【傷痕】天理2
マスター名:シーザー
シナリオ形態: シリーズ
相棒
難易度: やや難
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/11/15 19:56



■オープニング本文

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 獄卒鬼と鉄甲鬼の襲撃によって壊滅状態になった小さな農村――程原村の復旧に、レイ・ランカンは残った。
「やはり、稲代から材木を買い付けよう」
 男衆の一人が村長に進言した。
 稲代とは、現在、女や子供、老人らが非難している村である。村、といっても程原よりも遥かに大きく、経済も発展していた。
 程原、稲代とちょうど三角形のような配置になっている村がもうひとつある。田野原村だ。
 稲代よりも近い位置にある村だが、古くからあまり仲がよろしくないようで、今回のような緊急事態にあっても避難を遠方の稲代に頼るほどである。
 稲代は規模が大きく、資材の調達にも事欠かない為に、親交が深かったという理由もあるだろう。
 屈強な男は言う。
「使える馬が数頭だが残っているし、それをぜんぶ使って引き取りに行こう。稲代に着けば、馬にも腹いっぱい干草を食わせてやれるしな。ついでに家族の顔を見てもこれる‥‥村のみんなはもうヘトヘトだ。毎日神経使って伐採に行くのは、本音を言わせてもらえばもう止めたいんだよ」
「‥‥そうだなあ。お前の言うことももっともだ」
 村長は渋い顔ひとつ見せず、即決する。
「金の工面は稲代の村長を通して話をつけるとして、まずは資材の調達だな」
 話はトントン拍子に進んだ。
 
 稲代は大きな村だった。石造りの外壁はそびえるように高く、最早村の規模を超えているようにも見える。
 村の東よりに大門があり、多くがここを通って稲代へ入る。門を抜けると大通りがあり、先には立派な建物が二棟建っていた。右手には教会が、その左手には庁舎、とでも呼べばいいのか、実に頑強な建造物がある。
 レイと程原の男連中は資材を積み込む馬車を引き、大門を潜った。大通りの両側には様々な店が軒を並べている。
 午前の間に村長からの書簡を役所へ提出し、その足ですぐに資材の調達を始めた。馬はその間、厩舎で干草をたらふく食っていた。
 買い付けは順調に進み、午後からは避難していた家族との再会も果たし、ひと時とはいえ、充足した時間を過ごした。
 帰りは荷を積んでいる為に時間がかかる。早めの出立に後ろ髪を引かれながらも、一行は稲白を後にした。

 街道の安全確保と警戒の為に、一足先に稲代を出ていたレイに、馬を走らせてきた青年が血相を変えて追いついた。
「全身黒い炎で覆われたでっかい狼が何百頭ってぇ数で稲白に突っ込んでいきやがったんだ!」
 黒い炎を纏った狼などアヤカシ以外にいるものか。
「ともかく稲代へ戻る。なにか目的があって皆を襲わなかったのなら、まだ無事なはずだ。とりあえずこの馬で戻ろう。稲代に着いたら、皆で程原へ急げ。――稲代ほどの村ならば風信機もあるだろうから、すぐにギルドへ要請が入るはずだ。我はそれまでの繋ぎとして前線に立つことにする。安心しろ、皆の家族はきっと守り抜くからな」
 言うや馬に飛び乗り、手綱を握って稲代へと駆け戻った。

 男衆をすぐに程原へ帰らせ、稲代の中へ足を踏み入れたレイは息を飲んだ。
 ゆらゆらと漆黒の炎をたてがみのように靡かせながら、狼は人間を一箇所へと追い立てていた。その様は、まるで牧羊犬が羊を柵へ追い込む姿に似ている。
 逃げ遅れた村人を救い出すべく、レイは裂龍を手に狼の只中へ突っ込んだ。
 ――?
 闘志をむき出しに突っ込んだレイを、狼共は襲うどころか、導くように道を開けたのである。遠巻きに眺めているだけだった。
 レイは怪我人を肩に担ぎ、狼が作った道を走った。行き着いたのは教会だった。
 中へ駆け込み、打つ側から閂をかける。
 見渡すと、聖堂を多くの人々がひしめき合っていた。稲代の住民が、どうやらここへ押し込められたらしい。
 窓から隣の役所を見ると、あちらにも大勢の住民がいた。
 レイは、教会の尖塔まで駆け上がり、村の全容を確かめた。
「‥‥っ。これは」
 稲代の大通りは狼達によって埋め尽くされ、さながら嵐の濁流のようだった。
「開拓者殿」
 声を掛けられ、レイが振り返ると、朝方顔を合わせた稲代の村長が立っていた。
「たった今神楽のギルドへ救援要請をだしました」
 だが、その顔は暗く沈んでいた。
「あんなにたくさんのアヤカシ‥‥どうにかできるものなんでしょうか」
「‥‥」
 ちらりと眼下を見遣る。
「仲間が駆けつけてくれば打開策も生まれる。案ずるな、我らを信じてくれ」
 そう励ますレイだったが、その脳裏には拭いきれない疑問が張り付いて離れない。
 なぜ、アヤカシは人を喰らわないのだ。程原の鬼も――稲代の狼も――。

 そんなレイの視界に、信じられない光景が飛び込んできた。
 四方を狼に囲まれ、逃げることが出来ない幼女がひとり、教会前の広場に取り残されているのだ。



■参加者一覧
柄土 仁一郎(ia0058
21歳・男・志
柄土 神威(ia0633
24歳・女・泰
蒼詠(ia0827
16歳・男・陰
菊池 志郎(ia5584
23歳・男・シ
ジークリンデ(ib0258
20歳・女・魔
ディディエ ベルトラン(ib3404
27歳・男・魔
神座真紀(ib6579
19歳・女・サ
棺(ib7953
20歳・男・シ


■リプレイ本文

 まさに暗雲が立ち込める天候であった。
 一行はギルドから借りた馬に跨り、それぞれの思いを巡らせていた。
(「人を襲わないアヤカシが近辺に連続で現れるなんて不自然だわ」)
 巫 神威(ia0633)は爪を噛む。かろうじて前回の依頼では鬼を討伐できたが果たして今回もうまくいくか。
 落ち着きのない馬を宥めながらディディエ・ベルトラン(ib3404)が巫の横に並ぶ。
「あの手のアヤカシが一糸乱れぬ動きを見せます時は、それなりの理由があるものと思われます、はい」
 彼の脳裏にはかつての武州の戦いが蘇っていた。
「不可解な事が続くものですね。アヤカシの群れを操る上位の存在を感じますが、情報が少ないのが残念ですね」
 白銀の髪をかき上げながらジークリンデ(ib0258)が呟く。
「なぜあの辺りばかり狙われるのでしょう。――いえ、とにかく一刻も早く駆けつけないと」
 菊池志郎(ia5584)の逸る気持ちが伝わるのか、彼が跨った葦毛の鼻息も荒い。
「女の子が囲まれとるらしいし、のんびりとはしとれんな!」
 神座真紀(ib6579)は今にも駆け出しそうな勢いで言う。
 意気揚々と手綱を繰るのは棺(ib7953)。
「さーて、初仕事‥‥か。初っ端からハード過ぎる気もするが頑張るぜ」
 村を走る大通りを埋め尽くしているという炎狼を蹴散らしたくて堪らないようだ。その横では小柄な体躯で必死に馬を操る蒼詠(ia0827)が、
「怪我人もいるとか。少しでもお力になれれば‥‥」と自分に気合を入れていた。その頭をわっしゃわっしゃと掴んで撫で回す柄土仁一郎(ia0058)は、
「気負わずに‥‥全力で行け。カバーするから」
 少しばかり肩に力が入っていた二人に声をかける。棺に至ってはさして歳も違わないのに、いつもの癖が抜けず年下扱いだ。むうとした棺だが、楽しく戦えればいいのですぐに頭を切り替え、一番初めに馬の腹を蹴った。
 一行は、稲代村へ向かい馬を疾走させた。

 件の稲代村の大門は開け放たれた状態であった。静かである。生きている者など皆無だと思わせる程静寂だった。だが、馬を下りた開拓者の目には通りを埋め尽くすアヤカシの姿が映っていた。
 そこに蜃気楼が立っているように橙色の炎がゆらゆらと通りを覆う。その下では数え切れぬ程の狼がひしめき合っていた。
「‥‥合戦か何かか、この数は」
 柄土は思わず嘆息する。それほどの数なのである。誰かがごくりと唾を嚥下した。
 この数では借り物の馬の命が保障できぬ。柄土の提案である馬の帰巣本能に賭ける事にした。各々、騎乗してきた馬の尻を叩き、街道を戻らせた。
 大門を潜り、村内へ入る。狼の数多の目が一斉にこちらを向いた。だがヤツらは動かない。
 教会前辺りで炎狼に囲まれているという少女の救出に、巫と志郎が向かう為、一歩前へ歩み出たが、それでもアヤカシ共に動きは見られなかった。
「上位アヤカシからの指示があってのこの行動なら、取り残された少女が無事という事にも何らかの意味があると考えますのが自然でございますねぇ」
 下手に手出しすると統率に乱れが生じ、救出班到着を前に少女が餌食になる可能性が高くなる、とディディエは言う。少女の命がヤツらの手中にある内は、危険な賭けはできない。
 志郎は耳を澄ませた。何者かの意思が働いているのならば、このどこかにいるはずだ。
 狼の唸り声に混じって男の低い声が聞こえた。
『人は果たして裏切らないか?』
 志郎は周囲を用心しながら見渡した。だが姿は見えぬのにまた聞こえた。
『ならば抗え』
 それを最後にぷつりと声は止んだ。狼の唸り声が志郎の鼓膜を震わせるだけだった。
 だが少女の命が風前の灯である事に変わりはなく、優先順位は少女救出だ。巫と志郎は距離をそろりと縮めてみた。狼はこちらを攻撃してこない。二人はそのままアヤカシの海の中へと進んでいく。援護、本隊として残った面子にも脂汗が滲む。
「一気に行きましょう」
 二人の言葉は同時だった。巫は懐にしまったある物を大事に撫でる。そして――狼共を刺激しないよう器用にかわしながら駿脚で少女との距離を縮めた。
 救出班が出たことをジークリンデが手鏡を使い、教会で待機しているレイへ知らせる。事前の打ち合わせはないが、光の明滅と経験からレイが察してくれることを祈るばかりだ。

 炎狼はまるででくの坊だった。みすみす人質を譲る格好で巫と志郎を進ませていく。
 やがて眼前に教会が現れると、狼自らが道を明け渡した。巫と志郎は罠かと顔を見合わせたが、酷く怯えた様子で蹲っている少女の姿を見ると、駆け寄らずにはいられなかった。少女を抱き締める巫の背後を守るように志郎が狼と対峙する。やはりヤツらはじっとしていた。
「もふらさまと一緒に教会で待っていてね?」
 ぶるぶると震えている少女の手に、ふかふかのぬいぐるみを握らせる。少女は縋るようにもふらさまを強く抱き締めた。巫は少女を抱えたまま、教会への階段を駆け上がり、志郎もそれに続く。
 扉はすぐに開き、レイと入れ替わるようにして少女は中へ入る。
 少女無事救出を知らせる笛が響き渡った。
 重々しく扉が閉まり、三人はくるりと振り返る。万はいるだろうか。大門前にいるはずの仲間の姿は炎の鬣が齎す蜃気楼で見えない。
「合図は届いたはずです。合流まで持ち堪えましょう」
 志郎の声が緊張で震えていた。それも道理だ。炎狼共が、じりじりと階段を上り始めていたのである。
 直後、大門辺りで竜巻が起こった。戦闘が開始したらしい。
 仲間を信じ、三人は頷いた。村人が避難しているこの教会の扉は、けっして破らせはしない。
 レイを中央に配し、右辺を巫、左辺を志郎が守る。前面突破をしかけてくる狼をレイが拳で叩き伏せ、空いた背後に飛び掛るアヤカシがいれば、志郎の天狗礫が悉く穢れたその身を撃ち抜いた。
 はっ、と気合の入った掛け声で巫が炎狼の足元を薙ぎ払う。骨が砕ける音が響いた。おっとりとした普段の彼女からは予想もつかぬ程に険しい表情だ。脳裏に蹲る少女の姿が浮かぶ度、巫の打撃は威力を増した。その瞳に、けしてアヤカシを許さぬという確固たる決意が燃え上がる。
「きりがないな」
 レイがぼやいた。苦笑を浮かべる志郎の足元で、たった今急所を刺し貫かれた狼がどさりと倒れる。
「後少しです、レイさん」
 少しも減った気がしないアヤカシ共の数だが、扉を守るのはこの三人だけなのだ。やるしかない。息が上がり始めた分、気合も入る。互いの背を仲間に託し、前方の炎狼にのみ集中する。礫が狼を撃ち抜き、骨を粉砕した。
 それでも狼の数は一向に減らなかった。

 笛の音はまるで合戦の合図のようであった。まさに一斉に炎狼が襲い掛かってきたのである。ジークリンデが素早く詠唱し、瞬く間に狼共は巻き上げられ、渦巻く風の中でなます斬りにされた。おかげで僅かな道が出来た。
 新たに侵攻されては堪らんと、ディディエが鉄壁を呼び出したが突き上げてくる壁を何頭かが乗り越えてくる。
「縛鬼伏邪 一切死活滅道 急々如律令 我が前に立ち塞がりし者を束縛せよ!」
 蒼詠の呪縛符によって捕縛された狼が次々に滅せられた。鉄の壁に棺の獄導が突き刺さる。クナイの数が間に合わないと判断した棺は、壁を疾走し、残りの炎狼を凶星で野辺送りにした。だが反撃も食らう。やはり数が圧倒的に違うのだ。
 時間差で壁を乗り越えてきた狼に、棺は肩口をばくりと噛み砕かれた。同様に蒼詠もまた、挟み撃ちに遭い、爪の餌食となってしまうが、すぐに二人の身体を純白の光が包む。
「先を急ぎますよ」
 ジークリンデに促され、二人は先陣を切って駆け出している柄土と神座の背中を見遣った。
 まごついている――そう見えた棺は、血の止まった肩口に残った袖を破ってきつく縛りつけ、駆け出した。
「邪魔はさせねぇよ‥‥と」
 獄導を十字に構え、投擲。水面を跳ねる小石のように、クナイは仲間の行く手を阻んでいた炎狼を滅していった。それに習うように蒼詠の呪縛符が狼共を縊り殺す。
 突如、眼前のアヤカシが黒い瘴気へと変わり、柄土と神座は一瞬面食らったが、すぐに不敵な笑みが口元を綻ばせた。
「前だけを見よう」
「せやな。後ろは任せたで!」
 二人は振り返りもせずに宣言し、地を蹴った。追うように彼らの脇を、鉄壁が轟音を立てて伸びていく。それでも狼の数は圧倒的に多い。
 神座が全身に剣気を滾らせる。走りながら抜いた焔にもそれは伝わり、横薙ぎにただ振り抜いただけであるのに、狼共はじりと後退した。そこをすかさず刃を返す。数頭まとめて叩き斬った。それでも後から後から湧いて出てくる炎狼を、右上段から振り下ろし、左下から斬り上げた。ひたすら斬りまくる。
 目端で白いリボンが蝶のように舞うのを捕らえながら、柄土は至ってクールに、だが豪腕でアヤカシ共を斬り伏せていった。刀身に真っ黒な瘴気がしつこく纏わりついても構わず斬り続ける。鞘に収める暇も無いから瘴気を払う事もしない。切っ先の斬れが鈍れば体重をかけてハバキで肉を捕らえる。
「道を開けろぉっっ」
 怒声を放ち、向かってくる炎狼を容赦なく貫き、斬り捨てた。
 白兵戦は体力が尽きるのも早い。ディディエとジークリンデが広範囲魔法を使い、援護する。目くらましの為にディディエはブリザーストームを使い、ジークリンデはそれを攻撃魔法とした。突如襲った猛吹雪は、先を急ぐ前衛組を十分に援護した。
 途切れない集中力で神座、柄土はアヤカシを叩き斬り進む。蒼詠も手傷を負わせられながらも懸命に陰陽刀を振り回した。
 路地から集まってくる狼をジークリンデが真空刃交じりの竜巻で一蹴。足止めはさせぬとばかりに早駆で先頭まで一気に駆けた棺は、内ポケットから素早く符を取り出して火遁で一気に仕留める。
 宙高く舞うアヤカシがパンパンと小気味いい音を立てて弾け、消えた。
 教会まであと少しだった。戦う仲間の姿が目視できるまでになった頃、アヤカシの数が減ったようにも見えたのだが、またぞろ増えていく。
 肩を大きく揺らし、息を整えようとする開拓者ら。
 そしてまたも道を譲るように、教会への階段を明け渡す炎狼共の不可思議な行動を目の当たりにした。疑問に思いながらも、かなりの重傷を負わされてしまった蒼詠と棺を少しでも安全な場所へ移したいと考えたジークリンデは、迷う仲間を説得した。
 レイらも駆けつけた。体力が残っていた志郎とレイが二人を抱え、残った面子が周囲を囲い、教会へと移動する。いつ襲撃に転じるかわからぬ狼への警戒は怠らない。
「なぜ攻撃をやめた?!」
 いつでもお前らなど噛み殺せるということか? いややはり上位のアヤカシの意思か。
 階段を登りきり、蒼詠と棺を扉に凭れさせた。瘴気を浴び、自らの血も混じって赤黒くなったそれらが顔といわず着物といわずこびり付いていた。
 不審に思った志郎は耳を研ぎ澄ませた。あの時と同じ男の声が囁く。
『人を守るか、仲間を守るか』
 はっきりと聞き取れる声に、志郎は周囲を見渡した。険しい表情と動きに気づいた仲間もあわせて辺りを見回している。
 前方のどの建物にもそれらしい人影はない。
 もしや、と志郎は後ろを振り返った。
「あ、あそこに!」
 役所の屋根の端に、黒い影が見えた。全身が漆でも塗りこめたように黒い。フードで顔を隠しているのだろう。だが、男の呟きは志郎の鼓膜を震わせた。
『これからが見物だな』
 どういう意味だと叫んだが、男はまるで空気に溶け込むように掻き消えた。
 と同時に炎狼が撤退を始めた。中には名残惜しそうな狼もいたが、ほとんどが何かに従い、潮が引くようにいずこかへと去って行った。

 炎狼が完全撤退すると、教会内が俄かに忙しくなる。軽傷者は村内の病院へ自力で向かわせ、重傷者に限り、教会内で治療する事になったのだ。
 治療には志郎とジークリンデがあたり、村人や仲間へ適宜指示を出す。
 木製の固い長椅子には、不覚にも重傷を負ってしまった蒼詠が寝かされ、悔しさを隠す事無く滲ませていた。
「次はやられませんから!」
「もっとぶった斬りたかったのによぉ。くっそぉ」
 棺は血が滲むくらいに唇を噛んだ。
 いつもの光景だが、神座の周囲には子供らが集まる。狼に囲まれていた少女を褒めていると、自分達も頭を撫でてくれとしがみついてきたのだ。怖い思いをしたんやから当たり前やな、と神座は正飴をできるだけ小さく割ってやり、皆の口へぽいぽいと放り込んだ。
 もふらのぬいぐるみを抱き締めた少女へ、最後のひと欠片を頬張らせた。
「ようがんばったな」
 飴玉のように澄んだ涙をぽろぽろと零す少女を、神座は思いきり抱き締めた。

 志郎から聞かされた謎の男の声。そして姿を見せた黒フードの男。その正体の一端でも掴めればと、柄土は村内をぐるりと一回りしていた。
「‥‥もしかすれば気配がかかるか、と思ったが‥‥」
 甘いか、と舌打ちした。
 しかし、あえて姿を見せた事が引っかかる。
 巫は別行動で、教会に残る村人達に聞き込みを行っていたが、不審な男の情報は得られなかった。
「レイさん、この近辺で他に人のいる場所や村へ行きませんでしたか? もしくは他の開拓者が訪れた話とかは?」
「いや、まっすぐ稲代へ来たのだが‥‥」とレイは首を捻る。
 だが巫はどこか確信めいたものを感じていた。アヤカシが関わろうとしているのか。

 治療がひと段落したジークリンデが、役所の書庫で文献を読み漁っていた。だが、どの書物にも期待した程の記述は見られない。レイに頼んでいたはずの――鏡の反射だけではやはり無理があったらしい――陽動する上位アヤカシの正体はわからず、失敗に終わっていた。
 あれだけの数を相手にしていたのだから仕方がないと溜息を吐きつつ、脳裏には志郎が聞いた男の言葉が浮かぶ。
 裏切り、抗え、守るか庇うか――
 最後に言い捨てたという言葉。
『これからが見物だ』
 黴臭い本を閉じ、窓の外に広がる稜線へ視線を移した。
 黒フードの男の正体と目的はいったい何なのだろうか。
 そのどれもが――不明であり、また始まりでもあった。