【黒羽】恋に酔って
マスター名:シーザー
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2009/12/28 23:22



■オープニング本文

 めかし込んだご婦人達が、蕩けた表情でみつめた先には、筋の通った鼻梁と物憂げな色に染まる黒水晶の瞳。硝子のようなそれに映り込んだ自分の姿ごと、熱の篭もった瞳で青年をみつめる女性の口唇へ、そっと指先が触れた。白皙の面を麗しく弛緩させ、
「今宵、貴女の愛を私に」
 耳朶へ触れんばかりに唇を寄せ、青年は甘く囁いた。

 武天、比隅の街に旅芸人の一座がやって来た。
 もちろん遊興施設は十分揃っている比隅だが、諸国を巡る旅芸人一座の醍醐味はそれぞれのカラーと風変わりさにある。この一座もかなり異質で、なぜだか女性達の間でだけ人気を博していた。
 未婚既婚に関わらず、一度でもその芝居小屋へ足を運んだ女性は陶然とした顔で足しげく通うようになるという。
「珍しいな、夜那。それ一張羅だろ」
 百瀬光成は、居候先であり雇い主でもある黒羽夜那に声をかけた。彼女は道場に通う子供達の母親に誘われて、これから観劇に行くのだという。これから夜も耽る時刻なのに、だ。
 桜色の地に松竹梅の小紋を嬉しそうに纏い、いそいそと草履を履く。
「またあの芝居小屋に行くのか?」
 今夜で二度目だった。演目が変わるとは言え、連日行って面白いものなのだろうか。
 光成にも観劇の経験はあるが、正直、どこがいいのかわからなかった。筋立ては大抵同じようなものだし、白塗りのお化けのような役者にも馴染めない。夜那がこんなに深入りする理由がわからず、光成は眉を顰めた。
「そうよ。ま、アンタに芝居の良さなんかわかりゃしないだろうからね。――夕飯はもう拵えてあるから、時間になったら一人で食べてね。じゃ、行ってきます」
「おう」
 鼻歌混じりに出て行く夜那を見送りながら、光成はぼりぼりと頭を掻いた。ぐう、と腹が鳴る。
「時間にはまだ早えーが、もうメシ食っちまうか」
 踵を返し、台所へ向かう。そして夜那が用意した晩ご飯を見て、思わず叫んだ。
「どうしたんだ、アイツ! 焼き魚じゃん!! しかも他にもおかずがありやがるっ。くー。こんなんだったらいっくらでも芝居小屋へ行けっ」

 ‥‥‥‥。

 ‥‥。

 そんな風におかずに恵まれた日々は長く続かなかった。
「おいおいおいおいおいおいおい。もう、こりゃ、おかずでもねーだろう!!!!」
 光成が握り締めているもの。
「せめて削れよっっ」
 丸太の鰹節だった。

 これはおかしい。芝居にハマるのも、役者に惚れるのも有り得ることだが、これは極端過ぎる。夜那の性格なのかもしれないが、それにしても酷すぎる。
「こいつぁ、夜那をたらしこんだ役者のツラ。見てみねえとな」
 今夜も夜那はめかし込み、いそいそと出かけた。光成は気づかれないように雇い主の尾行を始めた。
 その芝居小屋は不夜城の如く、嫌味なほど煌びやかに存在していた。入り口で見物料を差し出し、そ知らぬ顔で侵入を試みたが、
「申し訳ありません。男性はお断りさせていただいております」
 慇懃に言われ、追い返された。
「なんだ、そりゃ?! 女しか入れねえってか。そりゃ、おかしいだろ」
 突っかかってみたが無駄だった。
「まあいい」
 今夜、夜那が戻ってきたら必ず聞き出してやる。この芝居小屋の中でいったいなにをやっているのか。
「俺のメシを鰹節だけにしたことを後悔させてやる」
 だが、夜那は戻ってこなかった。
 いっしょに出かけた教え子の母親達は皆戻ったというのに、夜那だけが帰らなかったのだ。彼女の事を聞いて回ったが、
「いっしょに帰ったわ」
 皆、口を揃えてこう答えた。
「じゃあ、仕方ねえな」
 入り込んで調べるしかない。問題は男はお断りであること。
「‥‥チッ。女装しかないのか」
 腰を右に左にクイクイとくねらせる。
「たぶん、俺ならイケるな」
 よし、と自信満々に頷いた。
 だが、光成はひとつミスを犯していた。夜那同様に戻らない女性が他にもいる可能性を考えなかったことだ。


■参加者一覧
犬神・彼方(ia0218
25歳・女・陰
氏池 鳩子(ia0641
19歳・女・泰
クロウ(ia1278
15歳・男・陰
時任 一真(ia1316
41歳・男・サ
水月(ia2566
10歳・女・吟
神楽坂 紫翠(ia5370
25歳・男・弓
紅蓮丸(ia5392
16歳・男・シ
ルーティア(ia8760
16歳・女・陰


■リプレイ本文

 件の芝居小屋を道の角から覗く開拓者達。
「行方不明者‥‥沢山いるんでしょうか? 日数経っていたら‥‥やばい気がします‥‥色々と‥‥しかし男禁止ですか? ここ…‥」
 神楽坂紫翠(ia5370)が不安な声を漏らす。
「さぁて、女装をさせに‥‥否、女達を助けぇに行くか!」
 やる気を滾らせた犬神・彼方(ia0218)が怪しげに笑いながら振り返った。
 潜入班で女装役をするクロウ(ia1278)と紫翠、紅蓮丸(ia5392)は頬を引き攣らせ微笑みを返す。
 事情を話し、小屋近くの店の奥を借りて着替えることにした。
 ジルベリア風のゆったりした純白のワンピースにショールというクロウは、前髪を下してカチューシャを装着。猫背で俯き、内気なお嬢様を演じる。長身痩躯でも、そのモジモジ感は女子っぽく見えた。
 犬神から化粧を施された紫翠が取り出したのは、腿の付け根まで深くスリットが入った泰国の衣装で、光沢のあるドレスから締まった生足が惜しげもなく晒されている。
 そして最も女装にやる気を見せているのは紅蓮丸。いつもは隠れている赤い瞳を見せ、後ろ髪は紐を外してセミロングヘアに。化粧担当の犬神にも、
「薄めで、どちらかというと上品に。拙者、つり目気味でござるから気の強いお嬢さん風が良いでござる」
 なかなか細かい注文である。
 臙脂色の袴と小振袖の上へ外套を合わせ、余所行きのお嬢様の出来上がりだ。
「香を纏って仕上げでござる」
 仄かな香りの匂い袋をぺたんこの胸元に差し込む。
 そんな三人を遠巻きに見ている時任一真(ia1316)と水月(ia2566)。
(「良かった‥‥。あの三人に混ざらなくて。俺の女装姿なんて不気味じゃないか。良かった、あいつらで‥‥ウン」)
(「お肌プニプニの十歳ですけど‥‥いつか必要になりますし」)
 特に犬神が施す化粧に興味津々のようである。
 準備が整った所で姫様嬢様いざ出陣!

 芝居小屋の前に行くと、あからさまに不信な目を向けられた。
「ん? この人は自分の姉ちゃんだぞ?」とルーティア(ia8760)が紫翠を庇う。
「ごめんよ、この子、身体が男みたいに大柄の癖に引っ込み思案なんだよ。ほら、会釈でもいいから挨拶を」
 クロウの肩をポンと叩いたのは氏池鳩子(ia0641)だ。挨拶を促されたクロウは内股でとことこと歩き、羽織ったショールを寒そうに首近くまで引き上げる。
「‥‥私、寒いのがすごく苦手で‥‥」
 目線を合わせないよう小声で話す。一座の男は再度一行を見て、入ってもいいと払うように手を振った。
 外で待機する犬神達に潜入の合図を送り、五人は小屋の中へ入っていく。
 入り口を過ぎてすぐの部屋は、まだ演目が終了していないこともあって閑散としていた。
「水月からアヤカシの位置を聞いたが、ともあれ中の女性達が皆退けてからだな」
 潜入班が入場時にもたついていた折、水月が索敵しておいたのだ。敵は演舞場である。
「‥‥行け。その姿なら相乗効果も望めそうだしな。くすっ」
 部屋の隅に蹲ったクロウの足元から、黒くて小さくて平べったくて世の女性の大多数を敵に回しているGが走り出した。人魂をあえてその姿にしたクロウは青白い顔で薄く笑う。
 その頃――。犬神が芝居小屋の周囲をぐるりと一回りしていた。
(「大きさや出入り口、外にいる従業員の数とぉか把握しておきたいね」)
 杞憂であればいいのだが、敵をアヤカシだけと取るかが考えどころだった。
 ふいに、小屋の中が急に賑やかになった。演目が終わったらしい。犬神が踵を返して数分後、聞きつけた時任も追いついた。

 黄色い声が飛び交う中、開拓者達は捕らわれの女性を必死で探索していた。芝居を見終えたのだからとっとと帰ればいいのに、役者と別れがたい一部の客がいつまでも演舞場から出てこない。
「女性を虜にする劇か。こういう状況でもなかったら普通に観に行ってるな」
 すっかり目がハート型の女性客を静観していた氏池が呟いていると、見知った顔が有り得ない姿で人波に押し出されてきた。
 いつもは黒の着流しにブーツという出で立ちの男、百瀬光成は(きっと夜那の持ち物)桜色の中振袖に、子供の落書きのような化粧で現れたのである。
「久しぶりに会ったと思えば‥‥、キミにそんな趣味があったとは‥‥。これも飯にありつくためか?」
 繁々と見る目元が緩んでいるところを見ると、あえて言っているのだろう。これに対して百瀬はいつになく真剣に、
「おかずが増えるんなら脱いだってかまわねぇ! 見るか? その代わり見たらトリの照り焼きくれっ」
 言いつついきなり帯を緩めようとする百瀬。
「バッ! バカなことやってんじゃないよ、百瀬! それより、なんでここに百瀬がいるんだ?」
 自分達はギルドで仕事を受けて来ているわけだが、百瀬がこの芝居小屋にいる理由がわからない氏池が問う。
「夜那が帰ってこねぇんだよ、ここに入り浸ってンだろうけど。それっておかしいだろ?」
「夜那君も被害者なのか。‥‥それは心配だな」
「ああ、俺の晩飯が心配で心配で」
「‥‥」
 わかっていたことだが――氏池は頭を抱えた。とそこで突然の悲鳴が起こる。すわ、アヤカシかと身構える開拓者達の前を、どどっと女性客が逃げていく。
「きゃあ! Gが出たぁ!」
 アヤカシではなく、G? 開拓者達は一斉に首を傾げた。 
「女性を一人みつけた」
 ぽそりと呟きながらクロウが現れた。彼のG式神の手柄である。
 追従するように表からは犬神と時任の怒声が聞こえてきて、小屋の内外で喧喧囂囂の大騒ぎになった。開拓者達は互いに顔を見合わせ、武器の受け渡しに向かう。百瀬と初対面の者には氏池から簡単な説明が入った。
「うわ、へんたいだ‥‥。ないな、うん。これはない」
 未曾有の大惨事の女装男、百瀬を指差して、ルーティアはうえーと舌を出した。

 辺りはクロウのG式神と外班の霍乱行動で大騒ぎになっていった。
 無事に武器を受け取った潜入班は、水月から指示があったアヤカシのいる演舞場へと急いだ。
 紅蓮丸と紫翠は捕らわれの女性を探索する為に、演舞場へは入らず通路で別れた。
 隠すのが目的ならやはり人目につかない場所だろうかと、あたりをつけた部屋を片っ端から探る紅蓮丸だったが、女性はどの部屋にもいなかった。悔しそうに爪を噛み、演舞場の仲間の元へ向かう。
「女性を隠すのは‥‥喰らう為、の‥‥はずだから、‥‥それまでは‥‥大切に‥‥扱う気がするのですが‥‥」
 思案しながら呟く紫翠に、一座の下っ端が声を掛けてきた。紫翠はスリットから生足を覗かせながら振り返り、
「人ゴミで酔いましたので、窓で空気に当たろうかと」
 と答えた。
 下っ端は聞こえる程にごくりと唾を飲み込み、紫翠の足を凝視する。
「そんなら仕方ねえな。今日はもう終いだから、良くなったら早く帰んなよ。ぐへへ」
(「ひぃぃっ」)
 攻撃されてる訳ではないのだし、紫翠はひたすらその視線に堪えた。

 アヤカシが2体いるという演舞場。
 舞台の上で恍惚とした表情で横たわる捕らわれの女性達。その傍らに一人の美丈夫が立っていた。
「幻惑の只中にいるんだよな」
 ルーティアがぽつりと呟いた。いつ、どこで術にかかるかわからない恐怖が開拓者を襲う。この部屋に入った時点ですでにかかっているのか、それともこれからなのか。
「舞台の男がアヤカシの変化なんだよな。色男に見えるヤツいる?」
 クロウが問う。誰も皆、首を横に振り、普通だと答えた。
「それなら、まだ大丈夫!」
 唇を引き結び、女性の救出へ踊り出る。
 百瀬だけがきょろきょろと場内を見渡している。夜那の姿がないのだ。もしやすでに喰われたのかと百瀬の顔色が青くなる。
「夜那をどこへやった!」
 帯から短刀を取り出し、舞台へ駆け上がる。そのまま役者へと斬り込むが、横になっていた女性が突如起き上がり、両足に縋りついたのである。頭に血が上っている百瀬は短刀を振り翳した。
「うあっ!」
 百瀬の右手が跳ね上がる。短刀が弾け飛ぶその向こうの壁に、矢が突き刺さっていた。紫翠である。
「その女性は‥‥操られているだけ‥‥です」
 ショートボウを取り出したドレスの裾が紫翠の足をゆっくり覆っていく。
「そうなの、か? 悪りい、夜那が喰われたのかと思って頭に血が上っちまった」
 流血する手首を押さえながら、正気に返った百瀬が詫びた。
「か弱い女性に手を挙げようだなんて、男の風上にもおけないね。女性はたっぷり愛でて、時間をかけて“喰らう”ものだよ!!」
 役者に化けていたアヤカシは、高笑いしながら大きく跳躍して場内入り口へ降り立った。と同時に観音開きの扉が派手に開く。
「そいつらだけだと思っていたんなら甘いな!」
 時任は叫びながら抜刀した。大きく踏み込んで胴を横一文字に斬り払う。背後からの攻撃に回避が間に合わなかったアヤカシは、金毛狐に姿を戻し、ボタボタと血を流しながら後退った。
 幻覚にやられる前に仕留めたい紅蓮丸は、連撃しやすいように命中を上げて手裏剣を投擲するも、かわされてしまう。傷を負っているとは言えすばしこい。
 宙を飛ぶ狐の行く手を塞ぐように氏池も跳躍。疾風脚でフェイントをかけた。狐はくるりとトンボを切って更に上へと飛ぶ。
「俺ぇのこともお忘れなくだぁよ」
 犬神だった。氏池との連携により、天井近くで逃げ場を失った狐へ羅漢の穂先で打突をしかける。式の力を帯びた長槍は蜃気楼のように周囲を揺らめかせ、狐の腹を深く貫いた。貫通した羅漢によって金毛狐は天井に磔にされ、断末魔の叫びを上げるとたちまち消えた。
「もう一匹います!」
 水月が叫んだが、舞台近くにいたクロウ、ルーティア、それに百瀬は魅了の効果に侵されている女性達にてこずっていた。
「ああ、もう! 咆哮で集めるっ」
 空気を震わせ、叫ぶルーティア。
「やさしぃぃぃく、えい、気絶」
 クロウは極限まで力を抑え、集まってきた女性達へ当身を食らわせた。百瀬もどうにか一人の意識を奪うことに成功したが、気がかりは夜那である。
「この人達は自分が運ぶから、とっとと片付けような!」
 小柄なサムライは強力で三人を担ぎ上げると、ひょいと舞台から飛び降りた。得物を手にしたクロウと百瀬が戦闘態勢へ入る。
「おつむが弱いってのも罪だね」
 緞帳の陰から声がした。開拓者達の視線が一斉に注がれる。仲間が倒されたというのに、心なしかその声は歓喜に満ちていた。まるで邪魔者を片付けてくれてありがたい、といった色が滲んでいる。
「戦闘とはかくありたいよ」
 声の後、指を鳴らす音が場内に響いた。ひたひたと下手から裸足で登場したのは夜那だった。木刀を手にしている彼女の双眸は爛々と輝いていた。
「夜那! ひぃやぁっ、あぶ!」
 百瀬が慌てて駆け寄ろうとするが、再度紫翠の矢が牽制した。
「あれ、どう見ても正気じゃないよねぇ。気持ちが先走るのはわかるけど、もう少し考えてから行動しような」
 やれやれと時任が肩を竦めて苦笑する。
 それを見とめたアヤカシが、くすりと笑った。
「殺れ」
 陶然とした声音が夜那を支配する。言うなりの道場主は木刀を構え、床を蹴った。どうっと鈍い音が響く。攻撃を受け止めたのは百瀬だった。夜那の身体を押し戻し、叫ぶ。
「コイツは俺が相手するから、お前らは仕事を済ませろっっ」
 振袖を翻し、百瀬は夜那と対峙した。
「お言葉に甘えて、ここは全力でお相手しましょう」
 扇子をきつく握り締め、幻惑や魅了に惑わされないよう気を引き締める水月が緞帳を指差した後、夜那を魅了から解放する為に駆け出した。
 先陣を切り、金毛狐へ穂先を突き出したのはルーティアだった。大きく薙ぎ払った後、避けて後退する狐へと穂先を突き上げるが、金毛狐は更にそれを回避した。
 だがその意識はルーティアに集中していた為、紫翠が放った矢を避けきる事は出来なかった。
 ギィィヤァァ!!
 腿を浅く抉った軽微な傷に、大袈裟な悲鳴を上げる。
「おまえは人間を食ってるくせに、大袈裟過ぎなんだよ」
 血を滴らせる狐の真下にいたクロウは、白いドレスを赤く染めながら毒を吐く。そのまま符を構えて素早く詠唱。可憐なG陰陽師は敵の動きを束縛し、無抵抗になったところへ斬撃符を合わせる。
 狐は禍々しい目で自らを縛るクロウを睨めつけて、身体を裂く攻撃に耐えた。ボタボタと床に血溜りが出来る。
「そのまま死ねばいいのに」
 女の子の姿だというのに、クロウは普段と変わらない言葉を吐く。
 大きく肩で息をするアヤカシへ最後の詰めとばかりに向かう紅蓮丸、時任、氏池の三人だったが、突如襲う耳鳴りに足を止めた。幻惑である。
 泉水を掲げて跳ね返せないか試みた時任だったが、効果はなく‥‥。
「気合いでの、り、き、る!」
 拳で自らの頬を殴り飛ばす時任。
「んぐんぐんぐっ」
 氏池は唐辛子入りの手製岩清水を一気呑み。唇が軽く腫れてしまったが、幻惑には堪えられた。だが一人堪えきれずにかかってしまった者がいる。
「‥‥えとぉ、敵はぁ、コッチで‥‥ござるか」
 高笑いする金毛狐に操られるように踵を返し、紫翠へ襲い掛かる紅蓮丸。手裏剣を投げつけ、間合いを詰めようと疾駆‥‥のはずが様子がおかしい。
「いっでぇぇっ」
「痛くないと幻覚は解けないと思うよ」
 血塗れドレスの女子クロウが、紅蓮丸の足の甲をグリグリグリグリと捏ねるように踏みつけていた。
「はっ! 拙者、まさか幻惑に?」
 術が浅かったせいか、紅蓮丸は頭をぶるっと振るわせ正気に戻る。
 時任がニヤリと笑い、勝ち誇っていた金毛狐へ愛刀を振り抜く。握りを意識し、逆袈裟で一気に斬り上げた。狐が大仰な声で叫び、ぴょんぴょんと逃げ回る。紅蓮丸が仕返しとばかりに手裏剣を投擲。併せて紫翠の矢が飛ぶ。連携の為にあえて外した攻撃に踊らされ、狐がまんまと策にハマる。
「うりゃああっっ」
 ルーティアが叫ぶ。その手に握る長槍は狐を突き上げ、勢いのままその躯を放り投げた。血飛沫を上げて床に叩きつけられるアヤカシに、犬神の斬撃符が襲う。
「昇天させてぇやるよ♪」
 ギイィィィアアアぁぁ!!
 金毛狐は2本の尾をちぎれそうなくらいに振り、断末魔の叫びを上げた。弾けるように金毛が場内を舞い、終劇と相成った。

 小屋は早々に片付けられ、一座は次の町へと移動した。
「君自ら女装という結論と実行を‥‥夜那の為とはいえ、泣かせるね」
 自分は女装せずに済んだものだから、時任はここぞとばかりに百瀬を指差しせせら笑った。
「俺に惚れるなよ?」
 子供の落書き顔で、あは〜んのポーズを取る百瀬に、一同口を押さえて全否定の意思表示。
「潜入で変装は良いでござるな。機会があればまたやってみたいでござる」
 紅蓮丸は新しい趣味に目覚めたようだ。
 余った稲荷寿司を水月から貰い、食べ歩きする仲間の長い影は次第に夕闇へと溶け込んでいった。