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■オープニング本文 漆黒の瓦屋根に立派な門構え。樫の一枚板に流麗な文字が彫られている。 【黒羽流道場】 いつもなら門下生が続々と集まってくる時間なのに、早暁のように静かだった。わずかに聞こえてくるのは、近所の子供達の笑い声や、惰眠を貪る亭主を怒鳴る女房の声ばかり。 「‥‥はぁ」 黒羽夜那は、どうぞいらっしゃいませと言わんばかりに開け放っている門前で蹲り、溜息を吐いていた。 前道場主である父親がアヤカシ討伐で戦死し、跡を継いだまでは良かったが、収入源である門下生がひとり、またひとりと去って行き、先月ついに誰もいなくなってしまった。 十八になったばかりの夜那は、子供相手に護身程度の剣術を教えていただけで、対アヤカシを目的とした剣士達を教えられるほどには修練していなかった為に門下生達はやむなく他所へと移っていったのだ。しかも子供からは月謝も取っておらず、経営はたちまち行き詰ってしまった。 「あー! これじゃ道場が潰れる前にあたしが飢え死にしちゃうっ」 腹立ち紛れに、えいっ、とばかりに竹箒を前へ突き出した。 「うお!?」 男の叫び声が聞こえたが、その影はひらりと飛び上がり、竹箒をかわす。 「ご、ごめんなさい」 慌てて立ち上がった夜那は、頭を下げながら目端に入った男の刀を見逃さなかった。 腰を折り曲げた状態で顔を男に向ける。 不意うちのように突き出された箒を難なくかわした男は、意外にも若かった。二十歳そこそこに見える。葬式帰りかと思うような真っ黒な着流しに、皮のブーツといういで立ちには度肝を抜かれたが、夜那は構わずに口を開いた。 「うちの門下生にならない?」 「はあ? そんなモンならねえし」 いきなりの勧誘だからか、即効で断られた。だが夜那は怯まない。刀を持っているのだから、剣術はできるのだろうし、剣士というものはすべからく高みを目指す者のはず。ならば喜んで‥‥了承するハズなのだが。 「第一、俺ぁ、道場破りだからな。門下生になんかなれんだろ」 「道場、やぶ、り?」 「ああ、そうだ」 男はにんまりと笑い、刀の柄を撫でた。 「今日の夕餉をどうしようかと思っていたけど」 ちらりと男が看板を見上げ、さらに楽しそうに笑った。 「ここで食うことに決めた。よし、誰か俺の相手してくれよ。なるたけ強ぇ野郎がいいな。――なにやってんだ、アンタ。早く門下生達を呼んでこいよ」 「勝手に話を進めないでくれる? 大体道場破りってものは看板持ってくものでしょうが‥‥なんで夕飯食べて終わりなのよ」 「そんなことしたら、その道場には二度と行けないだろ? 看板の無い道場の門なんか、あからさまな敗北宣言みたいで体裁が悪いだろうしな。お互いが歩み寄った結果、夕餉で合意ってヤツなんだ。アンタも看板持って行かれたらイヤだろ」 自分が勝つことが前提の物言いなのもカチンとくるが、執拗にその道場を狙って夕餉にありつける浅ましさから、この男が無宿者だと推察する。 夜那の頭でそろばんが勢いよく弾かれた。そこまで自信のある腕っ節、ぜひ手に入れたい。夕飯ひとつで篭絡されるくらいなのだから、交渉次第では夜那的に好条件で取り引きできるはずだ。 「じゃあ、えーと、名前なに?」 夜那は掌をひらひらさせ、男に名を訊いた。 「百瀬光成」 「百瀬くん。今日は門下生はみんな出払っているから、三日後にもう一度訪ねてきてくれる? 最高の相手を用意しておくから。それでこっちからの条件なんだけど‥‥きみが負けたらうちの道場の門下生になること。いい?」 「門下生だけか? なんなら師範にでもなってやるけど?」 「なりたいの? いいわよー、タダでなら」 百瀬が眉間に皺を寄せた。タダという言葉が引っかかったに違いない。 「わかった。金はいらねえ。ただし、三食昼寝つきでここに住まわせろ。それと、この着物もボロっちくなったから新しいヤツを誂えてくれ」 「‥‥図々しいな」 夜那はぽつりと呟いた。衣食住すべてを賄えときたか。 仕方が無い。一度雇ってしまえばこちらのものだ。後は客寄せもふらにでもしてしまえばいい。 「交渉成立ね」 突き出された百瀬の拳と自分のそれを合わせ、夜那もニヤリと笑った。 |
■参加者一覧
沙羅(ia0033)
18歳・女・陰
恵皇(ia0150)
25歳・男・泰
紅(ia0165)
20歳・女・志
氏池 鳩子(ia0641)
19歳・女・泰
四条 司(ia0673)
23歳・男・志
紬 柳斎(ia1231)
27歳・女・サ
衛島 雫(ia1241)
23歳・女・サ
時任 一真(ia1316)
41歳・男・サ |
■リプレイ本文 神棚を前にかしわ手が響く。 くるりと振り返った黒羽夜那の目に、頼もしい面々がずらりと並ぶ。 昨日まで静まり返っていた道場内が、久方ぶりに賑わっているのを見るのは嬉しい。場内左手にて師範役として指導するのは志士の紅(ia0165)である。彼女の前には、それぞれの役どころを担う開拓者四人が竹刀を振っていた。 志士にしては流麗な型で竹刀を振るう四条司(ia0673)、その横では衛島(ia1241)が独特の律動で物打をぴたりと止めている。 一念発起で剣術を始めた最年長者、時任一真(ia1316)と健康促進で剣術を始めた氏池鳩子(ia0641)は、思い思いに竹刀を振っていた。もちろんそんな理由は嘘っぱちであるけれど、それらしく振舞う為に素人臭さを滲ませている辺り、この二人は大した役者である。 中央より少し右手の位置では、紬柳斎(ia1231)が一人黙々と素振りしていた。威勢のいい掛け声を連呼する隣の集団とは対照的だ。 紅の、「上下素振り、早素振り共に百本始めッ」の指示に、四条ら四人は気合いを入れ、床を蹴る。繰り出される踏み込みで、道場はまさに活気を取り戻したように見える。 目を細め、久方ぶりの光景を眺める夜那の前に一杯の茶が差し出された。彼らと同様、夜那の依頼に応えてくれた一人、沙羅(ia0033)だ。彼女は試合には参加せず、静観を決めているらしい。その心中には何か思惑があるらしいが、夜那は深く追求しなかった。 「さて、この黒羽流に真の使い手となる者はいるのか」 門下生の掛け声に混じり、沙羅が呟く。 「心配はいらんな」 恵皇(ia0150)は大柄な体躯を上へぐぐっと伸ばし、 「俺達が来たからには何とかなるさ」 コリを解すように首を回しながら言い、長柄を斜に構えて見せた。秦拳士の彼が選択したのは長尺の木刀である。 「恵皇さんはみんなとは違うものを選ぶのね」 「まあな」 薄く笑った恵皇は、そのまま稽古へと混ざっていく。 賑やかな訪いの声が道場に響いたのは、それからすぐのことだった。 元気はつらつウキウキと百瀬光成登場。表玄関を通り抜け、道場へ真っ直ぐ来る辺り、この男も試合を楽しみにしているのだろう。いや夕餉を期待してか。 「たーのーもー! なんてね」 初めて見た時と同じ、ス黒の着流しにブーツ姿。違うのは左手に下げた巾着袋。 「お荷物、預かりましょう」 出迎えた沙羅は、ずしりと重い巾着を受け取った。なんであろうかと首を傾げると、 「俺の茶碗と箸」 厚かましいというか無邪気というか。沙羅は顔を背けて吹き出した。 だが、すぐに百瀬の目つきが変わる。道場内を満たす覇気に気づいたらしい。 「強ぇーな」 ぼそりと呟く。 百瀬はこれまでの経緯とは裏腹に礼儀正しく、上座の神棚へ一礼し、夜那には目礼した。二本差しを腰から外し、脇へ置く。 「さあ、おっ始めようか!」 刹那、場内の空気が変わった。 沙羅が差し出した濡れ手拭いを受け取り、首筋の汗を拭いながら、 「まずは門下生が順番に手合わせするけど、構わないよね?」 時任独特の緩い言い回しに合わせ、百瀬ものんびりと答える。 「ないね。――手加減もいらないし。全力でいく俺に生半可な覚悟はやめだ。これは死合だからな‥‥イテッ」 「すまぬ、手元が狂ってしまった」 百瀬の背に湯飲みを放り投げておいての沙羅の言い草に、 「俺は命賭けてんだよ」 「たかが晩飯にねぇ‥‥」 時任は顎を擦り苦笑する。 「されど晩飯なんだよ!」 百瀬の言葉に、稽古の手を止めた面々は笑うに笑えない。各々、顔を背けて堪えている。 「勝利しての夕餉の味はまた格別だろう」 スッと百瀬の横に立ったのは男装の衛島である。 「時間が惜しい。早速の手合わせ願おうか」 道場中央へ向かう衛島と、入り口を背に立つ四条の視線が僅かに交わる。 正眼の衛島に対し、百瀬は何の構えも見せない。だらりと両腕を垂らしたままである。その視界の斜に、木刀の柄を握り込む四条の姿が入ったが、百瀬はあえて無視し、衛島との間合いを一気に詰める。 左手に下げた木刀を鋭く打ち出し、そのまま右上へと斬り上げた。 「!」 衛島の前髪が宙に舞う。紙一重で凌ぐと同時に、壁側より殺気が起こった。 四条である。 百瀬の意識が逸れると、衛島は好機とばかりに床を強く蹴り、突きを二度三度と続け様に打ちこんでいく。百瀬はそれらを打ち払いながらかわし、上体を深く沈み込ませた体勢から強引に鋒を突き出すと、衛島の右手首を打ち据えた。 衛島はその一打をどうにか凌ぎ、木刀の持ち手を左へ変え、横一文字に一閃。後方へ飛んで衛島の攻撃をかわした百瀬だったが、気づいた時には懐に衛島が入っていて、足払いを喰らうと大きく体勢を崩した。 間を置かず、長尺を手に恵皇が前へ。頭上で大太刀をぶんと回し、見得を切る。 先に仕掛けたことから、恵皇は百瀬を直情型だと判断した。それならば、この長柄は尚更都合のいい武器となる。 近接が得意らしい百瀬をその位置に縫い止めるよう、彼の脛を中心に攻め立てた。次第に百瀬が苛立っていくのがわかる。飽かせて飛び込んできたら思う壺だ。 「セイッ」 抉るように床すれすれで百瀬の脛を打ち据える。さばくかと思ったが、百瀬は右を犠牲にして渾身の一撃を恵皇へ放った。突き出した木刀を寸ででくるりと反転させ、背へ回し、転瞬の左拳を恵皇の頤へ向けて突き上げた。 が、拳対拳では恵皇に分がある。頬を掠めた百瀬の打撃に眉を顰めはしたが、鎚のような打ち下ろしの前に百瀬は膝を折った。 「悪い悪い、つい癖で」 頭を掻きながら恵皇が笑う。 「‥‥なるほどな」 口元の血を指先で拭いながら合点がいったように笑みを浮かべると、百瀬は一層の闘志を漲らせていく。 傍観を決め込んでいた氏池が、茶菓子の饅頭を頬張りながら目を細めた。 「流血してからの方が面白いらしい」 「次は私の番だな」 スッと足をすり出し、「手合わせ願おう」と言って紅が中央へ進む。その身を覆うのは苛烈な覇気。 百瀬の動きを観察しながらの紅の攻撃は、やがて先手を行く。素早い斬り上げと斬り下しの連続に、百瀬の息も上がっていった。 「はあぁぁッ」 百瀬が咆哮し、床に鋒を突き立てる。床板を抉るように斬撃が対手めがけて疾っていく。めくれた板の破片が散る中、踏み込んできた百瀬の剣を、紅ははばきで止めた。ずしりと重い。 志体持ちか。 小さく誰かが呟いた。 「くっ――‥‥重い」 押され、僅かに後退するも引かぬ心。息がかかるほどに近い百瀬の顔を睨み据え、機を窺う。百瀬が僅かに瞠目し、木刀が僅かに浮いた一瞬を志士は見逃さなかった。 「強かった。礼を言うぞ」 満足したのか、紅の朱唇が笑む。 「こっちもな」 剥がれた床板の脇で、激しく両肩を揺らす百瀬も笑った。ゆっくりと移動した視線の先には四条がいる。あの男が放つ気迫はやっかいだ。だが楽しくて仕方がない。家で稽古をつけられていた時以来だ。古い記憶を思い出し、百瀬はいつまでも笑っていた。 バリンッ。 夜那の手の中で湯呑が割れた――のではなく、彼女が割った、が正しい表現である。淹れたての茶が夜那の手から音を立てて零れ落ちた。 「あんのモモ野郎」 婦女子らしからぬ呟きを発する夜那。 「湯呑の替えはこれに」 沙羅が茶を淹れ直し、夜那に手渡すと、氏池がにやにやと笑いながら、 「次は壁が落ちたりしてね」 などと嫌なことを口走るものだから、夜那の目と口がヒクヒクと攣った。 「一休みくれてやろうか?」 木刀を肩に担いだ紬が、片膝をついたままの百瀬を覗き込みながら言った。 「いらねえ‥‥よ――ッ」 言うや、木刀も拾わずに跳躍。腰を折っていた紬の顔面めがけて膝を突き出した。だが連戦の百瀬の蹴りには覇気こそあれ、威力など皆無だった。鈍らな攻撃を運に任せて繰り出したようにも思えるが、勝利を信じる百瀬の目には生気が溢れている。 戦場で武器を失った場合において、体術は重要な役割を担う。百瀬のそれも同様だ。だが――。 「当たらねば意味はなかろう」 間髪入れずに攻め立ててくる百瀬の攻撃すべてを易々とかわし、さばく。 「ほれ、捕まえてみい。この見事なまでの乙女をっ」 「乙女じゃねーだろ」 「拙者はまだ立派な乙女だ!」 紬が床を踏み砕く。勢いよく板が跳ね上がり、紬の右手がそれを掴むと一息に百瀬の鳩尾を突く。 道場破りの体は、もんどり打って床上へと沈んだ。 「さすがに四人抜きはないか」 最後の対戦相手となるはずだった時任が、目尻を掻きながら呟いた。 「ん‥‥まだ、やれ‥‥る」 「もう、さ」 荒い息遣いのまま対手へと匍匐を続ける百瀬だったが、 「そこまでにしときなよ」 憐憫と感嘆が混じった時任の二の句を聞く前に、するんと意識を手放した。 「あやつ、なかなかの気概よの」 ふふふと沙羅が笑う。 「その気概で道場直してもらうから!」 夜那の頭の算盤には、あらゆるものが加算されていく。道場の修繕費、一人増える食費、それに伴う着物代に什器類の経費。 「門下生が増えない限り、うちは極貧のままじゃないのーっ」 これが安い買い物なのか、高い買い物なのか。志体持ちだとバレた百瀬の実力は、まだ未知数なのであった。 庭から立ち上る白煙。パタパタと七輪を仰いでいるのは、黒の着流しに襷姿の百瀬である。 「何ゆえ夕餉を求めるのか?」 同じ襷姿の氏池が、百瀬の脇へ腰を下ろしながら問うた。 「なんでって‥‥一日の終わりを満腹で過ごせたら幸せじゃねーか」 「ひもじい思いでもしたか」 百瀬がちらりと氏池を見る。鯵を仰いでいた団扇で、今度は彼女の顔面を仰いだ。 「武士は食わねど高楊枝! だけど、何事も限界はあるからな」 「ぶほっ」 煙を吸い込んだ氏池は思わず咳き込んだ。涙目で、「どこの道場が美味しかった?」と訊ねると百瀬は微妙な表情をした。 「初めこそ量もあって美味いんだけど、行くたびにおかずが減っていった」 「それもそうだろうな」 道場破りと名乗っているが、要は晩飯専門のたかりなのだから仕方ないだろう。氏池は大きく頷く。 「屋敷のデカさと味は等しくないってことも付け加えておこう」 「なるほどな」 と感心していると夜那の怒声が飛んできた。 「百瀬くん! サボッてないで人数分の鯵を焼いて!」 握り飯が大量に盛られた大皿を、軽々と運ぶ夜那が手をお留守にさせた居候を叱り飛ばす。 庭に面した座敷では、門下生だと偽って入り込んでいた開拓者達がすでに宴会らしきものを始めていた。 「黒羽流か。楽しみの一派よの。いずれ協力を仰ぐ日もあろう。その時は心安う引き受けてくれまいか」 氏池を呼びに庭へ下りた沙羅が、煤塗れの百瀬へ声をかけた。 「俺ぁ、ただの居候だからな。難しいことは夜那に言ってくれ」 片面を焦がした鯵を皿に乗せ、ついでだと言って二人に持たせた。 座敷から一層の笑い声が聞こえた。紬と時任の声だ。四条や恵皇も笑っている。柄を握った瞬間の四条の殺気を思い出した。 「開拓者、か」 百瀬が呟く。 「手が足らぬなら貸すが」 紅と衛島までも庭へ下りてきた。 七輪に水をかけて火を消すと、もうもうと白煙が立ち上る。煙を仰ぎながら振り返った百瀬の顔は、恵皇の打撃で腫れていたが、満足げに笑っている。道場破りを繰り返し、夕餉にありついていた本当の理由――。 「これで終いだ」 両手の皿を掲げながら、今は誰にも言うまいと心に誓う百瀬だった。 夜も明けきらぬ早朝に、黒羽の門戸を叩く者がいた。 「あれ‥‥えーと。四条?」 寝ぼけ眼を擦りながら応対に出た百瀬の前で、 「百瀬さんが師範代を名乗っていると聞いたので、さっそく稽古をつけてもらいにきました」 「‥‥今‥‥から?」 「今から」 四条司はそう言って、艶然と笑った。 |