【北戦】祈り、つなぐ
マスター名:周利 芽乃香
シナリオ形態: ショート
危険 :相棒
難易度: やや易
参加人数: 10人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/02/25 23:46



■オープニング本文

 ただ待つだけの身が落ち着かないのは、誰もが同じだから。

●落ち着かないなら手を動かせ
 北面東部地域に於ける魔の森の活発化に端を発した戦乱は、弓弦童子をはじめ冥越八禍衆の出現により、尚も混乱が続いていた。
 仁生の都では芹内王率いる北面軍が慌しく出立し、残された民は詳細な戦況を知らされぬまま不安な時を過ごしている。戦地へ向かった志士隊も多く、家族達の心痛も極限に近付いていた。

 仁生にある花椿隊は、隊の体裁を取っているものの女性有志で結成された非公認諸隊である。男性は目付役の老爺ひとり、隊員の多くは未婚の少女達だ。年頃の女性が集まる社交場という側面が強く、大抵は寄り集まって世間話に花を咲かせていた。
 詰所に初々しさの残る若内儀が訪れたのは、北面軍が東部へ発って暫くした頃の事だった。
「千代ねえさま!」
 つい半年ほど前に志士の望月某に嫁いだ娘が、下男に大荷物を持たせて立っていた。飛びついた少女をしっかり抱き締めて、再会を喜び合う。
「元気だった? 大きくなったわねぇ」
「やぁだ、ねえさま。半年でそんな大きくならないよぅ」
 甘える少女を抱きかかえたまま、千代は下男に奥へ荷物を運ばせた。
 大きさの割に軽々と、下男は荷を運んでゆく。それもそのはず座敷で広げた風呂敷からは、もふらの毛から作られた毛糸が色とりどり転がり出た。
「おお、これは久しいかな。息災であったか」
 現れた目付役に丁寧な挨拶して、千代は花椿の娘達に手伝ってもらいたい事があるのだと言った。

 それは――何処ぞの志士に嫁いだ女性の発案であったという。
 夫と息子を東和平野へ送り出した女性は、届かぬ消息に身を焦らしながら留守を守り続けた。
 合戦中なれば消息が届かないのは当然の事、今頃は民の為にアヤカシを討ち果たしているのであろう――そう思えど、不安は増すばかり。
 そんな時、女性は実家の母の教えを思い出した。
『落ち着かないなら手を動かせ』
 紡績問屋に育った女性だった。当時はまだ珍しかったジルベリア風の編物法を幼い頃に教えられ、娘盛りの頃には織りに編みにと細々働いたものだった。
 気晴らしに編針を手にしてみれば、指を通る糸の感触に心が安らかになるのを感じた。
 実家は兄が継いでいる。女性は実兄に掛け合って大量の糸と編針を揃えると、同僚の妻達に教え始めた――

「‥‥という話が巡り巡って、私も教えていただいたのよ。それでね、みんなにも広めようと思って」
 もふ糸は小指の三分の一位の太さだろうか、所々に拠りが掛かっていてふっくら表情豊かな糸だ。編針は菜箸を短く切って端を削って作ったらしいものが何本も用意してあった。
 作って欲しいのはこれ、と千代が出したのは三寸四方の小さな編地。これを沢山繋げて大きなものに仕立てるのだという。
「一人で作るのは大変だけど、みんなで作れば‥‥」
 多くの人に広まれば、沢山の編地ができる。沢山できれば多くの防寒布ができあがるだろう。
 だから花椿隊でも広めて欲しいのだと、千代は隊員達に編み方を伝授して行った。

●ひとつの編目に祈りを込めて
「まあ‥‥千代様がいらしていたのですね。お会いしとうございました」
 後日、来訪を聞いた七宝院 鞠子(iz0112)は、畳を転がる毛糸に目を丸くしながら残念がった。千代の置き土産の毛糸は既に編地に変わりつつあり、試しに編地を繋いで作った膝掛けが一、二枚ばかり卓に広げられている。
 暫く顔を見せなかった鞠子だが、目付役には以前のような悲痛さが薄らいだように見えた。
「お出でにならなかった間に、何か佳き事がございましたかな?」
 そっと水を向けると、鞠子は薄く頬を染めて視線を逸らした。その横顔に見慣れぬ硝子細工の簪が清らかに光る。
 何かあったのだろう。追及するも無粋と深くは問わず、老爺は話を変えた。
「千代が来た後は、てんやわんやでのう」
「この小さな編地が、あれになるのですわね?」
 目付役の苦笑混じりの言葉に、いつもの賑やかな花椿隊を思い浮かべて鞠子はふふと微笑う。

 千代から隊員へ、隊員から隊員へ――すぐに詰所は習得者だらけになっていた。皆、かしましくお喋りしながら手を動かしている。
「曙姫のねえさま、待ってたよぅ」
 誰かに教えたくて仕方がなかった年少の子が寄って来た。目付役が、こっそり鞠子に目配せして背を向けた。
「ねえさま、編み物教えてあげる!」
「編み物、ですか?」
 鞠子が知らぬ顔して少女に問えば、少女は熟練者気取りで胸を張った。糸と編針を差し出して、「ね、やるでしょ?」と目で訴えかけている。
 教えたがりの先生に就いて、糸と格闘する事暫し――
「‥‥こう、でしょうか?」
「そうそ、上手くなってきたよぅ」
 ご機嫌の少女はすっかり先生気取りだ。だけど鞠子はそろそろ編み方を覚え始めている。
 嬉しそうな少女を前に鞠子はふと考えた。合戦の合間、仁生開拓者ギルドで休憩中の開拓者がいるかもしれない。
「あの‥‥ね? 開拓者さま方にもお教えになっては如何でしょう?」
「うん! あたしが教えてあげるっ」
 鞠子の提案を少女は大喜びで受け入れた。


■参加者一覧
時津風 美沙樹(ia0158
22歳・女・巫
鳳・陽媛(ia0920
18歳・女・吟
秋霜夜(ia0979
14歳・女・泰
礼野 真夢紀(ia1144
10歳・女・巫
巴 渓(ia1334
25歳・女・泰
紅咬 幽矢(ia9197
21歳・男・弓
ニノン(ia9578
16歳・女・巫
ラヴィ・ダリエ(ia9738
15歳・女・巫
明王院 千覚(ib0351
17歳・女・巫
霧咲 ネム(ib7870
18歳・女・弓


■リプレイ本文

●祈
 北面ギルドへ遣った使いと共に現れた開拓者達の久々の訪問を、花椿の娘達は歓迎と安堵で迎え入れた。
 皆さまお久ゅうございますと深々頭を下げる鞠子の堅い挨拶は、戦時中ゆえの緊張か。下げた頭に見慣れぬ簪が飾られている。
「久しいの、曙姫。この前お会いした時は曇り空のような悲しいお顔じゃったが、今は少し様子が違うようじゃの?」
 目ざとく見つけたニノン・サジュマン(ia9578)に、鞠子ははにかんだ表情を返した。
 ニノンが鞠子に会ったのは四月程前の事だったか、あの頃の鞠子は思い詰めた様子で痛々しい程だった。今、彼女の悲痛さはなりを潜め、寧ろ何処か華やいでさえ見える。それはおそらくニノンが初めて見る硝子細工の簪が理由のようで。
 同じく簪を注視していたラヴィ(ia9738)、鞠子の腕をがっしり掴んで耳元へ囁く。
「何かございましたか? お・は・な・し♪ 聞きたいですわっ」
「あの、その‥‥」
 狼狽しながらも嬉しげに頬染める鞠子の反応は決して悪くない。やはり何かがあるのだろう。手土産で齎されたラヴィお手製の練切りに、鞠子の微笑みが零れた。
「お懐かしい‥‥」
 暫くラヴィ夫婦が営むカフェにも行けていなかったから、尚更嬉しく感じる。
 卓の空いた場所へ上生菓子の箱を置こうとするのを手で制し、ラヴィは茶目っ気を含ませて念押しした。
「お話し、くださいますわよ、ね?」
「‥‥はぅ」
 戦時中の緊張感は漂っていたが、結局の所いつも通りの花椿隊、華やかで姦しい女子ばかりの詰所なのだった。

「こんにちはー♪ 皆さん、お元気でしたか?」
 戦場の暗さを持ち込まぬようにか、秋霜夜(ia0979)は努めて明るく振舞って、片手に下げた一升徳利を示した。徳利の中身は甘酒だ。
「御目付役様もお久し振りです。お餅もありますよ。火鉢の番のお供にでも加えてくださいな」
 ぺこり頭を下げて差し入れる。
 手土産持参でこの詰所を訪れる開拓者は多くて、その出身の多様さから、北面の少女達には珍しい他儀の菓子が差し入れられる事も多い。
 春にはまだ遠いのに苺大福があると聞いて、少女達は色めき立った。
「泰南部で一年中採れるんです」
 隊員達より年少に見える礼野 真夢紀(ia1144)は落ち着いた口調でそう言って、あられや干芋もありますよと微笑する。
 こんな活動をしているのだと、初めて詰所を訪れた真夢紀は感慨深く思った。日頃から懇意にしている明王院 千覚(ib0351)や、依頼で同行する事も多い霜夜もいて、訪問自体に不安はない。千覚が用意した寿甘や兎型の大福など、あとはお楽しみにと引き取って、厨の手伝いに下がって行った。
「んとね〜 ひめママに聞いて〜 ネムも持ってきたんだよ〜」
 愛らしい意匠の鞄を抱えて、のんびりと言うネム(ib7870)の抱えている鞄は結構大きめだ。
 中には一体何が――おや、ぬいぐるみが出てきた。それから色とりどりの菓子が顔を出し、ネムが引っ張り出したのは毛布。
「これで〜 いつでも寝られるの〜」
 眠りん坊の後ろで鞠子に挨拶をしているのは、ひめママこと鳳・陽媛(ia0920)だ。暫く逢わない間に様子が変わったのではと小首を傾げる。
「逢えなかった間の事、お話ししてくださいね」
 きっと良い便りが聞けるに違いない。そんな予感を滲ませて微笑んだ。
 そんな陽媛の様子を不機嫌そうに凝視している紅咬 幽矢(ia9197)、この一見美少女にすら見える美少年は実は女顔を気にしているので見た目でちやほやされるのを非常に嫌う。
 花椿の隊員達に話しかけられてもすげなく無視して、鞠子に近付く。
「曙姫、久し振り。また手伝わせてもらうよ」
「幽矢さま、お久しゅうございます」
 にっこり迎える鞠子に並んで、陽媛が言った。
「幽矢さんは器用ですから‥‥色々教えてくださいね」
「‥‥ああ、うん」
 気のせいか目元を染めた幽矢、陽媛とは逆の方向へ目を逸らして首肯した。

「これって‥‥祈りの紐輪の実用品版にあたるのでしょうか‥‥」
「紐輪とか千人針って具合だろうな」
 千覚の呟きに、巴 渓(ia1334)が頷いて言った。
 祈りの紐輪は、開拓者ギルド支給品に含まれる御守の一種だ。御守に込められた霊力には及ばないにしろ、小さな編地には編み手の祈りが込められているのに変わりはない。
「鈎針編みですか」
 暫くジルベリアに居たという時津風 美沙樹(ia0158)にとって、冬の手仕事は母から教え込まれた嗜みだ。しかし北面で広まっている編み方は、美沙樹の知るそれと少々異なって見えた。
「こちらの編み物は経験した事がありませんでしたわね」
「私も、きちんと基礎から覚えたいのですが‥‥」
 美沙樹と千覚の言葉に早速食いついた隊員がいる。
 わぁ、と期待に満ちた眼差しで見つめる少女に、美沙樹はふふと笑んで請うた。
「お詳しいのですね。良かったら教えてくださりますこと?」
「まかせて!」
 新しい弟子の獲得に、少女の顔が輝いた。

●繋
 初めて編物をする者達は、『先生』の教えのもと基礎から学ぶ事にする。
「ここを‥‥こうして‥‥あれ?」
「む〜」
 左手に糸を掛けて、右手に編針を握る。構えて糸を掬い――輪を作ろうとすると、針を握った右手に意識が向いてしまって左手から糸が抜けてしまう。慣れればどうという事ない仕草も、慣れるまでが大変なのだった。
 糸の持ち方、編針の構え方。丁寧に浚う千覚の心を常に占めているのは祈りの想い。
 一本の糸が小さな編地になり繋がって布になる。布を贈られた人の息災を祈り、作られる編物。
 この活動を通して、安寧と温もりを届けられますように――
 ひと針ひと針に祈りを込めて編針を動かす。少しずつ、形あるものが出来上がってきた。
 手仕事は人から人へ伝えられてゆくものだ。
「ああして、こうして、そうして‥‥」
 小さな手の動きを目で追いながら、美沙樹は故郷の母の手を懐かしく思い出していた。コツを覚えれば簡単な動作の繰り返しであったが、もう暫くは先生に就いていようと思う。何故って、嬉しそうな先生の様子を見ていると美沙樹も和やかな心持になれるから。
「‥‥これで、どうです?」
 暫く糸と格闘していた霜夜、力技を編み出した。
 指に糸を巻きつけて固定すれば糸は抜けない!
「おぉ〜」
 しかしこれには大きな欠点が。
 固定すれば確かに糸は抜けないけれど、指の間を糸が行き来しないという事は――
「あれ? 指が抜けないっ」
 糸に締め付けられた指が青紫になっている。
 そこまでガチガチに押さえ込まなくてもと、逸早く力加減のコツを掴んだ陽媛が器用に編み進め始めた。そんな陽媛の隣で真剣に取り組んでいたネムは、何度も何度も糸と格闘した果てに飽きてきたらしく。
「む〜 もう〜やめたぁ〜 ネムもう飽きたし〜 お話ししよ〜?」
 ぬいぐるみのウサギとカエルをお供に、ころんと転がって寛ぎ始めた。
 ごろごろしながら皆に愛想良く話し掛けている愛娘に毛布を掛けてやって、陽媛は編地に向き合う。
「一針一針『頑張って』っていう祈りを込めて‥‥」
 陽媛だけではない、この場に居る者は例外なく此度の戦いに直面しているのだった。そして皆、それぞれが自身にできることを探している人達。
(私達の思いは同じ‥‥)
 そう信じるから、まだ見ぬ同胞への応援の気持ちを込めて手を動かす。
「‥‥祈りの種を育てましょう。芽吹いた希望は風に乗り、大輪の花咲かせているか戻ってくるでしょう‥‥」
 編針の動きに合わせて、無意識に口ずさんでいた。
 そんな陽媛の様子をじっと見ていた幽矢は、我に返ると慌てて作業の続きを始める。
 気付くと彼女の姿を追ってしまう――理由は知ってる、気付いてる。でも。
 殊更に、幽矢は無関心を装って言った。
「‥‥ほんとに女の子ばっかりだな」
 火鉢の番をしている目付役が小さく見えるほどだ。
 やれやれと言わんばかりの幽矢に、渓は苦笑して返した。
「そう言うな、俺の方が異質だ」
 確かに、女戦士が編物をするさまは滅多に見られない光景――かもしれない。
 初めて教わる者、それなりに編める者、自分で図案を起こせる者。それぞれが自分にできる範囲で作業に携わっていた。

 掌に乗るくらいの大きさの糸玉を選びつつ、ラヴィは明るいお色がよろしいですわねと目を細めた。
「温かみのある‥‥橙色や黄色が好まれるでしょうか」
「花椿隊にちなみ、椿の赤も良かろうか」
 赤と焦茶の糸を手に、ニノンが椿や蹄鉄のモチーフはどうだろうかと提案する。春の訪れを予感させるようなイチゴやサクランボのモチーフも――等々、編み図を考えるのも楽しいものだ。試し編みをしては解き、理想の形に近づけてゆく。
「椿はこれでどうじゃろう」
「椿に合わせる葉は、この形で良うございましょうか」
 二人の試行錯誤が花椿隊の意匠を作り上げていった。
 椿は隊の意匠、蹄鉄は幸運を呼ぶ魔除けのまじない。それぞれに願いは意味を込めて形作られてゆく編地は、他の編地と合わせる事で丁度良い装飾になった。
「わたくしにも編めましょうか‥‥? 美沙樹さま、ご一緒にいかがですか?」
 手の立つ隊員達が模様編みを始める中、興味をそそられた鞠子が美沙樹と一緒に新たな挑戦を始める。
 編目のひとつひとつに気持ちを込めて――無事に役割を果たせるよう、帰還できるよう、ひとつひとつ心込めて。
 蹄鉄の形を美沙樹は一目ごと丁寧に編み進めていった。
「連中は強いけれど、開拓者達の結束には敵わないわ」
 こうして繋がる糸のように、しっかりと繋ぎとめ合い離れない。だからきっと、どんな襲撃をも跳ね返せる。
 希望は、それを実現させる為に必要な事。明るい希望の未来を糸に編み込む美沙樹の言葉に、霜夜は格闘していた手を止めた。
「編物って‥‥一本の糸を途切れさせず、一枚のお品にするのですよね?」
 遠い戦地の大切な人へ想いを繋ぐ一本の糸。
 霜夜の想像は皆の心を温めて、作業への意欲を高めさせる。そしてもうひとつ、適宜行われる真夢紀の給仕が丁度良い息抜きを齎してくれていた。

●想
 お茶請けの苺大福に、格別の思い出があるのだと真夢紀は言った。
「依頼で食料輸送ってのがあったんですけど、その時大量の苺を運んだんですよ。その時白餡が一番合いますって力説した方がいらして」
 試してみたかったのだと言う。苺を白餡で包み、更に上から餅で包んだ大福は娘達の反応も良く、あっという間になくなった。
「甘い物のあとにどうぞ」
 そう言って生姜湯や蜜柑湯を勧める美沙樹。
 鞠子に、千覚と真夢紀は姉姫の依頼を請けて千代見村へ行ったのだと語った。
「村の方々は全員無事に避難されました」
「今は志士隊の方が警護に当たってくださっていると聞いています」
 ギルドから報告はされていたが、実際に現地へ向かった者の言葉はやはり重い。ありがとうございましたと鞠子は姉に代わって感謝を述べる。
 囲炉裏で餅を炙っていた霜夜は目付役と注しつ注されつ甘酒をちびりちびり。
「霜夜殿、そこの餅が良い色じゃ」
 譲られて有り難く食べる狐色の餅。いまだ食い気優先の娘は、鞠子を囲む空気が、いつしかちょっぴり大人な雰囲気になっていたのに気付いて首を傾げた。

 生姜湯を冷ましていた陽媛が鞠子に目を向けると、愛娘が酒を片手に迫っているところだった。
「飲め〜 そして吐け〜」
「‥‥あ、あの‥‥」
「ネムちゃん、ニノンさんのリンゴのコンポート、美味しいですよ」
 慌てて娘を回収し、膝に引き寄せる陽媛。母娘の様子を柱に凭れて見るとも無しに眺めていた幽矢は、そっと溜息を吐いて目を逸らした。
 ネムの追及を逃れた鞠子はと言うと、今度はラヴィに詰め寄られている。
「今日こそ、お・は・な・し、いたしましょうね〜♪」
 うふふと意味深な笑みを浮かべて、じりじり近付く人妻は逃してくれそうにない。
 ラヴィお手製・季節の練切は水仙と鶯、小皿に乗った上生菓子を愛でていた鞠子は助けを求めるようにニノンに視線を向けた――が。
「悲しい事なら兎も角、佳き事は皆で分け合うのが女同士の友情と言うものじゃ」
 ラヴィと手を取り合って、ほれほれと笑顔で詰め寄って来る。
 どのようにお話しいたしましょう、と鞠子は小さく溜息を吐いた。
「まずはその髪に挿した簪の話を伺おうかの」
「簪‥‥あの、これは‥‥先日お贈りいただきました、もので‥‥」
 真っ赤になった鞠子が口篭るに、相手は相当重要な人物らしい。髪から外して見せた簪は桃色をした硝子細工で、鞠子の佇まいに良く似合った。
「して、これはどなたから?」
「どちらさまからですの!?」
「‥‥‥‥‥‥筒井筒の‥‥きみ、の‥‥お名前で‥‥‥‥」
 ――届きました。
 最後まで聞き取れないほど、絞り出すが如き状況で鞠子から重要情報を聞き出した二人は顔を見合わせた。
「それは‥‥!」
「良かったではないか! 姫よ!」
 さすがに鞠子が実名は伏せたので『筒井筒の君』としかわからなかったが、二人が大喜びするもので結局簪の出所は周囲に知れる事となった。
 鞠子の事情を知る者も知らない者も共に喜び合う賑やかな詰所。秘密を聞き出して機嫌よくガトーショコラを切り分けていたラヴィに、今度はニノンの目敏い視線が注がれる。
「ラヴィ殿、何やら意味深な物を身に着けておるようじゃの? 相変わらず仲の良いことじゃ」
「‥‥あ、あのこれは‥‥」
 ニンマリするニノンに誘導されて、次なる興味の視線はラヴィに集中。
 うろたえるラヴィ、思いっきり動揺しながら左手の薬指に輝く指輪に右手を添えた。
「‥‥お友達のご協力もありまして‥‥えーと、その、あの‥‥‥‥似合って、います‥‥でしょうか?」
 身の丈に合っていないのではと不安になるのだというが、伴侶の名が刻まれた誓いの指輪はとても良く似合った。
 未婚女性の多い花椿隊、いつか巡り逢う伴侶を夢見る少女達。そんな娘達の様子を目付役は優しく目を細めて眺めていた。
 さて、と編地を手に続きを始めるニノンは満足気だ。
「ふふ、佳きかな佳きかな♪ 外は真冬の寒さじゃが、心がほっこり温まったわ」
 一人また一人と作業に戻ってゆく中で、湯呑みを置いた渓は荷から楽器を取り出した。
「どこかの誰かの為に、自分を信じろ‥‥なんてな」
 我ながら柄にもない事を言っちまったか――などと独りごちつつ、渓は作業に戻る代わりに荷からバイオリンを取り出すと黙って演奏を始める。

 今いる皆の為に、そして――喪われた多くの命への鎮魂を込めて。
 静かに響く落ち着いた音色は、編物に勤しむ娘達の心に沁みていった。