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■オープニング本文 モグモグ‥‥ モグモグ‥‥ 少し間が開き、ことりと陶器が置かれる音。流れるように次は、カパ、と何かの蓋が開けられた。少し湿り気を含んだその音には聞き覚えがある。おひつだ。 ややあって、ぺたぺたぺたぺた。 「‥‥んー? まだイケるな」 ぺったんぺったんぺったんこ。餅つきでもしているのか? おひつを開けて? コトンと言って蓋は閉められた。 「ではいっただっきまー‥‥ぐぶっ! なにすんだよ、キチぃ」 後頭部をしこたま平手で殴りつけられた百瀬光成は、口の周りをご飯粒で縁取ったまま、振り返った。そこには憮然とした顔のキチこと吉川常家が立っていた。 「なにするんだはこちらの言い分ですよ、まったく」 「仕事から帰ってきたんだから、腹が減ってとうぜんだろ? だから飯くってる。それだけだ。おわかりかい?」 ははん? と続きそうな忌々しい顔に、キチがもう一発ビンタをくれる。拍子についた掌の米粒を嫌そうにみつめて、 「帰る家はべつにあるでしょう。そちらでいただいてください」 「だって仕事の内容がちっちぇーから、貰いが少なねーんだもん。ぜったい金は根こそぎ奪られた挙句、飯抜きに決まってる。だからその予防策としてだな、ここで、こうして、腹を満たしてンだよ」 どうやら報酬が少ないのが、口入れ屋での盗み食いの原因だと言っているらしい。しかし、そんな道理がキチに通じるわけもなく―― 「だいたい、光成さんはぜいたくなんですよ。いつもいつも実入りのいい話なんか来やしないし、そもそも」 長くなりそうな気配がビンビンで、これにはさしもの百瀬も首をすくめる。 これは右から左へ聞き流すに限ると、視線をそらした時だった。キチに似合わないものが目に留まった。そんなものはこれまで一度も置かれたことのない代物だった。 「桜の枝?」 枝の下の方に付いている蕾はまだ固く、茶色いガクに覆われていたが、上部の蕾は開きかけていた。控えめに花びらの先端だけど広げる姿と、頭上で未だに説教を垂れ流している男が繋がらない。 さては女でもできたか、春だから――と油断した百瀬が笑う。 「なにを笑っているんですか? ああ」 百瀬の視線の先にある花瓶を認めると、キチは途端にニヤけた顔になった。やはりできたのか、俺をさしおいてと百瀬が口走る。 「違いますよ。仕事を終えて戻ってきた大工の若い人が、うちにこんなもの持って帰ったらカミさんに刺されると言って置いていったんですよ。捨てるのも可哀想だし、だからこうやって挿してんです」 「ふーん‥‥そういえばさ。そろそろ花見の季節だな」 「まあ、そうですねぇ」 「食いモン飲みモン持ち寄ったら、結構な量をタダで食えるよな」 「‥‥? 持ち寄るんですから、純粋に言うとタダではないと思いますが」 「なあに、俺はゴザ担当だからな、タダだ。道場に帰ればゴザくらいあんだろ。よし、そうと決まったらビラ刷って参加者募ンねーと‥‥くっはー。燃えてきたぜええええ」 雄叫びを上げつつ、勝手口を飛び出していく同郷の男をキチは冷めた目で見送った。 どこまで図々しくて考えなしなんだろうかと。 頭を抱えてため息をついたキチだったが、翌日になって百瀬が持ってきたチラシを見て驚いた。食い物がかかった時の尋常ではないやる気は昔から変わらないが、その出来ときたら。 「今度、瓦版の仕事がきたら光成さんを真っ先に紹介しますよ」 |
■参加者一覧 / 風雅 哲心(ia0135) / 天河 ふしぎ(ia1037) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 喪越(ia1670) / 各務原 義視(ia4917) / すずり(ia5340) / ペケ(ia5365) / からす(ia6525) / 和奏(ia8807) / 琥龍 蒼羅(ib0214) / 月影 照(ib3253) / 蒼井 御子(ib4444) / 長谷部 円秀 (ib4529) / 白仙(ib5691) / ウルグ・シュバルツ(ib5700) / 笹倉 靖(ib6125) / 翠荀(ib6164) / 蠍(ib6357) / 暁美ほむら(ib6379) |
■リプレイ本文 意地汚い理由から花見を開催する百瀬光成は、そのいじましさで甲斐甲斐しく会場の準備を手伝っていた。 「これ、向こうの木に括ればいいのか?」 と光成が声を掛けたのは、覚束ない足取りで紅白の垂れ幕を掲げている男、喪越(ia1670)。 「っよお、兄弟。今日のタダ酒祭りは期待大♪ 酒と涙と酒池肉林っ、ィェアッ!」 両手の指を水平にこちらへ広げて、ばちこーんとウィンク付き。泥酔していたのかと思っていた足取りは実はダンスだったようで、こちらもピタリとポージング。 「しゅちにくりんっ」 とりあえず語尾に合わせて光成も同じポーズを取る。意味はよくわかってはいない。 垂れ幕がかかった桜の一群より上手では、張り出した桜の枝を傘にからす(ia6525)が野点を始めていた。風に乗って香、雪桜が周囲を仄かに包む。 上品な茶席の横には、腰を落ち着かせて酒を楽しむ酒席も準備。 「桜火、祝千、武烈にもふ殺し、花濁酒」 ヴォトカや火乃酒滴やジルベリア人用に葡萄酒とクッキーまでも用意しておくからすの周到さを、開催主である光成は見習うべきである。‥‥タダ酒タダ食いの為だけの花見なので仕方がないのだが。 「せっかくの香の邪魔になるかな」 琥龍 蒼羅(ib0214)はその無表情に似つかわしくないヘラを両手に、からすへ声を掛けてきた。酒席より少し離れた場所からは、ソースの焦げる良い匂いが漂ってくる。 「あっためた方がぜってー美味いって!」 少し困った顔の琥龍の後ろから、枝を拾い集めて火にくべている光成の姿があった。 「多少冷えていても味はさほど変わらないだろうとは言ったのだが」 「うむ。聞き入れてはくれなんだ、というところだな」 親切なのか余計なお節介なのか、光成の、とかく食い物に関しての行動力には脱帽する。 時間が昼近くになると、参加者の姿も目に見えて増えていった。 「んしょっ」 (『お姉様、ちぃ姉様。本日は今年初めての花見にきました』) ふう、と額の汗を拭いながら大きな風呂敷包みを足元へ置く 礼野真夢紀(ia1144)。 前日から張り切って準備しておいたお花見弁当は三段重ねの重箱になっていた。炊き込みご飯と白飯のおにぎりは別の重箱に入れて、みんなの前で焼いて振舞おうと思っている。こちらは七厘と炭で対応予定だ。 蓋を開けるのと同時に声が降ってきた。 「真夢紀の弁当、すげー。最初に食いに来ようかな」 光成である。口の端にはソースが付いていた。もうお好み焼きを食っているじゃないか、と真夢紀は思ったが、光成の手はすでに「ちょうだい」になっていて、 「 はいどうぞ。お茶碗持ってこなくてよい分助かりました、百瀬さんに食物準備されるよりは」 ぜんぜんマシです、と小さく呟く。秋祭りに光成が出した屋台で酷い目に遭いかけた真夢紀は、食い物飲み物全部自前という今回の花見は安心できるのだ。 「ボクに美味しい手料理とか期待されても、それは無理な相談だよ」 光成の肩に手を置き、振り返ったそのほっぺたへ人差し指を突き刺しながら薄ら笑いを浮かべて立っているのは すずり(ia5340)。 「うん。おれほはなっはらひたいひえねーほん」 真夢紀手製の鶏の唐揚げを頬張っていた光成は、押さえられたほっぺたの反対側からぼろぼろ食いカスを零しながら答えた。 「干飯でも食べとく? 嫌なら蛇とかカエルとか、そろそろ冬眠から醒めてるだろうから、獲って来てあげてもいいけど」 こめかみ辺りの皮膚がピクピクと痙攣しているので、とりあえず心からの謝罪をして解放してもらった光成は、すずりを連れ立って別の参加者の弁当を漁りに‥‥いや、お裾分けして貰いに移動した。 「今年もまたこの季節が来たな。これぞまさに風流だ」 風雅哲心(ia0135)は空を見上げて風に舞う桜の花びらを眺めていた。名前を呼ばれ、振り返ると茶碗片手に駆け寄ってくる光成を認め、大きく溜息を吐いた。 「転んで茶碗の中身をぶちまけたらどうするんだ」 「また貰うけど?」 言うんじゃなかったと後悔しながら哲心は、ゆっくり酒が飲めそうな席をみつけ指差した。 「俺は向こうで楽しませてもらうよ」 「からすんとこかー。俺も後で行くから茶菓子とかいろいろ残しといてくれなぁ」 さあお次はどこだ? とそそくさとその場を離れる光成。やれやれと首を振りながら、哲心はからすが用意した酒席に腰を下ろすと、手酌で始めたのだった。 複数で飲み食いする者もいれば、ひとりゆっくりと花を愛でる者もいる。 賑やかな宴会は傍から眺めるものだと思っているお坊ちゃま―― 和奏(ia8807)。 「野立てとは違うのですよね」 小首を傾げながら、他人の弁当をつついたり酒を注ぎあう彼らを、少し離れた場所から眺めていた。 バサアァァァ‥‥―― 「?」 和奏の頭上へ、とつじょ大量の桜の花びらが降ってきた。ピンク色の蓑虫状態の和奏は、さっきとは逆の方へ首を傾げて「いもむしじゃないだけマシかな」と呟く。 「桜‥‥花、季節‥‥うーん。ありきたりだなぁ」 声がするので振り仰ぐと、青い髪の少女がなにやら唸っていた。 「そーいえば、『なんで桜の花の色は綺麗なの?』なんて話もあったっけ。 ほのかに色づく紅がまるで血のようだ、って事から、木の下には‥‥とも言われているけど。さすがに掘り返すのは‥‥花見に合わないね」 桜の歌を書こうと頭を捻っていたら、 蒼井御子(ib4444)の脳裏に空恐ろしい事が浮かんだらしい。ぶるりと身震いする。 「こんにちは」 「ん? ありゃ、下に人が、ってその桜の花びら。ボクが犯人? お詫びにこれをあげるよー」 そんなつもりじゃ、と口にするより早く、蒼井は持参していた雛あられと天儀酒、それに葡萄酒を紐に括り付けて和奏の元へ下ろした。 「春といえば恋の季節。向こうの恋人さんの達の様子でも見ている事にするよ!」 枝を大きくしならせて、蒼井はぴょんと桜の木々を渡っていった。 またも降ってきた桜の花びらを払い落としながら、和奏はややあって、「元気だね」と声を出して笑った。少しテンポがゆるやかだが、その顔は実に楽しそうである。 場所はからすの酒席へと移り――。 朱盆から徳利が持ち上げられ、 「いつもお世話になってますね。まぁ、一杯どうぞ」 「悪いな」 手酌で黙々と飲んでいた哲心の真向かいへ腰を下ろし、徳利を傾けたのは 長谷部円秀(ib4529)。哲心へ酒を勧める前に、野点で茶を立てていたからすにはすでに挨拶を済ませている。 たっぷりと茶を振舞える事がかなり楽しいようだ、と長谷部が笑いながら哲心へ話しかけた。 「今日のような日くらいは酒に飯に茶‥‥ゆっくり楽しめばいいさ」 杯に浮いた花びらに軽く息を吹きかけながら哲心が答えると、長谷部はゆっくりと顔を横へ向け、静かに流れる眼前の川面にひらひらと散る桜を目で追った。 「 しっかりと楽しんで‥‥英気を養って‥‥みんな笑顔になれたら最高ですね」 先程まで枝に付いていた花びらが、もうこうして風に乗って散るように、酒を楽しむ事も笑い合う事もほんの一瞬なのかもしれない。その刹那を愛しいと感じる心に限りはないと思いながら、長谷部は、 「次はお前の番だ」 と言う哲心の酒を受け、飲み干した。 真っ白でふかふかの耳を器用に左右へ動かしながら、周囲の様子を窺う銀髪美少女 白仙(ib5691)。人見知りというわけではないが、知った顔はないかとキョロキョロと辺りを見回している。その表情が一変。ぱあっと明るくなる。 一番多く人が集まっているからすの茶席と酒席へと駆け寄り、すでに酒が回っている哲心と長谷部の足元へ滑り込むようにして座った。 「哲心! 円秀! いっしょに食べよっ」 ざらーっと並べたキャンディボックスやクッキーなどの菓子類を、男二人へぐいぐいと押しやる。 「食べるから落ち着け」 「落ち着いてください」 と二人同時に言う。 「だって桜、すっごく綺麗っ」 「並木の下を来たのか?」と哲心。 頷く白仙の頭をわしゃわしゃとかき回す。何事? という顔の彼女へ長谷部が笑いながら教えた。 「花びらが冠みたいになって髪に付いてました」 「えー、恥ずかしい」 両手でほっぺたを押さえ、恥ずかしがる白仙だったが次の瞬間、大きな物音に文字通り飛び上がって驚いた。 どさり、と大きな音がしたのは隣の茶席の方だった。 「出来合いものだが、人数分より少し多く買ってきた。天儀では、花見の席にこれを食べると聞いたのだが」 白い麻布で包まれている四角い木箱を開け、みっしりと詰まった三色だんごを皆に見せる ウルグ・シュバルツ(ib5700)。 「悪りいなあ」 「いっただき〜」 いきなり伸びてきた腕二本。男の腕と華奢な腕。 「うわ、なんだこいつらっ」 驚いたウルグが飛び退ると、一人頭二本は行き渡るはずのだんごが次々に箱から持ち去られていく。 「おーいーしー♪」 「な〜?」 共鳴するようにだんごを頬張り味わっているのは、ちっちゃいその身体のどこにそんなに入るのかと調べたくなる 翠荀(ib6164)と、いわずもがなの光成だった。 きっと罰が下るね、とすずりは思ったが口にはしない。 「俺らも混ぜてくれ。桜餅とだんご、そこに足してくれや。――お? そっちにいるのは哲心と円秀じゃねえか。は? これ? ああ」 笹倉靖(ib6125)は視線を自分の脇腹へ向けた。大柄な笹倉にとって、軽々と抱えられる手荷物みたいなものなので“これ”呼ばわりなのだが、された方はというと。 「このような運ばれ方をされたことは‥‥ない。もぐもぐ」 和奏である。半分ほどに減った松花弁当を持ったまま、米袋のように抱えられていた。 「こういうのは騒いだモン勝ちだ。一人飯してるコイツみつけたから拾ってきたんだ。で、お前ら飲んでるー?」 言いつつ、和奏をからすの茶席の輪へ混ぜた。騒々しくなる酒飲みのグループよりかは、茶席の方が合っているだろうという判断だ。見た目の豪快さとは裏腹に、笹倉は細やかな配慮ができる男である。 「お茶でも如何かな?」 笹倉が入って賑やかさが増した隣席とは違い、少し趣のある茶席にちょこんと置かれた和奏は、差し出された深みのある茶碗を手に取って喉を潤した。 「いい茶葉をお使いなのですね」 「ほお、わかるかね」 「ええまあ、それなりにですが」 「ならば、別の茶葉も振舞おうか」 のんびり過ごしたかった和奏は、周囲の、特に隣の喧騒とは少しズレた世界でからすと共に茶の湯を楽しむのだった。 そこへ、 「無礼講ですよ、無礼講!」 と突っ込んできた ペケ(ia5365)。ド派手な音を立てて酒席の酒や杯、ぐい飲みなどがとっちらかる。 あーあーとブーイングが起こりつつも、周囲とてすでに出来上がっているので言うほど気にはしていない。光成に至ってはなんとかルールと叫んで、落ちただんごやらおにぎりを拾い食いしている。 「楽しけりゃなんでもアリって事でいいんじゃね?」 もぐもぐジャリジャリと、口の中で背筋が寒くなる音をさせながら主催者光成が言う。 「タダ酒タダ食い目当ての俺だが、こんな芸でもよけりゃあカマしてやるゼ」 独特のリズムで喪越は歌い、駆け出した。いったい何をするのかと皆が注目する中、突如前方へ跳躍。錐揉み状に身体を回転させながら落下するが、地面すれすれで体勢を立て直して前転で転がる。そしてそのままビッタンと張り付くように地面へ突っ伏し、 「これが世に言うスパイラル土下座!」 「すごい芸ですね。それなら私も負けてはいられません」 ペケが俄然張り合いだした。手近にあった徳利を口元で逆さにすると、一気に流し込む。さあ、いきますよぅと上半身を左右に捻りながらの準備運動では、たわわに実ったふた房の実がぷるるるんと揺れて、男性陣を激しく動揺させた。が、本人はまったくの無自覚なのが罪深いところ。 ペケの下手な歌が始まると、気を利かせたように 琥龍がリュートを演奏し始める。合わせて光成のタコ踊りも加わった。 吟遊詩人並みに上手い琥龍のリュートが気の毒でならない、と居合わせた全員が思った。 「やはり桜は良いものですねぇ」 目の前の踊り子さん達を、まるでなかった事にしようとする長谷部の視線は明後日の方を向いている。 「見てないですよねなかった事にしようとしてますよね」 誰も止めないんですかあ? と白仙は、「円秀ぅ」と長谷部の胸倉を掴みぐりんぐりんと前後左右にぶん回した。 それを豪快に笑いながら眺めていた笹倉の様子が、次第に変わっていく。持つ杯は小さくとも、酒を受ける回数が多ければ酔うというもの。弱いのだから断れば済むのだが、元来人のいい笹倉は断れない。 「飲んでるかあ?」 光成のクネクネ踊りにも突っ込む気力がないらしい。とろんとした目で、口数もすっかり減った笹倉である。 「無理に飲みすぎるなよ。後片付けが大変になるからな」 ぽむ、と哲心が笹倉の肩に手を置いた。その拍子にぐらりと笹倉の半身が揺れ、うつ伏せに倒れた。 「そんなに強く叩いてはいないだろう。大げさなヤツだな。ん? おい靖、せーいー」 ぱちんぱちんとほっぺたを引っぱたいてみるが、口の端から涎をタリーッと垂らし、なんともご満悦の表情を浮かべる。 「‥‥んぐ」 目の周りを真っ赤にさせた笹倉は、騒ごうぜーと張り切っていたその口で、 「お、俺あんまり強くねーんだけど‥‥んー‥‥もう無理、寝る」 こしこしと子供みたいに目を擦り、瞼を――きゅうと閉じる。そして健やかな寝息が酔いどれ共の騒ぎに混じった。 酒の席からかなりの距離を取っている一組のカップルがいた。ハラハラと散るピンクの花びらの演出もまた上手い具合に盛り上げている。 「早めに出たから、いい場所が押さえられたね」 天河ふしぎ(ia1037)は持参したバスケットの蓋を開けたり閉じたりと落ち着きがない。赤い顔で俯いたり、恋人の月影照(ib3253)をみつめたりと視線までも忙しなかった。 そんな彼氏殿を冷静に見ている照。記者魂のせいか日頃の癖か。照はじっとふしぎを観察した。 さして凝った弁当ではない。確かにこれまでの、腹持ちさえすればいいという考えは捨て、ギルドの顔見知りからご教授願っての手製弁当はそれなりの出来だ。 「お弁当、すごく美味しい! ありがとう」 ふしぎが手にして頬張っているのは三色だんご風おにぎり。桜でんぶに青海苔を使って花見らしさを演出している一品で、尚且つピンク色が女の子らしさをアピールしてくれるのだと‥‥誰かが言って教えてくれた。恋人が「うまうま」と食している姿すら、取材のような目でみてしまう照。 「むぅ」 知らず眉間に皺が寄る。 「どうしたの? そんな顔して、って。あ! 俺ばっかりお弁当食べててゴメン。照もお腹すいてるよね。じゃあ、はいっ」 こんがり狐色の焼き目も美味そうな鶏の照り焼きを細かく切り分け、ふしぎが照の口元へ差し出した。 「‥‥」 それは立場が逆なのではないだろうか。照は思いつつ口を開け、ぱくり。 勢いをつけた覚えはないが、どうやら反動で照り焼きのタレがふしぎの指へ零れてしまったらしい。 (「悪いことしたなあ」) 少女のように白いふしぎの指先が汚れたのを見て、照は更に顔をしかめた。 ペロリ。 「て、て、照?!」 それはもう桜色を通り越して紅梅色に染まるふしぎの肌。 「ん? とりあえず舐め取った」 ぴこぴこと耳を動かし、おかしいか? と聞いた。 「や、そ、そんな、ことことは」 激しい動悸を打つ胸を押さえ、ふしぎは決意した。 よし、今日こそは肩を抱くぞ。抱くぞ、と。深呼吸して、 「綺麗な桜だよね‥‥あっ、でも僕、桜より何より、照が一番綺麗だって思うから」 勇気を振り絞り、肩を抱き寄せる。 感無量とばかりに空いている方の手で拳を作ったのだが―― 「あー、そこの人。人の弁当を勝手に漁らないでもらえませんかねえ。それはあたしが初めて作った弁当なんだから」 「え? だって、俺主催者だから――って、え、マジで? ちょ、どこ連れて行くんだよ。まさか川に沈め――うわ! うわわっ」 照が初めて作った美味い弁当から卵焼きを盗んだ罰として、光成は犬神家の刑を食らった。俗に言う飯綱落としのことなのだが‥‥桜の木の根元に頭を突っ込んだ状態でしばし停止。そしてゆらりと倒れた。 「‥‥せっかくのムードだったのにな。俺的には飯綱落としだけでは物足りないくらいだ」 相手がいなくなった空間で、ふしぎの右手がにぎにぎと開閉を繰り返していた。 「うーん。さすがにあのまま埋めちゃうと“桜の花の美しさの正体”になりかねないね」 三角帽子のつばを摘んで顔をすっぽり覆う蒼井。恋人たちの甘い瞬間を覗いて楽しんじゃおうと思っていたら、意外な場面に出くわした。 「やっぱり、日頃の行いがアレだから」 何の気配もなくとつぜん声がしたものだから、蒼井は枝からずり落ちそうになって慌てた。 「え? きみ誰?」 「ボク、シノビのすずり〜。光成さんとさっきまで一緒だったんだけど、ボクまでぶん投げられそうだったから逃げちゃった♪」 「ふふ、それ正解だね。あ、ボクは吟遊詩人の蒼井御子。――光成さんておかしな人だねぇ」 二人は枝から落ちないように、そして睦まじい恋人達にバレないようにこっそりと下を見下ろした。 一度傍を離れてしまったものだから、照がふしぎの元へ戻るのにためらっている所でどこか甘酸っぱい果実を思わせる二人であった。 酒が切れた、と誰かが叫べば、すぐにそれらは倍になって運ばれてきた。給仕する者がいたかしらと思うが、酒は飲まずに茶だけを嗜む 琥龍やからすが気を利かしていた。 「誰か天儀のぉ、文化のぉ見識が深いヤツっていらいのかァ?」 少し目が据わってき始めたウルグが、ぐい飲みを持ち上げて声をあげた。若干呂律が回っていない。あまり酩酊するとからすのとっておきが炸裂するのだが、それは彼女以外誰も知らないことだった。 「諸行無常の修行で焼き土下座っ――イヤッフぅぅ!!」 血管を流れる液体が赤から無色透明の酒に変わったのかと疑われるほどのノリで、 喪越が未だ火がくすぶる焚き火の上を裸足で歩く。ねっとりと付着する黒い粘着物質はお好み焼きのソースだ。 火渡りも危険だが、ある意味、もっとも危険なものを晒そうとしている者がいた。 水面下で水をかく水鳥の足のように、上半身は微動だにせず両手は腰へ、膝を少し曲げた状態で器用に首を前後にぴょこぴょこと動かす舞踊は、なにかこの世にあらざる者との契約成立を祝福しているようだ。 「なんて踊りだ」とやれやれと哲心が溜息を吐く。 「変わった酒の肴ですねえ」 空になった仲間の杯へ酒を注ぎながら、長谷部は眼前で繰り広げられているいかがわしいような、艶かしいような、奇祭でしか見ることが叶わない奉納舞のような――一種独特のペケの踊りをみつめた。 (「ん、股がゴワゴワしますがこれで完璧のはずですよー」) 準備万端のペケはその奇妙な踊りをさらに佳境へと誘っていく。 笹倉は、遠くから聞こえる喧騒によって意識が引っ張り上げられた。まだ眠い瞼を擦り、半身を持ち上げて周囲を見回す。 なにやら紙のような薄布のようなものがペケの股間に張り付い――ハラリと散り落ちた。 「ぐはっ!」 鼻から滝のように噴出し始めた血を両手で止めようとする笹倉。その眼前には、ペケが両手を掲げ陶然とした顔でポーズを取っていた。 「さすがにそんなに凝視されては恥ずかしいですよ、ポッ」 頬に両手を当て、ペケは赤面する様の擬音を口で言った。 「大事なところがコンニチハ! やっはーっ」 独特のリズムに乗ってやって来たのは喪越だが、しかしてフォローにはなっていなかった。 「なにがコンニチハだってぇ?」 酔いの進んだウルグがやって来て、がくりと膝を折った。成人男性ならば喜ぶべき場面かもしれないが、すでに卒倒寸前の酩酊状態のウルグには刺激が強すぎた。 う〜んと唸ってひっくり返ると、そこへ土中からの脱出に成功した泥まみれの光成が立っていて、 「おわっ」 不意打ちを食らったようにどしんと勢い良く倒れ込まれると、光成は後方へ突き飛ばされた。 よろけた光成は転ぶまいと、真夢紀の重箱をかっ込んでいた翠旬へしがみつき、それを見ていた笹倉が、目玉が飛び出しそうなくらいに両目を剥く。翠旬の次の動作をわかっているからなのだが。 刹那。大音響の“声”が満開の桜を震わせた。 「ほんげりゃッチャイぶんちィちィ!?」 飛び退った先で和奏、龍琥に「大丈夫?」と心配されるも、二人共が翠旬の肩に触れていたものだから、彼女の愛らしい緑の瞳はクルンと上へ向き、真夢紀手製のから揚げを咥えたまま失神した。 そこへ光成がやって来て、 「これは俺がもらっといてやろう」 あろうことか翠旬の口からから揚げを取り上げた。もちろん、そんな所業が許されるはずがなく、温和な和奏と龍琥、見かねた哲心から拳骨を見舞われたのだった。 桜の木の根元には空になった酒の甕やら瓶や徳利に混じり、いい具合に朱色へと肌を染めた酔っ払いの安らかな寝顔が並ぶ。 最早、桜を愛でているのは数人に他ならないのだが、酔った者勝ちというべきか。けっきょく、素面に近い者達(和奏や長谷部、それに白仙ら)が介抱へと走り回る羽目になるのだ。それはもう甲斐甲斐しいくらいにである。 「むにゃ。酒はもう勘弁」と満面の笑顔で酌を断るウルグの口へ水を含ませた。 「女の子は下半身を冷やしちゃダメなんだぁぁ‥‥ぁふ」 あられもない姿を、計らずも晒したペケへ上着を貸した笹倉は、うわ言のように同じ言葉を繰り返した。 「ああ、大変です。お花見のはずがっ」 白仙はからすに淹れてもらった茶を持ち、酔い覚ましを求める哲心の下へ。 白い湯気を目を細めて眺めると、一息に口へ流し込む。温めの茶が喉を一気に下りていく。 「こんな面白い余興を酔って見逃すのはもったいないからな」 ふ、と口角をあげる哲心の眼前で三名の男女が舞い踊っていた。 前張りを逆設置したせいでの大惨事で恥じをかいたものの、笹倉の上着を腰巻き代わりにして踊るペケと、相変わらず誰もついていけないリズム感の喪越。そしてやたら動き回るだけの光成。しかしその暴れっぷりに、 「やれやれ」 小さな茶人が動いた。 「そこの三名。そんなに踊ればさぞ喉が乾いたことだろう。これを飲むといい」 からすが差し出した朱盆に置かれた茶碗を受け取り、ぐいと一気に喉を潤す踊り子達。その瞬間――からすがニヤリと笑った。 特製薬草茶が踊り子の身体をリセットした。 ばたり、と倒れ込み、涎を垂らし、半目白目の寝顔だが――どこか幸福感に満ちた顔が三つ並んだ。 河川敷に品と馥郁とした酒の香り、そして心地のいい喧騒が覆う。 正気に戻ったウルグと肩を並べて天儀の文化について話に花を咲かせる長谷部と白仙。 「まだ残っていますよ」 「やっと落ち着いて相伴に預かれるな」 ずいと重箱を差し出され、哲心は真夢紀へ笑って見せた。 (「お姉さま、ちぃ姉さま。どうやら花見にもアヤカシらしき物がいるようです」) 真夢紀が、こう筆をしたためた事は言うまでもない。 ところ変わって甘いひと時を過ごす恋人達は果たして進展したのか。 彼らの頭上には、声なき声で声援を送る御子が潜み、盗み見しているのだが、そんなことをふしぎと照が知るはずもなかった。 ポリポリと雛あられを頬張りながら、抱くに抱けなかった照の肩を恨めしそうにみつめているふしぎに、 「あられがほっぺたにくっついています。取ってあげますから、そのままジッとしていてください」 「え」 ペンだこのある照の指が伸びてきて、ふしぎの頬に軽く触れた。あられを取るだけの動作なのに、ふしぎの心臓は壊れそうなくらいに激しく鼓動を打った。 摘まんだあられを挟み、数秒の無言が二人の間で流れる。 ふいにふしぎが微笑った。照の手首をやさしく掴んで引き寄せ、 「記者の仕事を優先されて放っておかれることもあるけど、記事を書く照は俺の誇りでもあるよ。だから、この指は俺の誇りとおんなじ。――大好きだよ」 ふしぎの唇から吐き出された吐息を指先に感じ、照の両耳は落ち着きなくパタパタと動いた。 気づくと照は正座していて、後ろで組んだ両の足先は恥ずかしさでモジモジとこちらも落ち着きがなかった。彼女をそんな風にまで追い込んだ当の本人はというと―― (「恥ずかしくて顔が上げられない!」) 耳まで赤くして俯いたままなのだった。 桜がはらり、はらりと風に舞う。 「風邪でも引くとマズいからな」 手を出さずにいられない性分の笹倉は、からすの安眠オルゴールによって眠らされた三人にそっと、そーっと敷物を被せてやったのだった。 |