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■オープニング本文 前回のリプレイを見る 迫るような切り立った崖の麓に、ぽっかりと口を開けている洞窟。神聖な場所のように、しん、と静まり返っている。手に桶と柄杓を持った身なりの良い女性が出てきた。 「大変なお仕事ね」 突然に声をかけられて、女性は飛び上がるほどに驚いた。ここは、定められた者しか入れない神域。声の方へすぐさま顔を向け、厳しい口調で問いただす。 「こちらへの出入りは決まった者しかできませんよ。貴女、本邸にいらしたばかりの方?」 「‥‥」 女は黙り込んだが、観念したらしく姿を現した。神殿の陰から出てきたのは、小振袖の女だった。女性は不審な顔で、 「どんな御用か知りませんが、神域への勝手な立ち入りは禁止されています。早々に立ち去りなさい」 「“早々に”立ち去らせていただくわ」 にぃと笑った女の濡れた唇の下から、鋭い犬歯が鋭く光る。 「ひっ」 五、六メートルはあったであろう距離を一瞬にして縮め、女がすぐ目の前に立つ。来ないで、と柄杓を振り回して抵抗するが、それも虚しく白い首筋に深々と女の牙が突き刺さる。 朱色の袴から覗く女性の両足が、一際大きく痙攣し、動かなくなった。 増員し、隣室に控えさせている椿の護衛に目礼した秋月刑部は、縁側でぼんやりと雲を眺めている主の横で畏まった。 「一乃介君は無事、神楽の都へ到着いたしました。百瀬光成の下ならば安全かと思います」 「よかった。あの子は人見知りしないから大丈夫だと思うけれど、それでも、時々は様子を知らせてくださいね」 「わかりました。――それから、椿殿のお耳に入れておきたいことがございます。ギルドの仲間の意見であり、私の考えでもあるわけですが。早衣殿の狙いは、この黒塚そのものではないかと思っています」 椿は視線を少し落とし、それからゆっくりと刑部を見ると、眉を潜めて微苦笑を浮かべた。 「早衣殿、ではないのですけれどね。アレの名前や正体がわからない以上、そう呼ぶしかないのでしょうね」 本当の早衣には申し訳ないけれど、と小さく付け加えた。だが、すっと起こした視線には力が篭っていた。 「彼女の狙いが黒塚ならば、今、いったいどこに身を潜ませているのでしょうか」 「追い詰められてここを去ったとも考えにくい。どこかで息を潜めて、機を窺っているに違いないでしょう。椿井は消滅してしまった。では――次に姿をくらますにはどこを選ぶか」 「刑部様。仮に貴方ならば‥‥最終的にどこを落としますか?」 意味深なトーンで椿が問うた。 刑部は、すぐに彼女が言いたいことを察し、顔を曇らせた。 折りしも、空席になってしまった緑青の今後を決める会合が、五色大老である深緋の蒲生邸にて行われることとなった。 集まるのは、「深緋」の蒲生、「黄櫨」の南雲、「紫根」の小幡。そして――当主不在のままだった「縹」の百瀬であった。 幼馴染の刑部の頼みを聞いた百瀬光成は、久方ぶりに黒塚の土を踏んだ。関所まで出迎えてくれたのは、刑部である。相変わらずの仏頂面だったが、光成はご機嫌だった。それには訳がある。 「米、一年分! 忘れんなよ。古米とか混ぜたら、一乃介君‥‥女の子として育てるからな」 「忘れたりなんかしないから、一乃介君をぞんざいに扱うなよ」 「扱わねーって。お姫様お姫様って育ててやる。うふ‥‥って冗談に決まってんだろ? やめろよ、こんな所で刀抜こうとすんの!」 鯉口を切った友人に対し、光成は大慌てだ。冗談が通じる相手ではなかったことを思い出し、後悔すること数秒――。 「んで? 俺が深緋のじーさん達を部屋に引きとめてりゃいいんだな?」 「百瀬を継ぐ、継がないで上手く場を繋いでいてくれ」 「了解ぃ。じゃ、ギルドの連中は俺が引き抜いてきた新しい家臣って扱いか」 「そうだ。もうじき到着する頃だと思うが‥‥」 言って刑部は関所の戸口へ立ち、街道の先を見通した。 「俺は椿殿の護衛で本家にいるから、あとは任せる。‥‥ああ、どうやら到着したようだな」 心強い助っ人の到着に、刑部の表情が和らいだ。――が、すぐに険しくなる。ここで重要な手がかりを掴めなければ、黒塚があの女アヤカシにいいように嬲られてしまうのは必至。 必ず、手がかりを――――。 |
■参加者一覧
緋桜丸(ia0026)
25歳・男・砂
樹邑 鴻(ia0483)
21歳・男・泰
空(ia1704)
33歳・男・砂
斎 朧(ia3446)
18歳・女・巫
羽貫・周(ia5320)
37歳・女・弓
すずり(ia5340)
17歳・女・シ
ニクス・ソル(ib0444)
21歳・男・騎
将門(ib1770)
25歳・男・サ |
■リプレイ本文 五色大老、蒲生一昭邸に到着した百瀬光成一行は門前で警備に当たっていた男二人に来訪の意を伝えた。怪訝な顔をした男達だったが、光成の色紋入りの正装を確認すると、恭しくこうべを垂れ、門を開けた。 「‥‥」 羽貫・周(ia5320)の表情が小さく動いた。早衣が大人しくしていてくれるかどうか、と鏡弦を使い、蒲生邸内のアヤカシの有無を探る。 「何とか尻尾を掴まないとだね。あれを放って置くのは危な過ぎるよ」 神子姿のすずり(ia5340)が鼻息荒く言うと、光成は繁々と眺め渡し、 「グーグー寝てた姿しか見てないけど、くのいちってのは色々と化けられるんだなぁ」 一乃介を神楽まで送るのに徹夜を続けたすずりが、疲れから黒羽道場で寝コケたことを言っているらしい。すずりは顔を赤くして、「ボクは凸凹が少ないからね。化けるのには重宝しているよっ」と強気に言い返すが、どこか拗ねている風にも見えた。 「すずりはこれからなんだから、気にしないでいいんじゃないか? まあ、育てる楽しみもあるが‥‥」 変装用の眼鏡をクイッと上げながら、緋桜丸(ia0026)が、あくまで紳士的にニコリと笑う。 「お前ら緊張感なさすぎ」 同時に言い放ったのは樹邑鴻(ia0483)と空(ia1704)である。 呆れて溜息を吐く斎朧(ia3446)とニクス(ib0444)、将門(ib1770)には光成が庇うように言った。 「あんまり殺気だってたら、蒲生のモンにちょっかいかけられるぞ? ちょっと緩い具合がちょうどイイ」 クネクネと両腕を奇妙に動かす光成の動作を見て、お前は緩すぎだろうと声に出さずともその場にいた全員は思ったのだった。 衝立の陰から男が姿を出し、「すでに皆様お集まりです」と一行を、邸の最奥部にある広間へ案内した。 通された広間では、上座に蒲生一昭とその孫、楸が座しており、向かって右に南雲廣貫、息子の貫大。それと向かい合うように小幡夕雲、孫の朝霧が座っていた。五色老の会合ということもあり色紋の入った紋付を着ている。小幡は神職故、神子姿に羽織という出で立ちである。 光成が遅れたことを詫びようと口を開きかけると、南雲が右手を挙げてそれを制した。 「光成殿、後ろの方々は黒塚の者ではないな。五色老のみの会合に、よそ者を連れてやって来るなどどういう了見だ」 七十を越えても翳らない眼光を、無遠慮に光成の背後へ向ける。 「よそ者には違いないなあ。開拓者だし、みんな出身バラバラだから‥‥そもそも了見を訊ねられても、この席に連れて来たってことを考えたら、わかりそうなもんだけどな。あ――もうろくしちゃった?」 にこにこと笑う光成に、廣貫がそれとわかるほどに歯噛みする。 「不審に思うんなら、ここでそれぞれ自己紹介とか経歴とか言わせてもいいけど、長くなるよ? これって緑青を決める大事な会議なんだよな」 光成の物言いにさらに口元を引き攣らせた廣貫だが、 「緑青決議が先決じゃ。光成には聞いておきたいことが山積し過ぎて一日だけでは足らぬわ、大うつけめ」 大老が口を開いて空気が変わる。 「それでは光成殿。私達は退室すると致しましょう」 真面目を演じる緋桜丸が嘴を挟み、光成もそれに頷いて応える。ぞろりと会合に居合わせる必要はなく、相談役という鴻だけを残して他の者は退出した。 閉じていく襖の向こうで、五色老の立場をなんと考えているのかと、廣貫の呆れ声が聞こえた。 先ほど案内に立った男が、控えの間まで先導する。部屋の前で別れると、開拓者達は情報収集の為に散会した。 空は廊下を進みながら超越聴覚を発動させ、部屋の様子を探る。 「中の様子はどんな感じだ?」とニクスが訊く。空は怪しげな微笑を浮かべつつ、立てた食指を唇に当てた。 やや時間を置いて、中には男が三人いると言い、 「一人は息子の方に心酔しているな。早く当主を譲ればいいだと。後の二人は‥‥椿井の取り潰しに疑問を持っているみたいだな」 排他的だが、一枚岩ではないらしい。 顔を見合わせ小さく頷き、声をかけた。室内から野太い返事があり、二人は襖を開けた。 武の南雲と言われるだけあって、護衛は三人とも大柄で、内二人は屈強な男である。残る一人は細身だったが廣貫に負けず眼光鋭い男だった。 夜春、仮初を施した空は穏やかな微笑を張り付け入室する。 「光成殿に引き抜かれて黒塚まで参った次第なのですが、挨拶回りと護衛としての教えを乞おうかと思い、伺いました。空と申します」 挨拶をする空の脇に立ったニクスは用心の為に眼鏡を外し、素顔を晒しているが意外にも童顔で、柔らかな表情を生む目縁に育ちの良さが滲む。とはいえ護衛三人の様子を窺う瞬間にそのようなものは霞のように消滅する。 「光成殿がおられない間の百瀬は代行者が取り仕切っていたと聞き及んでおりますが、変わらず黒塚の平穏と本家の為に尽力されている南雲の現当主殿と、その元で修行なさっておいでの貫大殿におかれましては素晴らしい方々ですね」 仕える主が誉められて嫌な思いをするはずはなく――だが、貫大贔屓の男がいち早く反応した。 「貫大様は素晴らしい資質をお持ちの方だからな。お館様も早く当主の座を譲られたなら、本家の後継ぎ問題も現況のような泥沼にはならなかっただろう」 鼻息荒く、まるで早々に黄櫨の座を譲ればいいのだと言う。ニクスが残る二人の挙措を見たが、大きな変化は見られなかった。 空が南雲から見た他家の事を訊ねると、後継者がなくて取り潰された椿井と代行者の存在で潰されなかった百瀬との扱いの差に不審を抱いている事を明かした。 そこまで明かすのならと、最近周辺で起こった変事はないかと訊ねてみるが、南雲内にはなく、他家の様子まではわからないという。 黒塚の異変には気づいているらしいことを細身の男が口にしたが、原因にまでは到っていないようだ。つまりアヤカシの存在には気づいていない。 ニクスが空をみつめ、これ以上得られるものはないだろうと首を振って見せた。 適宜瘴索結界を行いながら、蒲生邸内を歩き、家臣を探す朧と将門。重要な会合の為、警備が厳重そうではあるがゾロゾロと人間がうろついているわけではないようだ。 築山のある庭を眺める廊下を歩いていると、前方より二人の武士らしき男がこちらへ向かってくる。 将門が腕を上げ、男らに声をかけた。 「見回りご苦労さん」 気さくな将門に怪訝な表情を見せた二人だったが、将門の先達に教えを乞うという低姿勢なスタイルに気を良くした。大老に仕えているという自尊心のせいか、気位は高いらしい。だが、ある意味扱い易いとも言えた。 一人は年配者、もう片方は若輩者。 「斬った張ったは得意だが、そんなものばかりでもな」 ニシシと笑う将門。横では朧が薄く微笑みながら、(「手先を紛れ込ませるにはどの家の者とも接触の機会のある蒲生家が狙いたりうるのでは‥‥?」)と思考を巡らせる。 「さっき五色老の当主達と顔を合わせて来たんだが、家臣によそ者ってのは嫌われるものかね。それとも時期的なものか何かかな」 将門が問えば、 「そんな変わったことをしでかすのは百瀬の光成殿ですな」 呆れたように年配者が答えた。 「“変わったこと”って言えば、俺らみたいな新人が来たとか、反対に姿が見えなくなったとか‥‥そんな話は聞かないか?」 「この時期に蒲生も含めて新人登用したという話は聞かん。まあ、俺達で知り得る限りではだがな」 「調理方や小間使いまでは知らんてことか」 「そういうことだな。なんだ、そんな事を知ってどうする」 「気にせんでくれ。ただの好奇心だ。だが、そういった細かい話を五色老の間ではしないのか」 知りたがりの新参者に、眉を顰めつつも見知らぬ土地に馴染もうとしているのだろうと、男らはさして深く考えなかったし、それを受け入れてやるのも大老付き家臣の懐の深さだと思った。 将門はしめたと思い、いくつか質問をぶつける。 その将門へ、紐を解き、さらりと髪を流す朧が別の部屋へ移動してみると耳打ちした。ここらではアヤカシの気配はないようだ。 五色老を取り込むだろうというのが朧の見解である。「失礼いたします」と小さく膝を折って挨拶をすると、朧は廊下を進んだ。 人目がないと思われた箇所へ移動した朧が瘴索結界を施してみるも、蒲生の中にそれらしき存在はどこにもなかった。朧はわずかに眉を潜ませた。 緋桜丸、周、すずりが向かい合っているのは小幡当主の付き人である。 夕雲付きには年配の女性が三名、幼い朝霧には同年代と思われる少女が一人と目付け役と思われる中年女性が一人。 (「早衣に取って代わった事を考えると女性の多い小幡は十分に怪しい‥‥次の依代を物色‥‥サイアクなら誰かもう手に落ちているか」) 紳士的な微笑の緋桜丸はその表情とは裏腹な事を巡らせていた。 「こちらへは本日来たばかりで何も存じ上げておりません。各家の事を少しでも理解できればと‥‥少しお話しても構いませんか?」 鏡弦に何ら反応がなかったことから、地道な情報収集が重要と考えた周は、小幡の付き人の警戒を解こうと身振りをつけながら話した。――が、朝霧の目付け役は周から視線をすずりへ移し、 「そちらの方は百瀬より小幡へ出仕されるのでしょうか?」 問う。 すずりは首を傾げたが、すぐに疑問は払拭された。黒塚で神子の姿でいるのは小幡の者だけだという。 「ご意思がおありなら、百瀬からどうぞ小幡へいらしてくださいな」 にこやかにすずりへ声をかけたのは夕雲付きの一人だった。彼女の一言で、部屋の空気が和やかに変わる。 「黒塚の事とかもお伺いしていいですか?」 両手をポンと打ってすずりが弾んだ声を出した。 「小幡の性質や強み、なども聞いてみたいですね」 周が問いかける。 先ほどの柔らかい印象の女性とは違い、少し神経質そうな老女が黒塚での小幡の立場を説明してくれた。蒲生ほどではないにしても、神職という特性から本家への発言力は強いとのこと。政では蒲生が、婚姻出産といった政以外の行事関連には小幡が大きく関与するという。 婚姻という言葉から緋桜丸は堅物な友の顔を思い浮かべ、溜息を吐いた。 「椿様の嫁入り話も出ていたりするのですか?」 何をとつぜんと言いたげな顔で夕雲付き女官が答える。 「場合によっては婿取りになるでしょうね。――本家がいつまでも不安定なままでいては黒塚全体の問題になりますから」 「我が主のお相手はいつのことやら」 小鼻の脇を掻きながら緋桜丸は呟いた。もちろんこの場合の主とは、お調子者の百瀬嫡男ではなくガチガチ頭の刑部なのだが。 その後は、他家を探っていると勘付かれないよう世間話を織り交ぜながら、周辺での変事を訊ねたりした。すると一様に顔を曇らせる五人。 「なにか?」 周はあえて事も無げな口ぶりで訊ねた。 言い渋る神子だったが、重い口を開く。 「小幡の中で不可思議な事が起きておるのは確かです。この事については我が当主より今回の会合内にてご報告の予定になっております」 深い皺の刻まれた口角を思いきり下げ、唸るような声で吐いた。 神子が人知れず消えるのです、と――。 その頃、古老相手にのらりくらりと話をしていた光成と相談役の鴻は、痺れを切らした廣貫から怒鳴りつけられていた。 「緑青を決める会合に出席しておきながら、その態度はなんだ。もう少し真面目にやらんか!」 「俺はいつでも大真面目ですよー。黒塚が今すっげー大変な事になっているのもわかってるしな」 鴻は指先を眉間にあて、あからさまな溜息を吐いた。 「では、こういうのはどうでしょう」 と話の流れを意識的に変える。 「緑青を決めるのも百瀬の後継の話も大事ではありますが、黒塚全体を鑑みた話もあるのではないでしょうか」 この言葉に反応したのは、これまで無言を貫いていた小幡夕雲だった。斜め後ろで控えていた朝霧が静かに目を閉じる。 黒塚は初めてだという男が意味深な発言をしたにも関わらず、些事であるかのように歯牙にもかけず、 「小幡にて異変が起きております」 夕雲の報告に大老が片目を眇め、見事な禿頭をひと撫でする。 「言うてみい」 一呼吸置いた夕雲の口が語り出したのは、人知れず邸から消える神子達の事だった。 小幡に入れば生涯をそこで過ごさねばならない為、嫌気が刺して逃げ出したのではないかと廣貫は言ったが、夕雲も朝霧も首を振った。 「ただ消えるのではないのです」と朝霧。 「今そこにいて、話していた者が目を離した隙に消えるのです‥‥そう、話をしながら相槌を打ちながらいなくなるのですよ」 深く長い息を吐きながら、夕雲は言った。 光成と鴻は視線を交わしながら、五色老達にわからないように小さく頷いた。 緑青の次家についていくつか候補の分家を選択し、決定は後日に繰越となった。 大老、蒲生一昭は小幡で起きている一件を本家――つまり椿の耳に入れるとし、会合を強制的に終了させた。 得た情報を持ち寄り合流し、百瀬の邸にて報告し合う一行。 正体は知らずとも小幡からの報告により、暗躍していた早衣の行動は露見してしまった。ただ、五色老は互いの家の事は知られないようにする節があり、小幡の異変についてどの程度協力を得られるかは不明である。 普段から難しい顔をしている刑部だが、今ほど苦虫を噛み潰した顔は見たことがないと思う開拓者達だった。 |