覚悟 三人が柊歌に面会していた頃、藤次郎を伴った開拓者達は千寿楼を離れ温泉通りを歩いていた。湯治ついでに土産物を冷やかしている集団といった風情で、とても廓に無断侵入した後のようには見えない。 「‥‥さて、と」 さりげなく水を向けた崔が言わんとしている事を、藤次郎も解っていた。 ――お前はただの奉公人じゃあないな? ラシュディアの視線が、藤次郎を疑わずにはおれぬ辛さを湛えた真紀の表情が、疑念を語っていた。 開拓者達の前では、沼五郎と同郷のお店者の振りをしておかなければならなかったのだ。だが柊歌の前では、裏を知る柊歌の前では、笑狐としての顔を晒してしまった。 いつかは破綻する嘘だったのだ。そして破綻は護衛に開拓者を頼った時点で始まっていたのかもしれない。 護衛を頼んだのは、笑狐自身。自業自得であった。 『好きにするがええ』 不意に主の言葉を思い出す。あの言葉の響き、重みを忘れたりはしない。 自由には責任が伴う。己が判断した事の始末は己で着けねばならなかった。 「場所を、変えませんか? 此処にいらっしゃらない方も近く合流されるでしょうから」 覚悟を決めた藤次郎は、皆が揃ったらお話しますと開拓者達に告げた。 |