【傷痕】〜8
マスター名:シーザー
シナリオ形態: シリーズ
危険
難易度: やや難
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/09/15 17:58



■オープニング本文

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 道明寺椿から手渡された翠玉の小筒を手に、湖住八尋は五色大老である蒲生一昭を訪ねた。中の書状が椿直筆であるとわかると、大老は、領内での開拓者の行動を保障した。
 
『黒塚領内での、開拓者の行動について、本家直臣並びに五色老はいっさいの口出しを禁ず。協力を求められた際は、速やかに応じることとする。』

 私が道明寺の当主である――女性らしい筆致ながら、その気概がありありと浮かぶ書面だった。

 レイ・ランカンは湖住と共に番所へ足繁く通った。ここには過去の事件の調書や裁判記録が収められている書庫があるのだ。もちろん、その中には前緑青当主、椿井忠輝とその妻女の事件もあった。
「……」
 よもやその後継を任じられるとは思わなかった湖住は、複雑な表情で調書を閉じる。
「これは?」
 レイが一冊の調書を湖住へ差し出した。
 湖住はそれを受け取ると、怪訝な顔をする。
「五色老が関わった事件だな。五年前か?」
「少し目を通しただけだが、かなり陰惨な事件だと思う。これだけの事件を湖住殿が知らないとは」
「不思議だろうな……。今でこそ、五色老と直臣の間は近くなったが、この頃は互いの縄張り意識が強くてな。双方の関わった事件に口を出す事もなければ、いつどんな事件がどこで起きて、それがいつ解決したとかなんて知る術もなかった――調書や記録が一箇所に保管されるようになったのも椿さまが当主となってからなんだよ」
 湖住は肩を竦めた。
「だとしたら、その調書の信憑性は薄くないだろうか」
「なぜそう思う?」
「五色老しか知らぬ事件なのだろう? 捏造したところで、異を唱える者がいるだろうか」
 レイにはその事件の概要を読んだだけだが、どうにも腑に落ちないようだ。湖住は調書を開いた。
 その表紙には、――異形を呼ぶ女の姿のアヤカシ退治――とあった。
 ぱらり、ぱらりと頁が繰られる。
「油川」
 湖住が口にしたのは先だって斬殺された、緑青見廻り組組頭の名だった。
「その男がどうかしたのか」
「アヤカシ退治の手柄を立てたのが、先日殺された油川練三だとある」
 そもそもこの男が組頭に取り立てられたのも、この時の武勲によるものと聞いていると、湖住は言った。
「そうか。我が気になるのは、その事件が起きた村の場所だ」
 湖住の視線が村の名を追う。それは、飛剣天仁がかつて婚約者と共に身を寄せていた家のすぐ近くにある村だった。
「嫌な予感がする」
 二人は急くように頁を捲る。
 村の外れに男女が住み着いた。その頃から村は頻繁にアヤカシの襲撃を受けるようになり、怪しんだ村の長が五色老へ報告すると、月番であった緑青の見廻り組が調査に乗り出した。アヤカシを引き込んでいたのは村外れに住む女である事が判明。仲間と思われた男は姿を見せなかったが、女に化けていたアヤカシを退治すると、これより村を襲うアヤカシはいなくなった――。
「おかしい」
 レイは呟いた。
「牢の男は、天仁の婚約者を殺したのは村の人間だと言っていたが、この記録だと殺したのは緑青の見廻り組という事になる」
 この決定的な違いを二人は疑った。
「過去の調書でも、ここにあるのは人目につく事を前提として作成されたものだとすると」
「原本はどこかにあるという事だな」
「まずは緑青の執務室を探そう。見落としがあるかもしれん」
 そう言って二人が立ち上がると、俄かに番所の表が騒がしくなった。何事かと湖住が顔を出し、ちょうどそこへやって来た番士の一人を呼び止めた。
 黄櫨の腕章を付けた男は蒼白の顔で告げた。
「鉱山地区の集落が襲撃を受けたらしいのですが……住人の姿が忽然と消えており」
「なぜ襲撃だとわかった」
「村のそこら中に大量の血痕が残されていたのです。ですが、死体らしきものの数と住人の数が合わず」
 さらにそこへ別の番士が駆け込んできた。
 息を切らし、
「廣貫さまに、南雲廣貫さまにお取次ぎをっ。襲撃を受けた村が更に増えましてございます……ッ」
 鉱山地区かと訊ねると、番士はこうべを激しく振った。
「黒塚より南に三十キロ下った先にある村です」
 場所を聞くなり、レイが飛び出した。
「レイさんっ」
 レイの後を追った湖住は、我を失っている友人の腕を掴んだ。
「怪我人が多く運ばれている診療所へ向かいましょう。その村では死人は出ていないと聞きましたから」
 レイは激しい後悔に苛まれていた。嫌われても恨まれても、ルルを屋敷から出すのではなかったと。

 到着した診療所では、明らかにアヤカシに襲われたらしい傷を負った人々が、苦鳴をあげて横になっていた。
 レイは彼らの首筋を確認する。そこに噛み痕はなく、獣の爪痕と思われる深い傷が彼らを苦しめていた。その村を襲撃したのが屍狼であると確認できたのは、“巡回していた見廻り組”の聞き取りからだった。
 そしてようやくルルが寝かされている部屋を訪ねた。
 目端に血塗れの服が畳まれて置いてあるのが見えた。足がガクガクと震える。
「……ルル」
 呼べども返事はない。どこか遠いところから、「今夜が峠でしょう」と聞こえた。
 妹の命の灯が消えそうになって気がついた。それは、すとん、とレイの胸に落ちてきた。

 天仁、お前はこうして堕とされたのだな――

 夜半までに、アヤカシの襲撃を受けた村や集落は全部で六つ。
 その中で、ルルがいた村だけが全滅を免れていた。これはヴァンの挑発だとレイは思った。
 そして湖住がみつけた事件の原本には、やはり女――咲を殺したのは村人であった事。集団ヒステリーによるものだとしても、見廻り組が滞在してのこの事件は緑青の恥、五色老の恥として、いち早く現場に駆けつけた番士の手柄とした、とあった。
 油川練三を――“女に化けたアヤカシ退治”の功労者としたのである。
 人である咲を惨たらしく殺しておきながら、その咲をアヤカシと呼び、事件解決としたのだ。
「“これからが本番”だと言ったな、ヴァン・レイブン。その通りだ。必ずお前を見つけ出すッ」
 ヴァンが地下空洞を好む事から、レイは鉱山地区の地図を詳細に作らせたのだった。


■参加者一覧
緋桜丸(ia0026
25歳・男・砂
柄土 仁一郎(ia0058
21歳・男・志
緋炎 龍牙(ia0190
26歳・男・サ
柄土 神威(ia0633
24歳・女・泰
菊池 志郎(ia5584
23歳・男・シ
ジークリンデ(ib0258
20歳・女・魔
ディディエ ベルトラン(ib3404
27歳・男・魔
神座真紀(ib6579
19歳・女・サ


■リプレイ本文

 菊池 志郎(ia5584)は、色を失い、昏々と眠るルルに両手を翳し、癒しの文言を詠唱していた。その目端には、覇気もなくぼんやりと妹をみつめるレイ・ランカンがいる。
「ルルさんは物ではないのに、レイさんを堕とす道具として扱われたのですね。それが、俺には許せません」
 レイを鼓舞するつもりで志郎は言う。だが、レイはぴくりともしない。かける言葉がみつからない志郎は、黙って唇を噛んだ。
「此処までアヤカシに怒り覚えたんは始めてや……!」
 感情を剥き出しにして、制御不能に陥りかけた事もあるレイを知る神座真紀(ib6579)は、見ていられないという風に顔を背け、彼の代わりに御せぬ憤怒の言葉を吐いた。
 だがその悲しみに囚われては闇に堕ちる。
(「心配なんや。天仁みたいに……なったらあかん」)
 派手な音と共に柄土 神威(ia0633)がレイの前に座る。
 つい、と差し出された丸盆には沢庵と梅干が乗せられていた。
 いつもの穏やかな彼女は形を潜め、きり、と結ばれた唇が、
「レイさん、自分のせいだなんて思っているなら口に沢庵と梅干し限界まで突っ込みますから」
 レイは、視線を右に泳がせ左に彷徨わせ、最後に神威のそれと合わせた。その後ろには神座もいる。ルルの傍らには志郎もいた。力のない枯れた赤い目に、次第に生気が篭っていく。
 頬にも色が戻ったレイを見て、神座はいつもの癖で耳を引っ掴んだ。泣き笑いのような顔で言う。
「そんな風に思いなや」
「うむ」
 神威が用意した沢庵をレイは一切れ摘み、口へ放り込んだ。歯応えのある沢庵を噛み砕きながら、「すまぬ」と呟くと、その唇の端を雫が細く伝い落ちた。

 道明寺邸の玄関では、緋桜丸(ia0026)が苦い顔で空を睨んでいた。厭味な程に晴れ渡っている。
(「それにしても五色老も大概だな。これこそ人のエゴか――過ちは自らが認め、正さねばならん、当主である椿の責任も、な」)
 本家警護の人数は減らされ、民営の診療所へと割かれている。手薄に見えるが残った隊士の顔ぶれは屈強な者達ばかりで、完璧とはいえないまでも一先ず安堵の息をつく。
「……それにしても、事件の規模がどんどん大きくなってきたな」
 渋面なのは柄土 仁一郎(ia0058)も同じだった。これほど甚大な被害を起こすヴァン・レイブンを倒すには、手駒が少なすぎるのだ。
「……愚痴ってばかりもいられんか。やるべきことをやろう」
「気になる箇所にムスタシュイルを仕掛けておきました。黒塚の方々を信用していないわけではありませんけれど、念の為に」
 戻ってきたジークリンデ(ib0258)は額に滲んだ汗を色白の手で拭う。その美貌を険しく歪ませ、道明寺本家をを睨み据えた。その心中に、天仁の陰が濃く浮かぶ。ヴァンの行動が陽動であるならば、レイまでも借り出すわけにはいくまい。
 早朝、ルルを見舞った時に見たレイの垂頭喪気の姿では尚更である。だがそれは杞憂で、レイはすでに自分を取り戻していた。
 戦闘はなるべくならば避けたいが、相手がアヤカシである以上準備はしておくべきだろう。狡猾なヴァン・レイブンが糸を引いているなら尚更だ。
 珍しく憮然とした顔で、緋炎 龍牙(ia0190)は鴉丸を手入れしていた。
(「俺の願いはすべてのアヤカシを滅する事……ただそれだけだよ」)
 似た境遇でありながら天仁は人を屠る道を選んだ。彼はもうアヤカシなのか。もう一度彼の肉を裂いたら、赤い血が流れてくるのだろうか。
 陽光に切っ先を翳し、
「早く確かめたいねえ」
 緋炎は呟いた。
 その眼前で、ディディエ ベルトラン(ib3404)が隊士に頼み事をしていた。
「えぇ、えぇ、とても面倒だとは思いますが、過去の記録をですね、あ、吸血鬼に関する記録だけで結構なのですが、書庫から出しておいていただけると大変助かるのですが〜」
 腰の低い口振りだが、翠玉の小筒の所持者である為、それは頼みではなく命令に近い。だが五色老と違い、彼らは協力的だった。快諾し、書庫のある番所へ向かう隊士を見送っていると、
「行きましょうか」
 と声をかけられた。振り返った先にレイの姿はなく、さりとて志郎や神威、神座の表情は明るい。
 誰もなにも言わない。聞かずともわかるのだ。
 ――行けないのではない。残る事を選択したのだ、と。

 黒塚を出発し、ヴァンの襲撃を受けた村を逆走する形で鉱山地区へ向かった。開拓者らの実力を知る当主は隊士すべてを黒塚の要所に配置したが、五色老の蒲生がなぜか番士を連れて行くことを提案してきた。
 無論、受け入れるつもりはなく、提案を一蹴したが蒲生もあっさりとそれを承諾した。
(「蒲生のあのあざとさは何かある気がします」)
 志郎は黒塚の街を一瞥し、先を走る仲間を追った。
 八人は土埃を巻き上げながら、一路、鉱山を目指す。

 深い森の中ではあるが、採掘した鉱石を運ぶ為なのだろう。整備された道が続く。
 志郎が翠玉の小筒効果で得た情報から、最近閉鎖された鉱山近くには川があることがわかっていた。そして近くの村が、真っ先に襲撃を受けたのである。
 出入り口こそそれぞれ離れているが、どうやら坑道の中は繋がっているらしい。かなり入り組んでいる為に迂闊に入る事もできない。用意された坑内の地図も、採掘場所と運搬用に使っていた坑道は書かれているが、細かなものに関しては記載されていなかった。
「ないよりはマシだな」
 柄土は複写された地図を仲間へ手渡した。
 飛び地のように点在するそれらの中で、緋桜丸と緋炎、ジークリンデとディディエが黒塚寄りに位置する完全閉鎖の鉱山跡を目指す。
 ヴァンらアヤカシ共に最初の襲撃を受けた村の近くにある鉱山跡には、柄土、神威、神座、志郎が向かった。
 手綱を引き、開拓者らは道を二手に分かれた。

 作業場だと思われる広地は、そのほとんどを草に覆われていた。馬を手近な低木の枝に繋ぎ、周囲を警戒しつつ抜け穴がないか探索してみる。
 踏み散らされた跡は見当たらない。アヤカシが出入りすれば草や枝などにその痕跡は残るはずだ。
 ジークリンデは、さらにその周囲を探索した。人質がいるのなら水分補給は必要である。草深い中を歩き、丹念に捜索するが乾いた井戸すらない。
(「入口を閉ざす必要があるとするならば〜、中に居る者を逃がさない……もしくは知能の低い下級アヤカシを侵入させない等の狙いがある場合かと」)
 固く打ち付けられた板には砂埃が隙間に溜り、地面にも引きずられた跡がない。
「中で繋がっているのでしょうが、ここからの出入りはないようですね」
 ディディエとは違ったアプローチから封鎖跡を調査していた緋炎は肩を竦めた。
 そこへ緋桜丸も戻ってくる。
「罠もなし、気配もなし」
 肩透かしだが、嘆く暇はない。
「僕は少し思うところがあるから、柄土君達のいる坑道へ向かうよ」
 逸るように馬に乗った緋炎はそう言い置き、「はっ」と鋭い掛け声を発して飛び出した。
「アヤカシ群を留め置くには最も適していそうですからね〜」
 蹄の音も軽く、ディディエも駆けた。
「……それじゃ、俺達はこっちへ行くとするか。お嬢さん?」
「真剣な瞳で軽口というのも悪くありませんわね」
 ジークリンデと緋桜丸は二人とは別の方角へ手綱を捌いた。二人が向かったのは中間地点にある坑道だった。
 
 先に別れた班が探索を終えた頃、柄土らは最奥の採掘場に到着した。
「ここは……」
 志郎が周囲の壁を見渡し、呟く。眼前の広地には放置された道具類がそのままになっていた。荷車を置いていたのか、ちょうど良い柵をみつけ、馬をそこに繋ぐ。
「さっき川が見えたけれど、あれが襲われた村の生活用水にもなっていたのね」
 水は人間にとって必要不可欠なもの。ヴァンの狡猾さに神威は吐き気がする程の嫌悪を抱いた。
 馬を繋ぎ終えた柄土は早速懐から地図を出し、入り口を指した。
 と同時に心眼を発動。険しい表情のまま、アヤカシの気配はないと目で合図する。
「中は他の坑道と繋がっとるゆう事やったね」
 神座が小さな声で志郎へ確認した。志郎は頷き、肯定する。
 大まかな経路しか記載のない地図だが、それを頼りに四人は暗い矩形へと足を踏み入れた。
 瞼を閉じ、闇に目を慣らす神威は柄土の羽織の裾を掴んで歩く。そのせいか、普段よりも耳がきく。奥へ進む程流れ込む風が強くなっている気がした。
 異臭を嗅ぎ分ける為に、神威は、すん、と風を嗅ぐ。
 結界を張り、志郎は四方へ厳しい視線を向けた。――未だ結界になにも触れてこない。
 平らなだけの、小石が転がる足場の悪い通路を四人は無言で進んだ。時折、松明で地図を開き、現在地を確認した。
 少し大きな横道をみつけた。柄土と神威が確認に向かう。道幅は大人三人分といったところか。更に奥へ進む。
「……神威」
 柄土の表情が明らかに変わった。
 ごくりと唾を嚥下する柄土を見た神威はすぐに状況を察した。
「数が……違い過ぎるぞ」
 二人は前方の隘路から視線を逸らさず、そのままの体勢でゆっくりと後退した。
 元の通路へ戻ってようやく息を吐いた。尋常ならざる様子の二人同様に志郎も顔から色を失っていた。志郎もまた感じ取っていたのだ。そのアヤカシの数を。
「この数に気付かれてはまずい。一先ずここを出て……っ?!」
 柄土が弾かれたように通路の奥を振り返った。促されるように三人も顔を向ける。
「声?」
 志郎がそれを言葉にすると、一斉にそれらが耳殻を震わせた。
 様々な声が反響して木霊する。
「なんや、これ」
「待つんだ、神座さん」
 飛び出しかけた神座の腕を、柄土が取る。
「罠かもしれない」
「せやかて」
「こちらに分が悪すぎますっ」
 小声で言い合う三人に、志郎が厳しい声を放った。
「何体か近づいてきます。どこかに隠れないと。今ここで戦闘はまずいです」
 早駆を考えた志郎だが、やめた。三人を置いていくわけにはいかない。
 四人は素早く手近な穴に飛び込み、気を殺した。その横を人型のアヤカシが通り過ぎていく。屍鬼と吸血鬼が六体とたいした数ではないが、極力戦闘は避けたい。呼び水となって奥の大群を引き出すわけにもいかないのだ。仲間が来るとは言え、揃っても八人である。
 対してアヤカシは、気配を辿るだけでも三桁は下らない数だ。
「あくまで調査が主だ。奴らを叩くのは、機が熟してからでいい」
 四人は穴から出ると、先を歩くアヤカシ共に気付かれぬよう息を殺しながら後に続く。
 だがその背後にも吸血鬼がいた。

 一方、出入口から中へと向かう影が二つ。緋炎とディディエである。松明を掲げながら用心深く奥へと進む。まだ足元には表からの光が差し込んでいた。その彼らの耳に足音が聞こえた。
 先に探索を行っている仲間かとも思ったが、漂う臭気で二人は身構えた。
(「戦闘を避けながらの探索は難しいですね〜」)
「場所を変える」
 緋炎はディディエに目配せし、踵を返した。
 入口を出てすぐの壁に背をつけ、息を殺す。臭いが次第にきつくなってくる。初めに出てきた屍鬼を隼襲で迎え撃つ。ドロリと溶けた肉片をまき散らし、屍鬼は地面へ倒れた。
 続いて姿を現した吸血鬼は二手に散った。早々に撃破したかった緋炎は舌を打つ。
 そこへ駆けつけた緋桜丸が馬上から虎徹の切っ先で吸血鬼の喉元を突いた。血煙を上げ、吸血鬼はどうっと仰向けに倒れると、泡を吹き、動きを止めた。
「仁一郎達はっ?!」
「まだ合流してはいないんです、はい」
 ディディエが答える。
 その合間に緋炎が別の吸血鬼を追い、一閃して斬り伏せた。最後の足掻きでこちらへ倒れてくる着物姿の吸血鬼だったが、重ねて置かれた洗い桶を掴んで放り投げ絶命した。
 桶は虫の湧いた泥水を辺りへ撒き散らし、地面を転がっていった。
 汚水が別の吸血鬼の足元を洗う。さらりと流れてきた水に、吸血鬼は怯み、恐れた。
 その様子に緋桜丸は目を細めた。
(「中から出てきたようですけれど、外にいないとも限りませんわね」)
 ジークリンデは戦列から離れ、この坑道の周囲にムスタシュイルを仕掛けに走る。
 不可解な事が起きた。
 緋炎が倒した吸血鬼が絶命すると、離れた位置にいた子供型の吸血鬼も倒れ、死んだのだ。
 屍鬼は別として、吸血鬼のこの死の連鎖には法則があるのではないか。だがそれは同時に、否定したい考えにも行き着いた。
 行方知れずになっている村人は、“すべて”吸血鬼にされ、彼らを殲滅しなければ終わらないのではないか。
生者がいるかもしれない――
希望を餌に、この坑道の最奥でヴァンが哄笑しながら自分達を待っている気がする。
「まずは合流しましょう」
 仕掛け終えたジークリンデが言う。
「……そうだな」
 少し遅れて答えた緋桜丸は先の吸血鬼の死に様を思い浮かべていた。

坑道内を奥へ向かった四人は、程なく外へと向かっていた仲間達と合流できた。彼らに続いていた屍鬼と吸血鬼はすでに神威と柄土の手で屠られていた。
追尾できぬよう時間稼ぎの為に撒菱を撒く。痕跡を残す事に躊躇いがないわけではないが、ヴァンが気づかぬはずもない。
緋桜丸はあえて痕跡を残した。
 だが、闇の矩形からは物音ひとつしない。果たしてそれは偶然か必然か。

 八人は一先ずその場を離れた。高台になっている場所へ移動し、坑道入口を見下ろす形で互いの情報を交換する。
 最早アヤカシが潜む坑道はどこか、火を見るよりも明らかだ。坑道の周囲に巡らせたジークリンデの探知には何もかからなかった。すべては穴の中、か。
 通路は更に奥に続き、人質らしき声も聞こえたが、敵の数が予想を遥かに超えていたという。
 その不安は、吸血鬼と直接対峙した緋炎や緋桜丸をも俯かせた。緋桜丸は言葉少なに、自らの予想を口にし、仲間の答えを――いや、否定を待った。
「いい報せなのか、悪い報せなのかわからねぇが、こいつは使える手だとも思う。――吸血鬼にされた人間に血縁があれば、一度にたくさん倒せるって事だ」
「親を殺せば子も死ぬ、か」
 言って柄土は奥歯を噛む。
 転がった死体を見遣り、生者はほんの一握りではないだろうかという悲壮感が漂った。
「だから人型は嫌なのよ。狡猾で卑怯で不愉快この上ない存在だわ」
 神威の双眸に憎悪の色が濃く浮かぶ。握り締めた手綱がぎしりと音を立てた。
「生きてはる人がゼロやないんなら、行くべきや」
「救出にせよ討伐にせよ、大掛かりにやることになりそうだな」
 柄土の嘆息には苛立ちが含まれていた。五色老の年寄連中の顔を思い浮かべれば、面になるというものだ。
馬上で皆が苦悶の表情を浮かべた
「翠玉の小筒ですよ、ここは――。唯一五色老を黙らせる法を使わない手はありません」
 志郎は努めて明るい声で言った。手綱を捌き、黒塚への道を先に駈け出すと、七人もまたそれを追う。
 谷を抜ける風の音が、ヴァンの笑い声のように響いた。