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■オープニング本文 北面に東房、そして陰殻。三国いずれも決して裕福とは言えない国であった。 ●表の顔 天輪王の命を請け陰殻を訪れた東房の使者は、根来寺に留め置かれていた。 根来寺は閉鎖的な陰殻国内では最も開放的な街で、同国の『表の顔』と呼ばれる都市である。都である伊宗をはじめ、他国の者を寄せ付けぬ秘密主義の陰殻に於いて、唯一他国の者を受け入れるだけの懐を持ち合わせており、故に陰殻国内での交易・交渉事はこの根来寺で行われる事が多い。 尤も、其処はシノビの国であるから何処にいようと監視の視線は付いてまわる。 「‥‥‥‥」 四方八方から監視されているのは覚悟の上だ。 天輪王の要請を伝え、慕容王の言葉を持ち帰る――使者は姿を見せぬ監視の目、身を刺すような気配にひたすら耐えて、身を固くしながら返書の到着を待っていた。 元は東房の僧が開いたという寺社を中心に市街が拡がっている根来寺は、陰殻の街でありながら東房の印象をも残している。精神修行の心持で待ち続けていた使者は、微かな衣擦れを感じて居ずまいを正した。 「お待たせ致しました。ご苦労でしたね、顔をお上げなさい」 平伏している使者に降って来た声は若い女のものだ。硬い表情で顔を上げた使者は、声の主を見、息を呑んだ。 現れたのは側付の女などではなかった。 その声その微笑その佇まい――御自ら出座された簡素な板張りの小部屋に現れたその人が纏う存在感は、さながら菩薩の降臨が如し。 呆気に取られている使者へ何を驚くと言うかのように慈悲の微笑みを投げかけて、慕容王は言葉を続けた。 「魔の森の縮小は国家を超えての重要事、冥越の悲劇は二度と起こしてはなりません」 目元の泣き黒子が心痛に歪んている。 嗚呼、生き菩薩様が御心を痛めていらっしゃる――良き返事も相まって、有難さに手を合わさんばかりの心持でいる使者に今一度微笑み掛けると、慕容王は天輪王への返書を使者へ託した。 「勿論、陰殻も協力を惜しみません。北面へも協力の旨、返書を送っています。天輪王へ‥‥頼みましたよ」 かくして、天輪王の使者は慕容王の返書を携え、意気揚々と東房へ戻って行ったのだった。 ●裏の顔 陰殻・名張の里。 「ほう、国を越えての戦いか」 慕容王が東房の要請を請けたという知らせは、程なく名張 猿幽斎(iz0113)の許へも届いていた。曲がりきった腰、皺枯れた顔、一見ただの土着農民にしか見えないこの老人が、四流派の一、名張流の長である。 報を齎した中忍に拠ると、北面清和地方から東房の国境付近に跨る魔の森を、両国が協力して焼き払う運びになったのだと言う。 小半時―― 胡坐の股に抱え込んだ杖を支えに、居眠りでもしているかのような姿勢で報告を聞いていた猿幽斎の本意は誰にもわからない。痺れを切らした上忍の一人が声を上げた。 「長、名張の民へのご指示を‥‥‥‥ごッ、ご無礼仕りましたッ!」 一瞥だけで制して、恐れて平伏する上忍に「何を遠慮する」口先では寛容な言葉を並べ、猿幽斎は杖に身を預けて立ち上がった。 侮るなかれ――好々爺の動作が肉体的弱者を装っているだけである事を、場に居合わせる忍達は十二分に知っている。 国内有数の長寿、齢九十を越えた猿幽斎の実年齢を里の者達は誰も知らぬ。シノビの長寿はすなわち長きを生き抜いた証拠であり、今なお生き抜き、里長として君臨する猿幽斎は現役のシノビ――それが全てだ。 仕込み杖をあくまで撞木杖のように扱い続け、側近達に背を向けた猿幽斎は至当とばかりに言った。 「決まっておろう。王の御意思に従うまでじゃ」 名張流のシノビは、慕容王の意向に従い清和地方の魔の森消滅に尽力せよ。 意図を悟った上忍達が次々と姿を消してゆく。 僅かの後に残ったのは報を齎した中忍のみ――直の配下である中忍は長の後姿を見上げていた。押せば倒れそうな縮みきった背が大きく見える。 それが、四流派の頭領たる猿幽斎本来の格というものであった。 ●交渉、あるいは買い叩き 上忍達が去った後、直属の配下である中忍と二人残った猿幽斎は背を向けたまま配下を呼んだ。 「さて、笑ン狐よ」 エンコやないと笑狐(ショウコ)は突っ込みたかったが、今回は内心だけに留めておく。 無言の反応を配下の服従と解釈した猿幽斎は笑狐に背を向けたまま続けた。 「汝は楼港へ向かえ」 彼の主は命じた――楼港へ向かい武器防具・物資資材を調達の後、海路を用いて東房へ届けよ、と。 楼港は北面領だが陰殻にも縁深い都市である。山と海に囲まれた北面の飛び地領は一大歓楽街を形成しており、その元締めが慕容王その人――つまりは楼港の裏側は陰殻が握っていると言っても過言ではない。 猿幽斎は、陰殻の伝手を使って物資を調達せよと命じているのである。 集めた物資は東房南部の港へと運び、北面と手を携え合戦を始んとするかの国の備えとする。戦準備を要する東房としても、名張が運んだ物資を国家予算を割いて引き取るはずであった。 仲買人の役割を負う事になった笑狐は素早く考えを巡らせ、万一の事態に備えて主に尋ねた。 「‥‥長。運搬には開拓者を雇って構いませんね?」 「汝の判断に任せる」 猿幽斎の声は許可の響きをを含んでいる。笑狐が考えたと同じ懸念を、彼もまた思案したに違いなかった。 北面に戦に用いる事のできる余剰物資があるならば、既に芹内王の命で東和平野へ運ばれているはずだ。徴収済の街から他国の者が物資を引き出すならば、裏販路のヤミ物資を掻き集めるのが最も効率が良い。 阿漕な荒稼ぎをしている商人連中には脛に傷持つ者も多い。陰殻の伝手すなわち相手の痛い処を突いて強請りに近い買い叩きをして東房へ転売するのが此度の任務であるから、博徒紛いな商人達の報復が道中に待っているのは、ある程度想定しておくべきだった。 ●海を渡れ 北面は楼港。ギルドから派遣された開拓者達が数名、波止場に集まっていた。 開拓者達の前には依頼人の青年が一人、ショウコと名乗る彼は名張の中忍であるらしい。 「集まってくださってありがとうございます」 人好きのする微笑を浮かべ、荷は既に積み込まれていると説明した。 そう、開拓者達の仕事は積み下ろしの人足作業ではない。航海中の警備なのだ。 楼港から臨む海を眺める。 山と海に囲まれた楼港は天然の要塞だ。湾内を航行する船は常に監視の目に晒されていると言っても過言ではない。だが、一旦湾内を出ればそこは無法の海域。 「宜しくお願いしますね。この辺はタチの悪い海賊が横行しているそうですから」 依頼人はそう言って頭を下げる。 積荷は陰殻国の威信を掛けて東房へ運び込まれる物資だと聞く。貧困を絵に描いたような陰殻国が物資を買い求めるは並大抵の苦労ではなかったろう。 「では、そろそろ行きましょうか」 貴重な物資を、ひとつも欠かす事なく東房南部の港まで船で運ぶ為に。 |
■参加者一覧
崔(ia0015)
24歳・男・泰
ヘラルディア(ia0397)
18歳・女・巫
和奏(ia8807)
17歳・男・志
不破 颯(ib0495)
25歳・男・弓
羽喰 琥珀(ib3263)
12歳・男・志
キアラ(ib6609)
21歳・女・ジ
クレア・レインフィード(ib8703)
16歳・女・ジ
土州 虎彦(ib9387)
21歳・男・志 |
■リプレイ本文 ●買った恨みに売られた積荷 楼港の波止場で、開拓者達は出航の時を待っていた。 「これだけの物資を楼港から、かぁ。確かに威信をかけた荷物だねぇ」 (‥‥遣り方にとっちゃぁ恨みも買いそうな荷物だが) へらりと笑った不破 颯(ib0495)、腹の中でぼそりと呟く。 何せ積荷は、瘴気汚染されていない木材や金属、加工された武具防具類に保存食の数々など、貧困国として名高い陰殻が集めるには立派過ぎる品々だ。 荷を一瞥して、クレア・レインフィード(ib8703)は興味深げに笑狐に目を向けた。 「アンタんトコは相当裕福なのか、そうじゃなかったら‥‥なんてね」 毎年餓死者が出ないのが不思議な程の貧困国にも関わらず、目の前に佇む依頼人の青年は小ざっぱりとした商人風の身形で、いかにも年若な仲買人といった風情だ。 クレアのあけすけな視線を笑狐は苦笑で返した。 「そこは詮索不要という事でお願いします」 ギルドへ陰殻者だと明かしてはいても此処は楼港。港町で陰殻のシノビでございと言わんばかりの格好はしませんよと言う訳だ。 そんな遣り取りを、崔(ia0015)は黙って眺めている。 (つか、普通の取引やってきた訳じゃねえんだろうなぁ‥‥藤次郎サンも大変だ) 依頼人の本名を知る彼は、笑狐が如何に複雑で後ろめたい立場なのかを知っている。そして、もうひとり。 「笑狐さん、此度はよろしくお願いしますね」 キアラ(ib6609)の挨拶に、笑狐は「此方こそ、また頼りにさせてください」と応えた。そんな彼の言葉にキアラは胸中に仕舞った心の痛みを押さえ込む。 (以前欺いてしまったお詫びを致したく‥‥) だがそれは口に出してはいけない事だったから。今回はただ、護衛の任を果たそうと心に誓った。 「海賊とは迷惑だなー‥‥」 手を翳し、遥か遠くの凪いだ外海へ視線を向けて土州 虎彦(ib9387)が呟いた。 虎彦は北面の出、そして此度の積荷の発端は北面領清和地方に巣食う魔の森。とても他人事ではない状況に加えて、海賊共を野放しにしておけば、いずれ北面本土にも被害が及ぶかもしれない――彼は憂い、笑狐に尋ねた。 「知り得る範囲で構いません、海賊について何かご存知ありませんかー‥‥」 そうですねぇ、と笑狐。一瞬真顔で考えて――こう答えた。 「博徒者らが海へ出てヤンチャしているそうです。陸では商売上がったりなんでしょうかねぇ」 ちょうどその頃――羽喰 琥珀(ib3263)は一足先に船へ上がって、荷運びしている船員達と話をしていた。 「なぁなぁ! タチの悪りぃ海賊がいるらしーけど、どんな奴等か教えてくれねーか?」 船の縁に腰掛けて、虎尻尾をゆらりゆらりと揺らしながらバランスを取っている。背後に広がる凪いだ海と相まって何とも長閑で微笑ましい。 海の男達は、豪快に笑うと口々に教えてくれた。 「タチの悪いのはいるだろうな、特に今回は」 「北面志士の面々が睨みを利かせている監視区域じゃあ、海賊働く馬鹿はいねえから安心しな坊主」 「んじゃぁさ、東房の周辺海域は?」 小首を傾げた琥珀の問いに、船員達は平気平気と口を揃える。船長が琥珀の頭をくしゃ撫でして言った。 「沖へ出るにも船が要る。そんなに出くわすモンでもないぞ」 では、笑狐が言う『横行するタチの悪い海賊』とは――? 虎彦達に笑狐は襲撃が予想される『海賊』について語った。 「私の想像通りでしたら‥‥国家の威信を丸潰れにしてやろうという、妨害目的の『海賊』共ですね。急に輸送船規模の船を調達するのは難しいでしょうし普通の屋形船ではないでしょうか」 「という事はー‥‥昔っからいる海賊連中じゃあない‥‥?」 「そうなりますね、まぁ色々ありますから」 はははと肩を竦める笑狐の空笑いが何とも虚しい。 それだけ多くの恨みを買っているという事か――開拓者達は顔を見合わせた。 ●凪の海、緊張の航海 船員達の見込み通り、出航から暫く内海を航海している間は何事もなく過ぎた。 開拓者達は東西南北各方向、昼夜に分かれて襲撃への警戒をしていたが、一日の大半は平和な船の旅だ。 「お前さんら、夜の見張りなんだろう? いいのか昼間っから動き回って」 寝るなよ? などと船員達に軽口を叩かれながらも活動している和奏(ia8807)達。 「平和な間に、船内に慣れておきたいんです」 そう言って、和奏は積荷の配置や量、足場などを己の身体で確認していた。有事の際に動けるよう、身体に覚えさせておこうという訳だ。 船の操舵は船員達がいたし見張りは昼組の番だったから哨戒がてら歩いている。颯が人目に付き難い場所で仮眠を取っていたが、寝付けない夜組仲間は結構いて、虎彦が船員と雑談していた。 「船の上での戦いは不慣れだからなー‥‥色々聞いとこー」 「俺も聞きたいっ! なぁなぁっ、海賊に襲われた事、あるのかっ」 虎耳をぴくぴくさせた琥珀が話に乗ってきて、暢気に釣り糸を垂れていた船員は「あるぞー」にやにやしながら言った。 「ここだけの話だがな、俺も昔は海賊でな‥‥」 「え、海賊が運送屋ですかー!?」 真面目に驚く虎彦と、わくわく聞き耳を立てる琥珀に、海賊――もとい元海賊を名乗る船員は「ああ、そうだよ」真偽の判らぬ様相で頷いた。 「船乗りは大抵荒くれ者ばかりでな、そっち方面の経験者も多いって事さ」 なぁんだと笑う二人だが、腕っ節の強そうな体つきに残る傷跡、余裕のある表情を見ていると、あながち嘘でもなさそうに思えてくる。 「ヒマな道中は‥‥どうだい、手慰みに札遊びでも、ひとつ」 クレアの出した花札に、暇を持て余した船員達が寄って来る。夕餉の菜だの他愛ない賭け事で興じながら、クレアはそっと海原を見た。 (‥‥まあ、有る所には有る。結局、それだけの事さね) 金よりも物品の方が大切な事がある、それを彼女は知っている。 長閑な会話を背に、昼組の見張り、ヘラルディア(ia0397)は内海の向こう、水平線へと目を向けた。続いて楼閣立ち並ぶ不夜城へ目を向ける。 大丈夫、不審な状況はない。 向こう側で監視しているキアラの頭が見え隠れしている。午後から陽射しがきつくなってくる西側には崔と笑狐がいるはずだ。 ――と、水面に黒い影が動いた。 (何でしょうか‥‥) 念の為にと瘴索結界を張ってみる。瘴気ではない。 影は船に近付いて来たかと思うと、跳ねた。釣りをしていた辺りから歓声が聞こえる、どうやら正体は夕飯の魚だ。 一方、少しでも日陰になる場所を女性陣に譲った昼組の崔と、海上監視協力中の笑狐。 「なあ藤次郎サン」 辺りに人が居ないのを見計らい、崔は空を見上げたまま依頼人を本名で呼んだ。海を眺めていた笑狐の、張り詰めた気配が緩んだ。本心を曝け出さない諜報専門のシノビと言えど、さすがに国家が絡んだ一仕事には緊張していたのだろう。何でしょうかと返す声音に依頼人の硬さはなかった。 監視を続ける二人には互いの顔は見えない。だが藤次郎の声音や一人称の変化からは気安さが伺えた。 実際に、藤次郎の重責は並大抵のものではなかった。ヤミ物資を調達する為の根回しや取引、一緒に買った恨みごと渡航した船、陰殻のシノビという素性を知る者達の視線――尤もそれに負けるようでは名張の中忍は務まらぬのだが、それでも崔の声掛けが、藤次郎の肩の荷を僅かでも軽くしたのは間違いなかった。 「嬉しいですね、そう呼んでいただけるのは。俺個人に戻った気がします」 しみじみと、名張の中忍は呟いた。 ●海賊の御礼参り 昼を二回、夜を一回過ぎた頃――の夜だった。 その日、キアラは夜組と交代した後いつものように船員達と雑談を交わしながら一曲舞ってみせていた。 「そろそろ航程のどの辺りでしょうか」 何気なく口にして地図上の位置を教えて貰ったのは予兆だったのかもしれない。 踊りの振付にバイラオーラを咬ませて就寝中にも備えた後、仮眠しますと一言残して直に寝息を立て始めた。 一方で並んで毛布に包まっていたヘラルディアは胸騒ぎがして寝付けずにいた。 ここまでの航海は何事もなかったが、何かありそうな気がする。心のざわめきを信じて、彼女は毛布に包まったまま全ての神経を集中させた。 警戒中の夜組の面々も何か虫の知らせのようなものを感じ取っていた。 「嫌な風だね‥‥」 晴れ渡る昼の航海とは違って夜は海原と空の境目は曖昧だ。だが嗅覚で、あるいは本能で違和感を感じて、クレアは独りごちた。 目を凝らす。波か雲か、あるいは――船か。 すっかり慣れた甲板を歩いていた和奏が立ち止まる。ん? 海を見て、また歩き――始めるのを止めて暫く眺めていた。 「どうなんでしょうね」 ぽやんと呟くも、視線は外さない。 影は夜闇に紛れて少しずつ運搬船に近付いていた。視線を固定したまま、足だけ動かして最寄の位置で監視していた颯に近付く。和奏の様子に異常を察した弓術師、心鎮まらせて視線の先を凝視した。 近付く影はだんだんとその姿を船の形にしてゆく―― 「いち、に、さん‥‥おいでなすったようだねぇ〜」 海域に生息する大型魚などではない、そう確信した瞬間、颯は呼子笛を力一杯吹き鳴らした。 緊急事態、戦闘開始の合図。 反対側を監視していた琥珀が呼応して笛を鳴らす。昼間組には悪いけど、起きてもらわなくては! 集まって来た船員達から船長を探し出すと、現状確認および船の方針を仰いだ。 「この真風では直に走り出すのは難しい、時間稼ぎを頼む。絶対に奴らをこっちへ上げるな!」 「帆を揚げろ!!」 「海賊等を乗船させるな!!」 船長の判断は、すぐさま船内を駆け巡った。その頃には昼組も臨戦態勢に入っている。熟睡の跡も残さぬ動きで、キアラは船員の誰よりも素早く帆桁へ上がって帆を下ろす。 「姐さん、助かったぜ!」 下で待っていた男達が急ぎ帆を張ると、船は大きく傾いだ。急に風を集め始めた帆に翻弄されながらも、皆振り落とされる事なく各々の役割に就き始める。 「笑狐サン、寝不足は平気か?」 「平気ですとも、人遣いの荒い上役がいますからね」 軽口で応じる藤次郎は応戦に混ざるつもりのようだ。 夜の闇、背への不注意がないよう気を引き締めた崔は、甲板上の船員達と藤次郎も含む荷を護るべく位置を取る。 「やっぱり来たか、そう易々と航海させてはくれないようですねー」 言葉尻だけは相変わらず長閑だが、雲間に見えた虎彦の表情からは普段の眠たげな様子が消えていた。無骨ながらも質実剛健な大刀を手に、積荷を庇うように立つと、もはや疑う余地もない船影を睨んだ。 ひゅっ―― 闇目に初矢が何処からだったかなどわからなかった。 ただひとつ言えるのは、ぷす、と積荷に刺さった矢に颯の感情が逆撫でされた事だけだ。 「ほぉ〜」 颯は飛来方向から射手の位置を確りと推測した。にやり。黒い笑みが浮かぶ。 やってくれるじゃないか。開拓者の弓術師舐めんなよ? 「さて、まずはあんたからだなぁ」 漆黒の強弓を尚も強く引き、返礼とばかりに射手を射抜く。その矢は闇中にも的確に射手の肩を射抜いた。 命までは取らぬ、だが牙は砕いてやろう。 「撃たせねぇよぉ」 敵方射手達に射掛ける隙も与えぬ勢いで乱射を始める。 そんな黒い矢の嵐を縫うように、琥珀は朱色の刀身を携えて船尾へ立つと。 「テメー等、この船の荷ひとつでも奪ったら陰殻の慕容王の命令で大量のシノビが草の根分けてでもオメー等探してタマ獲りに来るぞ! それでもいーのかっ!?」 ハッタリだ。かなり誇張の入ったハッタリだ! 「素直に降伏すんなら良し、もし降伏しねーなら‥‥」 気のせいか一瞬敵方の矢の勢いが弱まったような気がした。が、颯が一息付いた隙になけなしの応酬がぱらぱら飛んで来る。 どうやら説得に応じるつもりはないらしい。それどころか乗船する気満々だ。 海賊さん達に分別はないんでしょうかと和奏はぼんやり考えて、大らかな構えで名刀を握った。隙があるようで隙がない事は、腕に覚えがあれば気付けるだろう、北面の名工が手掛けたという名刀から微かな霊気が滲んでいた。 二間ばかりに近付いてきた船の甲板で渡り板を構えている海賊達を認めるや、仕方ないと琥珀は投擲用の匕首を握り締める。 万一の手段はある。だが最優先は味方の負傷を癒す事。 「乗船はさせません!」 きっぱりと宣言し、ヘラルディアは木の杖を掲げた。四翼の意匠に力が集中する――流れ矢で受けた船員のかすり傷が瞬く間に塞がった。 当船が逃走を始めるまであと少し。 敵の侵入、すなわち逃げ切る前に板を渡されては此方の負けだ。なるべくなら穏便に追い払いたいと願いつつ、虎彦は覚悟の大声を上げた。 「あなた方に、積荷を渡すわけにはいけませんよー!」 絶対に通さない。敵甲板に揺らめく松明を、此方へ渡してはならぬ。この荷は国家間協力の証なのだから。 あと少しで人が飛び移れる距離か。 帆桁の上で戦況を確認していたキアラは焙烙玉に火を点けた。敵船は三隻、うち最も当船に近付いているのは―― どぉんと炸裂音がした瞬間、敵船から火花が光った。 一瞬照らし出された敵の姿に、クレアは敵戦力、主に乗組員の構成を確認した。渡り板の準備をする乗組員と指示系統と思しき乗組員。 「早く渡せ! 荷を奪うか焼き払え!」 (今なら泳がずとも渡れそうだね) 我が身を霧で覆い隠して夜闇に紛れた彼女は、助走を取ると軽々と飛翔した。 するりと混雑に紛れて敵船に乗船したクレアの目標は、一々物騒な指示を出している偉そうな人物だ。 「人は殺しても、船は沈めても構わ‥‥ん!?」 「‥‥そうはいかないね、悪いけど」 ちっとも悪く思ってなさげな口調で、指示系統の偉そうな口が二度と開かぬように塞いでしまう。 血塗れの船長に船員達が騒ぎ出す前に、彼女は再び夜に紛れて海を渡った。 開拓者達が応戦している間に船の仕度は整っていた。 「皆、揃っているか!」 船長の声がする。皆近くの仲間の姿を確認して呼応し合うと、船は程なく走り始めた。 敵甲板に焚かれた松明が段々遠ざかってゆく。颯が帆を落としてしまったので後を追えないのだ。 しかしまだ油断はできなかった。 「負傷された方はおられませんか」 探す傍ら混乱に乗じて乗り込んだ敵がいないかも確認するヘラルディア。出航から数日、乗組員達は皆顔馴染みだ――いた。 「東房に付いたら役人へ突き出すか、まあ今は勘弁してやれや」 縄目に縛られ転がされた海賊を示して崔が言う。仕置きは法の下で。抵抗の意思も失くした海賊を、琥珀が興味津々に覗き込んでいた。 その後、東房海域に入った後はアヤカシの襲来も懸念したが特に騒ぎなく過ぎた。 皆が任務と船旅にすっかり慣れた頃、船は漸く港へと到着する。 下ろされてゆく積荷を目に、クレアは思う。 この荷が何処から来たかは興味ない、しかしせめて綺麗な所で使われて欲しいものだ――と。 |