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■オープニング本文 星見草、霜見草――様々な異名を持つ、菊花。 高貴と敬い尊ばれる花の名を冠した村が、北面の片隅にあった。 ●便りなき村 北面・仁生は七宝院邸。 傍流七宝院家の一ノ姫、七宝院 絢子(iz0053)は乳母の於竹に今日届いた文を届けさせていた。 「三輪家の跡取り様、菅野家のご嫡男様、桧垣家のご嫡男様‥‥」 名を読み上げてゆく於竹の言葉が、絢子の耳を素通りしてゆく。絢子の心には懸からない、ありきたりな恋文だ。 いつものように興味なさげに聞き流し、絢子は外を眺めた。部屋から眺める外は冬の兆しを見せ始めている。 「於竹、そろそろ菊が美しい頃ね」 手元の塗箱を引き寄せ膝に乗せた絢子が待っていたのは、もっと素朴な文だ。 その塗箱の中に何が入っているのか、於竹は知っている。 「千代見村の菊でござりまするな」 絢子は毎年重陽の時期になると菊の着せ綿を千代見村から取り寄せる。 二年前の重陽、突然の魔の森の発生で千代見村との行き来が困難になった際、絢子は開拓者に護衛を依頼して着せ綿を届けさせた。 それが縁で、毎年大菊の最盛期になると千代見村の村祭に誘われるようになったのだが――部屋に引き籠もっている絢子は未だ一度も訪れた事がない。 「今年は‥‥ないのかしら」 何年も袖にしてきた誘い。塗箱には既に色褪せてしまっている菊花と文が入っていた。 ご時世もござりましょうと於竹が言葉を添える。今は北面各地でアヤカシが活性化しており、千代見村も慌しいのであろうと。 「アヤカシ‥‥」 そうだ、千代見村は魔の森により仁生との交通を絶たれた村だ。何故それに考えが至らなかったか。 「於竹、開拓者ギルドに使いを。仁生政庁へも使いを出して」 もしや――否、今なら間に合うかもしれない。 引き籠もりの姫は、一縷の望みを乳母へと託した。 ●護りたい花 北面の西に位置する、千代見村。 都である仁生からは西北に位置するこの村は、東南の街道を魔の森に封鎖され上京するには半月かけて迂回するしかない場所にある。とは言え、西へ一日の距離に隣村はあるし、作物出荷で他所との交易もある。隔離された村と言うには切羽詰った状況ではないと判断された、半隔離村であった。 ――そう、通常時であれば、警戒の必要も薄い状態だったかもしれない。 今、清和地方を中心に活性化し始めた魔の森、引き寄せられるかのように活動を始めた大アヤカシ。 これらの影響は清和地方だけには留まらなかった。国の危険区域見解は、緊急時には後手に回ってしまう事もある。 千代見村の村人達は、突如凶悪化したアヤカシ達の格好の標的となっていた。 男が鍬を振り回し、小鬼を追い散らす。 「おさん、赤子らを連れてお前だけでも逃げろ!」 妻に避難を促すが、おさんは首を縦には振らなかった。 この村の者は皆、菊の恩恵で生きている。夫が菊を護る為に残りたいなら妻も気持ちは同じ。そしてこの気持ちは村人全体の気持ちでもあった。 「散らすだけならアンタじゃなくてもできるんだよ!」 背に赤子を負うて、おさんは洗濯竿を振り回した。 日用品では戦うどころか追い散らすのがやっとだったけれど、それでも村人達は懸命に村を護ろうとしていたのだ。 開拓者達が朋友に騎乗して駆けつけたのは、そんな最中の事であった。 |
■参加者一覧
崔(ia0015)
24歳・男・泰
羅喉丸(ia0347)
22歳・男・泰
礼野 真夢紀(ia1144)
10歳・女・巫
フェルル=グライフ(ia4572)
19歳・女・騎
からす(ia6525)
13歳・女・弓
ザザ・デュブルデュー(ib0034)
26歳・女・騎
明王院 千覚(ib0351)
17歳・女・巫
オドゥノール(ib0479)
15歳・女・騎
フィン・ファルスト(ib0979)
19歳・女・騎
无(ib1198)
18歳・男・陰
央 由樹(ib2477)
25歳・男・シ
エレイン・F・クランツ(ib3909)
13歳・男・騎
九条 炮(ib5409)
12歳・女・砲
ハシ(ib7320)
24歳・男・吟
刃兼(ib7876)
18歳・男・サ |
■リプレイ本文 ●空からの援軍 おさんが洗濯竿を振り回す、上空に影が射した。 雲が掛かったか、見上げる余裕すらない村人達に天空から声が降って来る。 「西へ。村の西へ集まってください」 冷静な声がアヤカシの咆哮とは違う安心感を、おさんに与えた。見上げた肝っ玉母さんの視界に映ったのは数多くの龍や翼持つ獣――鷲獅鳥に乗った黒髪の少女が告げた。 「隣村へ避難を行います」 からす(ia6525)の呼びかけに、おさんは助勢の登場を悟った。 しかし彼女は戸惑った――背に護る菊畑、千代見村の生活を見捨てては行けない。 逡巡は、崔(ia0015)の呼びかけで変化した。 「俺らを寄こしたのは七宝院の姫サンだ」 七宝院の、という事は翳姫さまの使者だ。毎年大口注文をくれる仁生の姫様、いまだ会った事はないが、村祭に招きたい深窓の令嬢。 「私達は開拓者です。絢子様が村の方々の無事を祈って働きかけて下さったのです」 懸命に明王院 千覚(ib0351)が呼びかけた。 空から見下ろした千代見村は小菊の畑が見事な彩りを見せていて、丹精込めて育て上げた村人達の営みが伝わってきた。同時に、アヤカシが村の東側を中心に攻め入っている様子も見てとれて、防衛の困難さも理解できている。 全てを護り切れない事が判っている――それが歯痒かった。だが、せめて村人の命だけは護りきる。 (‥‥誰の命も奪わせへん) 駿龍の俊の背上で、央 由樹(ib2477)は決意を新たにした。村人達が菊を護る為に命を掛けているのであれば、己はその人達を護る為に命掛けよう。上空から凡その建物や畑の位置を把握し、辺りを付けた避難誘導方面へと鋭い視線を向けた。 村の西に村人を集め、隣村へと避難させる。それが、ギルドで状況を聞いた開拓者達の選択だった。 飛行可能な騎乗系朋友を駆り千代見村へと急行した開拓者は十五名。上空からの状況把握後、速やかに着陸場所を見つけて降り立つと、村人に呼びかけ避難誘導を行う者とアヤカシの村侵入を阻む者とに分かれて行動を開始した。 (虫の知らせならぬ、菊の知らせ、かな) 間に合って良かった。村人達はまだアヤカシを追い散らすだけの余力を残しており、アヤカシも容易に村へと侵入できていない状況なのを察知して、エレイン・F・クランツ(ib3909)は願いを託した姫を思う。 炎龍の翼で畑を乱さないようにと注意を払って着陸すると、村の東――避難者集合地点とは逆方向へ駆け出した。 「西の広場に仲間がいるから、そちらへ逃げて!」 「今は皆さんの命を優先して下さい。大事な物だけ持って逃げて下さい!」 ここは自分達に任せて隣村へと促す、エレインや礼野 真夢紀(ia1144)の真摯な姿に従って、村人達は広場を目指して去った。 真夢紀とて農業が盛んな地の出だけに、盛りを迎えた菊畑を見捨てて逃げよという指示が如何に酷なものであるかは理解できる。村人達の辛さは痛いほど解るつもりだ。だが、命を失っては再び花を育て咲かせる事もできなくなる。 主の悲痛な声音を心配してか、上空を飛んでいた駿龍の鈴麗が高く鳴いた。鈴麗を見上げ、気丈に攻撃目標を指示した真夢紀も腕に固定した弓から矢を放った。 「逃げて下さい、この村の菊が好きで依頼を出した人の、そして花を待ってる人達の為に‥‥!」 開拓者だとは言え年端もゆかぬ子達に戦わせるのはと躊躇っていた村の大人もいた。しかし彼らに代わってアヤカシを排除した少年少女の実力を目の当たりにして心を決めたようだ。 エレインは頼もしく頷いて、託した村人の想いを受け取った。 「あなた達の大切な村は、菊は、ボク達が頑張って護るよ。行こう、アグニ!」 ●護るための戦い 小さいようで意外と広い村だ。 「命あってのモノダネとは言うが、菊もまたこの村の人たちにとっては命なのだろう」 菊花の花畑を一瞥して、オドゥノール(ib0479)は独りごちた。 人々の生活が此処にある。 まだ馴染みの薄い鷲獅鳥は余り働かせぬ方が良かろうかと、ツァガーンから降りたオドゥノールは長剣を手に取った。 「やれる限り頑張りましょう」 九条 炮(ib5409)の言葉に、うむと頷く。 鷲獅鳥のレイダーから降りた炮は懐の短銃の位置を確かめた。 「現状、敵は雑兵のみとはいえ数は脅威ですからね」 隠し玉は用意してあるが敵は無限だ。せめて避難完了までは保たせてみせる。二人は村の北東へ向けて捜索を開始した。 空からの到着や説得班が動いていた事もあって粗方の村人は出払っていたが、それでもまだ時々人影が見え隠れしている。 「そこにいるのは人か? 必ず村へ戻れるように迎撃をするから、早く大事なものを持って逃げろ!」 いつになく声音が荒っぽいオドゥノールに反応して出てきたのは――鬼だ! 小鬼を引き連れて空き家を物色していたらしい。 「‥‥くっ」 人の営みが汚されたような気がして、自分の家でなくとも腹立たしく感じた。民を守る騎士としての怒りがこみ上げてくる。 「おのれ‥‥!」 オドゥノールの掲げた長剣が光を反射して淡い輝きを発した。まるで精霊の力を得たかのように柔らかく光る長剣を握り締め、彼女は鬼へと走った。 「援護します!」 後方から射撃を行いつつ、炮は敵の総数を目算した。多い、やたら多い上に指揮官らしき鬼がいる。 鬼が小鬼とは一線を画するのは、刃を交えたオドゥノールも感じ取っていた。きん、と澄んだ音を立てた剣は確かな手応えを彼女に残し、一筋縄ではいかない相手である事は鬼の余裕ある表情からも見てとれる。 「ここが力の使いどころか」 長期戦が予想される此度の戦い、己の敵はこの鬼と定めてオドゥノールは剣を構えなおした。 村の中央付近。 一面の菊畑は聞きしに勝る見事さだった。 平時であれば菊の香りを堪能して全力で褒め称えたい所だが――その余裕はなさそうだ。 「愛、し・てるっ!!」 美への絶賛を、ハシ(ib7320)は目一杯重低音に込めてアヤカシへとぶつけた。 もちろん小鬼愛ではないのだが、全力の愛に小鬼達は取り乱したようで、ただでさえ開拓者達に避けられがちな攻撃が更に当たらなくなっている。 「隙だらけだな」 これなら練力の消耗も控えられそうだ。 何時終わるとも知れぬ防衛戦を戦い抜く為に、ザザ・デュブルデュー(ib0034)は戦い方に緩急つけて臨んでいる。碧の鱗を反射させて小鬼を引き裂くは朋の甲龍イフィジェニィ、普段はのんびりした子だが、戦いとなると頼もしい。 「慄いたついでに、逃げてくれればいいのに〜♪」 戦いは苦手なのよとハシはいつもと変わらぬ口調で軽口を叩いた。だが、彼が敵を眠らせたり落ち着かなくさせたりと援護してくれるおかげで、皆は戦い易くなっている。 (この子達に無理させてまで急行した甲斐はあったようですね) 傍らで己を護るように翼を広げる甲龍のたまを頼もしく見遣り、千覚が癒しの風を送る。攻撃手だけが戦いではない、回復もまた戦場では貴重な戦力なのだ。 「美への賛歌なら、いくらでも歌うわよ〜♪」 護るべき場所への賛美を歌に乗せ、アヤカシに安らかな眠りを誘う。葦笛に込められた大地の精霊の加護が千代見村にも及ぶようにと祈りを込めて、奏で終えたハシは。 「‥‥ヤっちゃって☆」 駿龍のアジに攻撃指示を出し、白兵は苦手だけどと自由人の誇りたる短剣を構えた。 魔の森が最も近い東側付近。 主を乗せた鷲獅鳥の彩姫が一声、鋭く鳴いた。普段からは想像もできない獰猛な、鷲獅鳥らしい叫び声だ。 騎射の構えで待機しているからすには彩姫の心が伝わっていた。代弁するならば『民を護るは姫の役目。民に手をかけるならば私が許さんぞ鬼共』――誇り高き彩姫が猛き殺姫になっている。 「さあ仕事だ」 村の東側にも家や畑はある。避難の為に荷を纏めに戻って来る村人達とアヤカシ達を鉢合わせる訳にはいかない。 「ここから先は一歩も譲らん!!」 強い覚悟と共に刃兼(ib7876)が小鬼達の行く手を阻む。意思の力は咆哮となってアヤカシ達の注意を惹いた。辺りのアヤカシ達が刃兼に群がったが彼は全く怯まない。 「加勢に来たよ!」 「まゆの限界まで、援護します!」 アグニを連れ、エレインが合流した。多少の傷は真夢紀が癒してくれる。アヤカシを村外へと押し返すよう移動してきた仲間達が徐々に集結している――心強く思いつつ、瀬を預けた朋に声を掛ける。 「頼むぞ、トモエマル」 刃兼は太刀を構えなおした。 無謀な事はしないつもりだが、多少の無茶は覚悟の上だ。対複数用の技を覚えておけば良かったか――などと、ちらり考えつつも、今できる事を最大限やりきる覚悟でいる。 (無い物ねだりをしても仕方ない。できる範囲で、小賢しく立ち回るのみ、だ‥‥!) 鬼切の名を冠した太刀を横払いに薙いで、周囲に寄った小鬼達を振り払う。後ろへ飛びのいた小鬼の足元に牽制の矢。上空からからすが射掛けた援護だ。 「その場を動くな」 老成した言葉は重々しく呪術に掛けられたかのように小鬼達が立ち竦む。その隙をエレインは見逃さなかった。 「ここは絶対通さないよっ!」 ――ボクだって、小さくても騎士なんだから! そう、小さくとも彼は皆を護る盾たる者。騎士の渾身の一撃が固まっていた小鬼を一瞬で瘴気へと還した。 全てを護る事はできない、だが何かを護る事はできる。だから開拓者達は力の限り戦った。 何時終わるとも知らぬ戦いだが、村人全員が避難完了するまでがひとつの時限だ。それまでは立ち続ける。刃兼は再び覚悟を吠えた。 ●一人も残さないために だだっ広い村には二十戸ほどの家があると聞く。 フェルル=グライフ(ia4572)が、家の前で立ち尽くしている村人を遠目に見つけ、声の限りに呼びかけた。 「開拓者です、今すぐ傍の開拓者に従い村の西へ!」 「‥‥‥‥」 「何をしているんです! 急いで!」 慌てて駆け寄れば、男はきつい目でフェルルを凝視して「俺はここに残る」と言う。 「菊を見捨てて自分だけ逃げようとは思わん、俺は村と運命を共にする」 「駄目です! 諦めないで!」 「‥‥!」 フェルルを見ていた男の目が見開かれた。次いでフェルルが背に感じる違和感――懸命に説得していてアヤカシの気配に気付くのが遅れたか! 「あなたは私が守ります! 今の内に一番大事なものをっ」 鷲獅鳥のスヴァンフヴィードに大菊の鉢を括り付けるよう指示し、フェルルは敵に向き直った。 敵は小鬼、数が多い。注意を引くよう背を向けて家とは逆方向に駆け出して、決意を乗せた叫びを浴びせた。 「こんな理不尽な攻撃で、人の生を気安く手折られたくはありませんっ」 己が力の及ぶ限り、人も菊も、その思い出も未来も、全て守り抜く! 小鬼の移動を追って鷲獅鳥が接近している、騎乗しているのはフィン・ファルスト(ib0979)、という事は鷲獅鳥は相棒のヴァーユか。 「多いけど、一匹も通すもんか!」 全力で突っ込んで降り立ちざまに薙ぎ払う。フィンの身の丈の倍もある長槍が豪快に小鬼達を吹っ飛ばした。 「フェルルさん、そっちはどう?」 「一人、仕度中!」 手短に村人の安否を声掛けし合う。多くの村人は西へと移動を始めたが、中には村に残ると言う者も少なくない。それらを説得し避難へと誘導するのが彼女らの任務だった。 全員、無事に村外へ落ち延びさせる。 「一緒に隣村まで避難してくれ。頼む!」 由樹は頭を下げた。大切なものを残してゆく事がどれだけ辛いか、大切なものを失って生き永らえる事の辛さは想像するに余りある。 だが、今は村の防衛に向かった仲間達を信じて、仁生に村の窮状が伝えられた事を信じて、村人達の命を護る事が第一であった。 「この村と菊畑は俺らの仲間が全力を尽くして護る。アンタらの命あってこその菊畑やろ、せやから今は命を大事にして欲しいんや!」 駿龍の夜行に荷車を引かせて崔が到着した。 全ては持って行けないが、せめて収穫済の小菊や食用菊だけでも運び出してやりたい。村人達の指示のもと、男達は荷造りの手伝いを始めた。 戦闘を仲間に託し、避難誘導班は逃げ遅れたり居残った村人がいないか地道に探し続ける。 (風天、お前も探せるよね) 无(ib1198)の想いに駿龍は目を瞑り応えた。不思議な縁が結んだ一人と一頭だから互いの考えは自ずと伝わってくる。確固たる信頼と共に、无は符を青みを帯びた狐らしき小動物へと変えた。 「‥‥行け」 港に預けてきたもう一匹の朋を模した姿のそれが、するりと壊れた家屋に侵入してゆく。符に託した耳目を護るは傍で気配を辿っている風天だ。 倒壊した家は元々だったのか、それとも此度の襲撃によってなのか――屋内に老人を発見し後者だと知る。 「います。お一人、身体が不自由なようです」 淡々と告げた言葉は仲間への伝達。羅喉丸(ia0347)がすぐさま甲龍の頑鉄を連れて倒壊家屋に入って行った。 「あ、そこの柱を動かすのは危険です」 「‥‥解った。頑鉄、ここを頼む」 崩壊連鎖の阻止に、頑鉄に大きめの瓦礫を支えさせる。 中から外から。人魂を操る分、无は救助に集中できないが、書物で得た建築知識と内部構造を照らし合わせて、中の人物に被害が出ない順序で瓦礫を取り除くようにと心を砕く。 「おーい、いたら返事してくれ! 開拓者だ、救助だ!」 「無事だ、動けんだけだ」 中の人物へ声を掛けると返事があった。 比較的しっかりと落ち着いた声音に安心して、羅喉丸は相手を励ましつつ瓦礫を掻き分けてゆく。やがて家屋から、青年に肩を貸された寝巻き姿の男が現れた。 「ありがとう、気付いて貰えんかと思ったよ」 偶々足を挫いて畑仕事を休んでいたという村人は一人暮らしで、突然のアヤカシ襲撃により家に閉じ込められたまま途方に暮れていたのだと言う。 男は頑鉄に乗せられて広場へ運ばれて行った。家から持ち出せるものは何もなく身ひとつで助け出された男だが、広場で上着か毛布くらいは貸してもらえるだろう。 「まだいるかもしれないな」 「そうですね、一人残らず助けましょう」 居残りたがる者、居残らざるを得ない者。それらを全て、村外へと避難させる――絶対に。 一方、村の西側にある広場には村人達が続々と集まって来ていた。 「おらへんご近所さんはないか? もしおったら俺らが助けに行くから言うてくれ!」 由樹の呼びかけに顔を見合わせ確認を始める村人達。 あ、と誰かが声を挙げたその時、行方不明のご近所さんが頑鉄に運ばれて来た。 この村は全員が家族のようなものだ。荷車に積まれた家財道具も収穫された菊花や大菊も千代見村の財産。荷造りの余裕があった者も身ひとつで担ぎ込まれた者も皆同じだと、男を村人達は暖かく迎え入れる。 「全員揃ったか。準備は‥‥いいな」 千代見村を、発つ。 崔の言葉に村人達は未練を振り切るように淡々と出発し始めた。 隣村へは徒歩約一日。平時であれば朝発って夕方に到着するように調整もできようが、今は一刻も早く発たねばならぬ。夜間の休憩、その警備も踏まえ、何名かの開拓者が護衛に就いた。 「必ず村の皆さんを隣村まで送り届けますっ」 「フェルルさんに、祈りの加護を」 後を託され、見送る千覚がフェルルに言霊を託す。 どうか、無事で。 それは発つ者も残る者も互いに願わずにはいられない祈りであった。 再び戦線に戻ってゆく千覚と入れ違いに、最後の村人も千代見村を後にする。彼ら避難民の最後尾に就いた由樹が狼煙銃を打ち上げた。 寒空に上る青い煙は、村人の避難が完了した証。交戦中の仲間へも伝わるだろうか。 「‥‥頼むで、皆」 ●菊花の縁 仁生は七宝院邸。 千代見村防衛の報を聞いた一ノ姫は、安堵の吐息を漏らした。 「千代見村、村民全員避難、死亡者無し。家屋損壊はござりましたが微少との由。村の警護は無事に北面志士隊へと引継ぎられましたとの事にござりまする」 ――良かった。 あの村の者達が無事で。開拓者達が間に合ってくれて。志士隊が警護に当たってくれて。 政治的に然したる影響力も持たぬ下流貴族の姫は、打った手が全て良い方向に収まってくれた事を素直に感謝していた。 「ありがとう‥‥」 乳母の齎した報告に、誰にともなく感謝の言葉が口に出る。於竹は聞こえてはいたけれど、それには応えず素朴な籠をひとつ引き寄せ絢子に言った。 「千代見村に向かった開拓者より、姫様にお届け物がござりまする」 「わたしに?」 膝に乗せた塗りの小箱を手で押さえた。 小箱の中身も、かつて依頼を出した際に開拓者から贈られたものだ。今はもうすっかり色褪せてしまった菊花と、それに添えられた文。絢子に外への興味を初めて教えた存在だ。 絢子はそっと籠を覗き込んだ。 「まあ‥‥」 農具だろう鄙びた籠の中にあったのは、枯れぬように水筒へ活けられた小菊。千代見村の小菊だった。 ふいに絢子の視界がぼやけた。 初めて見てみたいと思ったのが二年前、それが延ばし延ばしになって、今この戦乱で漸く目にする事が――否、開拓者のおかげで目に触れさせて貰った愛らしい生花。 「ありがとう、護ってくれて‥‥ありがとう」 開拓者という存在を絢子は目の当たりにした事がなく、二度に渡って心動かした不思議な人種という認識でしかない。 当然、二度とも同じ人物による心配りだとは気付いてもいなかった。そしておそらく、手配した当の開拓者も気付いてはいないだろう。 だが――菊にまつわる交流は、確実に絢子の心に影響を与えていた。涙となった安堵は、絢子の膝を温かく濡らしたのだった。 |